根無し草のつれづれ

日々の雑感をひたすら書き綴ったエッセイ・コラム。また引用部分を除き、無断掲載の一切を禁ず。

闇を楽しむ

2009-03-03 20:48:28 | エッセイ、コラム
部屋の電灯を点けようとヒモを引っ張った所、ブチッと嫌な音がしてヒモが切れてしまった。
取り敢えず「明かり、を」と思い、リビング兼寝室が台所とガラス戸で繋がっているため、台所の電灯を点け、そこから明かりをとり、電灯のコンセントみたいなものを引っこ抜き、電灯を台所に持って行き、解体作業に入る。
2年前にも同じ事があり、これは切れたヒモを電灯内のスイッチに繋ぐだけの作業なので、簡単に考えていたのだが、そこには、とんだ落とし穴があった。
ヒモと電灯内の切り替えスイッチを再び繋ぐ際に、そのスイッチを変にいじってしまったらしく、スイッチ自体が機能しなくなってしまったのだ。
電灯を切り替える際に発生するカチャッ・カチャッという音が出ない状態。
多少色々試みるものの、機構自体が分からないので、こうなるともう私にはお手上げである。
時間的に電気店が開いている時間ではあったが、今夜の東京は生憎の天気。
電灯を買いに行く作業が面倒臭い。

電灯購入は明日にし今夜は部屋の薄暗さ自体を楽しむ事にする。

昔はこういう突発的で運が悪い事には非常に立腹し、イライラしていたものだが、最近は自分の手に余るような事は、割と簡単に諦めてしまうようになってしまった。
この「諦念の境地」はここ数年で身に付いたものである。

考えても仕方がないような答えが出ない事は必要以上に考えない事、事態を素直に受け入れ別の道を探る事、などなど。

(可能性が高いなら)諦めない事も大事な事ではあるが、(可能性が低ければ)諦める事も時には大事なのである。

今夜の場合は、単純に部屋に明るい光がないだけの事。
健康も問題ない、エアコンもテレビも生きている。
それだけで充分有り難い事ではないか。

闇もまた楽し。
ただまた要らぬ出費で財布は痛いのだが…。