朝イチで都知事選の投票に行き、その流れで井の頭公園
を散歩する。
ピークは過ぎてはいるものの、まだ桜の樹には花が残って
いて、風が木々を撫でる度に頭上からハラハラと花びらが
舞い散り、やや薄暗い木立ちの中、その花びらに幾筋もの
朝の木漏れ陽がスポットライトを浴びせかけ、それはとても
荘厳で幻想的な光景を作り出していた。
本当に息を呑む、表現のしようがない美しさであった。
かつてミュージシャンの松任谷由美は、九段にある老舗ホ
テルのラウンジから桜の花びらが降る様を観察し、「経(ふ)
る時」という曲の中でそれを「うす紅の砂時計の底」と表現
したものだが、いやはやミュージシャンという人種はなんと
感性が豊かな人たちなのだろうか、と舌を巻く思いである。
突如、朝の井の頭公園に出現した「砂時計」を堪能し散歩
を終える。
都内有数の桜の名所も、人が少ない朝であれば、こういう
光景にも出会えるのであった。
を散歩する。
ピークは過ぎてはいるものの、まだ桜の樹には花が残って
いて、風が木々を撫でる度に頭上からハラハラと花びらが
舞い散り、やや薄暗い木立ちの中、その花びらに幾筋もの
朝の木漏れ陽がスポットライトを浴びせかけ、それはとても
荘厳で幻想的な光景を作り出していた。
本当に息を呑む、表現のしようがない美しさであった。
かつてミュージシャンの松任谷由美は、九段にある老舗ホ
テルのラウンジから桜の花びらが降る様を観察し、「経(ふ)
る時」という曲の中でそれを「うす紅の砂時計の底」と表現
したものだが、いやはやミュージシャンという人種はなんと
感性が豊かな人たちなのだろうか、と舌を巻く思いである。
突如、朝の井の頭公園に出現した「砂時計」を堪能し散歩
を終える。
都内有数の桜の名所も、人が少ない朝であれば、こういう
光景にも出会えるのであった。