水位が低下している
底原ダム〔そこはらダム・すくばるダム〕の北側から動画で撮影しました。ただしまったく動かない動画なので、3倍速にしてみましたが、それでも「ただ、雲が動くだけ」でした(笑)。
動画は → こちら
水位が低下している
底原ダム〔そこはらダム・すくばるダム〕の北側から動画で撮影しました。ただしまったく動かない動画なので、3倍速にしてみましたが、それでも「ただ、雲が動くだけ」でした(笑)。
動画は → こちら
そういえば半年ほど前
昨年2014年11月には、1週間ほど夜間断水〔23時~翌5時頃〕があったここ石垣島。その後、回復したためか断水はみられませんが、小雨が降っているのに断水とは、と不思議な気がしたものでした。
こちら底原ダムは農業用水でしょうか、7年前〔2008年〕と今〔2015年〕の水位を比較できる静止画を用意しました。底原ダムは於茂登トンネルのすぐ南にあります。
京都北西にある金閣寺の鏡湖池(きょうこち)を
思わせる小島が見えますね。この小島はちょうど帆船の形をしており帆にあたる木があります。そんな風に見えていたのが7年前の2008年(上図左側)。
ところが右側が先日2015年の撮影で、大きな島の姿になっていて、さらに右端で陸地と陸続きになっていることさえ分ります。
やはり水位が下がっているのですね。
先日、見たときには、ただ水をはっただけだったのに、この日 2015/03/02 に行くと、石垣島の名蔵地区の一部では、田植えが終わっていました。
気温や水の関係があるためか
年によって、田植えの時期は定まっておりませんが、ここ石垣島では、だいたい2月には1回目の田植えがあるようです。また小学生などが体験「田植え」をすることも。
たしかに人が田植えをすると
腰が痛くなって長続きせず、時々休憩しなければならないので、どうしても機械による田植えに頼るようになりました。
しかし巧妙な管理部門は農機具会社と組んで、米食が減った昨今でも、小規模農家に機械を高額で売りつけ・貸しつけして生き延びているのに、当の農家からは借金に追われる人たちが出る始末。これぢゃぁ肝心の跡継ぎ問題は解消されません。図体(胴体)が大きくなり過ぎると一部の職員を食わすためには、日本の農業さえ犠牲にするなど、何をし始めるか分りません。
天候不順のため日本国内で凶作だった時代にヒントを得てコシヒカリを海外で生産させ、これを逆輸入して儲けようとした商社がありました。しかしこれが、その後、農政の無策もあり、日本の農業を潰滅させたことも忘れてはいけません。もちろん商社だけの責任ではなく、主食である米作をおろそかにした日本人にも責任があるでしょうが、えげつないのはいつも、農協と商社!
ハブ退治としてマングースを導入したのに、マングースが他の野生生物や家畜を襲う事態とにていますね。イチゴに巣くう植物食のダニに悩む農家が、動物食のダニ〔ダニだけを食べるダニ〕を導入しているとのことですが、10年も経てばこのダニが何か問題を起こしそうで、心配が残ります。たとえば外へ脱出して生物体系の一部を破壊するとか・・・・
もともと自民党の政策によって
農村票などを獲得する目的で(当時の無知な農民)へ補助金を配り、米食が減り出すと減反補助金で農業重視を推進したつもりでしたが、その結果は、農家離れ、跡継ぎ不在、かけ声だけの減反、などなど、良くなったという印象がないまま。日本の農業は明らかに衰退しました。
しかしTPP交渉が本格的に大詰めを迎え
虚実の情報を散りばめての狡猾な交渉が進むとともに、おりから自民党は農協改革を進めていますが、これは長い農政を経験してきて、裏の裏まで知り尽くし、甘い餌の与え方や抜け道を残せる自民党以外では決してできない改革だった、と思っています。
農協には、いろいろあるそうですね。
撮影月日:2015/02/27
撮影場所:石垣島の唐人墓〔石垣島の西部〕
石垣島にある唐人墓(とうじんばか)です。
私がこの島に住むようになる前、旅人時代にも立ち寄ったことがあるのですが、だいぶん変りましたね。新しくきれいになったという印象です。たしかに古びていると観光客受けはしないでしょうが、新しくなりすぎると情緒が減りますね。贅沢なものですが。
偶然いあわせた団体客を案内するガイドの説明をほんの10秒程度ですが聞きおよんだところによれば
「中国のお客さんもこちらへ来るが、なぜかここへは寄らない。来るのは日本人観光客だけ」
とのこと。唐人馬鹿〔とうじんばか〕ではなく唐人墓〔とうじんばか〕なのに(笑)。
もちろん中国は、中国共産党が一党独裁する国であり、中国共産党が中華人民共和国を建国したのであるからして、かりに中国共産党に不都合なことがあれば旅行業者にも決して許さない、あるいは不都合なことをしなければ優遇措置をする、などの理由で、観光バスは通り過ぎるだけになっている、そういうふうにと愚考します(笑)。まあ関係がないかも知れませんが、団体旅行の場合は、そのような統一基準を守るのでしょうね。
一説では、説明石碑の文言について、次のような批判があります。
「唐人墓」説明文は正しいか
改修を前に事件の検証が必要では?
■正しく紹介されているか
先月初め、石垣市立図書館主催の「著書を語る会」が開かれ、元高校教諭で石垣島唐人墓事件の著者田島信洋さんが、「唐人墓の虚像と実像」と題して講演を行い、これまで伝えられてきた説にあらためてさまざまな疑問や新たな問題提起を行った。
新川冨崎にある唐人墓は、連日大型の観光バスやタクシー、レンタカーがひっきりなしに訪れる八重山有数の観光スポットだ。それだけに唐人墓の説明文は事件を正しく伝えているのか、バスガイドやタクシーの運転手さんはどのように観光客に紹介しているのか確かに気になるところである。
この唐人墓も老朽化が近年激しいことから石垣市では年内に改修工事を行うという。それならその改修の前に、150年以上も前にこの八重山で起きた国際的な大事件が果たして正しく伝えられているか、説明文はこれでよいのか、あらためて関係者間で徹底検証し、改めるべきは改める必要があるのではないか。ひとたび改修されるとあるいは2、30年は見直しの機会がなくなり、こうした各種の疑問が提示されている事件の真相、歴史の問題点が未来永劫歴史のかなたに放置されたままになる恐れもあるからだ。
■2度目の改修
この唐人墓には中国福建省出身者128人の霊が祭られている。その概略は1852年2月、福建のアモイで集められた400人余の苦力(クーリー)たちが米国商船ロバート・バウン号でカリフォルニアに送られる途中、台湾東方で病人が海中に投棄されるなど虐待されたため暴動を起こし船長ら7人を殺害した。
船は台湾に向かう途中、たまたま石垣島崎枝沖で座礁、380人が下船した。八重山の政庁蔵元は現在の墓がある冨崎原に仮小屋を建てて収容したが、米英の兵船が3回にわたり来島、砲撃を加え武装兵を上陸させ捜索。山中に逃亡した中国人らは銃撃・逮捕され、あるいは自殺や疫病で病死者も続出した。
これに対し琉球王府と蔵元は人道的に対応、島民も密かに食料を運び込み、さらに死者は1人ひとり石積みの墓を建立して丁重に祭り、生存者172人は関係国の交渉の結果翌年9月、琉球の護送船2隻で福州に送還して終結した。
これらの霊を慰霊するため石垣市と台湾側とで1971年に建立したのがこの唐人墓で、現在の墓は1982年に改修され、説明文も現在の事件の概要を伝えるものに大幅に書き改められた。
■シンポジウムで検証を
田島さんが疑問や問題点を指摘するのは、実際に英米兵に殺害されたのは3人で多くは1年7カ月余の帰国までの疫病によるものだが、これが128人全員が殺害されたかのように各種のガイドブックやインターネット上などで誤った伝え方をされ、さらに唐人は誘拐同然に集められたクーリーという説があるが、時代背景的には必ずしも奴隷的な労働者だけでなく、知識階級の人々の出稼ぎもあったこと。また漂着や座礁したのでなく石垣を台湾と間違えて上陸した形跡があること、砲撃も威嚇砲撃であったこと。
さらに一方でこの事件を「米英の西側植民地主義者による中国人労働者略取販売に反対する中国人民の闘争史上の重要事件であり、中国と琉球の友好の歴史の証人」とする論文が出る一方で、これを真っ向から否定する論文もあり、研究者間でも「ロバートバウン号事件」などの名称はじめ事件の見方、評価は異なる点が少なくない。
2度目となる改修は今年12月までに行われる予定だが、それだけに石垣市はその改修を絶好の機会として、それぞれ研究者を一堂に招いてシンポジウムを開くなど、田島氏の提起も含めて事件を徹底検証。その上で説明文も現在のままでよいのか、改めるべきは改めてより正しく後世に伝えていく努力をすべきだろう。
当時は島の人々も疫病で次々死んでいったが、琉球王府は小国琉球を守るため島の人より唐人を医者に見せるなど大切に扱ったともいわれる。今は日中友好のシンボルともなっているこの国際的な悲惨な事件の背景で、島にも悲惨な歴史があったことも島の子供はじめ島の人々、観光客にきちんと伝えていく必要があるだろう。市の積極的な対応を望みたい。:八重山毎日新聞 2008年03月05日 社説
本当にそうかどうか、1991年の石碑の文章が正しいのかどうかは、以下の静止画や、その他で皆様がご判断下さい。2008年中に改修が終わるとのことですが、日付はそのままのように見え・・・・
↓ さて、近年の中国による尖閣諸島付近での不穏な動き
に起因するのかどうか、こんな艦船を撮影しております。いまのところ、どこの所属の大型船なのかか、まったく分りません。
撮影月日:2015/02/23 14:13
撮影場所:石垣島
岸壁から南を見ると、防波堤で囲まれた海中で何か工事をしていましたので、動画で撮影してきました。一体なにをしているのでしょうか。
動画はこちらYouTubeで。
↓ 静止画もどうぞ。これだけ拡大すると石垣島天文台も白く見えました。
↓ 右へふって最後の石垣島天文台の方向を示すGoogleEarth地図です。
撮影月日:2015/02/23 13:35 気温25℃
撮影場所:石垣島
動画をYouTubeへアップロードしました。
静止画はこちら ↓
この橋を南(写真では左)へ渡りきって、すぐに左折したところから北(写真では右)を向いて撮影しております。手前にある金属製手すりの右側に太陽光が反射しているので、方角がわかります。
晴天で、「サザンゲートブリッジ」が実に美しい! 遠くに見えるのは少し雲がかかっている於茂登岳でしょうか。それにしても2月にして積乱雲らしきものが・・・・(笑)。
撮影月日:2015/02/23
撮影場所:石垣島の旧離島桟橋~新離島ターミナル
↓ こちらが(旧)離島桟橋で、かつて市街地近くにあった石垣空港へ降り立った旅人たちのうち船を利用する人は、ここから船に乗って竹富島や西表島などへ出かけたものです。
しかしここも手狭になり、すぐ西の歩いて1~2分のところで工事をして新しく「離島ターミナル」を作りました。空港も新しく完成しましたので、少し遠くの空港からこの離島ターミナルへ向って竹富島や西表島へ出発することになります。
↓ この(旧)離島桟橋、今では、なぜか多くの船が停泊していますから、駐船場になっているのでしょうか。
↑こちらは今でも営業している「おさしみ屋」で、旧離島桟橋から船が出るまで、ここの店の前で風に吹かれながら、生ビールを片手に刺身をつまんでおりました(笑)。
↓ こちらが(新)離島ターミナルビルの北側で、海の方は映しておりません。
少しずつではありますが、石垣島も変わりつつあります。それも1年に1回、多くて2~3回、来る程度の人にこそ、違いが分ってくるようで、住んでいるとなかなか分らないと言います。
撮影月日:2015/02/19 11時ごろ
撮影場所:新石垣空港
経営危機に陥っているらしいスカイマーク社の機体が新石垣空港へ侵入しているところを撮影できました。晴れていて順光だと、たとえ動いている物体でも美しく撮れるものですね(笑)。
旧石垣空港では
もっともっと迫力ある映像を撮ることができましたが、「迫力がある」ということは、それだけ住んでいる人への影響が大きいということでもあります。
一般論で言えば、新しく空港を作るときには、何もない、人が住んでいないところにつくるもので、騒音のため地価が下がります。道路に面したところには関連の営業所はできるでしょうが、地価が安いところには人が住んでいません。
しかし地価が安いこともあり、10年や20年もするとポツポツと人が住むようになり、30年もすると「人口密集地帯に飛行場がある」という状況に至ります。
これがあるからこそ、飛行場は埋立てた海に作るべきだと私は思うのですが、海を破壊するのと人の生活を破壊するのと、両者を精査しなければならないでしょう。
2013年3月から新石垣空港が開港して
その危険と迫力はなくなりましたが、それでもこれだけ近くで撮影できるのは、全国の飛行場を探しても、それほどあるとは思えません。
Web上の制約もありかなり画質を落としておりますので、ご了解下さい。
最後にスカイマーク社について
撮影月日:2015/02/19 11時前
撮影場所:新石垣空港の西
もうすぐ田んぼでも田植えが始まるここ石垣島。
今年は2月に入って特に寒い日があったせいか、まだ田植えをしていませんが、部分的に水を蓄え、ボチボチ準備をしているところです。
通りかかった畑では、重機で作業中。例によってサギがそのまわりをうろついています。
あ~危ない。
運転士は左前方のサギではなく、右後方の畑の土を見ています。サギが轢かれる・・・・
しかしサギは、重機が通る道をはずして待ちかまえていたのです。なかなかやりますね(笑)。
静止画と動画(ただしこちらはYouTube)を用意しました。
まずは重機・トラクターによる畑打ち(畑起こし)に群がるサギたち
・・・・見慣れてはいますが、なかなかいい光景です
動画は、こちらのYouTubeでどうぞ。
↓ こちらは重機・キャタピラによるキビ刈りに群がるサギたち
・・・・もしこれが山の近くならば、カンムリワシもいるはずですが。
動画は、こちらのYouTubeでどうぞ。
撮影月日:2015/02/18 14:28
撮影場所:石垣島西部の名蔵湾岸沿い
日本中で
が多い中で、昨日14:00過ぎに通りかかった名蔵湾で撮影してきました。
なんと気温が20℃でしたので、気象庁のサイトへのリンクも添えてご紹介しておきます。
2月に入って以来、一時期この2~3年では珍しいほど15℃を切ることがおおく、非常に寒い日が続きました。その中で20℃を超えたのが嬉しかったのですね(笑)。
撮影月日:2015/02/13 12:45
撮影場所:於茂登岳の気象レーダー
沖縄県にある最高峰が
ここ石垣島にある於茂登岳(おもとだけ)525m。この山頂近くに、昔は3つのアンテナがありましたが、いつの間にか1本が撤去され、今ではこの気象レーダーと、もう一つ山頂にある高い漁業用などの高いアンテナの2つだけになってしまいました。
珍しい冬の快晴の日
今年初の於茂登岳への登山。山頂すぐ手前にある気象レーダーに、なんと足場が組まれ、作業員の姿が見られます。日が左から射していることから分るとおり南西~西方向を向いて撮影しております。
ところで、見える二人の作業員は何をしているのでしょうか。次の中ではどちらが正しいのでしょう。
正解は 2. でした。2~3年に1回はこうして作業しないと、汚れてしまうのでしょうか。
525mとはいえ強風が吹き続けるこの場所でも、いつの間にか棲みついている植物の生命力に感歎するしだいです。
この写真では見えませんが
かつて、レーダーのすぐ右下まで鉄柵がありました。
今では鉄柵がほぼ球形レーダーの基礎部分のところまで後退し、鉄柵内の面積が半分ほどになっています。鉄柵のない平地が、ヘリコプターで資材を運ぶための場所だったんですね。
いろいろな山へ登ると
山小屋や各種アンテナ設備などの、設置や維持管理に、人手が使われていた時代があったと聞きます。山の上に構造物を建てる作業には相当な危険が伴ったのですね。
大規模な施設を作るには、今では、最初は人手に頼るものの、まずはヘリポート建設を目指し作業日程を大幅に短縮していることと思われます。
こんな風景の変化をみるにつけ、そんなことに思いを巡らすのでした。
撮影月日:2015/02/13
撮影場所:於茂登岳
八重山地方で「冬の天候は悪く、雨も多い」のは周知のことで、今年も
などの事由により、年末年始には登りたいと思っていたものの、先延ばしが続き、ようやく快晴の先日、於茂登岳〔おもとだけ:525m〕へ行ってきた次第です。
快晴とはいえそれは天上のことだけで、地平線近くでは「もや」がかかって、頂上からの景色はそれほどのものでもありませんでした。
石垣市の中心部から
桟橋通(県道87号の一部)を北上すると、於茂登トンネルから南下する道と交差するところ(信号はない)がありますが、そのずっと手前に、左折する誘導看板「於茂登岳」があります〔下図写真〕。大本小学校〔おおもとしょうがっこう〕を右手に見てさらに進むとすぐ左、というところでしょうか。
ここを左折してしばらく進むと、林道嵩田線に入る少し手前に、今度は右折する誘導看板「於茂登岳」があり、すぐの水たまり(ここはいっこうに土を埋めるなどの補修作業をしようとする気配がない)を超えると、やがて本当の登山口の入り口に達します。
登山道の途中では
真冬とはいえこんなに汗をかくことはまずないため、もうこれが最後かといつも思いながら、またまたやってくる次第でおぢゃります(笑)。
頂上もすぐです。
動画をYouTubeへアップロードしました。
頂上からの景色もどうぞ。今回の動画も静止画も、コンパクト型デジカメによるものです。
手前の左側が、ここ於茂登岳のとなりにある桴海於茂登岳〔ふかいおもとだけ〕、そして見えにくいかも知れませんが、右手奥にうすく「とんがった山」が見えますが、これが野底岳〔のそこだけ〕。
頂上にそびえる高いアンテナを見上げた動画をYouTubeへアップロードしました。
撮影月日:2014/10/26 09:54
撮影場所:新石垣空港南西側真下
新石垣空港へ南西の方角からRAC機〔多分 DHC-8〕が着陸しようとしていました。
gooブログでは、直接動画をアップロードできず、YouTubeやニコニコへ投稿したあと、このgoo記事では、その動画URLへリンクさせなければなりません。つまり動画をgoo記事へ掲載する場合、二度手間になってしまうのです・・・・・・。が、まぁ、ないよりマシか(笑)。
静止画でもどうぞ。撮影の日時や場所は上と同じです。
近年では、海を埋立てて飛行場にすることが多くなり、こんな真下から着陸態勢の飛行機を撮影できる空港は、限られてきましたね。
そういえば昔、波照間空港から旧石垣空港へ帰るときに乗ったのが10人定員のブリテン・ノーマン アイランダー(BN-2B)だったはず。うちの古代遺跡から発掘してみましょうか(笑)。波照間を離陸する時には、走っていたマイクロバスが空中へ飛び上がったという印象があり、石垣島までの短い間でしたが海面ぎりぎりに飛行するので、浅い海の底に生息するサンゴまでよく見え、最初にして最後の体験でした(笑)。
撮影月日:2002年01月・・・・そうか、もう12年も前のことなのですね。
撮影場所:波照間空港
水平尾翼が垂直尾翼の下方にある同機はその後退役し、波照間⇔(旧・新)石垣空港路線も廃止されました。
現在、新石垣空港で見ることができるRAC機としては、かつてのB727を思わせる機体DHC-8ではなかったでしょうか。水平尾翼が垂直尾翼の上部にあるT尾翼(T字尾翼)ですね。特徴があり、なぜか雰囲気がよろしい!
T尾翼(T字尾翼)の機種いろいろ
「垂直尾翼上部に取り付けられた水平T字尾翼」で、どちらかというと小型機に多く見られるようですが、かつては乗員150名程度の中型ボーイングB727もそうだったのです。
そういえば、
廃止された新石垣空港⇔波照間空港の(不)定期便が来年2015年秋あたりに復活するという話が出ております。
これまた、新石垣空港開港にともなう観光客増加の結果でしょうか。それはそうで、石垣空港へやってきてから、遠く離れた離島ターミナルまでバスやタクシーで行ってから波照間への船に乗る、というのは、どう考えても無駄ですね。しかし波照間から石垣島へ帰るのに、船便も選択肢に入るというのが、うれしい。
波照間航空路線の復活ニュース
現在廃止となっている石垣-波照間、石垣-多良間の離島航空2路線について県は、2015年10月に再開する方向で調整を進めていることが24日、分かった。県が19人乗りの機材の購入を補助し、第一航空㈱が運航する予定。八重山合同庁舎で同日開催された県と竹富町、多良間村で構成する「石垣拠点空路線開設検討協議会」の第2回作業部会(8人)で確認した。3月下旬に最終の作業部会を開き、来年3月の協議会で最終決定を行う。:八重山毎日新聞 2014年01月25日
・・・・しかし
反日で洗脳された
中国人の水泳選手が韓国でのアジア大会で「日本国歌は耳障り(孫楊)」と言おうと韓国選手が何を言おうと、中国や韓国という国家支援のヘイトスピーチにかわりはなく、毎度おなじみのバカバカしいお笑いでございますが、今回のような航空機の機種に関する話題は、いつ誰が見ても問題が無くて、いいですね。
あまりにもひどい中国・韓国のヘイトスピーチが続くため、日本でも右翼たちが表面に出て同じようなヘイトスピーチを始めております。この点で
中国や韓国という「超右翼国家」は、日本の「危険な右翼」と同じ、「右翼」仲間
なのですね(笑)。
中国・韓国が言いそうなことですが、イチローも青木も「危険な?」右翼手ではないか(大笑)。
もしそんなことを言ったならば、それにそなえて私も、言葉を用意しています。
右翼手よりもっと右翼にある甲子園球場右翼アルプススタンドに陣取る超右翼国家(中国・韓国)が、右翼手を「右翼だ」となじるな
って。これぢゃぁ、まるで落語ではないか。
北朝鮮が、自分と似ている危険な独裁国家に接近しておりますが、まさか中国・韓国が似たもの同士ということで日本の右翼に接近するなんてぇことはないだろうて(笑)。
ところがこの超右翼国家連合が、近年「日本が右傾化した」とはしゃいでいるようです。この「右傾化」は、日本の怪しげな左翼新聞の文言をぱくった言葉でしょうか。
「朝日新聞が謝罪したことが日本の右傾化か」という韓国の憂慮が、的確にそれをあらわしているようです。
朝日新聞の謝罪は、記事の誤りを訂正したものであり、朝日でも従来なかったのですが、中国・韓国では「記事の訂正」などはあり得ないことだからこそ、朝日新聞の訂正とこれを非難する日本の風潮を「日本の右傾化」だと断定したがるのでしょう。
実際は、日本の一部の人たちの頭脳内に存在していた朝日への信頼性が揺らいでいる、というところでしょう。
なのに、他紙が朝日を批判している2014年8月以降の日本の現状を「朝日新聞がいわれのないイジメを受けている」とみなすとは、かなりピントがずれた韓国の主張。これは国是として反論を許さない形で「朝日を全面的に引用して日本を攻撃」してきた韓国らしいとらえ方で、誤った見方であることは言うまでもありません。
みずから超右翼国家を続けられるからこそ、「自分たちの反日をこころよく思わない傾向」をとらえて「右傾化」と表現・暴言・放言できるのでした。
参照→:読売新聞 2014年09月12日
でも、なぜ中国・韓国の国家によるヘイトスピーチが問題視されず、日本の右翼だけが問題視されるのか、そうなんです。
中国・韓国は普通の民主国家ではない
のでした(大笑)。
普通の民主国家ならば、必ず「そうではない」と発言する自由があるのですが、両国にはこの言論の自由がない、よってまともな民主国家たる最低の条件さえ存在しない。
すっきりしましたか、ご同役!
2014/10/26 09:33に撮影しましたが、かなりひどい水位の低下です。
こちらが動画です。
季節が悪いのか、それとも水位そのものが低いのか・・・・。
3秒程度ですので、お見逃しなく、・・・・と言うべきところですが、もしも見逃したら再度再生すればいいか(笑)。
静止画でも比較しておきましょう。
2013/04/29
2014/10/15
小島の頂点にある小さな松の木の周辺を比較すると、水位が低下しているとわかります。一番古くこの小島を撮影したのは6年前の2008年でしたが、今回は今年と昨年を比較してみました。きっと季節によって水位は変ってくるのでしょう。
撮影月日:2014/10/15
撮影場所:石垣島の於茂登トンネル南
常緑樹である松が、
しかもここ暖かい石垣島の10月15日に、しかも1本だけ葉が枯れて茶色になっているのを、見つけました。台風の塩害なのか、虫の被害なのか、詳しく調べないとわかりませんが、専門家ではないのでそこまでは調べることができません。
手前の松の葉の色が緑でないのがおわかりだと思います。はたして普通のことなのか、異常なのか、わかりません。多分、松枯れの初期段階だと思うのですが・・・・・・。
もう少し例がたくさんあれば、原因を特定できそうですね。