異国の客 059 川辺の公園、共和国、独立戦争 その2/池澤夏樹

2006-12-23 19:21:19 | 世界

川辺の公園の広さと整備に感心する一方で、ここに投下されている公金
は今年あれだけの騒動が起きたいわゆる郊外地域(バンリュー)に振り向
けられるべきなのか、とも考えた。
 地域ごとの格差が問題なのではないか。

 フランスの政治原理の一つに共和国というのがある。
 これについて実によくわかる本を読んだ。
 『思想としての〈共和国〉』(みすず書房)。
 レジス・ドゥブレというフランスの思想家の30頁ほどの論文を核に、
彼へのインタビューやフランス共和国についての水林章の論、彼と樋口陽
一、三浦信孝の長大かつ濃厚な鼎談から成るという本で、実は他で書評を
書いたのだけれど、そこでは紙数の制限のため論じきれなかったので、も
う一度ここで考えてみたい。

 ドゥブレの主張はわかりやすい。
 国を運営する原理にはデモクラシーと共和国の2つがあるというのだ。
 デモクラシーは今や世界の政治の指標であり、その実現がすなわち進歩
そのものであるかのように言われる。
 選挙で選ばれた代表が政治をする。
 そこまでは共和国も違わない。共和国はデモクラシーである。
 しかし、共和国とそれを欠くただのデモクラシーは大きく異なる(水林
はドゥブレの言うデモクラシーをむしろ自由主義と理解すべきだと言って
いる。どうもこの点で混乱が生じそうなので、ぼくはこの論の中ではドゥ
ブレの言う「デモクラシー」を勝手に「自由主義」と書き換えてみよう)。
 共和国は民主主義「以上」のなにものかなのである。
 いっそう価値があると同時に不安定でもあるもの。
 はるかにつらいし骨の折れる、しかしより大きな満足感をもたらしうる
なにものかなのである。
 共和国とは、自由プラス理性、法治国家プラス正義、寛容プラス意志だ。
「自由主義」とは、言うなれば、啓蒙の光を消してしまった後の共和国の
残り物にすぎない」

 いちばんわかりやすいのは政治と経済の関係である。
「自由主義」では経済が政治に優先する。あるいは政治は経済に奉仕する。
 共和国では政治が経済を制御する。
 言い換えれば、共和国では人は理性的な存在であり、「自由主義」では
人は生産的な存在である。
 以下、普遍的とローカル的、中央集権と連邦制、政治からの宗教の排除
に対して政治と宗教の協力、公務員への信頼対弁護士の重用、徴兵制か職
業軍人による軍隊か、等々、多くの対照的な違いがある。

「自由主義」では業界や民族や地域の利益を国家が調整する。
 共和国では国民は個人として国家の理念に依って生きる。国民と国家の
間に民族のような中間的なグループはない。
 選挙では共和国の人々は議論し、「自由主義」の国の人々は棄権する。

「自由主義」では国民とはまずもって購買力である、とぼくはドゥブレを
敷衍して考える。
「自由主義」では生まれる前から死んだ後まで、人はまず消費者という側
面で捕らえられる。
 経済は欲望に土台を置いているから、社会は個人にすりよる(日本で提
唱されている教育バウチャー制度がそのよい例。子供に媚びて、人気取り
で学校を作ろうとしている)。
 共和国では人は国民に生まれつくのではない。
 知育を経て国民に成るのだ。
 だから学校は国にとって大変に重要な施設だ。

 共和国は人の理性を信頼し、そこに国の基礎を置こうとする。
「自由主義」は人の欲望を競合させることで国を運営する。

 ドゥブレはフランスは共和国だと言っているわけではない。
 フランスにとって共和国という理念は大事だと言っているのだ。
 そして、今もって共和国を革命以来の原理として持つ点でフランスは珍
しい国だと言いたいのだ。
 あるいはそれが失われつつあることに焦り、警告を発しているのだ。
 すべてが経済優先のアメリカ式の「自由主義」に堕してゆく傾向をなん
とか食い止めようとしている。

 ぼくはこの本でフランスという国について多くの疑問が解けたと思った。
 例えば、なぜEUの成立と拡大を率先して進めてきたのにEU憲法に反
対する声が高いのか。
 EUというのは実はアメリカに対抗するためにヨーロッパ全体をアメリ
カ化ないし「自由主義」化することだという考えがフランスにはある。
 グローバリゼーションとは経済が国家に優先して経済活動に国境がなく
なることであり、ヨーロッパ的なその推進のシステムがEUである。

 それにEUは国ではなくその上位概念であるとしてもその構成自体が連
邦的である。連邦そのものと言ってもいい。
 共和国は連邦を拒み普遍を目指す。
 1958年の憲法の前文には「分割不可能で、非宗教的な、そして民主
主義的で社会福祉を目指す共和国」とある。
 ここで大事なのは「分割不可能」というところだ。
 一つの原理が領域ぜんたいに行き渡る。

 だからフランス語が大事なのだ。
 言葉によって国が分割されてしまってはいけない。
 振り返ればフランスはかつて多くの地方の寄せ集めであり、多言語国家
だった。
 フランス革命を経て、言語を統一することで世界で最初の国民国家を作
った。
 だから教育が重視されるし、その中でもフランス語が重視される。
 情感に訴える話し言葉ではなく、理性に訴える書き言葉。

 社会主義との違いも大事だ。
 旧ソ連・東ヨーロッパ系の社会主義やナチスの国家社会主義は一党独裁
であり、民主主義以前だった。
 教育は理性ではなく権威によって行われた。
 選挙では人々は棄権はしなかったけれども、議論もしなかった。
 あの種の社会主義は為政者にとって都合のいい部分だけを共和国から盗
んで構築されたものだった。

 21世紀の現実に戻って考えてみると、ドゥブレが嘆くように現実との
矛盾もよくわかる。
 共和国では、「自由主義」のように法の前にある平等だけでは不充分で、
「物質的な生活における公平性」が必要になる。
 それは実現されているか。
 なるほどジニ係数はアメリカよりずっと低い(フランスが0.273、
アメリカが0.337、日本はその中間の0.314だが年々上がってい
る)。
 しかし経済的な平等が行き渡っているとは言い難いだろう。
 それをぼくは広い川辺の公園で、そこを大都市郊外の貧しい人々が住む
バンリューと比較して考えたのだ。
 ここに投下されている予算はバンリューに回されるべきではないのか。
 就職の機会は均等であるべきなのに現実に大きな差があるのはなぜか。

 あるいは、歴史を考えてみて、なぜ共和国が植民地を持つことができた
のか。
 全体が一つの普遍の原理によって統治されるはずの共和国が、なぜ2級
の国土である植民地を持ち得たのか。
 コロン(入植者)と先住民の資格の差を平然と制度化できたのか。
 つい最近も植民地経営は現地にとってよい面もあったという歴史認識を
政府が提示しかけて旧植民地が反発した。
 今の移民問題や宗教問題の背後にも植民地の影がある。

 ドゥブレの本は今のフランス、今の日本、今の世界を理解する上でとて
も役に立つ。
 そう思う一方で、もっと根源的な問題も頭に浮かぶ。
 人は本当に理性的な存在なのか?
 そこが崩れるとすべてが崩れてしまう。
 社会主義がうまくいかなかったのは、人は生まれつき勤勉であり、利で
釣らなくても働くという前提がまちがっていたからではないかとぼくは考
えてきた。
 人間の本然は理性か欲望か。カントに戻って考えなければならない。
<つづく>

                (池澤夏樹 執筆:2006‐09‐25)

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