パレスチナ内戦の危機 レバノン:揺れるモザイク社会 第40回/安武塔馬

2006-10-07 22:52:45 | 世界
レバノンの地中海岸をベイルートから南に向けて下っていくと、まずサイダ、次いでティールというふたつの海岸都市に到達する。それぞれ「シドン」「ツロ」の名で聖書に登場する由緒ある町だ。爆撃で橋という橋をことごとく破壊されたため、高速道路はズタズタながら、フランス軍工兵隊が突貫工事でつくった鉄橋があるので、それほど迂回せずとも南部に到達出来るようになった。

■  『レバノン:揺れるモザイク社会』 第40回   「パレスチナ内戦の危機」  2006年10月5日発行

 ■ 安武塔馬 :ジャーナリスト、レバノン在住

「パレスチナ内戦の危機」

○ レバノン国軍が国境沿いに展開

 レバノンの地中海岸をベイルートから南に向けて下っていくと、まずサイダ、次い
でティールというふたつの海岸都市に到達する。それぞれ「シドン」「ツロ」の名で
聖書に登場する由緒ある町だ。爆撃で橋という橋をことごとく破壊されたため、高速
道路はズタズタながら、フランス軍工兵隊が突貫工事でつくった鉄橋があるので、そ

れほど迂回せずとも南部に到達出来るようになった。

 ティールを越えると海岸沿いの村落はぐっと減り、見渡す限り青い海と、広大なバ
ナナ農園が広がる。海岸部の人口密度は低くしかもほとんど開発されていないため、
海は透き通るように綺麗だ。第五次レバノン戦争で流出した重油もこの地域までは流れ着かなかった。

 青く澄んだ海の沖合い10数キロ、肉眼でもはっきり確認出来る位置に、イタリア
の軍艦が何隻か浮かんでいる。それが無ければ、つい2ヶ月前まではこの地域が世界
でも最も過酷な戦場であったとは誰も思い及ばないだろう。

 やがて道路は海岸の切り立った崖を上り始める。ここからがイスラエルとの国境の
町、国連暫定平和維持軍UNIFILの本部があるナクーラだ。空爆によって道路は
随所で寸断されており、四輪駆動のアウトドア仕様車でない限りアクセスは大変だ。
要人は悪路を避けてヘリコプターでやって来る。

 数キロメートル先から、道路の右手に延々と続く白壁と鉄条網が現れる。ここがU
NNIFIL本部だ。左手にはUNIFIL兵士相手のバーやレストラン、ディスコ
などの歓楽施設や土産物屋が並ぶ。戦争でこの地域は経済的にいったん壊滅的な打撃
を受けたが、その後UNIFILが当初の2500人規模から1万5000人へと大
増強されることになったため、このあたりの商店主らもほくほく顔だろう。昼間から
ガーナ、インド、フランス軍などの兵士がそこいらの商店の店先に暇そうに座って談
笑している。

 安保理決議第1701号ではUNIFILの任務はバッファーとして南部に展開するこ
とだけ。ヒズボッラーの武装解除をやるわけではないし、領空侵犯するイスラエル軍
機を打ち落とすわけでもない。だから実際に戦争が始まらない限り、まあ暇であろう。

 このナクーラから左手にせり出す丘がある。ラッブーネの丘と言う。ナクーラ岬と
イスラエル領を一望出来る戦略要衝だ。

 2日朝、この要地にレバノン国軍部隊が展開した。実に1970年以来の出来事で
ある。国軍司令官のミシェル・スレイマンがやってきて、国旗の掲揚式典を行い、

「可能な限りの能力を動員してイスラエルの侵略を食い止めるように」と訓示を垂れ
た……とは言え、空軍のカバーを持たない旧式戦車群は、戦争になると瞬時にして壊
滅するであろうが。

 この日、国軍部隊はラッブーネだけではなく、マロン・ラアス、クファル・キッラ、
ジャバル・メイスなど、国境沿いのほとんどの村への配置を完了した。いずれも第五
次レバノン戦争でヒズボッラーとイスラエル軍の死闘の舞台となった場所だ。前日1
日に残存していたイスラエル軍がほとんど撤退したので、空白を埋めるべく直ちに展
開したのである。まだ一箇所、休戦ラインで南北に分断されたガジャル村というとこ
ろに小部隊が残ってはいるものの、概ね今度の戦争で占領した地域からイスラエル軍
の撤退は完了した。発効当初はいつ崩壊するかと危ぶまれた停戦状態であるが、2ヶ
月の時間を経て、少しずつ安定の方向に進んでいるのは間違いない。

○ 国内避難民問題

 イスラエルとの戦争再開の危険が薄まるのに反比例し、国内では紛争勃発の危険が
増大している。公安長官問題が収拾された今、当面の最大の焦点はシューフ山岳地帯
のキリスト教徒国内避難民の帰還問題だ。

 この問題には長い伏線があるので若干の説明が必要だ。1983年、前年のレバノ
ン大侵攻でシューフ山岳地帯を占領したイスラエル軍が突如撤退を開始。軍事的真空
地帯となった同山岳地帯のドルーズ派住民とマロン派キリスト教徒の間で凄まじい宗
派紛争が起こった。この戦いを「山岳戦争」と呼ぶ。

 レバノン内戦と聞くと、キリスト教とイスラーム教の宗派紛争だというイメージを
抱く人が多いが、実は15年間に及んだ内戦のうち、宗派紛争の性格を帯びた紛争は
意外に少ない。例えば内戦第一期の1975~76年にかけては、左派・PLO連合
軍とカターイブ、NLPなどキリスト教徒民兵組織が戦った。前者には共産党やバア
ス党、SSNPなど非宗派政党が参加していたし、PLOの中にもPFLPやDFL
Pなど、キリスト教徒が指導する組織も加わっているから、イスラーム教対キリスト
教という図式は当てはまらない。

 ヒズボッラーの例をとってみれば、内戦中に戦った相手はイスラエル以外には同じ
シーア派のアマルくらい。従って、ヒズボッラーは基本的にはイスラエルとの対外戦
争のプレーヤーであり、内戦の当事者とは言い難い。

「ヒズボッラーの武器はイスラエルとの闘争のためのもの。決してレバノン人同胞に
は向けない」というヒズボッラーの宣伝がある程度の説得力を持つのはこのせいであ
る。内戦中は、シーア派のアマル対ヒズボッラー、キリスト教徒のLF対アウン派
(国軍)という具合に、異宗派間の紛争よりもむしろ同一宗派内部の主導権争いの方
が激しかった。

 そんな中で異彩を放つのが「山岳戦争」だ。ドルーズ派とマロン派の混住地帯であ
るシューフ山岳地帯では19世紀から幾度か宗派紛争が起きていた。1982年、こ

こを占領したイスラエル軍が当時同盟していたLF民兵の進駐を許し、その後一方的
に撤退したため、ワリード・ジュンブラートのPSPとサミール・ジャアジャア麾下
のLFの間で激しい内戦が起きたのである。双方が民間人の虐殺など戦争犯罪をおか
し、戦況は酸鼻を極めた。余談ながら、こんにちに至るまでジュンブラートとジャア

ジャアに「軍閥上がり」「内戦の当事者」という血なまぐさいイメージがつきまとう
理由はここにある。結局PSP民兵はLFをさんざんに打ち負かし、多数のキリスト
教徒が国内避難民としてキリスト教徒地区へと逃れた。

 内戦終了後、レバノン政府は「国内移民省」を新設、莫大な予算を投下して難民帰
還事業を行ったが、避難中に家屋が不法占拠されてしまっただとか、避難先で定職を
得てしまった、あるいは紛争再発の恐怖など、様々な理由から帰還は一向に進まず、
実際に郷里への帰還を果たしたのは避難民のうち2~3割に過ぎない。

 ジュンブラート派が牛耳る国内移民省の帰還事業については、非効率や不明朗な会
計をめぐり以前からも批判が強かった。しかし第五次レバノン戦争で南部からベイル
ート周辺などに逃れた避難民が、停戦発効後即座に帰還し、政府もそれを迅速に支援
するのを見て、「山岳戦争」の避難民の間からも「なぜ同じレバノン国民なのに、自

分たちの帰還問題はなおざりにされたままなのか?」と不平の声が高まってきた。


 反シリア連合にとってはこの問題は二重の意味でアキレス腱だ。

 まず、反シリア連合の頭目、ジュンブラートとPSPには避難民の発生と、帰還事
業停滞の両面で責任がある。次に、やはり反シリア連合を構成するLFが、今や与党
となり、仇敵ジュンブラートと組んでいるにも関わらずこの問題を解決できない点も
問題である。

 キリスト教徒社会におけるLFのライバル、FPM(アウン派)や、ドルーズ派社
会におけるジュンブラートのライバル、アルスラーン民主党党首らにとっては、この
問題はまさに政敵追及の切り札だ。両者は30日にベイルートの郊外で合同集会を開
き、ジュンブラートら関係者を法廷で裁くよう要求をエスカレートさせた。

 公安長官問題で対立したアマルとハリーリ派支持者の間でも、30日夜にベイルー
ト市中のつまらない諍いが、発砲事件にまで発展し国軍に鎮圧されるなど、不穏な状
況が続いている。ラマダーン(断食月)が明けると、アウン派と親シリア勢力は合同
して「挙国一致内閣」の旗印のもと、内閣改造を迫るか、場合によっては倒閣に動く
可能性も大いにある。

○ ハマースとファタハの紛争激化

 ところで、「挙国一致内閣」が政局のキーワードに浮上しているのはレバノンだけ
ではない。イスラエルでは戦争指導の迷走ぶりで完全に求心力を失ったオルメルト政
権に対し、辞任あるいは内閣改造によって挙国一致体制をつくるよう求める声が高
まっている。

 第五次レバノン戦争のおかげで、すっかり影が薄れてしまったパレスチナ自治区で
も状況は同じだ。むしろレバノンやイスラエルと比較しても、もっと状況はひどく、
危険になりつつある。

 ハマース単独政府であるハニーヤ内閣は欧米諸国の兵糧攻めにあって、17万人に
ものぼる公務員にほとんど給与を支払えない状態が続いた。さらに6月のイスラエル
兵拉致事件以降はイスラエルによってハマース所属の閣僚やPLC議員が幾人も逮捕
拘束され、もはやハマース政府は機能しなくなった。

 この状況を受けて、ファタハとハマースの間ではいったんハニーヤ内閣が総辞職、
ハニーヤを首班にファタハも参画して挙国一致内閣を樹立する、という線で合意が出
来た。イスラエルの生存権すら否定するハマースの単独政府ではなく、ファタハが参
加する穏健な政府なら国際社会の支援再開を期待できると判断したのだ。こうして9
月13日、全閣僚がハニーヤ首相に辞表を提出した。

 ありがちなパターンであるが、しかしこの後になってハマース内では「何があって

もイスラエルの生存権など承認しない」という強硬論が台頭。ファタハとの間の組閣
交渉は暗礁に乗り上げた。

 ファタハ系列の治安機関要員や教職員らは、給与支払いを求めてPA施設にデモを
かけ、それをハマース直属の民兵組織(シヤーム内相が新たな治安機関として発足さ
せたが、アッバース議長の承認が得られないため、非公式な民兵という位置づけにと
どまっている)が実力で解散させようとし、ガザ南部を手始めに今月1日から各地で
銃撃戦が起きた。4日現在までに双方の死者12名、負傷者は100名以上にのぼっ
ている。自治政府関連機関やハマース系慈善組織の事務所が放火される事件も西岸・
ガザの各地で起きている。

 3日にはファタハ系の民兵組織、アル・アクサ殉教者旅団がハマースのトップ、マ

シュアル政治局局長ら3名を「汚らわしい扇動者の頭目ども」と批判、見せしめのた
めに処刑する、という声明を出すところまで過激化した。

 アッバースPA議長、ハニーヤ首相ともに、支持者に対して状況鎮静化を呼びかけ
ているが、アル・アクサ旅団はかつて故アラファト議長やハマースと組んで、アッバ

ース首相(当時)の指令を徹底的に無視、対イスラエル攻撃を激化させ、挙句はアッ
バースを辞任に追い込んだ前科がある。ハニーヤの方もダマスカスに居るマシュアル
ら強硬派にイニシャティブを奪われっぱなしの実権なき指導者であり、民兵に命令の
執行を徹底出来そうに無い。

 オスロ合意に則って、パレスチナ自治政府が1994年に誕生して以来12年。パ

レスチナ内戦の危機は現実化しつつある。しばらくはイスラエル、パレスチナ、レバ
ノン三カ国で、いずれも「挙国一致」が実現しない中途半端な状態が続くかもしれな
い。

【アラビア・ニュース】  齊藤力二朗 転載は一日1記事、再転載は見出しと序文、URLのみに限定
http://groups.yahoo.co.jp/group/arabianews/



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