福島第1原発:内閣官房参与・小佐古敏荘さん、抗議の辞任/毎日新聞

2011-04-30 00:31:17 | 社会
辞任会見で、涙ぐみ絶句する小佐古敏荘氏=衆院第1議員会館で2011年4月29
日午後6時15分、塩入正夫撮影

 内閣官房参与の小佐古敏荘(こさこ・としそう)・東京大教授(放射線安全学)
は29日、菅直人首相あての辞表を首相官邸に出した。小佐古氏は国会内で記者会
見し、東京電力福島第1原発事故の政府対応を「場当たり的」と批判。特に小中学
校の屋外活動を制限する限界放射線量を年間20ミリシーベルトを基準に決めたこ
とに「容認すれば私の学者生命は終わり。自分の子どもをそういう目に遭わせたく
ない」と異論を唱えた。同氏は東日本大震災発生後の3月16日に任命された。

 小佐古氏は、学校の放射線基準を年間1ミリシーベルトとするよう主張したのに
採用されなかったことを明かし、「年間20ミリシーベルト近い被ばくをする人は
原子力発電所の放射線業務従事者でも極めて少ない。この数値を乳児、幼児、小学
生に求めることは学問上の見地からのみならず、私のヒューマニズムからしても受
け入れがたい」と主張した。

 小佐古氏はまた、政府の原子力防災指針で「緊急事態の発生直後から速やかに開
始されるべきもの」とされた「緊急時迅速放射能影響予測システム(SPEEDI)」
による影響予測がすぐに運用・公表されなかったことなどを指摘。「法律を軽視し
てその場限りの対応を行い、事態収束を遅らせている」と述べた。

 記者会見には民主党の空本誠喜衆院議員が同席、「同僚議員に20ミリシーベル
トは間違いと伝えて輪を広げ、正しい方向に持っていきたい」と語った。空本氏は
小沢一郎元代表のグループに所属する一方、大震災発生後は小佐古氏と協力して原
発対応の提言を首相官邸に行ってきた。菅首相は大震災発生後、原子力の専門家を
中心に内閣官房参与を6人増やしている。【吉永康朗】
http://mainichi.jp/select/weathernews/20110311/nuclear/news/20110430k0000m010073000c.html

----------------------------

平成23年4月29日

内閣官房参与の辞任にあたって
(辞意表明)

内閣官房参与

小佐古敏荘

 平成23年3月16日、私、小佐古敏荘は内閣官房参与に任ぜられ、原子力災害の収束に向けての活動を当日から開始いたしました。そして災害後、一ヶ月半以上が経過し、事態収束に向けての各種対策が講じられておりますので、4月30日付けで参与としての活動も一段落させて頂きたいと考え、本日、総理へ退任の報告を行ってきたところです。
 なお、この間の内閣官房参与としての活動は、報告書「福島第一発電所事故に対する対策について」にまとめました。これらは総理他、関係の皆様方にお届け致しました。

 私の任務は「総理に情報提供や助言」を行うことでありました。政府の行っている活動と重複することを避けるため、原子力災害対策本部、原子力安全委員会、原子力安全・保安院、文部科学省他の活動を逐次レビューし、それらの活動の足りざる部分、不適当と考えられる部分があれば、それに対して情報を提供し、さらに提言という形で助言を行って参りました。
 特に、原子力災害対策は「原子力プラントに係わる部分」、「環境、放射線、住民に係わる部分」に分かれますので、私、小佐古は、主として「環境、放射線、住民に係わる部分」といった『放射線防護』を中心とした部分を中心にカバーして参りました。
 ただ、プラントの状況と環境・住民への影響は相互に関連しあっておりますので、原子炉システム工学および原子力安全工学の専門家とも連携しながら活動を続けて参りました。
 さらに、全体は官邸の判断、政治家の判断とも関連するので、福山哲郎内閣官房副長官、細野豪志総理補佐官、総理から直命を受けている空本誠喜衆議院議員とも連携して参りました。

 この間、特に対応が急を要する問題が多くあり、またプラント収束および環境影響・住民広報についての必要な対策が十分には講じられていなかったことから、3月16日、原子力災害対策本部および対策統合本部の支援のための「助言チーム(座長:空本誠喜衆議院議員)」を立ち上げていただきました。まとめた「提言」は、逐次迅速に、官邸および対策本部に提出しました。それらの一部は現実の対策として実現されました。
 ただ、まだ対策が講じられていない提言もあります。とりわけ、次に述べる、「法と正義に則り行われるべきこと」、「国際常識とヒューマニズムに則りやっていただくべきこと」の点では考えていることがいくつもあります。今後、政府の対策の内のいくつかのものについては、迅速な見直しおよび正しい対策の実施がなされるよう望むところです。


1.原子力災害の対策は「法と正義」に則ってやっていただきたい

 この1ヶ月半、様々な「提言」をしてまいりましたが、その中でも、とりわけ思いますのは、「原子力災害対策も他の災害対策と同様に、原子力災害対策に関連する法律や原子力防災指針、原子力防災マニュアルにその手順、対策が定められており、それに則って進めるのが基本だ」ということです。

 しかしながら、今回の原子力災害に対して、官邸および行政機関は、そのことを軽視して、その場かぎりで「臨機応変な対応」を行い、事態収束を遅らせているように見えます。
 
 とりわけ原子力安全委員会は、原子力災害対策において、技術的な指導・助言の中核をなすべき組織ですが、法に基づく手順遂行、放射線防護の基本に基づく判断に随分欠けた所があるように見受けました。例えば、住民の放射線被ばく線量(既に被ばくしたもの、これから被曝すると予測されるもの)は、緊急時迅速放射能予測ネットワークシステム(SPEEDI)によりなされるべきものでありますが、それが法令等に定められている手順どおりに運用されていない。法令、指針等には放射能放出の線源項の決定が困難であることを前提にした定めがあるが、この手順はとられず、その計算結果は使用できる環境下にありながらきちんと活用されなかった。また、公衆の被ばくの状況もSPEEDIにより迅速に評価できるようになっているが、その結果も迅速に公表されていない。

 初期のプリュームのサブマージョンに基づく甲状腺の被ばくによる等価線量、とりわけ小児の甲状腺の等価線量については、その数値を20、30km圏の近傍のみならず、福島県全域、茨城県、栃木県、群馬県、他の関東、東北の全域にわたって、隠さず迅速に公開すべきである。さらに、文部科学省所管の日本原子力研究開発機構によるWSPEEDIシステム(数10kmから数1000kmの広域をカバーできるシステム)のデータを隠さず開示し、福島県、茨城県、栃木県、群馬県のみならず、関東、東北全域の、公衆の甲状腺等価線量、並びに実効線量を隠さず国民に開示すべきである。

 また、文部科学省においても、放射線規制室および放射線審議会における判断と指示には法手順を軽視しているのではと思わせるものがあります。例えば、放射線業務従事者の緊急時被ばくの「限度」ですが、この件は既に放射線審議会で国際放射線防護委員会(ICRP)2007年勧告の国内法令取り入れの議論が、数年間にわたり行われ、審議終了事項として本年1月末に「放射線審議会基本部会中間報告書」として取りまとめられ、500mSvあるいは1Svとすることが勧告されています。法の手順としては、この件につき見解を求められれば、そう答えるべきであるが、立地指針等にしか現れない40-50年前の考え方に基づく、250mSvの数値使用が妥当かとの経済産業大臣、文部科学大臣等の諮問に対する放射線審議会の答申として、「それで妥当」としている。ところが、福島現地での厳しい状況を反映して、今になり500mSvを限度へとの、再引き上げの議論も始まっている状況である。まさに「モグラたたき」的、場当たり的な政策決定のプロセスで官邸と行政機関がとっているように見える。放射線審議会での決定事項をふまえないこの行政上の手続き無視は、根本からただす必要があります。500mSvより低いからいい等の理由から極めて短時間にメールで審議、強引にものを決めるやり方には大きな疑問を感じます。重ねて、この種の何年も議論になった重要事項をその決定事項とは違う趣旨で、「妥当」と判断するのもおかしいと思います。放射線審議会での決定事項をまったく無視したこの決定方法は、誰がそのような方法をとりそのように決定したのかを含めて、明らかにされるべきでありましょう。この点、強く進言いたします。



2.「国際常識とヒューマニズム」に則ってやっていただきたい

 緊急時には様々な特例を設けざるを得ないし、そうすることができるわけですが、それにも国際的な常識があります。それを行政側の都合だけで国際的にも非常識な数値で強引に決めていくのはよろしくないし、そのような決定は国際的にも非難されることになります。

 今回、福島県の小学校等の校庭利用の線量基準が年間20mSvの被曝を基礎として導出、誘導され、毎時3.8μSvと決定され、文部科学省から通達が出されている。これらの学校では、通常の授業を行おうとしているわけで、その状態は、通常の放射線防護基準に近いもの(年間1mSv,特殊な例でも年間5mSv)で運用すべきで、警戒期ではあるにしても、緊急時(2,3日あるいはせいぜい1,2週間くらい)に運用すべき数値をこの時期に使用するのは、全くの間違いであります。警戒期であることを周知の上、特別な措置をとれば、数カ月間は最大、年間10mSvの使用も不可能ではないが、通常は避けるべきと考えます。年間20mSv近い被ばくをする人は、約8万4千人の原子力発電所の放射線業務従事者でも、極めて少ないのです。この数値を乳児、幼児、小学生に求めることは、学問上の見地からのみならず、私のヒューマニズムからしても受け入れがたいものです。年間10mSvの数値も、ウラン鉱山の残土処分場の中の覆土上でも中々見ることのできない数値で(せいぜい年間数mSvです)、この数値の使用は慎重であるべきであります。

 小学校等の校庭の利用基準に対して、この年間20mSvの数値の使用には強く抗議するとともに、再度の見直しを求めます。

 また、今回の福島の原子力災害に関して国際原子力機関(IAEA)の調査団が訪日し、4回の調査報告会等が行われているが、そのまとめの報告会開催の情報は、外務省から官邸に連絡が入っていなかった。まさにこれは、国際関係軽視、IAEA軽視ではなかったかと思います。また核物質計量管理、核査察や核物質防護の観点からもIAEAと今回の事故に際して早期から、連携強化を図る必要があるが、これについて、その時点では官邸および行政機関は気付いておらず、原子力外交の機能不全ともいえる。国際常識ある原子力安全行政の復活を強く求めるものである。



***************************
小佐古前内閣官房参与への3 つの疑問と1 つの提案
原爆症認定促進訴訟の裁判傍聴日誌⑬
小佐古前内閣官房参与への3 つの疑問と1 つの提案(筆者)
「放射線の害悪の甚大さ再認識を」原告弁護団、弁論で強調
2011 年5 月30 日(月)

東京電力福島第1 原発事故対応の助っ人役として内閣官房参与の1 人となった小佐古敏
荘・東京大学大学院教授が4 月29 日、菅直人首相あての辞表(30 日付)を首相官邸に出
した。そのあと国会内で行なった記者会見の様子がテレビニュースで流れた。原告全員勝
訴となった原爆症認定集団訴訟・近畿の第1 審、大阪地裁での口頭弁論で、被告国側唯一
の証人として出廷した2004 年12 月15 日と翌年2 月23 日、202 号法廷の傍聴席から主尋
問、反対尋問への応答の一部始終を聞かせてもらった、あの人である。参与をわずか1 カ
月半たらずで辞めたのだから何か言いたいことがあるのだろうと画面を眺めていると、要
するに自分の意見が取り入れないことへの不満の表明だった。

後刻目を通した記者会見での説明資料(NHK科学文化部が出している「かぶん」ブロ
グに全文が掲載されていた)によると、小佐古氏は、主として「放射線防護」を中心に情
報提供、助言に当たり、「提言」の一部は実現したが、まだ対策が講じられていないものも
ある、として、①原子力災害対策は関連する法律、指針、マニュアルに則って進められる
べきなのに、官邸・行政機関はそれを軽視し、場当たり的だ②緊急時には様々な特例を設
けざるを得ないが、行政側の都合だけで国際的にも非常識な数値を強引に決めるのはよく
ない―と指摘した。

会見では、特に②の例として、文部科学省が、福島第1 原発周辺の幼稚園や保育園、小
中学校などで屋外活動する場合の放射線被曝量の上限値を年間20 ミリシーベルトとしたこ
とを取り上げ、「年間20 ミリシーベルト近い被ばくをする人は、約8 万4 千人の原子力発
電所の放射線業務従事者でも、極めて少ない。この数値を乳児、幼児、小学生に求めるこ
とは、学問上の見地からのみならず、私のヒューマニズムからしても受け入れがたい。通
常の放射線防護基準に近いもの(年間1 ミリシーベルト、特殊な例でも年間5 ミリシーベ
ルト)で運用すべきだ。年間20 ミリシーベルトの数値の使用に強く抗議し、再度の見直し
を求める」と痛烈に批判した。

このこと自体は至極もっともだと私も思う。氏の指摘を待つまでもなく、日本弁護士会
は4 月22 日、宇都宮健児会長の声明を発表▽多数の原発を抱える福井県の福井弁護士会も
4 月28 日、安藤健会長の声明を発表▽核戦争防止国際医師会議(IPPNW)は4 月29 日、
高木義明文部科学相に書簡を送付―など、「20 ミリシーベルトの撤回」を求める声は国内外
で広がっていた。
だが、「ヒューマニズム」を口にし、涙まで見せての小佐古氏の姿に、違和感を抱かざる
を得なかった。翌日以降の新聞各紙や著名人のブログで「放射線防護の碩学(せきがく)
の涙は重く受け止めるべきだ」(東京新聞5 月4 日付社説)、「科学的良心とは何なのか。科
学者の涙は問いかける」(愛媛新聞コラム<地軸>5 月2 日付)、「放射線被曝の危険性を誰
よりもよく知っていた専門家の良心が流した涙だ」(作家・天木直人氏のブログ5 月1 日付)
などと、涙の「時の人」になるに及んで、違和感はいっそうふくらんだ。そんな思いを「3
つの疑問と1 つの提案」として記しておく。

疑問に感じた第1。小佐古氏も言うように文科省の方針を「年間1 ミリシーベルト」に変
えれば、そのままでは今の学校等にいられなくなる子どもたちは大幅に増えるだろう。そ
の対策はどうするのか。たとえば日弁連は、①福島県内の教育現場ですみやかに複数の専
門的機関による適切なモニタリングと、すみやかな結果の開示を。②より低い基準値を定
め、基準値を超える放射線量が検知された学校について、汚染された土壌の除去、除染、
客土などを早期に行うこと。あるいはすみやかに基準値以下の地域の学校における教育を
受けられるようにすること―など、親やコミュニティと離れて暮らさざるをえなくなる子
どもたちへのケアまで含めた5 項目の具体的対策を同時に求めている。だが、小佐古氏は、
こうした点について会見で何も発言しなかった。それでいいのか。

また、新聞各紙によると、枝野幸男官房長官は5 月1 日の記者会見で、小佐古氏が3 月
28 日、1kgあたり放射性ヨウ素300 ベクレルとされていた乳幼児を含む飲料水や牛乳の
暫定規制値を10 倍の3000 ベクレルへ引き上げるよう求める提言書を政府に提出していた
事実を明らかにし、「専門家の意見もいろいろある」と述べた。毎日新聞は「枝野氏の『暴
露』には小佐古氏の主張が一貫していないと印象づける狙いもあるようだ」と書いていた
(2 日付朝刊)。だからといって、校庭利用での文科省の緩すぎる線量基準を容認できない
のはもちろんだが、少なくとも小佐古氏は、同じ子どもたちの体の安全に直接からむ2 つ
の判断が矛盾していないかどうか、納得のいく説明が必要だ。

疑問の第2。門外漢の発言を許してもらうなら、そもそも福島第1 原発事故後の放射線防
護基準値をめぐる今回の混乱のもとになったのは、原発従事者や医療機関などで働く人た
ちの目安にもされている放射線防護基準を勧告している国際組織・国際放射線防護委員会
(ICRP)が3 月21 日、福島第1 原発事故について出した声明だった。「通常は個別の
国の事象に対しコメントすることはないが、今回日本で起こった悲劇的な事故にかんがみ」
出したと異例の前置きをした上で、同声明は、公衆(一般市民)の防護のため、①緊急時
に最大被曝線量として20~100 ミリシーベルト②汚染地域でも住み続けられるよう防護措
置をとることを前提に現時点で1~20 ミリシーベルト/年③長期的には1 ミリシーベルト
/年に低減する―の3 つのレベル設定を勧告したのである。これまで一般市民の通常の放
射線防護基準での許容量は1 ミリシーベルト/年とされてきたから、これは防護基準の大
幅な緩和である。子どもの屋外活動をめぐる文科省の方針も、この②の上限に飛びついた
ものだ。小佐古氏はこのICRP声明が出る以前に内閣官房参与に就任し、活動を始めて
いた。かつてICRPの委員も務めていた同氏はこの声明が出た経緯をよく知っていたは
ずだ。「緊急時には様々な特例を設けざるを得ないし、そうすることができる」(記者会見
説明資料)とも言っているが、では、小佐古氏はこの声明自体にどういう態度をとり、政
府にどんな助言をしたのか。

核燃料の溶融、水素爆発など重大事態が連続する中で、必死で原子炉のコントロールに
つとめる現場従業員たちの過酷な作業実態が明らかになってきたのは、同氏が内閣官房参
与になって以降だいぶ後になってからである。線量計を持たされずに働く作業員の存在を
新聞報道で知って驚いたが、小佐古氏なら現場の状況をよく把握していたはずだ。ヒュー
マニズムを口にするなら、彼らの作業環境改善のために、氏はどんな助言を行ったのか。

第3.実は肝心のICRPの被曝線量評価が、今日、ようやくマスコミでも言われるよう
になった「内部被曝」を正確に反映していないと国内外の専門家から批判されている。「D
S86」(その見直しとしてのDS02 も含めて)という、日米専門家らが大型コンピューター
を使って計算し作り上げた原爆放射線の被曝線量評価システムが持つのと同じ欠陥を抱え
ているのである。この「DS86」は爆心地からの初期放射線による「外部被曝」だけを重
視し、放射性降下物の「黒い雨」や残留放射線を浴びての「内部被曝」を極端に軽視して
いる。国がこれを認定基準の物差しに使った結果、多くの広島・長崎の被爆者が原爆症と
認めてもらえない事態が半世紀以上も続いてきたのだ。被爆の実相を無視した「DS86」
は、2003 年から全国の被爆者が起こした裁判闘争、原爆症認定集団訴訟で司法からも厳し
い批判を受けた。手元に、集団訴訟で国が連戦連敗した裁判の判決資料が沢山ある。たと
えば判決要旨の1 つをファイルから取り出してみる。DS方式についてこう書いてある。
「理論と実験による仮説であり、被爆者の実際の被曝事実を取り込んだものではないか
ら、被曝線量の総量を推定する手法としては、経験的適合性あるいは総合性を確保した
ものであるとまではいえない難点がある」(2009 年5 月15 日、原爆症認定集団訴訟・近
畿第2 陣の大阪高裁控訴審判決要旨から)

小佐古氏は、国が被爆者を切り捨てる物差しに使った「DS86」の理論的支えとして働い
てきた専門家である。だから、国側の証人として法廷に立ったのだ。ヒューマニズムを口
にするなら、被爆者を苦しめ続けてきたこれまでの誤りを認め、いまなお原爆症認定基準
の抜本改善に応じない国に政策変更を説くべきではないか。そして、もっと内部被曝を重
視するようICRP の基準の改善にこそ乗り出すべきではないのか。

最後に、小佐古氏への提案。報道によると、同氏は5 月2 日、もう一度被曝線量につい
て見解を述べる予定だったが、急きょ記者会見を取りやめたという。参与にも一定の守秘
義務があるぞと官邸から「圧力」がかかったのでは、などと書いた新聞もあった(例えば
中日新聞5 月3 日付)。まさか、圧力に屈したとは思わないが、小佐古氏は参与としての活
動期間中、東電と福島第1 原発内部でしか分からない多くの事実をつかんだはずだ。いま、
私たち国民に隠されてきた事実が連日のように、ぽろっぽろっと明らかにされつつある。
その度に東電と政府への不信はつのる。国民が知りたいのは真実だ。小佐古氏はこの際、
集めたデータを洗いざらい国民の前にオープンにしてはいかがか。

小佐古氏の話が長くなった。本筋を追おう。5 月、近畿の裁判闘争は大阪地裁を舞台に、
2 度、口頭弁論が開かれ、原告の被爆者、原告側弁護士の意見陳述が行われた。
5 月17 日には806 号法廷で、昨年8 月、大阪、兵庫の被爆者が、2009 年の「8・6 確認
書」後では全国で初めて一斉提訴した原爆症認定申請却下処分取り消し訴訟の第3 回弁論
が、午前11 時半から正午まで行われた。裁判長が吉田徹氏から田中健治氏に代わった。田
中新裁判長は、2006 年5 月、大阪地裁が、全国の集団訴訟で最初に9 人の原告「全員勝訴」
の判決を言い渡したときの陪席裁判官である。

この日は6 人の原告のうち、6 歳の時、長崎で被爆した大阪府堺市、中村繁幸さんが陳述
した。爆心地から4km の旧制海星中学あたりで友達と遊んでいて被爆。翌日には父親に連
れられ、病院に行ったまま帰らない母親を捜しに市内を歩いている。その後、常に体のだ
るさを感じるようになり、仕事もままならず、病院通いの人生となった。2008 年2 月、胃
がんで認定申請したが、昨年5 月、却下された。「生きているうちに、私が原爆症であるこ
とを認めてほしいという一心で『一生かかわることはないだろう』と思っていた裁判まで
することを、この年になって決意しました。裁判官のみなさんには、私たちの今までの人
生をしっかり見ていただき、正しく判断してほしい」と中村さんは述べた。

中森俊久弁護士は、集団訴訟で初めての判決を受けた近畿の9 人の原告のうち、5 名の方
が既に亡くなったと報告。麻生太郎首相(当時)との「8・6 確認書」以後も、大阪地裁だ
けでなく、広島、長崎、熊本各地裁でも新たな取り消し訴訟が起こされているが、先の原
告たちの遺志を受け継ぎ、自らの被爆体験を勇気を出して語ることで、早期の認定と原爆
症認定制度の抜本改定を求めているのだ、と訴えた。
近畿訴訟第1 陣原告9 人の中では5 月6 日、兵庫県川西市の井上正巳さんが亡くなって
いる。心からご冥福をお祈りします。

5 月20 日には202 号法廷で、近畿の原爆症認定促進訴訟(義務付訴訟)と合議で審理さ
れることになった第6 次原爆症認定却下処分取り消し訴訟の第1 回口頭弁論が、午前10 時
半から11 時過ぎまで行われた。裁判長は山田明氏。

原告4 人のうち兵庫県姫路市在住の広島の被爆者、塚本郁男さんが意見陳述。「今も体に
残るケロイドを見るたび、この世の地獄ともいえる風景を鮮明に思い出します」と切り出
した塚本さんが、当時、爆心地から1.7km、広島商業中学校に通っており、2 年生だった。
校庭で友人と話をしているとき、すさまじい光とものすごい爆風に襲われた…と被爆の瞬
間の様子を語るのを聞きながら、どこかで似たような話を聞いたなあ、と感じていた。認
定申請に至る説明ではっと気がついた。「私と同じ場所で被爆した佐伯さんという方が、
2003 年に提訴した原告の1 人であり、裁判で原爆症が認定されていることを新聞で知り、
私も同じ被爆者なのだということを国に認めてほしい、そういう気持ちで申請しました」
と述べたのである。何という偶然か。近畿の第1 陣原告の1 人で、咽頭腫瘍摘出のため発
声が不能となりながら、筆談で3 時間余の本人尋問を頑張り抜いた故・佐伯俊昭さん(大
阪市)とあの日、あの時、同じ校庭にいたのである。佐伯さんは当時、中学1 年生。やは
り全身に火傷を負い、ケロイドが残った。「訴訟の原告になることにためらいがなかったわ
けではありません。それでも今回の訴訟を起こしたのは、国に原爆症であると認めてもら
うことこそが、被曝の恐ろしさを世界に知らしめ、核兵器のない世界をつくることへの一
歩になると思うからです」。塚本さんは陳述書をしっかり読み終えた。

原告弁護団に加わったばかりの若い園田洋輔弁護士は、少し緊張した表情で、原告4 人
の名前と被爆状況を説明、「原爆の被害によってどれほど苦しんできたかを知るためには、
まず原告の声に耳を傾けて下さい」と訴えた。

次回期日は9 月21 日(水)午後1 時半~2 時、202 号法廷で。

再び福島第1 原発事故の話に戻る。原告弁護団は、原爆症認定問題とも密接にからむ放
射線被害の問題として重視し、両日の弁論の中で原発事故に言及した。あらましを記す。

中森弁護士は、以下のように指摘した。①政府は4 月22 日、原発から20km の警戒区域
の外側で、放射性物質の累積量が高い地域を計画的避難区域に指定し、それまでの同心円
状の線引きを見直した。また、放射線影響研究所などで構成される「放射線影響研究機関
協議会」の関係者は、5 月1 日、原発の周辺住民15 万人を30 年かけて調査する方針を明
らかにした。②このように、今でこそ放射性降下物や内部被曝の影響が注目されているが、
原爆症認定に関しては、国は従来、DS86 としきい値論を機械的に適用して、計算方式上、
爆心地から2km 以遠にはほとんど放射線が到達せず、入市被爆の影響もないと繰り返し主
張、内部被曝等の影響をほとんど無視してきた。③20km と2km。この単純な比較を見る
限りにおいても、原爆放射線の影響がいかに過小評価されてきたか、多くの被爆者の訴え
がどれほどないがしろにされてきたかが、如実に分かる。④放射線被害の影響には未解明
な部分が多いのだ。そうであれば、被害の実態に目を向け、被爆者の声に真しに耳を傾け
ることが重要ではないか。

園田弁護士は「今、われわれに求められているのは、何より、放射線が人に及ぼす害悪
の甚大さを再認識することだ。放射線により被曝するということが一体どういうことなの
か、裁判所はそれをよく考えていただき、審理をしていってほしい」と強調した。

さあ、6 月4 日(土)午後2 時、「原爆症裁判勝利と全面解決をめざす近畿支援のつどい」
へ!
場所は大阪市北区天神橋1 丁目「大阪グリーン会館」(06-6358-8381)。 以上
http://homepage2.nifty.com/hikaku-kyoto/20110530boutyou13.pdf


ブログ内・関連記事

よろしければ、下のマークをクリックして!


よろしければ、もう一回!
人気ブログランキングへ



最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
福島原発の真実はこちらに (タコ)
2011-05-02 17:34:11
http://blog.m.livedoor.jp/tacodayo/?sso=e4cb5fb10aa9d3e7ecfc5ff816f08401b67c6186

使用済み核燃料プールで核爆発

http://www.youtube.com/watch?v=1Q3ljfLvHww&sns=em
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。