映画『少年H』を見ていた所、「あっ」と驚くところがありました/坂井貴司さんから(CML)

2013-09-04 21:54:48 | 社会
上映中の映画
 『少年H』
 http://www.shonen-h.com/index2.html
を見ていた所、「あっ」と驚くところがありました。

 舞台芸術家・イラストレーターの妹尾河童さんの自伝的小説が原作です。

 時代は太平洋戦争が始まる直前です。

 兵庫県神戸市に住む主人公Hこと妹尾肇の父の仕事は、洋服の仕立屋です。
顧客は旧居留地の西洋館に住む裕福なアメリカ人やドイツ人、フランス人です。
 
 Hは父と一緒に顧客の元へ行くのを一番の楽しみにしています。
豪華な西洋館に入り、時にはコーヒーやお菓子を味わえるからです。
慎ましやかな生活を送るHにとっては夢のような世界です。
 
 しかし、日中戦争が長引き、日本とアメリカが戦争を始めるかもしれないと噂が流れ始めると、神戸を去る米国人やヨーロッパ人が増えます。
 
 ある日、ドイツ人のオッペンハイマーさんの家に行きます。
父と一緒に行くと、そこには、ボロボロの衣服をまとい、垢で汚れた大勢の白人がいました。
ハイカラで清潔な白人しか見たことがないHは驚きました。
 
 仕立て直してほしいと頼まれた衣服は、垢と汗で悪臭を放っていました。
Hは「臭い!」と鼻をつまみます。
路面電車の中でも乗客が鼻をつまむ騒ぎになりました。
「この電車、タヌキがおるんと違うか!」
  
 家に帰るとHは父に聞きます。
 
 「あの人たちはどこから来たの?」
 
 「ポーランドからや。ドイツが攻め込んださかい、リトアニアに逃げ込んできたんや。ドイツが嫌うユダヤ人たちや。シベリア鉄道に乗ってウラジオストクへ来て、それから敦賀に上陸したんや。えらい長旅をしてきたんや」
 
 「これからどこへ行くんやろ?」
 
 「日本はナチスドイツと同盟を組んでるさかい、あの人たちは日本には長くおれへん。
大阪商船の船に乗って南アフリカのケープタウンに行って、それから陸路か海路かで、パレスチナいう所に行くんやて」
 
 しばらくして、Hの父が仕立て直した服を着たユダヤ人たちは、船に乗ってケープタウンへ向かいました。
 
 Hが出会ったユダヤ人は、あの『杉原ビザ』を持って神戸にやってきたユダヤ人でした。
 
 第二次世界大戦は、ドイツのポーランド侵攻から始まりました。
当時ポーランドの人口の10%を占めていたユダヤ人たちは、難民となって必死の思いで東へ逃れました。
  
 旧ソビエトに併合される直前のリトアニアへも大勢のユダヤ人難民が逃げ込みました。
その一部が、当時首都だったカウナスの日本領事館におしかけました。
カリブ海のオランダ領キュラソー諸島へ行くための通過ビザを求めたのです。
 
 在カウナス領事代理の杉原千畝は、ユダヤ人難民を見殺しにすることはできないと考え、独断で通過ビザを発給しました。
超人的な努力で6000人分のビザを発給しました。
1940年7月のことでした。

 これを持って、ユダヤ人難民はシベリアを横断し、神戸へやってきたのです。
Hが出会ったのは、まさにこの人たちでした。
 
 神戸を経由してパレスチナにたどり着いたユダヤ人は約400人と推定されています。
その他にもアメリカ経由や、太平洋戦争勃発で上海に留め置かれ、日本敗戦でパレスチナに移住したユダヤ人はいます。
 
 今、イスラエルには『杉原ビザ』を持ったユダヤ人の子孫が大勢住んでいます。
Hの父が仕立てた服を着てこの地にたどり着いた人もいます。 
  
 一方手、そのユダヤ人たちに土地を強奪されて難民となったパレスチナ人が約440万人います。
 
 少数ですが、日本にはパレスティナ難民が住んでいます。
 
坂井貴司
福岡県
E-Mail:donko@ac.csf.ne.jp


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