ニッポンとコリア 百年の明日 近き国へ(上)/朝日新聞

2010-11-25 09:43:59 | 社会
教会復元和解へ歩み
韓国北西部の江華島。
今月14日、日本聖公会の牧師や信徒ら「和解と平和の旅」の一行40人が、島にある江華教会で礼拝に
参加した。
朝鮮半島の伝統的な建物に十字架が立つ聖堂は築110年を数え、国の文化財になっている。
だが、この教会には植民地支配の悲しい歴史が刻まれていた。
太平洋戦争前夜の1941年、日本は武器生産のために金属類回収令を出し、各地の教会や寺に鐘などを
供出させた。
植民地支配下の朝鮮も例外ではなく、江華教会は43年、急な階段についていた手すりや鐘を供出した。
一般家庭も対象で、この日の礼拝にソウルから参加した李喜淑さん(82)は「日本は金属の食器まで持って
行ったよ」と、苦々しげに当時を振り返った。
教会の鐘は90年に韓国の信徒らの献金で復元されたが、手すりはまだだった。
今回、日本からの一行はその復元のために700万ウオン(約50万円)を持参した。
沖縄から参加した主教の谷昌二さん(69)は、両国の信徒の前でこうあいさつした。
「併合100年の今年、過去の歴史が韓国の人たちにつらい思いをさせてしまったことを心にとどめ、私たちの
ささやかな気持ちを伝えたい」
江華島は首都ソウルに通じる漢江の河口にあり、古くから「外敵」を防ぐための拠点だった。
19世紀後半、フランスや米国の艦隊が島周辺に侵入。
1875年には、日本の軍艦「雲揚号」が朝鮮側と交戦する江華島事件が起きた。
翌年、日本は開港を迫って日朝修好条規(江華島条約)を結び、経済進出の足場を築く。
そして34年後、武力を背景に当時の大韓帝国を併合した。
そんな島の歴史を日本からの参加者に語った司祭の柳時京さん(47)は、2000年から今年3月まで韓国の
聖公会から東京の立教大学に派遣された。
その間、日本の大学生や信徒らを毎年、江華島に案内して歴史を考える場をつくってきた。
2年前、供出させられた手すりの話を、柳さんから現地で聞いた70代の日本人男性が「恥ずかしいことだ。
謝罪して復元したい」と2万円を差し出した。
これを機に日韓の聖公会で話し合いが始まり、日本側が併合100年の今年、手すりを復元することになった。
その聖公会にも、負の歴史がある。
植民地支配下で、朝鮮聖公会は日本からの圧力にさらされた。
太平洋戦争が始まる直前の41年には日本人司祭の監督下に置かれ、「大東亜共栄圏」建設と戦争協力への
道を歩む「暗黒の時代」(「大韓聖公会百年史」)が45年まで続いた。
一方、日本聖公会は戦後50年の95年、「植民地支配と侵略戦争を支持、黙認し、戦後は被害者への国家
補償と謝罪を実現する努力を怠った」とする懺悔を公にした。
日韓の聖公会は60年代後半から聖職者の交流を始め、84年からはセミナーを開き、日韓の歴史や在日韓国・
朝鮮人への差別問題などを学んできた。
日本聖公会の懺悔も、そうした点を踏まえたうえでのことだった。
韓国を50回以上も訪れたという牧師の前田良彦さん(62)は「初めのころは韓国側に、なぜ日本と交流するのか
という反発もあった。でも、我々が歴史を学び、相手の立場を理解するといったことの積み重ねで信頼が深まり、
手すりの復元までたどりついた」と話す。
前田さんはいま、韓国側との「協働」を模索する。
「北朝鮮の人たちの困窮や、アジアの貧困、地球規模の環境問題にも力を合わせて貢献したい」。
過去の歴史を踏まえつつ、視線は未来に向いている。(桜井泉)

さまよう遺骨返還へ協力
ソウルにある大韓仏教曹渓宗・曹渓寺。
この韓国仏教界最大宗派の総本山を1年前、1人の日本人僧侶が訪ねた。
曹洞宗宗務庁の人権擁護推進本部次長だった千葉省三さん(74)だ。
曹洞宗の寺には引き取り手がない朝鮮人の「無縁遺骨」が残る。
訪韓の目的は、この遺骨を仏教界のルートで返還できないか、相談するためだった。
曹洞宗は2005年11月から宗門の130寺を調査し、今年4月現在で105人分が朝鮮人の遺骨と判明した。
第2次大戦中に、炭鉱などでの強制労働で死亡したとみられる。
曹洞宗の取り組みを知った曹渓宗側は感謝の意を表し、系列の寺院で安置することを提案した。
曹洞宗の調査は04年の日韓首脳会談を契機に、厚生労働省が全日本仏教会(東京都港区)を通じて
加盟宗派に調査を依頼したものだ。
だが、こうした民間徴用者の遺骨は元軍人・軍属の遺骨とは異なり、政府の手で返還されていない。
千葉さんは「返還の見通しや方法も国は示さない。遺骨が再びさまよい続けている」と批判する。
仏教教団を通じて返還できる道筋を確保したのは、政府レベルで返還ができなかった場合に備えてのことだった。
だが、仏教も植民地支配の歴史と無縁ではなかった。
朝鮮半島では江華島条約締結の翌1877年、日本政府が真宗大谷派に開教を依頼して釜山で布教が始まり、
日蓮宗、浄土真宗本願寺派、曹洞宗なども続いた。
政府は日本の宗派進出を支援すると同時に、1910年の韓国併合後は朝鮮仏教の寺や僧侶に対し、天皇を
尊重する仏教となるよう管理を強めた。
石井公成・駒沢大教授(仏教学)は「進出した日本の諸宗は布教や慈善事業などを通じ、朝鮮人を親日の
立場に誘導する役割を担った」と話す。
こうした歴史に対し、曹洞宗は92年に出した懺謝文(さんじゃもん)で「日本の文化を強要し、民族の誇りと
尊厳性を損なう行為を行ってきた」と謝罪。
真宗大谷派や浄土真宗本願寺派なども、反省を対外的に表明している。
曹洞宗の千葉さんは、10歳の時に中国から引き揚げた。
道中、亡くなった人の亡骸をその場で埋める家族もいた。故郷に帰れず、どんなに無念だったか」。
朝鮮人の遺骨に当時の思いを重ねる。
曹洞宗は06年から旧日本軍の飛行場建設工事で死亡した朝鮮人の遺骨発掘調査にも協力。
千葉さんは、北海道北部の猿払村の現場に欠かさず飛んだ。
昨年、調査に立ち会った生存者の家族から、電子メールが届いた。
現地での追悼会で涙した千葉さんの姿に「すべての距離感が消え去った」「父の恨が解けたように思う」と
つづっていた。
10月に役職は退いたが、今後も遺骨返還に協力するつもりだ。(木村英昭)

*2010.11.24朝日新聞

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