日天皇「歴史忘れてはいけない」…日本メディア取り上げず/韓国・中央日報

2006-06-08 19:03:01 | 世界
日本の天皇が第2次世界大戦で多くの人が犠牲となった歴史を、日本人は忘れてはいけないと強調した。

日本天皇は6日午後、皇居で行われた記者会見で「戦争で日本人を含み、多くの人が命
を失った。そのことはいくら思っても胸が痛い」とし「歴史を決して忘れることなく、各
国民が協力して争いのない世界を作るために努力しなければならない」と述べた。

天皇は第2次世界大戦当時、日本に侵略されたタイ、マレーシア、シンガポールなど東
南アジア歴訪を控えた所感を問う質問にこのように答えた後で「戦後60年が過ぎ、戦争
を経験していない人が増えた今日、このことが気にかかる」と付け加えた。

天皇はまた「(日本が戦争を起こす以前の)1930年から36年まで、要人襲撃が相
次いで前・現職首相4人が死亡する異常な事態があった。このような状況で国民と国会議
員たちが自由に発言することは非常に大変だった」と述べた。天皇は「このような時代が
あったことを多くの日本人が心に刻み、2度とそのようなことがないようにしなければな
らない」と強調した。

天皇のこうした発言は36年の2.26事件など日本極右勢力と軍部がクーデターや政
治テロを相次いで行い、政党政治が統制され軍国主義に変わった歴史を教訓として記憶し
ておかなければならないという意とみられる。天皇は「学校で愛国心を強調させる内容の
教育基本法改正の動きが、過去(戦前、45年以前)に戻るのではないか」という質問に
こうした歴史的事実を引用して「戦前と今日の状況は大きく違う」とした。

89年に即位した天皇は、91年の東南アジア訪問の際にも「日本は戦争の惨禍を繰り
返さず、平和国家として歩まなければならない」と述べている。また昨年は第2次大戦激
戦地だったサイパンを訪問し、日本軍と米軍慰霊塔に参拝したのに続き、韓国人犠牲者慰
霊塔も予告なしに訪問した。2001年には「桓武天皇が百済武寧(ペクチェ・ムリョ
ン)王の血筋を受け継いでいるという記録を見たとき、韓国との縁を感じる」と発言して
いる。

一方、日本のメディアは7日、天皇の記者会見を手短かに報道したが、過去の東南アジ
ア訪問の際の回顧談などを主に紹介し、歴史認識とかかわる発言内容はほとんど報道しな
かった。

東京=イェ・ヨンジュン特派員 <yyjune@joongang.co.kr>
2006.06.08 09:42:22

◎◎メディアはなぜ本当の「ニュース」を伝えないのか◎◎
     ――東南アジア訪問を控えた天皇・皇后の会見報道を読んで――

                              桂 敬一

 私もぼんやりしていた。6月7日、顔を出した大学で知人から疑問を呈され、初め
て教えられた。

「夕べ、テレ朝の報道ステーションをみていたら、天皇・皇后の記者会見が映り、そ
のなかで天皇が、第2次大戦直前の二・二六事件などを引き合いに出して、これから
の日本は、再びあのような方向に進んではならない、と語ったのには驚いた。

これはニュースだと思って、今朝の朝刊をみたら、どの新聞も、会見の記事は実にあ
りきたりのもので、この発言部分は全然出ていないので、がっかりした。国民投票法
案も国会にかかっているおりでもあり、この天皇の発言は影響が大き過ぎるというの
で、自粛したのだろうか。

しかし、大きい影響が考えられるからこそ、ニュースなのではないか。こんなことも
載せなくなるのでは、天皇が心配している方向に、もう新聞が歩き出しているという
ことではないのかな。」

 私も7日の朝刊各紙はみていた。大した記事ではないと、気にも留めていなかった。
前夜のテレビはみていなかった。しかし、疑問を呈されたので、あらためて記事を見
直してみた。

 朝日も毎日も読売もまったく同様に、詳報は自紙のネットサイトで、と記載してい
る。そこで、これら3紙のオンライン記事をみてみた。それらの「天皇、皇后両陛下
 東南アジア3か国訪問前の会見詳報」は、8日から行うシンガポール、マレーシア、
タイ3か国訪問を前にした天皇・皇后が6日、皇居・宮殿で記者会見した内容を、全
文と思われる、3紙ともほぼ同文の一問一答の体裁で、紹介していた。

 知人が指摘していたところに該当すると思われた部分を、節録引用すると、以下の
とおりである。

「――まず、第1の質問なんですけれども、愛国心を促す方向で日本の教育基本法の
改正が進められています。しかし、陛下がこの度訪問されます国も含めました近隣諸
国では、そういった動きが戦前の国家主義的な教育への転換になるのではと恐れられ
ています。陛下もそうした見解に共鳴されますでしょうか。

天皇陛下:教育基本法の改正は、現在国会で論議されている問題ですので、憲法上の
私の立場からは、その内容について述べることは控えたいと思います。教育は、国の
発展や社会の安定にとって極めて重要であり、日本の発展も、人々が教育に非常な努
力を払ってきたことに負うところが大きかったと思います。

これからの日本の教育の在り方についても、関係者が十分に議論を尽くして、日本の
人々が、自分の国と自分の国の人々を大切にしながら、世界の国の人々の幸せについ
ても心を寄せていくように育っていくことを願っています。

なお、戦前のような状況になるのではないかということですが、戦前と今日の状況で
は大きく異なっている面があります。その原因については歴史家にゆだねられるべき
ことで、私が言うことは控えますが、事実としては、昭和5年から11年、1930
年から36年の6年間に、要人に対する襲撃が相次ぎ、そのために内閣総理大臣ある
いはその経験者4人が亡くなり、さらに内閣総理大臣1人がかろうじて襲撃から助か
るという異常な事態が起こりました。

帝国議会はその後も続きましたが、政党内閣はこの時期に終わりを告げました。その
ような状況下では、議員や国民が自由に発言することは非常に難しかったと思います。
先の大戦に先立ち、このような時代のあったことを多くの日本人が心にとどめ、その
ようなことが二度と起こらないよう日本の今後の道を進めていくことを信じています。」

 このやりとりは、あらかじめ宮内庁の記者クラブから出されていた質問書に基づき、
天皇が回答を準備していた一連の質疑応答のあと、関連質問として、会場の記者から
出てきた質問に答えるものとなっている感じだ。

 質問者がだれかにも、関心が湧く。この会見には、クラブに属さない外国人記者の
参加も許されていた。おそらく天皇が訪問する国のアジア人記者も出席していたはず
だ。この質問者は、クラブ所属の日本人記者だろうか。アジア人記者だろうか。この
あたりの「詳報」もぜひ知りたいものだ。

 天皇の「歴史認識」の深さの一端は、前半の事前質問書に基づくやりとりの部分に
おいても、うかがい知れるところだ。

 「――天皇陛下にうかがいます。・・・東南アジア諸国は、・・・先の大戦によっ
て、日本に対する複雑な思いも残る地でもあります。(天皇として)戦後60年を経
て再び訪問されることに、どんな思いがおありでしょうか」という質問に対して、天
皇が、「相互理解と友好関係の増進」に努めたいとする、無難な回答をするだけに留
まらず、「先の大戦では日本人を含め多くの人々の命が失われました。そのことはか
えすがえすも心の痛むことであります。私どもはこの歴史を決して忘れることなく、
各国民が協力し合って争いの無い世界を築くために努力していかなければならないと
思います」と述べたあと、わざわざ「戦後60年を経、先の大戦を経験しない人々が
多くなっている今日、このことが深く心にかかっています」と付け加えた意味も大き
いと、私は考えた。

 天皇のほうが、はるかに鋭いニュース感覚があるといえるのではないか。いったい
メディアはなにをやっているのだろうか。とくに新聞の怠慢ぶりには呆れる。真実は
ネットだけに載せるというのか。


http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/5d7b0c2bf3c8916d97347893bcc4d4ff


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1 コメント

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官房長官・文科相・産経新聞は (読解力から始めよう!)
2006-06-09 13:18:05
敬称・呼称といった瑣末の事に拘らず、先ず東南アジア訪問前の天皇記者会見の内容を理解して、それから物事を喋るべき。何

が重要か、理解できないのは哀し過ぎるよ、年齢の割に。
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