原発を問う民衆法廷(熊本)・小野俊一参考人の忌避申立関連「華青闘告発」ほか(追記あり)

2013-05-23 01:39:38 | 社会
原発を問う民衆法廷・熊本公判- 水俣の教訓を福島へ-5月25日 (追記あり) 
原発を問う民衆法廷 熊本法廷(25日)・小野参考人の忌避を申し立て。/北島教行さんから

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東本高志@大分さん から
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この5月25日に熊本大学(熊本市・黒髪北キャンパス)で「原発を問う民衆法廷・第8回・熊本公判」が開かれますが、福島第一原子力発電所事故収束作業員で第三種放射線取扱主任者の北島教行さん(福島県いわき市在住)が同月21日付けでこの民衆法廷・熊本公判において「証人」のひとりとして証言台に立つことが予定されている小野俊一氏(元東電原発技術者)に対する「出廷忌避申し立て書」を同民衆法廷事務局、代理人団、裁判部判事宛てに提出しました。

私はこの北島教行さんの「小野参考人出廷忌避申し立て書」の趣旨に賛同するとともに今回の北島さんの迅速果敢な行動に賛意を表したいと思います。*

*ところで、下記申立書の「忌避申立人告発書」の文中に出てくる「華青闘告発」という言葉は大方の読者のみなさんにとっては耳慣れない言葉だと思いますので、引用者としてこの点について若干の補足説明をしておこうと思います。
「華青闘」というのは「華僑青年闘争委員会」の略称です。
1970年代、日本政府は従来の出入国管理令に替わり、新たに出入国管理法の制定を目指していましたが、華青闘はこの出入国管理法制定を阻止する目的をもって日本在住の華僑によって1969年3月に結成された組織です。
華青闘告発というのは、その華青闘が1970年7月7日の「盧溝橋33周年・日帝のアジア再侵略阻止人民大集会」当日、その集会の席上でそれまで共闘していた新左翼セクト各派を猛烈に批判したことを指してそう呼びます
wikipedia『華僑青年闘争委員会』)。

小熊英二さん(慶應義塾大学教授)のベストセラーになった『1968』(下巻、新曜社 2009年)によれば、その告発は次のようなものであったようです。

 「何故、われわれは、集会実行委員会から脱退したのか? 
日本の新左翼も又、排外イデオロギーを持ち続けているからだ。
在日朝鮮人中国人の入管闘争に対して、反戦・全共闘はそれを支援し連帯する闘いを一貫して放棄してきた。
65年日韓闘争の敗北によってもたらされた在日朝鮮人の過酷な事態を直視せず、69年位管闘争を10・11月決戦に解消し、4・19朝鮮学生革命〔1960年4月に韓国の李承晩政権が学生らの蜂起で倒れたこと〕への無知をさらけ出しながら世界革命を呼号している」。

「われわれは、在日朝鮮人・中国人の問題は、決して新左翼の中に定着しなかったと断言する。
そのような事態に対する根底的自己批判なくして、連帯は空文に等しい」。

「諸君は日帝のもとで抑圧民族として包摂されていることを自覚しなければならない」。

「抑圧民族としての自己の立場を自覚しそこから脱出しようとするのか、それとも無自覚のまま進むのか。日本帝国主義に対決するのか、それを擁護するのか。立場は2つにわかれている
」。(同書257-258頁)



新左翼各派はこの批判に強い衝撃を受け、それまで盧溝橋33周年集会の実行委員会事務局の人選を巡って華青闘と対立していた中核派をはじめ新左翼各派は次々と自己批判を声明するに至ったといいます*(wikipedia同上)。

*さらに注を入れておきます。
ここで重要なのは「華青闘告発」で問われている本質的な内容です。
「新左翼各派」云々という党派性の問題はここでの問題ではありません。
それが仮に「革新勢力各派」という表現であっても同じことです。

北島さんの「忌避申立人告発書」は本人自身も「『華青闘告発』と同じように述べねばならないことを悲しむ」と述べているように明らかにこの「華青闘告発」を意識してその文体を模して書かれているように見えます。
その北島さんの意を汲んで私たちは「忌避申立人告発書」(同書における本質的な問い)を読解する必要があるでしょう。
なお、忌避申立人告発書文中の「1977年7月7日の『華青闘告発』」は1970年7月7日の誤りだと思われます。

東本高志@大分
higashimoto.takashi@khaki.plala.or.jp
http://mizukith.blog91.fc2.com/

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松井英介参考人にかんして/北島教行さんから

松井英介医師の問題は放射線を専門的に扱う仲間内では話題の一人です。

なぜなら、彼が反原発運動向けに監修した読本が虚偽の情報満載だからです。

反原発運動全体への信用性信頼性を著しく棄損する、と申しても差し支えないでしょう。

ただ、直近で困った事態が発生しています。

ストップ・ザ・もんじゅ主催の枚方市内の集会で同席しなければならなくなってしまいました。

そもそもストップ・ザ・もんじゅで話す機会を「無理矢理」作って貰ったのも、彼らの署名運動が、「被曝労働者殺し」を主導するもので、それに対して抗議した結果、「お情け」で時間を割いた形です。
「形式的に現場労働者の話を聞くアリバイ」のような「付け足し」の扱いです。

その署名運動とは「4号機冷却プールに保管されている燃料棒を速やかに移動せよ」というもので、各界「有名人」を表に出し、大規模な「運動」となっており、院内集会や政府交渉などを展開し、無視できない様相を呈しています。
自民党政権は、彼らの「運動」の主張を受け入れ、「4号機プールの核燃料移動スケジュールを一年早める」ことを決定。
彼ら「運動」もそれを「成果」だと言い做しています。
おぞましきことです。

現状を申せば、破断したものも含まれるであろう燃料棒を、作業員が決定的に不足している中強行したら、大量の高線量被曝者が続出することは必至です。

このような「労働者の生命などどうなろうと知ったことではない、関西に住む我々に危害が及ばなければそれでよい」とも取れる身勝手な「運動」に戦慄さえ覚えます。

現場労働者として「ストップ・ザ・もんじゅ」に決別の告発をする予定でしたが、会場にて松井英介医師を同席させ、更には彼にデタラメな知識の内部被曝講演をさせ、という屈辱の時間と空間を強いられます。
更には松井英介医師の講演があるので発言時間は20分(!?)とのこと。

もう、彼らには話す必要も無い、と感じています。

アドバイス求めます。

自分たちは危険な作業をしないくせ、被曝労働者の生命ならば犠牲となっても構わない、とする「運動」とは一体何なのだろうか?

北島教行

松井英介著「見えない恐怖 放射線内部被曝」を読んでみた

代表的な松井英介批判は上記のものがあります。
読んで信じちゃってる人々には間違えの訂正をするのに骨を折ってます。
ICRP批判なのは解るのですが、ECRR防護論のいびつさについては一切の言及がありません。
現場労働者にはICRPよりも「甘い」基準もあり、認め難いのですが、なかなか信じて貰えず苦慮しています。

北島

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北島です。

悩みに悩んだ末ですが、明日(というか今日25日)のストップ・ザ・もんじゅ集会の出席と短い時間の枠ではありますが発言する機会において、「四号機プールの核燃料を早期に移動を求める運動」は「収束作業労働者の『死』をも前提とする、高線量被曝を求める、冷酷かつ非人道的な運動です」ということをはっきり伝えることにしました。

近畿大の奥田先生とも月刊『部落解放』誌記者で天理大教員の瀬川さんの計らいで「関西地域における『障がい者の生存を否定する』ことを前提とした『反原発運動』の言説に、またその言説を基に「障害者差別が拡散され、排除が正当化される現状」に警鐘を鳴らす作業を始めてゆかねばならないだろう」というで意見は一致しました。

そもそも「収束作業員は死ね」ということと同義である「四号機核燃料の早期移動を要求する運動」のまっただ中に、孤立無援な状態で、なおかつ「殺される当事者側」である人間である私が発言しに訪れる、というのは大変恐怖を伴う苦痛なことです。
同質性を求める「反対運動」の現況で、政治的社会的少数者に属する側の者が単身で乗り込むことは大変な勇気が必要とされます。

しかしながら、「殺されることが前提とされる者」が「犠牲者を要求する人々」に対して、殺される前に抵抗の表明を、罵倒されようが大ブーイングを受けようが、やらなくてはいけないことだ、と決意するに至りました。

通常の、壊れていない原子力施設でさえ、定期点検時には2Sv/hや3Sv/hという致死線量の燃料棒があります。
twitterでは第一種放射線取扱主任者のredさんがこのような致死線量の燃料棒のことは「お化け」と呼ばれていることを紹介しております。
また、HappyさんTSさんなどはこれら燃料棒の移動の際、完全に全自動化されたクレーンでは作業できない、微妙な操作は人力でおこなっているんだ、ということを証言しています。
実際、このような核燃料の移動を定期点検時に行なっている作業員のことを「特攻隊」と呼び、高線量被曝作業専門要員となる作業員の存在については太平電業の作業員、協栄工業の作業員から聞かされております。
現在、核燃料移動や点検を専門に行う会社は、日本では数は少ないですし、特攻隊作業員として就業する被曝要員の確保にはいつも苦労していることについて教えていただいています。

自民党政権は四号機の移動スケジュールを繰り上げることを決定しましたが、本当にこの作業を作業員の生命保全を前提条件として始めることができるのかというと、大変疑問です。
「疑問」ではなくて、移動の作業過程で悲惨な事態が予想されること、目に見えています。
このようなことを「運動のせ成果だ」などと果たして言えるのでしょうか。
燃料棒の移動時の危険性を分かっている作業員なら絶対に拒否します。
死にたくありませんからね。
必然的にその作業の危険性について理解しない労働者が担うことになるでしょう。

更に言えばイチエフの四号機は「通常の状態」ではありません。
建屋も吹き飛んでいます。
燃料棒も歪んでいることも予想されます。
通常時でも歪んでいて、無理やり押し込んだり、特攻作業員が手動で動かしたりするのです。脱落もあるかもしれません。

「そんなに早く移動したいのであれば、「ストップ・ザ・もんじゅ」のメンバー全員でやってください」、とも伝えようと思っています。
自分は安全な場所にいて、被曝しないことを前提として、「自分ではない他者」の高線量被ばく、まかり間違えば死者さえ出かねないことを平然と要求することが信じられません。

倫理的な面での問題点、技術的な問題点をしっかりと指摘します。
20分で伝えることが出来るか不安ですけどもね。

明日の集会参加・発言にあたって相談に乗ってくださったひこパパさん、本日(昨日)の授業での講演に骨折りして奔走してくださった同志社大の教員や学生の皆さん、本当にありがとうございました。

北島教行 拝

学習会 暮らしに忍び込む放射能/ストップ・ザ・もんじゅ
2013年5月25日 学習会 暮らしに忍び込む放射能
1:00 開場 1:20 開演 枚方市民会館3F第3会議室
参加費:800円

講 演 隠された放射線内部被曝と健康リスク
医師 松井英介さん(岐阜環境医学研究所所長)

事例紹介
  ①宝塚市の給食への取り組み/井上保子さん
   (原発の危険性を考える宝塚の会世話人)
  ②食生活での具体的な工夫/井野文さん
   (ネットワークあすのわ副代表)

特別報告 「福島第一原発 -被曝労働の現実-」
   北島教行さん(福島原発事故収束作業員・フリーター全般労働組合執行委員)
   共著に『原発事故と被曝労働』三一書房)

主催 とめよう「もんじゅ」関西連絡会&脱原発政策実現関西ネットワーク 連絡先:ストップ・ザ・もんじゅ

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1970.7.7集会における華青闘代表の発言

七・七人民大集会において華僑青年闘争委員会の代表が行った発言の要旨を次に掲載する。これはメモから再生したものなので不正確であることを免れないが、文責はすべて編集局にある。

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 本日の集会に参加された抑圧民族としての日本の諸君!

 本日盧溝橋三十三周年にあたって、在日朝鮮人・中国人の闘いが日本の階級闘争を告発しているということを確認しなければならない。芦溝橋三十三周年の問題と、在日朝鮮人・中国人の問題とは密接不可分であり、日本人民はそれを知るべきである。諸君は日帝のもとで抑圧民族として告発されていることを自覚しなければならない。

 今日まで植民地戦争に関しては帝国主義の経済的膨張の問題としてのみ分析されがちであったが、しかし日本の侵略戦争を許したものは抑圧民族の排外イデオロギーそのものであった。

 今日、日・朝・中人民が分離されたかたちでマルクス主義が語られており、日本国家権力と日本人民、日本国家権力と中国人民、日本国家権力と朝鮮人民という形での分離が存在し、そういう形で植民地体制が築かれてきたが、それは分離したものではない。日本人民は三者の中でどうするのか。抑圧民族という自己の立場を自覚しそこから脱出しようとするのかそれとも無自覚のまま進むのか。立場は二つの分かれている。

 なぜわれわれは、本日の集会に向けての七・七実行委を退場しなければならなかったのか。闘う部分といわれた日本の新左翼の中にも、明確に排外主義に抗するというイデオロギーが構築されていない。日帝が敗北したとき、ポツダム宣言を天皇制が受けたかたちになり、日本人民がそれを避けられなかったところに、日本人民の排外主義への抵抗思想が築かれなかった原因がある。

 七・七集会を日本の新左翼が担うことは評価するが、それをもって入管体制粉砕闘争を怠ってきたことを免罪することはできない。七月三日の実行委員会に集中的にあらわれたように、七・七集会を全国反戦・全国全共闘の共催に使用とする八派のすべてが、入管闘争の一貫した取りくみを放棄しており六九年入管闘争を党派として総括することができなかった。また各派は、なぜ六五年日韓闘争において、法的地位協定の問題を直視しなかったのか。六九年入管闘争を闘っていたときも入管法を廃棄すればプロレタリア国際主義は実現することになるといった誤った評価が渦巻いていた。しかもそれは大学立法闘争にすりかえられ、十一月闘争の中で霧散し消滅し、今年一月、華青闘の呼びかけによってようやく再編されていったのだ。

 このように、勝手気ままに連帯を言っても、われわれは信用できない。日本階級闘争のなかに、ついに被抑圧民族の問題は定着しなかったのだ。日韓闘争の敗北のなかに根底的なものがあった。日本階級闘争を担っているという部分にあっても裏切りがあった。日共六全協にあらわれた悪しき政治的利用主義の体質を、われわれは六九年入管闘争のなかに見てしまったのである。今日の日共が排外主義に陥ってしまったのは必然である。

 われわれは、このかん三・五の「三・一朝鮮万才革命五十一周年入管法阻止決起集会」と四・一九の「南朝鮮革命十周年、全軍労闘争連帯、安保粉砕、沖縄闘争勝利、労学窓決起集会」で声明を出し、その内容を諸君らが受けとめ自らの課題として闘っていくことを要求した。四・一九革命に無知でありながら国際闘争を語るようなことでどうするのだ。

 われわれは戦前、戦後、日本人民が権力に屈服したあと、我々を残酷に抑圧してきたことを指摘したい。われわれは、言葉においては、もはや諸君らを信用できない。実践がされていないではないか実践がないかぎり、連帯といってもたわごとでしかない。抑圧人民としての立場を徹底的に検討してほしい。

 われわれはさらに自らの立場で闘いぬくだろう。

 このことを宣言して、あるいは訣別宣言としたい。

(中核派機関紙「前進」1970年7月13日3面)

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1970年の七・七集会における華僑青年闘争委員会の演説の内容を正確に保存している文書が存在するのか、私は知りません。出版された華僑青年闘争委員会の機関紙などは、今となっては非常に入手が困難になっており、またそのような文書に、この発言が掲載されているとも思えません。演説を行った人物が演説の草稿を保持している可能性はありますが、このときの演説はむしろ草稿なしで語られたか、あるいは草稿があってもその草稿には縛られずに語られたものであるとも思われます。
 この発言を真剣に受けとめた新左翼側の最大党派だった(今も最大党派ではないかと思いますが)中核派の機関紙「前進」1970年7月13日号に、前進編集局の文責として、メモから再生された発言内容が掲載されています。30年以上がすぎた現在、この記事は非常に貴重な資料であると思います。物事の記録というのがどんなに難しいものであるかをしみじみと感じます。

 前進紙に掲載されていたこの記事は、現代古文書研究会の革共同中核派のページに公開されていましたが、本年(2001年)1月に、現代古文書研究会のウェブページが一時的に閉鎖されたあと、アクセスすることができなくなりました。華僑青年闘争委員会の発言として、このホームページから現代古文書研究会の該当ページに貼っていたリンクも途切れてしまい、復活の見通しも明らかでないので、本ホームページで独自にWeb文書化しました。

 入管法粉砕闘争を担った華僑青年闘争委員会は、善隣学生会館における闘いを担った後楽寮自治会の周りに集まった在日中国人青年達と、人的にも思想的にも多分に重なるところがあり、ある意味でこの発言の内容は、在日中国人という立場から、プロレタリア国際主義という理念を追求する運動を探求する過程での認識の到達点であるといえるかも知れません。もちろん、この到達点も、視点を変えれば一つの経過点であることは、言うまでもありません。

2001年2月18日 猛獣文士



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