民衆に支えられた靖国/澤藤統一郎の憲法日記 から

2013-04-29 13:43:39 | 憲法
靖国をめぐって事態は風雲急である。24日の衆議院予算委員会で、安倍首相は「国のために命を落とした英霊に尊崇の念を表するのは当たり前。わが閣僚はどんな脅かしにも屈しない」と述べたという。

「わが閣僚」は、憲法99条で憲法を尊重し擁護すべき義務を負っている。当然、政教分離の原則も、尊重し遵守しなければならない。憲法の遵守は、脅しに屈してするものではなく、立憲主義国家の公務員の当然の義務である。

戦死者を「英霊」と呼称することも、宗教法人靖国神社に参拝することも、個人としてであれば思想・良心や表現の自由の問題であり、また、宗教行為の自由として憲法が保障するところである。しかし、公的資格において、宗教的活動を行うことは許されない。憲法20条3項が禁止するところ。こっそり人目に付かずの参拝なら許されようが、肩書を記帳し、公用車を利用する参拝は許されない。国会議員が集団でなど、示威行動は許されない。

憲法の政教分離の規定は、天皇を神とすることを通じて民衆を支配する愚の反省から生まれた。言うまでもなく、その愚の最たるものが戦争であった。神なる天皇の軍隊が、天皇の命によって聖なる戦争を行うのである。間違った戦争であるはずもない。戦死すれば神として靖国に祀られ、畏れ多くも天皇が親拝されるという。安心して戦地に行き勇ましく闘って死ね。それこそが、臣民のあるべき道。

陸海軍が管轄した別格官弊社靖国神社は敗戦とともになくなったが、その思想は宗教法人靖国神社に脈々と生き続けている。その結果、政教分離規定は、国家神道の軍国主義的側面を代表する靖国神社を警戒せざるをえない。いまや、政教分離とは国家と靖国との分離といって過言でない。

私は終戦を母の背で迎えた。はしかの湿疹と高熱に冒されながら。父は招集されて兵営にあり、母の心細さはいかばかりだったろう。それでも、父が生きて帰ってきたことは幸運だった。多くの日本人が戦地で倒れ、靖国に祀られた。

その靖国神社にときに出かける。かつての宗教的軍事施設。大日本帝国の軍国主義が生き残っている異空間だが、この異空間は民衆の支持によって支えられている。

肉親の死を意義あるものとしたいとする遺族の心情を、国家の側に取り込むことが靖国の本質的な役割である。君のため国のための死を美化し、皇軍の戦死者を英霊とすることによって、戦争への批判を死者への冒涜とすり替える、巧みな侵略戦争批判回避装置。その機能はいまだに健在なのだ。

旧満州でふた冬を越した父は、南方に送られる寸前に病を得て本土に送還され生き残った。その病なければ、靖国に祀られるところだった。そのときは、私も九段の子。ここには、生き残った者への怨みの形相の亡霊を見ざるを得ない。「尊崇の念の表明」ではなく、国家は謝罪をすべきであろう。そして、全国民の不再戦の誓いこそが、唯一の追悼のかたちである。

・・・以下全文は
http://article9.jp/wordpress/?p=196

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