安倍首相の憲法観/宮崎日日新聞 社説2014年3月5日

2014-03-05 23:41:31 | 憲法
権力暴走の可能性をはらむ

 今国会での質疑を通じて、安倍晋三首相の憲法観が明らかになってきた。

 「占領軍の強い影響を受けた」という衆院予算委員会での答弁は、現行憲法に対する首相の見方を象徴している。また「不磨の大典ではなく正面から向き合って変えてこそ、戦後体制からの脱却になる」として、憲法改正に強い意欲をにじませた。

法相も答弁に批判的

 首相は「憲法が国家権力を縛るというのは、王権が絶対権力を持っていた時代の考え方だ。今は国の形、理想を語るものだ」と、憲法の果たす役割について述べた。

 この答弁は、個人の権利や自由を保障するために、憲法で国家権力を制限するという伝統的な立憲主義からの離脱宣言といえる。成熟した民主主義国家は立憲主義をとっており、首相答弁は歴史的にも国際的にも大きな転換である。

 憲法という存在を相対的に捉えようとする姿勢は、集団的自衛権の行使容認をめぐる答弁にもみられる。「先ほどから内閣法制局の答弁を求めているが、最高責任者は私だ。政府の答弁に対しても私が責任を持っている。その上で私たちは、選挙で国民から審判を受ける。審判を受けるのは法制局長官ではない」 日本は集団的自衛権を保有しているが、憲法9条の制約から「行使できない」とする解釈は内閣法制局を中心に長い時間をかけて議論され、導き出されてきた。首相は自らを「選挙で国民から審判を受けた最高責任者」と位置付けることで、憲法解釈を変えることができると示唆しているようだ。

 この発言に対し、谷垣禎一法相が「憲法解釈は時代で変遷する可能性も否定できないが、安定性もないといけない」とくぎを刺したのは当然のことだ。

立憲主義が歯止めに

 首相の答弁を総合すると、国家は憲法による制約を受けず、その解釈の変更も自らの手によって行えるようになる。首相は「選挙による国民の審判」が制度化されているから、権力の暴走を止めることができると考えているのかもしれないが、それは間違いだ。

 権力がいったん暴走してしまったら、その悪影響は計り知れない。また暴走した政権に対し、仮に国民が選挙で「政権交代」という審判を下せたとしても、次の政権がまた暴走してしまう可能性はゼロではない。立憲主義は「王権が絶対権力を持っていた時代」だけの考え方ではないのだ。

 「いかなる権力も暴走する可能性がある」という前提は人類が過去、経験した数々の事例から得た知恵だ。そして、それは今でも変わりはない。特異と言った方がいい首相の憲法観の根底には、この知恵が欠けているのではないか。

 首相も個人の権利や自由を保障することに異論はないだろう。そのためには国家権力に歯止めをかける必要がある。立憲主義をとるべきだ。
http://www.the-miyanichi.co.jp/shasetsu/_4474.html


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