元日本軍慰安婦のソウル日本大使館前「水曜集会」900回に/韓国・朝鮮日報 ほか

2010-01-14 18:17:03 | 世界
1991年8月14日、韓国女性団体連合の事務室で元従軍慰安婦の金学順(キム・ハクスン)さんが記者会見を開いた。金さんは17歳のとき、日本軍の慰安婦として中国に連行され、1日に4-5人の客の相手をされられたつらい過去の記憶を切々と語った。朝鮮から来た10代の少女5人とともに24時間監視を受け、何度か逃げようと試みたが、ひどく殴打されたという。金さんは「それまで話したくても勇気がなく、口を開くことができなかった。今も日章旗を見たり、挺身隊の『挺』という言葉を耳にしただけでも心中が動揺する」と告白した。

 日帝は1931年の満州事件以降、20万人近い朝鮮の少女を中国、東南アジアなどの戦場に日本軍の慰安婦として送り込んだ。1990年、盧泰愚(ノ・テウ)元大統領の訪日を控え、韓国の女性界は従軍慰安婦の真相糾明と、日本政府による謝罪と賠償を求めた。これに対し、日本政府は「政府と軍の関与はなく、民間業者が行ったことだ」と主張し、要求に応じなかった。翌年、金さんが初めて実名を明かし、従軍慰安婦の実態を告発すると、それまで同じようにつらい過去をひた隠しにしてきた高齢の女性らが相次いで日本の国家犯罪について証言し始めた。

 1992年1月8日の水曜日に宮沢喜一元首相の訪韓を控え、慰安婦出身の高齢女性が韓国挺身隊問題対策協議会を開くとともに、在韓日本大使館前で抗議集会を行った。5日後に日本の官房長官が初めて日本軍の関与を認める談話を発表し、宮沢元首相は韓日首脳会談の席で口頭で謝罪した。しかし、被害者が求める政府の公式謝罪と賠償はなかった。このため、被害者らは毎週水曜日に日本大使館前に集まり、集会を続けた。

 その水曜集会が13日で900回目を迎える。年数では18年目となる。この集会が始まった当初はあざ笑う人もいた。しかし、雨や雪が降っても必ず開かれる怒りの集会は国内外の注目を集め、過ちを反省しない日本を告発する生きた歴史教育の場となった。

 水曜集会が900回を数える中で、93年当時は234人いた元慰安婦の女性も現在は87人まで減った。80-90歳の高齢となり、病気のため集会に参加できない人も多い。だが日本政府は依然として公式謝罪に応じておらず、日本の右翼は教科書から慰安婦関連の記述を抹消している。長い歳月が流れるにつれ、日本の暗い過去の歴史も洗い流されていくのだろうか。「日本が反省しなければ、死んでも水曜集会に参加する」と語った吉元玉(キル・ウォンオク)さんの言葉がその答えを物語っている。
http://www.chosunonline.com/news/20100113000041



元従軍慰安婦ハルモニの「900回目の涙」/東亜日報
韓国挺身隊問題対策協議会と従軍慰安婦のハルモニ(お婆さん)たちが、日本軍による慰安婦問題の解決を促すため開いてきた「水曜集会」が、13日で900回目となった。

同日、ソウル鐘路区中学洞(チョンログ・チュンハクドン)の駐韓日本大使館前で開かれた集会には、慰安婦強制動員の被害者のお婆さん4人を含め、関連市民団体の会員や大学生など約200人が集まった。出席者らは「日本政府は、日本軍による慰安婦被害者に公式謝罪せよ」と訴えた。


演壇に上がった被害者のキル・ウォンオクさん(82)は、「皆さんの力に支えられて、これまで生きてこられた。このようなむごいことが二度と起きないよう、みんなで努力していかなければならない」と話した。


水曜集会900回を迎え、日本の5都市(東京、福岡、大阪、名古屋、京都)でも連帯集会が開かれた。14日には、ドイツベルリンで開催される。
http://japan.donga.com/srv/service.php3?bicode=040000&biid=2010011429568

慰安婦:酷寒の中、900回目の「水曜集会」/朝鮮日報
日本大使館前で18年間、元慰安婦は234人から87人に
「あまりにも泣き過ぎたため、今では目から涙が出なくなり、心の中で涙を流している。日本が謝罪するまで、わたしは絶対に死ねない」(カン・イルチュルさん〈82〉)

 「旧日本軍の慰安婦問題の解決を求める定期水曜集会」が、13日正午から、ソウル市鍾路区中学洞の在韓日本大使館前で、韓国挺身(ていしん)隊問題対策協議会(以下、挺対協)の主催により行われた。この日の集会には、旧日本軍の慰安婦として苦痛を味わった女性4人や、アムネスティ・インターナショナル韓国支部の関係者など約100人が参加した。

 カン・イルチュルさんは集会の最中、常に手をぶるぶると震わせていた。帽子、マフラー、マスクを着用し、防寒対策は十分に取ったつもりだったが、この日の気温はマイナス10度まで下がり、その猛烈な寒さが体にこたえたようだ。

カンさんは日本大使館に向かって震えるこぶしを突き出し、日本政府の正式な謝罪と法的な賠償を求めた。カンさんは「日本政府だけでなく、韓国政府も積極的に行動すべきだ」と声を荒らげた。

 水曜集会は1992年1月8日、当時の宮沢喜一首相が来韓したのに合わせ、初めて行われた。95年、阪神・淡路大震災の犠牲者に哀悼の意を表するため1回中止したのを除けば、毎週欠かすことなく行ってきた。この18年の間に、参加する元慰安婦も一人、二人と世を去り、第1回の集会当時は234人だった元慰安婦は、87人にまで減った。

 挺対協は「日本政府が立法を通じ、慰安婦問題を早期に解決すべきだ。日本政府による正式な謝罪や、再発防止を求める国民50万人の署名運動を進めていく」と語った。
http://www.chosunonline.com/news/20100114000023

元慰安婦のソウル集会900回 進む高齢化、新政権に期待/共同
 【ソウル共同】韓国の元従軍慰安婦らが日本政府の公式謝罪や補償を求め、毎週水曜日にソウルの日本大使館前で行ってきた抗議集会が13日、900回目を迎えた。元慰安婦は高齢化が進んでおり、関係者は日本政府による公式謝罪と賠償が、日本の政権交代によって早期に実現することに期待を寄せている。

 抗議集会は通称「水曜集会」と呼ばれ、1992年1月に宮沢喜一首相(当時)の訪韓反対をきっかけに始まった。900回記念の集会には、氷点下の寒さの中、4人の元慰安婦のほか支援者ら約70人が参加。「日本は公式謝罪せよ」などと声を張り上げた。

 主催する「韓国挺身隊問題対策協議会」によると、韓国政府が認定した元慰安婦のうち、生存しているのは87人。平均年齢は85歳に達している。元慰安婦の女性が共同生活するソウル近郊の施設「ナヌムの家」職員の村山一兵さん(29)は「高齢の元慰安婦たちにとって、残された時間は少ない。最後の願いに、日本政府は耳を傾けるべきだ」と語る
http://www.47news.jp/CN/201001/CN2010011301000780.html

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