窪田恭史のリサイクルライフ

古着を扱う横浜の襤褸(ぼろ)屋さんのブログ。日記、繊維リサイクルの歴史、ウエスものがたり、リサイクル軍手、趣味の話など。

ささがねの蜘蛛

2009年01月22日 | レビュー(本・映画等)
  以前、故大野晋教授の『日本語の源流を求めて』ご紹介しましたが、本書は古事記・日本書紀・万葉集で未詳語とされる言葉や意味不明の神話がタミル語で解釈することによって、実に明快に解き明かすことができるという事を豊富な事例をもとに解説し、またそれによって古代日本語がクレオールタミル語ではないかという大野説を支持しています。クレオール語とは言語接触から生じた混成語、ピジン語が発達し、それがやがて母語となったものを言います。大野説は比較言語学の立場から多くの批判にさらされていますが、大野説は古代日本語がタミル語のクレオール語であって系統的に日本語がタミル語から派生したと言っているのではありません。本書においてはこれらさまざまな批判に対する反論も詳しく述べられています。

  いずれにしても素人である僕にとっては非常に興味深く読み応えのある本でした。例えば本書のタイトルにもなっている「ささがね」は「蜘蛛」に掛かる枕詞で、その語義は不詳とされ、やがて蜘蛛の異称と考えられるようになりましたが、これをタミル語で解くと「細い網」という意味になり「蜘蛛」とのつながりが実に明快になります。このような決して偶然とはいえない事例が本書では豊富に紹介されています。中には口承で伝えられるうち、万葉集が成立した8世紀当時すでに意味不詳となってしまっていた語や、万葉集においては本来表意文字である漢字を表音文字として使用した万葉仮名や後世本来の意味とは別の漢字を当てはめてしまったためめに、それら当てはめられた漢字の表意に思考が拘束され誤った解釈が通説となってしまったものもあり、それらもタミル語を用いて再解釈するとより自然と思われる意味が浮かび上がってきます。

  とりわけ興味を惹かれたのは、古事記に登場する人物の名前などをタミル語で解釈するといわゆる「国譲り」の神話が蛇崇拝の王権が太陽崇拝の王権に服属する物語であることが明らかとなるという点です。これは以前ご紹介した『龍の文明・太陽の文明』(安田喜憲著、PHP新書)にもほぼ合致します。またこの説が正しいとすれば、やはり日本人や日本という国はある時多勢の外来勢力によって征服されて成立したのではなく長い時間をかけ、さまざまな勢力からの影響を受けながら変化して成立していった、あるいは仮に征服王朝があったとしても彼らは数としては少数であり、現地人と同化しながら王権を確立していったと考えられるのであろうと思います。結局、日本人や日本語の成立過程はきわめて複雑で、ある一つや二つの起源に集約できるようなものではないことだけは確かなようです。

ささがねの蜘蛛―意味不明の枕詞・神話を解いてわかる古代人の思考法 (古事記・日本書紀・万葉集と古代タミル語の饗宴)
田中 孝顕
幻冬舎

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  繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした

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