窪田恭史のリサイクルライフ

古着を扱う横浜の襤褸(ぼろ)屋さんのブログ。日記、繊維リサイクルの歴史、ウエスものがたり、リサイクル軍手、趣味の話など。

交渉学の活用による紛争解決ー第62回燮(やわらぎ)会

2023年12月06日 | 交渉アナリスト関係


 2023年12月1日、品川区の文化コミュニティ施設「きゅりあん」とオンラインとのハイブリッドで第61回燮会が開催されました。燮会は日本交渉協会が主催する交渉アナリスト1級会員のための勉強会です。今回も北は秋田から西は福岡まで大勢の1級会員の皆様にご参加いただきました。ありがとうございます。

 今回は篠原さんによる、「実践的交渉戦術と実例」はお休み。二部構成で、まず第Ⅰ部として僕から「第22回交渉理論研究」についてお話しさせていただきました。テーマは、「統合型交渉の理論(2)-テンプレート分析(パイの増大と切り分けについて)」。



 前回は「テンプレート」を用いることにより、異なる尺度を持つ価値をいかにして交換し、増大させていくかについてお話ししました。これは「価値交換」とよばれる「統合型交渉」における大きなテーマの一つです。今回はもう一つの大きなテーマである、「価値の増大とその分配について」。これを交渉学の世界ではしばしば「パイの増大と切り分け」と呼んだりします。



 分配型交渉において、合意可能範囲(ZOPA)は一次元の線形で表現されます。これに対して統合型交渉においては、ZOPAが二次元平面で表されます。なぜそうなるのか?まずはその過程についてお話ししました。



 次に、統合型交渉において増大させた価値をどのように分配するか、という問題。先のZOPAの図において、原点から遠い合意点(つまり、外縁の線上にある点)ほど価値が高いと考えることができますが、それが交渉当事者にとって公平かどうかは別の問題になります。例えば、ZOPAの外縁の線と縦軸との交点が合意点であったとすれば、それは当事者Aによる価値の総取りということになり、総価値としては高くても、著しく不公平ということになります。

 現実の交渉の場面では、交互に欲しいものを選ぶとか、じゃんけんをするとか、一方に分けさせ、もう一方に好きな方を選ばせるといった、双方を納得させるための様々な方法がありますが、規範的な分配の方法として、以下の3つを考えます。

合計最大基準(双方の価値の合計が一番大きくなる合意点を選ぶ)
最大最小基準(取り分が少ない方の価値が最大になる合意点を選ぶ)
ナッシュ交渉解(資源配分が最も効率的な合意点を選ぶ)

 ここでは、Excelで作成したテンプレートをソルバー機能で解析し、上記3つの基準に当てはまる価値の組み合わせを算出します。しかしながら、どの基準が正解かということはありません。どの基準にも一長一短があります。例えば、「合計最大(Max-Sum)基準」は価値の総計こそ最も大きくなるものの、分配の格差が大きくなる可能性があります。「最大最小(Max-Min)基準」は、混合戦略を許容すれば理論上両者の取り分は一致します。最後の「ナッシュ交渉解」は、価値の配分の効率(交渉学の世界ではよく「価値を交渉テーブルに残さない」といった言い方をします)の点で優れており、社会的に望ましいということができますが、やはり分配の格差が残る可能性があります。結局、どの基準を採用するかは当事者同士の問題になります。



 続いて第Ⅱ部。お話しいただいたのは、鮫島法律事務所、1級会員で弁護士の鮫島千尋さん。以前、同じく弁護士で1級会員の指宿昭一さんのお話しでもありましたが、交渉学で学ぶ極基本的な交渉用語を活用するだけで、現実の交渉が整理しやすくなり、良い結果に結びつくことがあります。今回は架空の事例から、交渉学が現実の交渉(ここでは紛争解決)にどのように活用できるのかについてお話しいただきました。

 事例は不倫発覚に伴い不倫相手の妻から慰謝料を請求されるという、よくある話です。ここからは交渉学で使われる基本的な用語を使いながら話を進めていきましょう。

1.出発点/留保点/目標点/ZOPA/BATNA

 仮に訴えている妻をA、訴えられている依頼人をBとしましょう。当初、Aの慰謝料請求額は300万円でした。これに対し、B側は「今すぐ払えるのは75万円が限界である」と回答します。この300万円と75万円が交渉のスタート地点です。従って、これらを「出発点」と言います。

 次に、Bは自分が払える限界の額を考えます。今は75万円しか払えませんが、数ヶ月後にボーナスが入れば、一括払いは無理でも、分割払いで225万円までなら何とか払えるかもしれません。しかし、できれば150万円ぐらいで納めたいと思っています。この支払限界の額、これより大きければ最早交渉できないので、交渉を留保するという意味で「留保点」と呼びます。そして、できれば150万円で納めたいというのはBの目標であるので、これを「目標点」と言います。

 同様に、相手方のAにも留保点と目標点があるはずです。しかし、BにはAの正確な留保点と目標点は分かりません。そこで同様の事案での相場を参考にします。相場はおおよそ150万円~180万円であることが分かりました。そこで下限の150万円をAの留保点と仮定します。また、目標点は相場の上限である180万円と出発点と仮の留保点との差額の中間点である225万円の間であろうと仮定しました。



 以上をまとめたものが上図です。青の棒グラフはAが交渉しようと考えているだろうと想定される範囲です。オレンジの棒グラフはBが交渉しようと考えている範囲です。この両者のグラフが重なり合っている範囲、つまりAとBの留保点の差額は、双方が合意しても良いと考えていると想定される範囲になります。これを「合意可能範囲(ZOPA)」と言います。

 もう一つ、「BATNA」と呼ばれる重要な概念があります。BATNAとは、一般的には当該交渉が決裂した場合の最善の代替案と考えられていますが、より正確には「当該交渉で合意するために利用できる最善の代替案」になります。いずれにせよ、当該交渉が決裂した場合はBATNAがとり得る選択肢となります。この場合、示談が成立しなければ裁判に移行する可能性が高いので、それが双方のBATNAです。

 なぜBATNAを考えるのが重要かというと、より有利なBATNAを持っていれば当該交渉における交渉力が高まるからです。しかしBさんの場合、ただでさえ状況が不利な上、裁判となればさらなる費用や時間がかかることになるので、残念ながらBATNAは弱いと言えそうです。

2.譲歩のダンス

 次に「譲歩のダンス」について説明します。交渉で合意するためには、交渉の過程で双方が歩み寄りながら、お互いの出発点の乖離を埋め、合意点を探らなければなりません。譲歩のダンスとは、この交渉過程で出された提案/対案の軌跡を言います(下図)。



 上のグラフのR1上の点がお互いの出発点、R4上の点が最終的な「合意点」を表しています。出発点の時点で、双方の金額には225万円の開きがあります。2回目の交渉で、Aは300万円を225万円に減額してきました。一気に25%もの減額です。これはどうしてでしょう?やはり目標点は225万円付近にあるのかもしれません。これに対し、Bも20%上乗せし、「数ヶ月後にボーナスが入れば90万円までなら払える」と対案を出しました。

 しかし、前述のようにBATNAはBの方が不利なのです。しかし、交渉過程でのやり取りから探ってみると依頼人のAはどうも早期解決を望んでいるようであるということが分かりました。つまり、金額以上に交渉を長引かせたくない理由がある、AのBATNAも思ったほど強くなさそうです。

 3回目の交渉で、Aはさらに20%、180万円まで減額してきました。これに対し、Bは「分割払いになってしまうが、105万円までなら払える」と対案を出し、態度を保留しました。ただし、今後不倫が物理的に起こらないような対策も提示し、Aへの配慮も見せています。最終的に、4回目の交渉で両者は105万円で合意しました。

 さて、改めて譲歩のダンスのグラフを見てみましょう。交渉学における譲歩の第一原則は、「いきなり大幅な譲歩をしないこと」、そして第二原則は「譲歩幅を徐々に狭くすること」です。前者の理由は、いきなり大幅に譲歩してしまうと相手に対して譲歩の余地が十分あるというシグナルとなってしまう可能性があるからであり、後者の理由は、譲歩幅を徐々に狭くすることで合意点に近づいているというシグナルとなるからです。しかしながら、今回の例を見ると、Aはいきなり大幅な譲歩をしてしまっています。実際それがシグナルとなり、Aが実は和解を急いでいるということが分かりました。そのため、Bは徐々に譲歩するという戦術をとることができたのです。また、この例のように、時間の制約は、交渉に大きな影響を及ぼす可能性があります。

3.留保点は変わる可能性がある



 さて、ここで一つの疑問が生じます。それは、両者が最初に想定したZOPAの外で合意しているという点です。もちろん、あくまでAの留保点は仮定ですので、想定していたZOPAが間違っていたと考えることもできます。しかし、Aには「交渉を長引かせたくない(そしてもちろん訴訟にも持ち込みたくない)」という事情(ひょっとすると金額よりこちらの方が主目的だったかもしれません)があり、留保点を超えてでも合意を優先した可能性が大いにあります。このように留保点は(したがって、ZOPAも)交渉過程で変化する可能性があるのです。

4.プリンシパル・エージェンシー問題

 エージェント(代理人)がプリンシパル(依頼人)の利益に反し、エージェント自身の利益を優先する行動をとってしまうことを経済学の用語で「プリンシパル・エージェンシー問題」と言います。事例からの推察にはなりますが、Aが留保点を超えてでも合意を急いだのには、AよりもA側弁護士、すなわちエージェントの思惑が働いた可能性もあります。例えば、本件がA側弁護士にとってあまり利益になるものではなかったとした場合、できるだけ早期に処理してしまいたいと考えていたかもしれません。

5.統合型交渉に向けて

 ここまでは交渉学の用語を用いて、事例を分析的に整理してきましたが、最後に鮫島さんがおっしゃっていた、より良い交渉のための大切なポイントをいくつかまとめます。

1.当事者双方のニーズを探求すること
2.当事者双方の交渉材料の把握と整理
3.ニーズの背景にある事情や思惑の把握
4.相手の想いや考えを尊重し、解決に向けた提案をする
5.自分の軸を見失わない
6.相手に判断を委ねる

 これらは、第Ⅰ部の用語を借りて言えば、価値交換によって一次元のZOPAを二次元にしていく、即ち分配型交渉から、より双方にとって望ましい統合型交渉へ移行していくためのポイントでもあります。ここでは金額のみに焦点を当てた、交渉の分配的側面を主に取り上げてきましたが、お話の中では金銭をめぐる立場の背後にある双方の様々な関心を掘り下げる過程が出てきました。紛争(コンフリクト)のより良い解決のために、交渉学をどのように活かすことができるのか、逆に交渉学を学ぶことによって現実の交渉をいかに効率的、効果的にできるかがよくわかる、学びの多いお話でした。

繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした

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