窪田恭史のリサイクルライフ

古着を扱う横浜の襤褸(ぼろ)屋さんのブログ。日記、繊維リサイクルの歴史、ウエスものがたり、リサイクル軍手、趣味の話など。

余市蒸留所②

2015年07月14日 | BAR&WHISKY etc.


  余市蒸留所ではニッカウィスキーの歴史を刻んだ、貴重なウィスキーの数々が展示されています。上の写真は1940年(昭和15年)10月に余市蒸留所から初めて出荷された、第1号ウィスキーです。



  1962年(昭和37年)10月発売、スーパー。昭和36年、最愛の妻リタを亡くした竹鶴政孝は、生きる力を取り戻すべく究極のウィスキー作りに打ち込みました。余市蒸留所の原酒の中から最高のものだけを選び、ボトルもセミクリスタルを宙吹き成型(型を使わず、吹きだけで仕上げた手作り)した豪華なものでした。当時、大卒初任給が15,000円だった時代に、3,000円という高価なものでした。



  1964年(昭和39年)2月発売、ハイニッカ。日本初のブレンディッド・ウィスキー。当時はマンモスバーのブームで、500円の2級ウィスキー、ハイニッカは洋酒ブームに火をつけました。



  1965年(昭和40年)9月発売、カフェグレーンウィスキーを使用した、ブラック(新ブラックニッカ)。カフェ式連続蒸留機は「宮城峡蒸留所③」でご紹介しましたが、純度の高いアルコールを蒸留できる普通の連続蒸留機と比べ、カフェ式は旧式のため僅かにモロミ成分の味わいや香りが残ると言われています。竹鶴政孝はこのカフェ式の持つ欠点こそがモルトウィスキーとのブレンドによって生きてくると考え、カフェ式連続蒸留機にこだわりました。



  1968年(昭和43年)10月発売、G&G。名優オーソン・ウェルズを広告に起用し、話題となりました。



  1973年(昭和48年)10月発売、特級ノースランド。1969年(昭和44年)に宮城峡蒸留所が生産開始されたことによって生まれたブランド。余市蒸留所のハイランド系のモルトに宮城峡蒸留所のローランド系のモルトをバッティングし、熟成したカフェ・グレーンをブレンドして生まれたウィスキーです。

<つづく>

繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
コメント
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