はらじゅく86のブログ

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Nさんありがとうございます。

2017-03-15 08:23:09 | 日記

Nさん素晴らしい記事をありがとうございます。

ブログを開設して本当に良かったと思いました。

メンバーだけでなく同じような事情を抱える見知らぬ人が、これで勇気づけられるかもしれません。

また、Nさんの痛みがお子さんの成長の糧となっていたことにある種の感慨を覚えました。辛いだけの歳月ではなかったことは、大きな救いにもなったのではないでしょうか。

とはいえ、今回はあくまでトライアルのようで、これから本格的なスケジュールをたてて治療に取り組むのでしょうからできるだけ健康を保たねばならないと思います。くれぐれもご自愛下さい。

そして治療が本当に終了した暁には、皆で快気祝いをしましょう。

 


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2 コメント

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そうですね (t)
2017-03-21 08:23:16
最近漱石の本の朗読をしていますが、生きることの本質について語っていると再認識しました。まだすべてをすくい取れているとは思えませんが・・

新たな治療法の進展をお祈り致します
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漱石さんの作品。私の経過。 (N)
2017-03-20 14:04:26
Nです。コメントをありがとうございます。私の体調に思いを寄せていただいて感謝します。

きょうは春分の日ですね。「彼岸の中日」なんだ。私はクリスチャンなので彼岸には関心もないのですが、先ほど近所の和菓子屋さんがにぎわっていたので思い出しました。
地球の動きは不確定要素が大きいので前年にならないと春分・秋分の日が設定できません。正式には官報で告示されるまで明確ではありません。私にとって春分の日はこんな日です。

「三四郎」で強烈な印象を受けた言葉を挙げます。

一。
「あなたは余っぽど度胸のない方ですね」と云って、にやりと笑った。

二。
「然しこれからは日本も段々発展するでしょう」と弁護した。すると、かの男は、すましたもので、「滅びるね」と云った。

三。
「迷子」女は三四郎を見たままでこの一言を繰返した。三四郎は答えなかった。
「迷子の英訳を知っていらしって」
(中略)
「教えて上げましょうか」
「ええ」
「迷える子(ストレイシープ)-解って?」

これら三つの場面は、この小説のまったく別の場面で、三四郎とそれぞれ別の人物とのやりとりです。これらのシーンは物語全体のトーンを明瞭にしているように思います。
初めて「三四郎」を読んだとき私はほんとに驚きました。百年前にこんなことを書いたのか。こんなことを思い発表したのか。
「吾輩は猫である」から「草枕」「こころ」・「夢十夜」・・
漢学やヨーロッパ文化への造詣がないと、漱石さんの本はよみこなせません。現代に生きる我々は、名前もまだない猫にも劣っていますよ!でも幸いなことに、文庫本なら五百円以下で詳しい注釈付きです。興味を持った方はお読みになることをお勧めします。
私は、聖書と漱石さんの本さえ繰り返し読んでいれば他の本はなんにもいらないなあ、と思えます。

脊髄刺激療法トライアルを受けた私の経過です。電極を抜去して、きょうで11日になります。術前よりいくらか痛みが減っているように感じています。気温が上がっているためもあるでしょう。
それでも、この療法が私に適していたと感じています。とにかく通電時に心地良く、激痛がなかったのですから。これだけで私には十分です。
月末の外来診療で今後の治療方針が決まると思います。また報告いたします。
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