Happy-sanになろう!

Happy-sanな日々をご紹介するブログ。旅のお話もいっぱい♪

2017 孫文・梅屋庄吉塾

2017年09月01日 | 日中友好
今年で4年目になる、孫文・梅屋庄吉塾。
長崎県主催で
夏休みを利用して、
中国から大学生を招聘。
長崎県の大学生と、民泊や温泉体験の他
かなりガチンコのディスカッションを
繰り返す。
7泊8日の充実した学生交流プログラム。





私は毎年、
孫文・梅屋museumで彼らに講演。
そしてmuseumの案内、交流会に参加の他、
ディスカッションのオブザーバーも
拝命し、
グループにヒントやコメントを
送る役割。





今年は
福建省、上海市、湖北省から
30名近い学生が来日。
長崎の学生たちも、
中国語で対応するなど、
しっかりとしたホストとしての
役割を果たしていて、
頼もしい限り。










今年は前回までのOBの参加もあり、
彼らとの嬉しい再会も❤️





最終日には
日韓交流チームと合流して、
《日中韓トライアングル交流会》。

韓国の学生が入ると
空気がガラッと変わって

明るくなるし、
ユルさも出てくるから、面白い😃


このような学生の交流を
天国から見ている
孫文先生も、
梅屋庄吉夫妻も、
微笑みながら、喜んでいるように感じた。


嬉しいことに、
参加した中国の男子学生から

「孫文・梅屋の話を聴いて、
自分でも日中の為に
真剣に何が出来るか、ずっと考えています。」

とメールが届いた📩


これからの時代、
何が起こるか、本当にわからないけど
大切なもの、は
既に
この数日間の中でも、
確実に
キミたちのココロに育っているんじゃないかな。


私はその言葉を学生たちに送って
2017年の孫文・梅屋庄吉塾を、終えた。

孫文生誕150周年記念行事〜その1

2016年11月10日 | 日中友好
久しぶりに、北京に到着。

実は機内で《君の名は》を観て、泣いた。💧
もう一度。観る、と決めた。

飛行場は黄色の空気に包まれ、
pm2.5やらを実感。
でも、今日は酷い時の半分の数値だという。


機内で、知り合いの方にもお会いした。
世間はやはり、とても広いようで、狭い。


ちょっとここだけ、優越感、の
VIP車で移動。
つまり、入国審査や
荷物の受け取り、といった
一連の流れをカットして入国なのだ。





北京のホテルは貴賓楼。
なんと、紫禁城の隣、みたいで
部屋の窓から紫禁城。

紫禁城が黄色の空気に包まれてますが。💦


今日はゲストを迎える日、ということで
行事は無し。

やっと、
今回の訪中の行程表を受け取る。

北京→南京
南京→上海

の移動は新幹線だ。🚅


今回はひとり参加で
話相手もいないので、
時間を見つけては
Blogに随時、書いてみようかな、と。

息子を連れて来れば良かった。






さて、貴賓楼。

中国のホテルっぽく
豪華絢爛っぽい設え。




ベッド



だけど、
スリッパは無いし、
お湯はチョロチョロしか出ないし

いつも感じる、日中の
ホテルにとって、大事なもの、の差を
今日も感じる。






かなーり、豪華にしてるんだけどね。笑


ひとつ、
ポイントが高いものを見つけましたよ。





シャンプーなどの、アメニティ。
紹興酒風。

これは、可愛い!💓






さて、
明日は人民大会堂でのceremony。


人民大会堂の中は
携帯持込禁止なので
写真撮れないのですが。


また、明日!
明天見👋



久しぶりの、北京へ

2016年11月10日 | 日中友好
もう、何回めの訪中になるか
わかりませんが。笑

これから北京。
北京、南京、上海です。




孫文生誕150年記念大会に出席。
明日は人民大会堂で
国家主席出席の政府のceremonyがあります。

いわゆる、
《国賓待遇》の訪中は3回目。
建国60周年、
辛亥革命100周年、
そして今回。


といっても、
現地に着くまで
宿泊先も
行事や行程の詳細も
何も知らされません。

まるで

《ミステリーツアー》です。

ただ、
親しい上海対外友好協会は
上海の行程だけ、調べてくださり

公式行事の他には

上海の高校生への講演会と
長崎県からの訪問団との
夕食会への出席が決まっています。





何しろ、
東京でも、木枯しの吹く寒さ。😂

北京は
マイナス1度!

おいおい……😑


私が寒いけど行きたい場所は
雪に覆われた妙高高原
《赤倉観光ホテル》くらい。

なので、
テンションはかなり低いDeparture✈️

おまけに、
昨日は《トランプ♠️♦️♣️♥️🃏ショック》で
後半から動けなくなり。

まぁ
世の中は色々なことが、起こる。


でも、陽はまた登る。🌅

なんて奥深いのでしょう、生きてみる、
というこということは。



中国に行くときは、
美しく、毅然として
何と言ってもお品が良かった母を思い出します。

自分の親をこんな風に言うのは
おかしいかもしれないが
本当💖


なので、
母の名代的役割なので
ここは自分に喝、を入れて

寒い寒い北京に行ってきます。❄️❄️❄️


帰国して、
もう一度、長崎出張が終わったら

この一連の流れは終わり。
とりあえず。






一つの山の頂上に登りつめると
また、新たな山が見える。

今年の占いに書いてあった。

もう、次の山は見えている。

これも、大変だ。

でも、還暦を迎える頃までには
この山を登りきってみようと。


それが、きっと人生
ってものなのだと思うから。



では、行ってきます🇨🇳✈️


孫文生誕150周年シンポジウム〜九州経済フォーラム

2016年11月01日 | 日中友好
振り返ると
九州日本香港協会
2010年の春節セミナーで
博多で初めて、《孫文と梅屋庄吉》の話をしました。
そこから6年。

長崎に伝わり、
プロジェクトとなり、
銅像寄贈、ミュージアム建設、
読書感想文コンクール、孫文梅屋塾、
はじめ
上海、中山、広州、北京、武漢、香港、
東京、シンガポール、
長崎…各地での展示会や講演会、
シンポジウムが行われ

書籍、児童書、マンガ、ドラマの制作も
含め

ずいぶん多くの活動を
たくさんの方々に支えられて
行って参りました。


10月30日から本日にかけての
九州経済フォーラム。
これらの活動が一つの集大成を迎えました。


100年前の絆の歴史をベースに
これからの時代に向けた
3つのMOUと
九州大学と香港新華基金が
ジョナサンチョイ文化センター設立の
調印とground breaking ceremony、
記念シンポジウムが開催されました。

歴史を伝える
という私の役割から大きく次世代への
道のりが整いました。


とても感慨深い日々です。

多くの方に感謝の気持ちでいっぱいです。


ではその模様を写真にて
ご紹介。





福岡県小川知事
JR九州 石原相談役と、記念ディナーで





新華基金のグローバルヤングネットワークの
皆さんも参加





世界から集まった学者の先生方と





中山大学や九州経済界、長崎の皆さんと


10月31日 午前 九州大学と新華基金の
文化センター設立の寄付 調印






チョイ会長と九州大学 久保学長




調印式に参加した
関係者の皆様と。
最初からこのプロジェクトをともに
やってきた佐々木さま、傍示さま、
九州大学副学長 安浦さまと。



九州大学の代々の学長の額が飾られている
特別応接室にて



九州大学伊都キャンパス内に
ジョナサンチョイ文化センターが設立されます。
地鎮祭ならぬ、
ground breaking ceremonyが開催されました。







その後、
孫文生誕150年記念シンポジウムが
九州大学内稲盛ホールで開催。

インターナショナルで
非常に示唆に富んだシンポジウムでした。

普段、寝てしまう事が多いのですが
英語あり、中国語あり、
新しい歴史の発見あり、の
素晴らしい内容でした。



濱下武志先生が
有難くも梅屋庄吉のことを
発表して下さいました。




孫文が九州大学に揮毫した
《学道愛人》の前で。



2010年からここまでご一緒させて頂いてきた
皆様と。




2016年11月1日
孫文生誕150年記念シンポジウム
アジア太平洋地域協力の
フロンティアとしての九州






APU是永学長




JR九州 石原相談役



服部福岡県副知事



ジョナサンチョイ会長



MOU調印















中山大学 客員教授 古田茂美さま



中山大学教授たちのディスカッション




フォーラムの様子。
佐々木さまが李教授に質問







西日本新聞 傍示さまの報告。
西郷隆盛と孫文、当時の九州について
説明して下さいました。






その後、
メルボルン大学 キープコン教授
カナダ アルベルタ大学 ホールデン ゴールドン教授、
シンガポール南洋理工大学
スリヤディナタ レオ教授、
ベトナム 社会科学人文科学大学
ダオ タンク トリュオン教授、

ジョナサンチョイ会長はじめ、
李新春 中山大学教授、
濱下武志教授

moderatorに
九州経済調査会の森本廣さま


のパネルディスカッションで
アジア太平洋地域協力の
フロンティアとしての九州について

孫文の理想などを鑑みがら
発表していただきました。


アジア太平洋地域に向けて
新しい時代に向けて
スタートする力と希望に満ちた
シンポジウムとなりました。


シンポジウム冒頭には
孫文と九州人の関係を紹介した
素晴らしい映像も紹介されました。


福岡での
私の6年間の活動が
少しでもこの、
大きな、広がりのある動きを
お手伝い出来たことを
とても嬉しく、また
誇らしく思います。


すべての関係各位と
孫文先生、曾祖父 梅屋庄吉に
心から感謝をいたします。






学生たちと、国会見学

2016年10月15日 | 日中友好
今日はJASCA(一般社団法人 全国学生連携機構)の学生の皆さんに同行して
国会議事堂へ。





彼らはこの夏
《孫文・梅屋》をテーマに
北京、広州、香港を旅してきた。
現地で
学生たちと交流したり、
香港財閥 ジョナサン・チョイ氏に面談したり、
そんなプログラムのお手伝いを
させていただいた。










夏の中国視察の報告を
松本楼でしていた際に

偶然、
宮崎県選出の国会議員
武井俊輔先生を
ご紹介することが出来た。


武井俊輔先生ご自身も
お若く、積極的に
学生たちとも交流している様子を
Facebookなどで拝見していたので、
丁度良い機会であった。


程なく、
武井俊輔先生から
学生たちを国会内と外務省を
案内してくださる連絡が入り、
私も同行。




衆議院議長のお部屋





自民党総裁室


自民党にとって、政権交代しても
譲ることの出来なかった
大切なお部屋なのだそう。



私は幹事長席に座らせていただく。



そして
予算委員会が行われるお部屋。
ちょっと答弁の、真似を。


















総理の席!


私も。どや顔で。




衆議院の議場。




解散後に
党員が全員集合するお部屋で。










国会のお庭には
47都道府県の樹が植えてある。
そこを、お散歩。







ロシア人の慶大生。楽しい😀








ちょっと片手で
国会、持ち上げてみる。笑



お昼は
議員食堂で、
名物《国会カツカレー》。




最後に

外務大臣政務官 武井 俊輔 先生のご厚意により
、外務省政務官室へ。










次世代を担う学生たちは優秀で頼もしく、
彼らが国政や外交で活躍する日が
楽しみ!



孫文生誕150周年記念コンサート~香港

2016年09月20日 | 日中友好
今年は、孫文生誕150周年。

お誕生日が11月なので、9月以降、イベントが目白押し。

まずは香港で、新華集団のジョナサンチョイ会長が
記念のコンサートを開催されました。

フランスから戻ったばかり、でしたが
ご招待いただいたので、1泊2日の強硬スケジュールでしたが
香港、行ってきました。






新華集団と中山市(孫文の生誕地)の共催で
中山市の政治協商会議のトップ、丘先生が
作詞をされ、
美しいメロディーにのせた歌声が披露されました。

中国語は聞いてもわかりませんが
配られたパンフレットを目でたどると
意味は良くわかるので、
孫文の歴史が歌となって流れるのは
とても感動的でした。



丘先生とジョナサンチョイ会長を囲んで



オープニングセレモニーには
香港特別区行政長官 梁振英先生もご参加されました。




テレビで拝見するよりも、すごくお背が高くて
ジェントルマンでした。。。。
やはり
オーラがありました。。。素敵でした!


そして、
孫文ファミリーもご参加されていました!





孫文ファミリーの皆様とは
11月に開催される、中華人民共和国の<孫文生誕150周年行事>で
またお会いすることになります。


今まで、何度も、中山市を訪ねているので
中山市から参加された皆さま、
私のことを覚えていてくださり、
久しぶりの再会も感動的でした。



中山市副市長 とてもきれいな方です!


日本の駐香港総領事館や
商工会議所の皆様も招待されておられました。






コンサートが終わった後は
目の前のペニンシュラホテルで
おしゃべりタイム。




私はchampagneとサラダを頂きましたが
同行の女性ふたりは
夜10時過ぎているのに
がっつり、デザートのチーズケーキも召し上がっておられました。
これが、
パワーの源になるのですね。





今回のホテルは
2回目の滞在となる Intercontinental Hongkong.
ここは
風水的に素晴らしい場所にあり、
ハーバービューのお部屋からの眺めは最高。

ずいぶんと、リフレッシュ出来る空間です。


翌日、帰りの空港で可愛らしいキャラがいました。
名前はわかりませんが、
なぜか癒されました。

私は、こういう系に弱いんですね。
ふなっしー、バーバパパ系というのか。
ぼわ~んとした癒し系。





1泊2日の香港滞在。

羽田空港からだから、
沖縄とか、に行く感覚とほぼ同じかな。

行って良かった!



孫文梅屋塾、開講

2015年03月08日 | 日中友好
3月2日、長崎で
孫文梅屋塾が開講した。

上海、武漢など孫文梅屋所縁の場所と
長崎との縁が深い福建省から
20名の大学生が長崎に。

そして、長崎市内の学生20名と
講義を聴いたり、
ディスカッションをしたり、
民泊を経験したり、して
交流を深める4泊5日のプログラム。



孫文梅屋夫妻の三人の銅像の前で
記念撮影



私は2日目の午前中、
孫文梅屋の友情の歴史の講義と
museumの案内係りを仰せつかった。

私が
今、そしてこれからも続けていきたい
ライフワークが、これ。

次の世代の子供たちにこの歴史の
大切さを伝え、孫文や梅屋が夢見た
平和なアジアを築く、
小さなきっかけにしてほしい。



















たくさん質問も出て
私なりに正直な気持ちを伝えることが
出来たかな。

中には
涙ぐんでいる学生さんたちもいたのだとか。

なんだか、
伝える、伝わる…って嬉しいな。






講演の後は、
孫文梅屋museumを見学。

タッチパネルの新しい展示手法を
とても喜んで観ているようだぅた。






全てのscheduleを終え、
長崎県の担当の方けらメールが届いた。

今回の学生さんたちは
互いにこれからも交流を続けたい
ということで
同期会まで、発足したのだとか。

なんか、とっっっっっても
嬉しい!


天国の
孫文先生も、
梅屋夫妻も、
そんな光景を微笑みながら
見守ってくださっているように、思う。

ソウルメイトがいるとするならば・・・

2014年05月07日 | 日中友好
<ソウルメイトがいるとするならば・・・>



2014年4月26日。
日本の地図でみると、長崎は西の端だけれど
アジアの地図でみると、そこは真ん中。


この日、
香港、上海、北京、武漢、中山、南京、広州、台湾、シンガポールから・・・
そして、
東京、神戸、福岡、大分、北九州、熊本、宮崎と長崎県の関係者含め
150人もの方々が
長崎市松ケ枝にある旧香港上海銀行長崎支店内に出来た
<孫文・梅屋庄吉ミュージアム>の開館を祝うために集ってくださった。






旧香港上海銀行長崎支店は国の重要文化財。
重厚な明治時代に建てられた洋館。
当時建築界の異才とよばれた下田菊太郎の建築。





その前には2011年に中国から寄贈された
孫文と梅屋夫妻の3人像が建っている。






今回の開館式の模様を
オフショットも交えながら、ご紹介したいと思います。




開館式会場に入ると。。。




シンガポールからの友人たち(シンガポール孫中山記念館 館長)



このミュージアムも立ち上げるために学術的に
多大なるご協力をいただいた 東京大学の川島真先生、北九州市立大学の横山先生




そして、孫文の生まれ故郷中山市からは
副市長がご臨席!







アジア各地にある孫中山記念館の皆様との記念撮影がしばし続く。。。





そして、開館式では私もご挨拶をさせていただいた。








~12歳で生まれ故郷中山からハワイに渡られた孫文先生、
14歳で長崎から上海に渡った梅屋庄吉、江戸時代から唯一世界に扉を開いていた長崎にふさわしい
インターナショナルな、国境を越えた友情がここに大集合しています。

孫文先生と梅屋をはじめ、多くの中国の革命家と日本人は志を同じくし
ともに協力した時代が近代のアジアにはありました。
しかし、その後、お互いを引き裂く、つらく悲しい歴史が長く続いたため
アジア人同士、ともにたすけあったこの歴史は近代史の底に埋もれていきました。





来年で戦後70年になります。今、私たちはご先祖さまが命がけで守ってくださった<平和>の世を生きています。
そして、おそらく、私たち日本人も、中国の方々も、アジアの方々も
共通の願いは、次の世代にもこの<平和>をプレゼントすることだと思います。


そのために、
ご先祖さまが残してくれた<歴史>をしっかりと学び、伝えていくことが大切だと思います。
その歴史とは奪い合い多くを失くした哀しみの歴史でもあり、
また
助け合い、大きな明るい平等な世界を共に夢をみた歴史でもあります。
私たちはそのどちらも次の世代に伝える使命があると思います。

そしてそれを学んだ次の世代のこどもたちは、どの道を進むのが幸せな道であるのか、
考え、行動するようになるでしょう。。。。。(続く)~




テープカットも和やかに。。。







長崎県 中村知事と、何やら楽しそうに。。。






中山の副市長は、私のスピーチに大変感動した、と
再度、話かけてくださり、名刺をください、と言われて、お渡ししているところです。








色々大変だった準備。
いつも笑顔で、ここまでひっぱってくださった長崎県の土井口さん。








大分や北九州からも孫文つながりでお知り合いになった国際課の方がかけつけてくださいました。




アジア各地、長崎の関係者の皆様と集合写真



香港のVIPをお見送り・・・











レセプションでは
孫文・梅屋夫妻の小さな金の銅像が寄贈されました。
こちらもミュージアム内に展示されるそうです。






お世話になった先生方と。。



2010年から九州や香港の皆様とお付き合いが始まりました。
4年の間、ずっと私の活動を応援し、色々な出会いの場を作ってくださった方々がいらっしゃいます。

年齢も、性別も、国も、職業も、住んでいる場所も・・・
いつもは
何もかも別なのに

<志>が導くのか、
いつも大切な時には必ずいてくださる方々。

もし、
ソウルメイトがいる、とするならば
皆様、
私より年上でお立場も上の方ばかりですが。。。

この繋がり、導かれ方、は
本当にソウルメイトだから、というより他はないように感じます。


だって、これによって、1円の利益があるわけではなく
(むしろ、自腹が多いです)
自分たちの職位が高くなるわけでもなく

本当に純粋に<志>で、なぜか集い、助けあえるのです。。。。

おそらく、
梅屋庄吉とトクが私の使命を全う出来るように、と
出会わせてくださった方々なのだと思います。


ここまでの、長い道のりをともに歩んできて、導いてきてくださった方々は
この方々。。。











佐々木さまと傍示兄さま。
この博多のお二人がいらっしゃらなければ
九州でここまで、孫文と梅屋はじめ、日本人のことが知られることはありませんでした。。。





働く女性として、最も尊敬している香港貿易発展局の古田さま。
古田さまがいらっしゃらなければ、香港の財界の方と九州各県を孫文でつなげることはできませんでした。。。




自費で、香港で<孫文・梅屋庄吉展>を開催してくださった
ジョナサンチョイ氏。
世界中を飛び回る多忙な方でいらっしゃるのに、こうして、開館式に参加してくださいました。。。




長崎にここまで梅屋庄吉を広げるために
ご尽力いただいたのが藤井前長崎県副知事。







そして、長崎でいつも私を守り、導いてくださる藤さん。(写真中央)



あとから、これらの写真を観て
私のこの方々といる私の笑顔が、本当に嬉しそうなのは
魂が喜んでいるからだな、と思いました。




~(スピーチ続き)

今日、あらたに、その歴史を伝えていく大切な役割を担うこのミュージアムが誕生いたしました。
この建物そのものも
私たちに多くを語りかけてくれる、重要文化財であり、
これ以上ない、素晴らしい場所にミュージアムを作ってくださった長崎県・長崎市の方に
心から感謝いたします。

日本中の、そしてアジア、世界から多くの方がここに来て
孫文先生と梅屋庄吉のTransnationalな生き方に触れていただきたいと思います。

その、生き方こそが、経済や環境、さまざまな分野で
世界の国々と繋がっている
現代の地球に生きる私たちに、必要なものだと思うからです。

梅屋庄吉・トクの曾孫として
これからも皆さまと一緒に
ここから、平和の発信をしつづけていきたいと思います。  ~














大阪 太閤閣

2013年12月13日 | 日中友好
大阪 太閤閣



大阪では香港のVIPをお迎えして
北九州市立大学とのMOU調印後の今後の方針を決める
ミーティングに参加しました。

そのあと、
太閤閣、という東京でいう椿山荘や八芳園のような趣の場所で会食となりました。





会食後、お庭が素晴らしい、ということでみんなで散策することに。。。






お天気も良く、
過ぎ行く秋を満喫しました。






BIGなお三方。ちょうど3本の枝ぶりのもみじの下で。。。















そして、私の大好きな白鷺もいて。。。
こんな素敵な1枚の写真が撮れました!







香港、九州、東京から
大阪に集まり、ミーティング。。。


アジアは動いている、という言葉を
私なりに
かみしめた、午後となりました。。。




2013年ラストの講演会~千葉商科大学

2013年12月13日 | 日中友好
2013年ラストの講演会~千葉商科大学








2010年の上海万博の頃から
是非、講演を・・・と思ってくださっていたのだとか・・・


今年最後の講演会は
千葉商科大学政策情報学部のUnivesity Hour。

ご依頼いただいたのは
女性初のNHKキャスターであまりにも有名な宮崎緑先生。
現在は
千葉商科大学の政策情報学部長をされていらっしゃいます。









島田晴雄学長、宮崎緑学部長とご一緒に。。。。



今年の講演会ラストにふさわしく
750名の大人数の学生たち。。。







大阪観光大学の客員研究員の
高橋先生も会場に駆けつけてくださいました!












インターネット中継。。。





さすがに750名の学生というと

ざわつきあり、おしゃべりあり、居眠りあり。。。。

ましてや私の講演の内容は
難しい中国と日本の近代史の一コマ。。。。


でも、私は若い人たちにこの歴史を伝えていきたい、と
思っているので、

これからは

”孫文なんて、知らな~い。”
”日中関係なんて、興味な~い。”


といった若者に
どうやって、このストーリーに興味を持ってもらえるのか、を

真剣に考えて、取り組んでいきたい・・・と

ある意味、
闘志が沸いてきた、講演会でもありました。


貴重な機会をいただき、
心から感謝申し上げます!



立命館アジア太平洋大学で、講演

2013年12月07日 | 日中友好
立命館アジア太平洋大学で、講演



2013年10月23日。

キャンパス内には中国語、英語、韓国語が飛び交う
立命館アジア太平洋大学(APU)で、講演をさせていただいた。

大分在住の村山元総理も雨の中、わざわざ
私の講演を聴きにいらしてくださった。

なんてありがたいことだろう!





村山元総理とは
辛亥革命100周年実行委員会立ち上げで初めてお目にかかり、
その後、
2012年3月にはご一緒に北京に
東北の大震災で被災したこどもたち100人を連れていく、という
中国宋慶齢基金会と中国政府のとても心温まる行事に同行させていただいた。

村山元総理は90歳(近い?)くらいになられるが
しっかりお歩きになり、
私ごときのことも、全部覚えておられ、
講演に先立ち、私との関係についても詳しくお話してくださった。










台風が近づいているという悪天候の中、
山の上にあるキャンパスまで聴きに来てくださった
多くの皆様にココロから感謝。

次は学生さん向けに、お話する機会をいただければ、と
思った。

今まであまりクローズアップされていなかった
大分と孫文の関係についても
この講演のために少し調べた。

このことが、後で大きく大分と香港をつなぐプロジェクトに
繋がっていくことに・・・なった!


また是非、訪問させていただきたい、
素敵な大学。

立命館アジア太平洋大学。






大阪 熊取町図書館での、講演会~2012.11.23

2012年12月02日 | 日中友好
大阪 熊取町図書館での、講演会~2012.11.23




11月23日は梅屋庄吉の命日。

不思議に昨年も横浜でシンポジウムを兼ねた講演の機会があり、
今年は大阪 熊取町図書館で、講演会となった。

この場所で講演会をすることになったのは
この春、
私が大阪観光大学の客員研究員にご推薦いただいたご縁。

その火付け役は
現在、埼玉の共栄大学で観光関係の授業で大人気の小堀貴亮先生。
大阪観光大学の関係者にも
梅屋庄吉のことを色々なかたちでお伝えくださり、
熊取町の田中さまが予算を立てて実現に導いてくださった。




熊取町の田中さまと小堀先生とご一緒に



会場内には梅屋夫妻や孫文夫妻のパネルを飾るなど
大変うれしい準備をしてくださっていた。





この日は梅屋庄吉の命日、とあってか
講演している写真にいくつか玉響が写っている。。。














なんとたっぷり、90分講演させていただいたあと、
質問が相次ぎ
(皆さん、大変ご熱心であられたので。。。)
なんと通常、質疑応答というのは10分程度なのだけれど
30分も、その時間となった。。。





講演会には
大阪観光大学から

住木先生、崎本先生も駆けつけてくださり
図書館館長さまもと一緒に記念撮影。






さすがに、120分、休憩なしの弾丸トークは疲れました。。。。が
大阪、という場所での
はじめての講演会、想い出に残る、充実した時間となった。



終了後、熊取町にとってもお洒落な<レンガ館>という場所があって、
そこで
皆様と楽しくケーキとお茶をいただきながら、歓談。


実は私は
大阪観光大学の崎本先生、住木先生、そして
共栄大学の小堀先生の3人とのおしゃべりが大好き。

ホントに楽しい方たちなのです!






また来年の温泉講座の時には
大阪観光大学で先生方のお話をお聞きするのを楽しみに。。。。


大阪、熊取町での講演会の、話。



<孫文・梅屋庄吉~二人をつないだ上海・長崎>展 開幕式 2012.9.1

2012年09月10日 | 日中友好
<孫文・梅屋庄吉~二人をつないだ上海・長崎>展 開幕式 2012.9.1







2012年9月1日。

上海にある孫中山故居記念館で学術交流会議<孫文・梅屋庄吉~二人をつないだ上海・長崎>が開幕しました。





上海市と長崎県が日中国交正常化40周年を記念して開催したもの。
私は史料などの貸出にあたり、<特別協力>。


開幕式の前、
中国人民政治協商会議上海市委員会の周漢民・副主席と
長崎県石塚副知事を中心に懇談の席が設けられました。






上海市泉総領事もご出席いただきました





開幕式にはこんなに大勢の方々にご臨席いただき、
お天気も良く、
素晴らしい幕開け。




関係者席




ご挨拶させていただきました




開幕式で中国人民政治協商会議上海市委員会の周漢民・副主席は
「100年前に孫文たちの革命は梅屋らに支えられた。両国人民のきずなは強くなっている」と述べられました。




長崎県石塚副知事も
上海市と長崎県の古くからの交流、そしてこれからの友好交流について
(原稿なし、で)素晴らしいご挨拶をされました。



泉上海総領事はいつものように
日本語と中国語、ご自分で両方お話されました。







私も、私たち世世代代、上海とはほんとうに長いお付き合いなので
スピーチにも力がはいりました




テープカット



精華大学孫文塾でご一緒の
ヤマト運輸の田村様もかけつけてくださいました。




私のメダルは
白玉蘭賞でいただいたメダル。



今回も大変お世話になった
上海孫中山記念館の館長さんと学芸員の皆様と。。。





そして、
上海でのさまざまな活動を全面的に協力してくださり
とても大切な友人でもある

上海市人民対外友好協会の王加新先生と周国栄先生。



おりしも
北京の丹羽大使の車の国旗が奪われる、というニュースで
日中関係が悪化している中で行われた今回の開幕式。

メディアもたくさん駆けつけて報道してくださいました。

香港のフェニックスTVと日本のNHKからは
タイムリーな質問をなげかけられましたが
私の、日中関係に関する軸は変わらないので
笑顔で応対させていただきました。


この展示会は10月21日まで開催の予定です。






白玉蘭賞の受賞式 ~上海にて  2012.8.31

2012年09月10日 | 日中友好
白玉蘭賞の授賞式  ~上海にて  2012.8.31




上海市人民政府より外国人で上海の発展や文化交流などに貢献した人に贈られる
<白玉蘭賞>。

白玉蘭、とは日本でいうと<白い木蓮>の花。
上海市の花。

日本から数千社といわれる進出企業の総経理にとって
この賞を受賞することは会社にとってもメリットがあるそうです。

私は世世代代の友好交流と
孫文・梅屋庄吉の友好交流の歴史を広く
上海をはじめ、中国・日本国内にも広めたということが受賞の理由。

日本人で文化交流として受賞するのは珍しいと聞きました。




上海市人民政府外事弁公室室長 李銘俊先生と



授賞式は9月中旬ということなのですが
今回、私は上海市と長崎県が共催する学術交流会議<孫文・梅屋庄吉~二人とつないだ上海と長崎>の
開幕式が9月1日なので
私がそれに合わせて訪中するので
特別にその前日、外事弁公室で執り行われました。




和やかな雰囲気で会談






上海市からは外事弁公室、対外人民友好協会、
孫中山・宋慶齢文物管理委員会、孫中山記念館館長らが出席。


私がこの賞を受賞することを
たまたま2日前、長崎に日帰り出張の折にお話したら
長崎県サイドも
県議会の馬込先生、観光局長 坂越さま、長崎歴史文化博物館大堀館長・・・
もご参列されることになった。




私も友好交流の大切さ、についてお話をさせていただきました





オリンピックのような立派なメダルをいただき・・・



握手。。。。





賞状もいただきました。。。





上海市・長崎県の皆様と記念撮影。





私からも李先生に日本からのお土産を。。。。


大変名誉ある賞をいただき、心から関係各位、
そして
今まで私を支えてくださった方々に感謝申し上げます。

ありがとうございました。




白玉蘭賞受賞 感謝と御礼を申し上げます

2012年08月31日 | 日中友好
白玉蘭受賞 感謝と御礼を申し上げます



本日、2012年8月31日
上海市政府から白玉蘭賞を受賞することになりました。

上海市政府、上海市人民対外友好協会の皆様に御礼を申し上げます。


白玉蘭賞は上海市の社会的・経済的発展、文化交流に突出した
貢献のあった外国人の専門家や学者、企業経営者をたたえるため
上海市が外国人に授与する賞で受賞者には名誉市民の称号が与えられるとのことです。


受賞するにあたり
これまでの経緯とお世話になった方々にあらためて感謝申し上げたく
振り返ってみようと思います。



ご説明するまでもなく
私は梅屋庄吉夫妻の曾孫であります。

ただそれだけであり、私が何か大きなことをしたわけではありません。
しかしながら
今回の受賞は中国と日本にとって大切でありながら
埋もれていた歴史を中国と日本に広めた功績と
世世代代にわたる友好交流を続けたということが受賞の理由であります。




上海万博<孫文と梅屋庄吉展 開幕式テープカット> 2010.7.24



梅屋庄吉が他界した後、
日本と中国は戦争状態となり、
国交回復にも時間を要しました。


国交回復後、当時、共産党副主席となられていた
孫文夫人の宋慶齢女史は梅屋庄吉の娘、千世子(祖母)夫妻を北京に招待しました。
そこから、
私ども梅屋家と中国の交流が復活いたしました。


それは、私の母、梅屋庄吉の孫、にも受け継がれました。
私の両親は学者の先生に史料を公開したり、
中国の方々との交流、とくに宋慶齢基金会の活動に積極的に参加いたしました。

まだ貧困地域であった寧夏に鉄筋コンクリートの小学校・中学校の建設は
父が主導して行いました。





香港での<孫文・梅屋庄吉展開幕式> 2010.9



ところが、梅屋庄吉の名前は一般的には知られることはなく、
ある学者の先生からは<偽もの>と言われたこともあり
誠心誠意、この歴史を伝えようとしていた父と母は何度かひどく落胆し、
とても大変な時期が20年も続きました。


私はその両親の姿を見ておりました。
そして
いつしか、その歴史がいかなるものであるか、について頭に刻み込まれていきました。


母は病弱でした。

中国へ訪問したり、取材などの対応の度に病気になり、入院することもありました。
そして、国交正常化30周年にあたる2002年、
読売新聞西部本社が梅屋庄吉について
連載・展示会を企画してくださいましたが
その対応が母にとっては激務となり、心臓原発の悪性リンパ腫にかかりました。
東京で行われた展示会の開幕式には
病院から駆けつけ、数時間後にはまた入院となりました。

それから4年間、長い、壮絶なガンの闘病生活となりました。





北京宋慶齢故居記念館での展示会 お世話になった外務省 横井元中国公使と  2010.9



2006年 4月  母が他界いたしました。

母が他界した後、
母が病弱ながらも懸命に努力した梅屋庄吉の功績を伝える仕事の役割は
必然的に私にまわってきました。


残された史料を見ながら
こんなに貴重な歴史を日本人も中国の方も知らない、というのはやはりおかしい。。。。


母が他界してはじめて、
私はこの歴史の重要性を認識いたしました。


・・・・


ここからが、私のストーリーとなります。




中国人民大学のシンポジウム。 進藤栄一先生と  2010.9





2008年から今日までそれは
神様があらかじめ道筋を描いてくださっていたように
不思議な出会いの連続とご縁で広がってきました。


2008年 5月、
中国の国家元首として10年ぶりに胡錦濤国家主席が訪日されました時に
はじめに、松本楼にいらっしゃり
当時の首相であられた福田康夫先生と胡錦濤国家主席に
孫文と梅屋庄吉の歴史資料をご説明することになりました。


ここで、もちろん、猛勉強することになったわけです。

そして、梅屋庄吉について書かれた本が殆ど無い、ということに
疑問をもたれた福田先生に勧められ
私が本を書くことになりました。




上海同済大学 2010.7


2009年 11月23日 私の本が世の中に誕生しました。

初版本が手に届いた時に
おどろいたのは、日付が11月23日になっていたことです。

これは、梅屋庄吉の命日だったからです。
命日の日に、本が誕生したわけです。
もちろん、講談社の方は誰もそんなこと考えていませんでした。



作家でも、学者でもない私が本を書く、というのは
それはそれで、
かなりのチャレンジでした。
新聞各紙にも書評などが載りました。
そのほとんどが興味と関心をよせてくださった一方、

某国立大学名誉教授からは新聞紙上で徹底的にたたかれ、
その学者の先生によって
私の悪口を書いた文章を北京や日本の孫文関係者に配られたこともありました。


一番最初の原稿、A4にワープロで120枚くらいになったでしょうか、、、
それを
講談社の担当 中村様に渡し終えたその後、倒れました。

出版にこぎつけるまでにも
本当に多くの方々にお世話になりました。
当初、自費出版を考えていたところから講談社に導いてくださった穴口恵子先生、 
貨幣価値の換算や庄吉の精神を伝えようとお手伝いくださった田代秀敏先生・・・。

その後、この本は<革命をプロデュースした日本人>
中国と台湾でも翻訳・出版されました。

誰も知ることのなかった梅屋庄吉を広く伝えるきっかけになったのが
この本でした。
無名の私の本を出す、大英断を下してくださった
講談社の中村様には感謝の言葉がみつかりません。







香港元行政長官の別荘にて  展示会の後の昼食会   2011.9




本が出版される頃から
2010年の上海万博日本館のイベントステージで<孫文と梅屋庄吉展>を5日間開催するという
流れになってきました。


この上海万博の準備は
なにしろ
私個人で資金集めから始めなくてはならないことでしたので
途方に暮れることも多く、
上海のホテルで夜中に泣いていたことも度々ありました。




本当に支えてくれた寅次郎兄、谷野元中国大使たちと。。。上海同済大学キャンパス   2010.7



梅屋庄吉の歴史を伝えていくのは
全くもうかる話しではないのに
利用しようとする人も出てきました。

しかし不思議と、
そういう方とは縁が切れて

ココロから応援してくださる多くの方と出会っていくことで
素晴らしい展示会を開催することが出きました。




長崎 田上市長 ご来館  2010.8



岡田元外務大臣 ご来館  2010.8



この上海万博のイベントは
上海の大学生ボランティアの皆さんが運営してくださいました。

本当にこの学生さんたちと
このイベントが出来たことは、ココロに深く深く残る、最高の宝ものです。

上海万博にかかわってくださったすべての方と
ボランティアで活動してくださった関係各位、学生の皆様に
改めて感謝申し上げます。








上海万博 ボランティアの学生の皆様と 2010.8




こうして、上海万博のイベントが大成功したことで
多くのメディアの方~日本や中国でとりあげていただくことになりました。


そして、この上海万博開催の準備期間中に
藤井前長崎県副知事、藤前長崎県参与と出会い、
長崎県とのさまざまなご縁が始まりました。



その後、
元早稲田大学総長の西原春夫先生のお力をお借りして
北京、武漢で展示会とシンポジウム、

その他、広東省中山市、香港(中華総商会主催)での展示会、
東京国立博物館、長崎歴史文化博物館での展示会を開催してまいりました。


中国での展示会は
上海孫中山記念館の全面的な協力のもと開催することが出来ました。
こうして
私と上海の皆様との絆も深まっていきました。

また中山での展示会は
中山と上海の孫文記念館同士がはじめて
一緒に展示会を開催する、というように
日本と中国だけではなく、中国の横のつながりも作っていきました。




広州日本総領事館主催講演会  2011.9


そのほか、
中国各地、日本国内で数えきれないほど多くの講演会の機会をいただき
多くの方にこの友情の歴史をお伝えすることが出来ました。


そして何より嬉しいことは
来年から東京書籍の高校の世界史Bに
梅屋トクと孫文夫妻の写真入りで
梅屋庄吉夫妻が紹介されることになりました。

ですから
来年以降の高校2年生は
梅屋庄吉のことを勉強することになります。


数年前まで全く無名であり
歴史の底に沈んでいたその名前が
教科書にまで紹介されるようになったこと。。。。

曾孫として、
これ以上に嬉しいことはありません。

難しい東アジア情勢、
ことさら歴史問題はさまざまな観点から学んでいくことが大切だと
常々思っております。




他にも。。。。
おそらく色々な活動をしていたと思いますが
主なものだけ書き上げました。




福田康夫先生、香港貿易発展局 古田様と香港にて  2011.9



ご多忙のところ
中国と日本国内の全ての展示会の開幕式にご参列くださり
ご支援やお励ましを賜りました福田康夫先生、谷野作太郎元中国大使。
このご恩は一生忘れません。



そして、他界した母が自分のかわりに。。。と
おそらく私に出会わせてくれたと思われる
<3シスターズ。>

中国のことを何も知らなかった私に
知恵と人脈と元気と勇気と色々な機会を与えてくださった

香港貿易発展局の古田様、
青柳敬子様(とご主人の昌司様)。

そして
本の原稿を書き上げた後、動けない私にお粥を食べさせてくださったり
たくさんの悩みを聞いてはげまし続けてくださった

永野寿子様。


そして、泣き虫な私をいつも色々な形でサポートしてくださった、寅次郎兄。

お金集めから仕事のフォローまで全部助けてくれた松本楼の吉田専務。

この方がたの
プライベートにもわたる
ココロからの支えが無くては、私は何もできませんでした。



上海市人民対外友好協会の王先生、周先生と
上海孫中山記念館の関係者の皆様、
上海・南京・北京・香港・中山の友人たちにも心から感謝申し上げます。


長崎県中村知事、田上市長をはじめ
長崎の皆様、長崎新聞、長崎の各メディアの方々にも本当にお世話になりました。



日本経済新聞社前会長 杉田様、毎日新聞社社長 朝比奈様には
この歴史を広げる上で多大なるご支援を賜りました。


JR九州会長 石原様、FM福岡社長 佐々木様、
西日本新聞社長 川崎様、傍示兄・・・はじめ
九州の経済界の皆様にも力強い応援をいただきました。
この孫文・梅屋の文化交流を皮切りに
九州と香港・マカオの経済・学術交流の絆が深まりつつあることを心から嬉しく思います。


そして、
寺田晴子さんはじめ学生時代からの友人たち、
本を読んで梅屋庄吉ファンになり、万博へ寄付をいただいた方がた、
とくにAOKIホールディングスの青木会長さまには
ポケットマネーといいながら、多額のご寄附をいただきました。

国立博物館での展示会、準備期間が短かったにも関わらず
奔走してくださった毎日新聞社の立川様はじめ多くの関係者の皆様、
外務省の関係各位、
読売新聞、朝日新聞、東京新聞、共同通信はじめ国内外のメディアの皆様、
万博の仕切りをしてくださった株式会社ムラヤマの皆様。。。。


こうした梅屋庄吉関連の活動は
すべてがボランティアに近いものであり、
(事業としては利益が出るはずもなく赤字だと思います)
アジアの平和を志した孫文・梅屋の思想に共鳴してくださった方々によって
広がりをもっていきました。


その結果、
本日、上海市政府から白玉蘭賞の受賞という運びになったわけです。

ですから
これは私が代表をしていただくことになりますが、
関わってくださった全ての方にいただいた賞だと思っております。



日本と中国の間には
難しい問題が山積しております。

それでも私は
梅屋庄吉の曾孫として、

平和を願う
ひとりの地球人として、

この歴史と
この歴史に共鳴してくださり、支えてくださった皆様に感謝しながら

これからも
微力ながら、努力していきたいと思っております。



長文になりました。

本当にありがとうございました。