Happy-sanになろう!

Happy-sanな日々をご紹介するブログ。旅のお話もいっぱい♪

上海食事情2008

2008年11月29日 | せずにはいられない・・旅の話
上海食事情2008



さて、今回は朝食以外は
全て<上海料理>。

上海料理は薄味なので
日本人の私達の口にあう。

10皿以上の小皿が並ぶ前菜からスタート。
当然、今は<上海蟹>の季節。
私は修行が足りないので殆どを残してしまうことになるのだけれど・・・



今回の旅で一番美味しかったのは
新天地にある、会員制倶楽部<新天地>の料理。





センターピースのフラワーアレンジメントも
中国?とは思えないほど
センスのある素敵なお花。


料理は上海料理ながら
全てお洒落で、いわゆる新しいアレンジが施された
ヌーベル・キュイジーヌ風。




蒸したかぼちゃをくりぬいた器に
蟹とフカヒレの熱々のスープ。






あわびのスープで味付けされた
リゾット風のチャーハン


この新天地のお料理は
日本のホテルの中華料理よりも
ずっと美味しい。


”中国製”の食材などが問題になっていることなど
すっかり忘れていた。




この新天地でのレセプションを主催してくださった
上海市人民対外友好協会の理事の先生と
お土産の交換を・・・。








さて、こちらは豫園の緑廊楼のテーブル。

ブログにも書いたように
ここはクリントン元大統領夫妻や日本の羽田元首相をはじめ
世界40カ国の国家元首が訪れたという
老舗の上海料理レストラン。




海老を2つの料理法で調理したものと
手前のお料理は上海の精進料理みたいな麩の料理



魚料理を出されたら、少しでもいいから
とって頂くのが流儀なんだそう・・・。



そして!
絶品のショーロンポー

このレストランの近くには
ショーロンポーの専門店があり、夜でも長い行列が。





そして、出ました。上海蟹。

可愛くお皿にのっているのだけれど
日本の蟹のように大きくないし
お皿の上で解体作業をするのも、何となく・・・


ところが、上海の方々は
上海蟹が供された瞬間から、無言になり
ひたすら自分の流儀で上海蟹にかぶりつく。

私は上海蟹と同時に供される
しょうが湯を飲みながら、
ぼんやり皆さんが上海蟹に没頭している様子を眺める。

私には貪欲さが、足りないのかもしれないとふと、思った。




私がこのレストランで一番気に入った料理が、これ。

ハンドバッグの形になっている点心だ。

これはポテトで作られた、ほんのり甘いデザートの1種。




続いて食後の甘味が出てくる。


途切れることのない会話と乾杯。


中華料理の丸いテーブルは
誰とでも仲良くなれる魔法のテーブルかもしれない。




豫園な、夜

2008年11月28日 | せずにはいられない・・旅の話
豫園な、夜



・・・あまりに多忙な日々で中途になった
上海ブログ、本日中に”豫園な、夜”と
”上海食事情”を書き上げよう




豫園商城
上海万博のイメージマスコット像がお出迎え



お伝えしているように自由時間が無かった今回の上海訪問。

この豫園もきっと
ゆっくり歩いたら掘り出し物などが見つかって
とても楽しそうなところ。

”上海の浅草ですよ。”

と説明を受ける。


壮麗な古い明清建築の建物が軒を連ね
ライトアップされ、幻想的。

殆どがお土産などを売る店のようだったけれど
有名なショウロンポーの店などがあり
行列を作っていたり、


先日の”新天地”が東京でいう青山界隈ならば
確かに”豫園”は浅草っぽいかも、しれない。




緑波廊酒楼




ここでは、豫園商城の九曲橋の横に位置する
<緑波廊酒楼>という
上海の伝統料理のレストランで

孫文宋慶麗文物管理委員会主催の
レセプションが行われた。




語学の天才頭脳を持つ周さんと、孫館長と乾杯





文物管理委員会の方と。(オーブがふわり)


相変わらず、
”ニイハオ””シェイシェイ””サイチェン””カンペイ”の
四つの言葉しか話さない私だけれど

お酒を酌み交わしながら、
相手が中国語で色々話してくるのを
ハートで感じる。







挨拶もかなり、慣れてきました


このレストランは、
アメリカのクリントン元大統領をはじめ
世界40カ国もの国家元首をお迎えしているというレストラン。

ちなみに日本からは
元羽田首相がいらしたようだ。

次ブログ、<上海食事情>でお料理については詳しく。



この豫園、とてもにぎやかな場所なのだけれど

にぎやかな場所だけに

玉響(オーブ)の数が・・・・

半端ではなかった・・・







雪が降っているようにみえるかもしれないけれど
これ、大量の玉響たち。


満月にはまだ2日ほど早い
月明かりに照らされた建物を撮影しようとしたら・・・


夜空いちめん・・・

玉響たちがいっぱい。








こちらも何気なく、木を撮影しようとしたら
玉響さんたちがいっぱい、いっぱい。



生きている私たちが楽しいなあ・・・と思う場所には
玉響さんたちも観光や散歩に来ているんだなぁ・・・


しかし、空から降ってくるような
大量の玉響さんたちにはさすがの私もびっくり。







今回の上海訪問で大変お世話になった王先生と
九曲橋のところで、撮影。

まるで、雪の中、撮影したみたいだけれど

これ、玉響のみなさん。

さすが、観光地慣れしているというか、
撮影にも快く答えてくれてますね。(笑)




幻想的にライトアップされた中華な建物と、
楽しい友人たちと囲む温かい食卓。

そして、

特別に

たくさんの、たくさんの
玉響(オーブ)さんたちが出迎えてくれた


上海、豫園の、

不思議な夜の話。









上海 Garden Hotel~花園飯店

2008年11月20日 | 旅館&Hotel
上海 Garden Hotel~花園飯店





今回の滞在2泊は、上海 Garden Hotel、花園飯店。
ホテルオークラ系列のホテルで
上海で始めての外資との合弁ホテルなのだという。





ホテルのスタッフは殆ど日本語が話せる上、
上質な土産を取り揃えた三越がテナントで入っている。

ヘアサロンにも日本人のデザイナーさんが常駐しているし、
上海在住の日本企業のパーティーなども
良く行われるそうだ。

つまり、日本にいるのと何ら変わりない上質のサービスと
安心感があり、

さらに、立地も好条件、
建物は古き良き時代の上海を彷彿とさせるクラシカルなもので
その雰囲気も味わえるし、

日本人旅行者には
最高のホテル、といえるかもしれない。









今回の滞在は、上海対外友好協会の方が
ガーデンビューのツインルームを用意してくださった。


前回滞在した
浦東シャングリラホテルのような
ゴージャス感あふれるインテリアやアメニティは無いけれど


シンプルで、落ち着きがあり、
何しろホテルオークラ系列ということで
食事も安心出来ることから
トータルではポイントの高いホテル、と言える。


特に今回の私のように
5分、と自由時間の無かった者にとっては

テナントの”三越”が大変役に立ち、
夜遅くと朝8時頃に飛び込んで、
ひととおりの土産を買う事が出来た。

外資のホテルでは、高級ブティックしか
テナントに入っていない場合が多いので
これは本当に助かった。






ガーデンホテル、というだけに
窓から見下ろすと
上海のにぎやかな街の中に
美しい庭が広がる。



早起きして、散歩でも・・・と思いながらも
 
最初の朝は、 スピーチの原稿を書き
二日目の朝は、お土産を取り揃えるのに必死・・・

というわけで、
この美しい庭は、眼下に眺めるだけ・・であった。






上海の街と美しい庭を眺めながら、部屋で朝食をとる





ホテルでは私は目覚ましがわりに
ルームサービスで朝食を運んでもらうことが多い。

今回はラッキーなことに、
バイキングなどで使える<朝食券>でルームサービスも可能だったので
とってもお得な気分を朝から味わう。




ホテルのロビー


最初は、

浦東シャングリラか
Westinなどにある”SPA”が
このホテルには無いので、そこが気になっていたのだけれど

今回結局、”SPA"に行く時間など
取れなかったハードスケジュールの滞在だったので

かえって、移動に便利なこのホテルで良かった、と
つくづく思った。

つまり、
忙しい日本人ビジネスマンあるいは
忙しい日本人観光客向けに最適なホテル、というわけだ。



夜、ホテルはライトアップされ
ため息が出そうなほど、美しくなる。

上海の古き良き時代をその姿に
オーバーラップさせながら
ホテルの部屋へと向かったのだった。













Happy-san's 2nd Anniversary

2008年11月18日 | 見つけたHappyたち
Happy-san's 2nd Anniversary



上海の報告ブログ、ちょっと中断。

なぜなら、今日は

”Happy-sanになろう!”ブログを立ち上げて
丸2年目となる記念日だから。

そして、数えてみると
このブログは丁度、500回目の記事となる。






2006年は長いトンネルから脱出するために用意された
激しい揺さぶりの毎日だった。

そこから這い上がることが出来たのは

ストーンたちのおかげでもあり、
オーラソーマの色の神秘のおかげもあり、
スピリチュアルな導きがあって・・・


少しづつ、少しづつ
”幸せ””Happy”を感じられるようになり

そして、

昨年から始まった新しい流れは
今年に一挙に加速した。


それはもう、このブログを読んでくださっていらっしゃる
皆様には良くお分かりで・・・



ただし

人の世を生きている以上、
手放しで”Happy"”Happy"とばかり言ってもいられず、

<意識>をどこに向けるかによって
<Happy>を引き寄せることの、練習の毎日。


最近は特に


”求めない。”

”手放す。”

・・・<Happy・幸せ>をその局面から感じていこうという学びの時期。








2009年は一体どんな年になるのだろう。

ぼんやりとして何も”色”が浮かばなかった。


なぜなら、いきなり年末から年明けにかけて
悲しい出来事があることが、わかっているからだ。


・・・ところが・・・


クリスタルヒーラーのKYOKOさんは

くすっと笑いながら、


”来年、とっても明るいですよ。
 楽しい一年になりますよ
 ワクワクするようなこといっぱいですよ。”

と、

私のどこか遠くの存在とコンタクトしながら話してくれた。



・・・ そっ、そうなんだ。いい年になるんだぁ・・・


何でも、自分が思い込むのが一番。

その思い込みが、全ての現象を引き寄せ
作り出すから。


今は、

”求めない。”

それを自分のココロに言い聞かせて

そして眼はまっすぐ遠くへ向けるよう、意識する。



さあ、”Happy-sanになろう!”

3年目に突入ですっ


どんな一年が待っているのか、
一緒に旅してくださいね。







上海 World Finacial Center

2008年11月18日 | せずにはいられない・・旅の話
上海 ワールド・フィナンシャル・センター







人間が立ち入ることの出来る建築物としては、
今現在最も世界で高いビルとして
(アンテナを含めるとシカゴが一番だそうです。)
今年オープンしたての、
上海ワールド・フィナンシャル・センター。


今、上海で最も”旬”な場所。







この方、吉村さん。

このワールド・フィナンシャル・センターの総経理。
つまり総責任者で、ある。


実は吉村さん、上海勤務になる前に
息子のボーイスカウトの隊長をなさっていて・・・

(そんなに偉い方とは知らず、
息子の世話をお願いしていたのです・・・


昨年、私は上海国際映画祭前夜祭で
梅屋庄吉の話をした時に

”なんで、マサト君のお母さんがいるんだろう

と吉村さんも不思議に思われ
孫文先生と梅屋の話をすると、興味をお持ちになった。


その上海での再会以来、
また新たなご縁が出来たのだった。

今回もご多忙のところ、
<孫文と梅屋庄吉展>の開会式にもご参列くださった。


上海 ワールド・フィナンシャル・センターが
今一番、”旬”であるならば、

吉村さんは、上海で今一番 ”旬”な人物。






このビル内の展望室に行くには
東京ディズニーランドのアトラクション並みに
2時間待ちなのだという。


しか~し

今回、私たちは
吉村さん直々に、VIP専用エレベーターで
フィナンシャルセンター内を案内して頂いた。

ラッキー



あっという間に100階に。



上海の浦東地区はニョキニョキと
新しいビルが立ち並ぶ地区。

上海名物だった”テレビ塔”さえ、眼下に見える。







このワールド・フィナンシャル・センターの
オープニングには、
3大テノールのホセ・カレーラスも登場され、
日本と中国の歌も披露されたのだという。




吉村さんと最上階の展望室にて



展望室の床は透明なところもあって、

つまり、足元を覗くと
眼下は474メートルも下の道路がシースルー。

高所恐怖症の方にはオススメ出来ない。






何となく、気になって撮影した
エレベーターホール前。

すごい数のオーブ(玉響)が


きっとオーブさんたちも
今、最も”旬”な場所に観光に来ているんだ・・・

新しもの好きのオーブさんたち







このワールド・フィナンシャル・センターは複合ビルで
主に、金融関係の会社が入る予定なのだけれど

パークハイアットホテルも入っている。


まだオープン前のレストランも見せていただいちゃいました








3フロア分の吹き抜けになっているレストラン。

和食(寿司カウンターもあり)
洋食、中華など、何でも食べられるという。

スタッフの方々はオープニングに向け
トレーニングの最中だった。





どうやって取り出すのだろう・・・

と不思議に思えるほど、高い天井まで続く
ワインセラーにも
少しづつ、ワインが並び始めていた。







スケールの大きさに圧倒されっぱなし。

ここのところの、<景気後退><金融恐慌>の言葉から
かけ離れた、世界。


私は吉村さんに質問した。


”今回の金融関連の諸事情で、
このビルも影響があるのではないですか?”


もともと、とてもクールな吉村さんは

”まあね、無いとは言えないですよ。
入居時期がずれたり、賃貸する予定のフロアが減ったりね、
でも、半年くらいで埋まるでしょ。”


さすが。

世界一のビルを作る方は、このくらいの度量が無くては。



私たちは、パークハイアットのロビーで
吉村さんにお茶をご馳走になった。




シンプルなデザインのロビー



”ここは1泊、どのくらいするのですか?”

”スタンダードで、7万5000円くらいかな。”


・・・一同、・・・






吉村さんと私は”Earl Gray Tea”を頂く。

男性なのに、さりげなく、オーダーの時に

”Earl Grayを。”

と言える吉村さん。 かっこいいなあ




お茶を頂いた後、私たちは次の
スケジュールが詰まっているので、失礼することに。


お忙しい中、ご案内頂いた吉村さん
本当に有難うございました





上海2008~孫中山と梅屋庄吉文物史料展その2

2008年11月16日 | 日中友好
上海2008~孫中山と梅屋庄吉史料展その2



一年に何度、このような清清しい風の吹く日があるだろうか・・・。


そんなことを思わせる、開会式の朝だった。


約束どおりの、モーニングコール
朝食の、ルームサービスに起こされ


コーヒーを飲みながら、
昨夜仕上げられなかったスピーチの原稿を仕上げる。


さあ、今日は大切な一日。

しっかりと自分に力を入れる。




孫文先生、梅屋夫妻みんなが喜んでいるのか
オーブが玄関先にいっぱい。






開会式が始まる。

私の横の背の高い方は
日本の総領事 横井様。

外人に負けない身長と、朗らかさをお持ちの方で
横井様が登場したことで、会場内が一気に活気づく。

上海市人民政府、中国政治協商会議上海氏委員会、
上海氏政府機関事務管理局、上海市文物管理委員会、
上海時人民政府外事公室・・・

各部署からの来賓を迎え、開幕式が始まる。






孫中山故居記念館の孫館長の挨拶の後、
いきなり、私の挨拶となった。

想像していたよりも多くの来賓と関係者、
開会式の列席者。


朝、コーヒーを飲みながら書いた
出来立てホヤホヤの原稿、用意しておいて、良かった


横井総領事をはじめ
ご挨拶された全ての方々もきちんと原稿を用意され
高らかに読み上げられた。


私はとにかく、
ここのところの日中交流が盛んなことは
孫文先生と梅屋庄吉が東洋平和のために願っていたことであり、
100年後の今日、
それが実現していることと、
こうして、中国で初めて、日中の友情の歴史が公開されることを

孫文先生も、宋慶齢先生も
梅屋夫妻も喜んでいると思います・・・

ということを伝えた。





テープカット


中国らしく、真っ赤なコートを羽織った
背の高い美女たちがずらりと並び
華やかなテープカットと、なる。

その後、ここ、
孫中山故居記念館に<梅屋庄吉研究センター>が
設立されることになり、
私は顧問の証書を頂いた。







わいわいがやがやと皆様が展示室をご覧になった後、
日本からの取材も来て、インタービューに答える。










開会式を終え、一通りの行事が終わった後は
孫中山故居記念館主催の午餐会。


日比谷公園内の松本楼を意識してか、
フランス租界の美しい町並みの中にある公園内のレストランが会場に。






週末にはガーデンウェディングも開かれるという
広い庭園の中にある。

やはり昔ながらの石造りの建物。
その中で、ティピカルな上海料理を、頂く。






喉が渇いていたのだけれど
お昼からビールを飲んでしまうと
午後のスケジュールに差し障りがあるといけない。

フツウのオレンジジュースを・・・と思ったら
中国の方々のグラスには
湯気のたった、不思議な飲み物が注がれる・・・。





これぞ、”かぼちゃのホット・ジュース”


温かい、かぼちゃのジュースだ。

かぼちゃのスープよりも
さらっとしたのみ心地で、
カロチンたっぷり。

もう、これだけで十分栄養が摂れそうだ


他にも温かいとうもろこしのジュースもあったけれど
私はこの、かぼちゃのジュースの方が好き。





メインディッシュはやはり旬の”上海蟹”。


日本の中華料理店では
きれいに身をほぐして出してくれるのだけれど
こちらはこのまま。

ええ~っどうやって食べたらいいの~


隣に座っていた周先生が
親切に解体作業をしてくれた。

上海蟹は、日本のズワイガニやたらば蟹と違って
小さいので

解体してくれたところで、身は殆どないように、見える。

しいていえば、オレンジの脳みその部分は
確かにしゃぶると美味しい。


・・・しかし、上海蟹が供されてからしばし、
それまで、会話が途切れることの無かったテーブルは

シ~ンと静まり返り

恐ろしいほどの集中力で、皆様、上海蟹と格闘していた。


すごくコツがあるようで、
それぞれにどうやったら一番身を食べることが出きるのか
薀蓄があるようだった。


多分、テーブルで、私だけがついていけず
呆然と皆様の食べっぷりを観察することになった。



・・・こうして、まずは
開会式が無事に終わり、ホッとした午餐会までの様子をご報告。


午後も盛りだくさんのスケジュールですっ







上海2008~孫中山と梅屋庄吉文物史料展その1

2008年11月16日 | 日中友好
上海2008~孫中山と梅屋庄吉文物史料展その1




行ってきました、上海。

上海の虹橋空港、飛行機の出口に
すでに上海対外友好協会の日本処長 王先生をはじめ
3名が待機していてくださり、

まるで外交官みたいに
特別にパスポートコントロールを通過。
ちょっと・・・VIP気分。

しかし、この飛行機を降りた瞬間から
帰国のため飛行機の待合室に向かうところまで、
結局、自由時間は全然無し。

常に彼らのエスコートで行事をこなさなくてはならなかった。

・・・つまり、上海の街をぶらぶら歩く、
なんていうことは全く出来なかった。







空港から直接、上海香山路にある
孫中山故居記念館へ。


そこでまず、私が日本から手持ちした
史料の引渡しならびに
展示会における協議書のやりとりが行われた。



協議書にサイン


9月にこの史料展の取材・打ち合わせに来日されてから
この日までの間、
非常に多くのやりとりがあった。

孫中山故居記念館にとって
海外とのやりとりが初めてであったし、
また
私にとっても”門外不出”である梅屋史料を海外に持ち出すという
非常に責任のある任務を引き受けてしまい

協議書の策定や
展示室の警備上の問題、
保険のかけ方・・・などなど
問題が山積した。


なので、ようやく無事に解決し
協議書を取り交わした私達は満面の笑顔。




故居記念館館長、私、上海対外友好協会の王先生



このやりとりが行われた後、
中国のメディア向けの記者会見が予定されていた。

私は急いで、いったんホテルにチェックインし、
着替えて、再び、故居記念館に戻った。






展示は本当に良く出来ており、
現物史料以外の複製も当時の雰囲気を出しており
狭い館内ではあるけれど
非常にわかりやすく展示され、
孫館長はじめ、スタッフの方々の心配りに感謝。









孫中山故居記念館の庭で
記者会見が行われた。





この日の夕刊と
次の日の朝刊、上海で発行されている新聞には
かなり大きく報道された。


http://j.peopledaily.com.cn/94447/94451/6531254.html



その後、上海市対外友好協会主催による
歓迎会が新天地にある倶楽部で行われた。


この倶楽部、とっても素敵で
東京でいえば、綱町三井倶楽部。
一般の人は入れない、会員制の倶楽部だ。

古き良き時代の上海を彷彿とさせる
石造りの建物。
しかし、お料理は最新の上海料理が供される。

(*上海食事情で、お料理についてはまた後ほど詳しく)



エントランス



建物内部。古い建物だけに、オーブがちらほら。
今回の旅でもめちゃくちゃ、オーブが出現しましたよっ






新天地は、東京でいえば
青山のあたりみたいな、とってもお洒落なところ。

東京よりも、なんと言うか
昔からの異国情緒にもあふれ、
ヨーロッパな雰囲気もあり、
チャイニーズな雰囲気もあり、
古い建物はそのままで、
最新のインテリアという、何ともお洒落感のある街。

・・・ゆっくり歩きたかったよぉ・・・




お茶のお店







レストランやカフェもお洒落です!



夕食会の後はホテルに戻り、
ホテルのバーで”梅酒”を飲んでから部屋へ。


移動の車中で、
天才的な語学能力を有する対外友好協会の周先生が


”明日の開会式の原稿、ありますか?
あったら、事前に頂きたいのですが・・・。”



・・・・・・・・・・・・



・・・そんなもの、用意してこなかった・・・



開会式での挨拶なんて、全然考えていなかった私。


ホテルの部屋に戻ったのは
午前0時過ぎ。

東京にいる友人としばし
原稿を用意していなかったことを話すと


”きちんと用意したほうがいい。”

とアドバイスされ、目をこすりながら、デスクへ向かう。



・・・しかし、原稿は1枚くらいで眠気に襲われ
明日の朝、すっきりした頭で考えよう・・・


と、ペンを置き
ベッドにもぐりこむ。



こうして、上海の第1日目が終了した・・・。








上海へ   2008 秋

2008年11月08日 | せずにはいられない・・旅の話
上海へ  2008 秋



1年半ぶりに、上海へ。






中国は、北京・上海・西安にしかまだ行った事は無いけれど

上海は好き。


新しい街、古い街が混在していて
人がとっても多いけれど
活気にあふれていて
異国情緒もあって・・・。



今回はOfficialな滞在なので
到着してから、帰国するまで
びっしりの、スケジュール。

レセプションやら、インタビューやら・・・。

なので、ゆっくりSpaを楽しんだりする時間はとれそうにない。


自分ひとりでも移動が出来そうな
ホテルオークラ系列の花園飯店を予約。
古き良き時代の情緒の残るホテルだ。


今回のお仕事の会場でもある
孫中山故居記念館のあるあたりまで
ひとりで散歩も出来そうな、距離にある。





孫文先生(中央)と梅屋庄吉夫妻





孫文と宋慶齢が暮らしていた上海の故居記念館で

<孫中山(孫文のこと)と梅屋庄吉展>が開かれることになった。

同時に、<梅屋庄吉研究センター>も設立されることになり、
私は顧問に就任する。


このやり取りの中で
かなり、消耗したのだけれど

電話の会話でも譲らない、
エネルギッシュな対話を学ぶ、いい機会にもなった。

おかげさまで、
気遣いのある、繊細な私が(・・・
ずいぶん鍛えられたように思う。


そう、全てに感謝。








上海から帰国するのは
水曜日の夜。


また、
上海での出来事やホテルのこと・・・


沢山の画像とともに、ブログにてご報告します


行ってきます










サムライ高峰譲吉、観て来ました

2008年11月01日 | 映画・コンサート・演劇
サムライ高峰譲吉、観て来ました





東京ギンガ堂さんの新作

”サムライ高峰譲吉”を観て来た。


東京ギンガ堂さんとのお付合いは

丁度1年前の今頃、

”孫文と梅屋庄吉”公演以来続いている。


母が亡くなり、
梅屋庄吉に関する色々なことを引き継いだことを
しっかり認識させてくれたのが
その演劇に携わることだった。


天命なのか
使命なのか

とにかく以来、梅屋に携わることは
飛躍的に多くなり
また、信じられないような出会いがたくさん用意されていて

今やこれが、私の本業となりつつ、ある。



そういった意味でも、
東京ギンガ堂の
品川さんをはじめ、皆様には大変感謝をしている。


今回は

江戸末期から明治にかけて生きた

タカヂアスターゼとアドレナリンで
世に知られた高峰譲吉の生涯が描かれた演劇。


キャストは殆ど
昨年の”孫文と梅屋庄吉”に出演していたメンバー。

私はもう、彼ら一人一人の大ファンなのだ


今回、主役の高峰譲吉を演じるのは
串間 保さん

私のブログでも時々

”クシマさん”

として登場する。

もちろん、TVや他の演劇にもひっぱりだこの人気俳優さんだ。




左から
演出家の品川さん、女優の瑚蘭ちゃん、私、ナガノ先生、主役のクシマさん
(・・またまた、オーブが出現しちゃってますよ♪)



東京公演は

新宿紀伊国屋サザンシアター (TEL)03-5361-3321
11月5日まで。


とても綺麗な劇場で、

芸術の秋
舞台を楽しまれてはいかがでしょう。


高峰譲吉そのものに興味が無くても
個性的な俳優さんたちの演技と
品川さんこだわりの演出や音楽、照明などなど

じっくりと楽しむことが出来マス







私達は、舞台終了後
新宿の雑踏の中にあるビルの飲み屋さんに行くことに・・・


ここのオーナーさんは
演劇人を応援している方らしく、

店内は今、上演中の演劇のポスターや
チラシが所狭しと飾られている。


私達が行くと、

早速、”サムライ高峰譲吉”のポスターが貼られた。



主役のクシマさんと私は実は同じ年。


主役は舞台で出ずっぱりだし、
踊ったり、
木刀振り回したり、
叫んだり、笑って、泣いて・・・・

いったい、1ステージでどれくらいカロリーを
消費するのだろうか・・・


クシマさんはちょっと痩せちゃっている。


最近、ちょっと太り気味の私。

1ステージくらい、
代われるものなら、代わりにやったら

 -   = スリムになるかしら???


そんなことを思いながら

グラスを空っぽにしていた・・・私




品川さん、クシマさんはじめ

東京ギンガ堂の皆さん、千秋楽まで

頑張ってください