Happy-sanになろう!

Happy-sanな日々をご紹介するブログ。旅のお話もいっぱい♪

出雲・松江紀行 3~小泉八雲と松江城

2009年10月29日 | せずにはいられない・・旅の話
出雲・松江紀行 3~小泉八雲と松江城




続きは次ブログで、
と書きながら間が開いてしまった。


今日の午前中までが
最後の
最後、の原稿提出だった。


きっかり午後1時半にバイク便が原稿を取りに来て
”さよならぁぁぁ
もぉ、後戻りは出来ない。

私より、編集担当のN氏はもっと大変だ。
きっと、寝てない。
このN氏のお話はまたいつかゆっくりと。

と、いうわけでやっとリラックスして
<写博客(ブログを書く)>の時間。







八雲庵は松江の武家屋敷街のほぼ中ほどに位置する
出雲そばの名店。












外には風流な北田川が流れ、
中庭は和風の植木が良く手入れされていて
”日本だなぁ。”と感じる店構え。






風流な、北田川





店内には所狭しと色紙がかけられている。
有名人もみんなここで
旅の疲れを癒し、
温かい蕎麦でお腹も満たしたのだろう。











私は出雲参拝時のサプライズで
ハイテンションが続いて喉が渇いていたので
まずは、いつもの、アレから。






待ってました





そして、八雲庵のおすすめの
アツアツ鴨南蛮そばを頂く。





武家屋敷街を川沿いに散歩。

モリヤスさんおすすめの和菓子<風流堂>をみつけ
お土産を買う。

松江は和菓子とお茶の街であるともいう。








そして、
小泉八雲の旧居と記念館を訪れた。









小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は39歳のときに
日本を訪れ、日本の伝統文化や風習などを愛し、
英語の教師をしたり、東京帝国大学でも教鞭をとるなどしながら
日本への深い愛情を示す随筆を多く残した。

病気の時に看病してくれた
松江藩士の娘 セツに心ひかれ、結婚。
以後、小泉八雲として日本で生きた。






八雲も愛した城山稲荷神社の狐たち。境内には2000体以上の狐像が。。。





”松江城も観ておいて。”と、運転手さん。

”えっ?城は遠くから見れば十分です。”と、私。

だって、
歴史マニアの息子と一緒だと必ず城に行き、
天守閣までゼイゼイ息を切らしながら上る。
一人のときは、城は眺めるだけで、いい。




”駄目よ。天守閣は国宝だから、上ってきて。”


親切なのか、強引なのか、
と思いながら、そこまで言われたら仕方ない。






松江城





松江城の階段は桐で出来ている。
燃えにくく、敵が攻めてきた時は
階段を外せる仕組みにもなっているという。


案の定、この城も例外なく
階段の段差が大きく、
上ったり、降りたりするが大変。


天守閣にのぼると、松江市内が一望出来る。





遠く、宍道湖も見渡せる。キラキラ輝いて美しい湖。





”どうやった?良かったやろ?”と、運転手さん。


”・・・はぃ・・・。でも、明日足が筋肉痛になりそうです。”と、私。


”大丈夫よ。今日、温泉入るんやろ?”と、運転手さん。


”・・・まぁ、そうですけど。”



この後、私(たち)は
八重垣神社と、
神魂神社へ向かう。

運転手さんの、

”親切なのか、強引なのか”は

さらにヒートアップしていった・・・



出雲・松江紀行 2~のんびり、宍道湖

2009年10月26日 | せずにはいられない・・旅の話
出雲・松江紀行 2~のんびり、宍道湖



まず本文の前に訂正事項が。。。


10月初旬のブログの
上海市主催建国60周年記念レセプションにて
私が謁見した方は

<上海市長 韓正先生>ではなく
<中国共産党中央政治局委員兼上海市委員会 兪正声書記>でした。


なんとこのブログは一人歩きしていて
(まあ、ブログという性質上当たり前なのですが。)
中国通の、とっても立場の高い方々にも知れてしまい、
昨日、その方に教えていただきました。


”上海市長より偉い方にお会いしていたんですよ。”と。

ははははは(笑ってごまかす)
そんなに偉い方のことを間違えてしまい、
大変失礼いたしました。 本日、訂正させていただきました



さて、話は出雲・松江紀行に。





出雲大社の正門のすぐそばにある旅館<竹野屋>。
実はここ、竹内まりあさんのご実家なのだそう。

すご~い!出雲大社のまん前のお宿なんて
神様パワーがいっぱい降り注いでいそう!!
宿の中には竹内まりあさんグッズが所狭しと売られているのだという。






今回の旅で決めていたことは
飛行機と旅館だけだった。

朝早く羽田を発つ便だったので
時間はたっぷりある。

先日アイルランドの音楽の演奏家
モリヤスさんのコンサートに行った時に
小泉八雲の詩の朗読もあり、

以来、<宇宙の法則>を完全に理解していた
小泉八雲、のことが気になっていた。

時間もあるのだし、小泉八雲ゆかりの、松江にも足を伸ばしてみようかな。


羽田空港の待合ロビーで
偶然、<ことりっぷ 出雲・松江編>をみつけ
飛行機の中で<松江>の予習をした。


そこには小さく<神魂神社>というのが紹介されていて
~出雲大社より約400年も古い神社~
と書いてあった。

だいたい、<神魂>というなんとも神秘的な文字に
私が反応しないわけが、無い。

<神魂>と書いて、<かもす>と読む。
行きたいな、行こうかな。

はじめて歩く松江に何だか、ワクワクしてきた。






出雲大社から松江までは
この単線の一畑電車、もちろん、各駅停車の旅だが
一時間ほど。


の~んびりとした景色が続く車窓を
ぼ~んやりと眺めていた。



すると、携帯メールになんと、
アイルランド音楽の演奏家、モリヤスさんからメールが届く。


そこにはなんと、

~松江には僕が日本の中で一番好きな
神魂神社があります。
時間があったら、是非行ってください。~

と書いてあるではありませんか


出たシンクロ。


この<神魂神社>が、

またまたこの旅を珍道中に巻き込んでいくのですっ






しばらく電車にゆられると
宍道湖が広がる。

大きな、大きな、とても穏やかな美しい湖。


宍道湖、といえば<しじみ>。
明日の朝はしじみのお味噌汁だろうなぁ。。。

なんていうことを考えながら
車窓に広がる美しい宍道湖を眺める。


なんか、の~んびりしていて
とっても静かで、
癒される旅。。。


松江に到着。

実は朝5時に朝ごはんを食べてから何も食べていない私は
お腹ペコペコ。

さっそく、松江の武家屋敷の町並みにある
出雲そばの名店<八雲庵>に行こう!と

駅に停めてあったタクシーに乗り、

<武家屋敷の八雲庵にお願いしますっ>と私。




松江の、のどかな武家屋敷地区



八雲庵に到着した時、
タクシーの運転手さんが

”この後、どうするの?” と聞いてきた。


”おそば食べて、小泉八雲の旧居とかを散策して
 その後、タクシーを呼ぼうと思います。
 (レシートを見ながら)この番号に電話すればいいですか?” と私。


”どこ行きたいの?” と運転手さん。


”えっと、八重垣神社と神魂(くすも)神社。”と私。


”神魂(くすも)神社 いやぁ、嬉しいねぇ。。
 初めてですよ、お客さんのほうから神魂神社に行きたいっていうのは。
 何しろ、私が一番、オススメしたい神社だからね。
  いやぁ、嬉しいなぁ。。。”


と、運転手さん、いきなりハイテンションに。


そして、メーターをガチャリと切って、

”加算せんといてあげるから、そこの駐車場で
 待っといてあげるわ。”



さて、この<神魂神社>で盛り上がった運転手さんが
この後の珍道中を
大いに、盛り上げてくれることに。。。


話の続きは次ブログのお楽しみに



出雲・松江紀行 1~驚き!の出雲大社

2009年10月25日 | 神社めぐり
出雲・松江紀行 1~驚き!の出雲大社



中国から帰って、ほんとぉにハードスケジュールが続いた。
出版のゲラのやりとりが続く中、
ひょっこり1日空いた。(空けた。)


今年頂いた素晴らしいご縁に感謝、と
来年も素晴らしいご縁にめぐりあえるようにと

ビュン っと、思い切って出雲まで行ってきた。



出雲の空はいつも神秘的。 神々を思わせる力強い雲。


最近、シンクロがすごい、とブログに書いたが
信じられないコトがここ、出雲大社で、起こった。





正門からお社までは
松林の参道を歩いていく。

出雲大社にはこれで3回目のお参りになるが
最初、この参道が長いと感じたものだが
<戸隠奥社>への参道を体験した私は
もう、大丈夫。






この鳥居をくぐり、
一人で参道を歩き始めた、その時だ。


後ろから話し声が聞こえてきた。


”チューザンって知ってるでしょ?・・・”

私は現在取り組んでいる仕事上、
チューザン、と聞くと
<孫中山>、つまり<孫文>を連想してしまう。

で、続きを聞くと・・・

”中国の革命をした孫中山よ。孫文のこと!”

私は

”おおぉ!珍しい。日本人が孫文のこと話すなんて。”

と少し感激しながら、耳をダンボにしながら歩いた。

すると、

”その、孫文を支援していた日本人っていうのがいてね、”

私の耳はますますダンボに・・・


”その日本人の孫が東京にあるまつもとろう、ってレストランの
 経営者と結婚してね・・・”


   


”そこの娘っていうのがいるらしいのよ。”



その時、その会話をしていたお二方は
私の横に並んだ。


そして、私は


”・・・あのぉ、それ、私なんですけど。

と思わず、声をかけた。

私も驚いたが、その二人ものけぞるほど、驚いていた。




あまりにすごい偶然に、思わず記念撮影しちゃいました!



日本の、
しかも、島根県出雲は、出雲大社の参道で
その日、その時、その場所で

<私>の話をしている人と出会うって、どういう偶然でしょう


お一人は千葉から、
お一人は北海道からいらしている方だった。

思わず、住所を交換したり、写真を撮ったりして
こんな偶然があることに3人とも信じられないという興奮が暫く続いた。


先月26日の朝日新聞を読んで、
そのことをお話なさっていたらしい。。。


出雲の神様、なんかすごいっ







私は、最近手に入れた<石>たちを持参していた。

出雲の水でそれらを浄化した。
”清いご縁”となるようにお願いしながら。。。





出雲大社の本殿は屋根の萱をとりかえる工事中。
仮本殿でお参り。






感謝とご縁を絵馬に託して・・・。




やはり、出雲大社の大注連縄はド迫力


縁起の良いことに、花嫁さんも・・・





今年5月に伊勢神宮をお参りしたときにも
ご正宮の、正面の、門のところで
早稲田大学元総長の西原春雄先生に
偶然、お目にかかった。

その時、西原先生も
私も
何か、神様のお告げを感じたのだけれど

今回の<出雲大社参道>での出来事も
神の為せる業。


だから、<神様参り>はやめられない!





出雲・松江のシンクロだらけの珍道中
まだまだ
続きます・・・

思い 思われ ふり ふられ

2009年10月22日 | sweet & bitter story
思い 思われ ふり ふられ




最近、おでこのあたりと
あごのあたりに<にきび>が出来た。

にきびの出現はとても久しぶりだ。

私は中学生の頃のように
鏡をのぞきこんで

にきびの位置で今自分が

<思い 思われ ふり ふられ>

のいずれに当たるのか、真剣に考えてしまった。


おでこが確か<思いにきび>
あごが確か <思われ にきび>

だっけ?女性は逆だっけ?

今は結局、どちらにもあるので

思い、そして 思われている ってコトになる。







10代、20代の頃、
人に恋をするのは、20代くらいまでだと思っていた。

ところが今になっても
あの頃とハートは全然変わっていない。

大学時代の友人たちとの飲み会でも
会話のなかみは変わっていない。


”ねえ、最近いいコトあった?
”ねえ、最近いい出会いあった?


つまり、人は
年を重ねても、恋をする気持ちってずっとあるのだと
思うようになってきた。



そういえば、(ちょっと自慢になるが)

私の母は綺麗な人だったが
祖母は、母がコンプレックスを持つほど
更に美しい人だった。

祖母が晩年、介護が必要になった時に
介護付の施設に入れてはどうか、と家族で考えた時に

施設の担当者たちから

”こんな綺麗なおばあちゃんをお預かりしたら
男性たちが取り合いで大げんかをするので
入居はお断りします。”

と大真面目にこういう理由で断られたことを思い出した。


大好きな、お気に入りのおじいちゃん、または おばあちゃんと
食事の時の隣に座りたいとか
前に座りたいとか、おしゃべりしたいとか、
やきもちとか、そういうのが老人ホームでもすごくあるのだという。








そんなことを考えていたら、
なんとまたシンクロ。

今日、会社で宴会受付担当者が
驚いた顔で事務所に戻ってきた。


”今のお客様、75歳で結婚披露宴の申し込みでした。”


事務所で一同、拍手。

多分、今までで最年長。

75歳の結婚披露宴、私も楽しみになってきた。


で、

インターネットをみると
息子に続き、長塚京三さん(64歳)も入籍とか。


やっぱり、人は生きているうちは
誰かを想い、
誰かを好きになり、
誰かと一緒にいたい・・・っていう気持ちがあるのだなぁと思った。






<思い 思われ ふり ふられ>

思っている人が愛してくれたら幸せなのにな。

思いをよせてくれている人を愛せたら楽なのにな。


人の思いは
目には見えない糸となって

絡み合ったり、
ほつれたり、
ブチッと切られたり・・・。



不思議な<縁>というものに
たぐいよせられていく。


来年の私、を占ってもらったら

”恋愛もいいけど、
仕事しましょう。仕事、仕事。”

と言われた。


はははははは。




ミュージカル 沈黙の声~東京ギンガ堂

2009年10月21日 | 映画・コンサート・演劇
ミュージカル 沈黙の声~東京ギンガ堂




今日から新宿 紀伊国屋ホールで
東京ギンガ堂によるミュージカル

<The Sound of Silence~沈黙の声>

が始まった。






この作品は日韓共同の作品で
既にソウル公演を終え、大阪・名古屋とまわり
今日から東京で最終公演。


演出や音楽、キャスト
全て日韓で作り上げたそうで
制作現場は
本当に大変だったらしい。


でも、本当に "素晴らしかった”の一言。



ミュージカル、という形式で
ダイレクトにメロディーが心に届く、ということもあってか、
東京ギンガ堂のお芝居は
2007年秋の<孫文と梅屋庄吉>以来
ずっと観ているが、正直、今回のが一番いい。



いや、何が素晴らしいかと言えば、

韓国のミュージカル俳優 ミン・ヨンギさんの歌唱力




ミン・ヨンギさんと舞台後、2ショット



ストーリーも良かった。

時は第二次世界大戦末期、

韓国人の主人公の金東真と日本人のヒロイン、安藤美和が
恋に落ち、
愛し合い、
将来を誓い合うのだけれど

主人公の金東真は留学中の日本から
学徒動員で戦地へ赴く。


二人は互いの夢を見、
互いの手紙を何度も何度も読み返すことで
<生きる希望>を得る。

会えない苦しみの中でも
互いの名前を呼び、
互いのことを想うことで<生きていた>。


死に物狂いで戦地から日本にたどり着いた
金東真は、あの日のヒロシマで美和を失い・・・。



と、ストーリーは暗いし、辛いテーマだ。


韓国ドラマを見ると
純粋に

"愛って、本当はこういうものだよね。”

といつも想ってしまう私は、”純愛派”なのかもしれないけれど

今回も主役のミン・ヨンギさんの

”愛”を純粋に、かつ力強く歌い上げる姿に


”やっぱり、愛って、こういうものだよね。”と

ボロボロ泣いてしまった私。









人を愛するっていうことは
もう、本当にそれが全てなのだ、と。

つまり、それは自分自身である、というコト。


お芝居の中に

<鶴>のつがいは
互いのどちらかが死ぬまで絶対に離れない。
どちらかが死ぬと
その死骸を羽で守り、やがてそれが土となり、風に消えてゆくまで
一緒なのだ・・・

という台詞があったが
本当にそうなのかも、しれない。

息をひきとる前にどうしても会いたい人。
そばにいて欲しい人。


<あなたのことを愛しているけど、他の人とも別れられない>

<この人よりもっといい人に出会えるのでは>とか
<相手にとって自分よりいい人がいるのでは>とか


というのは、”愛”ぢゃないんだ。やっぱり。

そういうたぐいのものじゃ、ないんだ、愛って。。。。


その人でなければいけない、
私でなくてはいけない、


それがその人が生きるということそのものであり、
私が生きるということそのものである・・・



ということを、

このミュージカルは思い出させてくれマス。



10月28日(水)まで新宿紀伊国屋ホールにて
午後7時開演。

詳しくは、東京ギンガ堂ホームページでチェック

http://www.tokyo-gingado.com/


(シナガワさん、こんなご紹介でよろしかったでしょうか?)







演出家のシナガワ氏、
仲良しの俳優 クシマ氏、コランちゃん、
そしてミン・ヨンギ氏と。





上海万博でもこの劇団と
ミュージカルを企画。


”よっしゃぁ。”やる気が出てきました!


最終日まで
キャスト&スタッフの皆さん、頑張れっ

あれから5年、これから5年

2009年10月21日 | sweet & bitter story
あれから5年、これから5年




最近、おもしろいくらい、
シンクロが起きる。


例えば、

久しぶりにipod
Yumingの<真珠のピアス>を聴こうかな、なんて思って
プレイリストからセット。

軽快な出だしに、”う~ん、懐かしいなぁ^
と思いながら、
新橋へ向けて、会社から歩き出したそのとたん、

足元に、なんと <真珠のイヤリング>が落ちている・・・

内心、”嘘やろ?”と思いながら

一応、お客様の落し物だと思うので、拾って、フロントに預けておく。


・・・おもしろいでしょ。このシンクロ。










さて、私は年に1回、
小学生の<先生>になる。

会社の近くの小学校、(息子もココを卒業した)
2年生の<町探検>、
学校の周囲にある建物や会社、警察署などに訪問する
社会科の授業だ。


私はこの小学2年生たちに
会社の歴史や、建物案内、簡単にマナーなどを教える。


小学2年生って、こんなにまだ小さいんだ。。。

案内していると、


”ボク、大きくなったら、ここで働くっ!
とか
”今度の日曜日、家族でまた来たいっ!


なんだか、可愛い。






この<年に1度の小学校の先生>は
丁度、息子が小学2年生の時から始まった。

もぉ、どれくらいやっているのかなぁ・・・と
数えてみると

<5年>。 あ~、もう、あれから5年も経ったんだ・・・。

なんだか、あっという間という感じがする。

過ぎてしまえば、<時>というのはとても早く感じるものなのだなぁ。







実は、この<5年>という月日について

私はここのところ、ずぅぅぅっと考えていた。


だから、この<年に1回の先生>をはじめてから
5年目、というのがわかった時に

また、シンクロ

とココロの中で思った。


5年、ってどのくらいの月日なんだろう。

これから5年って、どのくらい先のことなんだろう。


こういうとき、まず私は
その時、息子が何歳になっているか、をまず計算してしまう。

息子は18歳

大学受験


大学生の後は、勝手に自分で就職するだろうし、
その後は、勝手に自分で結婚相手を探してくるだろうし、
私は何の憂いも、心配もなくなる年齢だ。


で、私は何歳?とその後、計算してみる。

○○才。 ふぅん。 
まだ”切捨て”ならアラフォー
妙齢の女盛りね。


で、そこまでの5年間って長いのか、
あっという間なのか、を考える。







あと5回もクリスマスを迎えることになり、
あと5回も大変なおせち料理の作業をすることになり、
あと5回も暑い夏を過ごすことになり、
あと5回も寒い冬を越さないといけない。

それが、5年後。


毎日24時間を365日積み重ねて × 5(倍)。


数字を並べると、苦手な私はクラクラしてくる。


思うに、

きっと、Happyな毎日だったら
それは
あっという間に過ぎるだろうし

5年たったら、
確実に~が起こる、
ちゃんと~になる、
ちゃんと~しよう、きちんと約束されるのであれば
それは待つに値する日々の長さかもしれない。


そしてまた、
漠然とした、その時どうなるかさえわからないままに
指折り数えて待つ日々は
とてつもなく
気の遠くなるような、日々になるのだろう。



あれから5年、思い返せば早かったような気がする。

これから5年、貴方にはすぐ来るように思えますか?

それとも、何があるか、どうなるか検討もつかないほど

遠い先のことに、思えますか?



・・・そんな先のことを思い悩んでいないで、

毎日を、1日1日を生きている感謝で過ごしなさい・・・

と、

遠くから ささやく声が、聞こえた。 


ある日の午後のコト。

ラスト!中国ブログ~ほっとひと息

2009年10月19日 | せずにはいられない・・旅の話
ラスト!中国ブログ~ほっとひと息



今日で中国訪問ブログは最後。
今回は美味しいもののご紹介などが少なかったので
ラストに一挙にご紹介!





まずは、
中国のビールといえば、青島ビールが有名ですが
これは北京のビール。
バドワイザーのようにすっきり、軽いのみ心地。
瓶はワインボトルみたいですが





北京で、上海蟹
この上海蟹を上手に食べるのは熟練の技と根性が必要。
私は親切に、食べやすく解体していただきました





いつもはホテル内のSpa愛好者ですが
街中にあるマッサージにもご案内いただき・・・。





とってもゴージャスな内装。
リフレクソロジーとヘッドマッサージをうけた後
更に背面マッサージまでがセットになっていました。

今回の旅でボロボロに疲れていた私は
こんな感じで・・・




爆睡しているところを
いつの間にか写真に撮られていました。





大使館などが並ぶ閑静な一角に
建物が古き良き時代を彷彿とさせ、
ガーデンにもテーブルが並ぶ
とっても素敵なレストランに案内していただきました。




唐辛子と小さな鶏のから揚げ。
辛いのだけど、やみつきになっちゃう美味しさ。
これとビールだけで大満足。


で、野菜不足なので
ブロッコリーの茎の炒め物を・・・。





この日は国際倶楽部飯店(St-Regis)に宿泊。
とっっっても素敵なホテルなのだけれど
実はリーゾナブル。王府井からはちょっと距離があるけれど
周りは静かだし、ここ、オススメ






お部屋もとっても綺麗。
ここでもフロントの方に”アップグレードしておきました♪”と言われ
多分、予約したよりも良いお部屋だったと思われます。。。



仕事がはかどりそうなデスク



Westinのヘブンリーベッドよりも”ヘブンリー”なベッド




お洒落なリビングセット




バスルームもゴージャス



中国最後の朝は
とても気持ち良く晴れていたので
ホテルのまわりをお散歩しました。


国慶節で休みのせいか
人は少なく、静かな朝の散歩道。






お散歩の後は
いつものようにシリアル中心の朝食。







このホテルは
スタンダードのレベルが非常に高い。
スタッフの英語も
<Queen's English>でした。



こうして、私の上海&北京の旅は終わりました。

旅ブログ、長かったですね。


明日からは

日常の<つぶやき>OR<ぼやき
ブログに戻ります。


再見中国




建国60周年式典 ~その5 フィナーレ

2009年10月18日 | せずにはいられない・・旅の話
建国60周年式典~その5 フィナーレ









式典のお昼の部は午後1時半くらいに終了。
建国門内大街はパレードで使用したため、
帰りはホテルまで歩いて帰る。


とてもラッキーなことに
ホテルまでの帰り道で上海総領事と偶然お会いできた。

上海万博について
色々お話申し上げたい、と思っていたところだった。

やはり、神様のお手配ってある。

総領事の前には
高村元外務大臣や野田毅衆議院議員、
海江田万里衆議院議員もおられ、
党を超えて、皆さん、和気あいあいと
大通りをホテルまで歩いておられた。


結局、総領事とは
来月また上海でお会いする約束をした。


朝6時にホテルの部屋を出てから
ペットボトル1本の水だけで
炎天下の式典見学。 ホテルにたどりついた時、
まず先に手が伸びたのは、もちろん、





無言で2杯飲んでからやっと何か食べなくちゃ、と
用意されたランチのブッフェをまわる。


ランチが終わり、シャワーを浴びて
着替えるとまた次の集合時間に。。。。


またセキュリティ・チェックを受け、
夜の式典に向かう。。。







昼間と同じ席。
もう既に天安門広場は若者で埋め尽くされている。
リハーサルをしたり、盛り上がっているが
昼間のような緊張感はなく、
文化祭、みたいな楽しげなノリがこちらにも伝わってくる。



おそらく、花火がうちあげられるだろう、
ということで、
花火大好きな私は、こんな特等席で花火がみられることに大満足。

戦車より、花火でしょう。やっぱり。





満月まであと2日だったので
お月様も綺麗でした。


花火大好きな私は花火を撮るタイミングを
少しづつ覚えたみたいで、今回はとても綺麗に撮影できた。

幾つかを、ご紹介。





















花火とともに
特設ステージ(数箇所にもわたる)では
国内で有名な歌手の皆様が
<愛国>の歌を披露する。

女性は本当に綺麗な人ばかりでため息が出る。


後半、江沢民元首席、胡錦濤国家主席、温家宝首相ら
要人が美女と手をつないで
紫禁城から出てきて、みんなと歌を歌う。

こういう演出、
中国の人民の皆さんは嬉しいんだろうなぁ。。。


微笑ましい、一場面であった。


この式典の夜の部は午後10時過ぎまで延々と続いた。


さすがに朝6時から夜10時過ぎまでの
この日のスケジュール、ハードでした。。。


孫文ファミリーの皆様と


"Long day ,isn't it?"

とお互いを励ましあい、

深夜のディナー・ブッフェで
冷えたカラダを
ワンタンスープで温めた。






こうして、建国60周年記念の一連の行事は
全て終わった。


10年後、建国70周年もこうして盛大に行うのだろうか?

そして、私は参加するのだろうか?

その時は誰と一緒に参加するのだろう。。。





華やかな、建国60周年記念パレード~その4

2009年10月18日 | せずにはいられない・・旅の話
華やかな、建国60周年記念パレード~その4








軍事パレードに引続き、
今度は華やかな山車()。
いったいいつまで続くのぉ~というくらい沢山あるのと
その山車のまわりを囲む若者たちの

なんというか、人口の多さに
圧倒されたパレードの様子をご紹介。





毛沢東先生を囲んで



小平先生を囲んで





美しい衣装のパレードが続きます。。。




このダンサーたちは紫禁城のまん前で
華麗なダンスを披露。





新幹線グループ?







兵馬桶も登場




華麗な少数民族の衣装を着た皆さんのパレード





こどもたちが大きな風船を持って登場





この風船が大空に高く高く舞い上がって・・・





大きな夢と希望とエネルギーが
この国の人々に内包されている。


それはとてつもなく力強く、
<愛国>というすごい結束力でつながれている。


少なくとも現在(いま)を生きる
私たち日本人には殆どみられない種の
エネルギーだ。


それがいい、とか悪いとか、脅威である、

という判断は別として

パレードを見ながら
私は私の国である日本の方向性に思いを馳せた。


そして、

同時に


絶対的な人口の厚みと繰り広げられる極彩色を見つめてはいたが


心が求めていたものは


静かな、誰も物音を立てない、古い京都の寺の庭前で


一片の葉が舞い落ちおちるさまに

豊かさと落ち着きと生きる、ということを感じる

その情景であった。









戦車せいぞろい~軍事パレード その3

2009年10月18日 | せずにはいられない・・旅の話
戦車せいぞろい~軍事パレード その3



・・・毎日イロイロなことが起きて、
毎日イロイロな人にお会いしているので、

そろそろ違う話題について書きたいことも山積。

しかし、やはり、シリーズでまとめておきたいので
今日は一気に軍事バレードの仕上げにかかろうと思う。

軍事マニアでないかぎり
どの機種が、どういう役割で、どのくらいスゴイのか
ということは分からないと思う。

モチロン、私も分からないので
説明は書けないのですが
イロイロあるよ、ということのご紹介というコトで。。。。













































1年くらい前から
毎日毎日練習を積み重ねてきたというこのパレード。

本当にひとつのミスもなく
完璧なものでした。


私が座っていたのは
外国からの賓客が多かったせいか、

軍事パレードといっても
緊張感が全くなく


”Hey! Look at that!
Isn't that smart?"


"Oh! That is so cool"


と言った会話が飛び交い、
とっても楽しくパレードを参観。



軍事パレードに引き続いては
国の産業や教育などの機関や
各省からのおおいな山車()のパレードが華やかに繰り広げられた・・・


せいぞろい  軍事パレード~その2

2009年10月14日 | せずにはいられない・・旅の話
せいぞろい  軍事パレード~その2









さあ、いよいよ軍事パレードスタート。

今日は、素晴らしい<せいぞろい>ぶりを
ご紹介いたしましょう

















































































すごいでしょ。

背がそろっているだけじゃなくて、
体型まで一緒。

こう、多少、背がでこぼこしていたり
おデブな人もいると思うのに
よくこれだけ、同じ背、同じ体型の皆さんをそろえたこと!


行進も、
一人くらい、右足と左足
間違えても良さそうなのに、
一糸乱れず。


ちなみに、
私は白い制服の、<海軍>が好きです。



明日はいよいよ
色々な戦車の登場ですっ



建国60周年式典 軍事パレードその1

2009年10月13日 | せずにはいられない・・旅の話
建国60周年式典 軍事パレード その1






昨夜の移動で
朝にはすっかり戦車は準備万端、といった様子で
ずらりと並んでいる。





前ブログでも書いたように
その日は朝6時にはホテルの部屋総点検の為
部屋の外に出されてしまい、式典がはじまるまでの数時間
ホテルのロビーや、
通りでしばし時間を潰すことに。。。





その間に
孫文先生の子孫のファミリーと仲良しになる。

彼らは全員、ハワイやカリフォルニアに住んでいて
中国人なのだけれど
全員、英語。


100年前に曾祖父と孫文先生は
<至友>~死ぬまで互いを信頼し続ける絆の強い友、であった。

その子孫ファミリーとこうして
100年の時を超えて出会えるなんて、
なんかとっても神秘的だし、嬉しい。

その喜びは、私の中のもっともっと深いところから
湧き出ているような、不思議な感情。





警察犬も不審物がないかどうか、チェック







パレードの準備は完璧に整った様子
あちらこちらで、軍隊の掛け声が響く。


午前8時過ぎ、私たちはようやく、天安門広場
紫禁城の前に設置された特設の会場に案内される。




この至近距離でパレード参観




天安門は人文字の若者達が何千人、何万人も
整然と列をなしている。



人民大会堂




天安門広場には国父 孫文先生も大きく掲げられていた



ロケット弾で雲を蹴散らしただけあって、快晴。
ハワイに住む孫ファミリーと
”まるでハワイみたいね。”
と冗談を交わしながら、式典が始まるのを待った。




孫国雄氏と一緒に



午前10時。いよいよ式典が始まった。





陸・海・空軍の制服を着た軍人さんたちが
静かに行進をはじめる。


胡国家主席が紫禁城から登場。

オープンカーで、全ての軍隊の皆さんに
声をかけながら、建国門内大街を長安大劇院のあたりまで
往復された。




目の前を<生 胡錦濤国家主席>が通り過ぎる。。。



次ブログでは言葉は不要の、
迫力の画像をお楽しみください








北京に、到着

2009年10月12日 | せずにはいられない・・旅の話
北京に、到着



朝一番の飛行機で北京に到着。

飛行機内では睡眠不足がたたり、爆睡。

飛行機の客室乗務員も
ホテル・レストランのスタッフも
とてもサービスレベルが向上している。


国内線だったが、ビジネスクラスを利用した私には
いたれりつくせりだった。

スリッパは袋から出してはかせてくれるは、
爆睡していたら、毛布をかけてくれるは、
目覚めたらオレンジジュースを出してくれるは、
飛行場に到着したら

エコノミークラスからどぉ~っと人が押し寄せる中、
体をはって
最優先でタラップを降りるように誘導してくれるは、
ターミナルまでのバスは
エコノミーの人とは違うバスで
なんと、金色のシート()で赤のVIPのカバーが
かけられているは、

で、何だかおトクな気分で北京入りした。






空港からホテルまでは
宋慶齢基金会のボランティアのお兄チャマと一緒。

そこではじめて
北京でのスケジュールを無理矢理に聞き出す。

なにやら、大変そう。。。。


指定されたホテルは
建国門内大街、つまり北京のひのき通りに面した
国際飯店だった。


本当は王府井のペニンシュラが良かったのだが
この期間、北京の天安門広場一帯は完全な交通規制がしかれ
タクシーでさえも入れない状態であった。

というわけで、招待側のいうとおり
国際飯店へ。。。

しかも、手渡された<証明書パス>が無い人は
ホテルの敷地内にも立ち入り禁止で
ボランティアのお兄チャマとはホテルの外でサヨナラ。


・・・一体、この先、どうなるんだろう・・・


ちょっと不安になりながら、とりあえず
ホテルの部屋で待機することに。。。。




国際飯店のお部屋


実は私が招待された宋慶齢基金会ご一行は
私が上海にいる時に既に北京入りしており
この日も学会などのスケジュールをこなされていた。

私はさすがに疲れが出ていて
午後すぐに皆様に合流するのは難しく、

午後4時にロビー集合

まで休むことにした。



お昼にはルームサービスでチャーハンを頼んだら
巨大なお皿に大盛のチャーハンが届き、オドロキ





午後4時にロビーに集合。

人民大会堂でのレセプションに出席するためだ。

ものすごい警備だということで
携帯電話、カメラ、ハンドバックでさえも
持ち込み禁止。
つまり、てぶらでパーティーに参加するという
ドレスコード(?)。






ホテル敷地内には
一般の人は入れないようにしておきながらも、
更にホテルの玄関には
空港と同じ、人体チェックと荷物チェックの機械が設置され
ものすごい厳重なチェックが出入りのたびに行われる。



人民大会堂ではそういうわけで
写真が撮れなかったので、招待状だけアップ。








今回ご一緒だったのは
なんと<孫文>の子孫ファミリーの方々と
宋慶齢基金会の皆様。





この日の夜。


すごい轟音で目が覚めた。
地響きと
けたたましい号令がマイクロホンで流されている。


・・・おそるおそる
カーテンを開けて、外を見ると・・・


何百、という数の戦車が
ゴォォォォ・・・という重低音を出しながら
通りを移動している。


戦後、最も日本が豊かで平和な時期に
生まれ育った<バブルでGO!>の世代の私にとって
戦車、は全く縁の無いもの。



戦車の轟音と、
まるで自分が行進しなくてはいけないかのような
軍隊の号令が響き渡る真夜中の、北京。


・・・怖いよぉ・・・


結局、この夜も一睡も出来ず。
(中国に来てから、本当にほとんど眠れない夜が続いた。。。)


朝、5時にはドアのノックと
電話の両方で、モーニングコール。


わかった、わかった
そんなに必死に起こしてくれなくても
一睡もしていないから、起きてますヨ




パレード参加のため、6時には部屋を出なくてはいけない。

なぜなら、ホテルの部屋に
何かしかけられていないか、と全てチェックを行うため
6時以降は
ホテルの部屋にいてはいけないのだ



さあ、次ブログからは
いよいよお楽しみ建国60周年記念式典の模様を
お伝えします




上海 外灘 ウェスティンホテル

2009年10月11日 | 旅館&Hotel
上海 外灘 ウェスティンホテル







ゆっくり外灘を散歩したくてこのホテルを予約した。

が、ホテルの部屋にたどり着いたのが午後10時近く。


”お部屋、アップグレードしておきました。

とフロントの方に言っていただいた。

本当に素敵なお部屋で、
数時間寝るだけ、ではもったいなかった。





リビングルームと素敵なデスク




ウェスティンホテル自慢の<ヘブンリーベッド>

どんなに寝心地が素晴らしいのかと
期待してベッドに横たわったのだけれど

<ヘブンリー>というほどでも・・・。

なぜなら、私は自分のベッドを買い換えたばかりで
自慢してしまうと
超奮発して買い求めた最高のマットレス

なので、ウェスティンホテルの<ヘブンリーベッド>
より、実はさらに<ヘブンリー>なベッドで毎晩寝ている




高級感溢れるバスルーム。
ゆっくりバスタブにつかる時間は・・・なかったのだけれど


実はウェスティンホテルを選んだ理由はもう一つあった。

<バンヤンツリー・スパ>。


でもスケジュールが何時に終わるかわからないので
予約出来ないでいたが、
スパが夜11時最終受付と知って、
フロントに問い合わせてみた。


”60分のコースでしたら、今からでも間に合います。

私はとにかくドレスから
簡単なウェアに着替えて、ウェスティンホテル3階にある
バンヤンツリー・スパに駆け込んだ。





3階からロビーラウンジをのぞくと
とっても雰囲気が良く、皆さん楽しそうに飲んだり、食べたり。

そういえば、殆ど何も食べて無いし、飲んでない。
お腹へった・・・。

でも、疲労で足もガクガク、
体も冷え切っているので、やはり、スパへ・・・。






オリエンタル・ムードのバンヤンツリー・スパ。

浦東シャングリラ・ホテル<気Chi Spa>ほどの
広さはない。


まずはシャワーを浴びて、
その後、薔薇の花びらいっぱいの
お湯に足をつける。


部屋に焚くお香も自分で選ぶ。

ぐったり疲れた私は60分のボディマッサージでは
回復は不可能だったが、
念願のバンヤンツリー・スパに来られたのは、嬉しかった。



で、もっと嬉しかったのはこれ。





最後にカモミールのハーブティーと一緒に
フルーツとトマトがサービスされた。

お腹ペコペコだった私は本当に嬉しく
このフルーツとトマトをペロリ、と平らげた。


部屋に帰り、
荷物の整理を済ませるともう、夜中1時を過ぎている。

明日は、早朝5時に
ルームサービスで起こしてもらう。

朝一番に北京へ出発の予定。


<ヘブンリー・ベッド>での睡眠は
4時間弱。 もったいない。






5:00AMきっかりに
ルームサービスの朝食が運ばれてきた。


この朝食、最高にレベルが高かった

たぶん、今まで色々なホテルに泊まったけれど
ベスト3に入る、というか
もしかしたら、最高の朝食メニューかも。。。


2年前浦東シャングリラホテルでの
洗面器のようなお皿に入ったシリアルと
脱脂粉乳には参ったが、

対岸にある、外灘ウェスティンホテルの朝食は
果物やジュースのフレッシュなこと、
ミューズリーの美味しいこと、
パンが美味なこと、
ポーチド・エッグとマフィンが温かくて
そして、温野菜も。

大満足、◎の朝食

本当はじっくり時間をかけて楽しみたかったけれど
すぐに出発の時間。


上海虹橋空港から北京へいざ、出発。








上海市主催建国60周年レセプション

2009年10月10日 | せずにはいられない・・旅の話
上海市主催建国60周年レセプション




孫中山記念館での2時間以上にわたるミーティングを終え
今度は急いで外灘 ウェスティンホテルへ向かう。

上海2泊目はこのウェスティンホテル。

チェックインして、着替えて、20分後にロビー
いっ忙しい




レセプションの招待状




上海の街は交通渋滞が激しい。
ウェスティンホテルからレセプション会場まで
夕方の時間帯のラッシュと重なって大渋滞。

しか~し、手配してくださった運転手さんが
とにかく、もう、本当に運転が上手で
無事、レセプションがはじまる10分前に会場に着いた。






レセプション会場となった上海展覧中心



中は巨大なホール。
在上海の総領事館の方々や企業、
諸団体の方々が招待されている。







上海対外友好協会の王加新先生と


私はとにかく、現地に行くまで
どういうスケジュールで
どんな方にお会いするのかなど聞かされていない。

この日も突然に

”上海市書記に5番目に会うことが出来ますから。”

と告げられた。


上海市長をトップに、上海市人民政府の皆様や
軍関係の皆様が続々と会場入りする。
会場内には生オーケストラの演奏が流れる。


日本のパーティーとはやっぱり違う。
なんか、迫力が・・・ある。


上海市長の挨拶と乾杯の後、
私は手をひかれて
兪書記に謁見を許された人たちの中へ。。。






挨拶、といっても
ここも日本の政治家と大きく違うのは

中国の要人の方々は
ゆっくりと、相手と会話をするのだ。

日本の政治家の先生たちは
パーティーで挨拶をする際にも

”はいはい、宜しくね。”

くらいの感じで次々と握手する、というのが一般的。

ところが、
中国の要人の方は、

一人一人、ゆっくりとした口調で会話を楽しまれる。

こちらが戸惑ってしまうほど、
時間を取られる。

多分、最初にご挨拶されたのは
アメリカの総領事とか、イギリスとかの大国の総領事だと思うのだけれど
かなり色々お話されていらした。

で、

いよいよ5番目、私の番となる。






まわりにはとにかくすごい人だかり。
対外友好協会の周先生が私の紹介を兪書記にする。

たぶん、その紹介と重なったと思うが
私も自分から自己紹介と建国60周年のお祝いを申し上げる。

そして、
孫中山記念館の館長から
上海市長に会えるのだったら、来年の上海万博の協力を
お願いしてほしい、と頼まれていたので
来年の上海万博の話をした。


兪書記は

”昨日、日本の岡田外務大臣とお会いしました。
岡田外務大臣の先祖の方も孫文先生とご縁があると
伺いました。
今、中日関係はとても良い関係です。
もちろん、上海万博、全面的に協力いたします!”

とお話を頂く。

とても立派な方。すごく高い波動をお持ちでいらっしゃるように感じた。


その後は
昨年の展示会の開会式にいらしてくださった
上海市人民政府の先生方との再会も。







そして、そのパーティーを抜けて
今度は
建国60周年記念コンサートへと向かった。





上海のオペラ座


上海展覧中心からオペラ座までは
車で10分程度。

上海は雨が降り出してきた。


建国記念コンサートは
バレエやダンス、子供たちのパフォーマンスや
中国各地の民族舞踊や歌、
詩の朗読や合唱が次々と繰り広げられる豪華なステージ。

全て<愛国>がキーワードとなっている。


私は舞台の両脇に設置されたボードに
歌詞が映し出されるのを
一生懸命目で追ってみた。

中国語の、レッスンみたいに。


最後は会場全体で旗をふりながら
愛国の歌を大合唱。

日本ではまずあり得ない光景だなぁ。。。
最近では<君が代>すら歌わない学校もあるくらいだから。

私は歌はわからないけれど
旗は皆さんと一緒に振ってみた。






朝のOLD上海巡り、
上海万博のミーティング、
記念レセプションとコンサート。。。


ホテルに着いたのは午後10時近く。

ハードな中国滞在はまだ続く。。。