Happy-sanになろう!

Happy-sanな日々をご紹介するブログ。旅のお話もいっぱい♪

神奈川県日中友好協会30周年記念祝賀会に、出席

2012年06月30日 | 日中友好
神奈川県日中友好協会30周年記念祝賀会に、出席



6月29日、
横浜山下公園前にあるホテルニューグランドで
神奈川県日中友好協会の30周年記念祝賀会が催された。


ホテルニューグランドは
私の大好きなホテルのひとつ。

会場に少し早く到着したので
静かなロビーラウンジで、おひるごはんも食べていなかったので
スコーンとアッサムのミルクティーをいただいた。









総会、講演会、懇親会と3部制になっていて
私は駐日本国全権特命大使 程永華先生の講演会から出席。






流暢な日本語で
今年は日中国交正常化40周年となる節目の年にあたり
これまでの40年をふりかえって
日中関係について、ご講演された。



懇親会では神奈川県黒岩知事も出席され、
ご挨拶された。





黒岩知事に私も初めてお目にかかったので
ご挨拶させていただいたところ、
知事は

”なんで松本楼の人がこの会に来ているのかな?と思ったら
 中国とは深いご縁があるんですね。。。”

と。



懇親会では神奈川フィルハーモニー管弦楽団から
四重奏の演奏も・・・。





実はこの神奈川フィルハーモニー管弦楽団、
日中国交正常化40周年を記念して
この10月に初めての海外公演が決まった。


10月21日  中国広州星海音楽ホール
10月22日  深セン音楽ホール
10月23日  中山市文化芸術センター


現在、この神奈川フィルの専務理事をされていらっしゃる
大石様とは母が生きている頃からの、お付き合い。

中山市で公演をやるかもしれない・・・という企画段階から
もしやることになったら、
孫文先生の生まれ故郷であるので
ゆかりの日本人 梅屋の曾孫として、私にも
中山に行ってほしい・・・と打診されていた。


母が闘病中、大石様はほんとぉぉぉにココロからご心配いただき
励まして下さった、大切なご縁なので

大石さまの念願の海外初公演でもあるので
私も10月、広州、中山に出かけようと思っている。




大石様(左)、神奈川テレビ社長 牧内様(中央)とご一緒に


せっかく
山下公園まで来たのでゆっくり散歩でも・・・とも思ったが

真面目な私(!?)は
横浜駅界隈にある支店2か所をまわることに。。。


一昨年、昨年の活動の中で
長崎だけではなく、神奈川の皆様との交流も増えて
ありがたいと思っている。


ホテルニューグランドで開かれた
神奈川日中友好協会30周年記念の祝賀会での、話。

東北のこどもたちと北京へ~その9 月譚中学との交流

2012年04月13日 | 日中友好
東北のこどもたちと北京へ~その9 月譚中学との交流




北京最終日の朝。

宿舎の窓から朝焼けを撮影した。





宿舎のあった中日青年交流中心で全員で記念撮影。




その後、
昨夜から交流を始めている月譚中学へと向かった。





東北のこどもたちも
月譚中学のこどもたちも全員校庭で整列。

まずは記念式典から。






私は来賓席で座っていられたのだが
寒い中こどもたちは長時間、よく頑張りました!!




校長先生のご挨拶。





続いて、村山元総理のご挨拶。






月譚中学のこども代表から。またまた中国語・日本語2か国語でのスピーチ!




東北代表は
私たちも仲良くなった岩手チームから!







被災地の様子をやはり
こどもの言葉で伝えられると
本人たちもいろいろな想いが沸いてくるのだろうか、うつむいて聞いていた。






お互いにメッセージのかけあいをしたり、




応援メッセージを大きな幕に書いたりして、式典終了。




月譚中学の校庭にて記念撮影






この後、夕方まで
東北のこどもたちはこの月譚中学で
卓球をしたり、
ディスカッションみたいなことをしたり、食事をともにしたり、、、と
さまざまな交流プログラムを行う。






村山元総理とお孫さん、私と息子は
ここ月譚中学で皆さんとお別れ。
日程の都合上、東京に戻らなければならないからだ。


皆さんと別れた後、
北京市内の個人所有の不思議な博物館に案内され、
コレクションを拝見した後、昼食をとった。










<石>の美術品コレクターの博物館なので
食卓も大理石、箸置きなども豪華!!







まずフルーツからいただくのが
健康志向で最近の流行だそう。。。




















宋慶齢基金会の李寧秘書長から
私や息子にまでお土産を頂戴した。





村山元総理から
再び、宋慶齢基金会の李寧秘書長に<書>が贈られた。







やはり、中国の方とのお付き合いの中で
<書>は大切だな、と今回の旅でもつくづく感じた。

ちゃんとお稽古しなくては。。。



素敵な中国茶を楽しむテーブルも・・・




最後に記念撮影。




この後、北京空港へ。

東京に帰る時は息子も私たちと同行が許され
VIPルームでくつろぐ息子。。。





こうして
3泊4日の東北のこどもたちとの北京の旅が終わった。


素晴らしいプログラムを用意してくださった
中国宋慶齢基金会に改めて敬意を表し、感謝するとともに
日本サイドで準備などに奔走していただいた
日中友好協会の皆様にも感謝の気持ちでいっぱいだ。


日本では
中国との間の問題が多く報道されるので
国民感情が一向に上向かない。


色々な問題はどちらの国にもある。と私は思っている。

でもこうした
国境を越えた、素晴らしい取り組みもしていることも、確かだ。

残念なことに
このような素晴らしい取り組みは
インターネットで一部報じられただけで
(中国ではテレビなどでだいぶ報じられたようですが。)
日本では
報道されていない。


実際に自分たちの目で、足で、カラダで感じた
東北のこどもたちが
これから、彼らの言葉で
この体験を広く伝えていくのだろう・・・。




東北のこどもたちと北京へ~その8 北京ダックの夕食会

2012年04月13日 | 日中友好
東北のこどもたちと北京へ~その8 北京ダックの夕食会







銀座や新宿(にもある?)北京ダックの有名店が
夕食会場。




かなりリアリティーある調理場がガラス越にみえる






このレストランの大ホールで
宋慶齢基金会主催の歓迎夕食会。




東北のこどもたちだけではなく
北京で第1外国語を日本語として教育している
月譚中学の学生100名近くも合流。
同じテーブルに日本人・中国人半々で座り
交流プログラムもスタート。








まずは宋慶齢基金会の董副主席からお話。




続いて村山元首相。




続いて、月譚中学の学生代表。



この学生さん、超優秀で
中国と日本語、2か国語でのスピーチ。
しかも中国の方にありがちなイントネーションではなく
完璧な日本語!!!


日本も地域を限定しても良いから(たとえば長崎とか)

中学生から英語と中国語、どちらかを
第1外国語として選択できる、というような学校を作らないと
ほんとぉに、これからのアジア人として
太刀打ちできないと・・・改めて感じた。





東北のこどもたちの代表。
被災当時の苦しい状況を詳しく語ってくれました



そして、なぜかいきなり私にも順番がまわってきて。。。
(なんの準備もしてないぞ






ここは辛亥革命100周年の一連の行事や講演会で
人前慣れした度胸で何とかスピーチを終えた。





中学生にもわかるように丁寧に話したら
息子から

”話、なげーよ。”とクレームが・・・。



そして、
ステージ上にはずらりとシェフが並び。。。





北京ダックをさばきだした。。。





それを女性スタッフが手際よく分けて。。。






美味しそうな北京ダックがテーブルに。








北京ダックをいただきながら、
月譚中学の学生の流暢な日本語・中国語の司会ではじまった
<学生 演芸大会>









こういうの、中国のこどもたち、上手ですよね。。。





そして、岩手チームは
EXILEのChouChou Trainを踊りと歌で披露。





茨城チームは<よさこい>。
会場はソーラン節で盛り上がった





宮城チームは歌の披露




元気な女子高校生たちはAKB48で応戦!




中国サイドは技術で魅せます!



途中、プロによる<変面>やマジックショーも用意された。






すごいシャッターチャンス!なかなか変面チェンジの瞬間って撮れないのですよ!!



フィナーレは全員で舞台にあがり。。。



記念撮影





村山元総理から宋慶齢基金会 董女史には<書>が贈られた




こうして、最高に楽しい
北京の月譚中学と東北のこどもたちの夕食会が終わった。。。



東北のこどもたちと北京へ~その7 鳥の巣と熊猫

2012年04月13日 | 日中友好
東北のこどもたちと北京へ~その7 鳥の巣と熊猫



万里の長城を後にして
市内へ戻り、北京オリンピックのメインスタジアムとなった
鳥の巣の近くで記念撮影をした。











やはり一緒にご飯を食べたりして仲良くなった
岩手から来ていたお姉ちゃまたちと一緒に。。。







変なおもちゃが販売されていて、
これ、地面を這うようにして動く兵隊のおもちゃ。
かなり、ウケた。







鳥の巣の見学のあとは
東北のこどもたちがリクエストしていた<熊猫パンダ>を観に北京動物園へ。



熊猫館の入り口


やはり中国だけあって
パンダも結構たくさんいて、行列などすることもなく
間近でパンダさんを堪能。










この姿、癒される。。。。







息子はかなりロックンロールな感じの珍しい鳥をみつけ、大喜び。


南アフリカの方で生息しているという紫暁胸鳥?
(こんな感じの名前だったと思うけど順番違うかも)






北京ではもう桜も咲いていた。










東北のこどもたちはやはりパンダを観ただけではなく
お土産にこんな可愛いぬいぐるみをGetしていた。






熊猫(パンダ)との時間を楽しんだ私たち一向は
夕食会場へと向かった。

この夕食から
北京にある日本語を第1外国語として教育をしている
月譚中学の学生との交流が、はじまる。




東北のこどもたちと北京へ~その6 万里の長城

2012年04月13日 | 日中友好
東北のこどもたちと北京へ~その6 万里の長城







朝早く宿舎を出発。

高速に乗り、万里の長城へ向かった。


私がここを訪れるのは2回目。
なんと
大学2年の時以来だから・・・・すごいひさしぶり。


実は一度上ったことがあるので
今回は遠慮しようと思ったが
息子たちに
”一緒に登ろうぜ”と背中を押され
この年で再度トライすることに。






だんだん近づくと、車窓にも
その険しい姿が見られるようになる。
こどもたちも、
テレビなどで知っているとはいえ、
目の前に飛び込んできたその姿に圧倒されていた。




この門をくぐって・・・


右側がゆるやかな坂。
左側が急な坂。


初めての経験の人が圧倒数なので
右側を行くように、との指示が出される。














私としてはめずらしく
運動靴を履いて、万全の準備をしたが
階段幅が大きかったり小さかったり、勾配もさまざまで
結構きつい。。。














しかし、中国の少数民族の人だろうか
かなりお年を召された方々は
こんな恰好で上っていたみたい。。。

おそるべし!



だいぶ上まで来ました!















この後ろの赤い門のところがこのコースのゴール!!!








一緒にご飯を食べたり、バスが一緒で
仲良くなったお兄ちゃまたちと
万里の長城、をバックに・・・







息子は北京の空気があまりに・・・・なので
万里の長城の空気がすがすがしい、と大喜び。

すごく充実感があったようで
万里の長城が一番北京ではいいな!と。

今度来る時は急勾配の左側のルートにチャレンジするのだとか。







近くの土産店で
お気に入りの万里の長城のTシャツと水晶を購入。






私としては、たぶん、これが
人生最後の万里の長城。


でもお天気も良く、
みんなと声をかけあって昇れたことは一生の思い出。


(・・・翌日から足の筋肉痛により、歩行困難になったけれど。。。)






東北のこどもたちと北京へ~その5 雑技団Night

2012年04月13日 | 日中友好
東北のこどもたちと北京へ~その5 雑技団Night



上海では11月に雑技団を見学したが
北京でも今回、雑技団を観ることが出来た。

これはお楽しみ行事なので、
こどもたちもリラックス。

隣に座った中学生が
ロビーで仕入れたポップコーンを
”食べきれんから一緒に食べて。”と私にも分けてくれた。




舞台にはちゃんと私たちの団体を歓迎する字幕が。。。
こういうの、中国は派手にやるのですよね。。。。



いくつかたまげた技の写真を撮りましたので
ご覧あれ。











この人、マジやばい。もうひとりの男性とこんなポーズをとりながら
階段を下りたり昇ったり。。。。
観ているこちらが冷や汗。。。





おいおい、アタマの上だぞ。。。




最強の自転車オネエさまたち








おお~





実はこの地球儀みたいな中で
バイクがすごい勢いで走り回る。

最初1台だったのが、どんどん増えていき・・・
5台で全速力でブンブンこの地球儀みたいなの中でバイクを飛ばす。

一歩間違えたら、大惨事となるだけに
私はもぉ、きゃーきゃー言いながら観ていた。。。




最強のバイクに乗っていた男性たち。すごすぎるっ




個人的感想としては
上海で観た雑技団よりさらにこちらの方が
見応えがあり、
ハラハラドキドキ・・・
本当に楽しかった!



やっとこれで初日のプログラム終了。。。
長い1日、お疲れさま。


翌日は<万里の長城!>




東北のこどもたちと北京へ~その4 宋慶齢故居での植樹

2012年04月13日 | 日中友好
東北のこどもたちと北京へ~その4 宋慶齢故居での植樹




市内から少し離れた后海という閑静な場所に
晩年 宋慶齢女史が暮らしていた故居と記念館がある。

私の祖母も生前、宋慶齢女史が暮らしていたこの場所を訪れているし、
2010年9月にはこの場所で
<孫文・宋慶齢と梅屋庄吉展>が開催された。


今回の東北のこどもたち100名の招待は
この宋慶齢基金会によって実現、運営された。
宋慶齢女史は言わずもがな、
宋家の三姉妹の次女であり、
孫文の妻となり、
中華人民共和国副主席から名誉主席になられた方だ。

児童福祉に力を注いでいたので
その精神を受けついだ基金会は国際的に児童福祉に関することや
青年交流を行う組織である。




宋慶齢基金会主席の胡啓立先生と村山富市先生



宋慶齢基金会の幹部の皆様




恒例のお土産交換








私も手書きの桜の絵の扇を胡啓立主席にお渡しした



胡主席からはパンダの屏風をいただいた




幹部メンバーでの記念撮影








この日、
東北のこどもたちに加え、
四川大地震で親を亡くした子供たちもここに呼ばれていて
みんなで
桜の木やカイドウの木を植えた。


私も会見の後
植樹に参加。


















こどもたちと胡主席と村山元首相










四川大地震で親を失ったこどもたちの手を
村山元首相がつないで、広い園内を散歩、

胡主席は東北のこどもたちに話しかけた。










こうして
宋慶齢故居の広い庭に
沢山の木が植えられた。


こどもが大好きだった宋慶齢女史も
天国で今日の日のことを喜んでご覧になっていらっしゃるだろう。



この後、
市内に戻り、簡単な夕食を済ませた後、
雑技団を観る、という夜までびっしりの、スケジュール

東北のこどもたちと一緒に北京へ~その3 天安門広場から故宮散策

2012年04月12日 | 日中友好
東北のこどもたちと一緒に北京へ~その3 天安門広場から故宮散策








お天気にも恵まれ、
人民大会堂の目の前の天安門広場で記念撮影。








緊張もほぐれてきて
同行した高校生たちと会話がはずむようになってきた。














たくさんの人が観光に訪れる故宮の入り口










歩きながら話をすると
彼らは見た感じはどこにでもいる中学生・高校生なのだが

両親を地震や津波で亡くした、
家が津波で流されてしまった、

というあまりにもむごい、つらい経験をしたこどもばかり・・・・だった。


私は
言葉を失い、涙がこみあげてきそうになった。

彼らの背をさすって

”強いね。”と言うと

”はい、頑張るしかないっす。”と。












故宮は私が北京で一番好きな場所。

























朝早くから
人民大会堂での会見、
そのあと
広大な敷地の故宮を散策。


お腹すいたぁ~という声もちらほら。。。。

ランチの後、
午後は宋慶齢故居へ向かった。









東北のこどもたちと一緒に北京へ~その2 人民大会堂

2012年04月12日 | 日中友好
東北のこどもたちと一緒に北京へ~その2 人民大会堂









実は私が今まで数回
人民大会堂でのレセプションや大会に参加した際には
<手ぶら>が原則だった。

カメラや携帯の持ち込み、ハンドバックもNGだった。


・・・のに、今回は
超特別な待遇で、こどもたちもカメラや携帯の持ち込みOKであった。



なので、私もやっと人民大会堂で写真撮影することが出来た。






最初に
村山冨市元総理と日中友好協会の事務局長と私、代表の引率の先生方は
国務委員の劉女史との会見を行った。




村山元総理、お孫さんと私




人民大会堂の天井













息子も人民大会堂デビュー! 若干15歳は早い。
私は大学2年の時だった。




上海の間




劉女史と村山先生、会見の後の
恒例、お土産交換。







その後、劉女史は
こどもたちにお会いになり、中国の要人としては
普通では考えられないほど長時間にわたり
こどもたちに向けてスピーチをされ、
一緒に記念撮影。






こどもたちは緊張もあり
また長時間立っていたこともあり
若干疲れていたようだが

なかなか入ることの出来ない人民大会堂で
中国の要人と写真を撮り、
お話を直接伺う、という貴重な経験は
大人になっても忘れないだろうし、
そのことの持つ大きな意味を後にかみしめることになると思う。






人民大会堂での行事が無事終了。
今度は天安門広場~紫禁城へ。。。。





東北のこどもたちと一緒に北京へ~その1  歓迎式典

2012年04月12日 | 日中友好
東北のこどもたちと一緒に北京へ~その1 歓迎式典



2012年3月28日~31日まで
東北で被災した4県のこどもたち(中学・高校生)と一緒に北京に行った。


これは中国宋慶齢基金会の招待であった。
私は中国宋慶齢基金会の理事であるので
この企画に賛同し、同年齢の息子とともにボランティアとして参加した。


出発に先立ち、前日の3月27日 成田のホテルで壮行会が行われた。




程永華中国大使のごあいさつ




村山富市元総理のごあいさつ




子供たちの代表が元気良く出発のあいさつを。。。



今回の団長を務めるのは
88歳になられる村山冨市元総理。

仙人のような長いまゆげは
中国でも人気。

今回はお孫さんとご一緒の参加。



翌朝、JALにて北京へ。


北京の空港ではにぎやかな出迎えと
歓迎式典が行われた。







私も大きな花束をいただき、
いつも北京でお会いする宋慶齢基金会の皆様との再会。







実はこの後、アクシデントが。。。

私はVIP通関でさっさとホテルへ向かったのだが
息子だけ空港に取り残され、
なんと3時間後、やっとホテルで再会。

まさか親子で一緒に北京に来て
別行動になるとは思わず、しばしパニック。

が、当の本人(息子)はわりとケロっとしていて
海外ではいろんなコトが起きる、といういい勉強になった様子。


まずは宿泊先である<21世紀飯店>も敷地内にある
中日青年交流センターを見学。











敷地内には日本と中国のさまざまな青年交流が行われる施設、
プール、テニスコート、料理教室の調理室や茶室などがあった。


やはり、食事の席も私と息子は別々で、
息子は茨城から来た高校生たちと一緒。









宋慶齢基金会の李寧秘書長とは古くからの友人。
今回のプロジェクトでは中心的な役割をされていた。






初日はこうして
空港で親子離れ離れになる、というアクシデントがあったものの
息子の成長に助けられ、
大きなトラブルにはならずに終わった。


参加した子供たちはまだ初日とあって
若干緊張気味。


2日目以降、
少しづつ、緊張もとれ
私も彼らと色々な話をしながら
スケジュールをこなした。




長崎歴史文化博物館<孫文・梅屋庄吉と長崎展>フィナーレ!

2012年03月27日 | 日中友好
長崎歴史文化博物館<孫文と梅屋庄吉展>フィナーレ!




3月25日。

いよいよ半年間にわたって開催されていた
<孫文・梅屋庄吉と長崎>展がこの日、最終日を迎えた。


長崎市内を走るタクシーの窓には
ほとんどこのステッカーが貼られていたので
今度から
もぉこういうものが消えてしまうのはさびしい気がする。。。




タクシーに貼られている展示会のステッカー




最終日、
展示会場はもう1回、観ておきたいという方も訪れてくださっていた。








博物館の皆様、お世話になりました!!!





展示会には
私の家で保管されている史料のほか、
北京・上海・武漢などからお借りしている史料もあり
このような大規模の展示会はおそらくもう開催することはできないかも、しれない。




この展示会のために奔走してくださった
元長崎県参与の藤氏も最終日、駆けつけてくださった。


梅屋庄吉が80年前中国に4体送った銅像の
完全複製の前で多くの方が記念撮影をした。

最後に私も藤氏と。。。。



400名以上、国内外からVIPがかけつけた
開幕式であったが、
最終日はとても静かに幕を閉じた。


長崎歴史文化博物館の関係者、
湖北省武漢からいらした中国の関係者、
長崎県の孫文・梅屋プロジェクトの皆様と記念撮影。





そして、皆様から花束をいただき、感動。。。。






その後、
鍛冶屋町の炉ばた屋ゑびすにて
関係者の皆様が集まってくださり、慰労会を開いてくださった。








・・・当然のことながら、盛り上がり、飲みすぎて
酔っぱらいムード。。。

私が長崎市内にワンルームマンションを買うために
情報を集めよう!みたいな話題で・・・そろそろお開きに。


翌、26日の夜には
日本経済新聞社の杉田会長(長崎・大村ご出身)が
展示会が終了したので、
お疲れさま会を・・・ということで席を設けてくださった。



料亭 春海



静かな日本家屋。 ここを利用させていただくのも、はじめて。


本当にお世話になった
中村知事、李総領事、大堀館長さまと
杉田会長との会食の席は若輩の私にとって
大変貴重でありがたい機会。


冒頭、李総領事から

孫文と梅屋のこの歴史は
長崎の宝であると同時に
日本と中国にとっても、<宝物>である・・・とおっしゃっていただいた。


李総領事は
中国からVIPがいらっしゃると必ず博物館に出向き、
自ら1時間以上時間を割いて
館内の展示物を案内してくださった。 

中国からの銅像寄贈に関しても
さまざまな手続き上の難しい問題も積極的に関わって
スムーズに流れるようにしてくださった。

大変にお世話になりました。 非常感謝




長崎県中村知事、中華人民共和国駐長崎総領事 李先生、
日本経済新聞社 杉田会長さま、長崎歴史文化博物館 大堀館長さまと。




展示会の来場者数そのものは6万人弱。
10万に満たなかった、ということで
人数に関しては、少なかったかもしれないが

その間、展示会に足を運んだ方々は
日本を代表する政治家、経済界の皆様、
中国各地のVIP,歴史研究家、マスメディアの方々。。。。

ということを考えると

どれだけ重要な展示会であったか、ということがわかる。


2010年の今頃、
長崎で<梅屋庄吉>の名前を知っている人は
ほんの、数名であったと思う。

実際、県の関係者もまったく知らなかった、というのが実情である。


しかし、この2年間の取り組みで
長崎県全体のおよそ6~70%の方々が
梅屋庄吉のことを知るようになったという。


李総領事は続けられた。。。。


”これからです。。。”


そう、
長崎での展示会は終了したけれど
これから
<孫文・梅屋>の絆がこれからのアジアにとって宝物である、ということが
もっと多くの
日本人、中国人に伝わるようになるのは。。。。



本当にこの展示会に関して
多くの方々にお世話になったことに対して

適当な感謝の言葉がみつからない。。。





でもやはり、この言葉を。


ありがとうございました。。。



キャリー・ヤウご夫妻 長崎訪問

2012年03月27日 | 日中友好
キャリー・ヤウご夫妻 長崎訪問



長崎での展示会がいよいよ3月25日に閉幕、それまでに。。。ということで
ギリギリのタイミング、22日に
香港からキャリー・ヤウご夫妻が長崎入りされた。


キャリーは香港政府で重要ポストを務めた元高官。
ご主人のフランシスは
孫文の香港時代の親友、ヤウリーのひ孫。



キャリー・ヤウご夫妻




キャリーが香港政府の高官でいらっしゃった2008年当時、
美術館視察で日本に公的な訪問をされた時に
松本楼でVIPとのランチが設定され、
そこで初めて出会った。


同じ孫文の友人、という先祖をもつ
キャリーと私はその時からの友人。 

長崎での展示会に役立つ情報もキャリーは提供してくださったし、
上海万博開幕式にもわざわざいらしてくださり
スピーチもしてくださった。

そして今回、わざわざ
展示会を観に来るために、遠く香港から長崎に。。。。


なんと濃い友情の絆だろう。。(感動)


去年の震災後、とにかく
日本、というとAyanoを一番に思って
心配で心配で、どうして香港に逃げてこないのか、と何度もメールもくださった



今回、私も朝一で東京を発ち、
お昼に長崎駅に到着する二人を駅のホームで出迎えた。


ちゃんぽんと皿うどんのランチを終えた後、
まず、向かったのは

日本二十六聖人殉教地。






神父さまの案内で記念館にある
貴重な隠れキリシタンや
当時の宣教師の手紙などの史料を見せていただいた。










中学・高校時代は毎朝礼拝をしていた環境でもあり、
母はカトリック信者(ちなみに父は日蓮、寺の総代もやっている。バラバラやん)、
ということもあって、キリスト教に関して無知ではないつもり。

天草の隠れキリシタンの子孫、という方にも
お目にかかったことがあるので
非常に興味深い記念館のさまざまな史料だった。





続いて、長崎歴史文化博物館の
<孫文と梅屋庄吉展>を見学。


キャリーはもしかしたら、私より梅屋庄吉について詳しいかもしれない。
香港、マカオ、シンガポールなどで
梅屋情報をみつけると必ず、教えてくださる。







大浦天主堂を見学した後、県庁へ。。。。







中村長崎県知事が香港を訪問された時にも
キャリーの案内で
梅屋庄吉がみよりの無い人のために建てた香港の墓地を
一緒に探してお参りしてくださった、ということがあり
今回のキャリーの長崎入りでは
中村知事もお忙しい中、お時間を作って会談の席を設けてくださった。








キャリーは梅屋や孫文の生きていた頃の香港の写真集を知事に。。。




キャリー・ヤウご夫妻と中村知事と私



県庁の後は、出島へ。。。





FaceBookでお友達でもある馬見塚出島開発室長さまが
出迎えてくださり、出島を案内してくださった。











出島ではチューリップも咲き始めていました。。。




馬見塚さまと記念撮影
FaceBookでお友達の方々と最近こうして
実際にお会いする機会が多い。。。とても嬉しい



そして、福建会館では
長崎華僑の陳東華先生が出迎えてくださり
福建会館の歴史をご説明してくださった。







夕食は<料亭 一力>。





ここに伺うのははじめて。

建物も風情があり、中庭や壁にかかれた絵にも
ココロひかれる。。。







レトロな雰囲気の建物






私たちには椅子席が用意されていた。





ここで、料亭<一力>の卓袱料理をご紹介。















































一気にご紹介しましたが
卓袱料理はお品書きとかなくて、
最初におひれ(お吸い物)をいただいてからは
大皿に盛られた料理を自分の小皿に分けていただくスタイルなので
料理名がはっきりわからない。
で、
卓袱料理、といっても
それぞれの料亭で全然違うものが出てくる。 味も全然違う。


ここ、<料亭 一力>の卓袱料理、
今までいただいた中で一番、美味しかったかも。。。
お品が良いというか
味つけも、盛り付けも。。。。


まぁ、私の場合(レストラン経営者としては失格かもしれませんが)
料理の味が云々よりも
誰と食事をしたか、どんな楽しい時間であったか、によって
美味しさが変わってくる。。。

ので、この日は
本当にキャリーご夫妻と長崎県副知事他関係者の皆様との
会話が最高に楽しかった、ということでも、ある。















夕食の後は稲佐山に夜景を観に。。。






香港ほど派手な夜景ではないけれど
やはり長崎も夜景では世界で指折りの有名な場所。
キャリー・ヤウご夫妻も楽しんでおられました。







こうして、
今回、6か月にわたる長崎歴史文化博物館での展示会開催中、
香港、中国本土、シンガポール・・・
アジアのいろいろなところから
長崎入りされ、展示会をご覧になられた。

しかも、<VIP>ばかり。。。


孫文・梅屋については
まだまだ一般的には関心をよせる人も少ない。
(ので、映画化とかは儲からない、と言われてしまう。。。)

でも、
この近代史のもつ意味がどれほど重要なのか、を知っておられる方々が
わざわざ
長崎に駆けつけておられた、というのも事実。


国境を越えた友情は
今もなお、続いている。。。。

しかもそれは、100年前、自分たちの祖先が
孫文の友人であり
新しいアジアを夢みた同志であった、という深い大切なご縁をつむぎながら。。




留学生との、座談会  2012.2.25

2012年03月10日 | 日中友好
留学生との、座談会  2012.2.25




2月25日、講演会と展示史料説明ツアーの後に予定されていたのは
長崎にいる留学生たちと長崎県関係者の意見交換会。

留学生は
これからの日中の架け橋、金の卵。

彼らが長崎について感じていることや
中国から観光に来てもらうために
どんな取り組みが必要か、などについて

率直に意見を交換する場を、初めての試みで設けた。


実はこれは
FaceBookで長崎ウェスレアン大学の加藤先生が
留学生たちのことをつぶやいたのに
私が反応して、
県で<孫文・梅屋庄吉と長崎>プロジェクトを担当してくださっている方に
ご相談して

こうした座談会を開くことになったのだ。











長崎の7つの大学が参加して
学生、大学の先生、県の職員の方々、マスコミなどで
会議室はいっぱい!!!


私と
長崎総領事の李先生と
桜美林大学の光田先生は

オブザーバーとして参加。




県の坂越局長から開会のご挨拶






留学生たちも最初は固くなっていたのだけれど

ウェスレアン大学の韓君はじめ
雲仙マップを手掛けたチームが発表をすると
会場内から大拍手。

私も彼らの視点や取組みに非常に感動した。



韓くん  



座談会が終わった後は
長崎駅近くの居酒屋に移動。

李総領事、光田先生、加藤先生、県の方も参加され
<交流会>がはじまった。



























話は尽きず、時計は9時30分をまわってしまい
また次の機会をつくろう!という約束をして会を終えた。


私も次に取り組みたいのは
こうした留学生をはじめとした
若い世代の交流なので、

それにむけて一歩すすみはじめた、
そんな時間となった。






この取組をすすめた
加藤先生、井川さん

お疲れさまでした。


そして、ありがとうございました!!



長崎歴史博物館での、講演会 2012.2.25

2012年03月10日 | 日中友好
長崎歴史博物館での、講演会 2012.2.25


更新がかなり遅れてしまったけれど。。。

まずは2月25日に行われました
長崎歴史博物館での講演会と博物館の展示案内を
させていただいたことから書いていこうと思う。









長崎でも何度か講演会をさせていただいている、ということもあって
今回は<特別バージョン>にしたいな、と考えていた。

が、日々の業務に追われ
なかなか準備出来ない。。。

またしても当日の朝、ホテルで構想を練ることに。。。


12時から長崎県の方とのミーティングが
予定されていたので、なんとかイメージは11時30分までにまとめ
歴史博物館へ。。。


ミーティングを終えるともう講演開始30分前。

色々な方が来てくださり
ご挨拶などしながらも

(・・・ああ、本番の前にもう少しまとめておきたいのに。。。)と
ココロの中で焦りながら
とうとうぶっつけ本番に近い形で

<新しいバージョン>の講演会90分にのぞむことに。。。





ありがたいことに会場は満席。 プラス 後ろのほうには
仮設の椅子もおかれ、
熱気ムンムン。。


えいっ!なんとかなる!

と登壇。 

昨年の辛亥革命100周年の中国での
旅の話、など
なるべく今までどこでもしていない新しい話を選んで
進めていく。。。


会場内には梅屋庄吉像を作ってくださった山崎先生ご夫妻や
孫文・梅屋と長崎プロジェクトを中心的に進めてくださった元県参与の藤さんご夫妻・・・

ここ2年間くらい
二人三脚で長崎の皆様と数多くのプロジェクトを行ってきたことを

なぜか檀上で話をしながら
脳裏によみがえってきた。。。









いよいよ90分終了間際になり
本当に今までのいろいろな想いがこみあげてきて

最後、

~梅屋庄吉夫妻に関するさまざまな取り組みは
とうてい私一人でできることではありませんでした。
長崎の皆様からたくさんのお力を頂きました。
ここであらためて、皆様に御礼を申し上げたいと思います。~


というところで、涙があふれてきてしまった。。。


実は私はたんたんと決まられた時間内に講演をすることに
わりと慣れてきているのだけれど

今回とあともう1回、
最後に涙ぐんでしまったことがある。

2011年2月の壱岐での講演会の時。

あの時も博物館のレクチャールームが満席で立ち見まで出て
皆様の熱い想いになぜか感動してしまい涙
今回は二度目。  あれれ。。。

なんだか
たぶん、人って
温かいココロやキモチが伝わると
自然に涙が出てくるのかもしれない。。。



講演会が終わってすぐに今度は
希望の参加者の方を対象に展示を私が説明してご案内する
ツアーが待っていた。


50名くらいの方が参加してくださり、
私は会場内で、特に皆様に観ていただきたい史料などを
ご説明してまわった。



































皆様、本当に熱心に話を聞いてくださり
中にはわざわざこの日のために
東京から来てくださっていた方もいらした。じぃ~んと感動



12時からのミーティング、
2時から90分の講演会、
そのあと30分の展示案内・・・

ノンストップで続いたのだが
まだまだ・・・。


実はこの日、
この後すぐに<長崎の留学生と長崎県の座談会>が企画されていて

(・・・・っていうか、私が言いだしっぺ。)

すぐに座談会が行われる会議室へ。。。



長崎県の取り組みとしては
はじめて、という長崎県に留学に来ている学生との
意見交換会の模様は
次のブログでご紹介。



シンガポール訪日団、長崎訪問

2012年02月18日 | 日中友好
シンガポール訪日団、長崎訪問



2月17日、シンガポールの国家遺産局と
シンガポール孫中山南洋記念館の皆様が長崎を訪問されました。

孫中山南洋記念館の館長は
昨年1月に東京の私の自宅にいらして
梅屋関連の資料をご覧になり
シンガポールでも孫文と日本人の関係を広く広めたい、という気持ちをもたれ
震災で訪日が遅れたものの、
今回国家遺産局の方と、記念館の方々を連れて
再度、日本にやっていらっしゃいました。


現在、梅屋庄吉関連資料は
長崎歴史文化博物館に展示してあるため
長崎にご案内することに。。。


シンガポールご一行は
神戸の孫文記念館、
荒尾の宮崎兄弟記念館訪問後、長崎入りされました。


長崎ホスピタリティには
彼らも本当に驚いていました。


まず、昼食後、県庁に向かいました。













県庁では中村法道知事がシンガポール訪日団を
お迎えくださいました。


長崎県では<孫文・梅屋プロジェクト>から
アジア戦略を打ち出していて、昨年からさまざまな取り組みを
されていらっしゃいますが
アジア、というのなら
シンガポールも大事。。。と私が今回、
県の方にお願いして
こうして知事表敬も実現しました。


経済・観光ではシンガポールも日本も
両想いの非常に良い関係を築いていますが
歴史では戦争により分断されがちなアジア近代史ですが
孫文ネットワークは
アジアを結ぶ大事な歴史だな、と
あらためて、実感いたしました。








英語が堪能な坂越局長はさっそく
シンガポールとの交流の時期について
話し合いを始められました。。。



県庁訪問後は、長崎歴史文化博物館で
<孫文・梅屋庄吉と長崎展>を1時間30分以上もかけて
ゆっくり見学されました。





中国から寄贈された孫文と梅屋夫妻銅像の前で。。。


その後
歴史博物館内にある会議室で
これからの取り組みに関しての意見交換。


なんと
シンガポール訪日団からは
梅屋庄吉がシンガポールで映画興行をやっていた時の
英字新聞や、シンガポールでの滞在場所まで調べて
たくさんの資料をお土産に、と持参されました。


梅屋庄吉は自身があまり詳細なことを書き残したり
あるいは
庄吉に世話になった大陸浪人たちの回顧録にもほとんど(なぜか)
登場しない、ということもあり、
その存在には
疑問を投げかける人も少なくない中で

こうして、
実際に、本当に、シンガポールで映画興行をしていたこと、
それが当時の新聞にも紹介されていたこと、の
足跡がきちんと残っているということに
非常に感動しました。

さすが!シンガポール!です。



私たちは夕食までの時間、
原爆記念館を訪問。

100年前の交流の歴史とともに
また
非常に大事な戦争、原爆の歴史も静かに振り返る時を過ごしました。

私は少年が赤ちゃんをおぶって、はだしのまま
直立不動の写真の前で
涙が止まりませんでした。。。。


長崎は
交流の歴史とともに
原爆の落とされた場所としての
平和のメッセージの発信地でありつづけることの、
大切さをココロの深いところから感じました。



夜は
長崎県、歴史文化博物館館長の皆様と
シンガポール訪日団と親睦を兼ねて夕食会が開かれました。


非常に和気あいあいと、
中国語と英語の飛び交う
インターナショナルな宴席となりました。



シンガポール孫中山記念館館長と
大堀歴史文化博物館館長








宴席で、

まさか孫文は100年後に
自分が訪れたシンガポールと長崎が
自分の歴史を軸にこうして
同じテーブルを囲んで、こんなに楽しい時を過ごしているなんて
想像もしていなかっただろうね、

とシンガポールの館長が話されました。


私は、

でもこれこそが、梅屋の描いた理想であり
願っていた姿だ、と答えました。


素晴らしい交流の1日となりました。


シンガポールの皆様、
そして
<長崎ホスピタリティ>をぞんぶんに発揮して
あたたく迎えてくださった
長崎の皆様、

本当に、ありがとうございました