Happy-sanになろう!

Happy-sanな日々をご紹介するブログ。旅のお話もいっぱい♪

歴史上の人物に、恋をする

2008年06月30日 | 見つけたHappyたち
歴史上の人物に、恋をする



昨日、NHKの大河ドラマ<篤姫>。
最初の音楽にあわせての出演者の画面を見て
息子が

”ママの好きな、橋本佐内が出るらしいよ。”と言う。

私はキッチンにいたのだが
急いで、夕食の支度を終え、席につく。


橋本佐内は西郷隆盛とともに
時期将軍に一橋慶喜を推す工作に奔走する役で登場。


私は、高校生の頃、
日本史の教科書に出ていた小さな肖像画の橋本佐内に恋をした。

キリリとした細長の目。
お品が良く、頭のよさそうな左内。

私はどちらかというと、お目目パッチリな”ソース顔”より
切れ長の目、いわゆる”お醤油顔”が好き
そう、
チャンドンゴンより、ヨン様のほうがタイプ、ということ


・・・話を戻すと
教科書に橋本佐内は福井出身で
<安政の大獄>で井伊直弼に処刑されたことくらいしか
書いてなかった。
今のようにインターネットなどが無い上に
当時私はイギリスにいたので、
橋本佐内の情報を得たくても、なかなか難しかった。

武田信玄や織田信長、徳川家康、坂本龍馬、新撰組・・・

メジャーな歴史上の人物の書物は沢山あるのに。
ドラマでもしつこいくらいに同じ人物ばかり描かれる。

歴史上にはもっと沢山、面白くて立派な人がいるはず・・・。

つまらない授業の間には
私は橋本佐内を主人公にしたドラマを勝手に創造したり、
テーマ曲を作ったりしていた。

その、橋本佐内が久々に
何と大河ドラマで登場

・・・高校生の頃から20年を過ぎ・・・
久方ぶりの再会であった









私の曽祖父 梅屋庄吉も
本人の遺言や、その後の戦中・戦後の混乱の中で
歴史の底で静かに眠っていた人物だ。

あまりにスケールの大きい人生だったので
良く調べもしない学者は
その存在すら否定していた時代もあった。


歴史上の人物に恋をする、といった点では
梅屋庄吉に関して
ツボにはまると、とことん惚れ込んでしまう人たちが、いる。


情報が少ないので
本当にそういう人物がいたのだろうか・・・と
半信半疑で、取材に来るテレビ局の方や学者の方々に
資料をお見せしたり
実際に取材を続けているうちに
梅屋庄吉、という人物に惚れ込む人は少なくない。

実際、中国のテレビディレクターの
コウさんは、何年も何年も梅屋に関する取材を続けていて

”いつか、長編のドキュメンタリー、
絶対、ワタシが放映したいです。
ホントウに、尊敬しているのデス。” と言う。


幾つかのテレビの特集番組を作ったディレクターたちや
新聞記者の方など、そういう方が多い。

<孫文と梅屋庄吉>の芝居を作り上げ
日本各地と中国3都市で公演を行った
東京ギンガ堂のシナガワさんもその一人だと、思う。


先日も中国のテレビの取材で
通訳をしてくださった、中国育ちの日本女性は

”長年、中国語が出来るので日中の色々な関係を見て来ましたが
今日は、感動でカラダが震えてしまいました。”

とおっしゃっていた。








かくいう私も、昨年から
梅屋庄吉のツボにはまった一人。

今、

”映画、作りたいですね。”

と言っているモトさんに、最初、梅屋の本を渡したところ

”梅屋庄吉さんは、HEROですよ”と目を輝かせながら言う


先日、実際の梅屋の写真や書き残したものを
お見せしたときの
モトさんの高揚した表情が印象的だった。

そうしたら、モトさんからのメール
こう書いてあった。


”貴女こそ、梅屋庄吉さんに恋してる目でしたよ。”と。







・・・橋本佐内さんと梅屋庄吉・・・

どちらも、切れ長の目で、ハンサムなことに、間違いない。


ムフフ








ある日の、空

2008年06月27日 | Earth(地球の、こと)
ある日の、空




とある日。 

もう少しで、夕暮れになる・・・という時間。

私は家に帰る車の中から
なぜか空が気になって気になって
信号で止まる度に、吸い込まれるように空をみた。


やっと家にたどり着き、車を降りて空を仰ぐと

大きな十字架。









頭上に迫り来る大きな大きな雲の十字架に
私は圧倒された。


そして、家に入り
駆け上がるように3階のベランダに出て空を仰ぐと

・・・空は神々の世界だった。



まず、大きくはばたくような
エンジェルの翼。





そして、後ろをふりむくと
ハートが・・・



望遠レンズ付のEOSだったらもうすこしちゃんと撮れたのに・・
手元にあるデジカメだったので、うっすらですが
本当にハートの形なのです・・・




そして、西の空は・・・




幾重にもさまざまな色が重なる夕焼け雲の上から
神々しい光が差し込む。


だって、この東京の空で

360度ぐるりと

十字架と、天使の翼と、ハートと
天地創造みたいな神々しい光・・・。


何か、神様たちが一同に会して
愛を地球上に降り注いでいるような・・・

静かな、優しい・・・
それでいて
荘厳で、畏敬の念さえ抱いてしまうほどの、空。




実はこの日の空に神様がいっぱいいたことを
感じていたのは、私だけではなかった。


次の朝、ブログ・フレンドのブログをチェックしていると・・・

オーラソーマ プラクティショナーの
Marielさま<ブログ名 Birth>のブログは

いつもキレイなお花やストーンの写真が載っているのだが
その日は<空>の写真。

そう、私が感動していたその空を
Marielさまも感じて、
ただただ空をながめていらした、という。


地球上に降り注がれた愛を

わたしたちは、感じることのできるハートで生きよう。












荘氏と脈診

2008年06月24日 | オーラソーマ・ボトルストーリー
荘氏と脈診



先日、首がまわらないほどの痛みがある、と
ブログで書いた後
Fumiko先生が早速、
とても良い針の先生がいらっしゃるので・・・と
紹介してくださった。


とにかく駆け込み寺的にその先生の
診療所へ出かけた時のことで、ある。

親子で東洋医学の診療所をしていらっしゃるのだけれど

右手はご子息、
左手は大先生(お母様)。

それぞれに手首の脈をしばらく押さえる。


・・・すると、手首の脈をとっているだけなのに


”食事、ゆっくり摂られてないですね。

”それと・・・この一ヶ月の間にすごく
神経使ったことが、ありましたね。”


と言われた。


えーっ どうして、わかるの??


韓国ドラマ<チャングムの誓い>みたいだ。
脈を診るだけで、その人の状態がわかるなんて。

しかも、

<食事をゆっくり食べてない>という生活習慣まで
言い当てられるとは、恐るべし、脈診。






言われてみれば、食の仕事をしながら
お恥ずかしいかぎりなのだけれど
私は普段、
ゆっくりと食事を摂っていない。


朝は必ず食べるのだけれど
ミルクティーとシリアルとフルーツ。

息子の学校の始業 8時過ぎまでに銀座に着くように
一緒に家を出る。
おそらく、朝食に費やす時間は10分弱。


昼食こそ、しっかり食べる事が稀で

ランチタイム、レストランを賑わしている
<マダムたちのランチ>を
することは年に数回で、ある。



あとは外出している時間に
ふーっと一息、
カフェに入る時間があればラッキーで

たいがいはちょっとコバラがすく
午前10時半くらいに、
パンやバームクーヘンなどを仕事をしながらつまむ程度。

お昼休み1時間なんていう時間は
とれるはずもなく、
・・・というかその時間帯が忙しい時間なので・・・


ゆっくりリラックスして食卓に向かうのは
やはり、夕食の時間。

でも、結局自分で作り、
息子に食べさせて、そしてまた後片付け・・・
明日の用意・・・

と慌しいことには変わりは無いので、ある。



しかし、脈を診て頂いた先生に

”私たちのように、ゆったりとしたリズムの生活が
 一番、カラダによいのですよ。”

とゆったりとした口調で言われてからは

いかに自分がゆったりとしていないか、が
意識出来るようになっただけ、
1歩前進で、ある。


なので、いつものようにご飯を食べながら

”あっ・・・もっとゆっくり食べなきゃ

と自分に言い聞かせたり、
わざとらしく、歯を上下させて噛んでみたりする。

全てはまず、<気づき>からなので、ある。





B73 荘氏(チャンツー)


5月の一大イベント時には
変容の新しいボトルB106 大天使ラツィエルを使っていて
無事、新しい自分とともに一仕事終える事が出来た。

その後、使うボトルが今ひとつ決まらないで
そのまま、自然にまかせていたのだが

ついに、私を呼んでいるボトルに気づく。

そう、このB73 荘子(チャンツー)のボトル。


脈診の結果を気にしていたのもあるのかもしれないが
このボトルは

受け取った情報や印象、食べ物などを
適切に消化吸収し、自分のカラダに受け入れられるように
援助してくれる、働きをもつボトル


中国の思想家であり、知恵のマスターである荘子。

内なる知恵とつながるためには
無意識の部分に光をあてる必要が、ある。

無意識の部分には過去の悲しみや流されなかった涙が
たまっているかもしれない。。。

そこに光をあてて、過去の感情を手放していくことにより
内なる知恵や新しい可能性が輝きだす


脈診の先生がカラダの中をお見通しなのと同じように
この荘子のボトルは
確かに蓋をしてしまっている、見えない、気づかない
過去の感情に光をあてる。


そんなカラダの癖や、
たまっている感情に、
気づかずに走ってしまっている私が

そういうことに光をあてる時期なのかな。


脈診を受けたり、
荘子のボトルを選んだ私が、最近感じていること。











Happy son's birthday

2008年06月22日 | mama
Happy son's birthday




今日は、息子の誕生日。

happy-san ではなくて、happy son's birthday


12歳になる息子。
ココロもカラダもずいぶんと大きくなってきた。


今日、6月22日から12星座は蟹座のスタート。
保守的で、ロマンティストで、家を大切にする蟹座の
特徴を、息子はしっかり持っている。

そして、梅雨のど真ん中だけあって
たいがい、いつも雨の誕生日だ。

出産後、入院中、病室の窓の外は
ずうっと、ずうっと雨が降っていた。

そんなどしゃぶりの雨の中
みんなが傘をびしゃびしゃにぬらしたまま、
お祝いの大きなお花を届けてくれたのを、

今でも思い出しては、ココロが温かくなる。







12年前、私は広尾の愛育病院で息子を産んだ。

離婚直後の出産で、精神的なものがあったのか
陣痛は来るものの、生み出すだけの強い陣痛にならず

破水してから3日目、
陣痛促進剤を6本半、
背中に麻酔を打つ・・・など

はっきり言って、愛育病院始まって以来の
難産だと言われた。

後で聞いた話だけれど
陣痛促進剤を多量に打つのは、母子にとって
大変危険なことだったという。

でも私は別に失意にさいなまれていたわけでもなく
ドラマとか映画に出てくる出産シーンというのは
どれも壮絶な感じなので、

みんな、大変なんだなぁ・・・くらいの気持ちで

結構、助産婦さんと世間話をしながら
分娩台に上ったり、下りたりしていた。


幾度目か、分娩台に上がった時、
ようやく頭が見えてきたので

”産んぢゃいましょう”とお医者さま。

息子が”オギャー”と言わずに
多分、私が ”ギャー”と言った記憶がある。


”男の子さんですよ。”と助産婦さんの声を聞いた時、

”神様っているんだ・・・”と瞬間思った。




私は、どうしても、男の子が欲しかった。

どちらかというと・・・
いえ、かなり女系家族の我が家での、待望の男子誕生だったのだ。


皇族、とまではいかないにしても
ファミリービジネスやら、ご先祖さま系のものを
預かる家としては、かなりプレッシャーがあったのだ。


”うちは女の子しかいないから、困ったわねぇ・・・”

というのが、私が20代前半から息子を産むまで
母の口癖だった。


私が産まれた時は、(私は次女なので)

”なんだ、また女か。”

と言って、父は1週間以上病院に会いにきてくれなかったという。


なので、息子を授かった瞬間

私の願いを聞き届けてくれた神様と
生まれてきてくれた息子に感謝の気持ちでいっぱいになった。





ベビーピンクのバラ



その時の感謝の気持ちで
ここまで息子を育ててこられたように、思う。


急に頭を打ったとか、
大事な時に熱を出すとか、
友達とけんかして頭を下げなきゃいけなかったりとか、

子育ての最中で、冷や汗をかくシーンは
ままあったにせよ、

おかげさまで、子育てがつらい。。。というような
ブルーになることもなく
今日の日を迎えることが出来た。



どこかの本で、

~こどもは、自分の親より高い魂を持っている場合が多い。~

というのを読んだことがある。

実は、妙に納得することもある。


12歳の、いわゆるわんぱく坊主なのだけれど

息子を通して、自分自身が成長しているなぁ・・・と
感じることがあるからだ。

そして、生意気な顔で言う言葉に
案外、真実があったりも、する。


その子の魂は、親を通って、この世に誕生し
その子の人生を歩くのだから、
親がその子を束縛してはいけない。


・・・という言葉も彼を見ていると妙に納得できてしまう。

彼は非常にマイペース。
まわりをつい気にしがちな私たち日本人の中にあっては
珍しいタイプかもしれない。

うらやましいくらいに
自分は自分、人は人、ってところがきちんとある。

だから、一度も
”俺には何で、皆みたいにパパがいないんだ!
なんて、騒いだこともなく

わりと冷静に自分の立場を受け止めていたり、する。

そう、彼は自分の人生を歩くために
私のもとに誕生したんだな、と感じるのだ。




待望の、ミキサー



”誕生日プレゼントは、ミキサー、よろしく。”と息子。

”えっ ミキサー?” と私。

”朝、バナナジュース飲みたいからさ。”と息子。



以前、毎朝のようにバナナジュースを作っていたのだが
ある日、ミキサーが完全に壊れてしまい、
以来、ジュースではなく、毎朝、バナナを食べさせていた。


私はこの雨の中、

普段あまり行かない大井町の駅前のヤマダ電機でミキサーを見つけ、
よいしょ、よいしょ、と買って来た。


12歳の誕生日プレゼントが、このミキサー。


明日から毎朝、バナナジュースを飲んで

もっともっと、ココロもカラダも大きくなってね


生まれてきてくれて、ありがとう









Salon de "happy-san"

2008年06月21日 | オーラソーマ・ボトルストーリー
Salon de "happy-san"



木曜日は午後から自宅で

オーラソーマのコンサルテーションと
テーブルセッティングのレッスンを行った。


オーラソーマのプラクティショナーではあるけれど
年はじめの<イヤーボトル>のコンサルテーションしか
やっていなかった。

もともと、私自身がオーラソーマに魅かれ
勉強したいと思ったのだし、
毎日自分がボトルを見てうっとりするので十分満足していた。


”先生、オーラソーマのコンサルテーション
受けたいって言っている友達がいるのですが、
やっていただけますか?”


お花の生徒のユイちゃんから、メール。


オーラソーマのコンサルテーションは
ボトル107本必要になるので
必然的に自宅で・・・ということになる。

いつにしようかな・・・

と思っていたら、その同じ日の夕方。


”先生、先生がやっているオーラソーマ、
前から興味あったので、是非今度観て頂きたいのですが・・・。


とこれまたお花の生徒さん、
現役の女子大生たちなのだけれど、偶然にも同じ日に
オーラソーマのリクエストが、あった。


じゃあ、今度のお花のレッスンのテーマが
<夏のテーブルセッティング>だから
そのレッスンも自宅でやったほうがよさそうだから、

その日の午後、オーラソーマのコンサルテーションしましょう


ということになり、

午後から3人のオーラソーマのコンサルテーション、
夜は、お花の生徒さんたちにテーブルセッティングを教えるという

今流行りの、”自宅でサロン・レッスン”

題して、<Salon de "happy-san">を開くことに






自然の光が差し込む庭に面したリビングでコンサルテーション



午後2時。 アンズちゃんがやってきた。

アンズちゃんは就職活動中。リクルートスーツをまとっていた。

可愛くて、めちゃくちゃ才女のアンズちゃん。

選んだボトルは本当に今の彼女そのものを映し出していた。


~ハートにスペースを持って、
自分の真実をみていくことによって
不安を乗り越え、自分にふさわしい方向性を見出すことが出きる。

エゴや執着を手放していくことで、
喜びに満ちた本来の自分自身を生きていくことが出きる。~


迷いや情報に翻弄されがちな就職活動中の彼女は
<スペースですよね。今の私に必要なのは。>
と妙に納得したようにその
チャレンジとギフトのボトルを手にしていた。



二人目のユリさんは
はじめてお目にかかる方。

最初は少し緊張なさっていらしたものの、

私のオープンなキャラクターが効いたのか
ボトルのストーリーを私が話し始めると

ココロが開かれたのか、涙を流し始めた。

そう、普段見ることの出来ない
自分のココロをオーラソーマは映し出すので
自然と涙が出てくることもあるし
グサッと矢で射されたような感覚を覚えることも、ある。


そして、1時間半もボトルを見ながら
私と話をして、帰っていかれた。





レッスンで夏らしい爽やかなアレンジを・・・



3人目のスーちゃんは
大天使ガブリエルのボトルを選ぶ。

”このボトルは大天使ガブリエルのボトル。”と私が言うと

”キャー本当ですか?
私、高校生の時、劇で大天使ガブリエルの役、やったんですよ

と言う。

彼女はカトリックの学校に通っているので
劇もキリストの生誕にまつわるものをやった時に
受胎告知をする大天使ガブリエルの役をやったのだと、いう。


オーラソーマは不思議

3人のコンサルテーション、
それぞれ、まだまだボトルの神秘を感じていたかったようだけれど

・・・そろそろ、
夜のお花のレッスンの時間・・・






夏の爽やかなセッティング



フランス製のポルトーのテーブルクロスを敷く。

そして、母がコレクションしていた
ヨーロッパの有名な陶器の窯に
特別にビア・マグを造らせた<ビア・マグコレクション>の
マグを並べて

夏のビア・パーティーのテーブルに仕上げていく。



テーブルセッティングのレッスンが終わると
みんなでお茶を楽しむのだけれど

ふと、私が飾っていた <マイ・石たち>に
みんなの興味が集まる。





マイ・石たち


そして、レッスンが終わるどころか
そこから1時間以上も<石>についての
話がはじまった・・・



というわけで、

オーラソーマのコンサルテーションあり、

フラワーアレンジのレッスンあり、

テーブルセッティングのレッスンあり、

そして、

パワーストーンの話もあり・・・の

盛りだくさんのメニューの

Salon de "happy-san"  でした










神戸メリケンパークオリエンタルホテル

2008年06月17日 | 旅館&Hotel
神戸メリケンパークオリエンタルホテル




神戸に行くことを決め、
いつものお楽しみ、ホテルはどこにしようか・・・

奮発してホテルオークラかなぁ・・
それともロマンチックな洋館みたいなホテルにしようかなぁ・・・


すると、今回のシンポジウムの企画者である
カタヤマ氏が

”私に任せなさい。”と。


私はほっておくと何でも自分でやってしまうタイプの女性だが
そういう私にあえて

”私に任せなさい。”と言う力強い言葉は

実はすごく、嬉しい




ふきぬけの、ホテルのロビー




カタヤマ氏が予約をしてくださったホテルが

<神戸メリケンパークオリエンタルホテル>。

横浜のみなとみらいのインターコンチネンタルホテルのイメージ。

ちょっと不思議な形(扇形)をしていて
目の前には観覧車とかがあって
海に一番近いところに建っている


私がタクシーから降りると
女性のスタッフが近寄ってきて

私の荷物を持つとすぐにエレベーターに案内してくれる。


”えっ? チェックインまだしてないのですが・・。”

と私が言うと

”コサカさまですよね?承知しております。”

なっ、なんと
どうして私の顔がわかったのか
未だに不思議なのだが
そのまま部屋に案内され、サインだけの、チェックイン








部屋にはバルコニーが付いていて
窓を開けると神戸港と遊園地が目の前に

窓が開けられない高層ビルが苦手な私は
こうして、新鮮な空気が取り込める部屋はとても嬉しい








バルコニー付きのツインルーム。

う~ん・・・一人ではもったいないなぁ・・・
こういうところは
彼氏と来るところではないだろうか


シンポジウムのメインゲストの先生方への
ご挨拶は夜なので、それまでの時間、
ここしばらく
ひどい肩こりに悩まされていたので
私はホテル内のプールで、リフレッシュすることに。







ホテル内のプール施設


平日の午後の誰もいないホテルのプール。
何と贅沢なのだろう


私はひとしきり、泳ぐ。

プールの隣は、海。

プール施設の温度は高めで南国気分。
プールの水の温度も高めで

プールに出入りするときの”ブルブル感”は無く
何とも快適なプール





ジャグジーも・・・。


部屋にかえると、夕暮れ時。

目の前の観覧車が色とりどりの光を放ちだす。







この日はシンポジウムご参加の
先生方にご挨拶に伺うため、夜、先生方がお食事をされている
レストランへ。

レストランは可愛らしいオーナーマダムのいらっしゃる
<ル・サロメ>





私はご挨拶のタイミングがくるまで
レストラン内のバーで過ごす事に。






”何になさいます?白?赤?どちらがお好き?”とマダム。

私はこういう時、決まって

”あの・・・泡ものを・・・。”と言う。

マダムは笑いながら
シャンパーニュをグラスに注いで下さる。

そして、チーズをすこし、お皿にのせてくださった。






すこし、ワインでほろ酔い気分の
先生方に無事、ご挨拶をすませ、
ホテルまで、タクシーをご一緒させて頂く。


私は若輩者なので、当然
秘書みたいに立ち回らなくてはいけないのだけれど
なかなか難しい。

先生方は大使などをお務めになられた方々なので
そんな若輩者の私にも
レディーファーストをしてくださる。


さすが、ズカズカと我先に行動する
街にあふれる日本男性たちとは違ふ・・・







部屋に戻って、窓をあけると

目の前の遊園地に遊覧船が停泊して
ライトアップされている。
まるで、
宝石箱のような夜景が目の前に・・・


上海のシャングリラホテルからの
外灘の夜景をすこし思い出しながら

私はバルコニーで夜中過ぎまで夜風にあたって過ごす。





朝食会の会場となった個室



8時から先生方との朝食会。
その後、すぐに
シンポジウムが開かれる兵庫県公館へ。

朝から緊張のスケジュール。


ロビーでチェックアウトをしようとしていたら
一人のホテルマンに声をかけられる。

”チェックアウトはこちらでどうぞ。”




”あれ・・・?この人、どこかで会ったことある・・・。”

そう思いながら、チェックアウトをすませると
再びそのホテルマンが近寄ってきて


”コサカさま。以前、私、
ロイヤルパークの源氏香におりました・・・。”


ああ~あの時のマネージャーさん


食が細く、入退院を繰り返していた母が
唯一、この源氏香に行くと
食事がすすんだので
母の生前よく行っていた日本食のレストランのマネージャーさん。

母が亡くなったことも知っていて
母の話になると、そのマネージャーさんは目が真っ赤になって
二人で、しばし、ウルウル



”息子さんも大きくなられたのでしょうね。”

”もう、小学6年です

マネージャーさんはびっくり

だって、赤ん坊の頃からお世話になっていたから。



”今度は息子と来ますね。”

そう言って、先生方とタクシーに乗り込む。



神戸港と、観覧車と
気持ちよいプールと
思いがけない再会のあった

神戸メリケンパークオリエンタルホテル。






日中平和友好条約30周年シンポジウム in 神戸

2008年06月14日 | 日中友好
日中平和友好条約30周年シンポジウム in 神戸



神戸で、
日中平和友好条約30周年の記念公演とシンポジウムが開かれた。

タイトルは

~東アジアとの<和解>と中国の<和諧>社会実現へ向けて~



神戸港



中国の民族復興を目指しての
資源・エネルギー分野からスポーツ、宇宙開発までの
勢いが世界地図を塗り替えようとしている反面、
急速な発展に伴う環境をはじめ多くの問題を生み出している。

東アジアでは

日本・中国・韓国・アメリカが相互にさまざまな
矛盾を抱えながら、地域の発展を追及する中で

日本が<和解>のメッセージを出していけるのか
中国が<和諧>社会を実現できるかどうか・・・。

このテーマに基づいて

モデレーターに防衛大学校長の五百旗頭 真先生

パネラーに

・元在中華人民共和国特命全権大使 谷野作太郎氏
・神戸大学大学院国際文化学研究科教授 王 柯氏
・華人教授会議代表  朱 建永氏
・京都大学大学院法学研究科教授 中西 寛氏

をお迎えしての、シンポジウム。








また、第一部では
前国際連合特命全権大使で
現JICA副理事長  大島賢三氏による基調講演。

テーマは

~21世紀の世界平和に貢献する日本の道~



基調講演のテーマも
シンポジウムのテーマも

とても興味のあるテーマであったことと、
モデレーターの五百旗頭先生、
そしてこのシンポジウムの主催である
神戸孫中山記念会の皆様に
大変お世話になっていることもあり、

昨日から、神戸入りした。


実はこの諸先生と行動をともにさせて頂く、
という貴重な体験もさせていただいた。

なので、
少し(・・・いえいえかなり)緊張した場面も。




朝食会の会場 目の前は海が広がる・・・



昨夜のうちに

兵庫県知事の井戸様はじめ
前知事の貝原様、
JICA大島様、元中国大使の谷野様皆様に
ご挨拶出来たので

朝食会では少し緊張もほぐれ

日本や世界を動かしている方々の会話に
耳を傾ける。

福田総理の外交政策勉強会の座長もお務めになっていらっしゃる
五百旗頭先生は、
そのお言葉の随所に<愛と平和>が感じられ、
心から尊敬の気持ちが溢れてくる。

シンポジウムでも

日中間、あるいは世界に目をむけた
さまざまな意見のなげかけを
見事なまでに時間内にまとめあげる、という
素晴らしい手腕をお持ちでいらっしゃる。




ホテルのロビーで先生方と



JICA大島氏の基調講演では
世界平和に対する脅威

・・・環境問題、貧困と移民の問題、紛争・侵略、
食料・エネルギーの問題、テロと大量破壊兵器の問題・・・


その中で私たち日本人が
平和協力国家としてどのようなことが出来るのか、
またどのようなことを実際世界で行っているのかという
ことを国連やJICAの活動も含め、お話された。

わたしたちのこの地球という星は
宇宙からみると美しい青い星なのだけれど
私たち人間がその上で生きていくというだけで
こうさまざまな問題が生まれるのだろう。。。



そして、

その後のシンポジウムでは

日中間の抱えている問題をあえて
提起しながら

世界の転機を迎えている今

私たち日本人として向かう方向
国土も人口も大きい中国として向かう方向・・・

それを確認しあう内容となり、
非常に中身が濃いだけに
もっと、もっと議論を聞いていたいと
300名近い聴衆が皆、思っていたに、違いない。








シンポジウムの後は
神戸外国倶楽部での昼食会。

外国の大使館といった雰囲気の倶楽部で
庭には季節の花が咲き、
プールもあり、さすが、港町 神戸。





昼食後、神戸倶楽部にて記念撮影



日中平和友好条約30周年にふさわしい
素晴らしい記念講演とシンポジウムに参加する事が出来
貴重な経験をさせていただいた。


今日のシンポジウムでも出ていたが

日本と中国の友好協力は
東アジア、アジア全体、そして世界の平和につながる・・・


これはまさに、100年前
曽祖父 梅屋庄吉の思想であり
梅屋はその強い信念もとに行動していた。

私はあらためて、その事を
伝えていくメッセンジャーとしての使命を
自身で確認した。


そんな、夏のはじめの日差しがまぶしい
神戸でのお話。






熱海 大観荘

2008年06月09日 | 旅館&Hotel
熱海 大観荘



先週、ひょっこり時間がとれたので
新幹線で品川から40分くらいで着いてしまう熱海に出かけた。


熱海には<マリンスパ熱海>というプールとスパの施設がある。
息子はそこで運動不足解消をしたいという。


さて、熱海での宿探し。

・温泉に入りたかったこと
・近場
・海がみたい
・部屋食
・チェックアウトは11時



実は今回はあまり予算をかけたくないなぁ・・と
いう気持ちでサクサク検索。

伊豆まで足を伸ばせば
海を見ながら温泉・・
しかも露天風呂付の部屋
という条件の宿は結構沢山あるのだけれど

狭い熱海にはなかなか、無い。

あんまり大規模な宿もなぁ・・・

すると、石亭や小嵐亭や大観荘といった
名だたる旅館が結構リーゾナブルなプランを出していた。


やっぱり熱海だったら一度は大観荘、行ってみるかな。
(チェックアウトは10時半だけど・・・)




横山大観ゆかりの宿 熱海 大観荘


送迎のマイクロバスには
おじさんがいっぱい

宿には<歓迎 ●●ライオンズクラブ御一行様>の看板が2枚も!

大観荘という名前から
ひっそりとした静かな旅館をイメージしていたのだけれど
ライオンズクラブ御一行様かぁ・・・



西館 双葉の間 


大観荘は想像していたよりも大きな旅館だった。

昔ながらの雰囲気と
ギシギシとなる床や階段にもある種の風情を感じながら
お部屋へ向う。

広々としたお部屋。内風呂にも温泉がひかれている。
このへんが、老舗旅館らしいところ。




部屋の窓からの眺め


高台にある大観荘。 

次々に建設される温泉付マンションを視界から外せば
初島が目の前に浮かぶ、海が見渡せる。
昔はきっと、
極上の眺めだったに、違いない。



貸切風呂


貸切風呂は並列して3つくらいある。
海が見渡せる、広めのお風呂。

しかし・・・

貸切といっても、お隣の声がそのまま丸聞こえ。

なんと、お隣は数人のおばさま方が入っていて

ずーぅっと、ずーぅっと

大きな声で、つまらない親戚の話だとか
愚痴だとか、太ったとか、なんだとか

そんな会話をしていて、

息子も私も閉口・・・


海を見ようよ、海を。
ゆっくり温泉につかろうよ。

なんでおばさんたちってつまらん会話を大きな声で
温泉の中でするんだろう

・・・というわけでせっかく<貸切>を頼んだのに
全然<貸切>の雰囲気を味わえなかった。

翌朝、再度トライしたときは
静かに、ゆったりと湯につかる事が出来たので満足。




手入れの行き届いた、お庭


息子とふたり、浴衣に着替えて
カラコロ下駄をならして、宿のお庭を散策する。

大観荘の自慢はきっとこの、お庭。

せせらぎあり、涼しげな木陰の小道あり、
つつじや紫陽花、百合・・・季節をつげる花々。

お湯から上がって、夕暮れまでの時間
静かなお庭をゆっくり散歩。 幸せな時間だ





お楽しみの夕食は昔ながらの、旅館のお食事。

伊豆高原の宿<うち山>や京都亀岡の<翠泉>のような
こだわりはないけれど
食べきれるほどの適度な量のほどよい献立。










嬉しかったのは、朝。

温泉から帰ってくると、テーブルの上にある

これこれ。 そう、小粒の梅干





最近の新しい旅館にはこれが無いのが寂しい。

子供の頃、毎夏家族で訪れていた
箱根 仙石原の旅館<俵石閣>。

私の温泉&日本旅館好きの原点はここにあるのだけれど
必ず、そこでは<朝一番の梅干>があった。

大観荘もやはり、老舗の旅館。
朝一番の梅干が、ちゃんと出た




朝食


おなじみの朝食メニューが並ぶ。
でも多分、塩分とか控えめに作って下さっていたように感じた。


あたりまえのことを
あたりまえのように永い事続けるという難しいことを
やり続けている老舗の旅館。

設備がキラキラ、快適なことよりも
季節を映し出す庭の手入れにお金をかける・・・。


大観荘は、これからも
熱海らしさを残しながら
懐かしい感じがする、宿であり続けるのだろうと思った。








ねこになった漱石

2008年06月09日 | 映画・コンサート・演劇
ねこになった漱石





新宿のど真ん中
歌舞伎町 大久保公園内に
大きなテント劇場が登場。


<ねこになった漱石>が上演されている。






これは東京ギンガ堂の公演で

新宿に生まれ、新宿に没した明治の文豪
夏目漱石の生涯が
ミュージカル仕立ての楽しい歌とダンスで綴られる。


<我輩は猫である>で有名な漱石。
舞台は日本版キャッツのように

舞台のあちらでもこちらでも

ベテラン猫から子猫まで
にゃあ~にゃあ~とにぎやかである。


東京ギンガ堂は

昨年<孫文と梅屋庄吉>の劇を
新宿 紀伊国屋ホールを皮切りに
北京、上海、南京、そして
福岡、山口、長崎・・・・と10都市公演を行った劇団。

私も特別協力として
練習を観に行ったり
東京公演中は毎日行ったり
北京や長崎までご一緒したので

すっかり、出演者やスタッフの方と身内気分。


その東京ギンガ堂さんの、今年の新作公演である。





テント内のステージ


昨日の初日は、400席以上もある会場、満席の
大賑わい。

歌あり、ダンスあり、笑いあり、
ほろっと泣けるシーンがあり・・・と

舞台の中にひきこまれていく。


漱石の小説は

<心><それから><坊ちゃん><我輩は猫である>・・・

読んだことがあるけれど

漱石自身がロンドンでうつ病っぽくなったことは
知っていたけれど

その生い立ちなどは良く知らなかっただけに
ストーリーもとても興味深く、また
奥深いものだった。







初日の舞台が無事、大歓声の拍手をうけて終了。

そして、高揚感あふれる
舞台終了後の、<初日乾杯





今回は新宿区が後援しているので
区長さまもいらっしゃってご挨拶。

そして、

役者さんひとりひとりの紹介と一言コメント。

みんな、初日が無事終了した
満足感で、素敵な笑顔


舞台<孫文と梅屋庄吉>に出ていた役者さんが
今回もみんな登場している。
今回、出ていない役者さんも昨日の初日には観に来ていて
半年ぶりの再会に盛り上がる。



半年前までは<孫文と梅屋庄吉>といっても
多くの方がよくわからない・・と
いう感じだったのが

1ヶ月前の胡国家主席と福田首相が
この歴史資料をご覧になったニュースが全国で流されたものだから

このお芝居に出ていた役者さんたちも
大満足で、嬉しそうだった





孫文と梅屋庄吉に出演していたメンバーで



今週は偶然にも
この東京ギンガ堂さんの<ねこになった漱石>の初日と

<孫文と梅屋庄吉>で主役の梅屋庄吉役をやった
太川陽介さんの舞台<細雪>(帝国劇場)の初日も木曜日にあり

2つの舞台がはじまった。


細雪も4人の女優さん、特に賀来千賀子さんが良かったように
私は思ったのだけれど、

お着物も美しいし、うっとりするような4姉妹のお話で
見ごたえのある舞台だった。


舞台終了後、私は裏を抜けて
太川さんの楽屋にご挨拶


すっかり、舞台後の役者さんたちと
お話するのが楽しみとなった、最近の私。



細雪は、東京の帝国劇場で

ねこになった漱石は、新宿の大久保公園内テントにて。


是非、素敵なひと時が過ごせますので
おでかけください



雨の多いこの季節

しっとりと

または愉快に、舞台を楽しむのもオススメです







自分を大切にする、ということ

2008年06月07日 | 見つけたHappyたち
自分を大切にする、ということ




今朝、今年はじめての
大輪の朝顔が咲いた。




目の覚めるような、美しいブルーの西洋朝顔



私は中学生の頃からフラワーアレンジメントを
やっていて、

たぶん、普通の人より色々なお花の名前を知っていたり、
生けたことはあるけれど

好きな花は

チューリップとひまわり、そして朝顔。

幼稚園の頃に一番最初に覚えた花たち。


カレンダーを見て準備するわけではないのに、

6月1日になると

玄関の紫陽花たちはいっせいに色づき始める。






”花が枯れたら、次の年のためにきちんと落としておくのよ。”

母に言われたとおりにしていたら
どんどん、どんどん紫陽花は大きくなって

今、我が家の玄関は両脇の紫陽花に覆われていて
<紫陽花寺>ならぬ、<紫陽花屋敷>になっている。


<植物は話かけてもらうと嬉しくって、嬉しくって
もっと元気に咲こう、伸びよう、って思うみたいなんですよね。>

そんな話を聞いた。

確かに植物を大事に育てていた母は
植物に話しかけていたように思う。

最近、私も話しかけるようになった。

・・・たしかに、植物、嬉しそうだ。

私のベランダも今、夏の花たちが風にゆれて、きれいだ。






実は

昨日の朝、首が動かなくなった。

1週間前くらいから右肩のコリは気になっていた。

湿布を貼ったり、マッサージをしても治らないので
サイキックアタックかもなんて思ったり、もした。

そしてとうとう、首が動かなくなった。


車の運転が、困った。

バックをするときや、後方確認など
瞬時に首を動かすたびに痛みがはしる

しまいにはドアの開け閉めや手を伸ばしても
ズキンズキン

”これ、マッサージぢゃ治らないなぁ・・・

といっても近年<針治療>していないので
良い治療院がどこにあるか、わからないし。

そうはいっても、ほっておくわけにもいかない。

もう、午後6時を過ぎていたので、家の近所で
いきあたりばったり、探してみることに・・・。


すると、<白金整骨院>の看板の下のほうに
<針・灸>と書いてあるではありませんか

私はとりあえず、飛び込んでみた。

背の高い、明るい女性の院長先生がすぐ診て下さるという。

なんて、ラッキーなのかしら








針の効き目はすごいのは知っていたけれど
首はすぐに動くようになった。


普段、あたりまえのように首を無意識に動かしているけれど
こうして、どこかカラダの一部に不都合が生じると

本当にいつも、黙って機能してくれているカラダってすごい!と
あらためて、
感謝、感謝なのである。



2年くらい前、私はスピリチュアルマスターのMASAKO先生に

”自分を好きになるっていうことの、意味がわかりません。”

と言ったことがあった。


その時、MASAKO先生は

~目にはみえないかもしれないけれど、
肉体を持って生まれてきたい、という数千、数億もの魂がある中で
貴女は肉体を持って、この地上に生きているのよ。
そんなに尊い自分を好きになれないの?~

と言われた。
長いトンネルの出口付近にいた当時の私には理解できなかったけれど

今は、本当にその意味が良く分かる。


この肉体を持って、今、この地球という星の上に生きている。

この素晴らしい奇跡

だから、その<自分>を大切に、愛してあげないと。







先日の、アラン・コーエンさんの夕食会で
アランがこう言った。


”もし、私が自分を愛しているなら、
 今日、私は自分に何をしてあげようか?

毎朝、そう自分に語りかけてあげなさい”と。




そう、


カラダがつらければ、すこし休んでマッサージに行こうとか、

お天気がいいから、花の手入れをしてみよう、とか。


植物が語りかけられて、嬉しくってはりきって
沢山花を咲かせるように


私たちも、自分に語りかけてあげよう。


それが、

自分を大切にする、ということ







ニッポン人脈記

2008年06月02日 | 日中友好
ニッポン人脈記



今日、6月2日の朝日新聞の夕刊の1面

<ニッポン人脈記>に記事が載りました。


日中子々孫々のシリーズの第2弾で

~同志の盟約 100年後の実り~と題されています。


以前朝日新聞の論説委員の方のインタビューを受けた、と
書いたことがありましたが

その記事は4月後半に出る予定だったのですが
記事を書いている論説委員の方がご入院され
今の時期になりましたが

丁度その間、胡国家主席と福田首相の夕食会の席で
私が<孫文と梅屋庄吉>の歴史を胡主席と福田首相に
お話することになり、

以前のインタヴューよりさらに内容が深まり、
本日の記事になりました。














この記事には

東京ギンガ堂の劇 <孫文と梅屋庄吉>の
孫文役で出演していた
京劇俳優の 張春祥さんと一緒に出ています。


そしてこのシリーズの第1弾では
なんと、この劇で特別協力として参加していただいた

谷村新司さまが登場なさっていらっしゃいました!

なんだか、不思議なつながりで
きちんと色々な方と出会うべくして出会ってきている、ということ、

そして、ことの流れは
全ての最善のタイミングに向かって起こっている、ということを
感じずにはいられない今日この頃です。




先日の胡国家主席と福田首相の夕食会での
テレビ報道は

その殆どが<何を召し上がったのか>ということが
メインでしたが


本当に私がやりたかったこと、
私がお伝えしたかったこと、
そして
そのことの大きな意味が、

本日の朝日新聞<ニッポン人脈記>に全て書かれています。

さすが、

日本を代表する新聞社の論説委員の方の文章です。

私が一番、報道していただきたかったところが
全て、書かれています。


今、このブログをお読みになって
ご興味を持って頂けた方、

今日の朝日新聞の夕刊<ニッポン人脈記>
読んで頂けると嬉しいです。