Happy-sanになろう!

Happy-sanな日々をご紹介するブログ。旅のお話もいっぱい♪

YOSUGA のデビュー

2011年10月26日 | mama
YOSUGAのデビュー



いやはや、1か月ぶりのブログ更新。申し訳ございません。(滝汗



学園祭初日のご報告をしておりましたので引き続き
学園祭2日目、息子のバンドデビューの様子をご報告。


息子は2つのバンドを掛け持ち。

ひとつは自分のバンド、<YOSUGA>。


YOSUGAの由来を友達にも聞かれていましたが
内緒だそう。

YOSUGAでは息子がギター&Vocalで
Mr.Childrenの<終わりなき旅>を熱唱。






何しろ、息子が登場したときに
ステージまわりのお友達たちから

<Masato,Masto,Masato・・・・>と
Masatoコールがすごかった。


私のイメージだと息子はさわやかな
テニスボーイに育ち、試合でMasatoコールが・・・という感じだったが
親の思うとおりに子は育たず。

バンドでの活躍ですが、
それでもMasatoコールは嬉しかったです













これが、YOSUGAのメンバー。





そして、もうひとつ、

イケメン・バンドのドラムを担当。


演奏の前には円陣を組んで、士気を高めて。。。青春やなぁ。。。









彼らの演奏した曲名はわからないのですが(スマン)
ノリの良い、曲でした。。。




ちょっと不思議な恰好で登場した息子













いやいや、驚いたのは息子のドラム。






家ではギターを弾いたり歌を歌ったりしているので
その程度はわかっていたのですが
ドラムは家に無いのでドラムの腕前がわからなかったのですが。。。。


いやぁ、かなりすごかった。

と、いうことは


学校でいかに勉強してないかってコトなのだけど。。。




いずれにしましても、

学園祭でデビューしたどちらのバンドも
なかなか、なかなか、良かったです!



見ていたのがママたちばかりで
女子がいなかったのがかわいそうでした。。。(笑)


来年はどんな演奏をしてくれるのか
今から楽しみです。

学園祭2011

2011年09月25日 | mama
学園祭2011




ブログ更新久しぶり。ごめんなさい。
FaceBookでは随時ご報告しておりますが
なにしろ超ヘビー級の毎日。

ゆっくりブログを書く、という気持ちの余裕がないのですが
とても、
貴重な日々を過ごしております。


少しづつ、その様子もUPしていこうと思います。


さて、いきなり最新情報からUP。


昨日と今日は息子の学園祭。

中学3年になってやっと出番多し、の1日となりました。


最初からわかっていたのは
ハウス(寮)の劇の出演と
バンド・デビュー。


そうしたら、昨日(初日)の朝
同じハウスのママから


”大変よっ!”   と電話。

息子がけがでもしたのかと思いきや、


”息子さん、英語のスピーチ大会に出場するみたいよっ”と。


・・・そんなん、全然聞いていない・・・


そういうエリート系イベントに出るなんて
いささか<ガサネタ>かな、と半信半疑で学園へ急いだ。


そうしたら、ちゃんと選ばれていて
スピーチ暗記して、落ち着いて発表出来ていた。


なんか、はじめてだなぁ。。。こういう”エリート系イベント”に
母親として参加するなのは。。。





Geroge Fussey English Cup Recitation Contestにて
Martin Luther King Junior のスピーチ
”Let Freedom Ring”




そして、午後はハウス(寮)の演劇。














息子は詐欺師の役で登場!














ハウスA~Fまでの各ハウスがオリジナルの作品を競う。
息子たちのハウスは
ハウスマスターやフロアマスターも参加し
アットホームな雰囲気の全員参加型の演劇。



そして、昨日は記念すべき
バンド・デビューの日でもあった。






Oasisの曲を熱唱。
音響が今一つでしたが
会場内から手拍子も沸いて、まずまずのデビューでした。



今日も午後から
学園中庭の特設ステージでバンド演奏するらしく
これから
学園祭2日目、行ってきますっ



ほんとは可愛いカノジョに見に来てほしいかもしれませんが
男子校、
寮生活、
ちょっと街中から外れたトコロにある学校。。。。ということで

学園祭なのに女子もあまり来てくれず

もっぱら、私のような

ママたちが最前列でエールを送っております。。。




でも、

息子の学校の生徒たちは

イケメン君も多く、
お行儀も良いし、
優秀な生徒が多いし、

絶対、世の女子たちは見落としている。。。と昨日も感じてしまった。


ともあれ、

お天気にも恵まれ

学園祭2日目、行ってきまぁす!



男子の、運動会

2011年08月01日 | mama
男子の、運動会



先週、息子の運動会があった。
息子の学校では<運動会>ではなく、<スポーツフェスタ>という。


中学生になっても運動会を見に行くの?
と思われるかもしれないが

普段、寮生活をさせているので
行事もの、は学園生活を垣間見ることのできるチャンスとあって
前日から豊橋入りして
朝一番で、蒲郡にある学園に向かう。






朝一番、にも理由があって
いつ間にか息子は<音楽部>に入部していて
いわゆる吹奏楽の大太鼓を担当しているという。

入場行進の演奏を聴きに行かないと!







会場全体を仕切っているこの白い服の先生が
息子の寮の先生。<ハウスマスター>と呼ばれている。

運動会を仕切るというように
超体育系の先生。
森田健作みたいな、夕日に向かって走っていくタイプ・・・(どんなん?)






入場行進。
ハウス(寮)ごとに競いあう。
学年は中1~高3までMIX。





本当は選手宣誓やるような力強い男子に育ってほしかったのだが
ちょっと違うタイプに育っている。。。仕方ないか。







実は息子のハウス(寮)は先にお話しした
ハウスマスターが超体育会系とあって
このスポーツフェスタ、4連勝!
(新しい学校なので、4回しかない大会全部優勝ということ)


今年はV5を目指して
ハウスのカラー(赤)のシャツを着て、団結する。










中学3年の競技は<棒引き>。









結果は6ハウス中、3位。まずまずの成績。




ハウスEの得意分野は大迫力の応援合戦
今年も最高得点!









ランチタイムは親子で食べる子もいれば
せっかく親御さんが来ているのに
一緒に食べない子もいる。まあ、男の子だからね。


同じハウスのお友達と一緒に
私も仲良しママたちとランチタイム。






親子で同じ顔の形。。。。



結局、
リレーなどもハウスEが1位となり、
V5達成。最高得点をGET。






校長先生からハウスEに優勝カップがおくられた。
やっぱり、前の日から現地入りして
応援にかけつけた親としても、優勝は嬉しい。。






最後にまた音楽部で登場。







5月の晴れ渡った空の下、
男子だけの、運動会。


芝生エリアで、ママ友たちとのおしゃべりも楽しく
充実した一日だった。


ママ友たちとは今度、6月に
温泉に行こうという計画も出た。

中学生のママ友って
かなり子供にかける時間や情熱が減って、
自分たちの楽しみでつながれるようになり
それはそれで
楽しい。。。



そんな、一日の、ご報告。





バタバタ・・・やん

2009年09月18日 | mama
バタバタ・・・やん



現在、9月18日 午前1時30分@軽井沢、万平ホテル。

軽井沢にいるなんて聞いてない
という方がいらっしゃると思うけれど
れっきとした、仕事。



業界の<年金基金>の理事会・代議員会というのがあって
秋晴れの軽井沢だというに
会議室に3時間半閉じ込められる。

その後の懇親会でも
企業の年金担当者なる年配の男性陣の中、
ポツネンと着席していた私。。。。








”ううう・・・。本当はこんなことしていられない。

ココロとアタマは、ここ数日パニックしている。
(で、ブログの更新もしていなかった)


本当は講談社の担当の方との約束で
水曜日に書き直し原稿を提出する予定だった。


9月に入って、色々な方に会う機会があり
原稿そっちのけで楽しく過ごしていたツケがまわってきた。

明治・大正・昭和それぞれの貨幣価値が
現在でどのくらい
などという問題にもブチあたり、
これには色々な見解があり、落としどころが未だ見つからず。


昨日の午後、年配の皆様の<年金運用問題>に延々時間をとられた私は
この段階になっても、まだ原稿の提出が出来ていない。


そして、さらに、追い討ちをかけるようなことが・・・







実は2日前から息子の体調が悪いという連絡を
学校からもらっていた。

当然、このご時勢、<新型インフルエンザ>を疑わずにはいられない。

学校側は、夜間でも救急病院で検査をしてくださった。

が、結果はA型もB型も、陰性。

念のため、その翌日も病院で再検査。

が、結果はまたしても、陰性。


ということで、学校側も様子を見ましょうといってくださっていた。


が、つい先ほどまた連絡が入り

やはり熱が上がってきたので、
週末行われる予定の学園祭には出られないだろうから、
迎えに来てください、とのこと。


可哀想な息子。

中学に入り、最初の
学園祭の準備で頑張っていたと思うのだけれど。。。


というわけで、

明日午前8時台の新幹線あさまにて
軽井沢東京、
そのまま
東京豊橋蒲郡へ向かうことに。。。

そして、トンボ帰りで
蒲郡豊橋東京病院へ。


原稿はどうなるのだろう・・・


と、気になりながらも

やはり息子は自分の命より大切。 

一刻も早く迎えに行ってあげなくては。


こういう時、
さすがにダーリンがいてくれれば、と思ってしまふ


体力的にも、
精神的にも、
時間的にも、

色々なことが、ばぁ~っと重なって
一人で対処するのがさすがに、大変






とりあえず、早く寝ればいいのに

息子が心配で眠れない。

で、ブログを書いて、気を紛らす。


なんか、

バタバタ・・・な日々の報告。








アガサ・クリスティー

2009年07月26日 | mama
アガサ・クリスティー



今朝、羽田空港から息子は
奄美大島から船で1時間ほどの無人島へ出発した。


実はこの<奄美大島無人島サバイバルキャンプ>
に参加するのは2度目。

1回目は小学3年の夏だった。

本当の無人島なので

・水道
・電気
・ガス

いわゆるライフラインは何も無い。


飲み水は奄美大島から船でタンクに積み、
それを沸かして飲む。
あとは、
全部、海で。 

お手洗いも、砂を掘り起こして。

漂流したアザラシみたいに
砂浜にシュラフを並べて、星空を見上げながら、就寝。


という、
本当のサバイバルの6日間を過ごす。


小学3年の夏休みが終わった後の
<自由研究発表>で
息子の

<無人島サバイバル体験>の発表には
学校の先生たちも大注目だった。

それほど、

サバイバル、な体験をするのだ。






出発前。これから奄美の無人島へ。



小学3年の夏、息子は正直
このキャンプでバテた。

それが悔しかったのか、受験が終わった
中学1年の夏に、
必ずこのキャンプにリベンジで参加したいと
ずーっと希望していた。


せっかく受験が終わった夏だから

マミィとオキナワぢゃない?

と思いながら、息子の無人島サバイバルへの思いは強く

今日、旅立っていった。



私は美しいホテルや宿が大好きだが(ふふふ

男の子というか、男性は

”自分の枕ぢゃないと眠れない。”

みたいな神経質でひ弱な男性はちょっと・・・


何かあっても

”大丈夫だよ。”

と言って助けてくれるような男性が好きだし、
息子にもそういう男性に育ってほしい。


ので、

<無人島サバイバル>。




キャンプのリーダーとなるお兄チャマたち




私はまだ夜明け前の午前3時半に起きて
おにぎり弁当を作る。


5時くらいになると明るくなり
まだ少し涼しい。


”仕事が出きる人は朝早起き。”

というのも納得出来る。

これからまだまだ1日は長いし、

すっきりした朝の空気はクリエイティブに効きそうだ。


・・・しかし、低血圧の私は
分かっていながら、
この時間、起きているのは年に1~2回ほど。






さて、今日のタイトルが何故<アガサ・クリスティー>かというと・・・


昨日、息子がソファでくつろぎながら
<アガサ・クリスティー>の伝記マンガを読んでいた。


”あのさぁ、ママもアガサ・クリスティーみたいなのを
 目指したら、いいんぢゃない?


と息子が言う。


”アガサ・クリスティー? 何で??”と、私。


息子は”ほら、これ、いいと思うよ。”と
その本を私に渡してくれた。


アガサ・クリスティーは推理小説を書き
それが売れるようになってきた頃、夫と上手くいかなくなり
離婚する。


しかし、その後
考古学をやっていた14歳も年下の男性と再婚する。

その男性は、年齢の差や
アガサ・クリスティーの高名など気にせず、
アガサ・クリスティーの活躍を支え、
二人は考古学、という共通の趣味を持ち
生涯、幸せに暮らすのだ。


つまり、息子は
そういう男性とめぐりあうと
私も幸せになれるよ、

と言いたかったのだ。



・・・うぅぅ泣ける。


というわけで、
息子のアドバイスが<アガサ・クリスティー>というわけ。




息子の飛行機が無事離陸したのを見届けて
私は羽田を後にした。



思いっきり広がる夏の空を仰ぎながら、

<アガサ・クリスティー>的自分に
意識を向けてみようかな。

と、ふと思ってみたりした。






Happy Son's Birthday 2009

2009年06月22日 | mama
Happy Son's Birthday 2009




今日、6月22日は息子の誕生日

息子よ、お誕生日おめでとう






今日から13歳。 
ティーン・エイジャーの仲間入り。

寮にいる息子と今日は離れ離れのバースデーだが
先週、授業参観があり
そのついでに1泊外泊をし、
たっっくさん、お買い物をしてきた。


息子の寮の部屋もこっそり見てきた。
こんな感じ。



窓の向こうには海が見えるのですよ。




外泊をした日の夕食には
愛知名物<まぶし>をお友達と豪快に平らげた。






<まぶし>とは、
私たちになじみのある<ひつまぶし>のことなのだが

<ひつまぶし>というのは名古屋の熱田神宮の側の
老舗のうなぎ屋さんが商標登録をしたらしく
他のお店では<ひつまぶし>という言葉を使用できなくなったのだとか。


ええ~っ

そういう商標登録ってあるのかしら?
食文化ぢゃない


と、私が抗議しても始まらない。

私たちが行った豊橋の老舗のうなぎ屋さんでは
<まぶし>という名前になっていた。




部活のテニスのせいか、日焼けして、ずいぶんスリムになった息子とお友達



この4月から中学生となり
新しい寮での生活も始まり

息子としては、今、精一杯色々なことにチャレンジしている。


一人っ子で、自由気ままに育った息子としては
朝から晩まで<誰か>と一緒、ということすら
チャレンジだ。

加えて、天性の<マイペース>。

団体生活、協調性・・・
これもすんなりというわけにはいかない。
チャレンジ、となる。

色々な面で、<磨かれている>というわけ。


寮生活の凄いところは、

ゴールデンウィークに帰宅した時に

今までした事がなかったが

自分の部屋に掃除機をかけたり
自分の食べ終わったお皿を洗ったり

自然に、そんなことをやるようになっていた。


寮ならでは、の大変なことにも
何とか自分なりに折り合いをつけながら
頑張っている息子。 

ここまで、無事に育ってくれたことに
ココロから感謝している。







梅雨のド真ん中に生まれた息子の誕生日は、いつも雨

破水してから3日間もかかった
<超難産>だった息子がこの世に出てきた日も雨だった。


私は広尾の愛育病院の病室の窓からみえる
有栖川公園の緑が
雨にしっとり濡れているのをベッドに横たわりながら眺めていた。


よく、

子供は自分の親を選んで、生まれてくる、と聞く。


息子はこんな母親である私を選んで生まれてきてくれた。

生まれる直前にパパがいなくなったのも、承知で。


”ママが働いているとね・・・”
”父親がいないとね・・・”

そういう心無い言葉は
頑張って子育てしていた
私にも幾たびか、向けられた。


でも世間のそういう意地悪な<期待>とは裏腹に
息子は
十分に、すくすくと育っている。

ちょっと、個性的ではあるけれど。


今では<息子>というよりも
いい<相談相手>としての、会話も楽しんでいる。


もちろん、恋バナも二人で、する。


”それはさぁ、男としては、しょうがないと思うなあ。
 ママ、そのへんは理解してあげないと。”

なんて、なかなか
冷静な<男性>の立場で答えてくる。



神様に
息子に出会えたことを感謝しながら

今日のこの日を、過ごそう。





無事、入寮

2009年04月04日 | mama
無事、入寮



今日、息子の入寮日。

”紳士たれ。”の学校。

いきなり、紐靴にネクタイ。

息子はそれでも、昨日までの息子と違って
覚悟を決めているようだった。


蒲郡プリンスホテルでオムレツの朝食を摂り、
そのまま学校へ。

すると、中学2年生の先輩が
(私からみるとまだまだかわいらしい。)
息子の相方となり、
息子の面倒を見てくれるらしい。

息子は先輩に手をひかれ、
寮へ向かった。

親の私はここまで。


昼食後、少し顔を見ることが出来て
思ったより息子はしっかりとした顔つきで
しかも、すこしリラックスしているようだった。

いい先生といい先輩にまずは出会えて
ほっとしているようだった。。

息子よ、頑張れっ

きっと生涯にわたっての、大切な友人や師とめぐり合える。
副校長先生も、入寮の集いで
この学校に入る一番の良い点はそれだとおっしゃっていらした。

人生を歩いていく上での
<友人>を得ることが出来るのは

親として子供に与えて上げられる大切なギフトだと
思うので、ある。


そう、私がこうして毎日
<Happy-san>でいられるのも、ほら

今、このブログを読んでくださっている

私の大切な友人たちの、おかげ


入学式は明日。







実は私はこのブログ
息子の学校から徒歩10分くらいの
テルムマランラグーナのホテルで書いている。



息子が入寮して、しっかり出来そうなのを
確認した後、私はこのホテルの
海水のプールで浮かんでいた。
ピシーナ・リラクゼーションというプログラムだ。


なんだか海水に浮かんでいるうちに
私は感謝の気持ちに包まれた。

ヒーラーKYOKOさんが
”テルムマラン”はチャクラがきれいにお掃除されて
きれいになるのよ、とおっしゃっていた。


最近の私は
ハート・チャクラをのぞけば
すべて順調に回転しているらしい。



東京に帰ったら、

昨日、息子と1DAY デートをした
桜満開の京都のお話と美しい桜の画像をお届け。

楽しみにしていてね。








息子の、卒業式

2009年03月25日 | mama
息子の、卒業式







2年間の幼稚園、そして
6年間の小学校
合計8年間 通い続けた学校を卒業した。


幼稚園入園時、

”8年間って長いよね。”

と話していたのだけれど、
幼稚園はともかく、
小学校の6年間は早かった。

毎朝、8年間、学校の門の近くまで送った。
もう、この日常は、終わる。






蔦の葉で覆われた校舎とフランス門。

あれっ?この学校、どこかで見たことある、という方も
いらっしゃるはず。

そう、東京で一番地価の高いところにある学校でも、ある。

私の父も、父方の曾祖父も卒業している
今年で130周年になる、とても古い学校。


実は私は卒業対策委員なるものを
やっていたので、
卒業式の前後も慌しく、
なんというか、その、”涙”を流すこともなく
終わってしまったのが、何となく自分でさびしかった。。







おかげさまで、
本当におかげさまで、

息子は健康に恵まれ、マイペースもあってか
登校拒否などになることもなく、
たんたんと毎日、通い続けることが出来た。


担任の先生には3年間、
どんどん<生意気>に成長していく息子がお世話になり、
さすがに
担任の先生に最後のご挨拶をしたとき、
うるうると涙腺がゆるんだ。




卒業式の後は、近くのレストランで
クラス単位で<お別れランチ>。


息子にとっても色々な出会いなどがあったかもしれないけれど
私にとっても、素敵なママたちとの出会いがあった。


・仕事をしています!
・シングルマザーです!
・お裁縫は苦手です!

と、私は最初から何も隠す事をしなかった。


ママたちは本当にたくさん、たくさん
助けてくださった。

クリスマスで私が忙しい時は
息子をキッザニアに連れて行ってくれたり、

学芸会の衣装、私は作れない!というと
お裁縫の得意なママが作ってくださった。

ベルマークを集める委員の時も
みんなが集まり、カウントしてくださったり、

私の母が亡くなった時は
みんな、イグナチオ教会に来てくれて、私を抱きしめてくれた。

もう、数え切れないほど、彼女達のおかげで
<ママ>として乗り切れたところがある。

本当に感謝の気持ちでいっぱい。

だから、息子の卒業でもあるけれど
私も、彼女達とのお別れが悲しかった。


私は小さい頃から<お友達命>。
それは<ママ友>の時代になっても変わらない。

本当にいつになっても、何歳になっても
<友情>ってありがたい。 温かい。





そして、3次会は、<カラオケ>。

学校での合唱は<口パク>で
先生に叱られる息子。
カラオケではマイクを離しません。。。。

実は息子の大好きな”マオちゃん”も
このカラオケに来ていて
息子はとても嬉しかったに違いない。






この日は4次会まであった。

息子をとても可愛がって下さる方々が、いる。

息子も”尊敬する男性”として

第1位 白州次郎
第2位 ヒキチさん

というくらい、息子も尊敬している
ヒキチさんが、息子の卒業祝いの席を
銀座<らん月>で設けてくださった。


ヒキチさんは、ユーモアがあって、
優秀で、社長さんだからたぶん、お金持ちで
スマートで、お洒落な・・・おじさまだ。


某有名進学校で漢文の先生をしていらした
ハシモト先生ご夫妻も
息子を本当に可愛がってくださり、

この間もハシモト先生は息子を連れて
浅草で天婦羅を食べて、寄席を楽しんできた。

皆様、本当に
ハートフルな方々のおかげで
こうして、今日この日、無事、卒業出来た。


ありがとうございます。






時を同じくして、
中学校から、制服や靴、体操服が届く。


少し大きめのワイシャツやブレザー。

ぐっと、お兄さんになる感じがした。


ボーディングスクールなので
新品のシャツや下着、靴下、パジャマを買い揃えた。

さあ、卒業したとぼやぼやしていられない。

これから、深夜まで名前付けの作業


新しい風の吹く方向へむけて
スタートをしなくっちゃ



小学生だった息子にさようなら。
そして、
いよいよティーンエイジャーとして
青春時代を生きる息子に、エールを送ろう。





入学準備

2009年02月21日 | mama
入学準備








海の側のカフェ??


いいえ、なんと息子が4月から入る学校。
校内あちらこちらにこういうスペースがあり、
なんと窓の向こうはキラキラ光る海。
ヨットも優雅に。。。





先週末は、<入学者説明会>があり、
制服の採寸も行った。

中学生になると
あっという間に背も伸びてしまうので
ブレザーもワイシャツもすぐにきっと小さくなってしまうだろう。。。





すこし、息子の入学する学校の風景をご紹介。




ダイニングホール。 広々としたダイニング。
ここで、3食、友人達や先生、ハウスマスターたちと食事をする。

なんと、壁には
日本を代表する壁画家の田村能理子さんの美しい絵が!
この学校が出来た記念に実際にこのダイニングにいらして
描かれたもの。


そして、このダイニングホールの真横は・・・





海! 毎食、オーシャンビューのダイニングホールで食事。
ハワイや葉山みたい!! 
海好きの母としては、最高のロケーションにうっとり。




広大な敷地には、本格的な天体望遠鏡あり、
テニスコート、野球のグラウンド、フラッグフットボールのコートなどなど
思う存分走り回れる広い広い運動場もある。

思いっきり運動、出来そう。

海を見ながら生活して、
思い切りカラダを動かして、
友達と切磋琢磨する。。。。

母としては素晴らしい環境だと思っているのですが

当の本人は

i podを持っていけないことや
大河ドラマが見られないことがちょっと厳しそう。。。
もともとゲームは興味が無い息子、
本が大好きなので、図書館に入り浸ることになりそう





今日は午後いっぱいかかって
入学関連の書類を読んだり、書いたり、
インターネット経由で情報を登録したり。。。

結構、入学準備は色々大変。


同時に、小学校卒業のための準備も色々大変。

私は<卒業対策委員>とやらをやっていて
3月4日の謝恩会のために
今、何かと集まっては、話し合いをする毎日。


この3月、4月は
息子の大きな旅立ちの時。


12年間、元気ですくすくと育ってくれたことに
大いに感謝しながら、
過ごしていこうと思っているので、ある。










バレンタインは息子と、チャイナタウン

2009年02月21日 | mama
バレンタインは息子と、チャイナタウン



なかなかブログ更新出来ず。
読者の皆様、ごめんなさい。
さあ、一気にご報告。

まずは、バレンタインデーから。






この日、土曜日なのに授業参観があった。
授業が終わると早々に私たちは横浜へ向かう。

この日は山下公園が目の前の
県民ホールで、神奈川フィルハーモニー管弦楽団による
<シネマ・クラシックス>のコンサートに招待されていた。


久しぶりのクラッシックのコンサート。

映画のテーマ曲に登場したクラッシックの音楽が勢ぞろい。

プログラムの中でも私がその旋律にココロ奪われたのは・・・

エルガーのエニグマ変奏曲<ニムロッド>。

これは映画<エリザベス>に入っている曲。

静かな旋律なのだけれど、じい~んとココロに響く。

そして、

バーバーの弦楽のためのアダージョ。
これは映画<プラトーン>で流れていた。

私もこのオリバーストーン監督のプラトーンは見ていて
乾ききった太陽と傷だらけの兵士の映像が思い出された。

他にも映画アマデウスのモーツァルトの交響曲25番や
ラフマニノフのピアノ協奏曲など
名曲ぞろいのコンサート。

音楽好きの息子もとても楽しめたようで

”脳が活性化されたよ。”との感想。


このコンサートをプロデュースし、
今日、招待してくださった大石さまとホールで記念撮影。






ホールを出ると、潮風を感じる山下公園前をぷらぷら歩き、
お楽しみの中華街へと向かう。





中華街に来るのは何年かぶり。
息子と来るのも初めて。

まだ夕食の時間には早いというので
まずは

”探せ!美味しい饅頭。”

ということで、店頭でフカフカ蒸されて販売されている
お饅頭を食べ歩くことに。




世界チャンピオンとやらの、行列しているお店にまず行ってみる。

う~ん、世界一という感じではないなぁ。。。。


さて、次はフカヒレ饅行きたい!と息子。



さきほどのよりは、皮の部分が美味しいぞ。
フカヒレはほんのすこ~し、発見出来る程度。

・・・まだまだ、きっともっと美味しいのがあるはずだ!と息子。

中華街の奥へ、奥へと入り込んで・・・・。



”ここ、美味しそうぢゃん。”

と、メニューを見てみると、

<フカヒレ姿煮まん  ¥1500>

とある。

私は息子に

”行ってみる?”と聞くと

”もちろん。”と息子。


さすがにこの1500円の饅頭を注文する人は少ないようで、
私たちのために蒸すので、20分くらいお待ちください、と言われる。


その間、近くの店を散策。



辮髪付きの帽子を発見。ひょうきんな息子



さあ、そろそろ1500円のフカヒレ姿煮まん、出来たかな。




これ、美味しい!!!

ちゃんと、中にはフカヒレがたっぷり入っていて
まわりもほんのり甘く、お肉もしっかり味がついている。


やっと、満足のいくお饅頭と出会えた


”あと、ラーメンと餃子とマーボー豆腐食べる。

と息子。


 ええ?あんなに食べたのにまだ食べるの??


ということで、食べ盛りの男の子のお腹の中には
あんなに沢山のお饅頭はおやつ程度らしい。


息子がお店もチョイスして、上海料理のお店に決める。




私はこのさっぱりした”トリソバ”、結構気に入りました!





こうして、今年のバレンタインデーは
息子とクラッシックのコンサートへ行き、
そしてチャイナタウンのデート、という
素敵な一日と、なった。


息子はちゃんと鞄の中に
大好きなマオちゃんからもらった手づくりチョコレートを持っていた。


来年は男子ばかりの学校なので
今年が彼にとって、当面、最後の”本命チョコ”。

私は来年、どうしているのかしら。。。



春のような暖かさの、バレンタインの午後の話。












合格しました!

2009年01月13日 | mama
合格しました!





息子が、第一志望の学校に合格した。








お正月明け、おそらく
いち早く行われた試験だったので
受験シーズンの幕開け的存在の試験だったけれど
我が家にとってはそこが念願の第一志望校。


実はまだ新しい学校で、
息子が4期生になるのだけれど
その学校の青写真の段階から私が絶対に息子を入れたい
思っていた。





私はいわゆる受験生の母親としては失格だったかもしれない。

受験に失敗したら、私のせいかも・・と思った時も。


他のママたちみたいに
塾の予習、復習を一緒に夜中まで机の横で指導したりしなかった。

夜疲れて、息子が勉強しているのに
先に寝てしまうこともあったり、

受験直前なのに、酔っ払って帰宅したことも・・・

なのに、偏差値が下がると怒ってしまったことも、ある。


ごめん・・・息子よ。



多くの書籍に、

”中学受験は父親のかかわり方で決まる!”みたいに
書かれてあり、

説明会や合格判定テストなどには
父親の姿も沢山みかけた。


息子は
父親いない、
母親が私みたいな状況で、良く頑張った。


はっきり言って、
ここのところの中学受験は年々受験者が増え続けているので大変だ。

息子も小学低学年から塾に通った。
夜9時までの授業を週に数日。

6年生になってからは
土曜日も朝から夜まで、
日曜日も朝から夜まで、
夏休みが塾の合宿で一日10時間以上、
お正月も元日から一日中・・・

もしかしたら
私には出来なかったかもしれない。


悪かったテストを隠すことはあっても、
塾をサボったり、
体調を崩す事も無く、良く乗り切った。






息子よ、愛してるよっ


そして、合格おめでとう。




Happy son's birthday

2008年06月22日 | mama
Happy son's birthday




今日は、息子の誕生日。

happy-san ではなくて、happy son's birthday


12歳になる息子。
ココロもカラダもずいぶんと大きくなってきた。


今日、6月22日から12星座は蟹座のスタート。
保守的で、ロマンティストで、家を大切にする蟹座の
特徴を、息子はしっかり持っている。

そして、梅雨のど真ん中だけあって
たいがい、いつも雨の誕生日だ。

出産後、入院中、病室の窓の外は
ずうっと、ずうっと雨が降っていた。

そんなどしゃぶりの雨の中
みんなが傘をびしゃびしゃにぬらしたまま、
お祝いの大きなお花を届けてくれたのを、

今でも思い出しては、ココロが温かくなる。







12年前、私は広尾の愛育病院で息子を産んだ。

離婚直後の出産で、精神的なものがあったのか
陣痛は来るものの、生み出すだけの強い陣痛にならず

破水してから3日目、
陣痛促進剤を6本半、
背中に麻酔を打つ・・・など

はっきり言って、愛育病院始まって以来の
難産だと言われた。

後で聞いた話だけれど
陣痛促進剤を多量に打つのは、母子にとって
大変危険なことだったという。

でも私は別に失意にさいなまれていたわけでもなく
ドラマとか映画に出てくる出産シーンというのは
どれも壮絶な感じなので、

みんな、大変なんだなぁ・・・くらいの気持ちで

結構、助産婦さんと世間話をしながら
分娩台に上ったり、下りたりしていた。


幾度目か、分娩台に上がった時、
ようやく頭が見えてきたので

”産んぢゃいましょう”とお医者さま。

息子が”オギャー”と言わずに
多分、私が ”ギャー”と言った記憶がある。


”男の子さんですよ。”と助産婦さんの声を聞いた時、

”神様っているんだ・・・”と瞬間思った。




私は、どうしても、男の子が欲しかった。

どちらかというと・・・
いえ、かなり女系家族の我が家での、待望の男子誕生だったのだ。


皇族、とまではいかないにしても
ファミリービジネスやら、ご先祖さま系のものを
預かる家としては、かなりプレッシャーがあったのだ。


”うちは女の子しかいないから、困ったわねぇ・・・”

というのが、私が20代前半から息子を産むまで
母の口癖だった。


私が産まれた時は、(私は次女なので)

”なんだ、また女か。”

と言って、父は1週間以上病院に会いにきてくれなかったという。


なので、息子を授かった瞬間

私の願いを聞き届けてくれた神様と
生まれてきてくれた息子に感謝の気持ちでいっぱいになった。





ベビーピンクのバラ



その時の感謝の気持ちで
ここまで息子を育ててこられたように、思う。


急に頭を打ったとか、
大事な時に熱を出すとか、
友達とけんかして頭を下げなきゃいけなかったりとか、

子育ての最中で、冷や汗をかくシーンは
ままあったにせよ、

おかげさまで、子育てがつらい。。。というような
ブルーになることもなく
今日の日を迎えることが出来た。



どこかの本で、

~こどもは、自分の親より高い魂を持っている場合が多い。~

というのを読んだことがある。

実は、妙に納得することもある。


12歳の、いわゆるわんぱく坊主なのだけれど

息子を通して、自分自身が成長しているなぁ・・・と
感じることがあるからだ。

そして、生意気な顔で言う言葉に
案外、真実があったりも、する。


その子の魂は、親を通って、この世に誕生し
その子の人生を歩くのだから、
親がその子を束縛してはいけない。


・・・という言葉も彼を見ていると妙に納得できてしまう。

彼は非常にマイペース。
まわりをつい気にしがちな私たち日本人の中にあっては
珍しいタイプかもしれない。

うらやましいくらいに
自分は自分、人は人、ってところがきちんとある。

だから、一度も
”俺には何で、皆みたいにパパがいないんだ!
なんて、騒いだこともなく

わりと冷静に自分の立場を受け止めていたり、する。

そう、彼は自分の人生を歩くために
私のもとに誕生したんだな、と感じるのだ。




待望の、ミキサー



”誕生日プレゼントは、ミキサー、よろしく。”と息子。

”えっ ミキサー?” と私。

”朝、バナナジュース飲みたいからさ。”と息子。



以前、毎朝のようにバナナジュースを作っていたのだが
ある日、ミキサーが完全に壊れてしまい、
以来、ジュースではなく、毎朝、バナナを食べさせていた。


私はこの雨の中、

普段あまり行かない大井町の駅前のヤマダ電機でミキサーを見つけ、
よいしょ、よいしょ、と買って来た。


12歳の誕生日プレゼントが、このミキサー。


明日から毎朝、バナナジュースを飲んで

もっともっと、ココロもカラダも大きくなってね


生まれてきてくれて、ありがとう









3本の、カーネーション

2008年05月15日 | mama
3本の、カーネーション




学校が研究授業とやらで午後早い時間に
下校となった。

平日に病院に行く時間が普段とれないので、
これはチャンス!と

先日届いたDT第2期(破傷風など)の予防注射の予約を入れる。

生まれた頃はいつも持ち歩いていた母子手帳を
久しぶりに出す。

予防注射も久しぶり。

広尾の、愛育病院へ向かう。








”予防注射でしたら、2階の母子保健科へどうぞ。”

受付でそういわれる。


”母子保健科かぁ・・久しぶりだなぁ・・・


息子はこの愛育病院で生まれ
(ちなみに私も)
幼稚園に入るまでは
愛育病院内にあるナーサリールームで育った。


母子保健科の部屋にはいると

”ひぇ~” Kidsがうじょうじょ。


そう、この母子保健科は
新生児からの定期健診や予防注射をする部屋で
待合室には
生まれたての小さい赤ちゃんから
歩きだしたばかりの赤ちゃんから
絵本を開いて読めるくらいの幼児がいっぱい・・


数年前には当たり前のようにこの待合室にいたのだが
さすがに息子が

”オレ、違和感あるよな。”

と背を丸めて身長を少しでも小さくみせるようにして
そそくさと部屋の隅のソファに座る。


そう、いわゆる”赤ちゃん”や”幼児”の中では

150cmに育って、制服なんか着ている息子は

ある意味”おっさん”にみえる。


おむつやら、飲み物やら、おもちゃやらを
かばんに詰めて、息子を抱いて
この<乳幼児健診>に来ていたのは

つい昨日のように思えるのに

いつの間にか、この空間にいることに
違和感を覚えるほどに、成長していたのだ。







来月で12歳になろうとしているのに
やっぱり注射は嫌みたいで

”あの~、筋肉痛なんですけど
注射なんてして大丈夫ですか?”

なんて、お医者様や看護士さんにブツブツ言っている。


”大きな おっさん赤ちゃん”

の抵抗に笑いながら、ぶすっと一針。


母子手帳の予防注射の欄もこれで
全て埋まる。

なんか、母子手帳はある意味
母親としての成績表というか、
パスポートというか・・・。

空欄が埋まっていく喜びが、ある。







母子手帳を受け取るとき、

”あれっ? もしかして・・・。”

と看護士さんに話しかけられる。


”あっ、あの時の・・・”と、私。


そう、私が出産間近の大きいお腹のとき
お世話になった、看護士さんだった。


私はその頃、最高に幸せな妊婦さんから
なんともかわいそうな妊婦さんになってしまっていた。

その看護士さんはそんな私を
明るく励ましてくださった方だった

私は嬉しくなって
息子を指差して、

”あの時、お腹にいた子がこんなに大きくなりました

と紹介した。

小柄なその看護士さんは

”私と身長、変わらないわね。”と笑った。


なんだか、とても嬉しい再会で胸が熱くなった。









生まれたばかりの赤ちゃんを抱えるようにしている
新米お母さん。

ちょっと目を離すと泣き出す子供。

じっとしていない、よちよち歩きの子供・・・。


うわぁ~、大変。


自分もやっていたとはいえ、
一瞬も気を抜くことの出来ない
<子育て>って、本当に大変なんだ・・・と改めて思う。


”大きな仕事が終わった”

なんて、偉そうに言っている私だけれど

やっぱり、<子育て>は偉大な仕事だ。

がんばれっ、ママたち



でも、母の日に

てれくさそうに3本のカーネーションを手渡してくれた


その息子の気持ちが

何よりも、何よりも嬉しい


そんな、スペシャルな、ご褒美を受け取ることが出来るのも、

そんな日々の積み重ねがあったから・・・











バランス

2008年04月23日 | mama
バランス




帰宅後、佐川急便が届く。

見ると、先週受けた
息子の<合否判定テスト>の結果だ。


ここしばらく、息子の成績も
落ち着いていたので
少し親子ともに、ゆるんでいた結果・・・





・・・どこも入れる学校、無いぢゃん・・・



ここでしばらく、呆然となり
まあしかし、これが現実だ、ということを受け入れてみる。


確かにここのところ
私はあと2週間後に迫った一件に気持ちが集中していたかも、しれない。

この結果は
私がバランスを崩した、ということなのだろうか・・・。








たいがい、受験生の母親というのは
こどもを学校に送り出した後
猛勉強するらしい。

塾もそれを当てにしているようで
保護者用のテキストを配布したりする。

息子のママ・フレンドのうちの一人も
1問1問、全てに目を通し
子供が塾から帰ると(この時点で夜の9時半は過ぎている)
今度は、マンツーマンで
全ての問題が解けるまで、今度はママが家庭教師となる。

今、流行の”大人の脳トレ”には
すごくなるなぁ・・・。


と、他人事のような私は
現在の受験生の母親としては、ダメダメらしい。


そう、私にそれは、出来ない。

会社を抜け出して、帰宅し
夕食を作って、塾へ迎えに行って
ご飯食べて、後片付けして、
朝食の準備をして
次の日の支度を整えるので、
正直、いっぱいいっぱい。


あと、私の中では

<親に勉強を教えてもらった記憶>が、無い。

小学校から大学卒業まで、一度も。

勉強なんて、自分でするものだ。


私の母もここのところは割り切っていて


~ 教育は教育のプロにお任せする。
 学校に行ったら、全て先生にお任せする。
 だから、行儀が悪かったり、成績のことで
 先生に怒られようが、しかられようが
 それは、先生に一任する。 ~

というスタンスを貫いてくれていた。

なので、私は思いっきり学校生活を色々な意味で楽しめたし
それを家庭に持ち込むことは無かった。

けんかしようと、先生に怒られようと、
それは、それで、学校での出来事であって
それが嫌だったら自分自身で解決する・・・。


今は逐一、学校での様子を
親に報告あるいは親が聞き込みをするので

こどもは自分に都合の良いようにしか
報告なんかするはずないので

けんかなんかあると、

相手の子が敵となり、
それをおさえなかった教師が悪人となってしまう。

いわゆる、<モンスターペアレント>は
テレビの中の話ではなく、どこにでも存在する。
現に、息子のクラスにもいる。


中学校受験は、本人の能力だろうと思っていた私は
やはり、<母親>あるいは<父親>が
こどもと一緒になって、合格を勝ち取るのだ!という論理に

ある意味、わかるような気もするし
ある意味、ちがうような気もしている。


私と同年代の、私の弁護士先生は
テストでいい点をとると
親が近くのファミリーレストランで
ハンバーグをご馳走してくれるのが嬉しくて
勉強をしていた、と言う。

そう、私たちの世代の
親子関係って、そんな感じだったのではないだろうか・・・。









そして、息子を見ていると

どうも”あと1点とるぞ!”とか
”あいつだけには負けないぞ!”みたいな

そういう感覚が全くないので

テストの結果について、執着が無いというのが
受験に向いていない・・・

というのが、塾の先生と私に共通している見解だ。


しかし、

人生を大きく捉えると、

息子的生き方のほうが、人生を悠々を生きていける。

<人と比べて、なんぼ>みたいな、感覚。


人と競争したり、点数をとることに過剰に意識をむけるくせが
ついてしまうのが、
この<学歴競争社会>なのだけれど

人生は、そんなもんぢゃない。

っていうことを、大人は分かっているはずなのになぁ・・・。


私は、高校時代のクラスメートの男子たちを見ていて

本当に男の子というのは
自分でスタートダッシュを決めたら
そこからが、勝負というのを
見て知っている。


東大にストレートで合格するような男子は
やはり小学生のころから飛びぬけて
何でもできたし、性格ももの静かだったりする。

現在彼らは、やはり東大を出ていないと入れないような
大会社や省庁で、もの静かに世の中をまとめていてくれている。


しかし、あとの男子たちは

たとえば、高校2年の段階で
成績がワースト3であった男子が

こっぴどい<失恋>を経験して
それをバネに、勉強に意識を向け、
ストレートで上智大学にはいり、大学院も出て
博士号をとった。

あるいは、学校の規則をちょっと守れなくて
いつも校長先生にしかられていた男子2人組がいたのだが

一人は、ワールドカップやトヨタカップなど
日本や世界のサッカー大会の責任者を務めるような大物になっているし、

もう一人は、警視庁から外務省に出向し、
タイの日本大使館の一等書記官をしていたときに
スマトラの大地震があり
日本人の捜索に昼夜寝る間も惜しんで勤めたということで
ニュースにもなった人物になっている。


エベレスト清掃や富士山清掃で
有名な<野口健>さんは
同じ高校の後輩。

彼も高校時代は勉強が苦手で
同級生とけんかをして、停学になった時に
山を登り始めた・・・

そして、今は世界的な素晴らしい活躍をしている。



つまり、

男子のスタートラインはそれぞれで、

でも、本気になって走れば、ものすごく伸びるということを

目の当たりにして知っている私は、

現時点で、

”1点勝負”に賭けたりすることに
全然興味の無い息子を見ていても

実はあまり、あせっていないし
逆に、人生を歩く上で、自分なりの歩幅を持っているというのは
素晴らしいな、なんて思ったりしているので、ある。






長々とお話したけれど

これは私が息子の勉強を見ていないから
息子の成績が芳しくない、ということを
認めたくない、という気持ちもあるかもしれない。
(正直なところ・・・


息子の成績のケアをしながら
自分の仕事もまっとうする・・・

そういうバランスがとれるようにする必要があるのかな・・・。


2週間後に迫ったミッションが
無事終了したら、

すこし、そのバランスを整えていこう、

と思った、昨夜の<合否判定テスト>の結果。















生まれてきてくれて、ありがとう

2008年04月15日 | mama
生まれてきてくれて、ありがとう



”初☆デートはどうでしたか?”

とのお問い合わせ多し。

なので、今日は、息子の
ディズニーランド、初☆デートのご報告。



おりしも朝から大雨だったその日だけれど
春休み中とあって、
ディズニーランドはとっても混んでいたらしい・・・。

でも、終日
けんかも、大きなトラブルもなく

午後9時ごろ、舞浜まで迎えに行ってくださった
息子のまおちゃんのママが
最寄の駅まで息子を連れてきてくれた。


息子も、
まおちゃんも、
学校では見ることの出来ないような
大満足の顔

そして、

企画から、自分たちだけで
立ち上げた<大冒険>を
無事、終了することが出来た、というような

一歩、大きく前進したような
自信もあふれている


なんだか、こちらも
ほっとする気持ちと
子達の、一日だけれど
ひとまわり、成長したような雰囲気に
嬉しく、なる。










家に帰ってくると
ガサゴソとお土産の公開作業に、はいる。


なんと、私にばかりではなく、
オランダ在住の姉や姪っ子たちにも・・・
そして、
塾でお世話になっている先生にも、

とお小遣いの中からみんなにお土産を買ってきた。


私は、その姿を見て
またまた嬉しくなる。

ああ、自分が楽しかったという思いを
大切な人たちと共有したいのだな、と。
そして、
小さな腕にいっぱいお土産を抱えているその姿を
想像してみると・・・
これまた、とっても嬉しいぢゃないですか


<優しい心>もきちんと、育っている。



次の日も、メンバーと連絡をとりあって

<ディズニーランドの総括>日誌をつくっている。


・一番、楽しかったことは?
・持っていって良かった持ち物は?
・次回への改善点は?

などなど・・・。



いつの間にか、<仲間>の大切さ、
<仲間>といることの充実感、みたいなものも
身についているんだな。


そう、いい友人に囲まれている私が
一番、彼に感じてほしいところ。

一人っ子の彼には、生涯を通じて
いい友人たちと何かを分かち合えるハートを
大切にしてほしいと思っている。









私が一人で、息子を産んだ後

親切なようでいて
心配してあげているのよ、という
悪魔のささやきをする人たちがいた。

そう、育児本なんかにも

当たり前のように書いてあるのだけれど

”こどもは両親がそろっていないと・・・。”


そろっていないと、何か不都合だそうだ。


両親がそろっているのに越したことはない。
二人の愛情がたっぷり注がれるのに越したことはない。

理由があって
そういう状況で無い場合にどうしたらいいか、
なんていうことについての本とか、
ポジティブなアドバイスをしてくれる人とか、
あまりいなかった。



だけど、私は今
大きな声で言ってみる。


”大丈夫。”


いじめられたり
いじめたり、深刻になることもなく
(ちょっとしたことは、当たり前にあるけれど)

学芸会をやれば
主役をもらってくるし

こうして、<仲間>と計画を立てて
ディズニーランドも満喫してくる。

With 笑顔で。








”生まれてきてくれて、ありがとう。”

私は息子に感謝している。

そして、それを毎朝息子をHugしながら
伝えている。

息子を育てているようにみえて
実は、私が育っているのだ。



12歳。

これからどんどん青春時代。

私も
前しか見ていなかった時期だ。



先生に悪態ついたり、
ぎゃっと驚くことをしでかすときもあるけれど


私たちのベースに”愛”があることを
信じて、
ひたすら、エールをおくる。


”頑張れっ息子。”