Happy-sanになろう!

Happy-sanな日々をご紹介するブログ。旅のお話もいっぱい♪

トモダチ作戦~その1

2011年03月30日 | 波動をあげよう!
トモダチ作戦~その1



私は英国と中国に関わりが深いので
いまひとつ、アメリカについては
日本にとって重要だ、ということはわかりながらも、
好きとか嫌いとか関心があるとか無いとか、
という観点からすれば

どちらでもない、国だった。

ブッシュ政権のときは
傲慢な外交政策とかには頭来ていたときもある。
が、
オバマ大統領は選挙活動していた時から応援シテイル。


米軍、というと
私たち戦後世代は何を感じて来ただろう。

実は私の働いている日比谷松本楼は戦後、
米軍に接収され、米軍の宿舎になっていた。

父たち一家は特別にそこに住むことを許可され、
食事も米軍と同じものを食べることを許されていたという。
東京中、食べ物が何も無かったときだ。

米軍、というと私はいつもこのことを思い出していた。


一般的にいうと
普天間の問題や、
在日米軍の問題も色々あったし
ついこの間まではアメリカの高官が失言したニュースで騒がれても、いた。

しかし、
今回の震災および福島原発事故における
米軍の力、というのには圧倒されっぱなし、だ。

彼らはそれを<トモダチ作戦>と言っている。

このネーミングもまた、
ちょっと可愛くて、ユーモアもあって、そして温かい。

原発を冷やす水をすごいタンカーみたいなので運んできたり、
空港や港のいち早い復興も米軍の力無くしては難しい。


軍隊、というと
<自国を守る>ものだと思っていたが
今回の震災では
日本の自衛隊と肩を並べて<トモダチ作戦>を展開してくれている米軍。

頑張っていただきたい。









で、私も<トモダチ作戦>を企てた。

今日の夕方いきなり思いついたので
明日、正式にブログ上で発表しますが

<東日本震災チャリティーコンサート>を開催。



・日時  2011年 4月10日 日曜日

・場所  日比谷公園内 日比谷松本楼

・1日2回

(ランチタイム)12:00PM~2:00PM
(ティータイム)3:30PM~5:30PM

演奏はアイルランドの美しい調べを奏でる
守安功・雅子さんご夫妻による、
笛やハープの演奏。


ランチタイムにはおなじみのカレー&コーヒー
ティータイムにはデザート&お飲み物

をご用意。 会場費、食費はすべて松本楼が負担いたします。

参加費については今、考慮中です。

演奏者への謝礼以外は全額被災者への募金といたします。



ここのところ、
心痛むニュースで不安な毎日が続いています。

でもこういうときだからこそ
魂が震える美しい音楽を聴いて、元気になって

その元気を被災者に届けようと思ったのです

また
放射能の心配はありますが

日比谷公園は春を迎えています。


リードタイムが少ない企画ですが

是非是非是非、このブログを読んでくださっている皆様には
ご参加いただきたく、

4月10日 日曜日、空けてください!そしてご参加くださいますように。

あるいは受付や案内などのボランティア参加もあわせて募集しております。


明日、正式発表をいたします。

よろしくお願いいたします。











講談社 セオリーに掲載されています!

2011年03月28日 | 日中友好
講談社 セオリーに掲載されています!




ひさしぶりに、お仕事ブログに戻ります。


講談社から出版されております
上質な人生探求マガジン セオリー。

2011年VOL2号の特集は

全日空ANAとセオリーのコラボ企画。

<親日 中国を旅する>

と題されまして、辛亥革命100周年記念号となっています。










その中で、<梅屋庄吉をご存知ですか>というタイトルで
10ページにわたる大特集。

中には

<梅屋庄吉の故郷・長崎を小坂文乃さんと訪ねる>

という特集ページも。

長崎での講演会3回をこなしていた超ハードスケジュールの時期なので
目がへっこんでいたり、
あいかわらず私の顔写真は駄目駄目・・・なのですが
内容はとっっっても良いです。


また、70ページからの辛亥革命歴史旅ガイド
には私が今まで、
孫文の足跡をたずね歩いた時に撮影した写真が数多く掲載されており、

私として、私自身の写真より、
私が撮った写真がこんな素敵な雑誌に掲載されたことのほうが

嬉しい。


実は、地震が起きたのでまだブログアップしていませんが

3月12日に広東省 中山市で撮影したばかりの
孫文の生家なども
私が撮影したもの。。。

ふふふ、ちょっとカメラマンデビューな気分。



そのほかにも、浅田次郎さんや資生堂の福原義春氏などの
インタビューや

幻の中国茶のお話、
中国美術のお話など

読み応えのある、しかも
美しい雑誌です



私も
そうですが


原発のさまざまなニュースなど不安なものばかり
目にしたり、考えたりする日々ですが


ちょっと

違う世界に思考や視点をひと時ずらしてみるのも

良いのかも、と思います。





書店あるいはAmazonなどでご購入いただけると思います。

どうぞよろしくお願いいたします。







3199文字の、快感

2011年03月25日 | work
3199文字の、快感



あんまりじとっとしたブログを書いていたものだから
励ましのコメントをいただいたり
メールをいただいたり、した。


お会いしたことない方も
このブログを読んでくださっている。

今日、コメントをくださった”ゆさま”もそのお一人。

不思議と、ゆさま、のコメントを読んだら
ほっこりとした、優しい力が沸いてきた。

友人のチヨコさんやハコさんからもメールやTwitterが届く。

そして、今日、震災後はじめて、
今までの仕事の流れをつくってきてくださった
フルタさんとも電話で話しをすることが出来た。


パソコンや携帯メールや電話から
思いやりや愛情や勇気や元気が届けられる。

人って
やっぱり一人で生きていくものぢゃないんだな、と
つくづく思った。

みんな、アイシテルよっ



今日は論文を書いた。
外交関係者や学会の方向けの月刊誌の巻頭エッセイ。
非常にハイレベルの冊子で
私的にハードルの高い冊子だ。


皆さんも頑張っているのだから私も頑張らないと。

”集中”。

勝手にこの論文を3600文字だと思い込んでいた。
3750文字くらいになってしまったものを
きっちり、3600文字に仕上げた。

ちょっと才能すら感じた。

そうして、依頼文を読み直すと
3200文字、と書いてあった。

そこから、400文字(原稿用紙1枚分だ)を削らなくてはいけない。

何度か細かい修正を加えて、最終的に文字数をチェックすると
3199文字

なんというか、快感。


私の脳みそは超文系だ。
家系のどこを探しても理系がいないのが自慢(?)のわが家族。

小学生の頃から作文が得意だったのが
中学、高校では小論文が得意に変わり
おかげさまで一昨年、本も出版することが、出来た。

考えてみると、
小学生の時の先生のおかげだ。

あの時、作文を褒めてくれてくれたところから
この流れは続いてきた。


先日、3学期を終え、春休みとなる息子を学校に迎えに行った時。

廊下で、息子が

1番得意の歴史の先生と、
1番苦手の数学の先生とすれ違い

偶然、両者面談が始まった。


歴史の先生的には息子は歴史が出来るのでとっても良い子で期待している、と言われ
数学の先生からは息子は成績もさることながら授業態度も悪く、難しい生徒だと言われた。
両者の先生の息子感は真っ向から対立し、言い合いになっていた。


結局数学の点数が良くないということについて、チューターの先生からもそのことについて
メールもいただいた。


でも、私はその時、こんなふうに返信してしまった。

努力しなければならないところは今後も努力させますが
悪いところばかり指摘するのではなく、
出来ているところも評価していただきたい。
評価してくださることによって自信がつき、
苦手なことにもとりくむ力が沸いてくるのではないでしょうか、と。

社会に出てからは結局、得意分野で生きていくことになるのですから、とも。

自分を振り返って、
そして
3199文字で快感を覚える私は
実感たっぷり、こもっている。



途切れたように感じたものでも
きちんとつながっている。

そのことをきちんとやっていくことで
力を取り戻し
そこから何か私なりに今、困難にある人に光を届けることが出来るはず。


今、私と同じように
無力感や恐怖感に襲われている人が多いと聞く。
被災地に何かしなくては、という焦燥感だけで何も出来ない自分を責めたり。

まずは自分の好きなこと、得意なことに集中してみよう。
そこから出ずる自信がきっと
光、となって届くような、気がしてきた。









集中する

2011年03月23日 | 波動をあげよう!
集中する



弱いな。
自分でもほとほと情けないのだけれど
私はなかなか立ち直れない。


頑張って、とか
応援してる、とか
思いをよせる、とか
適当な言葉と想いが見つからないでいる。



本来であれば、私は今、香港にいる予定だった。
中華総商会会頭のジョナサン・チョイ氏が主催、
中華人民共和国政治協商会議副首席の王剛先生も
出席される中、
香港のセントラルにあるシティホールで<孫文と梅屋庄吉展>が
盛大に行われる予定であった。

そのほかにも香港フィルムマートで映画に関するプレゼンテーションや
日本香港経済フォーラムでも映画のプレゼンが行われる予定だった。


なんだか、
ついこの間まで私が関わっていたことのすべてが、遠い。


長崎に来て、
藤さんファミリーや陳東華先生ご夫妻にあたたかく迎えていただき
会話の中でも
ひきつづき、このプロジェクトがとりあげられるのだが
私の頭がなんだか
そこから遠いところに行ってしまったような感覚がある。


ある意味、ショック状態なのかも、しれない。


数分おきに携帯の余震ニュースを確認したり
地震や原発関連のニュースをチェックする癖もついてしまった。
ブログやツイッターなどでも新しい情報が無いか
気になってしまう。

そんな中、

息子がいつもと変わらず、能天気にしてくれていることが救いだ。

短期間、春休みに通うことになった個人塾で
英語を教えてくれる先生が

”スザンヌ似”のとっっってもきれいな先生だそうで
いつもよりハイテンションになっている。


息子を塾に行かせている間、

不安にさいなまれて、何も出来ないでいたが

どうしても書き上げなくてはならない原稿を書くことに着手してみた。

長崎新聞の連載の残り3回分と
外交専門誌に出す3200字の論文。


いつものようにすぐに集中出来ない。
すぐに携帯に手が伸びて
地震関連のニュースをチェックしては
不安になったり、怖くなったり、落ち着かない。


眠れない夜でもやがていつしか眠っていることがあるように、
文章とにらめっこしているうちに
集中している自分がいた。


長崎新聞の最後の連載を書き終えた。

久しぶりの、充実感。 

集中すること、
に快感を覚えたのは初めてかもしれない。


飛び交う情報に
”怖れないで”と言われても
それは今の私には難しい。

そういう自分も受け入れていきながら
少しづつ、

今はおそらくこの<集中する>という時間を持つことによって

色々な不安から遠ざかることが
出来るような、そんな気がした、夜の話。




・・・で、
このブログを書き上げた後、
石井ゆかりさんのブログを読んで

ひさしぶりに息子と大笑いが出来た。


http://www.youtube.com/watch?v=x-Lzcluv7JM
http://www.youtube.com/watch?v=x-Lzcluv7JM


ありがとう。











エクストリーム スーパームーン

2011年03月20日 | Earth(地球の、こと)
エクストリームスーパームーン



これからの、
午前3時10分から4時9分まで

太陽・地球・月が一直線になり
いつもより月が地球に近くなる(18年ぶりらしい)。


この特別な月は波動調整の役割もあるのだと聞いた。


今日、私が今いる場所からは
ため息が出るくらい美しい夕焼けを見る事が、出来た。

思わず息子も足をとめて、二人でその夕焼けに見入った。

そして、もう片方の空には雲が立ち込めていたが
すごい光がその雲の中に見えた。

最初はUFO?なんて思ったが
それこそ、
エクストリームスーパームーン。


みるみるうちに雲間からその姿を現した。


私はその月を見て、少し安心した。

これは全くの、素人の、動物的勘で申し訳ないけれど

穏やかな光を放っていたからだ。



私は月の表情にはいつも敏感だ。

背筋がぞくっとするような不気味な月もあれば
ピンク色に包まれた優しい月もある。


今日の月はなんというか、
<母性>みたいな
そういうものを感じた。


満月は
人の感情が高ぶる、と言われる。

事件が起こるのも満月の日が圧倒的に多いし、
出産も、圧倒的に満月の日が多い。

私が息子を産んだ病院でも
私が入院中、普通の日は2~3人生まれるが
満月の日は16人生まれた。

私も生まれた、愛育病院の方が言うのだから
間違いない。

だから、
月と私たちは絶対に、無縁でないのだ。


今日のこのエクストリームスーパームーン。

慈愛に満ちた、その光は
被災地の人々も照らすであろう。


高ぶるはずの満月だが、
なぜか今日の月は人々を落ち着かせるような感じがする。


私も今日は昨日よりずいぶん落ち着きを取り戻しているし、
Paddyさんから今届いたメールにも落ち着いた、と書いてあった。

そして、
自然災害と原発事故を一緒にしないほうがいい、という意見もあるけれど
私は波動で考えると
やはり原発も少し今日、昨日よりは状況が落ち着いた。


不思議な力は、働いているように感じる。



私は、今回の災害に関して
ずっと自分に何が出来るか自問自答していたし
(まだ答えは出ないけれど)
不安で、緊張もしていた。


だけど、決めた。


これからはじまる、午前3時10分から4時9分まで
ココロをこめて祈ろうと思う。

自分の中で波立っていたエゴや
ネガティブな想いなどなど。。。

それを自戒しながら、祈ろうと思う。


全ては自分のココロが映し出しているのが現実だとしたら

ココロの中から穏やかな波動を出していくことが

その現実を作り出すはずだから。



おそらく、この時間帯
このような祈りを捧げる人が少なからずいらっしゃると思う。


穏やかな光が
どうぞどうぞ、一筋の希望となって
今、困難の中にいる人々に届きますように。。。








遅ればせながら・・・

2011年03月17日 | friends
遅ればせながら・・・


東京は予期されぬ大型停電の可能性があるということで
今、社員を全員退社させたところ。

父と私はいずれにしても
歩いても1時間くらいで帰宅出来るので
今は夜勤さんと父と私で
ひっそり過ごしている。

東京はこんな感じで
刻一刻状態は悪くなっていく。




で、仕事がぱたっ、と途切れたので
遅ればせながら

Facebook と
twitter に登録した。

地震の情報も
入手しやすいということなので。。。


私の本名でよろしければ検索してみてくださいまし。

初心者なので
要領を得ておりませんがどうぞよろしくお願いいたします。




被災地が寒い中、皆様がんばっておられると思い
私も節電で

暖房を入れなかったり、

シャワーが出来るだけでもありがたいと思って
ドライヤー無しで濡れた髪のままでいたら・・・


夜、喉が猛烈に痛くなった。

まずい 風邪ひいた


慌てて風邪薬を飲んだ。 


いかんな。こんなんで風邪ひいていては。。。
もっと寒い中、被災地では
がんばっているのに。


さまざまな情報が錯綜している中、

いったい自分に何が出来るのだろう。。。


香港の友人からメールが届いた。


”どうして広州から日本に帰ったの?
どうして25日からの香港のイベントをキャンセルしたの?
香港でアパートくらい見つけてあげるのに。

梅屋庄吉さんのひ孫だったら、よく考えて。

これから先の、自分のしなければいけないことを。

そのために、今、自分がどうしなければならないかを。”



寒いので布団の中にくるまりながら
いろいろな情報がぐるぐる、ぐるぐる頭をめぐらせながら

いったい自分には
何が出来るだろう。。。

自問自答の、長い夜だった。



まずは祈ろう。

もっともっと長い夜の中にいる人々に
少しでも温かいものが届くように、
少しでも眠ることが出来るように、 と。










愛すること(Re:生きている時間)

2011年03月13日 | 波動をあげよう!
愛すること(Re:生きている時間)



心痛むニュースがここ、中国へも
次々に伝えられてくる。

こちらにいても不安と悲しみで
押しつぶされそうだ。


そして、いつしか私にも
頻繁に中国に来る間に
中国での<家族>が増えてきていて

”日本での地震のニュースを見た時、
真っ先に、あなたが大丈夫かどうか、
心配しました。”

というメールも

北京や香港から、届く。


本当の、本当に人間の力が及ばない状況の前には

国境とか、
国益とか、
そんなものはいらなくて

ただ、

誰かを想う気持ち、愛しかない

とつくづくココロの底から思う。


東京の会社に確認をすると
営業は出来ても
とても食事を楽しむ、というキモチにはなれないということで
キャンセルが相次いでいるという。

そして、
デパートなどへも出店しているが
夜間の停電に備えて、夜の営業は出来ないという。


これからしばらく、経済的にも
大きな波が押し寄せてくる。


日本人はこういう時でもしっかり助け合おうという気持ちが
つながっている、ということについて
海外のメディアは驚くと同時に賛美の声すらあげている。


ある意味、アセンションは本当に起こったのかも、しれない。
そして、
でもおそらく、今、みんなのココロを一番占めているのは
私たち人間の、根底に流れ続けている<愛する気持ち>。
それを、これでもか、、、
というくらいに人に知らせるために
こういう、はかりしれない災害すら起こってしまうのか。。。




なぜかブログは書けても
PCからメールが送信出来ない状態。

なので、Paddyさんのブログとメール
<生きている時間>への返信のようなブログになってしまふ。。。



私はきっとこの世を去るときに思うのは

仕事のことでも、
お金のことでも、
築いてきた名誉でも、
持ち物でも、なんでもなくて、

ただひたすら

愛しているひとのことを、思うだろうと。


そして、
そのかけがえの無い人(たち)に出会えたことを感謝するだろうと。


生きている時間・・・


それはただひたすらに

<愛すること>を学んだり、経験したり、体験することをするために

あるのではないか、と今、思う。















JishinとTsunami

2011年03月13日 | Earth(地球の、こと)
JishinとTsunami


行って来ます!と威勢よく成田空港から出発して
中国・広州に着いた私。

翌日、11日、広州で総領事とお会いした後
中山市へ向かうバスの中で

次から次へと日本からメールが舞い込んできた。


東北地方の地震速報と同時に
東京でも大きな揺れがあったとのメールで
バスの中でパニック状態に。。。



一刻一刻、

東京からはPaddyさんが、
神戸からは片山さんが、

東京の様子を確認して
メールを送ってくださった。

東京には電話が通じないので

長崎県の藤参与にお願いしたり
神戸の片山さんにお願いしたり

とにかく電話が通じて、
日本の状況が分かる人にすがった。


姉からは姪っ子ちゃんがどこにいるか不安だ、とのメール。
息子の学校からは全員無事とのメールがいち早く届き、
これは有難いメールだった。


そして、長崎市東京事務所の方の情報や
Paddyさんまでもが

私の会社の様子を確認して
また連絡を下さった。


Paddyさんご自身も東京にいて
大変だというのに、

本当にどれだけ優しいんだろう。。。


お昼をご一緒した
広州にいるアオヤギ氏のご実家はたしか岩手だったような。。。


広州市から中山市にたどり着く約2時間、
大パニックとなり

中山市では、現地の皆様が”熱烈歓迎”してくださるのだが
ココロの中はそれどころでは、無い。

鏡でみて驚いたが、口紅もとれて
真っ青な顔して、ひどい顔をしていた。


ここ、
中国でも24時間体制で日本の地震の特集番組が報道されている。


こういう大きな自然災害の前には

あの漁船の問題のようなことでぎくしゃくしたことすら、
愚かに思えてしまう。

自然の恐ろしさ。


どうぞどうぞ、これ以上大きな災害につながりませんように。

ずっと、ずっと、こちらから
青い光を送っています。


また、
昨夜は一睡も出来なかった人がたくさんいます。

安否確認に追われたり、
家に帰れなかったり・・・


そして、
言葉に言い尽くせない悲しみと不安にうちひしがれている方々に


心からお見舞い申し上げます。



中国の皆様も

本当に心配してくださっていて、

今日も何人もの若者やマスコミの皆様から


”四川大地震の時、日本は多大の支援をしてくれた。
昨日、起こった地震について、
何が私たちに出来るのか、教えて欲しい。”


と言われた。


多くの人の祈りと
多くの人の支援の気持ちが

どうぞ
暴れだした地龍を穏やかにしてくださいますように。。。
















広州・中山へ、出発!

2011年03月10日 | 日中友好
広州・中山へ、出発!



恒例になった、出発直前に書き込むブログ。

今日は成田空港 ANAラウンジから。


すっかり羽田空港国際線に慣れた私は
成田が無駄に遠いように、感じる。


しかし広州行きのフライトは成田発しかないので
久しぶりの、成田。 おそらく去年の3月にやはり広州に行く時以来かも。

ということは
最近の私はほとんど<中国>にしか行っていないということに、なる。


来年こそは、とひそかに
久しぶりのヨーロッパ、を狙っている。



昨日、夕方ANA中国フォーラムで講演会だったが
時間より少し早めに汐留についたので
スターバックスでコーヒーを飲みながら
時間をつぶした。


・・・と横をみると
いかにも、就職活動中、という服装の女の子が
一生懸命ノートに何か書いている。


ちらり、とのぞいてみると

・プレゼンはうまくできたと思う。
・~は反省。

とか、面接時のこととか(っぽい)ことをちゃんと
記録していた。


えらいなぁ。
一生懸命だなぁ。

そうやって、どこかに就職して
気の遠くなるような、社会人生活が始まるのだなぁ。。。。


かたや私は
ちょっと偉そうに、講演会の下準備だ。


おそらく、就職活動をして、
社会人のスタートを切って、

そうして今の私みたいに

ひょいひょいと海外に出張に行ったり
得意分野での講演会をしたり

なんていうのは
もしかしたら、彼女たちにとって理想的な、女性としての、<社会人>なのかもしれない。と思った。

少なくても
私だったら、そう思うだろうなぁぁぁ。

しかし、

私は就職した当時は、キャリアウーマンっぽくなるなんて実は
ぜ~んぜん、思っていなかった。

2~3年働いたら、海外出張する人の奥さんになって
海外で素敵なマダムをやるのを夢見てたし、(まさか一人で懸命に子供を育てることになるなんて思いもしなかった

そうぢゃなければ、海外にまた留学したいと思っていた。

普通の主婦ではもしかしたら退屈してしまうから
お花を教えて、お小遣いをかせごうと思っていた。


20年後の私、ぜ~んぜん違う。

あらためてあまりに違いに愕然とすら、してしまふ。。。


でも結構、私は

石川遼くんや斉藤祐くんみたいに完璧ではないけれど、
私を選んで生まれてきてくれた息子と
大好きな仲間たち、
導いてくださる先輩たち、
そしておかげさま、生活が出来る仕事、
そして大いなるミッションを授かって


幸せだ。

あとかなえたいのは、ひとつだけ。(内緒。ははは。




さて、今回の広州・中山行きの目的は

3月12日、孫文先生の命日だが
孫文先生の生誕地、中山市で
この日に開幕する<孫文と梅屋庄吉展>のオープニングセレモニーに出席すること。


広州にはブログでおなじみの、
中国茶のヨシコ先生のご主人様が住んでいらっしゃり、
このたびの訪問では
広州総領事や広州の商工会議所の重鎮の皆様との
会食もセッティングしてくださった。


さあ、そろそろ出発の時間。

時間があったら、現地から報告ブログ、書きますね。


行ってきます



A Big Day

2011年03月10日 | 日中友好
A Big Day


今日(3月9日)もBig Dayであった。

ひさしぶりに
全ての過程を終えて、今、ほっとしながら
打ち上げのBeerをちょっとばかり飲みすぎたかな、と。


午前中はとてもプレッシャーのかかる
お客さま方が10名ほど自宅にいらっしゃった。


・侵華日軍第731部隊罪證陳列館主任館長
・中国人民抗日戦争記念館
・侵華日軍南京大虐殺遇同胞紀念館副館長
・日本近現代問題研究者

・・・・・・


などという肩書きの方々。


戦争の歴史は、体験こそしていないが
映画やドラマを観たり、話を聞いたり、本を読んだり
それらの中からいつも心がきしむような
夜眠れないようなつらい思いがわきあがってくる。

実際に体験した人々はいかばかりか。。。


南京に大虐殺記念館があることは知っていたけれど
そのほかにも日本軍にまつわる記念館があるのだな、と。


その方たちに、”あたたかい”歴史の秘話をご紹介する。

これが、私の仕事。ミッション、と言っても、良い。


会話はごく普通だ。

北京に来たときは是非、私どものところに来てください。
南京に来たときは是非、こちらに寄ってください。

でもそこは、
日本軍の残虐さを伝える、記念館である。


私たち、戦争を知らない世代でも、とても高いハードルが、そこにある。


しかし、私が梅屋庄吉関連資料をご説明している間、
始終、話題や関心や笑顔の絶えない訪問であった。
驚きと深い感動で、”身が震えました。”と言ってくださった方もいらした。









ひとつ、大きな仕事を終えた気が、した。




夕方はANA全日空で中国に携わる社員の方を対象にした
<中国フォーラム>が汐留ANAオフィスで開かれた。










ANAは中国路線を各地に結び、
中国での事業展開に成功している企業。

中国で実際に業務に関わっていたり
成田や羽田などで毎日、中国との関わりを持っている方対象に
いったい何を伝えればよいだろうか。。。










いただいた70分の時間の中に
辛亥革命の歴史の他に
上海万博をはじめ、今年の私の色々なプロジェクトもご紹介。












時間で計算すると、1分間に2年間分の歴史を
話していたことになるのだという。
1868年から2011年までの、日中近代の、歴史。


皆様、私よりはるかに中国通でいらっしゃるにも関わらず
熱心に聴いていてくださった。










受講者の中には
岡崎嘉平太財団での奨学金をいただいて
留学している中国人の学生さんもいらしていた。






そして、コメントもいただいた。

”私たち、中国人も知らない歴史です。
もっとこのことを中国の人にも伝えたいです。
私たちにお手伝いできることがあれば、
何でも言ってください。


上海万博日本館イベントステージでも
上海の学生さん30人がほんとぉに朝から夜遅くまで
ボランティアとして運営を支えてくれた。


やはり、
私は、

学生さん、そして、高校生、中学生、こどもたち。。。。


これから未来のアジアを生きる皆様に

戦争という暗く悲しい歴史もあったけれど
お互い海を越えて平和のために手を結んだ歴史もあることを、

伝えていきたい。。。。とココロから思った。










それは梅屋庄吉、トク夫妻の”陰徳”を
たまたま100年後に生まれた曾孫である私が

現世、肉体を持って生まれてきているので
それを伝えることが、出来る。


過去の戦争を伝える。
そして、
過去の友情も伝える。


そうして、やっと私たちアジアに生きる者は

はじめて”平和”について

同じテーブルで語り合うことが出来るのでは、ないだろうか。。。。




今日は、そんな、大きなことの
ほんの、いったんを担った

私なりの、Big Dayであった。


明日は、広州 中山へ出発します。







EFiL.net オフィシャルブロガー



ペールグリーン

2011年03月09日 | オーラソーマ・ボトルストーリー
ペールグリーン



ここのところ、

喉が渇いて爽やかな飲み物を欲するように

私は

”ペールグリーン”を欲している。


直接カラダには

ボトル55<ヒラリオン>を塗る。


ボトルを振るたび
その光を帯びた美しいペールグリーンに
ココロが安らぎを覚える。







なんと、ペールグリーンに対しての、
私の意識はオーラソーマのボトルだけではなく
日常生活にも。



ペールグリーンをみつけると
吸い込まるように、しばし釘付けになる。


だから
3月2日の父の誕生日プレゼントも

数あるネクタイの中から
ペールグリーンのものを選んだ。


ネクタイのみならず
ブティックでペールグリーンのスーツを見つけた私は
購入する予定も無かったのに
どうしても気になり、買ってしまった。


スーツまで買うかい
と自問自答しながらも、ペールグリーンに
惹かれるココロは止まらない。


いよいよあさって10日に
中国 広州へ向かって出発するのだが
今日はその荷造りに追われた。


例のごとく
中国へ行くときは大きなトランクの3分の2以上が<お土産>だ。
この中国のお土産文化、
何とかならないだろうか。。。。


最近の中国のみなさまはお金持ちになって
ちょっとした日本のお菓子くらいでは

”ケチ!” と思われてしまうそうだ。

私は先祖が気前良かっただけに
”ケチ!”と思われてはいけない、という
変なプレッシャーも、ある。

帰ってくるときは
全てのお土産が無くなるのでトランクはほとんど何も入っていない状態になる。


例外なく、この度も
お土産でトランクはパンパンだ。


で、
現地で着る洋服のコーディネートを考えていると

必然的に このように。。。。





ペールグリーンばっかり。(爆



ここで、ペールグリーン、が何を意味しているのか
ということを
オーラソーマの言葉で書いてみようと思う。


オーラソーマのペールグリーンのボトルは
53番 ヒラリオン。

テーマは”純粋なハート” ”新生”


おおぅ。

やはり、私がこの間

純粋なハートが打ち砕かれたことがあり。。。

そして、新しく<仕切り直そう>とブログでも宣言したように

このボトルのテーマどおりの、日々を送っている。


そしてこのボトルの対応箇所は<ハート>と<背中>。


おおぅ。

背中が痛い、痛いと言っていた私。
これも
破れたハートチャクラのせいだったのかなぁ。。。



オーラソーマ的に<グリーン>はハートを表す。
ペールグリーンはグリーンに光がさした状態を表す。


新しい道を模索したい時は
自分のハート(グリーン)に光をあてると
自然に方向性が見えてくる。


ハートに光をあてるためには
リラックス、リフレッシュが大切。
(だから最近の私はやたら自分に甘い)

この新緑をおもわせる
ペールグリーンのボトルをみているだけでも
リフレッシュする感じがする。


グリーンはまた

道、真実、方向性

というのがキーワード。 そこに光をあてる。→ペールグリーン。


真実を探求していくと、それが道になり
いつしか真実の光へとたどり着く。


そして、もう一つ。

グリーンは<進め>のサイン。(信号も、そうでしょ。)

古い価値観を手放して
真実へ進んでいけるように。。。



これらがココロが感じていること。求めていること。

そして
私の意識をペールグリーンに向かわせている。










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幸せな、Pizzeria

2011年03月06日 | 見つけたHappyたち
幸せな、Pizzeria



今日、東京は春の暖かさでお出かけ日和。

なのに相変わらず私は
朝起きれない。(起きたくない)
誰とも話したくない。
頭はぼーぅっとしたまま。


でも午後、大事な約束がある。

ぼやっ、とした顔はお化粧のノリも良くない。
粉ふき芋みたいだ。

こんな調子で、大事な人に会って大丈夫かなぁ。。。










午後3時に某ホテルのロビーで待ち合わせ。

なかなか普段、お目にかかれない
著名な実業家の方。

にぎやかなホテルのロビーでも一際オーラがあり
すぐに分かる。


”ちょっと、お腹すいちゃってるから、
なにか食べるの付き合ってくれますか?”


”はっ、はい。。。”と私。

そういえば、お昼食べることなんて忘れていた。。。


ホテルを出て、

”どこか普段サラリーマンがご飯食べるようなところ、知ってる?”

と聞かれた。

”は?サラリーマン??”

と思ったが、すぐに、この方くらいのお立場だと
連日、
料亭とかホテルとか一流のレストランでの会食が多いから
フツーの定食とか、食べたいんだろうなぁ。。。

でも
私もサラリーマンでないので
良く分からない。


で、レモンパイの美味しい
私の好きなフランス風のカフェに行ったら、満席。

仕方ないので
コリドー街を歩いて、こぎれいなPizzeriaを見つけて
そこに入ることにした。









白ワインと2種類のピザを注文。

本当は私はピザはあまり食べない。
だって高カロリーの代表みたいな食べ物だもん。


今日お会いするために
おととい、宿題が出されていて
その書類を見ながら、会話が始まった。


白ワインも美味しかったし、
普段食べないピザも美味しくって

だんだんカラダに血が巡るようになってきた感触が、きた。



”なんか、元気が出てきました。”と私。

”どうしたの?元気なかったの?”と聞かれ

”はい。今年に入って
思ったより以上にいろいろなところからいろいろなお話があって。。。
なんだか1月2月の2ヶ月間で今年一年分過ごしたような気がします。”と私。


大笑いしながら聞いてくれる。

”ある程度、ちゃんと断らなきゃだめだよ。”

”無名な私はお断りなんか出来ません。”と私。


ついでに仕事の話からプライベートの話にもなり、


”私、男性に隙が無いって言われるんですよ。”

と言うと、またまた大笑いしながら

”そんなこと言うつまらない男と付き合わなきゃいいぢゃないの。”と一掃。


最初に出てきたトマトとハーブのピザも美味しかったけれど
次に出てきたカルボナーラのピザがとっても美味しくて
(カロリー高そうだから、普段絶対食べないメニューだけど)

ピザをほおばりながら、

会話が弾む。 ぼやーっとして、やる気0だった細胞たちがひょこひょこ動き出すのが、分かる。











常々私は、

”何を食べるか。どこで食べるか。”よりも

”誰と食べるか。”が一番大事だと思ってきた。

だから、

緊張したり、嫌味の多い人と有名シェフのレストランで食事をしても
全然美味しくないけど


ココロ通う人と食べるんだったら
どこでも、なんでも美味しい。

だってきっとわたしたちは、
食べ物だけ食べているわけではない。


一緒に食べている相手のエネルギーも受け取っているし、
相手も私のエネルギーを受け取っている。

だから、

誠実な、まっすぐに相手とのやりとりを楽しめるココロの相手との食事は

お腹も満たされるし、ココロも満たされるし、結果、元気になる。


逆に一緒に食事をしているだけなのに
やたら疲れる人も、いる。
エネルギーがカラダのどこかから漏れて、吸い取られてしまうみたいに。









実はこの方は、私の壮大な夢を叶えてくださろうとしている方だ。

この方と出会えなければ、私の夢はただの絵空事であったと思う。


私の夢には

ものすごいエネルギーと
お金と
リスクと
さまざまな困難が立ちはだかる。


時々本音で”気が重いよねぇ。。”といいながらも
一歩一歩、形になりつつ、ある。


出会うまで何の義理も何も無い。

私にはこの方に何の恩返しをしてさしあげることも、出来ない。


だけどこんな私の夢を
たくさんある仕事の中から拾い出して、
試行錯誤してくださっている。


ほんとぉぉぉぉに大きな器の男性って
いらっしゃるのだなぁ。。。。


仕事の話をするときは大真面目な顔。
それ以外は
大笑いしながら、私の話を聞いてくださったり
自分のまだまだやりたい仕事の話をしてくださる。










ここのところ、

不誠実な言動で傷ついて、へちゃっ、となっていた私の
ココロとカラダは

美味しいピザとあたたかい会話で
ずいぶんと、元気を取り戻した。



お店を出た後、


”会社に戻る?”と聞かれたが

”何だかちょっと元気が出てきたので、買い物にでも行こうと思います。”と私。



暖かい日曜日の午後
Pizzeriaを出て、ゆっくりとコリドー街を歩く。

なんだか、
特別に贅沢な、時間だった。


そんな幸せなPizzeriaでの、ひと時の話。








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チューリップ

2011年03月05日 | がんばれっ!
チューリップ



ここのところ、
背中の痛みがとれなくて
昨夜もあまり眠れなかった。


母の看病を15年間くらいしてきた私は
母もしょっちゅう背中の痛みを訴えていたので
背中の痛み、にはなんとなく嫌な予感がある。


今月30日に毎年恒例の聖路加での人間ドックを予約しているが
それまでの間、
2回もわりと長期での中国出張がある。

夕べは
”行けるかな、大丈夫かな。”と自問自答。


中国、という国は
よほど体力に自信があって、
自己主張にも自信がある人ぢゃないと向いていないと思う。


胃腸が丈夫でない私は
きれいなお手洗いや水回りは基本的にホテルだけだし、
そういった意味でも
長距離移動も緊張を強いられる。


そんなの平気さ、

という位の気丈あるいは
カラダも丈夫な人でないとなかなか大変だ。



背が高くなきゃ嫌だ、とか
頭が良くなきゃ嫌だ、とか

子どもじみたことを掲げていた若気の至りを反省し、

とにかく温かい愛情の持ち主に
見守ってもらいながら、あの世に旅立ちたい。。。


そんなことを考えながら眠れずにいたが

おかげで、5:46AMの新月をタイムリーに迎えることは、出来た。








弱気な私を励ましてくれるものが、ある。


それは、チューリップ。




心友のはこちゃんからこんなにきれいな色のチューリップを
雛祭りにいただいた。



そして、
ベランダに植えたチューリップの球根は
北風の中、
春の日差しに向かって、しっかりと葉を伸ばし始めた。









なんだか、とっても嬉しくなった。




先週、私の、まっすぐなココロが折られるような出来事もあった。

なんかそれに追い討ちをかけるように
色々な人から色々な意見も聞こえてきた。

正直で、相手を思いやって、愛情をかけることが
かえって
”利用される””馬鹿にされる”というような感じだった。


なんか、

人のココロや愛情って、もうすこし、いいものなのぢゃないかしら。。。












Mr.Childrenの<花のにおい>という唄があるけれど


~信じたい、信じたい
人のココロにある温かな、奇跡を信じたい。

 信じたい、信じたい
誰の命もまた誰かを輝かすための光



私はやっぱり、そういうものでありたいと、願っている。










私には自慢の、とっっっっても可愛い姪っ子ちゃんが二人いて、
そのうちの一人、
ゆーちゃんはお料理の天才。


昨日、自分で作ったロールパンの写真を送ってきてくれた。









寒いなか、自分の世界を信じてまっすぐに手を伸ばし始めたチューリップ。


自分のカラダ、一番大事だよといって
きれいな色のチューリップを届けてくれたはこちゃん。



ゆーちゃんの、優しい気持ちの伝わってくるホカホカのロールパン。



あたたかな愛情や
生きていくための力を、やさしい波動で、伝えてくれる。
















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