Happy-sanになろう!

Happy-sanな日々をご紹介するブログ。旅のお話もいっぱい♪

心理テスト

2007年10月31日 | 見つけたHappyたち
心理テスト



ある日、心理テストが出題された。

息子からだ。


この心理テストをやったことない人は
読み進めないで

自分でもやってみて




(問)

あなたが砂漠を歩いています。
一緒に歩いている仲間は下記のものたちです。


牛 

羊 

虎 

さる

馬 


どんどん進むにつれ
全員で行動していくのが難しくなります。


さあ、
どの動物から順に貴方は手放していきますか?



・・・自分のココロに問いかけてみてください・・・












答え、決まりましたか?



私は、こういう順番でした。




虎  → 羊

→ 馬 → 牛

そして、

最後まで手放せなかったのが、

さる 



貴方とは違いましたか?



さあ、それぞれの動物が何を表すか
タネ明しをいたしましょう。









まず、私が最初に手放した

 は、プライドを表します。

そして、次の

は、お金。

次の

は、仕事。

次の

は、家族(配偶者や親)

そして、

最後まで手放せなかった

さるは、こども。






この心理テストを私が出題されたとき、


まず、虎は怖いし沢山食べそうだから
最初においていこう。

羊もあたたかそうだけど、それ以外役に立たないかも。

馬は遠くまで連れて行ってもらえそうだけど
食べられないから(私は馬肉は食べません)、おいていこう。

牛は、お乳も出るし、いざとなったら
食べられるから、捨てがたい・・・


さる


これは、役にはたたないかもしれないけど
絶対、捨てられない。

一緒にいたら、楽しいだろうし
第一、

牛とか馬、羊は目が横っちょについているから
置き去りにするときに
目があわないけれど、

さると目があったら、おいていくなんて、

出来ないっ


そう言うと、

答えをあらかじめ知っていた息子は
たいそう、
満足げな顔だった。

そう、
自分は何があっても、置き去りにされないという
確証を得たからだった













この心理テストを友人にやったりすると

みんな、当たり前だが

答えはばらばら。


そして、いちように
答えを教えると、自分なりに納得している。


例えば、

ママ・フレンドのひとりは、

最初に間髪いれず、

”さるいらないっ。
そして、馬、牛、羊、最後に虎。”

答えを教えると

”あたっているかも。
私、お金とプライド、捨てられない・・・。”
と言う。


だいたい、さるは何の役にもたたないぢゃん。と
最初に捨てる人が多かったが、

保母さんになったヨーコさんは
最後がさるだった。




ちょこっと暇つぶしの、

心理テストでした


貴方の結果を教えてね







こちらをたてれば・・・

2007年10月25日 | mama
こちらをたてれば・・・



こちらをたてれば、
あちらがたたず・・・。



そう、ここ暫く

”充実しているなあ

”しあわせだなあ

なんて思いながら過ごしていると


・・・やってくる


何って


息子がそういう時に結構色々やってくれる。


制服の上着を忘れたから
朝礼をサボったとか、

クラブを途中で抜け出すとか、

息子なりに理由はあったらしいが
先生は見逃さない。


昨夜も、充実した気持ちで帰宅した。

ふと、ランドセルが気になり
中をあけて、連絡帳を見てみると

先生からのご注意がびっしり・・・



来た・・・



幼稚園の頃にも

新店オープンでバタバタしているときに
息子がお友達と喧嘩をして
相手のお母様に謝罪すると

”ママが忙しすぎるんぢゃない

とお叱りを受けた。




この日だけは、どうしても重要な人とのアポイントが・・・

という時に、ナーサリールームから電話

”お熱があるので、すぐお迎えに来てください”



働くママの何が大変って

仕事が軌道に乗り出すと
反面、こどもに手がかかるようになったりすることだ。









”女の敵は女”

というが、ひとたび子供がらみの問題が起こると

”あそこのママは働いているから・・・”

という一言がまず飛んでくる。


その言葉が耳に入ってくると

な気分にいつもなってしまう。


保育園では、みんなが働くママなので
みんな<戦友><同士>なのだが

幼稚園や小学校では

<専業主婦>  <働くママ>

というのは多かれ少なかれ
きしみは、ある。


ぢゃあ、

専業主婦のこどもたちが

みんな優等生で、
喧嘩もしない、
いじめもしない、
100%の愛情に満ち足りた
天使のようなこどもなのか・・・


と言うと、実際はどうなんでしょう・・・。


子供たちはそれぞれ
自分やまわりとの葛藤を抱えながら
成長しようとするのだから

何がしか、ぶつかるのが当然だろうし
それによって、学んでいくのだろうと。

実際、
私が子供の時は、母は仕事をしない
<専業主婦>だったけれど


男の子とやりあったり、
忘れ物もいっぱいしたし、
授業中立たされたこともあったし・・・

それでも私なりに一生懸命だったような。










昨日、政治家の奥様方が集うパーティーがあった。

そこにはベテラン<代議士の妻>風の方や
新人議員の若い奥様などさまざま。
もちろん、タレント出身の方もいらしたり。

そこでもこんな話題が出ていた。


”・・・さんのご主人(議員さんになります)は
朝、子供の弁当を作って、保育園に連れて行ってから
国会に来るっておっしゃってましたよ。

奥さんが働いていると、色々大変なんですねえ。”


<働くママ&代議士の妻>を兼任している
その女性はその瞬間

なめくじに塩をふった時のように

小さくなってしまった。


・・・が、ひとたびマイクを握らせると

しゃきっとした口調で
会をまとめていくし

服装も、気遣いも、軍を抜いているように

私は思ってみていた。



世間的に

<少子高齢化>を論議する国会関係の方ですら

働くママへの風あたりは、

決して優しいものでは、ないのである。








まあ、そうは言っても

息子のことは、私の責任である。

私ももっとエネルギーと注意を
息子に向けないといけない。


・・・愛情はたっぷり、

は自信あるのだけれど、ね。









夢人に、会う

2007年10月24日 | 映画・コンサート・演劇
夢人に、会う




20日から、新宿紀伊国屋ホールにて
<孫文と梅屋庄吉>の公演が始まった。


http://www.tokyo-gingado.com/


この東京公演が終わるとすぐに11月5日には
新店舗立ち上げ、
そして、それを見届けるとすぐに
この公演の北京初日にむけて北京へ出発・・・と続く。


この演劇公演に関しては
仕事ではなく、<特別協力>として携わってきたのだが

驚くほどに、色々なヒトとつながり
それが、職種を越え、国境を越えていった。







それも、<上海発>のメールからだった。

今回の演劇の中国公演にあたって
実行委員会というものを設立しているのだが

その<特別委員>に谷村新司さんがなってくださる、
というのだ。


えっ


驚きが隠せない私。

谷村さんは現在上海や南京の音楽大学の
名誉教授をされていて
アジア全域にわたって
音楽を通して、友好を深める活動をしていらっしゃる。


<孫文と梅屋庄吉>
ことに、梅屋が抱いていた<東洋の平和>
に深く共鳴してくださったのが
今回のいきさつ。


谷村新司さんといえば、

私が小学高学年で
<音楽>というものに目覚めたきっかけとなる
アリス、のあの、谷村さん








実は先般、事前打ち合わせで
谷村さんの奥様とお話をした。

とってもとっても素晴らしい方で

そして、スピリチュアルな方


・・・人は、出会うべくして、出会う・・・

奥様がおっしゃった。

そして、私は続ける。

”最近、そのスピードが速くなっているような
気がします・・・”



そして、迎えた東京公演初日。

谷村さんご夫妻がいらして下さる。

ここで、

”夢人”・・・谷村新司さんに、お会いした。


すらっとしていて、やわらかい笑顔と声で
お話される。

初日舞台が終わったあとの
いわゆる<初日乾杯>で
谷村さんが舞台を切り盛りしている
演出家の品川さん、
俳優の太川陽介さん(Luilui
はじめ、多くの関係者に
語りかける・・・。


”舞台の台詞に素敵なところがありました。

~中国と日本は
梅が香るほど近いのですね。

人と人も、もっと近くなきゃいけない。~”

谷村さんはご自身が感じ、
なさっていらっしゃることを重ねながら
静かにお話をされ、
舞台関係者を激励された。







その後、関係者で打ち上げに出かける。

週末の、新宿歌舞伎町のど真ん中を
谷村新司さんたちと歩く。
信じられない気持ちいっぱいで・・・。

すれ違いざま、ビラくばりの
ホストっぽいお兄さんが
谷村さんと気づくと
大声で”昴”を歌いだす

”新宿は、面白いねぇ・・・

と、谷村さん。


変わった居酒屋で私は谷村さんの向かいに
座りながら、いろんなことをお話した。

舞台音楽を手がけたウエダさんと3人で
こんな話になった。


”曲を作るうえで、大切なものは何だろう・・・


”それは、

オンガク以外の、全てのもの。”

と谷村さん。


谷村さんの曲は、メロディーもさることながら
私はその繊細な歌詞が大好きだったけれど

普通の会話をしながらも
谷村さんの口からこぼれる言葉や言葉の知識は

知的で、詩的。



”宇宙から地球に最初に届いたものは
 なんだろう・・・

私は、

”音と、光。”と答える。

”どちらが先?”

私は、”光かな?”と答えると


谷村さんは、首を横に振って


”こう書いてあるよね。(旧約聖書の話)


~はじめに、光あれ、と神は言われた~

と、いう事は、言われたのが先だから

<光>より<音>が
最初にあったっていうことだよ。

赤ちゃんもお腹の中で音を聞いているよね。”




谷村さんはご自身の公式HPでも
この演劇のことを書かれていらっしゃる。


谷村新司Official Site
http://www.tanimura.com/




100年前に中国と日本で
<アジアの将来>について結びついた友情が

時空を超えて、国境を越えて

私達をつなぎはじめる・・・。



そんな不思議な”つながり”を感じながら、

その夜は更けていったので、ある。


















母として、女性として、人として~その1

2007年10月17日 | mama
母として、女性として、人として~その1






大きな、テーマだ。

これは、私にとって通常の仕事以外で
取り組みたいワークの一つだ。


このことは、
20代後半からずっと女性である以上
多かれ少なかれ、関わっていく課題でも、ある。

人に<使命>というものがあるのなら
私が実際に体験したことや
出会った人々のこと・・・

結婚している、していない。
子供がいる、いない。
仕事をしている、していない。

これらのことについて、
これからの若い女性たちに
話していく、一緒に考えていく・・・。

これは、私のしていくことの
一つであるように、思う。

そのために、私はこの10数年やってきたようにも
思えるので、ある。






先日、NHKの特集番組で
小児科がコンビニ化している、

つまり、夜間・休日の時間帯の診療が
急激に増えていて
病院側の対応が追いつかない、という番組をみた。

理由は主に2つ。

1.核家族化で若い夫婦での子育てが
中心だということ。

つまり、ちょっとした熱や腹痛なんかでも
”おばあちゃん”の子育て経験の知恵なんかがあると

”このくらい、大丈夫だよ。”

ということでも、その言葉が欲しいために
病院に駆け込んでしまう、という現実だ。


2.働くお母さんが増えたため
日中、病院に連れていけないのが
休日・夜間診療増加の理由と考えられる、とのこと。




おかげさまで、小学校にあがってからは
ほぼ皆勤賞という健康な身体に育った息子だが

テレビの映像を見ていて
”当時”を思い出す。

そう、子育ての何が大変って

幼児は”病気”や”けが”が多いことだ。


それも、たいがい、熱が高くなるのは夜。

椅子から反対側に落ちて、頭を打ったり、

幼稚園なんかでも、お迎えに行ったら顔中、
傷だらけ、とか。


喘息やアトピーを持つお子さんは
もっと大変なはずだ。

息子のお友達の喘息の子は
真夜中の救急に駆け込むのも入院するのも
結構頻繁だった。


核家族でなくても
ママが働いていなくても

子供は”えっ、こんなときに・・・”というときこそ

病気や怪我をしたりするのだ。


病院も最近は小児科までも
<予約診療>になっていたり、する。

子供は<予約>して病気になんかならないのだ。

大人の定期的な検査が必要な医療とは
別ものと考えないと。


以前、医学生の友人がいた。

彼は”小児科”希望だったにも関わらず
<少子化>だから、という理由で

小児科医になることを断念して
整形外科医になったのだけれど

こういうことがますます
この問題を広げているようにも、思う。

昨今、妊婦の受け入れが出来ない、
なんておかしいニュースが流れてくるのも、しかり。







別の話題になるが
もう一つは、嬉しいニュース。



毎朝プロントでコーヒーを飲む
<プロント・フレンド>のヨーコさん。

彼女は自分の子供が産まれる前まで
保母さんだった。

赤ちゃんだとか、子供が大好き
そして、子供たちもヨーコさんが大好き

すれ違いざま、他の人の赤ちゃんなんかを
嬉しそうにみていたり、する。

だから、息子も、お友達たちも
幼稚園時代も、そして小学校高学年になった今も

ヨーコさんが、大好きだ。


ヨーコさんとは、息子たちが幼稚園の頃
つまり、6~7年前からのお付き合いだが
その頃から、

”少しの時間でも、保母さんの仕事をしたい。”

と言っていた。

自分の子育てに支障のない、程度に。

でもなかなか、現実的には
場所や時間、さまざまな条件がおりあう職場は
見つからなかった。

そこで、保母の仕事に復帰したい、という気持ちを
持ちつつも、違う職種のアルバイトをしたりしていた。


・・・ところが、ごく最近 


ヨーコさんの家からもほどよい距離で
しかも、朝~昼までの勤務という
理想的な保母さん募集の広告が目にはいった、という。

”11年ぶりの職場復帰、
緊張するなあ~。

面接や簡単な提出書類なんかのために
もう一回、勉強したものを取り出してきたりしたのよ

と、まるで学生さんのように
生真面目に<保母としての心構え>であるとか
<子供と向き合う>という件について
勉強した論文を見せてくれた。


私は、

”ご縁があれば、すんなり決まるよ。”

と言って、面接の日の朝、送り出してあげた。


・・・夕方、ヨーコさんからメールが届く。


”おかげさま、合格しました










自分自身として、やりたい仕事。 
人としての、<生きがい>。
社会に貢献したいという気持ち。


こういう気持ちと

子育ての両立は、そうたやすいことでは、ない。


でも

本当に願っていれば

そして、努力を怠らず

いつか巡ってくるはずの、
チャンスをつかまえることが出来るように

”準備”をしていれば

それは、叶うのだなあ、と

今回のヨーコさんの保母としての
職場復帰を見ていて思った。

何しろ、6~7年ごしの願いが叶ったのだから



母として、生きる。

これも、女性の本能的なものとはいえ、
現代の多様化した社会の中では
なかなか、大変


女性として、生きる。

母であろうが、仕事人であろうが
30代以降は
自分が<女性として>輝いていけるか、
ということにどれだけ向き合っているかが
とても大切になる。



・・・そして、人として、生きる。



子育ての大変さを思いしらされるテレビ番組放映と

子育てが一段落して”職場復帰”を果たしたヨーコさん。

期せずして同時に目の前に現れた
2つの出来事をとおして、

あらためて、このテーマを見つめていこうと

思ったので、ある。

















ココロがける

2007年10月16日 | 見つけたHappyたち
ココロがける




最近、ココロがけていることがある。

それは、

何となあく・・・

テンションが低めの日や

体調が芳しくない日に特にココロがけること。



毎日が元気いっぱいで
やる気いっぱいなら
こんなイイコトはないし、

前向きに何でも言えたり、出来ちゃうけれど、


月に満ち欠けがあるように

私達にもリズムがあって

ハイテンションの時と
なんとなあく・・・の時がある。

もっとも

ひどくショックなことがあったり
大きな失敗をしでかしたり
勉強だなあ・・と反省しきり

という時もあるが

ここのところの私は、おかげさま

そのようなことはなく

無事に日々を過ごしているのだけれど

さして面白いことや
”ハッピィなのよっ

ということでもない一日、という時に

特に、ココロがけていることだ。









それは

こまめに ”ありがとう”ということだ。


いつもより、こまめに、がポイント。

例えば、

コンビニでおつりを受け取るとき、

タクシーを降りるとき、

かかってきた電話を切るとき、

メールの返信をするとき、

業者の人が出入りするとき・・・



”すいません”や”お世話さま”や

あるいは何となく黙っているのではなく

”ありがとう”と、言ってみる。



案外、当たり前に”ありがとう”と言っているはずの
シチュエーションでも

意識してみると、”ありがとう”以外の言葉や態度で
代用していることが、結構ある。


ことに低血圧な私が
どんよりしているときには

口が重たくなるので

”ありがとう”という一言でも

ヨッコイショッ というときがあるのだけれど

それでも、あえて言ってみる。

”ありがとう”のキセキを信じて。








もうひとつ、ある。


洗面台をきれいにすることだ。

これは自分の家だけではない。


例えば

毎朝コーヒーを飲むプロントだとか

他のお店に行ったときも。


結構、女性は自分のお化粧には気を配るが
自分が使う洗面台は使いたい放題な場合が多い。

自分の出来る範囲でだけれど

さっと周りを拭いたりするだけで
とっても気持ちが良くなる。

内緒でお掃除しちゃう、魔法使いな気分だ


これは、宇宙に貯金をしているつもり。


そういうつもりでやると

結構、”誰かがやれば・・・”ということでも
自分の手でやれることが、多いかもしれない。






ハロウィーンのアレンジメント 今年も作ります




”ありがとう”と洗面台の掃除。

当たり前すぎることかもしれないけれど

ささやかなことかもしれないけれど

ココロがけて、やってみる。



・・・すると・・・

また運気がふわっと上昇したときに

YESなこととめぐり合えたり、するのだ。



テンションの低い時、

運気が停滞気味な時、

宇宙に、自分に貯金するつもりで


何か、ココロがけてみませんか?


これ、結構 ”Happy-san”になれるかも












秋の日には・・・

2007年10月14日 | memory
秋の日には・・・





毎朝飲んでいるミルクティーが

”美味しいなあ・・”と感じると

それは、

私にとって、”秋”を意味することに、なる。




ひんやりとした空気とミルクティーの
相性がよいのは

すこし雲の厚い
イギリスの空気を思い出すからだろうか。








もう一つ、秋にぴったりなものが、ある。


村松 健の、ピアノだ。


村松 健のピアノは、とってもシンプルなタッチで

まるで、子供が弾いているバイエルみたいなのだが

秋の静かで 透明な空気には

かえって、心地よく、キモチにぴったりとくる。

私が好んでこの時期、毎年、

聴きたくなるのは、<Calender>というアルバム。



秋の空と、ミルクティーと、村松 健のCalender・・・。


遠い記憶が、そのシンプルなメロディーにのって
蘇ってくる。










その秋は、殆ど大学へ行くこともなく
(・・・というのは卒業に必要な
単位を全て前年で終了してしまっていたから)

毎日、行くところは、神宮だった。


お昼過ぎに友達や、先輩と待ち合わせをして
神宮へ向かう。

すこーん、と晴れ渡った空が高い。

応援団の太鼓がどんどんどんっと響き渡る。

そう、6大学野球の応援だ


私達の学年は、優れた野球少年が多かったらしく

高校時代も甲子園に出場、

そして、6大学野球でも数十年ぶり、という
優勝ラインに来ていた。


私は、野球そのものはあまり興味がない。


私のお楽しみは、<応援団>だ


すんごっく、オモシロイ。

相手に点をとられると

後輩らしき応援団員はなぜか

<スミマセン>と謝って、バケツの水を自らかぶったり、

神宮の外回り一周のランニングをしたり、

腕立て伏せをしたり・・・。

別に、応援団のせいぢゃないのに・・・


エールの仕方も色々あって、

だんだん試合が盛り上がってくると

まるで、丹頂鶴の求愛のポーズみたいな

不思議な応援が出てきたり・・・。


だいたい、バブルの全盛期で男子学生の殆どが

大きなルイ・ヴィトンのバッグを肩にしょって
通学しているというのに

角切り君で、襟の高い学ランを着ているだけでも

最高に、”いい感じ”だったのだ。



応援団の傍らの、<吹奏楽部>の隊長さんが
私の、当時の憧れの人だった

体育会のトップも務めていたので
人望も厚く、とっても目立つ先輩だった。

私は、入学したてのフレッシュマン・キャンプで
先輩のグループにいたので
入学当初から、先輩のことを知っていたのだが

憧れるようになったのは、

神宮で応援団の指揮をとっているのを見てからだった。









神宮での試合が終了すると

私達は、決まったように

青山のベルコモンズへ行き、お茶をした。


当時、そこには毛糸の可愛いお店があった。


今の学生さんたちは、

好きな人にセーターやマフラーをやっぱり編むのかしら?


私達の高校・大学時代は
クリスマスやバレンタインのプレゼントは
お決まりのように<手編みもの>だったけれど・・・。


私は、大柄の先輩に似合いそうな

素朴な生成りの毛糸を沢山買いこんで

セーターを編み出した。


村松 健の、カレンダーを聞きながら。

そして、傍らに、ミルクティーを
カップにたっぷり注いだものを用意して。



ざっくりと編みあがったセーターは
先輩の最後の吹奏楽部のコンサートの日に
あげようと、用意をしていた。


コンサート会場には
吹奏楽部のメンバーに渡すために設けられた机があって

そこには、花束やプレゼントがいっぱいだった。


私は、暫く・・・

そう暫くの間、そこに立ちすくんでいた。


結局、編んだセーターを置いてくることが出来ず、

先輩宛に書いた簡単なお手紙だけを置いてきた。



先輩への想いが形になったセーターは
私にはすこし大きすぎたが

自分で着ることにした。



・・・しばらくして、先輩から
丁寧なお手紙が届いた。

男性にしては、珍しいほど
きれいな字だった。

コンサート、観に来てくれて
ありがとう。

という内容だった。

何だか、それだけで、とっても嬉しかった





秋の日の、

ミルクティーと村松 健のカレンダーは

いつもその頃の私を連れてくる。



神宮の高い空に響く応援団の音と

ベルコモンズでのたわいないおしゃべりと

渡せなかった生成りのセーター・・・。




大切な、秋の日の思い出。






ベニサンピット

2007年10月13日 | 映画・コンサート・演劇
ベニサンピット





都営新宿線の森下駅を降りて
ほんの2~3分歩いたところに
ベニサンピットは、あった。


<ベニサンピット>という名前は
何度か聞いたことがあったのだが
実際に訪れたのは、はじめて。









そう、ここは劇場兼
演劇の練習スタジオが集まっている場所。

倉庫のようなところを手直ししてある。

エレベーターなんてものは無く、
さび付いた階段を上がっていく途中、

若い演劇を志す女優さんや男優さんの
卵たちが、大きな声で挨拶してくれる。

”おはようございますっ

さすが、発声練習をしているだけあって
声が大きく、キレがよい。



私が何でこんなところへ来たのかというと

演劇の練習を見学させてもらうためだ。


今月20日から新宿の紀伊国屋ホールを
皮切りに日本と中国10都市で公演される
<孫文と梅屋庄吉>の舞台稽古だ。


公演についての詳細はコチラ
http://www.tokyo-gingado.com/



その日は、初めての通し稽古が行われた。

衣装、照明、音響などはまだ無かったが

役者の皆さんは、台詞がきちんと入っていて
動きも大きく、さすが、プロの演劇


この演劇について
私も関係者の一人・・・となっているので

事前のお稽古も見させていただきたい、と
申し出たのだった。



台本を見せていただいた時よりも

実際、役者の方が台詞として、語っているほうが

一言一言が気持ちがこもって

重くなるし、長くなる・・・。











ブログでお話したように、

私は中学・高校時代と演劇部だったので

お芝居を観るのも、やるのも、大好きだ。

どちらかというと、演出のほうが
得意かも、しれない。

何だか、稽古をみているうちに

仲間に入れてもらいたくなってしまった


・・・とにかく、薄明かりの中の舞台稽古、

高校時代を何となく思い出して

楽しくかったし、

役者さんたちの真剣さにココロが打たれた









これから、大道具、小道具、照明などの

舞台装置がはいり、音響が決まり、


衣装、メイク、鬘あわせ・・・


そうやって、だんだん役者さんも

”ホンモノ”への役作りが本格化する。


今回の演劇は中国の役者さんも

入っており、感情表現がとっても豊か。


日中、日韓、日米・・・

どこの国とでもいい。

こうして、一つの舞台を作り上げていく中で

一つのイベントを成し遂げていく中で

お互いのココロがつながっていくということは

とっても大切なことだ


もう、私達地球人は

国や地域の問題を超えたところで一つにならないと

いけない、ということに気づき始めているから








本番まであと1週間となった。


演出家の方、

役者の皆さん、スタッフの方々・・・


それぞれのお顔を思い浮かべながら

私は祈る。


・・・どうか、ベストを尽くせますように

全ての公演が楽しく、充実したものとなりますように










ブログランキング・にほんブログ村へ

駅Ben Ben

2007年10月12日 | せずにはいられない・・旅の話
駅Ben Ben




私の趣味といえば、”旅行”。

特に、”汽車旅”

そして、”汽車旅”といえば、”駅弁”。


・・・ということで、今日は
今年に入ってからの汽車旅で食した駅弁たちを
一挙にご紹介


私は、フランス料理だとか
洋食だとか、そういう世界にいるのだけれど

実は、”好きな食べ物は?”

と聞かれたら、ごくごくシンプルに

”ご飯と梅干”

あら塩で握った梅干のおにぎりなんて、最高だなあ


”庶民的なんですね。

とビール・フレンドのDragonさんに
言われたことがあるけれど

おにぎりをほおばりながら、

”・・・確かに、そうかもしれない ・・・”

と思ったり、する。






まずは、1月に旅行した新潟、
上越新幹線で食べた可愛いお弁当から。



 
ゆきだるま弁当




懐かしい鳥そぼろご飯と地鶏の照り焼き、
山菜がたっぷりのお弁当











次は、3月の”風林火山な旅”、
甲府へ向かうあずさ号の中のお弁当。



その名も”風林火山弁当”



今年の大河ドラマの題名だけあって
中味も豪華版。山の幸中心の大満足弁当












続いては、夏の北海道旅行。



北海道といえば、”海の幸”
王道の海の幸たっぷりの、お寿司を頂く。




うに、いくら、かに・・・
日本人に生まれてきて良かった、と
つくづく思う瞬間 



スーパー北斗に乗って、北海道の、雄大な大地を
車窓に眺めながら、こんなお弁当もオススメ。



<宗谷黒牛><北海道米 ななつぼし>
<札幌タマネギ>・・・と地元の味を
ふんだんに使用してつくられた北の黒牛弁当。




ボリューム満点 
お肉がたっぷり、のお弁当。




旭山動物園にむかうスーパーホワイトアローでは
こんなお弁当はいかがでしょうか?



その名も”ZOO BEN"。
旭山動物園は、趣向を凝らした動物の
行動展示で日本一の来場者をほこるが
お弁当も、なかなかの出来です





そして、手巻きおにぎりが
2本入ったこんな可愛いお弁当も・・・。



題して、<TEMAKI SOFT>。
う~ん、お弁当もアイディア満載












そして、10月秋の旅行では
こんなお弁当たちに出会いました




姫路から広島まで乗った<ひかりレールスター>車内では
”おっ!たべ鯛”というユニークなネーミングの
お弁当を発見




上品な味付けの鯛がほどよい大きさにスライスされて・・・。






もう一つ、面白いネーミングで
播州名物地鶏が2つの味で楽しめる

その名も<一石二鳥弁当>





照り焼き味と味噌漬け味の地鶏が楽しめる。
地鶏も柔らかくて、あまりお肉を食べない私もペロリ






そして、最後にイチオシのお弁当ご紹介


全国の駅弁人気投票でも第2位の栄冠に輝いたという
広島の<おまかせ寿司>




地のもの、旬のものが入るため
中味は季節によって変わる。




名物の穴子寿司、旬の松茸寿司、
牛肉の寿司・・・
柿羊羹の甘味までついている。

その味は、<駅弁>の域をこえて
お寿司屋さんで食べるお寿司みたい

リーゾナブルなのに、贅沢な
広島名物<おまかせ寿司>。








・・・というわけで

2007年の汽車旅で味わった<駅弁>の
ご紹介いかがでしたか?




何だか、ブログを書きながら
ちょっぴり、お腹がすいてきちゃいました













にほんブログ村 旅行ブログへ

世界遺産~姫路城

2007年10月10日 | せずにはいられない・・旅の話
世界遺産~姫路城




3連休といっても、以前のように
全部休めるわけではない。

仕事だの、塾だの、で
初日は東京で過ごす・・・が、

午後6時半 品川発の<のぞみ>に
品川ecuteで買い込んだお弁当を持参して
乗り込む。

さすがに、もう日が暮れるのが早くなって
真っ暗な中をのぞみは走り抜ける。


新大阪乗換えで、姫路に到着したのは
午後9時40分。
さすがに、駅も静まり返っている。

こんな時、今日の宿泊先である
駅直結のホテルは有難い。


ホテルニッコー姫路


明日の朝は早起きで姫路城。
夜のうちに移動しておけば
しっかり、次の日は有意義に過ごせるもんね。



ホテルの部屋からは、新幹線の駅、の眺め


翌朝、素晴らしいお天気に恵まれ

ホテルから姫路城までテクテク30分近く
歩いていく。


姫路城は長い歴史の中で

一度も戦や大きな災害に遭うことなく
奇跡的に生き残り、多くの人々の努力と熱意によって
保存・整備されてきた。

”美しく、そして、守られたお城”なのだ。







小高い丘の上に立つ城。
城のまわりのお濠や公園。

日本人の美意識がここに集約されているかのような
周囲一体の美しいこと!

ここは、1993年、法隆寺地域の仏教建造物とともに
日本で始めて、世界文化遺産に登録された。


さあ、どんなお城かお見せいたしましょう・・。






三角、四角、丸・・・と壁には
狭間があり、ここの間から敵めがけて
攻撃をするのだけれど、

そのデザインはとってもお洒落。

いの門、ろの門、はの門、にの門、ほの門・・・

幾つもの門をくぐりぬけながら
迷路みたいな石段を上がっていく。





屋根の鬼瓦や軒丸瓦には

築城した城主や修理をした城主の家紋を
彫った瓦が使われている。



”このお城は誰が住んでいたの?

と、石段を登りながら
私は、初歩的な質問をはじめる。


息子は、

”池田輝政、その後 本多忠政 

と答える。


”・・・・誰、それ。”


”本多忠政の息子の正室は千姫。


”・・・・千姫? 聞いたことある。


”徳川家康の孫。 


”そうそう、そうだったよねえ


・・・と歴史マニアの息子の解説に
やっとついていく。


それにしても、山登りのように
石段が続く。 お天気が良いので、うっすら汗も。

やっと西の丸にたどり着く。

小さなお部屋がいっぱい並んでいる廊下を歩く。


”誰のお部屋だったんだろうねえ。

”おんな達。 奥女中とか。


お城の説明書よりも早くに答えてくれる。


ボランティアの人が大勢城中にいて、

スリッパをきちんと揃えたり
靴を持ち運ぶためのレジ袋をきれいに揃えたり。


日本人の<清く、正しく>みたいなところが
実際に見られる。

世界遺産だけに、外国人観光客が多いのだが

ここを訪れた外国人の、日本に対する印象は

とても良いハズ。





天守閣の最上階まで
一体どれくらい、幅の狭い階段を上がっただろう。

昔の日本人は背も、足も小さかっただろうことを

いつも、この城めぐりの天守閣登りの際に思う。


着物を着て、どうやってこの急勾配の階段を
上ったり、降りたりしていたのだろう・・。


そんなことを考えながら、
やっと、天守閣の最上階(地上6階にあたる)に着く。

そこには、長壁神社があり
きちんと参拝


しばし、天守閣最上階から見渡す
姫路城下の景色を楽しむ。


<城めぐり>は、年配者の趣味のように感じるが

あまり高齢になってから、城めぐりは難しいと思う。

すごい運動量だし、階段が多いし

何しろ、昔の建物だから

当然、バリアフリーではない。

階段の段差もまちまちだし、幅も狭い。


行くなら、”今”ですよ



ともあれ、

今まで訪ねた中では、本当に一番美しく

見ごたえのある城だった。


城内には、<腹切丸>だの

”いちま~い、にま~い・・・”で

有名な<播州皿屋敷 お菊の井戸>もある。

覗いてみたけれど、

深~くて、すこし、

ぞくっとする霊気を感じないわけではなかった






城のまわりのお濠のそばに

”千姫の小径”がある。

静かな、散歩道である。

左側に、大きな鯉が泳ぐお濠、
右側に、きらきらと流れる小川。

ここには観光客もあまり来ないようで
息子と二人、まっすぐに続く道を散歩する。


・・・すると




白鷺! 

まさに姫路城にいながらにして
白鷺が飛んでくるなんて・・・



遠く、青く澄み渡る秋の空。

ゆったりと、優雅に、どのお城よりも美しく。



歴史に詳しくなくても、

城めぐりに興味がなくても、

その美しさに、日本人としての誇りさえ感じられる・・・


世界文化遺産、姫路城。



















にほんブログ村 旅行ブログへ

世界遺産~厳島神社

2007年10月09日 | せずにはいられない・・旅の話
世界遺産~厳島神社





厳島神社のある宮島は、
古くから島全体が 

”神” として信仰されており、

<神をいつきまつる島>から、

<厳島>と呼ばれている。




神々が住んでいそうな、神秘的な姿


広島駅から、30分程ローカル線に乗り、
宮島口駅へ。

宮島口から10分程度、フェリーに乗って
宮島へ渡る。

船から降りて、お出迎えしてくれるのは
なんと、<鹿>たちだ。








予備知識を持たずに出かけたので

そこここに、鹿が歩いているのを見て
私も、息子も、びっくり

奈良公園みたいだ。

鹿も心得たもので、記念写真にも応じるし、
触られても怒りもせず、多くの観光客に紛れて

マイペースで過ごしている。

厳島神社にも、途中の参道にも

鹿がいっぱい、いる。 ”共存”しているのだ。


鹿がいることに少しづつ慣れてきた私達は、
早速参道を歩き、神社へ向かう。

にぎやかな参道には、広島名物の”焼き牡蠣”や
もみじ饅頭、あなご飯の店が軒を連ねる。







厳島神社は社伝によると、593年(推古元年)に創建。

1168年、平 清盛によって社殿が造営され、
今のような優美な姿になったという。

大鳥居は平安時代から数えると8代目。
楠の自然木で作られている。


1996年 12月 ユネスコ第20回
世界遺産委員会で、

社殿を中心とする厳島神社と前面の海、
背後の弥山原始林が世界遺産に登録された。








私達が着いたのは午後3時くらいで
引き潮で神社は陸上にあった。

連休中ということもあり、観光客でごった返しているので
幾分、神秘性に欠けるなあ・・・というのが
最初の印象。

やはり、潮が満ちている時間に来て
海に浮かんでいるのをみると感慨深いのだろうなあ。


ともあれ、息子とここまで
無事に過ごしてこられたことを
感謝するお祈りを捧げる。

二礼、二拍手、一礼。

まず、自分の名前と自分の住所から
きちんと神様に申し上げる。

そして、感謝をする。

もちろん、”お気持ち”の賽銭も忘れずに。


・・・そして、お楽しみのおみくじなのだが・・・



なんと、”凶

すると、息子のも ”凶


神社大好き人間の私だが
おみくじで”凶”を引き当てたことは一度もない。

”どういうこと

と思っていたら、


隣にいた大学生(くらいの)男女5~6人の
グループからも

”ええ~っ、凶だってぇ~

”俺もだぁ~

”どうなってるのぉ~、みんな凶ぢゃん


という声が聞こえてきた。


おまけに、おみくじを結ぶ棒でも

結んだ先を見てみると

ほとんど、<凶>


・・・なので、厳島神社では

おみくじを引くのは、やめておいた方がいいかも、知れない。

ちなみに、2度目に息子がひいたのは

<平>というものだったが、

・・・よくない

・・・わろし

・・・おそし

と、ネガティブな言葉の連発だったので

良く読まないまま、結んできた。


せっかく、ここまで船で渡ってくるのだから、

もっといい気分になるおみくじを用意したら、
いいのに・・・。






参拝が終わり、休憩。

息子は<チーズもみじ饅頭>の元祖
ミヤトヨ菓子舗にこだわった。

探していたら、なんと
宿泊予定の旅館の隣。

ここで、焼きたてのチーズもみじと
アイスもみじを頂く。






お土産用にも沢山買ったので、

お茶はサービスしてくれるは、
アイスもみじはただにしてくれるは、

のサービスを受けて、私も息子も大満足


旅の疲れはこうして、お茶とお饅頭で
癒されるんだぁ・・・。



そして、隣にある、今夜の宿へ。





宮島には数軒こじんまりとした旅館がある。

高級な旅館もあるが、そこは
今回満室でとれなかった。

いわゆる”観光客用”の宿だったが

船乗り場からも神社からも近く、
目の前は海、というロケーションは抜群の宿。


とにかく、お部屋のテーブルいっぱいに
ご馳走が並んだ瞬間が

主婦的には、”パラダイス”となる。






なかでも、”伊勢海老のしゃぶしゃぶ”が
この宿の名物料理らしい。







お腹いっぱいになって、ゴロリ・・・と
いきたかったのだが、

息子は、ライトアップした神社を楽しみにしていた。


夕食後、街も静まり返った夜9時に出航する

夜の厳島神社を参拝する屋形船に乗船する。


ほとんど無風で、波のない

静かな夜の海を進む。


すると・・・

ライトアップされた大鳥居と神社が

海の上に浮かんでいる姿が目の前に現れる。








先ほどは砂の上にあった大鳥居の間を

静かに船でくぐりぬける。


真正面に海に浮かんだ神社。


屋形船に乗っている全員が船の先端に立ち、

全員でそろって

二礼、二拍手、一礼。


海の上でこそ、

厳島神社が神秘的であり、荘厳であり、
優美であるように思った。


夜、船に乗って、大鳥居をくぐり抜け、
神社を参拝する。


厳島神社の美しさを体験するにはオススメ











島全体が、<神>である厳島神社のある宮島。


是非、夜の海に出て、

静かな、荘厳な神社を参拝 

してみて下さい。











にほんブログ村 旅行ブログへ


3つの世界遺産をめぐる、旅

2007年10月08日 | せずにはいられない・・旅の話
3つの世界遺産をめぐる、旅





去年の秋の大旅行は、高知。

高知城から、龍馬記念館、桂浜。

土佐湾でのホエールウォッチング、足摺岬ドライブ、

ゆるゆる四万十川下り・・・。





さて、今年はどこに行こうか・・・

私はまず、基本的に風水で
今年良い方位を押さえているので
そこから、考える。

今年は、<西>が比較的誰にでも良かったハズ。

<西>といえば、金運UP

たいてい、<西>だと京都への旅行となるが
今回はもう少し、先・・・
行ったことのないところに、行ってみよう・・・


まず、浮かんだのが、”厳島神社”。

母とも行こうと言っていて
すこし遠くていけなかった、憧れの神社。










”厳島神社、行こうか。


この間の塾のテストで結果が散々だったにも関わらず
旅行に誘う、母。


”おおっ、世界遺産の厳島神社だね。
 あれは、早く見ておかないと水没しちゃう前に・・。


と乗り気の息子。







かくして、今年の秋の大旅行は
厳島神社に、決まり。





9月に、<日帰り神戸>の
ハードな一日があった。

その時に、新幹線が”姫路”に停まるのを知り

”そうだ!秋の大旅行の厳島神社に
行く時に、姫路に途中下車して
姫路城を見ていこう・・・


旅行のプランなら次々と浮かぶ。

人間の脳はゲンキンだ。

歴史マニアの息子の夢のひとつに

<日本全国 城&城跡めぐり>

があることを知っている私は、姫路城行きも提案。


”いいねえ。姫路城も世界遺産なんだよっ







”姫路城行ったことある?”

以前、友人のヨシイ君に聞かれて

城めぐりにあまり興味の無かった私は

”行ったこと、ない。”

と、答えると

”姫路城は、いいよ、絶対行くべき!”

と強く勧められた記憶がある。







かくして、今回の旅、
2つめの世界遺産をめぐることになった。




実は、私は広島へはなかなか足が向かないでいた。

理由は、そこが”ヒロシマ”だからだった。


今回、厳島神社を訪ねるために広島駅に降り立った
息子は、何となく不満そうだった。


”原爆ドーム、行かないの?


”行かない。


幾つもの映画やドラマで観たそのヒロシマを
この目で見る勇気が無かったし、

胸が重い気持ちでいっぱいになるのが、分かっているからだった。







息子は、

”だから、駄目なんだ。
きちんと起こったことを見ないと。

もう戦争をしないって、誓うためにも
原爆ドームは見ないと駄目なんだ。

今回行かなくても、
僕は必ずまたヒロシマに来て原爆ドーム、見に行くよ。”


と言う。


・・・確かに。

せっかく、広島まで来ていながら
ヒロシマを見ないなんて・・・。

息子の言葉に動かされて、

私達は、路面電車に揺られ、

<原爆ドーム>を見に行った。






”負の世界遺産~原爆ドーム~”


訪れていたのは、外国人が大勢。
そして、家族連れの私達のような旅行者や
学生たち。

さまざまな思いで、その場に立ちすくむ。

・・・祈りも、深くなる。




かくして、今年の秋の大旅行は
3つの世界遺産をめぐる旅となった。




道中のお土産話、

また明日からのブログで詳しく・・・











にほんブログ村 旅行ブログへ

TOMOBIKI

2007年10月06日 | 見つけたHappyたち
TOMOBIKI




その日が特別な日になることは、
少し前から、わかっていた。


とても 大切なお客様がいらっしゃる上に
更にまた
別件でも、同日同時刻に
とっても大切な出会いが用意されていたからだ。
(ちなみに、相手は女性の方です


いい意味での、”ダブルブッキング”。


前日の夜から体調と感情を整えるべく
なるべく静かに過ごし、
特別な日に、臨んだ。



・・・すると、予定していた2件だけではなかった。


次から次へと不思議なくらい

普段現れることのない人が訪ねていらしたり、
電話がかかってきたり・・。


”何だか、不思議な日”であることに
間違いなかった。











最近、私が出会う人とは

<不思議なご縁ですよね。>

という言葉でつながる。



今日、一つのテーブルに集まった
メンバーは、
自分にとって初対面の人が必ずいる設定なのだが

必ず、何かの”ご縁”があったのだ。


例えば、高校時代の先輩後輩。

例えば、以前の仕事で仕事をしたことのある人。

例えば、誕生日が同じ。


結局、8人がすべて糸で(神様の意図も)
結ばれた感で、
2時間の食事と打ち合わせがあっという間に終わった。


そして、その日にダブルブッキングで
予定されていた他の席の方も

突然いらっしゃったお客様も

私達のテーブルの8人も


すべて、共通点があった。


それは、”ご先祖つながり”。

ここでいう”ご先祖”とは
私の曽祖父母のこと。
私達は、その100年後という時間に、生きている。


ご先祖同士が同じ時代、同士として
過ごしていた、

とか

ご先祖様が住んでいた土地の方々だったり、

私達のテーブルの8名は

みんな”ご先祖様”に魅かれて
集まった方ばかりだった。



そして、もう一つ。


私にとって大切なことは

今日の大切な出会いの方も

スピリチュアルな理解の深い方で

”ONENESS”やこれからの地球について・・という話を

初対面で語り合える方だったのだ。


だから、その目線で話しはじめると

互いの地位であるとか、そういうコトは横に置いて


”今、わたしたちが出会った意味”

”今、わたしたちが出来ること”

”今、そしてこれからわたしたちがしていくこと”

・・・そこに話が集中する。


(大切な出会いの方は、日本はもとより、
アジアでも大活躍の
某シンガーの奥様であり、
事務所の社長をしていらっしゃる方です)










次の日、

ある方にお礼の電話をいれた。


”色々な方が急にいらっしゃることになり
ばたばたしておりまして、
失礼いたしました。”

と話すと、


”友引だったんじゃ、ありませんか?”

と言われた。


とっさに、電話の上にかけてあるカレンダーをみた。


・・・確かに、その日は<友引>だった


”本当に 友引でした・・・”


と電話で返すと

”あらまあ 

と笑い声。




ご先祖様のお計らいか、

不思議なエネルギーによって

色々な方が引き寄せられた、この日。


<友を引き寄せる日> TOMOBIKI。


貴方にとっての、スペシャルな日は

もしかしたら、<TOMOBIKI>では

なかったですか?















にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ

魂の、答え

2007年10月02日 | スピリチュアル
魂の、答え





とってもわかりやすいのが

魂の、答え。





<YES>の場合は

自分でも驚くような展開で
物事が進み、


波動をお互いに高めあうことのできる
嬉しい出会いがあり、


更に、自分ひとりでは到底出来ないようなコトに
強い味方や
スポンサーが現れ

手を引かれるように、
導かれるように、

その道がどんどん開かれていく。


モチロン、


その流れについていくために

自分自身を磨くことも大切。

自分自身で動くことも大切。



魂の答えが、”YES”であるならば

動けば動くほど、流れがいい方向に加速する。


逆に言えば、

信じられないほどの展開で

物事や人間関係がいい方向に進んでいくのであれば、

それは、そのコトは、

魂が、 <YES>と言っているのだと、

自信を持つことが、出来る。







 







<NO>の場合。


これも、わかりやすい。


だけど、<NO>であることを
受け入れるのに、

時間がかかるかも、しれない。





<NO>である場合、滞ってしまうのだ。



返事が来ない、

突然、キャンセルされる、

計画が中断される、

見直しをせまられる・・・。



相手が、<NO>であるヒトの場合


偶然、相手の噂話が耳に入ってしまう。


誠意のあるメールや電話ではない、
(・・・と感じてしまう)

やりとりの中で腑に落ちないことが、起きる・・・

平然と約束が破られる。

裏切られた感が否めない。



相手が悪いと責めたり
悩んだりする前に

その人が自分にとって

本当に<YES>であるのかについて

ココロの声を聞いてみるほうが、

いいかも、しれない。








成功哲学やスピリチュアルな本を読むと

こういうことが、書かれていたり、する。

(当然、言い回しは著者によってさまざまだけれど)



・・・ふうん・・・

”そんなこともあるんだなあ”

くらいの、ヒトゴトのような感じで本を読んでいた。



ところが、

最近の私には、はっきりと

<Yes>なこと、

<No> なこと、

についての、魂の答えが返ってくるのだ。


それは、今書いたようなことが

驚くスピードで起こるから、不思議だ。



例えば、<NO>であること。


私はちょっぴり人がいいので、

わりと人のいい面を見て、判断してしまう。


ところが、

”ちゃんと、その人を見てごらんなさい。
 貴女にとって、YESと言えますか?”

と言わんばかりに

次々とハプニングが起こって

見なくてもいい、知らなくてもいい、

その人の一面を知っていくことになる・・・。



スピリチュアル・フレンドのトモミさんに
話をしたら、

”そんなドラマティックな展開、
あまりにも出来すぎていて、
本当のテレビドラマにも使われないよね・・・


と言われるくらい

それははっきりとした

<NO>という、魂の答えだったり、する。




そして、<YES>なこと。


私は、わりと受身で仕事をしていた。

受身だけで実は、精一杯でもあった。


ところが、今年、あるイベントについて

”自分でやってみようかな”と、

ふと、思った。


少しの不安とちょっぴりのワクワク感で

今まで知らなかった人たちと関わることに、なった。


ブログでも書いた”上海行き”の一件がそれだ。

これがいよいよ秋に本番を迎える。

ここへ来て、

また大きく、大胆に、驚くべき展開となってきた。


このイベントに携わらなければ

出会うはずもない、ビッグな人物が

協力して下さる運びになり・・・

大きく何かの絆でつながれているような、

大きな何かに導かれているような、

そんな不思議なことが本当にやってきたのだ



この流れは、もう、

<YES>という魂の答えである、というより他

考えられないので、ある。








<YES>であれ、

<NO> であれ、

動いてみないことには、答えは出てこない。



もっとも、もっと”直感”というものが

鍛えられれば、

こっぴどい<NO>の答えとしての体験を

しなくてもよくなるのかも、しれない。



でも、突然キャンセルされた時なんかは

約束でも、飛行機などの乗り物でも・・・


それは、<NO>という魂の答えなのだと

理解することが出来れば

腹立たしさよりも、ラッキーなのだと

思えたりするかも、しれない。

そう、

”守られている”と。




意識してみると、

貴方のまわりでも、

頻繁に魂からの答えが返ってきているハズ。











にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ






STRENGH

2007年10月01日 | sweet & bitter story
STRENGH



新しいドリカムの曲がラジオで
流れていた

<未来予想図>はⅠもⅡも大好きな曲で

あれからもう15年くらいたって

また新しい曲が生まれたことが嬉しかった





そう感じていたのが、昨日の夕方頃。


今朝、ニュースで吉田美和さんの最愛のパートナーが
急死した、という文字を見た時
信じられない思いでいっぱいになった。


もっと信じられないことに

吉田美和さんは、パートナーが亡くなる日の
直前まで、コンサートツアーをやりきったことだった。







ニュースによると、8月上旬から
体調を崩し、入院されていたという。

おそらく、(私の長い看病生活の経験からすると)

すぐに検査があり、

そして、”余命宣告”がなされたはずだ。


これが、何より、つらい。


その最中に、大勢の人の前にたって

時には楽しげに

時には別れのつらさの歌を歌う・・・


明るい笑顔の先週発売の雑誌もあった。



そんなことが、出来るなんて・・・。


それだけ、

吉田美和さんとパートナーの方と”歌”の

絆が太く、強かったということなのかな。











私が始めてドリカムの曲を聴いたのは
22歳の時。

ラジオから流れてきた
”サヨナラをずっと待っている~

メロディーと歌詞に釘付けとなり、

その日から、ファンになった。


NHKホールでの最初のコンサートに行った時

”こんな、大きいホールで歌えるように
なったなんて、夢みたいですっ

と大粒の涙をながしていた美和さん。


あっという間にNHKホールどころか
全国のアリーナを満員に埋め尽くすほどになっていった。


どれだけの人が、

ドリカムの歌と一緒に歩んできたのだろう。


嬉しい時も、

せつない時も、

想いがとどかずイライラする時も、

寂しい夜も、

あふれる想いを感じる時も、

夢いっぱいココロに描いている時も、



とっても自分に近い言葉を

極上の歌声とともに届けてくれる、ドリカム。


多くの人を幸せにする、

その人が

何でこんなに悲しい目に遭ってしまうのだろう・・・。








パートナーの方の、33歳という
年齢にもショックをうける。


日本人だと、何だかみんなが85歳くらいまで
(あるいはそれ以上に)
生きるんじゃないかと、

平均寿命の高さから感じてしまう。


母の主治医の先生がよくおっしゃっていた。

”誰だって、明日のことはわかりませんよ。”



・・・だったら、

精一杯、愛すべき人を愛していこう・・・


そんなふうなメッセージがふと浮かんだ。


人は出会わなくてもいい人とは、出会わないという。

出会う理由があるから、出会うという。



吉田美和さんとこのパートナーの方も
出会った時期、というか
愛をお互いに見出してお付合いするようになった時期が

フツウに、恋愛して、結婚して・・というふうに
進む時期ではなかった。

だけど、

みんながみんな、20代の独身の頃に

長い人生をともに生きようと思う位の

ベストパートナーにめぐりあえるとは、

私は思えない。




それぞれに、出会うべくして出会う人とは

出会う時期にも理由があるし、

もしかしたら、

別れる時期にも理由があるのかもしれない。




吉田美和さんとパートナーの二人は、

精一杯、自分達の時間を
最高に幸せな時間にするべく、
お互いを磨いて、努力していたと思う。



愛するために出会ったのだから

精一杯、愛していこう。



愛の強さと、 

かぎりある命の大切さを

今日、

その二人から伝えてもらった・・・。




数え切れないほど、

私の感情に寄り添ってくれた歌を作ってくれた

吉田美和さんに

心の平安が訪れますように、と。




融けていくような透明な青い光とともに

感謝をこめて、祈りを捧げます・・・








にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 癒し・ヒーリングへ