おぐち自給農園、2反百姓の日記

-都市の貧困と農村の貧しさをつなぐ、「生き方」としての有機農業を目指して-

畑の様子

2009年07月30日 08時21分57秒 | 
 いや~、暑い日が続きます。やっぱり異常気象なんですかね~。全然、天気予報が当たらない。雨が続いて、野菜も影響が出ているみたい。

 この暑さと比例して、とにかく7月は忙しかった。もっと本とかゆっくり読みたかったが、丸1日休みというのがなかったので、寝る時に少し読んだり、起きたら読んだりと、全然集中して読めていない。8月は長野に帰って、畑と読書に万進しよう。

       

 これはモロヘイヤ。ようやく根付いたのか、だんだん元気になってきた。雑草に紛れて、どれがモロヘイヤ!?という感じだが、ここまで成長すれば、雑草をとらなくても、ぐんぐん育つだろう。どんどん摘んで、わき目を伸ばして、長く収穫しよう。

       

 そして、大豆。たぶん、丹波の黒大豆だろう。写真を見る限り、順調そうだ。この前帰った時、もう1種類の黒大豆は、なぜかほとんど発芽してなかったので、そこにつるなしインゲンを急遽蒔いた。それは発芽したという写真が送られてきた。

       

 これは花豆。きれいです。目で楽しませてくれます。

都市に学ぶ

2009年07月27日 06時14分09秒 | 雑感
 なんだかんだ農家・農村を訪問する週末が続いている。仕事がらみではあるが、7月4日は栃木県の麻栽培農家へ、12日は小川町・霜里農場へ、17~18日は自分の農場へ、20日は練馬区・白石農園へ、25~26日は静岡県川根本町のお茶無農薬栽培農家へ。別にフィールドワークや調査などではない。

 研究者やNPOの人でもなんでもいいのだが、フィールドワークをすることの意義、目的等々、色々悩んでいるところが多々あるため、あまり今はお堅い考えで農村をまわりたくないと今は思っている。実家で地道な農業やっているほうが楽しいな~と思うし、あまりにもやらなければならないことが多い生活、情報が氾濫している生活から、農的生活にどんどんシフトしたいと考えてしまう。

 だけど、農家をまわっていると刺激をもらって帰ってくる。20日に初めて練馬区の白石農園を訪ねた。日本で最も有名な農業体験農園だ。農業体験用の農園には100以上の区画があり、そこを都市生活者がせっせと耕している。どこも立派な野菜を育てている。サトイモ、ネギ、トマト、ナス、落花生、キュウリなど、美しく育っている。自給用野菜だ。

 こんな暑い日に、電車や自転車で通って農業をやっている。農業やるために電車で通うなんて僕には考えられないのだが、それほどまでにみな農業というか農を欲している。何よりも参加者の意識がとても高い。

 そう、僕が大学進学のために長野から上京して早7年以上が経つ。当然だが、田舎から出てきている人よりも、関東近辺から通っている人のほうが多い。一番驚いたことが、都市生活者や非農家の人たちが、農業にとても関心があるということだ。ゼミごと田んぼをやったり、学内の空き地を耕したり、自分の家で耕したりと、先生方が特に熱心だった。

 都市に生活人たちがなぜここまで農的生活や田舎暮らしに憧れるのかが、僕も生活をしてみてようやくわかった気もするが、当時は不思議でならなかった。田舎にいるころは、農家だからそうなのだが、近くに田んぼもあるし、畑もあり、そこから日々の食生活が構成されていた。日常的な生活風景でしかなかった。

 田舎が都市生活者の熱心さを学ぶことも大切だ。この熱心さは素直に畑の美しさにあらわれる。うちの母親なんて、家続きですぐ裏にある畑に出ることでさえ、面倒だと文句を言うときもある。歩いて30秒もかからないのに。。。だからうちの畑は草ぼうぼうで、見るも無残な畑だ。

 都市が田舎に学ぶと同時に田舎も都市に学ぶことがあるな~としみじみと実感した日だった。

これが農家の豊かさだ!!

2009年07月23日 20時23分19秒 | 有機農業
 タイトルはなんだか農民作家、山下惣一さんのような言葉ですが。。。今回帰省して、色々と収穫した。別に売るわけではないので、汗水たらしてこれらを収穫したからといって、お金が入ってくるわけではない。正直、僕なんて全然お金がない。アルバイトしながら、研究もして、はっきり申しまして超ワーキングプアである。

 だけど、農家が貧困ではなく、貧しいゆえに豊かな訳が実家の食卓にあった。子どもが帰ってくると、たくさんの料理を用意してくれて、いつも僕は家で収穫できたものだけでいいと言っているのだが、余計に1~2品追加されて出てくる。ま、これはこれでうれしいことだ。

       

 そんなことはさておき、これがこの日、収穫したジャガイモ。本日の夕食はジャガイモを使った肉じゃがだ。人参、玉ねぎもうちの畑で育ったもの。

            

      

 そしてインゲンの胡麻和え。ナスとピーマンの素揚げ。ナスとインゲンはうちで収穫したものだし、実はピーマンではなくパプリカみたいだが、色が変わらなかったと言って、近くの農家からいただいたもの。

 サラダのキュウリとレタスもうちのもの。トマトは購入したらしい。あと、この後、近所の農家からいただいたトウモロコシも出てきた。初ものトウモロコシ、見た目も美しく、甘くて絶品だ。

 お米もうちで自給しているものだから、おそらく今回の夕食の自給率は相当高い、80%以上いっているだろう。そして、後は人間関係というつながりからいただいたものばかり。お金がなくてもこんなにも豊かです。これが農家の豊さ。

 母親が、「都市に住んでいる人も、お金がない人でもこうやって野菜育てられればいいのにね~」とつぶやく。まさにそうだが、今では、つながりの中から食べものすら手に入れられなくなっている。まさに都市は貧困、自給畑を持ち、豊かな関係性に恵まれている農村、農家は貧しいのであり、貧困ではない。貧しいゆえに豊かなのである。

 都市と農村が相互に支えあう、つまり、消費者が農家を支えるという関係性を築くことができていれば、都市で生活ができない人が出たとしても、農家は一生懸命、都市消費者を支えるだろう、たとえその消費者はお金払えなくても。崩壊したそうした関係性を再び創造すること、それが連体経済だ。

 
 

2009年7月18日の畑④

2009年07月23日 20時09分25秒 | 
      

      

 僕がジャガイモを収穫している時に、母親にラッキョウとエシャロットを収穫してもらった。手で引っ張っても抜けないので、スコップでせっせと掘って収穫。
 
 確か昨年の9月に植えつけた。ほぼ1年かけての収穫。農業は種蒔いたからって次の日にできるわけではない。こういう長期間かけて収穫する野菜だkと、そういう農業の効率の悪さをしみじみと感じる。効率が悪いといったが、別にそれをマイナスに捉えているのではなく、そうやって命は育つものだ。成長している様子を見るのが本当に楽しい。

       
  
       

 1ヶ月くらい前に一度収穫して見たが、まだ小さく太っていなかったので、ギリギリまで待ってみた。その時に比べるとよく太っているし、数が多くなっている。

 1つの球根を植えつけてこんなにも増えるのだから、この生命力にはビックリする。1年分は余裕であるだろう。

 ちなみにラッキョとエシャロットは除草もしなければ、土寄せもしていない。ほったらかしでここまで出来てしまうのだから、ビックリだ。ラッキョウは半分くらい来年の種球根として保管しておく。

2009年7月18日の畑③

2009年07月23日 19時43分03秒 | 
      

      

 花豆も順調に育っている。成長が早いので、蔓があちらこちらに絡まっていたので、丁寧にほどいて、道をつくり、交通整理をしてあげる。花豆は赤い花を咲かすんですよね。花が綺麗だということは前々から知っていたので、僕はこれを楽しみにしていました。確かに綺麗です。

      
 
 ナスも昨年よりは順調か。2本くらいダメになってしまった株があったが、その他はこれから成長していってほしい。根本を刈った雑草でマルチしてあげる。

 写真にはないがトマトはダメです。雨のせいでしょうか。周りの農家もあまり今年は良くないと言っている。天気が良くないからな~と。中にはきちんと実をつけているものもあるが、枯れてしまった支柱には、急遽、つるありインゲンの苗を移植した。

      
 
 いちじくが復活した。ビックリ。どのように育てるのかよくわからず、日当たりの良いところにという情報しかない。今度調べよう。