先週末、久々に僕の学問の師匠の家がある埼玉の中山間地、いや山間地にある集落に行ってきました。おそらく、半年ぶりかもしれません。以前、学生時代は、一ヶ月に一回は訪問して、竹林の整備、落ち葉はき、畑作業、主に麦のお世話をしていました。農家の出ながらほとんど農作業はしたことがない僕にとって、とても新鮮な経験で、農業に価値を見出している人に初めて出会ったので、僕のそれ以降の人生に大きな影響を与えた、埼玉の山です。かわいい山です。
ゼミの同期や後輩たちと、大人数での合宿で、久々に会う人たちも多かったでの楽しかったです。それにしても、寒かったです。
ここは、池袋から1時間ちょっと、1回乗り継いで最寄り駅に着きます。最寄り駅から、バスを乗り継ぎ、さらに1時間ほどで、最寄のバス停に着き、歩いて20分ほどで着きます。はっきりいって、交通の便は非常に悪いです。
僕がよく通っていたときは、最寄り駅に着いてから、2回もバスを乗り継いでようやく着きました。だけど、今は、1日に5~6本ほど、直通のバスが出ているとバスの運転手さんが仰ってました。
山村の高齢化が進み、運転手の意思ではなく、乗客の意向でバスのダイヤがよく変わるそうです。例えば、お医者さんに行くために、山を下りたはいいものの、帰りにちょうどよいバスがなければ、駄目なので、それに合わせるように、ダイヤは変わっていくのです。そして、乗り継ぎも少なくしたほうが、利用客にとっては都合がよい。
農山村にとって公共交通の大切さを感じました。そして今後、高齢化がさらに進めば、公共交通の需要はさらに増すように思います。
そして、僕のように農山村をフィールドにする人たちにとっても公共交通の存在は重要です。地方をまわり、乗り継ぎごとに時間があったりするのも、色々考えたりするために貴重な時間です。「待つ」時間を有意義に使い、ぼーっとしたり、考えたり。
山では、動物の害を防ぐための柵を直したり、竹林を整備したり、あじさいの苗を植えたりし、その後、お昼ごろ山を下り、長野に帰ってきました。
青春18切符が残っているので、鈍行を乗り継ぎ、5~6時間かけて塩尻に着きました。久々に乗ったJR八高線。高麗川から八王子に出て、高尾から松本行きに乗りました。
ここでも、待ち時間がそれぞれたっぷりありました。青春18は乗り降り自由なので、その都度、改札を出て、駅周辺を歩きました。本を読み、考え、メモをとり、そして畑に出る人たちの風景を見て。僕にとっては貴重な時間です。別の人から見れば、無駄だと言われてしまうかも。
久々に山に行っても、そして電車からの風景を見てもそう思いましたが、農山村の暮らしは交通の面からも、仕事の面からも非常に効率の悪い地域ですが、なぜ、この集落が集落として存在し続けているのか。彼ら・彼女らからの営みからは、この集落に生れたという決意と意地のようなものを感じますが、もっと深い深い大切なものが、農山村の営みにはあるように思います。そこには、誇りがあります。
ムラがムラとして何百年も存在し続けている意義を考えたいです。
ゼミの同期や後輩たちと、大人数での合宿で、久々に会う人たちも多かったでの楽しかったです。それにしても、寒かったです。
ここは、池袋から1時間ちょっと、1回乗り継いで最寄り駅に着きます。最寄り駅から、バスを乗り継ぎ、さらに1時間ほどで、最寄のバス停に着き、歩いて20分ほどで着きます。はっきりいって、交通の便は非常に悪いです。
僕がよく通っていたときは、最寄り駅に着いてから、2回もバスを乗り継いでようやく着きました。だけど、今は、1日に5~6本ほど、直通のバスが出ているとバスの運転手さんが仰ってました。
山村の高齢化が進み、運転手の意思ではなく、乗客の意向でバスのダイヤがよく変わるそうです。例えば、お医者さんに行くために、山を下りたはいいものの、帰りにちょうどよいバスがなければ、駄目なので、それに合わせるように、ダイヤは変わっていくのです。そして、乗り継ぎも少なくしたほうが、利用客にとっては都合がよい。
農山村にとって公共交通の大切さを感じました。そして今後、高齢化がさらに進めば、公共交通の需要はさらに増すように思います。
そして、僕のように農山村をフィールドにする人たちにとっても公共交通の存在は重要です。地方をまわり、乗り継ぎごとに時間があったりするのも、色々考えたりするために貴重な時間です。「待つ」時間を有意義に使い、ぼーっとしたり、考えたり。
山では、動物の害を防ぐための柵を直したり、竹林を整備したり、あじさいの苗を植えたりし、その後、お昼ごろ山を下り、長野に帰ってきました。
青春18切符が残っているので、鈍行を乗り継ぎ、5~6時間かけて塩尻に着きました。久々に乗ったJR八高線。高麗川から八王子に出て、高尾から松本行きに乗りました。
ここでも、待ち時間がそれぞれたっぷりありました。青春18は乗り降り自由なので、その都度、改札を出て、駅周辺を歩きました。本を読み、考え、メモをとり、そして畑に出る人たちの風景を見て。僕にとっては貴重な時間です。別の人から見れば、無駄だと言われてしまうかも。
久々に山に行っても、そして電車からの風景を見てもそう思いましたが、農山村の暮らしは交通の面からも、仕事の面からも非常に効率の悪い地域ですが、なぜ、この集落が集落として存在し続けているのか。彼ら・彼女らからの営みからは、この集落に生れたという決意と意地のようなものを感じますが、もっと深い深い大切なものが、農山村の営みにはあるように思います。そこには、誇りがあります。
ムラがムラとして何百年も存在し続けている意義を考えたいです。