おぐち自給農園、2反百姓の日記

-都市の貧困と農村の貧しさをつなぐ、「生き方」としての有機農業を目指して-

関係性としての農業

2009年07月11日 10時38分36秒 | 有機農業
 先日、某大学院の授業に参加してきた。小川町でお世話になっている方がゲスト講師ということで、参観した。3月に大学院を卒業し、久々の授業という空間。

 というか、僕が通っていた大学院は人数が少なく、学部生からそのまま大学院に進学した人が多かったから、厳しい授業というよりは、アットホームな感じで、ほぼ雑談のような授業だった。マンツーマンの授業があったり、時にはお外に出て、青空教室だったり。

 うん、久しぶりに授業という感じを味わった気がする。学生も社会人の方が多いらしく、豊富なバックグラウンドをお持ちで、とても良い雰囲気の授業だ。良い雰囲気を授業内で創り出すのは教員の仕事だと思うので、それはこの授業を担当されている先生の力量におうところが多い。

 僕は常に農業は社会関係であるということを強調している。農業は単に生産技術だけにとどまらない仕事だし、何よりも育てても食べる人がいなければ農業は成立しない。

 有機農業は農薬や化学肥料をしないという生産技術ばかりがフューチャーされ、一般的なイメージもそれを脱することができていない感じもするが、農家の自給の延長線上に消費者の台所を置く、提携という形で広がった点に有機農業のもう1つの大きな特徴がある。生産者を消費者が支えるという関係性、社会関係の再構築を目指したのが有機農業である。

 有機には3つの関係性が含意されていると思う。1つ目は土中の根っこや微生物間の関係性。2つ目は農家と自然環境の関係性。この2つは生産における関係性である。もう1つ、3つ目は農家と消費者の関係性である。

 そう、それは「有機」的人間関係の創出である。逆を言えば、それほどまでに生産者と消費者、農と食の関係性が乖離状態にあったということだ。それは農業の近代化によってもたらされた。

 農家でない、生産に関わることができない消費者が農業に関わること、それは農家を支い支えるということであろう。僕が尊敬するある方は、農家が生活できるように消費者が支える関係性を築くことにより、消費者も立派な農業者であるということを言っている。

 今回の授業で改めて、消費者のあり方、農業のあり方、有機農業が提起している農業の姿を見つめ直す機会を得た。

 よくこう言われることがある。「都市に住んでいると畑もないし、農業に関わることができない。そういう人はどうすればいいのだろうか」

 畑がなくったって、農業に関われます。自分が信頼する農家が愛情を持って育てた食べものを買い支えていきましょう。そうすれば、胸を張って立派に、私は農業に関わっていると言うことができるのではないだろうか。