おぐち自給農園、2反百姓の日記

-都市の貧困と農村の貧しさをつなぐ、「生き方」としての有機農業を目指して-

今年最後の忘年会

2009年12月31日 20時59分10秒 | 有機農業
 12月28日が2009年最後の忘年会だった。出版社コモンズ代表の大江正章さん主催の忘年会。こんな若造を忘年会に誘っていただけるので、なんともうれしい限りだ。

 場所は、東京23区、練馬区で農業を営む白石農園に隣接するLa毛利。僕はここで食べるのは2回目。土日は予約しないと食べることができない知る人ぞ知るレストランだ。

 ちなみに白石農園は東京の農家では、おそらく最も有名な農家かもしれない。農業体験農園の活動が評価されて、日本農業大賞も受賞した。大江さんの著書『地域の力』(岩波新書)、『本来農業宣言』(コモンズ)などでも紹介されている。地産地消率が100%、とても地域を大事にしている農家だ。しかもここ東京で。白石農園の実践はとても意義があることだと感じている。

 白石さんとお話していて、彼の持つ農業ビジョンに共感できた。僕は有機農業の産消提携について勉強し、少しではあるが有機農業(ほぼ自然農法に近いが)をやっている。白石さんのところは、農薬の使用は最低限にとどめてはいるものの、有機農業ではない。だが、有機農業も一般的な慣行農業もお互いが共感し合って、地域コミュニティを一緒に創り上げていくことが今後、農業・農家のビジョンとして大切だということだ。

 確かに、有機農業はその自己主張故、出る杭は打たれる、あるいは無視される風潮が強いムラでは、その実践がムラ社会にある種の亀裂を生んだり、有機農家は村八分にされたりということがあった。それは現在でも研究者などから報告されている。

 そうではなく、お互いが歩み寄り、お互いの良い部分を認め合い、地域を創っていくこと、そう農業は私たちが暮らす地域社会、農村をどうするかという問題に行き着く。

 有機農業をやっているのは、周りでは僕だけだ。周りの農家は当然のことながら、自給的な農業で農薬の使用は非常に少ないが、それを使っている。別に僕はそれをやめて有機農業でやりましょうとは言わない。むしろ、じいちゃん・ばあちゃんたちが畑に出て、農業をやっている姿に感動をしてしまう。

 地域の人たちが守り続けてきたこういう営みを守っていくことこそ、大事なのではないだろうか。こういう自給をベースにした農業を守り、人間が安心して暮らすことができる地域を守る。そのために、有機農業の思想や理念、実践は大きく貢献できると思う。

 もっと有機農業を広義に捉えて、「人と人がつながる農業」を実践し、それは生産者同士、消費者同士、もちろん生産者と消費者もつながっていくこと。産消提携が新たな段階に達しているという指摘がある中で、地域コミュニティを創ることに産消提携の新たな可能性を見出したい。

 白石さんが言ったことも、師匠・金子美登さん、友子さんの霜里農場の実践もそれは地域を自らの農業ビジョンに置いているところに、未来を見つめる素晴らしい視点がある。 

 僕自身、これまでは有機農業を推進しなければと思い勉強してきたが、実際に畑に出て、耕しているうちに、ラディカルな考えから、もう少し柔らかく、このように考えの変化があった。今や自然食やオーガニックブームは凄まじい勢いがある。そうした消費者の考え、行動は素晴らしいのだが、「有機農産物じゃなきゃダメ」「自然農で育てたものがいい」とか言う言葉を聞いてしまうとちょっと気がひけてしまう。
 結構、おじいちゃん・おばあちゃんが農業、家庭菜園やっているという家がある。まずは、自分の親類、親戚に農業やっている人がいないかどうか確かめて、いなければ自分の住む地域を歩いて直売所や八百屋さんを見つけて、訪ねてみてはどうだろうか。地域の中で、有機的人間関係を築いてはどうだろうか。



 

ようやく帰省

2009年12月31日 20時31分51秒 | 雑感
 31日の夕方に帰省した。もたもたとしていたら全然雑務を終わらせることができず、結局31日になってしまった。

 去年は、この時期、修士論文に追われ、寝たい時に寝るという生活をしていたため、生活は尋常ではないほど乱れ、家の中は読み返した論文がちらばりまくっていたのを思い出す。なんだか懐かしい。懐かしい。一番、精神的に追い詰められていた時期だった。

 昔は、家族で紅白見ながら、二年参りに行く、年が変わるまで起きてられるか、僕はたいてい寝てしまいギリギリで起こされて、お宮とお寺に行った。今年は静かに例年と同じ過ごし方だ。

 今年は、とにかくよく働いた年だった。アルバイトも2つこなし、実家で有機農業もやり、イベントを手伝い、とにかくあちらこちらで働いた感じだ。色々わけがあり、本来は2009年度から大学院の博士課程に進む予定だったが、なかなか大学院が決まらず、結局はフリーター生活になってしまい、家族には心配をかけた。が、自分が納得する形で大学院も決まり、4月から新たな環境に身を置く。そう考えてみると、色んな人から助言や刺激をいただき、将来の目標も明確になった。これは良かった。

 とくに、実家の畑を耕して2年目だった2009年は、1年目よりも収穫量は増えたし、品目も増えた。野菜を売ることもできたし、家族の有機農業への理解もまあまあ増したと言えるだろう。3年目となる2010年はもう少し面積を広げて、それと、木材のガラスハウスみたいなのを作りたい。豚か鶏を飼いたいと言ったら、先ほど家族から即却下され、動物はまだまだ先かな。

 








 

初・献血

2009年12月15日 21時15分08秒 | 雑感
 日曜日には塩尻から帰省し、普段どおりの生活に戻った。やはり、塩尻は寒かった。長野と聞くと、雪たくさん降るでしょと言われるが、僕が住んでいる地域は今はほとんど雪が降らない。小さい頃は、降っても50cmほどは降り、ちょうど家の前が通学路だったので、雪をかかなければ学校にも行けなかったし、周りの家に遅れをとらないように、雪が降ったら、朝早くから家族みんなで雪をかいていたものだ。

 しかし、今は降っても10~20cm。これも温暖化の影響だろうか。雪が降らないとなんだか、風が冷たいので余計に寒い気がしてしまう。雪は温かみがあるものだと感じている。現に、雪の下の土は意外と温かいらしい。

 さて、本日、初めての献血をしてきた。久々に我が母校のある、というか校舎のある戸塚校舎へ行ったので、横浜駅で降りて、西口にある献血センターへ向かった。

 外観がとても綺麗で清潔感あふれる献血センター。駅前でも献血への呼びかけをしていた。昔、花粉症の検査で、血液を大量に取られ、採血後、立った瞬間に立ちくらみに襲われるという苦い思い出もあったので、緊張していた。

 お昼前で、しかも平日だったので、そんなにも人はいないだろうと思っていたが、若い人や中年の方まで、意外と人がいてビックリした。

 まずは、諸々の必要事項を記入し、問診へ。連れて行かれるところ、どこでもありがとうございますと言われ、献血ってこんなにも有難がられるもんなんですね。若い人の献血が減少しているようなんで、それもあるのかな。

 立派なベッドが30台近くあり、しかも一台一台にテレビがついていた。すごい。看護師さんの数も多く、とても親切。はじめに、少しだけ血を採られ、それで少し痛く、これはやばいと思ったが、血液型もA型で変わりなく、一安心。

 そして、本番の採血へ。たぶん、15分くらいだったろうか。気持ちよすぎて、異常な眠さを感じてしまいながら、途中、手が冷たくなり、温かいやわらかいものを握らされ、手を閉じたり開いたりして、血の周りを良くし、無事に終えた。

 立ちくらみもなく、記念品に歯ブラシセットをいただき、ジュースとアイスを食べて、休んでから、大学へ。

 すごい、戸塚の再開発が進んでいる。僕がいる頃、だから3年前くらいの時に、駅からつながるショッピングセンターができたが、もう1つ、そのお隣に、超デカイ、「TOTSUKANA」とかいうショッピングモールが姿を現した。まだ、店内を工事しているようだが、早々にオープンするだろう。

 大学に入り、5年間、戸塚に住んでいて、僕にとっては第2の故郷のようなもの。お酒を飲むのも、ほとんど戸塚だった。そこには、以前、和気あいあいとした商店街があり、昔ながらの小さい居酒屋があった。その商店街がほとんど、なくなり、再開発の対象となってしまった。

 大学に入ったのが2002年、大学院も含め卒業したのが、2009年、この短い期間に戸塚も大分変わってしまった。20年以上も前に入学した僕が所属していた一期生の人と、この前話したら、バスに乗りながら、ものずごく変わったね~と言って話をしたが、20年も経つと相当な変わりようだろう。

 これが良いのか悪いのかはわからないが、どこも同じような風景、いわば「プチ東京」というかそういう感じになってしまうと少し寂しいような気もする。

    

 ぼやけすぎだが、これがTOTSUKANA。ほんと、そびえ立つという感じだ。
 



久々の帰省。

2009年12月11日 19時11分58秒 | 
 昨日の最終あずさで塩尻に帰省した。その間、国際有機農業映画祭があったり、国際シンポジウムがあったり、などなど大きなイベントが終了した。気が付けば12月。ここ2~3ヶ月は本当に忙しかった。

 帰省する前に、霜里農場の研修生の先輩と話し、自分を振り返るいい機会になったし、お互い有機農業に対して同じような考えを持っていて、さすが霜里農場門下生だな~と改めて納得した。

 今回の帰省はゆっくりで、日曜日までいることができる。まだ夏野菜の片付けもできていないというだらだらぶりを発揮していて、周りの畑を見渡しても、どこの畑も片付けは終わり、野菜は保存しているのに、僕の畑だけが賑やかだ。

 明日12日の午前中に間に合うように野菜をダンボール1個分詰めて送らなければならず、今日は午後からせっせと収穫作業。が、しかし、今日はあいにくの雨。あまり、弱くもならず、野菜を収穫するにはなんとも辛い天候だ。外で作業しているのは僕だけ。

 寒くなってきたので、葉物もあまりなく、土壌もまだまだ肥えていないので、大きくならず、葉っぱの外側から黄色くなっているものが多い。タアサイにホウレンソウ、冬菜など。

 だけど、この季節しては、野菜はあるほうだと思う。コカブ、大根、金時人参、3寸、5寸人参、木曽紫カブ、ひだ紅カブ、ネギ、高菜、ホウレンソウ。なんだかんだで10種類の野菜を送ることができた。他にもゴボウやサツマイモ、ヤーコン、大根も煮物用の短いもの、聖護院大根、ラディッシュなどがある。

    

 金時人参って赤くてこんなにも細くて長いんです。途中で折れてしまったりして、収穫が大変。だけど、生で食べてみたら、噛めば噛むほど甘みが出てくる。今日の夕食はシチューだったが、それでもピッタリだ。

    
  
 赤カブも詰めた。間引きが全然できておらず、本来ならもっと大きくなってもいいのだが、間引き感覚で収穫。漬けなくてもスライスしてサラダで食べてもいける。

    

 これに高菜やホウレンソウも詰めていざクロネコヤマトへ。雨なので、家の廊下を開放して、荷造りをしていた。いとこのおばちゃんが大根の漬物を届けに来たので、はねものの人参や紫カブをあげた。物々交換。

 少ない量だが、代わりに野菜を売ってくれるとは有難い。場所は東京の神楽坂。今週末13日(日)の9:00~16:00だそうです。http://kisetsu.me/

 明日は晴れるようだ。頼まれた原稿や論文、来年から行く大学院の書類を書いたりと雑務は多いが、合間を縫って畑に出ることが出来て、少し気持ちが落ち着いた。