おぐち自給農園、2反百姓の日記

-都市の貧困と農村の貧しさをつなぐ、「生き方」としての有機農業を目指して-

2009年7月18日の畑②

2009年07月21日 21時31分16秒 | 
      

      

      

      

 リーフレタスも大きくなった。サトイモも。ようやくだ、本当にようやくだ。雑草に覆われて、本当に育つのかと思われるかもしれないが、この通り、育っている。

 つるなしインゲンも蒔きなおしたのも順調に育っている。最初に蒔いた「グリーンマイルド」という種もようやく実をつけた。虫にも食われていなくて、きれいで美しい。これは収穫して、夕食に。

      

 さて、これはなんでしょう。毎回、聞いているのですが。

      

 そう、ヤーコンです。これもよく育っています。雑草を刈って、根もとにマルチ。

2009年7月18日の畑①

2009年07月21日 21時16分48秒 | 
 今回の帰省ではジャガイモの収穫と雑草退治がメインの仕事になる。ジャガイモの収穫はここら辺の中では最も早い収穫だ。一番早く種イモを植えつけたので当然といえば当然か。

      

 これが実はジャガイモです。凄まじい雑草ですね。万能で畝の端を掘りあげて収穫するが、まずは雑草を手で抜くことが先決。ジャガイモを収穫するというよりは雑草を収穫している気分。

      

 中には、1株から12、3個イモをつけているものもあった。普通の農家からすれば収穫量は少ないと思うが、半部か4分の1に切った種イモを植え付けたが、それから何倍ものイモをつける。これを生産性が低いとか効率が悪いという人の気が知れない。この感動を味わってもらいたい。しかも、このジャガイモ、土寄せを1回だけしただけで、除草はしていない。

 母親も手伝ってくれて作業もスムーズに進む。最近、家の目の前の、僕の同級生の母親とウォーキングを毎日のようにしているらしく、その話を楽しそうにしている。この前は、蜜をつける木があるらしく、そこにクワガタが2匹もいたらしい。それをようやく捕まえることができたと、楽しそうに話している。ジャガイモを収穫しながら、何とも平和な日々を送っている。

 と、作業を進めていると、隣の隣の床屋のおばあちゃんが、なにやらトウモロコシの収穫をしている。「あら、あら」と畑を横切って、こちらに来た。「にいちゃん、よくやるね~」と、直売所で売れ残ったモロッコインゲンと初収穫だというトウモロコシを2本くれた。

 なんとも微笑ましい光景。

忙しい3連休

2009年07月21日 09時30分07秒 | 雑感
 ちまたでは子供たちはもう夏休みに突入。毎日とにかく暑い。太陽は出ないが、気温が30度を超え、むしむしする天気は外に出ているとジワジワと体力を奪っていく。

 忙しかった、この3連休。というか16日から忙しい。16日に南アの勉強会を終えてから、17日は仕事を終えてから、夜、そのまま長野に帰省する。17日は金曜日、しかも翌日からは3連休の始まり。そのことをすっかり忘れていて、新宿駅に向かうと、特急あずさの指定席は全て満席。自由席も長蛇の列。ぎりぎり座れたが、通路までお客が溢れていた。

 18日はまたまた雨の予報だった。僕が帰るときはいつも雨の予報。周りの農家からも、帰ってくるたびにいつも雨じゃ困っちゃうね~と言われる。だけど今回はジャガイモなどの収穫や雑草を刈らなければいけない。18日のことはもっと詳しく後ほど報告するが、結果的には雨は降らず1日作業ができた。

 そして19日、朝5時に起きて、7時の電車で東京へ向かう。19日は本橋成一監督の『バオバブの記憶』上映会。ちょうど大学のオープンキャンパスにぶつけての上映会を企画した。

 続いて20日はもう1つ、僕がアルバイトしている仕事で、練馬区にある「白石農園」に行き、出版社コモンズ代表、大江正章さんによる座学。日本で最も有名な農業体験農園だと思う。大江さんの主著『地域の力』(岩波新書、2008年)など、多くの本や雑誌に取り上げられている農園。このこともまた後ほど。

 毎日、お酒を飲んでいるので、体がだるくなっているが、今日は今後の進路を決める大事な日。気を引き締めていこう。


またまた霜里農場へ

2009年07月14日 07時25分05秒 | 有機農業
 7月12日は、米作りから酒作りを楽しむ会の第2回目。僕は参加者でもスタッフでもないが、映像撮影で参加させていただいている。映像といっても、ど素人が撮るのでどのようなものになるのかは不安だ。

 今回は田んぼの草とりと生き物調査。里山に囲まれた下里地区の生き物を見学し、その後、田んぼの生き物の説明、そして草とり。草の背丈が低い、今のうちに草をとっておけば、将来、稲と養分の奪い合いをしない。

 手、田ころがし、デッキブラシ、と、様々なやり方で参加者が田んぼに入り、草をとっていく。子供たちは草をとりながら、生き物を追いかけている。

 この田んぼの隣には、合鴨を放した田んぼ。田植えをした数日後に合鴨を放したと思うので、2~3週間ぐらい経っているだろうか。カモちゃんたちの体も少し大きくなっている。

       

 元気に泳いでますね~。普通、合鴨は田んぼに放す前に雛は農場で少し成長させるらしい。僕が研修していたから、合鴨は生まれた次の日にすぐ放した。みんなの不安をよそに、合鴨は元気に動き回っていたことを思い出す。

       
 
 合鴨を入れた田んぼは本当に草がない。田んぼの草をとり、糞を養分として還元し、足で耕す。動き回って水が濁るので、雑草の成長を防ぎ、合鴨が動き回る時に稲に刺激を与えるので、成長を促進させる。そして、僕たちの目を楽しませてくれる。かわいすぎる。合鴨にエサをあげに行くと、近所の親子連れがよく合鴨を見て、楽しんでいた。

       

       

 田んぼは合鴨を狙う外敵を防ぐために、手作り太陽電池による電柵で囲っている。

 稲の穂が出るころに、合鴨は農場に引き上げる。冬になり、油がのった合鴨はさばいて僕たちの胃袋に。自分たちでさばいて食べたり、ソーセージなどに加工して地元のレストランに出す。そう、合鴨農法は畜産と稲作を組み合わせた農法なのだ。

 僕も将来、いつになるかわからないが、田んぼを引き継ぐことができたら合鴨農法やりたいな~と夢を見ている。

 霜里農場でおいしい昼食をいただき、夕方から用事があったので、畑を見回ってから東京へ戻った。いつものように、奥さんがたくさんの野菜を持たせてくれた。ズッキーニ、トマト、インゲン、ツルムラサキ、キュウリ、ジャガイモ。なんとも豪華で、本当にうれしい。こちら側がお邪魔しているのにと思いながら、いつもいつも感謝。

 今回は畑の撮影ができなかったので、近々、8月の上旬にでもまた行こう。夏野菜で農場は賑わいすぎている。やっぱり、霜里農場は僕が目指す農場だ。



関係性としての農業

2009年07月11日 10時38分36秒 | 有機農業
 先日、某大学院の授業に参加してきた。小川町でお世話になっている方がゲスト講師ということで、参観した。3月に大学院を卒業し、久々の授業という空間。

 というか、僕が通っていた大学院は人数が少なく、学部生からそのまま大学院に進学した人が多かったから、厳しい授業というよりは、アットホームな感じで、ほぼ雑談のような授業だった。マンツーマンの授業があったり、時にはお外に出て、青空教室だったり。

 うん、久しぶりに授業という感じを味わった気がする。学生も社会人の方が多いらしく、豊富なバックグラウンドをお持ちで、とても良い雰囲気の授業だ。良い雰囲気を授業内で創り出すのは教員の仕事だと思うので、それはこの授業を担当されている先生の力量におうところが多い。

 僕は常に農業は社会関係であるということを強調している。農業は単に生産技術だけにとどまらない仕事だし、何よりも育てても食べる人がいなければ農業は成立しない。

 有機農業は農薬や化学肥料をしないという生産技術ばかりがフューチャーされ、一般的なイメージもそれを脱することができていない感じもするが、農家の自給の延長線上に消費者の台所を置く、提携という形で広がった点に有機農業のもう1つの大きな特徴がある。生産者を消費者が支えるという関係性、社会関係の再構築を目指したのが有機農業である。

 有機には3つの関係性が含意されていると思う。1つ目は土中の根っこや微生物間の関係性。2つ目は農家と自然環境の関係性。この2つは生産における関係性である。もう1つ、3つ目は農家と消費者の関係性である。

 そう、それは「有機」的人間関係の創出である。逆を言えば、それほどまでに生産者と消費者、農と食の関係性が乖離状態にあったということだ。それは農業の近代化によってもたらされた。

 農家でない、生産に関わることができない消費者が農業に関わること、それは農家を支い支えるということであろう。僕が尊敬するある方は、農家が生活できるように消費者が支える関係性を築くことにより、消費者も立派な農業者であるということを言っている。

 今回の授業で改めて、消費者のあり方、農業のあり方、有機農業が提起している農業の姿を見つめ直す機会を得た。

 よくこう言われることがある。「都市に住んでいると畑もないし、農業に関わることができない。そういう人はどうすればいいのだろうか」

 畑がなくったって、農業に関われます。自分が信頼する農家が愛情を持って育てた食べものを買い支えていきましょう。そうすれば、胸を張って立派に、私は農業に関わっていると言うことができるのではないだろうか。