おぐち自給農園、2反百姓の日記

-都市の貧困と農村の貧しさをつなぐ、「生き方」としての有機農業を目指して-

「農」の世界に魅了される人生

2009年07月05日 18時32分06秒 | 雑感
 あえてここでは「農業」ではなく、「農」と呼びたい。そう、農業は現金収入ばかりを追い求める世界ではなく、もちろん現金収入がなければ生活できないことは前提であるが、それを可能にするために、「農」というもっともっと広い世界が広がり、全体を構成している。そしてそのような「農」の世界を包括的に包み込んでいるのが「農村」という空間だ。
 
 限りなく広がる「農」の一部分として現金収入を得る「農業」の部分がある。畑を耕したり、堆肥をつくったり、種を蒔いたり、除草したり、虫を観察したり、種採りしたり、本を読んで勉強したり、芽が出ず悲しんだり、芽だ出揃って喜んだり、などなど現金収入までに到達するまでに多くの仕事に支えられている。
 
 きっと僕がやっていることは、「農」の仕事なのだと思う。「農的生活」なんだろう、きっと。僕がこれまで、育てた野菜は自給用かもしくは友達に分けたりしている。お金をもらったことがない。ま、趣味的農業といわれてしまえばその通りかもしれない。

 農業は収穫する時が一番の喜びという人がいる。しかし、少しながら農の世界に踏み込んでみて、収穫する時というよりは、収穫した野菜を家族に渡すとき、友達に渡すときに喜んで、感謝されることが一番の農家の喜びだな~と感じている。この喜びは直接渡すから得られる喜びだ。以前も書いたように、種を蒔き、芽が出た時に喜び、収穫した野菜を渡して最後に一番の喜びを実感できる生活、それが農的生活の魅力だ。そこには、決してお金がある・ないだけで左右されるような生活ではない。もっともっと違うモノサシが農的生活の中にある。

 なんて、かっこいいこと書いてしまったが、相手に感謝されるような野菜を育てるためには、日々努力し、多種多様なな仕事を毎日毎日こなさなければならない。僕らが食べている食べものはこうした農家の仕事、「農」の世界によって生み出されていることに、もっと思いを馳せなければならないだろう。

 いつの間にここまで「農」の世界にどっぷりつかるようになってしまったのだろうか。兼業農家の長男坊ではあるが、そこまで農業に熱心ではない両親なので、両親も何でこの子が農業、農業言っているのか理解できていない。今もそうだ。

 だけど、じいちゃんはかっこいい農家だった。米、アスパラ、ブドウ、ゴボウ、長芋などたくさんのものを育てていた。口数は極端に少なく、黙々と作業する人だった。お酒を飲むと口数が多くなる。そういうじいちゃんが好きだったから、今になってその記憶が蘇ってきているのかもしれない。が、小さい頃はJAの農業祭に連れてってもらうことが何よりも楽しみだったし、小学校の卒業文集では10年後、実家の農業を継いでいると将来の夢を語っている。

 その夢が半分、現実になっていて何か不思議な気分だ。じいちゃんが入院する前に、ビニールハウスの作業を託されたのを覚えている。じいちゃんの人生はまさしく農業とともに歩んだと言える。じいちゃんが死んで8年くらいが経ち、天国から僕の今の姿を見てどう思っているのだろうか。今の時代に農業なんてやってと呆れているかもしれない。

 親父や隣のおばあちゃんが、僕が農業やっている姿を見て、じいちゃんも喜んでるわと言われた時は、すごくうれしかった。僕がこれからは農業、農業だと学生時代からいろんな場面で熱く語ってしまう一番の理由は、農業が憧れのじいちゃんがやっていた仕事だったからなのかもしれない。