特定非営利活動法人白河花里倶楽部れぽーと

東北の南端福島県白河市で活動するNPO法人。2017年10月より、動物関連はアメブロ「花里れぽーと」で更新致します。

派遣村の飲酒と脱走について

2010-01-14 18:14:03 | 生活困窮者支援


派遣村で入村者が生活費2万円を渡された途端に逃げたという報道がありました。また、2万円を持って近くのコンビニに行き、ビールや焼き鳥を買っている者もいたそうです。

一昨年末、私たちは白河市にあるハローワーク前で仕事を探しに来た方々を対象にアンケート調査をしました。その時、ハローワークは休みでしたが、1時間ほどの間にたくさんの人が現れました。その中には、アパート暮らしという人も何人かいましたし、寮を出なければならないという人もいました。その方は、白河を出るという話をしていました。やはり都会へ向かう傾向があるようです。

花里は失業し生活が困窮した方を支援したことがあります。失業中という人の中にもいろいろなタイプがあります。派遣社員として働いていた方々と土木作業員などをしてきた方々とは少しタイプが違うかもしれませんね。
皆、同じ人間であり人は皆平等です。しかし、同じ対応や支援で良いのでしょうか。山谷で活動をする方々に聞きましたが、路上生活者には児童養護施設出身者が少なからずいるそうです。もし、施設で嫌な体験をしているとすれば施設的な場所は嫌でしょう。管理されることには抵抗があるでしょう。食事や宿を提供するからといって、人権がなくなるわけではないはずですが、「強制的」というイメージはあります。長年路上生活をしてきた人たちが一番苦手とすることではないでしょうか。

以前、段ボールハウスが強制撤去となり、収容施設への入居を勧められるというニュースをテレビで見ました。入居を拒んだ男性は、4匹の犬を連れ茫然としていました。今までは犬をつないで空き缶を拾う仕事をしていたそうですが、犬の居場所がなくなったしまったのです。公園などにつなげばすぐに保健所に捕獲されるでしょう。4匹と男性の姿に「福祉」の文字はかけらも見えなかった。本当に人間として扱うならば、連れていた「友」犬のことも相談に乗るでしょう。ボランティア団体に連絡するとか何とか考えるでしょう。「処分」して「入居」を突き付ける日本の福祉に非情を感じました。この何年か前の報道を今でも忘れることができません。

この寒空の中、空腹で路上に寝ている人を放置する国は心の貧しい国です。しかし、屋根と食事と2万円を与えればいいのでしょうか。逃げた人たちは、行政の無駄を嫌ったのかもしれません。行政側は、無駄でも形式通りに物事を進めます。ハローワークに通い、それがダメなら生保。それも家族や親族などについて聞かれる。実際、今の時期に仕事は探せないだろうと思う人にも「無駄」な行為をさせます。その間に心身共に疲れきる。何度も緊張し、何度も頭を下げ、何度も断られる。この繰り返しは誰でも心が折れるのではないでしょうか。派遣社員だった方々と土木作業員などの方は求める仕事も違うでしょう。土木作業員だった人は、履歴書も何もなく必要とされ働いてきた人が多いわけです。あ~だこ~だではなく、これやれる?と働けたら働く人もいるのではないでしょうか。このような事情から、花里は軽作業が必要だと考えています。コンクリートから人へ。コンクリートは要りませんが、緑はあってもいい。私たちは、バザーの収益金やカンパを財源として仕事を創ったので限界がありました。今、行政が同じ仕事を失業者を対象に行っています。行政も花里レベル?なんて笑いながら、財源があれば継続できたのにと悔やまれます。

支給された2万円でビールを買い、コンビニの裏で飲んでいた人たち。本当は、自分の労働で得たお金で堂々とお酒を飲みたいはずです。貧困と飲酒は密接な関係がありますので要注意ですが、寒い場所でコッソリ飲むビールの味は多くの国民が思う味とは違うのではないかと思います。彼らが堂々と暖かい場所でお酒を飲める世の中にしたいものです。








  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

芥川賞作家中山義秀と白河ばら園

2010-01-07 11:31:30 | 日記


白河市の白河バラ園は小峰城の中にあります。日本でお城の中にバラ園があるのは大変に珍しいのではないでしょうか。





昨年、白河の歴史を調べている方から教えていただいたのですが、この白河バラ園は白河市出身(大信地区)の芥川賞作家中山義秀の一言で始まったのだそうです。
その方によると、当時の市長なども同席した催しで中山義秀が「城にはバラでも植えればいいんだ」と言ったのだそうです。この芥川賞作家の言葉を真摯に(?)受け止めた当時の市長は荒れていた小峰城内の空き場所をバラ園にしたのだそうです。





ヨーロッパの古城にはバラが咲いています。これは当然ですが、日本の城に西洋のバラは違和感があると言えばあります。でも、素敵です。石垣に這うバラは日本でも西洋でもロマンチックです。





ただ残念なのは当時の流行りのバラが多いということ。また、当時は東洋一だったそうですが、今では全国各地にバラ園が存在します。数でも広さでもかなわない。でも、この石垣は他にはないのでは?
この石垣に合うのはオールドローズだと個人的に思っております。イギリスやフランスの古城の石垣に這うつるバラ。上からワイヤーを垂らして這わせれば、ここはイギリス?フランス?と思うような素晴らしい光景となるのではないでしょうか。いつの日か管理をしてみたいなどと夢見て、バラの勉強をしています。
また、花好きの市民からは「バラしかない」とか「花数が少ない」とか「期間が短い」などの声を聞きます。皆さん、遠くまで花を見に出かけているようですので、目が肥えているのですね。低予算の中では限界もあると思いますが、古城のバラ園は白河市が日本に誇るものの一つだと私は思います。

芥川賞作家中山義秀は「孤高の戦士」と称される方だそうです。文学館が白河市にあり、毎年文学賞もあります。これは公開選考会で審査員も著名な作家の方々。その毒舌は大変に面白いものです。
文学館を見学して抱いた中山義秀のイメージは、権力者に阿ることを嫌い、世間で敗者と評された人の人生にドラマを見出す・・・というようなものでした。若い頃、トルストイの文学に傾倒したそうですが、これを知った時に「キリスト教では?」とピンときました。後で知ったのですが、死の直前にプロテスタントの洗礼を受けたそうです。

この文学館に、恥ずかしながら私の父がいただいた葉書が展示されています(まだあるかどうか)。家にあったものを寄贈させていただいたのですが、最近になり詳しいことが少しわかりました。父は中山義秀が白河市で講演をした際に聴きに行き、当時福島県短歌祭の審査委員をした中山義秀にお声をかけたのではと推測します。この頃、父は県の短歌会の役員などを務めていたようで、その関係もあったのではと思います。というとセレブな印象ですが、父は大変に貧しく、講演に行った時も間違いなく作業着のような服装だったと思います。その父に返事をくださったということが義秀の権力者への反逆的人生を表していると思います。ちなみに、父もプロテスタントの洗礼を受けたクリスチャンでした。
著書の中に、明智光秀について書かれた小説があるそうです。読んでみたいと思います。明智光秀は大変な人格者であったという話もあるそうです。敗者に光を・・・勇気がいることだと思います。












  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自家製腐葉土

2010-01-05 16:45:41 | 日記

白河は大雪になりそうな気配です。落ち葉拾いも中断。




近所の山から風で飛んでくる落ち葉を拾ってはコンポストに入れています。先日の雪で押され、少し圧縮された感じです。このコンポストには自宅の生ごみも入れています。また、精米した時に米ぬかを持ち帰り中に入れています。草などを刈った時もコンポストへ。

そして1年過ぎると・・・





自家製腐葉土の出来上がりです。これをバラの根元に置きます。また、土がかなり悪いので改良するために混ぜて耕しています。これだけたくさんの落ち葉ですが、土になる時にはほんの少し。ですから改良には何年もかかります。

このコンポストは、花里花壇にも設置しています。花壇は大量の粗大ゴミが埋まっていた場所ですので土は最悪。ミミズもいない状態でした。まだまだミミズは少ないですが、花を植えることにより柔らかくなってきています。
この花壇は、「無農薬、無化学肥料」で花の栽培をしています。アレルギーのある方も安心して近寄っていただけると思います。

私の自宅でも、無農薬無化学肥料でバラなどの花や野菜を栽培しています。バラも野菜も消毒がつきものと思われていますが使いません。消毒しなくても問題はありません。もちろん、バラには虫がつきますが気にしていません。無農薬の庭はとても賑やかで早朝から日暮れまでたくさんの虫が働いています。まず小鳥の鳴き声で目覚め、外に出れば蜂が「おそよう~」とばかりに忙しく蜜を集めています。蜘蛛の巣の美しさに見惚れ、ついつい壊せずに庭は蜘蛛の巣だらけ。でも、虫を捕ってくれるのですから有難いことです。
無農薬栽培では、虫が中心ともいえる賑やかな庭になるということがわかりました。今、虫の観察をする子どもはいるのでしょうか。見てると面白いんですけど。昨年は青虫を育ててみました。春には蝶になるようです(室内飼い)。昆虫って本当に面白いです。




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「秘密の花園」と園芸療法

2010-01-04 17:53:36 | 園芸福祉
新年明けましておめでとうございます
本年もよろしくお願い申し上げます



 白河では大晦日の夜から雪が降り出しました。元旦の朝、窓の外は真っ白。ホワイトお正月となりました。昨日今日と晴れていますが、まだ雪が残っています。落ち葉集めと枝切りが途中なのですが。。
 この時期、春が待ち遠しくなります。毎日毎日花のことばかり考えてしまいます。いつの日か映画「秘密の花園」のような庭を造りたい。



「小公女」で有名なバーネットの名作「秘密の花園」が原作の映画です。両親を亡くし親類に引き取られた少女のお話。悲しみに満ちたお屋敷には秘密の花園があり、荒れ果てた花園の手入れを始めた子どもたちは自然の中で心を癒していくという感動的なお話です。映画では秘密の花園を再現していますが、これが本当に素晴らしい。
 最近「園芸療法」という言葉を雑誌などで見ることが多くなりました。これは米国でベトナム帰還兵の心のケアに使われだしたのが始まりだそうです。手嶋龍一氏の著書の中にもベトナム帰還兵が密林に入り生活をすることで人の感情を取り戻すという実話がありました。雄大な自然の営みの中で生きることは、どんな薬よりも効果があったようです。
 「秘密の花園」を観ると、これも園芸療法といえるのではと思えてきます。ウサギや山羊が走り回り、蝶や蜂が飛ぶ庭。小さな種を土にまけば、春には大きな花が咲く。これだけでも自然の不思議です。あの小さな小さな種から2メートルもの植物が育つのです。そして、英国の庭は本当に美しい。一つの芸術です。あんな庭を造りたいと願っています。

 花里では小学校前の市有地を花壇にして市民に公開しています。ここでは残念ながら安い花しか植えることができません。昨年はチューリップの球根を掘り出され盗まれました。百合や何や、きれいな花を植えると折られる、盗まれる。本当はいろんな花を植えて子どもたちや通行する人に見てほしいのですが、残念です。

 私たちは園芸は一つの福祉であり芸術であると考えています。ボランティアにもいろいろあり、笑顔になれないような現実もあります。また、現在の日本では、高齢者や学生や専業主婦の方々に依存するしかないという限界もあります。私たちに何ができるのかと考えると、かなり小さなことしかできない現実を直視することになります(苦)。 その中でも、園芸に重きを置くのは、誰もが軽視することでありながら、とても重要なことだと感じるからです。例えば雑草。迷惑だと思われる存在ですが、神様は無駄なものや迷惑なものはお創りにならなかった。雑草は1週間で成長しますが、これが何カ月もかかって成長しては草食動物など困るものもいるわけですよね。また、土の中や雑草の中には、目に見えないたくさんの生物が住んでいるそうです。皆、何かをして生きています。私たちには見えなくても必要があって生きています。この世に無駄な命はないと感じます。これをぜひ子どもたちに教えていただきたいと思います。除草剤を散布することは、雑草が迷惑だと考えるからでしょう。迷惑な存在を消去するというのは、ある種人間の傲慢さだとも言えるのではないでしょうか。「共存」「共生」というのは簡単なようで難しい。相手の立場で考えると・・・「沈黙の春」でレイチェル・カーソンは、虫にとって農薬散布は核のようなものだと書いていますよね。迷惑な存在を皆殺しにするのではなく、共生していきたいと願います。路上生活者の方々が、野良犬や野良猫を飼っていることがあります。路上生活者を襲撃する若者は「野良犬や野良猫のように迷惑な存在」だなんてことを言います。好きで野良になったんじゃない。人間に捨てられたんです。人も同じ。社会制度の不備が原因とも言えるのではないでしょうか。簡単に弱い命をイジメて排除するのではなく、小さな命に対する思いやりの心を、小さな時から教えてほしいと願います。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする