特定非営利活動法人白河花里倶楽部れぽーと

東北の南端福島県白河市で活動するNPO法人。2017年10月より、動物関連はアメブロ「花里れぽーと」で更新致します。

また虐待死 死亡した1歳の女児は低体重とタバコの跡

2010-03-09 14:23:22 | オレンジリボン運動


先日の虐待死について情報がないかと検索すると、本日付のニュースが目に入りました。またもや虐待死。今度は1歳の女児だそうです。詳しくはここをクリックしてください。


どうしたら無力な子どもの虐待事件をなくせるのでしょう。先日、子どもを餓死させた親と保護された子どもの数年前の様子をテレビで見ました。公園で路上生活をしていましたが、親は食事をしているのに、子どもには与えていなかった。4歳の子どもが3月の寒空の中で裸足でいました。また、隠し撮りした映像には、子どもを蹴り上げる父親の姿が写されていました。私は、子どもがあんな声で呻くのを初めて見ました。父親の靴は土木作業員が履くような頑丈な靴。それで裸足の子どもの指を踏みつけたり膝を思い切り蹴飛ばしていた。小さな子どもが飛んで倒れ、ウウッ!と呻いたまま動けない。これが虐待じゃなくて何ですか。飢えた子どもを殴る蹴る。

この後、この親(当時、亡くなった子どもは乳児院)は生活保護を申請し、子どもを引き取り暮らしていたそうです。近所の方も虐待に気付き通報しても保護できなかった。私たちの税金で暮らし虐待をしていたのです。虐待をさせるための生保になっていたと思います。

どうして簡単に親に戻すのでしょう。あんな親が簡単に心を入れ替えますか。カウンセリングでも受け、何が問題だったか自分で理解しなければ無理でしょう。日本の児童福祉は問題だらけですね。

簡単に虐待する親に返すことの理由には、施設が定員オーバーだということがあるでしょう。昨日、朝のテレビでも特集していましたが、施設はいっぱい。里親の全国数と委託数に皆驚いたのではないでしょうか。少ないです。また、良心的里親さんが高齢化し、それなのに委託している現実があります。この不幸な出来事をきっかけに、委託数が伸びないことを皆が真剣に考えるべきです。児童相談所のいうことは本当でしょうか。

真実。里親に登録して約4年の間に、連絡が来たのは「ただ一度」です。「今すぐ病院に行って乳児を預かってほしい(短期間)」とのこと、児童相談所は、「電話していない」「子育て経験がないものに乳児を委託しない」という返事。一体誰が電話をしてきたのでしょう。里親の開拓とか何だとか言いますが、実際には連絡もしないまま放置しているのです。委託が進まないのは行政側の職務怠慢。言いきれます。

これに関し、あまりにも不誠実な対応でしたので、県議を通じ県に質問しました。県担当課と児童相談所とでは認識が違うようです。養育里親に対して侮辱とも思える発言や態度もあります。里親さんは良い人ばかりなので、何も言わない。だから調子に乗る。こんな侮辱を受けてまで里親をする必要があるのか?と言うほどのことを言われ、抗議しました。子どものいない夫婦を馬鹿にしているとしか思えない態度は4年前も今も同じです。里親さんは、委託解除を恐れ何も言えなくなっている。私は、里親さんを全面的に応援し、里親の待遇改善を訴えていきたいと思います。

餓死した子どもの兄弟は、現在10歳くらいでしょうか。遅すぎる。録画した4歳の時に保護されていればと悔やまれます。10歳・・・もうすぐ思春期です。様々な葛藤が子どもを襲う。あんな劣悪な環境で、痛みと飢えと恐怖に苦しんだ子どもです。4歳の時に保護され、専門里親さんに委託されたら・・・きっと人生は変わったでしょう。

少子化少子化と騒ぎ、子どものいない夫婦を馬鹿にし、独身の人たちを責める風潮があります。少子化対策とは、社会保障のお世話になる人を増やすことではないはずです。社会の一員となる人も増やすことが真の目的でしょう(税金を納める人という意味)。それなら、放置すれば殺されるか、心に大きな傷を持ち社会参加が危ぶまれる子どもを保護し、社会の一員となるべく愛情をたっぷり与える仕事(養育里親制度)に社会は注目をするべきです。マドンナやアンジーが肌の色の違う子どもを養子に迎えることを素晴らしいと思うように、日本も養育里親を素晴らしい社会貢献であると思う社会になることは、虐待問題の解決にとって重要だと思います。なぜなら、虐待の連鎖を絶ち切らなければならないからです。それには、愛情が必要です。逮捕された親の言動は不思議なものでした。この人たちの家庭も問題があったのではないでしょうか。連鎖したのではないでしょうか。

こんな事件が起こらないと誰も児童養護施設や里親に関心を持たないことが残念です。里親に関するイベントを行った時の冷たい反応。馬鹿にする態度。でも、里親さんたちはそれを消すほどの温かさを持っています。この温かさが子どもの心を開かせ、傷を癒すのだと思います。

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5歳の子どもが餓死!相次ぐ子ども虐待事件

2010-03-05 15:53:37 | オレンジリボン運動

次々と子どもが虐待により死亡する事件が起こっていますが、今度は食事を与えられなかった5歳の子どもが餓死するという悲惨な事件が起こりました。逮捕された夫婦は、「愛情がわかなかった」「かわいくない」と言っているそうです。どうして?と思いますが、悲しい事件は無くなりません。お腹を空かせて、どんな気持ちでいたのでしょうか。想像すると涙が出ます。私自身は、ハイチの子どもでもどこの子どもでも腹ペコだったら可哀想だと思いますし、食べさせたいと思います。自分の子どもじゃなくてもです。このような虐待をする親が一人や二人ではないということは、何か原因があるのでしょう。虐待は連鎖すると言いますが、家庭環境も含め調査し、今後再発防止に役立ててほしいものです。

昨年1年間で摘発した児童虐待は過去最高の335件だそうです(警察庁)。このうち、身体的虐待が234件、性的虐待が91件、ネグレクトも10件とのこと。これでは施設は定員オーバーになります(現在も近い状況)。また、心の傷をどのようにケアするのかという問題もあります。細かい部分までフォローできなくて当然かもしれません。

細かい部分=以前、県庁担当課の方に質問し、まだ返事をいただいていないことあります。それは、里親家庭で養育された子どもと児童養護施設で養育された子どもの進学状況です。また、施設で養育された子どもの中で、中学、高校で家庭に戻る子どもの数も知りたいと考えています。この意味、わかりますか?一番大切な時期に戻る意味とその数を知りたいのです。

数年前に、泉崎村で悲惨な虐待事件が起こりました。十分に食べさせてもらっていない子どもは体が小さいことがあります。生きて保護された子どもも、大きな傷を背負って生きることになる。もっと早く保護できないのかと思います。また、性的虐待に関しては、家庭に戻すべきではないと思いますが、実際はどうでしょうか。夜回り先生の本にも、戻され家族と共に消えたケースが紹介されていました。どうして戻すのでしょう。施設が満杯だからでしょうか。問題は山積みでありながら、改善される気配を感じない。

子ども虐待防止のオレンジリボン運動。虐待をする親が関心を持つことはないでしょう。しかし、近所の人や同級生のお母さんなどが関心を持つことにより助かる命があるかもしれない。今年もオレンジリボン運動に力を入れていきます。


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派遣村入村者所持金30円

2010-03-03 23:09:32 | 生活困窮者支援
バンクーバーオリンピックに日本中が感動する中、先日NHKで湯浅誠氏の100日間を追った番組が放映されました。民主党政権になり、貧困問題を解決するためのポストに就任したわけですが、現在は離職を申し出て保留となっているそうです。新聞報道を見る限りでは「仕方ないなぁ」と思う人もいたでしょうけど、この100日間は壮絶な戦いであったようです。立派な事務所の床に服のままゴロンと寝る姿は、やはり湯浅さんは政治家肌ではなく、現場主義の学者肌なのかもしれないと実感させてくれました。

番組の中で、厚労省職員と話す場面がありましたが、ため息がでました。市役所、県担当課、厚労省、公務員はどこも同じですね。「当事者の身になれないものか」という湯浅さんの言葉が耳に残りましたが、なれないんですよね。同じ人間だし・・・と期待して失望したこと、あまりの驚きに熱を出したこと、様々なことが思い出されました。

どんなボランティアも最後は政治につながるのではないでしょうか。しかし、この湯浅さんのポストにしても国を動かすことはできない。「国ってもっと力があると思っていた」という言葉も印象的でした。縦割り行政の弊害。命の問題なのに、残業手当の話題になる滑稽さ。弱者は、どこまでいっても切り捨てられるだけなのでしょうか。

入村者に対して、面談が行われたようですが、本来は相談であるはずものが「調査」になっていたようです。これが行政。カーリングの解説者小林氏風に言うなら「これが行政!」ですね。何度も生保を申請し断られてきた人たちは、この調査ですべてを悟ったのではないでしょうか。殆ど警察状態に見えました。貧困は悪ですか。

その中で、所持金は30円という男性がいました。顔はわかりませんでしたが、若いように思えました。30円では電車に乗ることもできないしパンも買えない。自分なら・・・死を選ぶかもしれません。仕事も家も頼る者もなければ、一体何のために生きるのかと思う瞬間があって当然です。それを防ぐのは「誰かのため」「何かのため」「未来への希望」ではないでしょうか。実際、私自身両親も兄弟もいませんので、天涯孤独の状態が生きる希望を失くすことを知っています。私の場合は、辛い時に常に一緒にいてくれたペットのために生きようと思いました。もし病気になったら看病してくれる人はいないのでペットを安楽死させ、自分も死のうと決意し、それまで頑張ろうと思ったことを覚えています。

看病・・・というより入院するには保証人が必要です。そのために親類と付き合いをするなんてことがあるわけです。しかし、身寄りがない場合、または「こんな親戚に頭を下げるくらいなら死んでやる」という状況の場合、面倒なことになります。児童養護施設出身者の中で、施設で虐待を受けたり嫌な体験をした人は、同じように思うのではないでしょうか。このようなことから、天涯孤独状態で生きる児童養護施設出身者のために何かしたいと考え、現在に至り、結果として何もできていない現状があります。情けない限りです。

派遣村の中に、何人の児童養護施設出身者がいるのでしょう。所持金30円で生きる人を放り出す社会でいいのでしょうか。湯浅さんが「国を動かすのは民意だ」と言ってました。路上生活者支援を、政府が、各自治体がするためには、国民の意思が必要なのです。そのためには、この問題を特定の宗教色や政党色に染めてはいけない。それを強く強く申し上げます。

特定の政党色を強めることは、世間の反感を招くことになると思います。多くの人に訴えなければ問題は解決しない。湯浅さんは児童養護施設でボランティア活動をした経験があるそうです。路上生活者の中に施設出身者がいることもご存じだと思います。この現実を多くの人に伝え、根本的解決のために皆が協力することが大切です。施設は措置解除になれば終わり。困っても頼れないのが現状です。しかし、里親はどうでしょうか。多くの良心的な里親は、18歳を過ぎても実の子どものように付き合います。結婚式には親として参列し、子どもが望めば養子縁組する。そんな人たちがたくさんいるんです。また、多くの里親さんは家があり普通の暮らしをしています。養子縁組した場合は、家も相続できます。本来は、家より何より親の愛が大切です。しかし、実親に恵まれなかった場合、他人でも愛があれば人は救われます。里親さんは愛情があふれていますから。

最初は施設出身者のための自立援助ホームをつくりたいと考え、それには働く場が必要であり、地方にはないという現状にブチ当たり、雇用の創出をしなければとなりました。しかし、その後日本は大不況。身近にも失業者がたくさんいるような状況です。1人2人の雇用を生み出す程度ではどうにもならない。政治が動く必要があります。しかし、襖張りを習って何になりますか。その仕事をしていた人が失業している状況の中、それを習ったら生保を出すとは、何か間違っていませんか。職人は仕事がなく保障もなく本当に大変なんです。それを、もっと苦しめることになりはしませんか。言わなきゃわかりません。刑務所の中で作った家具が売れているようですが、一般の家具職人は新しい機械を購入することもできないのに、どうして皆の税金で機械を購入し材料を購入し、安価な価格で販売するのでしょう。間違いだらけだと感じています。


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