特定非営利活動法人白河花里倶楽部れぽーと

東北の南端福島県白河市で活動するNPO法人。2017年10月より、動物関連はアメブロ「花里れぽーと」で更新致します。

高浜虚子と白河の貧しい歌詠み

2013-06-20 16:59:41 | おススメの本・映画
新聞の広告欄で「ランドセル俳人」という文字と、登校拒否の小学生が詠んだ俳句を見ました。しみじみと心に伝わるような俳句だと思いました。文字というのは不思議な力を持っているようです。

私の父は、若い時期の数年間を、当時死の病であった脊椎カリエスを患い闘病をしていたようです。家は大変に貧しく、長男であるのに働くこともできず、苦しい思いをしたようです。働く母の代わりに、病院に弁当を届けに来たのは、知的障害者であった妹だったと聞きます。当時は、障害者への差別もあったでしょう。様々な苦しみの中、毎日毎日病院のベッドの中で、死と向き合いすごしたようです。

当時の貧乏は、私の想像する貧乏とは違い、本当の貧乏だったようです。着る服にも困るような・・・。

そして、病院の看護師さんやドクターに教えていただきながら、短歌を詠みだしたようです。ある時、高浜虚子に自分の辛い状況を詠んだ歌を送りました。

スリッパをまた盗まれし看護婦は貧しき我を白眼視する


思いもよらず、高浜虚子から、返事がきました。ハガキには、一つの俳句が書かれていました。

初鏡人の心を映すべく 高浜虚子


この句に大感激した父は、病を克服し、働きだしました。そして、明治神宮春の大祭奉祝に、歌が選ばれました。

その後、父は、鎌倉の高浜虚子邸に、お礼に行ったようです。この時のことが、俳人のバイブルと称される「虚子俳話」の中に書かれています。白河から作業服姿の青年が訪ねてきたことが・・・。そして、父の短歌と共に歌詠みとして紹介されています。




写真は、高浜虚子の直筆の手紙をガラスに焼き付け保存したもののコピーです。原本はお返ししても、あまりの嬉しさに記念に残したかったようで、父が他界した後、金庫の奥にあるのを発見しました。宝物だったようです。



虚子俳話・・・1冊は、鎌倉でいただいた本。1冊は、父との俳話が書かれた本。そして、「無名者の歌」には、父の短歌も掲載されています。最近では、「白河の歌人」と言ってくださる方もいて、とても嬉しく思っていますが、最後まで自費出版もせずに、質素に暮らしていました。自費出版などは、貧乏人がすべきではないと考えていたのでしょう。

このガラス版やハガキなどは、すべて長野県の高浜虚子記念館に寄付しました。父も喜んでいると思います。高浜虚子全集の書簡の巻には父のいただいた手紙が父の名前と共にあります。これは白河市の図書館に寄付しましたが、その後行方不明(後日検索してもなかった)。白河市と高浜虚子とのつながりを示す貴重な本だと思い、白河市図書館に置いてもらえるか確認した上での寄付でしたので・・・残念。まぁこれも人生ですね。

また、長野に寄付した数年後、「訪問記」なるものを発見しました。そこには、当時の会話の内容が詳細に書かれていました。また、父は俳句の指導を受けたようで、虚子からいただいた言葉が書かれていました。毎月5句を送るようにと言われ感激したようですが、残念ながら亡くなる直前の話のようです。

この時の高浜虚子の言葉は重く深く、今となっても意味ある重要な教えだと思います。機会があれば紹介させていただきたいです。

さて、それから数十年後、晩年の父は、徳富蘇峰に傾倒していたようです。またまた、いただいたハガキを家宝と詠み、蘇峰の著書の一文を書き写した紙を、大切に財布に入れ、お守りのように持っていました。理由は今も謎です。

徳冨蘇峰は、「八重の桜」の八重の今後の夫である新島襄の門下生だそうです。多分、今後ドラマに登場すると思います。蘇峰の弟は、徳富蘆花です。徳冨蘆花といえば、トルストイを訪ねた日本人であり、トルストイアンと呼ばれるほどトルストイ的な生活をした人。父の書棚には、トルストイの「人生論」もあり、時代を超え、親子が同じ作家に関心を持っているように思います。遺伝子でしょうか。

私は、貧乏は恥ではないと思います。人格者は身なりでは判断しません。バカにするような人は相手にする必要はないと確信しています(最近、私の家族が某公務員から貧乏人と言われたそうだが・・・)。父は、貧乏だと思われても平気でした。それは、服装や職業や学歴などで判断する人ばかりではないと知っていたからだと思います。

高浜虚子は、私にとっても命の恩人です。あの俳句がなければ、私は生まれてこなかったのですから。

真に偉大な人は、その「心」もまた偉大だと、教えていただきました。偉大な俳人高浜虚子に、心から感謝しています。

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大輪の菊の魅力を伝える映画と舞台

2013-06-20 11:50:36 | おススメの本・映画
フランスの大女優カトリーヌ・ドヌーブが若かりし頃に主演した映画「シェルブールの雨傘」。素敵な映画でした。

この中に、主人公を演じるカトリーヌ・ドヌーブが無造作に花を花瓶に活けるシーンがありますが、その花は日本の菊のように見えました。大輪の菊でしたが、日本で使われるイメージとは違い、素敵でした。



この映画・・・女性の冷酷さも描かれているように思います。カトリーヌ・ドヌーブは、このような役が本当に似合う女優さんだと思います。



もう一つ、菊のイメージを覆すDVDを観ました。図書館で借りた劇団四季ミュージカル「鹿鳴館」です。原作は、三島由紀夫ですので、ゴージャスな雰囲気が漂っています。舞台セットのお屋敷の庭には、大輪の菊がズラーと咲いています。そこには、菊用の針金はありません。大きな大きな菊は、とてもゴージャスに見え、普段私たちの年代以下の人たちがイメージする菊とは全く違いました。

日本の花、皇室の花・・・それは菊。ここにも三島由紀夫の美学を感じます。

三島と言えば、自決・・・の印象を持ってしまいがちですが、あの人のボキャブラと貴族的美意識は、今の日本が失ったものの一つだと思います。

「鹿鳴館」の中の印象的なセリフに「西洋人は、自尊心のない人間を相手にしない」というような内容のものがありました。日本の誇り・・・。福島の誇り・・・・・。

もう一つ、印象的なシーンがありました。主人公の伯爵夫人が男性の背広の襟に、庭の菊をポキッと折ってさします。後で喧嘩になった時、その菊を踏みつけます。欧米映画では、このシーンはバラ。日本は菊。

鹿鳴館に咲く菊は、バラに負けないほどゴージャスでした。私は特別な思想は持っておりませんが、三島由紀夫の美意識と自尊心とボキャブラには圧倒されます。

そして・・・大輪の菊を無造作に植えてみたいと思うようになりました。昨年の秋、無造作(針金なし)に植えられた菊を見て、菊を育ててみたいと思うようになりました。有難いことに、苗を分けていただくことができたので、今年の秋に向けて育てていきたいと思います。もちろん、針金なしで無造作に

大輪の菊 厚走り





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映画『モンサントの不自然な食べ物』が観たい

2013-05-16 14:43:48 | おススメの本・映画
明日2013年5月17日(金)、『モンサントの不自然な食べ物』の上映会が行われるそうです。

場所 郡山市公会堂
時間 13時、16時、18時半
主催 ナカナカ映画の会


『モンサントの不自然な食べ物』公式HP


とても興味のある内容です。

詳細は、主催者HPに掲載されています。

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クリスマスに読みたい本、観たい映画

2012-12-30 12:54:52 | おススメの本・映画
久しぶりの更新です。クリスマスの話題から・・・我が家のクリスマスケーキの写真です



来年は、三毛猫柄に挑戦したいと思います。形は上達してきたと思いますが、顔の飾りが・・・まだまだです(毎年挑戦してます)。

さて、今頃ではありますが、クリスマスに観たい映画・読みたい本を紹介します。まず、観たい映画は、



ディケンズの名作『クリスマスキャロル』です。内容は有名ですが、キリスト教的なお話に基づいています。とても感動するお話です。

そして、読みたい本は、



ロシアの文豪トルストイ作『くつやのまるちん』です。以前、偶然この絵本と出会いまして、それからトルストイの熱狂的ファンとなりました。トルストイは、『戦争と平和』や『アンナ・カレーニナ』などの小説で有名ですが、晩年は非暴力主義などの思想でも有名だったそうです。日本では、白樺派の方々が影響を受け、日露戦争の頃には「お歳暮にトルストイ」と言われるほど有名な作家だったとか・・・。与謝野晶子を主人公にした映画『華の乱』をご覧になると、この時代のトルストイ人気が少しわかると思います。映画には、白樺派の有島武郎が登場しますが、トルストイの影響を受け領地を領民に分け与えようとする苦悩が描かれています。この時代、今見ると面白い。

さて、『くつやのまるちん』ですが、この絵本を読み、泣きました。私の好きな聖書の言葉「これら小さき者にしたことは私にしたことなのである」を子ども向けのお話にしたものだと思います。貧しく、悲しい過去を背負ったおお爺さんがいます。神様は、明日会いに行くとお爺さんに言いました。でも、いつまで待っても神様は現れません・・・。でも、次々と困った人が現れ・・・。困っている人は自分だと思いなさい・・・そんな教えなんですね。

と、ここでいつも思い出すのは、山谷キリスト教伝道所の皆様です。ここに行くことを決意した牧師様は、路上生活者が夢に登場し「昼間物乞いに行ったのは私だったのである」と言ったと・・・教会の紹介にあったと記憶しています。伝道所のこむぎ様、今もブログを見てくださっていますか?お元気ですか??

欧米では、クリスマスに寄付や募金をすると聞きますが、やはり困っている人を自分だと思いなさいという聖書の教えからだと思います。クリスチャンではありませんが、クリスマスには、私も募金をしています。今年は、原発避難区域に残されたペットレスキューをされている団体に寄付をしました。1月には、東電から賠償金が出るそうです。これも寄付しようと考えています。自分ができないことをしてくださっている方々に心から感謝しています。

最近購入した本です。



残されたペットを救うために20キロ圏内に飛び込むボランティアの方々、レスキューされたペットたちを預かっている方々が全国にいらっしゃいます。本当に有難うございます。

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