新年明けましておめでとうございます
本年もよろしくお願い申し上げます
白河では大晦日の夜から雪が降り出しました。元旦の朝、窓の外は真っ白。ホワイトお正月となりました。昨日今日と晴れていますが、まだ雪が残っています。落ち葉集めと枝切りが途中なのですが。。
この時期、春が待ち遠しくなります。毎日毎日花のことばかり考えてしまいます。いつの日か映画「秘密の花園」のような庭を造りたい。
「小公女」で有名なバーネットの名作「秘密の花園」が原作の映画です。両親を亡くし親類に引き取られた少女のお話。悲しみに満ちたお屋敷には秘密の花園があり、荒れ果てた花園の手入れを始めた子どもたちは自然の中で心を癒していくという感動的なお話です。映画では秘密の花園を再現していますが、これが本当に素晴らしい。
最近「園芸療法」という言葉を雑誌などで見ることが多くなりました。これは米国でベトナム帰還兵の心のケアに使われだしたのが始まりだそうです。手嶋龍一氏の著書の中にもベトナム帰還兵が密林に入り生活をすることで人の感情を取り戻すという実話がありました。雄大な自然の営みの中で生きることは、どんな薬よりも効果があったようです。
「秘密の花園」を観ると、これも園芸療法といえるのではと思えてきます。ウサギや山羊が走り回り、蝶や蜂が飛ぶ庭。小さな種を土にまけば、春には大きな花が咲く。これだけでも自然の不思議です。あの小さな小さな種から2メートルもの植物が育つのです。そして、英国の庭は本当に美しい。一つの芸術です。あんな庭を造りたいと願っています。
花里では小学校前の市有地を花壇にして市民に公開しています。ここでは残念ながら安い花しか植えることができません。昨年はチューリップの球根を掘り出され盗まれました。百合や何や、きれいな花を植えると折られる、盗まれる。本当はいろんな花を植えて子どもたちや通行する人に見てほしいのですが、残念です。
私たちは園芸は一つの福祉であり芸術であると考えています。ボランティアにもいろいろあり、笑顔になれないような現実もあります。また、現在の日本では、高齢者や学生や専業主婦の方々に依存するしかないという限界もあります。私たちに何ができるのかと考えると、かなり小さなことしかできない現実を直視することになります(苦)。 その中でも、園芸に重きを置くのは、誰もが軽視することでありながら、とても重要なことだと感じるからです。例えば雑草。迷惑だと思われる存在ですが、神様は無駄なものや迷惑なものはお創りにならなかった。雑草は1週間で成長しますが、これが何カ月もかかって成長しては草食動物など困るものもいるわけですよね。また、土の中や雑草の中には、目に見えないたくさんの生物が住んでいるそうです。皆、何かをして生きています。私たちには見えなくても必要があって生きています。この世に無駄な命はないと感じます。これをぜひ子どもたちに教えていただきたいと思います。除草剤を散布することは、雑草が迷惑だと考えるからでしょう。迷惑な存在を消去するというのは、ある種人間の傲慢さだとも言えるのではないでしょうか。「共存」「共生」というのは簡単なようで難しい。相手の立場で考えると・・・「沈黙の春」でレイチェル・カーソンは、虫にとって農薬散布は核のようなものだと書いていますよね。迷惑な存在を皆殺しにするのではなく、共生していきたいと願います。路上生活者の方々が、野良犬や野良猫を飼っていることがあります。路上生活者を襲撃する若者は「野良犬や野良猫のように迷惑な存在」だなんてことを言います。好きで野良になったんじゃない。人間に捨てられたんです。人も同じ。社会制度の不備が原因とも言えるのではないでしょうか。簡単に弱い命をイジメて排除するのではなく、小さな命に対する思いやりの心を、小さな時から教えてほしいと願います。
本年もよろしくお願い申し上げます
白河では大晦日の夜から雪が降り出しました。元旦の朝、窓の外は真っ白。ホワイトお正月となりました。昨日今日と晴れていますが、まだ雪が残っています。落ち葉集めと枝切りが途中なのですが。。
この時期、春が待ち遠しくなります。毎日毎日花のことばかり考えてしまいます。いつの日か映画「秘密の花園」のような庭を造りたい。
「小公女」で有名なバーネットの名作「秘密の花園」が原作の映画です。両親を亡くし親類に引き取られた少女のお話。悲しみに満ちたお屋敷には秘密の花園があり、荒れ果てた花園の手入れを始めた子どもたちは自然の中で心を癒していくという感動的なお話です。映画では秘密の花園を再現していますが、これが本当に素晴らしい。
最近「園芸療法」という言葉を雑誌などで見ることが多くなりました。これは米国でベトナム帰還兵の心のケアに使われだしたのが始まりだそうです。手嶋龍一氏の著書の中にもベトナム帰還兵が密林に入り生活をすることで人の感情を取り戻すという実話がありました。雄大な自然の営みの中で生きることは、どんな薬よりも効果があったようです。
「秘密の花園」を観ると、これも園芸療法といえるのではと思えてきます。ウサギや山羊が走り回り、蝶や蜂が飛ぶ庭。小さな種を土にまけば、春には大きな花が咲く。これだけでも自然の不思議です。あの小さな小さな種から2メートルもの植物が育つのです。そして、英国の庭は本当に美しい。一つの芸術です。あんな庭を造りたいと願っています。
花里では小学校前の市有地を花壇にして市民に公開しています。ここでは残念ながら安い花しか植えることができません。昨年はチューリップの球根を掘り出され盗まれました。百合や何や、きれいな花を植えると折られる、盗まれる。本当はいろんな花を植えて子どもたちや通行する人に見てほしいのですが、残念です。
私たちは園芸は一つの福祉であり芸術であると考えています。ボランティアにもいろいろあり、笑顔になれないような現実もあります。また、現在の日本では、高齢者や学生や専業主婦の方々に依存するしかないという限界もあります。私たちに何ができるのかと考えると、かなり小さなことしかできない現実を直視することになります(苦)。 その中でも、園芸に重きを置くのは、誰もが軽視することでありながら、とても重要なことだと感じるからです。例えば雑草。迷惑だと思われる存在ですが、神様は無駄なものや迷惑なものはお創りにならなかった。雑草は1週間で成長しますが、これが何カ月もかかって成長しては草食動物など困るものもいるわけですよね。また、土の中や雑草の中には、目に見えないたくさんの生物が住んでいるそうです。皆、何かをして生きています。私たちには見えなくても必要があって生きています。この世に無駄な命はないと感じます。これをぜひ子どもたちに教えていただきたいと思います。除草剤を散布することは、雑草が迷惑だと考えるからでしょう。迷惑な存在を消去するというのは、ある種人間の傲慢さだとも言えるのではないでしょうか。「共存」「共生」というのは簡単なようで難しい。相手の立場で考えると・・・「沈黙の春」でレイチェル・カーソンは、虫にとって農薬散布は核のようなものだと書いていますよね。迷惑な存在を皆殺しにするのではなく、共生していきたいと願います。路上生活者の方々が、野良犬や野良猫を飼っていることがあります。路上生活者を襲撃する若者は「野良犬や野良猫のように迷惑な存在」だなんてことを言います。好きで野良になったんじゃない。人間に捨てられたんです。人も同じ。社会制度の不備が原因とも言えるのではないでしょうか。簡単に弱い命をイジメて排除するのではなく、小さな命に対する思いやりの心を、小さな時から教えてほしいと願います。