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あまりにも大きな悲劇が・・起きていた

2014-11-24 05:20:18 | 日記
 題:あまりにも大きな悲劇が・・起きていた
...(悲惨な戦争を無くせないのでしょうか)
.
 1945年8月15日、第二次世界大戦(大東亜戦争)が終わ
った時・・、
 世界が、日本に対して「奇蹟」と思うぐらい感じた事が
あった。
 それは、「一部の日本軍民に至るまで、激情的な反撃が、
本土は元より・・全戦線に渡って、全然、見られなかった」
ことであった。
 これは、日本人の素晴らしい資質であるのだが・・、
 そこに、大きく作用したのが・・、
 天皇陛下の戦争終結に関する詔書(しょうしょ)であっ
た。
 全国民が、天皇陛下の詔書を拝した時、大詔を拝した時
・・、
 すべての国民が・・、
 謹(つつし)まざる国民は一人としていない気持ちにな
った。
 詔書にある「耐えらざるを耐える」ところへ、心をおさ
めたのだった。
 しかし、一方、この終戦の詔書が発せられた後において
も、大いなる悲劇が起きていた。
 事の発端は・・
 1943年10月に、アメリカのルーズベルト大統領が、ソ
連への対日戦に参戦するように要請していたことにあった。
 その話は、卑劣な事に、ソ連が喜ぶ、そして、得する餌
(えさ)の話が付けられていた。
 その話とは・・ソ連が参戦すると得るだろう「千島列島
や樺太」を、ソ連の領土にする事をアメリカは認めると話
しかけていた。
 ソ連はその話に乗った。ここに新たな悲劇が始まった。
 ソ連は、即、敗戦濃厚となっているドイツを破った後に
参戦すると回答した。
 そして、事実、その通りにした。
 この時のはるか以前に、日本とソ連は、 1941年4月13
日に、「日ソ中立条約」を締結していた。
 この条約によって、ソ連は、極東に配備していた部隊を
西部へ移送し、モスクワ防衛線の投入していたぐらいだっ
た。
 そして、この条約は5年間、1946年まで有効という事ま
で決めていた、約束していた。そして、その時に、さらに
延長するかどうかを決めようともなっていた。
 その様な事を知っているのに、アメリカ大統領のルーズ
ベルトは、自分さえよければ良いの勝手な思惑で、ソ連に
誘いの話をしていた。
 この事による悲劇は・・、 1945年8月8日にやって来た。
 この日に、ソ連は対日参戦した。
 長崎に原爆が投下される前日だった。
 日ソ中立条約の一方的破棄の参戦だった。
 アメリカのルーズベルト大統領の誘い水通りとなった。
 この日に、宣戦布告がなされ、翌日の1945年8月9日に、
ソ連軍は満州になだれ込んだ。
 戦場は、満州以外にも、北朝鮮・南樺太・千島列島にお
いても戦闘状態となった。
 1945年5月のドイツ降伏後、ソ連はシベリア鉄道をフル
稼働させて、満州国境に巨大な軍事力を集結させていた。
 突入してきたソ連軍に、満州開拓団として行った日本の
家族の方々は逃げまどった。
 特に国境付近の居留民の多くの方々は、この進攻したソ
連軍に逃げまどった。
 さらなる悲劇として、このソ連軍の暴挙に乗っかって、
匪賊(徒党を組んで略奪・殺人などを行う盗賊)となった
者たちの餌食となった。
 当時、満州の首都の新京だけでも14万人の日本人市民の
方々が居た。
 地獄となった人々・日本人家族たち、そして、1945年8
月11日に、この日に新京から逃げる18本の列車が出た(正
午頃までに)。
 逃げられた日本人家族は、3万8000人だった。
 逃げた3万8000人のうち、53%の20310人という半分
以上が軍人関係家族だった。
 そして、44%の16700人が満鉄関係の家族だった。
 ほとんどが、この両方で97%で、脱出のための仕立てら
れた列車は、軍と満鉄の家族のためだった。
 残りは大使館関係者750人(2.0%)、そして、民間人家
族は240人(0.6%)であった。
 ほとんどの一般日本人市民・開拓団民の方々は、満州に
置き去りにされた。
 満州に残された一般の日本人の方々に悲劇が始まる。
 ソ連軍突入で、即、多くの方々が亡くなったが・・、
 歴史として語り継がねばならない事件の一つは・・、
 1945年8月12日の満州の麻山付近で、約400名の日本の
方々が、追い詰められ悲惨なうちに集団自決(自殺)した
事件である。
 この様な事は、この地の各地で起きた。
 興安街付近では、東京荏原開拓団で行った方々が中国・
暴民に襲撃されて、約400名の日本の方々が虐殺された。
 また、仁義仏立開拓団の日本の方々が、ソ連の機甲部隊
の一斉射撃を受け、600名以上が虐殺されたなどなど・・
など、筆舌につくせぬ事ごとが起きている・・、
 1945年8月14日には、葛根廟(かっこんびょう)事件
が起きている。
 満州の葛根廟鎮において、日本人の避難民の方々の約千
数百人の方々が、この人たちは、9割以上が婦女子で、こ
の人たちが、ソ連軍や中国人に襲撃され、1000人以上の
ほとんどの方々が・・虐殺されている。
 別な場所でも、白旗を上げているのに関わらず・・、ソ
連の戦車の機関銃が火を噴き、この銃撃で、多くの方々が
亡くなっている。
 また、避難する方々を焼き殺したり、機関銃を撃ちなが
ら、掃射をしながら・・引き殺したり・・、
 ソ連軍の戦車のキャタピラに巻き込まれて・・引き殺さ
れた日本人の方々が・・宙に舞ったりしたという悲惨な光
景が伝えられている。
 そのあと、ソ連軍戦車は、丘の頂(いただき)に戻り、
また避難民の方々を、めがけて突入しながら・・機銃掃射
や攻撃するということを繰り返した。
 完全に軍人ではない『非戦闘員の方々』への殺戮行為で、
国際法で許されている行為でない『違反行為をするソ連軍』。
 また、トラックで来たソ連兵が、民間人の、避難民の生
存者を見つけ次第・・次々と、銃剣で刺したり・・、射殺
したりした。
 2時間ぐらいの間に、女性や子供を主体とした1000人以
上の方々が殺害されてしまった。
 男性は、兵士に駆り出されたりしていたので、南方方面
へ転戦したりしていたので、ほとんどが女性や子供たちと
いう多い状態だった。
 そのあまりにもの悲惨さに、自ら命を絶つ、自決・自殺
する日本人の方々も、多い状態だった。
 頼みの日本の軍隊は、既に、南転と言って、南方諸島の
激戦地に行って居なかった、日ソ中立条約もあったし・・、
 僅かに残った日本軍も奮戦したが、全滅したりしていた。
 そして、その避難民の方々、僅かに残った生存者にも、
襲撃が執拗に続いた。
 中国人も暴徒化して、身に付けている下着まで奪って行
った。
 乳房を鎌で切り落とされる女性、川に逃げで溺死する方、
 幼い子供達への襲撃、国民学校の児童たちの死・・、
 悲惨な・・地獄であった。
 子供を連れた母子に、子供を奪い、母は棒で殴りつけら
れたりした。
 親が殺された子供たちは、生き残った大人たちのところ
に集まっていたが、暴民たちは、その子供たちに襲いかか
り、奪って行った。
 その子供たちは、売られたりするのが一般的だった。
 悲しいことに、8月15日の終戦を過ぎても襲撃は続いた。
 ソ連兵などに見つかり暴行を受ける女性たちも多かった。
 また、ソ連兵は、火を付けて回った。
 隠れていた家に、火を付けた枯れ草を投げ入れられて、
焼け死んだ人たちなども多かった。
 また、中国残留孤児や中国残留婦人となった方々も多く
居た。
 これは、明らかにソ連は軍人であり、軍隊である。
 一般民間人に対する殺戮行為で、戦争犯罪である。
 無差別な大量虐殺のジェノサイドである。
 ナチスのユダヤの方々に対する行為を、ドイツの方々の、
ジェノサイド行為であるとの反省行動と同様な行為を、ソ
連は、なすべきである
 また、間接原因者であるアメリカも、反省を表明すべき
である。
 アメリカが、原因者の一端に居る事は免れ得ない。
 満州人や朝鮮人には襲撃はなかった。
 日本人を狙っての行為だった。
 ソ連兵の卑劣な行為は多かった、女性方は暴行された。
 ソ連兵は、物を持ち出す様に、日本人女性方を車に乗せ
て連れ去った。
 その様な女性が、ボロボロになって帰ってくる場合もあ
った・・が、若い女性が牡丹江に流されて行く姿もあった、
行方不明となってしまった。
 ソ連参戦で、色々な事があるが、抜粋的に記しているの
だが・・、
 次の記述も、戦争が終わっているというのに、起こされ
たことである。
 戦争が終わっているのに起こされているので、ソ連の不
法行為であるが・・、
 1945年8月22日に、日本が無条件降伏をしているのに、
ソ連は日本を攻めた。
 何と!戦争も終わり、引き揚げる方々へ、日本の引揚者
を乗せた船が、ソ連軍の潜水艦の攻撃によって沈没させら
れた。
 それも2隻もある、小笠原丸と泰東丸である。
 1708名の尊い命が、日本へ向かって帰国の途にあった
日本人の方々が亡くなった。
 樺太からの婦女子を主体とする引揚者の方々だった。
 この2船の外にも、白旗を掲げたにもかかわらずソ連潜
水艦が攻撃し、沈没させられた船がある。667名の方々が
亡くなった。
 そして、満州では、まだまだ悲劇が続いていた。
 1945年8月27日には、ソ連軍に連日に渡り強姦をされ続
けていた日本人女性の方々が・・可哀想な事に、集団自決
をするという事が起きた。場所は、満州国吉林省だった。
 敦化(とんか)事件という。悲惨な強姦の多い状況は、
筆舌につくせない。
 また、ソ連兵は、日本人を使役し、線路などもはがさせ
たりした。そして、その線路は、持ち去るという様な事ま
でした。
 1945年8月27日には、ソ連軍に遭遇した日本人の開拓団
の一般の方々が、ソ連軍から攻撃を受けた。950名の方々
が亡くなられた。
 そして、まだ悲劇は続いた。その為、行く末に希望を無
くした方々の514名が後に続くと、集団自決した。
 この他にもこの様な事例は多数。終戦後に、ソ連は酷い
ことを不法に続けている。
 1945年9月2日に、東京湾内に停泊するアメリカ戦艦ミ
ズーリ号の甲板で、日本政府全権の重光葵と大本営(日本
軍)全権の梅津美治郎及び連合各国代表が、降伏文書(休
戦協定)に調印しているが、
 この様な状況であるのに、不法にもソ連は、まだまだ、
日本を攻撃を続けていた。
 ソ連が、勝手に続けていた不法行為を止めたのは1945年
9月5日だった。
 この日に、ソ連軍が、やっと、日本への攻撃・戦闘行動
を止めた。
 ソ連は、ポツダム宣言受諾も無視し、また、日本の降伏
文書調印をも無視し、そして、戦闘行動を続けていた。
 ソ連が支配下に置いた地域は、国後(くなしり)・択捉
(えとろふ)・歯舞(はぼまい)・色丹(しこたん)の北
方4島、および、北千島・南樺太・朝鮮半島・満州だった。
 ルーズベルトアメリカ大統領のソ連参戦の誘い水通りの
行動だった。
 アメリカ大統領のルーズベルトの、『千島列島や樺太の
領土をソ連が得ることを容認するから」と・・、
 ソ連の対日参戦を餌を付けて促(うなが)していた悪辣
行為が・・、
 日本人の無実の・・一般の方々の、あまりにも大きな悲
劇もも起こされいた。
 これでも・・以上は抜粋です。
..
 (詳しくは、以下のブログへ)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009

自滅するアメリカ帝国 崩壊のシナリオ(伊藤貫氏)、ザ・リアルインサイト3月号

2014-11-23 04:09:05 | 日記
 題:自滅するアメリカ帝国 崩壊のシナリオ(伊藤貫氏)、ザ・リアルインサイト3月号
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 標題のYou Tubeがあった。
 16分47秒のものだったが、何度も聞き、下記に文におこ
した。
 標題があまりにも過激であったので興味をひいた。
 URLは下記であるので是非ご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=_5uUlM_w0_4
.
You Tubeの題:自滅するアメリカ帝国 崩壊のシナリオ(
伊藤貫氏)、ザ・リアルインサイト3月号(16分47秒)
 収録実施日は、2014・3・12
.
伊藤貫氏:(いとうかん、1953年~)日本の評論家、国際
 政治・米国金融アナリスト、政治思想家。東京都出身。
 東京大学経済学部卒業。コーネル大学で米国政治史・国
 際関係論を学んだ。その後、ワシントンD.C.のビジネス・
 コンサルティング会社で国際政治・米国金融アナリスト
 として勤務。アメリカワシントンD.C.在住。国際政治学
 に通じており、19世紀ヨーロッパにおける、勢力均衡を
 目指す古典的な外交術を現代によみがえらせようと努め
 ている。
内容:
司会:ちょっとお伺いしながら何点かお聞きしたい事が出て
 きたんですが、アメリカで先程おっしゃったCIA(中央情
 報局)とかペンタゴン対して影響力のある学者は、バラ
 ンス・オブ・パワー(勢力均衡)をしてきなさいと言っ
 て来た一方で、ジョセフ・ナイだったり影響力がないに
 もかかわらず、実体としてオバマの前までは、アメリカ
 の一極覇権ということを続けようとしてきたわけですよ、
 それは何でなんでしょうか?
伊藤氏・それはね、露骨に言っちゃいますと、17・18・19
世紀にバランス・オブ・パワー外交が出来たのは・・本当
のことを言っちゃいますね、民主主義でなかったのですよ、
 ほとんどの国は、もう一つのことは、当時は、王様とか
貴族とか外交官とか、それから上級の軍人とかが、30人か
40人が集まって、議論して結論が出ればそれですんだわけ、
 ヨーロッパは、それはどうでもいいと、要するに、言っ
ちゃいけないことなんですけれど、17・18・19世紀の本当
のグランド・ストラテジーの決定というのはね、国民は参
加していないのよ、
 民主的な政治家も参加してないわけで、
 だから、何処の国と戦争すべきだとか、どのくらいの軍
事力を持つべきだというのは、先程、言いました様に30人
か40人の、王様と、貴族と、外交官の大物と、軍部の主導
者の、30人か50人くらいが集まってしゃべって、それで決
まったわけ、  
 ところが、面倒な事にと言うか、やっかいなことに、
 20世紀になってから、良いか悪いかは別として、
 マスコミと民主主義、マスコミと民主的な政治家にとっ
て、いちばん簡単なのは、我が国こそ正義である、我が国
こそ理想的な国際秩序を作るのである・・と、
 それに比べて、我が国に対立するあいつらは悪い奴らだ
と、
 要するに、何時も自分たちが正しくて、自分たちの外交
政策と、国際政治の理念が正しくて、自分たちに対抗して
くる国は、道徳的に劣っていると、
 先程、言いました様に、これってアンチ・ウエストファ
リアな訳なんですよ。
 ウエストファリアの精神と言うのは、バランス・オブ・
パワーを維持しましょうと、
 そして、他の国の国内政治に干渉するのはやめましょう
と、
 他の国の過酷な政治に悪口言ったってしょうがないとい
うのが、ウエストファリアの精神です、
 ところが、20世紀になって、要するに、マスコミは、他
の国の悪口は言うし、政治家だって当選したかったら皆、
ほかの国の悪口を言う訳です、
 それに比べて、我々はこんなに立派な国なんだと、
 そうすると、国民が外交政策の決定に参加するとか、ジ
ャーナリストがワーワー世論を作って外交と軍事政策が左
右されると、そんなにいいことではないのです、
 でね、その最先端を走っているのがアメリカです、
 で、ぼくはアメリカのマスコミ人と付き合ったことがあ
るんですけど、全然勉強してないわけ、 
 でね、アメリカの新聞記者にしたって、放送記者にした
って、日本のマスコミ人と同じで、皆、偉そうなことを言
うのよ、
 そんなら国際政治学とか、マクロ経済学とか、核政策理論
とか、勉強したことあるのか・・と、
 全然してないわけよ、それって日本のマスコミ人とそっ
くりね。
 で、そういう連中がワーワー騒いでね、これがアメリカ
の正義だとか、アメリカが理想的な国を作るんだとかね、
 それからフランシス・フクヤマとか、ジョセフ・ナイが、
あれだけ人気があるのは、マスコミ人にとって嬉しいわけよ、
 アメリカの民主主義と、アメリカの自由主義と、アメリ
カの資本主義が、世界中を包み込んで、今やアメリカの時
代が来たと、
 アメリカは、単にハードパワーを持っているだけではな
く、ソフトパワーを持っているから、
 世界中の人が皆、うれしがってアメリカの真似をしよう
としていると、
 ジョセフ・ナイって、そうでしょう、
 アメリカは、ソフト・パワーを持っているから、世界中
がアメリカの真似をするのだと、
 これって、アメリカのマスコミ人にとって、とっても都
合がいいわけ、
 しかも、アメリカのマスコミ人って、ほとんど馬鹿ばっ
かりだから、そういうことを言われるとうれしいわけよ、
 ジョセフ・ナイが、こう言っていると書き散らすわけよ、
 そうするとそこで、要するに先程言いました様に、スコ
ークロスとか、ウォルツとか、ミヤシャイマーとか、ハー
バードのウォルツとか、ハンティントンとか、
 ああゆう非常にもう、深い学問があって、それで実直で、
地に足の着いた、きちんとした、要するに、成熟したバラ
ンス感覚のある議論をする戦略家と言うのは皆、ブラッシ
ャーサイド、横に弾(はじ)き飛ばされて、
 マドレーヌ・オブラバイトとかね、ジョセフ・ナイとか、
フランシス・フクヤマとか、もうマスコミ受けする議論を
する人が、影響力を持つようになると、
 そうすると、政治家はどうするかと言うと、皆、合わせ
るわけ、
 だって、次の選挙に落選したら困るから、マスコミがち
やほやしている連中に合わせて自分も言うわけ、
 しかも、もっとはっきり言っちゃいますと、
 日本の国会議員にしても、アメリカの連邦議会の議員に
しても、そんなに勉強している人でないですから、皆、所
詮、新聞と雑誌読んでね、こういうことを言えば、みんな
が納得してくれるらしいと、そう思って、政治家商売やっ
ているだけで、本当に勉強してからやっているわけではない、
 そうすると、ジョセフ・ナイとか、コンドリーザ・ライ
スとか、スーザン・ライスにしても、フランシス・フクヤ
マにしても、もうマスコミに受ける人が、イニシアティブ
を握ってしまうのです。
 だけど、それって言うのは、アメリカにとって不幸なこ
とだし、国際政治にとっても不幸なことだし、
 話を元に戻しますと、2003年のイラク戦争ね、
 あれ、国際法違反の侵略戦争だったんですけれども、
 あれって、御存じのように、やったのはネオコンサバテ
ィズムと、
 ネオコンと言うのは元々、古い話なのですけれど、1940
年までは、トロツキストだったわけです。
 これ人種偏見は、まったく別として、本当のことを言い
ますけれども、
 ネオコンの主要なメンバーと言うのは、ほとんどがユダ
ヤ人なのです。
 これは、みんなが知ってて、だけど、これを言うと、ユ
ダヤ人差別だと嫌われるから、僕もなるべく言わない様に
しているのですが、
 1940年までのネオコンの連中と言うのは、ユダヤ系の知
識人で、皆、マルキシストだったわけ、
 それで、トロツキー主義を支援していた、
 彼らのおじいさんとか、お父さんとかという世代と言う
のは、皆、ロシアから逃げてきたユダヤ人なのよ。
 そうすると、ロシアから逃げて来たユダヤ人だから、ロ
シアに恨みがあるのよ。
 帝政ロシアに、ロマノフ王朝時代の、
 すると、それをぶっ壊したロシアの共産主義というのは
うれしいわけ。
 だから、アメリカに移民してきたロシア系のユダヤ人と
言うのは、皆、レーニンとトロツキーに拍手したわけ、
 この連中は、1940年代ぐらいに、ネオコンサバティブの
元になるトロツキストを作ったわけね。
 このトロツキストグループが、1960年になると、トロツ
キーとマルクス主義から、ちょこっとセンターの中央の方
に来て、ケネディを、ジョン・F・ケネディを、今のキャロ
ライン・ケネディのお父さんを支持する民主党のリベラス
派になったわけよ。
 だから、20年後には、元の共産主義の連中、マルクス主
義の連中は、民主党の左派になっているわけね。
 いちばん有名なのが、アーヴィング・クリストルという
奴なんですけれども、
 今、活躍しているネオコンの有名な言論人のお父さんな
んですね。
 アーヴィング・クリストルと言うのは、ケネディを支持
する民主党のリベラル派になったわけ。
 なんとその20年後の1980年には、レーガンを支持する共
和党の右派になっていたわけ。
 本当の話(笑い)、20年ごとにホイホイ変わるわけ。
 それで、この連中は、対ソ強硬策、
 1940年にしても、1980年にしても、一貫しているのは、
これらユダヤ人にはソ連に対する恨みが残っている。
 言っちゃーいけないんだけど、本当の事だから言います
けれどもね、
 僕はユダヤ人に対して偏見を持てとかと言っているので
はなくて、ファクト・イズ・ファクト、事実を言っている
だけなのだから、
 で、この連中は、ジミー・カーターは弱腰だと、
 それに比べてロナルド・レーガンは、ソ連に対して立ち
向かおうとしていると、
 そういうんで、1940年代には、トロツキーの集団だった
連中が、1980年になったら、レーガンを支持する共和党の
右翼になっていたと。
 その右翼の連中は、ブッシュの息子の世代になると、い
わゆるネオコンサバティブに、ネオコンね、
 この連中が何を言ったかと言うと、要するに、アメリカ
を使ってイラクを占領させると、
 イラクに巨大なアメリカの軍事基地を作ると、
 それで、アメリカが、要するに、イラクをドミネイト・
属国にして、巨大な軍事基地を作ることによって、シリア
とレバノンとイランに睨(にら)みを利(き)かせると、
 そうすると、アメリカが、イラクを占領して、アメリカ
の属国にすると、一番喜ぶ国はどこでしょうと・・、
 イスラエルでしょう。
 とにかく、アメリカが、中東を軍事的に抑圧して、圧倒
的に支配すると、一番得する国はイスラエルでしょう。
 だから、あの連中は2003年にね、そういうことを言い出
したわけ、
 だけど、ネオコンの連中は、さすがに、そういう本音は
言えないから、
 今こそ民主主義と自由主義と自由経済システムを、中東
に広げるチャンスだと、
 今、アメリカが動かないと中東は絶対に良くならないと、
 ウイルソニア的な、綺麗事を言ってイラクを占領したわ
けね、
 だけど本音は、要するに、はっきり言っちゃいますけれ
ども、
 イスラエルにとって得な訳ですよ、それやると、
 で、だから、先程言いました様に、ケナンなり、ウオル
ツなり、ハンティントンなり、スコークロストね、それか
らブレジンスキーね、こういう有名な、しかも、立派なま
ともなリアリストは、全員、2003年のイラク戦争に反対し
ていますよ。
 だから、あのー、ちょっと日本の方が誤解されているの
は、リアリスト派は、バランス・オブ・パワーを支持して
いるからタカ派だとかね、保守派だとか、
 だから、ネオコンだってタカ派と保守派だと思っている
でしょう。
 でも、日本の多くの人はね、リアリストとネオコンは仲
がいいと思っている、
 いやいや、もの凄く仲が悪いわけ、
 僕は、ワシントンに住んでいるからよく見えるんですけ
れども、
 東京から見ていると、両方とも保守派でしょうと、
 (何が何だかわからないの司会者の言葉)、
 そうそう、本当に仲が悪いですよ、リアリスト派とネオ
コンって、
 (司会者の声)
 (イラク戦争に進めてきたのは)ユダヤだけでないし、
 もう一度言いますけれども、そういう、子供みたいな理
想論を持ち出して、それを世界に押し付けようとするのは、
これはアメリカ人の癖なんですよね、
 だから、全部がユダヤのせいかと言うと違います。僕は
そうは言っていないわけ、
 一番いい例がね、1989年と1900年に、ジョン・ヘイと
いうね、国務長官が、中国に対して、オープンドアポリシ
イと、門戸開放宣言と言うのをやったわけですよ、
 何かと言うと、ジョン・ヘイの三条件といって、要する
に、日本も、ロシアも、ヨーロッパ諸国も、ジョン・ヘイ
のオープンドアポリシイの三条件を守れと、
 その三条件とは何かと言うと、
 中国の領土保全と機会均等、要するに、いろんな国が平
等な条件で商売できるようにしようと、
 そしてもう一つがオープンドアね、
 要するに、フリートレードね、
 要するに、俺達に商売させろと、
 アメリカ人のほとんどは、何と言う立派な政策だと(拍
手した)、
 中国に対してね、
 ヨーロッパと日本とロシアが食い物にしようとしている
のに、われわれアメリカ人は、こんなに理想主義的で、要
するに、中国の領土保全と機会均等、こんなに立派な理想
主義を広めようとしていると、皆、拍手したわけね、
 だけど、すごく滑稽なのは、その前の年ね、
 その門戸開放宣言をやった前の年ね、
 アメリカは、米西戦争をやっているわけ、
 米西戦争をやって、スペインからキューバとフィリピン
をもぎ取ったわけよ、
 米西戦争をやる時、アメリカは、フィリピン人に独立さ
せると約束しておきながら、一旦、フィリピンを取ったら、
独立させるという約束を、あっという間に裏切って、
 (フィリピン人の)独立派を、20万人か、30万人を殺し
ている訳ですよ、
 1898年に、フィリピンを軍事占領して、
 独立を願うフィリピン人を、20万人~30万人殺してね、
 要するに、1899年もね、殺している最中な訳、
 フィリピンを自分たちの植民地にしようと思って、フィ
リピン人をいっぱい殺している最中に、日本人とか、ロシ
ア人とか、ヨーロッパ人とかには、ジョン・ヘイの三原則
とか、領土保全とか言っているわけですよ、
 これって、おかしいでしょう、
 フィリピンでめちゃめちゃな事をやっておきながら、
 アメリカ人って、そういう人たちで、要するに、フィリ
ピンでめちゃくちゃやってても、他の国に対してものすご
く立派な事を、我こそ理想主義者という態度でお説教をす
るわけね、
 僕は、ワシントンに長く住んでいて、いつも思うんだけ
ど、アメリカ人は、そこを矛盾していると思わないわけ、
 都合の悪いことはもう、気がつかないふりをすると、
 で、そういうのを分からないと、2003年にイラクに攻め
込んで行って、我々は、国民を、サダム・フセインの圧政
から解放するためにイラクを占領してやったんだと、そう
いう風に恩着せがましく言っているわけでしょ、
 それは、ヨーロッパ人から、そして、日本人から言うと、
何おまえ、そんな恩着せがましいこと言っているんだと、
 だけど、アメリカ人は本気で思っているし、もっとはっ
きり言っちゃうと・・、(終り)
.
(参考)CIA:中央情報局、対外諜報活動を行なうアメリカ
の情報機関、
(参考)ジョセフ・ナイ:1937年~、アメリカの国際政治
学者、バーバード大学教授、アメリカ民主党政権でしばし
ば政府高官を務める。知日派。
(参考)グランド・ストラテジー:外交の巧拙は,交渉を
指導し,これに従事する者のかけひきの術に依存するのみ
ならず,彼らの,彼我の相対的力量を冷静に測定し,交渉
をめぐる国際・国内環境を現実的に把握し,大局を見すえ
て緻密に駒を進める能力に依存する。 〈グランド・スト
ラテジーgrand‐strategy〉をもって,外交を進めることも
成功の要諦であろう。最近においては,アメリカのキッシ
ンジャー外交を,〈グランド・ストラテジー〉にもとづき,
見事な成功をおさめた例としてあげることができる。…
(参考)ソフト・パワー:軍事力や経済力などの強制的な
ハード・パワーと対置する概念であり魅力によって望む結
果を得る能力である。ソフト・パワーは国の文化、政治的
理想政策の魅力によって生まれる。
(関連)ウェストファリア:ラテン語読みでウェストファ
リア条約とも呼ばれる。近代における国際法発展の端緒と
なり、近代国際法の元祖ともいうべき条約である。
(参考)コンドリーザ・ライス(1954~):ブッシュ(息
子)政権で大統領補佐官、女性として二人目の国務長官を
歴任。現在、スタンフォード大学教授
(参考)スーザン・ライス(1964~):クリントン政権で
国務次官補、オバマ政権で米国国連大使を歴任。現在は、
大統領補佐官。
(参考)ネオコンサバティズム:米国の政治的思想の一つ
でタカ派。その原型は、戦前までは左派であったが戦後リ
ベラル派(中道左派)を経て保守へ転向したため「ネオ」
を新保守とし旧来保守と区別している。
(参考)トロツキー主義:ロシアの革命家トロツキー(ユ
ダヤ人)の理論。永続革命論の立場からスターリンらの一
国主義に対して、プロレタリア世界革命なしには社会主義
の勝利はあり得ないとするもの。
(参考)アーヴィング・クリストル(1920~2009):米国
の評論家、思想家。ユダヤ系の知識人であり、左派思想か
ら民主党リベラル派を経て共和党保守派へ転向。ネオコン
の創始者と考えられている。
(参考)ジョン・ミルトン・ヘイ(1838~1905):ウィリ
アム・マッキンリー、セオドア・ルーズベルト両政権で国
務長官を務める。1899年中国に対して門戸開放・機会均等・
領土保全の三原則を列強各国に示した。

悲しいかな・・、目的性を、持たされていた・・、

2014-11-18 16:08:20 | 日記
 題:悲しいかな・・、目的性を、持たされていた・・、
...(悲惨な戦争を無くせないのでしょうか)
.
 日本が、満州国を作り・・、
 『五族協和』の国民国家という形をとった。
 満州国を・・日本が作ったと言ったって・・、
 そこに住む人たちを押しのけて、作ったというわけでは
ない。
 たまに・・遊牧民が通る様な・・、
 未開の地であった。
 欧米列強の様な、多くの人たちが住み・・生活し、
 文化をはぐくんでいる様な地に・・乗り込み・・
 収奪するようなシステムを・・武力で作ったのとは違う。
 日本は、作ったが、また、その土地に関係するだろう『
五つの部族の協和』という理念を立てた。
 そこに関係している・・漢民族・モンゴル人・白系ロシ
ア人(1917年の十月革命後、ソビエト政権に反対して国外
に亡命したロシア人)・朝鮮人の人たちだった。
 そして、その方たちに対して、当時の欧米列強の様に、
絶えず武力攻撃を行なうという様な事は・・、まったく
なかった、しなかった。
 しかし、欧米列強の行ったことは・・、
 例えば、南ベトナム。
 その国は、悲しいことに、武力によって形を保っていた。
 百数十万の軍隊を養(やしな)うという・・、
 まったく歪(いびつ)な・・超重量級の国家だった。
 アメリカが、巨億の金を投じ・・、
 膨大な兵器で・・守ることによって・・作られていた。
 豊かな田園の広がる・・国家だった。
 餌(えさ)を付けなくても・・魚が釣れた。
 しかし、国家を保つためには必要だと・・、
 村々は焼かれた。
 田んぼや・・田畑も焼かれた・・、
 森林には・・枯葉剤が撒(ま)かれた・・、
 これによって、可哀想に、奇形の子供たちが生まれた。
 敵が潜(ひそ)むところを無くすのだと・・。
 仕方なく・・、村人は・・サイゴンに・・流入した。
 その村人には・・、
 この国家を・・死を賭してまでもして・・守りたい・・
という気持ちは・・当然のごとく・・無かった。
 アメリカは・・金の力で・・形を・・維持した。
 金の力で・・、また・・、その方たちと同じ民族を・・
近代兵器で・・殺戮した。
 その国家・・南ベトナム政府は・・
 南ベトナム国家は・・、
 国家の機能として・・
 アメリカから・・
 その同じ民族を・・
 武力によって・・絶えず・・武力で攻撃して・・
 殺戮するという・・その行為を・・
 行なうという目的性を・・持たされていた。
..
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1942年8月25日に・・、

2014-11-18 03:52:07 | 日記
 題:1942年8月25日に・・、
...(悲惨な戦争をなくせないのでしょうか)
. 
1942年8月25日、日本軍増援部隊は、ガダルカナル島から
 の航空攻撃で、駆逐艦「睦月」、輸送船「金陵丸」が撃
 沈され、ガダルカナル島行きを断念した。
 日本軍の輸送作戦は失敗し、海戦は、アメリカ軍の戦略
 的勝利で終わった。
 南雲機動部隊の戦力では、米軍機動部隊で補強された戦
 線を破ることはできなかった。
.
1942年8月31日、珊瑚海の哨戒を行っていた空母「サラト
 ガ」は、日本軍の潜水艦「伊26」の雷撃を受け損傷し、
 この修理には3ヶ月を要した。
 さらに、9月15日には空母「ワスプ」が、潜水艦「伊19」
 の雷撃により浸水と誘爆を招いて大破した。
 その後、「ワスプ」は、伊19の攻撃による被雷から約6
 時間後に沈没した。
 しかし、アメリカ海軍は、空母戦力を失うが、ガダルカ
 ナル島のヘンダーソン基地航空隊増援によって航空優勢
 を確保した。
 日本軍は、この後、駆逐艦および大発による陸軍部隊機
 動や糧秣輸送(いわゆる「鼠輸送」、「蟻輸送」)を行
 うようになった。
.
1942年12月8日、ニューギニア戦線のゴナのバサブア守備
 隊が玉砕した。
.
1943年1月2日、ニューギニア戦線でブナの陸海軍守備隊が
 玉砕した。すぐ国民に知らされなかった。
.
1943年5月29日、アッツ島の日本軍守備隊が全滅した。
 大本営発表が初めて「玉砕」という言葉を使った。
.
1943年11月、アジアの要人が、東京に集まり大東亜会議
 を開いた。
 米英に対する「道義の戦争」の意味付けが、集まった人
 々に対し話され、アジア各地の「自主独立」が正しいこ
 と、正義である事が話された。
 これは、重要な意義を、後世へ明示し残すという「意味
 ある公式の国際会議」だった。
 大東亜共同宣言が採択された。
 共同宣言には、「人種差別の撤廃」が記され・・、
 植民地支配の中の人種差別に憤りが訴えられており・・、
 また、西欧支配での秩序が作られ、その中で行われる不
 正に対し、糾弾の意思が表明されている。正義の主張と
 なっている。
 戦後、アジア各国が、解放されていくべき時代の・・あ
 るべき動向を示唆していた。正しい理念だった。
 日本には、徳富蘇峰、平野義太郎らの先人の、長い期間
 の、アングロサクソンによる支配と束縛からの解放、東
 洋の民の解放の声がすでにあり、高まっていた。
 また、すでに、日本は、ビルマ、フィリピン、自由イン
 ド仮政府の独立を承認していて、そして、大東亜会議が
 開催された。
 日本とアメリカは、角を突き合わしている。
 覇権をめぐる角の突き合わせでもあった。
 しかし、今・現代でも・・、
 太平洋をめぐって、似た様な、覇権をめぐるエゴとエゴ
 の衝突が・・、
 パワーとパワーの衝突が・・
 起きそうな・・流れの中にある。
..
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宗教を帝国主義の手段として使う見事な手本を見せつけられた・・、

2014-11-16 03:26:34 | 日記
 題:宗教を帝国主義の手段として使う見事な手本を見せつけられた・・、
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 普遍的に当てはまる正義なのだと・・、
 「グローバル化」が叫ばれ、
 また、グローバル化に伴う市場拡大を正義として声高に
主張して来ているが・・、
 一橋大学の名誉教授の寺西重郎氏は言う・・、
 「米英が進める現在のグローバル化・市場拡大の背景に
は、神の栄光を高めるというカルヴァン主義がある。
 日本は、日本の歴史の中で培われた思想を再確認し、こ
れに対処していく道を探るべきではないか」・・と、
 そしてまた、寺西教授は・・、
 カルヴァン主義から、大量生産(大量消費)という「供
給主導型」の産業革命の思想が生まれて行ったと言う。
 教授は、日本の宗教史を徹底的に研究・分析し、日英の
経済比較なども行い・・、
 仏教思想の教えに影響を受け、そして、生まれた生き方
が広まり・・、
 生産が消費の立場の評価者の期待にきめ細かく応(こた)
える「需要主導型」のシステムが日本に生まれ・・、
 それが、近代の日本の経済システムにつながって行った
と言う。
 教授は、そのシステムを、日本は日本の歴史の中で培わ
れた思想を再認識し、米英の進める現在のグローバル化・
市場拡大の経済・思想・流れに対処すべきだと説いている
(参考:読売新聞)。
 そして、その文を読んで思う事は・・、
 第二次世界大戦時の・・、
 「国と国との考え方の違い」についてであった・・、
 第二次世界大戦の根には、根本的原因には、アメリカが
西への進出、「フロンティア・スピリット」という美名の
下で進められた行動、先住民のアメリカ・インディアンの
方々の土地を収奪し、また、その土地の権益を主張する者
のイギリスやフランスや、メキシコとの数々の戦争・・、
 そして、太平洋岸に出れば出たで・・、
 その西の海の島々の占領を次々に行ない・・、
 フィリピンを領有もし・・、
 中国に触手を伸ばし、権益を西へ西へと広げ、模索し、
この地で、日本と接触したという権益拡大の、権益獲得の
ところに根がある。
 そしてまた、それ以外にあるのが・・、
 商取引状の軋轢(あつれき)だった。
 日本を、この点でも、孤立化への行動をした。
 日本製品を、巧妙な関税障壁によって、アメリカやヨー
ロッパ各国の支配地から閉めだした。
 日本が容易に入れないようにした。輸入を規制した。
 しかし、アメリカは、自由貿易体制だと主張した。
 そして、日本が構想していた大東亜共栄圏を、アジア地
域を世界の自由貿易体制から切り離すものだと批難した。
 日本の構想は、逆だった。
 「自分たちの域内に、人とものを自由に流れ込ませよう
としたものだった」。
 ヨーロッパ各国、及び、アメリカの植民地体制への打破
にあった。
 ヘレン・ミアーズ著の「アメリカの鏡・日本」は、次の
ように書く・・、
 「つい5年ほど前に、アメリカとイギリスの軍隊と戦艦
が、自分たち国民の生命と財産を守るためだと言って、中
国を攻撃した時・・、
 米英の国民世論は、中国人を野蛮人と呼んで批難した。
 しかし、日本が、同じ様に中国を攻撃すると、同じ米英
の国民が、今度は、日本人を野蛮人だと批難した。
 民主主義諸国(米英)は、自分たちの利益が脅かされて
いると見れば、中国で頻繁に武力を使った。
 満州事変の日本の武力行為は、こんな酷いものではなか
った。
 アメリカは、自国から遠く離れたところで、ものを売っ
たり、資源を開発する権利を主張している。
 そして、自分たちの権益擁護のために、必要と見れば、
武力まで行使しているのに・・、
 日本が、混迷の未開発隣接地域で同じ事をしようとする
と・・、
 何だかんだと邪魔をして、日本にはその邪魔立て行為が
理解できなかった。
 中国に対する欧米の政策をつくる人たちは、自分たちが
した事を、日本が真似したに過ぎない欧米列強の行動につ
いて、日本をスケープゴートしている。
 欧米列強の私たちは、日本が、西洋文明の理想に反した
事をしたと批難している。
 日本が、西洋の理想を学ばなかったなどとはとても言え
ない。
 欧米列強こそ、国際社会において、自分たちの原則を守
らなかったし、
 自分の国の中でさえ、原則を実践していなかったのだか
ら、
 そういう批難が、何処から出て来るのか、理解に苦しむ。
 日本が、近代までに宗教を外国侵略のダイナミックな先
兵に使った例は、一つも見つけられない。
 むしろ、日本人は、西洋人から宗教(キリスト教)を帝
国主義の手段として使う見事な手本を見せつけられた。
 アメリカの「存亡に関わる利益が脅かされた」と判断し
たら・・、
 アメリカ大統領は、世界の何処であれ、その国あるいは
国々を、攻撃する権利を持つというのだ。
 日本にとっては、その点が肝心なのだ。
 アメリカ大統領は、アメリカの存亡に関わる利益と、そ
の侵犯者を決める権利を持っているというのが、自国の国
益を定義し、それを誰が脅かしているかを決める権利が、
アメリカにあるのなら、日本にも同じ権利があるはずだ」。
.
 (参考)カルバン‐しゅぎ【カルバン主義】 カルバンの
   主張に基づく、キリスト教のプロテスタントの教義。
   聖書を最高の権威と考え、組織的な神学を樹立し、
   厳格な信仰生活を強調。長老派・会衆派・バプテス
   トなどの諸教会に大きな影響を与え、さらに政治...
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