gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

(キリスト教の)神の義によれば、人を誅してもよい・・・について

2011-10-15 01:50:06 | 日記
 題 : (キリスト教の)神の義によれば、人を誅してもよい・・・について

 こんにちは
 キリスト教は「(キリスト教の)神の義によれば、人を誅しても
良い」との教義があります。
 どこにこの教義はあるのでしょうか。
 勉強したいです。
 よろしくお願いいたします。

 ビオラさんへ 
 はじめまして、ご質問を戴きました事に関しまして下記に書かせて
いただきます。

 (キリスト教の聖書の1例)
  ある町を攻撃しようとして、そこに近づくならば、まず、降伏を
勧告しなさい。
 もし、その町がそれを受託し城門を開くならば、その全住民を強制
労働に服させ、あなたに仕えさせねばならない。
 しかし、もしも降伏せず、抗戦するならば、町を包囲しなさい。
 あなたの神、主はその町をあなたの手に渡されるから、あなたは
男子をことごとく剣にかけて撃たねばならない。
 ただし、女、子供、家畜、および町にあるものすべてあなたのぶん
どり品として奪い取ることができる。
 あなたは、あなたの神、主が与えられた敵のぶんどり品を自由に
用いることができる。
 このようになしうるのは、遠くはなれた町々に対してであって、
次に挙げる国々に属する町々に対してではない。
 あなたの神、主が嗣業として与えられる諸国民の民に属する町々の
息のある者は、一人も生かしておいてはならない。
 ヘト人、アモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人は、
あなたの神、主が命じられたように必ず滅ぼし尽くさねばならない。

・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
 ☆自分の利のために他人を殺せと教えるキリスト教の神の教義。
  そして、
 この殺戮の悲惨な時点においても 「奪い取れ、奴隷にせよ」 と
色々と指図するキリスト教の神の教義。
  この類の記述は 聖書の中に 種々多い状況。
  また、
 聖書において下記の示唆もある。
  ラテン語:talio:タリオ:被害者が受けたのと同じ害を加害者
側に加える制裁。 local limit : local一定の空間を占める、
limit限界点 : 現代のキリスト教徒の困惑となる一例。
 モーゼの時代には戦争をして相手を殺し、場合によっては奴隷に
せねばイスラエル人(選民思想の民族)が殺される時代であった。
 この状況から生まれた教義が、「 当時の状況と当地の状況 」 と
全く変わっている現代の「 他の地域や多くの時を経た今 」に
おいてでも 同じ教義・同じ考え方で 存在している。
 TPOというものの見方がありますが、TPO的にも全くアウト。

 ☆与謝野晶子
     嗚呼、弟よ、君を泣く。   君、死に給うこと無かれ。 
     末に生まれし君なれば。  親の情けはまさりしも。
     親は刃を握らせて。     人を殺せと教えしや。
     人を殺して死ねよとて。   二十四までを育てしや。

     堺の街のあきびとの。    旧家を誇る主にて。
     親の名を継ぐ君なれば。  君、死に給うこと無かれ。
     旅順の城は滅ぶとも。    滅びずとても何事ぞ。
     君は知らじな、商人の。   家の掟に無かりけり。

      (後略)

☆『 相手のかたにも正義があるのに 』 との女性の小さな声が
耳に印象的に残った。 そうですね。その通りと思います。私は答
えた。
 神という衣を着せて「正義なのだから」と、「こちらは間違って
いないのです」と。 争いは、どの様な場合もそのようになって居
ります。
 宗教で、その形を是と教義すれば争いの多い状況になるのは必然
です。 このキリスト教の教義は変えなければならないのです。
 これから未来を受け継ぐ若い方たちのために、人類の未来のため
にも。
 NHKは、昨年、義によって争う大河ドラマを日本中に放送し、洗脳
した。 『 正義だ、やってしまえ 』 的ドラマを。 この大切な
ことが分かって戴いているのか? 影響力の強い放送媒体だけに心が
痛む。 実に、この様な事例が多い局です。

☆非が全くないという事でないのに、すべて相手が悪いと相手側へ
すべて問題を転嫁し、なお且つ、良否判断の理性が全く入る事の出来
ない宗教教義に規定する。キリスト教教義「(キリスト教の)神の
義があるのだ、やってしまえ」をつくる。
 紛争の地が展開され、その歴史が連綿と続く。
 民は泣く。 キリスト者はその罪を知っているか? 
 自分の勝手な・独り善がりな「正義」に真っ向から対立するからと、
 そして、独り善がりな・勝手な宗教教義で「邪悪」だと「 決め
つける 」。
          「 そんな宗教 」は否。


「出エジプト記」の記述、および、その他・・・について

2011-10-14 02:53:20 | 日記
 題 : 「出エジプト記」の記述、および、その他・・・について

☆ 「出エジプト記」22・18に
     「魔女を生かしておいてはならない」という
        モーゼの言葉がありますが、
  後の時代に 魔女裁判官たちの 声高い引用によって、
     魔女旋風を煽り立て、
        この聖句を揚げた本が出版されたりして、
           特に有名になり、
           魔女迫害をいよいよ本格化・正当化させた。
  (多くの人たちが犠牲となった。
      特に女性。魔女裁判によって刑を処し、財産没収し、
        それがキリスト教会の多くの収入源となっていた)。
          「魔女狩り」岩波新書 を読んでみて下さい。

☆ P D C A (プラン・ドゥー、チェック、アクション)を習い・
         実行しているキリスト教徒の方達も、
 P:プラン・計画とし、
 D:ドゥー・実行(計画をしての後の実行)、
 C:チェック・点検(これも前の因のあと工程)、
 A:アクション・実行(これも前の因による実行工程)。
 つまり
   すべて 「 因とその結果による行為 」 を行っています。
     これはまさに、仏教が教えている「 因果律そのもの 」。
 キリスト教は、因果律を否定しますが、
   総べて 因果律の中で、
      因果律によって生活している事になっています、
              また、思考も因果律によっている、
 しかし、 キリスト教徒の方達は、 
    因果律が 仏教の教義だとして否定している。
           これでは 正しい思考ができるわけがない。

☆ キリスト教会での説教で、
            以下の様な話がされる。
   『神は三位一体である。
     子なる神イエス・キリストは
       万物に先立って生まれた。父なる神の独り子である。
   したがい、被造物ではなく、
            また、子は父とともに天地を創造した』・・と、
  今・現在、クリスマス12月25日に、BC(西暦紀元前・ビフォア
 クリスト)の4年にイエスは生まれたとされている。
      天地創造はその後だったと言うとは???。
 (その様に言わなければ、教義破綻するので その様に言ったので
    しょうが、
      その教義は、また、
        別の部分の教義を破綻させている。 
          一方を繕えば、他が破綻するという状態)。
  これでは、紀元前のエジプトもギリシアも無くなってしまいます。
 後に
  キリスト教を承認し、ヨーロッパに根付くはじめになる国・ローマ
 帝国も無くなってしまうとは???。

☆この1例の様にキリスト教の教義は
             修復不可能な最終段階に来ています。
 この様な文・教義を生活の根底としている事を
             見直してみて下さい。

☆19世紀以来、学術的なキリスト教神学研究者達は、
  「福音書は、現実世界の歴史で起こった事についての
     信頼できる記述ではない』という決定的な論証を
           行ってきました。
 総べては、
   イエスが死んでからずっと後になって
     書かれたものであり、パウロの手紙よりも後であるが、
       この手紙には、イエスの生涯にあったとされている事実の
            ほとんど何一つとして触れらていない。

☆バートランド・ラッセルの言葉 : 
    知的な意味で 著名な人々の 圧倒的多数は 
      キリスト教を信じてないが、
        大衆に対してそのことを隠している。
          なぜなら、
          彼らは自らの収入が減ることを恐れているからだ。

☆ 誤訳で、イエスは 
      処女から生まれたことになってしまった。
        イザヤ書が、乙女を指すヘブライ語を、
           処女を意味するギリシャ語へ変えたのが原因。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
☆キリスト教は、 「the Lord」という神や
      「gods」という神々が居る。
           多神教なのである。
              (英文聖書にはっきり記載されている)


穏やかな衰退が続く日本経済。古い体質を根本的に解決しないで、日本経済の活性化は達成できない。

2011-10-11 00:21:20 | 日記
 題: 穏やかな衰退が続く日本経済。
      古い体質を根本的に解決しないで、
        日本経済の活性化は達成できない。

☆《その1 穏やかな衰退が・・続く・・日本経済・・・》:

     経済論壇:東京大学・福田慎一教授(抜き書き):

 「百年に一度の危機」と言われたリーマン・ショックから
2年が経た。
 英国のエコノミスト誌(11月20日号)に
 「未知の領域に踏み込む日本」と題した
 日本特集が掲載された。
 海外メディアの日本特集といえば、
 以前は、
 その成功例や潜在的可能性に注目するものが大半だった。
 しかし、
 バブル崩壊から20年、
 海外の日本に対する評価は一変した。

 今回も
 新卒者雇用の厳しい現状や
 企業の階層構造など解決すべき課題は、山積だと述べ、
 少子高齢化が、経済の活性化やデフレ脱却の大きな障害にな
っているとその内容は手厳しかった。
 厳しい評価は、海外の研究者の間でも一般的だ。

 今の日本は、
 没落が始まった19世紀末の英国経済に似ていると、
 当時の英国よりも症状はさらに
 深刻だと・・・。

 日本に対する関心は、
 ますます希薄になっている。
 日本を取り上げる場合でも、
 日本の様にならないためにはどうしたらいいかという議論が
大半だ。
 日本経済の行く末に対する危機感は、
 国内メディアでも強まってきている。
 日本経済の活性化に軸足を移した論調が、
 多くなった印象が強い。

 日本経済が、
 中長期的に抱える問題の深刻さが予想以上で、
 その解決の方が遥かに急務であるという認識が
 広がったからだろう。
               (日経2010・12・19)

☆《その2 穏やかな衰退が続く日本経済・・
       古い体質を根本的に解決しないで・・
         日本経済の活性化は達成できない・・・》:

 ・・働いても貧困に陥っている世帯が多いと、
 ・・努力すれば報われる社会にするために、
 ・・新古典派経済学では、
   市場経済が、完全雇用や効率的配分を実現するとしている
  が、
   大不況がなぜ起きたのかを説明することは難しい。

 ・・金融危機の震源地となった欧米諸国で、
   行き過ぎた市場化やグローバリゼーションに対する軌道
  修正が必須なのは確かだ。
 ・・日本型の経済システムの多くは、
   新しい環境に対応できなくなっている。
   バブル崩壊後の「失われた20年」では、
   従来のシステムの機能不全が顕在化した。
   古い体質を根本的に解決しないで、
   日本経済の活性化は
   達成できないのではないか。

   前出の英エコノミスト誌は、
   日本の穏やかな衰退を食い止めるには、
   生産性の向上や女性・外国人労働者の活用など
   文化的な革命が必要とし、
   そのためには、
   従来のビジネスのあり方も大きく変えなければならないと
  締めくくっている。

   日本経済を真に活性化するには、
   経済システムを根本的に見直し、
   新たなスタートを切らなければならない
   という主張だ。
   日本企業の競争力の強化という観点から
   法人税の減税を打ち出すなど、
   現政権も危機感を全く共有していないわけではない。
   しかし、
   中味を見ると、
   目先の数字合わせが先行し、
   本来は
   中長期的な観点から検討されるべき税制改革などが
   場当たり的に論じられている印象が
   拭いきれない。

   低迷する日本経済を活性化するため、
   来年こそは目先の問題にとらわれず、
   明日を見据えた
   発展的な政策論議が活発になることを望む。
                (日経2010・12・19)
   ・・・・・・問題解決は遅々として進まない。


ブッダの ことば

2011-10-04 01:12:12 | 日記
 題 : ブッダの ことば

   慈 し み

   一切の生きとし生けるものは、

   幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ。

   一切の生きとし生けるものは、幸せであれ。

   何びとも、他人を欺いてはならない。

   たといどこにあっても、

   他人を、軽んじてはならない。

   互いに、他人に苦痛を与えることを、

   望んではならない。

   この慈しみの心づかいを、

   しっかりとたもて。


 ブッダのことばについて

 財団法人東方研究会は、
 中村元初代理事長が、その後半生を傾注し、
 私財を投じて創立し、
 昭和45年11月、文部省(現在の文部科学省)より
 財団法人設立の認可を受けた研究所であります。

 本研究所は、
 「東洋思想に関する研究調査を行い、
 その研究成果の普及を図り、
 もって学術・文化の発展に寄与すること」を
 目的としております。
 本研究所の特色は、
 上記の目的を遂行する所にあるばかりではなく、
 日本の将来を担う若くかつ有能な研究者に
 研究継続の機会と場を与えて育成することを
 重要な使命としているところにもあります。

 研究員各自の出身の大学院で開始した研究を
 本研究所で継続し、
 幸いにして大学や研究所で定職を得て巣立っていった連携研
究員の数は82名にも達しております。
 中村先生が、
 その86年の人生を学問一筋に打ち込み、
 東西の思想の蘊奥をきわめつくして最後に到達されたもの、
 それは「慈しみ」のこころでありました。

 これこそが、先生をして若い研究員のために本研究所を設立
させたものでもありました。
 先生は、
 ご夫人と共に、東京の多磨墓地にある先生のお墓の横に石碑
を建て、それを「ブッダのことば」と題して後世に残されまし
た。
 この文言は、
 仏教聖典 『スッタニパータ』 から先生が意訳され、
 それをご夫人(中村洛子終身名誉理事長)が書かれたもので、
 しかも、1995年の先生の誕生日に発注され、
 1997年のご夫人の誕生日に完成したものであります。
 これは、財団法人東方研究会の研究員に示された指針であると
同時に、
 怨念と我執が渦巻き、テロの恐怖におののく21世紀の人類への
メッセージでもあります。
 なお
 同種の石碑は、
 先生の許可を得て、栃木県足利市山川町の山川長林寺と東京
江戸川区江戸川の二之江妙勝寺に建てられました。
                     2007年5月16日

                       財団法人東方研究会
                        理事長 前田專學