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原爆投下・トルーマン声明

2014-11-12 16:08:45 | 日記
 題:原爆投下・トルーマン声明
...(悲惨な戦争をなくせないのでしょうか)
.
 1945年8月6日に出された「原爆投下・トルーマン声明」
 (抜粋):16時間前、米国航空機1機が日本陸軍の重要
基地である広島に爆弾1発を投下した。その爆弾は、TNT
火薬2万トン以上の威力をもつものであった。それは、戦争
史上これまでに使用された爆弾の中でもっとも大型である。
 ・・日本は、パールハーバーにおいて空から戦争を開始
した。彼らは、何倍もの報復をこうむった。
 ・・それは原子爆弾である。・・極東に戦争をもたらし
た者たちに対して放たれたのである。・・今や我々は、
・・これまでにもまして迅速かつ徹底的に壊滅させる体制
を整(ととの)えている。
 ・・7月26日に最後通告がポツダムで出されたのは、全
面的破壊から日本国民を救うためであった。彼らの指導者
は、立ちどころにその通告を拒否した。もし彼らが今われ
われの条件を受け容(い)れなければ、空から破滅の弾雨
が降り注ぐものと覚悟すべきであり、それは、この地上で
かつて経験したことのないものとなろう。・・
(私記)アメリカのトルーマン大統領の上記の言葉の虚言
 1、「日本陸軍の重要基地である広島に原爆を投下した」
と言っているが、これは、アメリカ国民の方々を欺(あざ
む)く言い方です。
 原爆は、広島市上空に来たということで「一般市民」の
方々の生活している上に、一般市民の多くの方々が、「明
白に犠牲になることが分かっている状況なのに」投下した。
 トルーマン大統領は、その点を隠して、ひたすら日本陸
軍の重要基地の攻撃だと、アメリカ国民の方々を欺いてい
る。
 2、「日本は、パールハーバーにおいて空から戦争を開
始した」と言うことも、アメリカ国民の方々を欺いている。
 アメリカは、本ブログにも色々と書いた様に、日本のパ
ールハーバー以前に、日本への攻撃を色々と行っています。
 それを、「鯨だった」とか、「ボランティアだった(公
式の軍としての攻撃ではなかった)」とか、
 「報告は受けていたが、見ていなかった(見てないのは
あなたの責任でしょ?)」とか・・と、言い訳をしていま
すが、そして、作られた『日本の奇襲』という言葉でアメ
リカ国民の方々の意識を繰(く)っていますが、この声明
も同様な嘘で繕(つくろ)っています。
 3、「彼らは何倍の報復をこうむった」と言っています
が、「報復をしてやったのだ」という言い方は、クエスチ
ョンです。「報復だから正義の行動なのだ」は、本当にク
エスチョンです。
 正義でも何でもありません。
 完全なキリスト教の「同罪報復」の思想です、いや、そ
のキリスト教のこの『悪の教義』以上の報復をしてやった
のだの考え方です。
 報復なので、報復行動なのでキリスト教が言う様に正義
の行動なのだの言い方は間違っています。
 「何らこちらには落ち度はないのだ」の言い方は卑怯の
言葉に尽(つ)きます。
 4、「極東に戦争をもたらした者たちに対して放たれた」
と言っていますが・・、
 アメリカは、ロッキー山脈を越えて西への開拓と称して、
 先住民のアメリカ・インディアンの方々を殺戮しながら、
 西へ西へと、先住民の方々の土地を奪い、カリフォルニ
アの地で太平洋に出ると、その海をまた西へ西へと島々を
奪い自国領とし、フィリッピンを領有し、中国へ乗り出し
て・・、
 ここで日本との接触が始まった。
 結局、極東で戦争をもたらしたものたちは日本ですか?
と問いたい。
 中国で利権をあさり、武器を供給し、自国へ利益をもた
らそうと画策したアメリカではないですか?
 アメリカは無実ではありません。
 5、「7月26日に最後通告がポツダムで出されたのは、
全面的破壊から日本国民を救うためであった。彼らの指導
者は、立ちどころにその通告を拒否した」と言っています
が、本当に直ちに拒否しているのですか?
 作り話ではありませんか?
 アメリカには、日本に原爆を投下してその効果を試した
いという意志(下記の参考を参照)があったことが、はっ
きりしています。
 だから、わずかな10日の猶予のうちに、広島へ原爆投下
をした事になったのではないですか?大惨事になることを
知っていて・・。
.
(参考):1944年9月、アメリカは、パリのドイツ軍が降
 伏すると、すぐに、原爆は、米英で独占して開発しよう
 とした。そして、日本に対して使用することを検討しよ
 うとした。日本への使用目的の一つは、この戦争の終結
 が見えた今、次の対抗勢力となるであろうソ連の存在が
 見えていたからで、日本で使用し、その威力をソ連に示
 し、有利な状況に居たいとの意図があった。日本の殺戮
 される方々への思いやりの「かけらもなかった」。黄色
 人種への蔑視、および、軽視の心だった。サルトルも言
 っている。
..
 (詳しくは、以下のブログへ)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009

この様な姿は・・今も見られる。

2014-11-12 02:25:24 | 日記
 題:この様な姿は・・今も見られる。
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 1921年(大正10年)・・、
 この年に、ワシントン会議が開かれた。
 日本は、この会議で、徹底的に・・アメリカに追い込ま
れた。
 国際の会議という席で・・、
 世界の合議という形を作って・・、
 やっていることは・・教室で、一人のいじめられっ子が、
 数人のグループから、虐(いじ)められている姿と・・、
 まったく同じだった。
 国際会議の場であると・・
 公平な場の様に見えるが・・???
 一人を除いて・・他の皆が利益を得て・・、
 他の皆は利益を得ているから「ニコニコ」で・・、
 その様な状態で、多数決で決議すれば・・一人だけが不
利益のまま放置されて、決議されるという罠(わな)だった。
 それで、多数決なのだから・・公平なので、正義で・・、
『よいのだ』の姿だった。
 日本は、日露戦争以後、アメリカに追い込まれ続けていた。
 第一次世界大戦時には・・一時的に、日米は歩み寄った
が・・、
 1917年、石井=ランシング協定が締結されたが、アメリ
カは、日本の中国進出が嫌だった・・が、この協定で、満
州の日本の特殊権益を承認した。
 しかし、第一次世界大戦後に、日本は、戦勝国として領
有する地域が増えた。
 これを、アメリカは、快(こころよ)く思わなかった。
 拡大する自国(アメリカ)領への通路に、日本領がある
という形には・・させたくないとした。
 アメリカは、反対した。
 アメリカのごり押し意見が通り、「日本の委任統治」と
なった。
 そしてまた、アメリカは、日英同盟にも障害に感じた。
 日本が、日清・日露の戦いに勝利を収め、国の地歩を固
めて来たと同時に・・、
 アメリカも、ハワイを獲得し、フィリピンを領有し、地
歩を固めて来た。
 そして、それと同時に、イギリスの地位は、後退して行
った。
 イギリスは、この時期、この水域からイギリス艦隊を撤
収している。
 アメリカは、ロシアに対抗して出来た日英同盟を・・、
 ロシアが革命でなくなった後も、存続している事を・・、
 自国(アメリカ)を、対象にしているのではないかと思
えた。
 アメリカの猜疑心(さいぎしん)である、そして・・、
 日本の急拡大が気になった。
 アメリカは、利益誘導国家である、その為には言い方も
変える、手続きも変えたりする、その為に、道徳国家的な
事も言う、その為に平和愛好も言う、その根には、国益追
求国家があった。
 そして、自国の正義は正義なのだ、何故かは、正義なの
だから正義なのだの正義を振りかざした。
 アメリカは、この1921年のワシントン会議で、日本を抑
え込みに掛かった。
 この会議で、日英同盟が廃棄された。
 日英の両国ともに存続を望んでいたが、国際会議という
作られた場で、当事者が存続を望んだが・・会議で廃棄が
決まった。
 この事は、この後、日本の孤立化が・・次第に・・強ま
って行き・・、やがて・・日本は・・ドイツとの同盟へ・・
追い込まれる道へと・・繋(つな)がって・・行った。
 また、この会議で、石井=ランシング協定が廃棄された、
 満州の日本の地位が剥奪状態となった。
 また、イギリス・フランス・オランダの権益には・・何
一つ手を触れられなかった。
 また、日本は、山東省青島も返還させられた。
 国際会議という席は、日本バッシングの席であった。
 そして、アメリカのハワイは・・防備を強化して良いと、
まったく公平性の無い、自分さえよけらば良いを、国際会
議という形をしつらえた中で、押し付けた。
 こんな自分だけ良ければ良いが、長く安定した世界であ
り続ける訳のない状況だった。
 アメリカの国際正義という名の御旗の下でのこれらは、
実際は、正義・公平からほど遠い・・ごり押し会議だった。
 アメリカのこの考えでの行き着く先の真の姿は、平和破
壊の姿だった。
 平和を逆のベクトルへ、世界を動かして行った事になる。
 この様な姿は、今も見られる。
..
 (詳しくは、以下のブログへ)
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