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諸々の事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成なさい。

2010-07-31 02:56:57 | 日記
題 : 「諸々の事象は過ぎ去るものである。
             怠ることなく修行を完成なさい。」
五木さん: ある時、アーナンダに向かって、仏陀は衝撃的な言葉
     を述べます。
      それは、「自分は、もう、3ヶ月後には、この世に居
     ないだろう」という、そういう予言です。
      アーナンダは、さぞかし、もう、驚愕し絶望したに違
     いありません。
      しかし、余命は、もういくばくもない、自分は3ヵ月
     後に、この世を去る。
      自分の言っていることは、決して間違いない。
      こういう風に、仏陀は、断定します。
      おそらく、仏陀の80年の生涯の中で、自分の人生の
     終わりというものを、すっきりと予感した。
      そういう瞬間だっただろうと思いますね。
      ・・・で、仏陀は、アーナンダに、「自分はこの世を
     去る、去る前に、自分が、色々、言っておきたいことが
     ある。
      だから、「修行僧達を沢山集めなさい」 こういう風に、
     アーナンダに命じます。
      そして、アーナンダが、集めた大勢の修行僧を前に、
     仏陀は、この様に言われたという風に、経典には書かれ
     ています。
        そこで尊師は、
        修行僧達に告げられた
        さあー、修行僧達よ
        私は、いま、お前達に告げよう
        諸々の事象は過ぎ去るものである。
        怠ることなく修行を完成なさい。
        久しからずして
        修行完成者は亡くなることだろう
        これから3ヶ月過ぎた後に
        修行完成者は亡くなるだろう・・と、

        尊師・幸いな人、
        師はこの様に説かれた。
        この様に説いたあとで
        さらに、
        次のように言われた
        我が齢は熟した。
        我が余命はいくばくもない。
        汝らを捨てて、私は行くであろう。
        私は自己に帰依することを成し遂げた。
        汝ら修行僧たちは、
        怠ることなく よく気をつけて
        よく戒めをたもて。
        その思いをよく定め統一して
        おのが心をしっかりと守れかし
        この教説と戒律とに務め励む人は
        生まれを繰り返す輪廻を捨てて
        苦しみも終滅するであろう・・と、
      物事は、移り変わるものだという様な事を、いくら口
     で言っても、どんなものでも流転するという様なことを、
     自分の身をもって、みんなに語ろうとしているんではな
     いでしょうか。
      例えば、仏陀という人が、尊敬され、そして、その教
     えが、広がれば広がるほど、その人を、偶像化して、永
     遠に戴いて崇拝していこうという気分というのは、強ま
     ってきますよね。
      どっかで自分は、もう、如何に仏陀といえども、自分
     も涅槃に入るんだという事を言って、それで、その時、
     突然、自分が居なくなって、周りが大混乱するよりも、
     あと3ヶ月というこの日々を、周りの修行僧やアーナン
     ダ達が、しっかり心に刻んで、あと1日、あと1日とい
     う風に、大事にして生きるようにという、生きるもの・
     残されたものへの配慮だという風に、思いますけどね。
     ・・・・・。
      あのー、僕自身はね、余命ということを考えないんで
     すよ。
      むしろ、天命という考え方、で、自分が何時まで生き
     るとか、何時死ぬとか、そういうことはね、ほとんど考
     えたことは無いんです。
      あのー、出来れば長く元気で生きられれば良いと思い
     ますけれども、人間の天寿というものは、あらかじめ決
     まっているんじゃないかなーという事を考える事があり
     ましてね。
      その天寿を全うしたい、ですから、世の中というのは、
     すごく不合理なもので、30歳の天寿の人も居れば、1
     0代で亡くなる人も居る、90歳、100歳まで生きる
     人も居る。
      ですから、僕は自分の人生と言うのは、ある時期から、
     「いつでも」と言うのは、おかしいのですけれども、
     「もういいよ」という、声なき声が、聞こえてきた時が、
     自分の寿命の尽きる時だと思っていますし、寿命が尽き
     ると言うことがですね、何か終わるとか、無くなるとか、
     そういう風に考えていないのですね。
      ですから、何か新しい出発と感じもしますし、とりあ
     えず、与えられた、今日一日、明日の一日、仏陀の言葉
     の様にですね、元気を出して、苦しみに耐えてという風
     に思ってますね。
      ですから、寝る時は、もう、明日は目が覚めないかも
     しれないという風に思いますし、起きた時に、「あー、
     今日一日あったな」と思いますし、あまり、そういう風
     に先の事を考えたことが無いですね。
ナレーション: 自らの死を予言した仏陀。
      別れを惜しむ人々が、数多く後を追ってきました、し
     かし、仏陀は、彼らに戻るように説き、形見として自分
     の托鉢の鉢を渡しました。
インドの仏教歌: 金のお皿でご飯を
        食べて貰いましょう
        仏陀に乳粥(ちちがゆ)を
        差し上げましょう
        金の台の上に
        席を用意しましょう
        仏陀にお願いして
        座って貰いましょう
        ここで仏陀に
        静かに休んで貰いましょう
        私は、みんなに仏陀が
        来ていることを知らせます
     
映 像 : 長い汽笛を鳴らして走り、そして去っていく列車
 

直径123メートルの 巨大ストゥーパ

2010-07-30 01:17:49 | 日記
題 : 「 直径123メートルの 巨大ストゥーパ 」
インドのお坊さんの経: お釈迦様が、
        ヴァイシャリーにいるときは
        いろんな処に
        仏教が広まっていきました。
        お釈迦様は、
        何事も正直に話すようにと
        繰り返し語っていきました。
        お釈迦様は、
        ヴァイシャリーの人々を
        誰よりも愛してくれました。
        お釈迦様が、
        クシナガラのサーラの森に行くときは
        老若男女、みんなが泣きました。
映 像: お経を唱えながら、裸足で水に濡れた田の畦道を行く仏
     教僧の映像。
      畦の道に僧の経が流れて行く。
      ・・・。悪路を車で進む、五木さん。
      大きく左右にゆれる車。
      警笛を鳴らしながら、乗客を満載したバスと行き違う。
五木さん: イヤー、もう、照り返しがすごいですね。
      イヤー、もうこれは、死にそうだ。
      ナマステー。
      お茶を一杯下さい。
     (お茶の葉を沸騰している鍋に直接入れ、煮て、)
      なんか戦後を思い出すね。
ナレーション: 仏陀の足跡を辿り、連日、悪路を進む、五木さん。
      旅は、まだ、半ばを過ぎたところです。
五木さん: ありがとう。
      あちちっ、・・・旨いですね。
      もう、極楽という感じだな。
     (多くのハエが・・ それを手で払う店の人、周りを飛
     ぶ)
同行者: 五木さん、今までの旅の風情は?
五木さん: イヤー、なんか修行という感じですね。
      前にインドに来た時は楽な旅をしたもんですからね。
      本当は苦行修行の旅なんですね。
      こういう農村を見ないと、インドは分からないという
     のは、本当ですね。
      仏跡は地方の農村地帯に残っている。
      仏蹟探訪の旅 ロマンティック感じはしますけれど、
      本当は苦行修行の旅なんですね。
      だから観光の積もりできたのでは、もうもたないでし
     ょう。
      お遍路の様な覚悟で、やはりやらなければならない旅
     ですね 苦行の・・・・。
      ナマステ。サンキュー。
      イヤー、またこれはひどい日差しだな。
ナレーション: ヴァイシャリーを出た仏陀は、更に北に向かって
     歩き続けます。
      ヴァイシャリーから北西に、およそ50キロ、当時の
     ヴァッジ国の国境にあたる場所に発掘中の巨大な遺跡が
     あります。
字 幕 : (ケッサリア・ストゥーパ)
五木さん: イヤー、これはすごい。あー。
ナレーション: このストゥーパは、紀元200年~紀元700年
     の間に建てられたものと考えられています。
      本格的な調査が始まったのは、1998年。
      現在発掘されている部分だけでも、直径123メート
     ル、高さ31メートルにおよぶ、レンガ造りの巨大なス
     トゥーパです。
      さらに、この下にどれ程の遺跡が埋もれているかは、
     まだ、明らかになっていません。
     (遺跡を登り、進む、五木さん)
五木さん: あー、ここに仏陀像があるんだね、あー、
     (頭を下げ、手を合わせる、五木さん)
ナレーション: 大パリニッバーナ経によると、旅の途中、仏陀の
     前に悪魔が現れました。
      悪魔は、今こそ、尊師のお亡くなりになる時ですと告
     げます。
      まだ、その様な時期ではないと退けます。
     (カラスが、ぎゃーぎゃーと鳴いている)
五木さん: カラスがすごい。
ナレーション: しかし、その一方で仏陀は、死に向かう準備を始
     めます。
     (巨大ストゥーパの周りをくるくる歩く、五木さん。何
     匹ものカラスが木にとまり、ぎゃーぎゃーと鳴く)
五木さん: ストゥーパだから、中に入る事はないんだね。
     (ストゥーパの上も、何匹ものカラスが飛び回る)

この世界は美しい、人生は甘美である

2010-07-29 02:45:04 | 日記
題 : 「この世界は美しい、人生は甘美である」 
ナレーション: 病を克服した仏陀は、回復するといつもの様に托
     鉢に出かけました。
      後ろには弟子のアーナンダが従います。
      仏陀の従兄弟でもあるアーナンダは、25年にわたっ
     て、常に行動を共にして来ました。
      この日、托鉢から戻り食事を終えた仏陀が発した言葉
     に、周りの弟子達はおどろかされました。
      それは、何時も身近に居るアーナンダですら、始めて
     耳にする言葉でした。
画 像 : インドの子供達が、大喜びで水浴びする姿を微笑みな
     がら見る、五木さん。
五木さん: アーナンダとの対話 アンバパーリーとのいきさつ、
     そして、仏陀の老いと病と、そういうものが、いくつも
     つき重なった場所なんですけど、この場所で、ある日、
     仏陀とアーナンダの間に、こういう対話があります。
      「仏陀・最後の旅」の中から、とても印象深い対話で
     す。
        さて尊師は、
        早朝に、内衣を付け
        外衣と鉢とをたずさえて
        托鉢の為にベーサーリー市へ行った。
        托鉢の為にベーサーリーを歩んで
        托鉢から戻って食事を済ませた後で
        若き人・アーナンダに告げた。
        アーナンダよ、
        座具を持って行け
        私はチャーパーラ霊樹の元へ行こう
        昼間の休息の為に。
        そこで尊師は、
        チャーパーラー霊樹の元に赴いた
        赴いてから、あらかじめ設けられていた座席に座
       した。
        若き人・アーナンダは、尊師に敬礼して一方に座
       した。
        一方に座した若き人・アーナンダに、尊師はこの
       様に言われた。
        アーナンダよ、
        ベーサーリーは楽しい
        ウデーナ霊樹の地は楽しい
        ゴータマカ霊樹の地は楽しい
        七つのマンゴーの霊樹の地は楽しい
        タフブッダ霊樹の地は楽しい
        サーランダ霊樹の地は楽しい
        チャーパーラ霊樹の地は楽しい。
      これは中村元さんが、パーリー語から訳された言葉な
     んですけれども、あのー、色々ありまして、サンスクリ
     ットの方から訳されたこのくだりにはですね、非常に印
     象的な言葉が加えられています。
        この世界は美しい
        そして、
        人生は甘美である
      まあ、こんな風に、サンスクリット語の本の方には書
     かれている訳なんですけれども、そこまで本当に、仏陀
     が、言われたかは分かりません。
      この物語を編んだ人が、霊樹の地は楽しいという言葉
     を、さらに、普遍して、その様に自分の思いを付け加え
     たかもしれません。
      この辺は分かりませんですけれども、人々が、仏陀に
     そういう風な言葉を言って欲しいなーという風に、心か
     ら思っていたことが伺えるのですね。
      仏陀の信仰と言いますか、法の教えの第一歩は、人生
     というものは、苦であるという、いわば、ネガティブ・
     シンキングと言いますか、どん底から出発する訳です。
      この世というものは苦しいものである、そして、生老
     病死、様々な苦しみに満ちている。この苦しみの中から
     人はどのように苦しみに耐えて生きていくか。仏陀は、
     その事を終生、ずーッと追求し続けた人なんですが、そ
     れでも苦から出発したこの世界、この認識がですね、仏
     陀の最後の旅の「 末期の眼 」の中で、
       『 この世界は美しい、人生は甘美である 』、
      例え、苦の世界であったとしても、こんな風に、最後
     に、仏陀に呟いて欲しいと思った人々が、どれほど居た
     ことなんでしょうね。
      人間というものは、『 決定的な絶望の中に生き続け
     ることは、本当は難しいこと 』です。
      そして、私達・弱い人間というのは、どうしてもその
     様に、物語の中で自分達の思いを、仏陀に託して、そし
     て、こういう事を言って欲しかったという事を付け加え
     て、伝承というものが生まれてきます。
      ですから、それは、仏陀が、言った言わないとは別に、
     人々が、その様に、苦から出発して、あるいは楽の世界、
     醜の世界から美の世界、辛い世界から甘美な世界へ行き
     たいという願いを抱き続けて、2500年も生き続けて
     来たという事を表している訳ですから、それはそれで真
     実であろうという風に思う所があります。
ナレーション: 若き人・アーナンダに、尊師は、この様に言われ
       た。
        アーナンダよ
        ベーサーリーは楽しい
        ウデーナ霊樹の地は楽しい
        ゴータマカ霊樹の地は楽しい
        七つのマンゴの霊樹の地は楽しい
        タフブッダ霊樹の地は楽しい
        サーランダ霊樹の地は楽しい
        チャーパーラ霊樹の地は楽しい。
ナレーション: 雨季が明け、再び、旅に出る日がやってきました。
      ヴァイシャリーの人々は、何時までも、別れを惜しん
     だと言います。
      町の郊外にあるレリック・ストゥーパは、ヴァイシャ
     リー王によって建立されたと伝えられております。
      小さな半円形のストゥーパからは、仏陀の遺骨の一部
     を納めたシャリ容器が、半世紀前に発掘されました。
      インド人のプッドゥ・バランさんは、このあたりで布
     教活動しているお坊さんです。
      バランさんは、ここで、毎日、経を上げています。
バランさんの言葉: 今から2500年も前の話になりますが、お
     釈迦様は、好んでこの地で法を説いていました。
      ある日、ヴァイシャリーの人々に、この様に語ったと
     伝えられています。
        私は、この地にずっと留まることは出来ません。
        西にあるクシナガラという町へ向かいます。
        名残惜しいけれど、どうか、私を行かせて下さい。
     この物語に基づいた歌を唄いたいと思います。
インドのお坊さんの経: ヴァイシャリーの人々は
        お釈迦様が歩き出すと
        泣き出しました。
        お釈迦様は、クシナガラの
        サーラの方へ出発しました。
        村の人々が、皆、泣き出しました。
                       (つづく)
(補 注): アンバパーリーは、徹夜でご馳走を用意し、翌日、
     釈迦の一行が訪れた時は自ら給仕してもてなしました。
      食事が終わった時彼女は、釈迦が留まった果樹園を教
     団に寄贈することを申し出て釈迦はこれも受けています。
      最後の場面はこんなふうに伝えられています。
        尊師は法に関する講話をもってかの女を教え、
        諭し、励まし、喜ばせ、座から起って、
        去っていった 。

法を島とし 法を拠り所として

2010-07-28 02:32:26 | 日記
題 : 「法を島とし 法を拠り所として」
五木さん: この周辺に住まいしていた時期、ちょうど雨季に入り
     ました。
      そして、雨季というのはもう、往来が困難だし、疫病
     がはやったり、大変な時期なんで、雨安居(うあんご)
     と言って、その時期、旅を休んで瞑想にふけり、思索に
     ふけります。
      ちょうど、その時ですね、仏陀は、思いがけなくも、
     本当に大きな病にかかる訳ですね。
      最後の旅のほんとに途中なんですけれども、その時の
     模様を こんな風に「大パリニッバーナ経」・「仏陀・
     最後の旅」 には書かれています。
        さて尊師が、
        雨季の定住に入られたとき
        恐ろしい病が生じ
        死ぬほどの激痛が起こった。
        しかし尊師は、
        心に念じて
        よく気をつけて
        悩まされることなく
        苦痛を堪え忍んだ。
        そのとき尊師は、
        次のように思った
        「私が侍者たちに
        別れを告げないで
        修行僧達に別れを告げないで
        ニルヴァーナに入ることは
        私には相応(ふさわ)しくない
        さぁ私は元気を出して
        この病苦を堪(こら)えて
        寿命のもとを留めて
        住することにしよう」と
     (参考)ニルヴァーナ: サンスクリット語の仏教用語
     で、涅槃 (nirvaaNa) のこと。
五木さん: つまり大変な激痛が生じてですね。
      本当にもう、耐え難いほどの痛みと苦しみの中で、仏
     陀は、それに耐え忍び、そして、今は死ねないと感じる
     んですね。
      それがまだ自分には残した仕事があると感じていたの
     か、あるいは、自分に与えられた事を最後までやり遂げ
     るために、この旅を続けようという意思なのか、あるい
     は、天と言いますか、目に見えない大きなものの命ずる
     ままに、自分の人生というものを、もう一度、生きてい
     こうという風に考えるのか、その辺は良く分かりません
     けれども、老いと病というものは、まあ、普通に言われ
     るように、生易しいものではありません、人間が最後の
     旅に出る時に、必ず、この老いと病を道連れにして、生
     きていく訳です。
      その最後の旅の中で、仏陀もまた、この病気と苦痛と、
     そして、老いというものを感じつつ、この辺に留まって
     居られたということを思いますと、人間・仏陀、人間で
     はないけれども、人間的なそのような苦しみを、人一倍、
     深く背負った仏陀という存在、そこに、私達人間も、と
     っても同じ様な、親しみと共感、そして、尊敬の念を覚
     えるところがあります。
五木さん: 車の中で、ちょっと七転八倒したんですよね。
      朝4時に起きて、ほとんど徹夜のまま撮影をやって、
     それからあの悪路をバスで走っているでしょう。
      でも、昔はね、シベリヤ横断したってなんとも無かっ
     たくらいだったのに、僅かこの位の事で、こんなに苦し
     まなければならないのかという、ほんとに、パトナへの
     道は、地獄への道でしたね。
      ですから あの時、ホントにねー、もう薬を飲んでも
     効かない、水を飲んでもどうにもならない、今にも吐き
     そうでという、その時に、やっぱり、今の体力の衰えと
     いうものをね、今度の、やっぱり、インドの旅では、つ
     くづく感じさせられましたね。
      ですから、実感がとってもありますよ。
      まして、僕はまだ70代の前半ですけどね、齢(いわ
     い)80に達したら、この旅を車なんて文明の利器を使
     わずにしている 仏陀の大変さというのは、おそらく想
     像を絶するものが、あったに違いありません。
ナレーション: 仏陀・最後の旅には、常に苦楽を共にする弟子が
     付 き添っておりました。その名は、アーナンダ。
      弟子の中でも、人一倍、心優しく、純粋な人間だった
     と伝えられています。
      病から回復した仏陀の姿を見て、アーナンダは歓喜し、
     こう言います。
      「尊師が病気の間、呆然自失して、方角も教えすらも、
     分からなくなっていました。でも、もう安心です」。
      そんなアーナンダに、仏陀はこう答えました。
        アーナンダよ
        私はもう老い朽ち
        齢(よわい)を重ね老衰し
        人生の旅路を通り過ぎ
        老齢に達した
        我が齢(よわい)は八十となった
        例えば、古ぼけた車が
        革紐(かわひも)の助けによって
        やっと動いていくように
        おそらく私の身体も
        革紐の助けによって
        もっているのだ。
ナレーション: さらに、仏陀は、自分が死んだ後の心構えについ
     て、修行僧達に説きました。
        この世で、
        自らを島とし、
        自らを頼りとして
        他人を頼りとせず
        法を島とし、
        法を拠り所として、
        他のものを拠り所とせずにやれ。
     
        アーナンダよ、
        今でも、また、私の死後にでも、誰にでも、
        自らを島とし、
        自らを頼りとし、
        他人を頼りとせず、
        法を島とし、
        法を拠り所とし、
        他のものを拠り所としないでいる
                     人々が居るならば、
        彼らは、我・修行僧として
                 最高の境地にあるであろう。
五木さん: あのー、非常に文脈としてですね、捉えにくい言葉な
     んですけど、言っていることは一つだと思うんですね。
      自分の尊敬する人が居ることは結構である。
      だけど、大事なことは、そういうことであることより
     も、権威とか、あるいは他人に対する親愛の情とか、そ
     ういう事よりも、もっと大事な、仏教の法というものが
     ある。
      ダルマといいますね。
      そういう仏教の真実や真理、そういうものこそ頼りと
     して、他人の権威・社会の常識、そういうものに囚われ
     ることなく、自分が学んだ仏教の心を心として、そして、
     自分が亡くなった後も、雄雄しく立派に生きて行って欲
     しい、それが大事だぞと、こういう事を最後に言ってい
     る訳です。 
      仏陀の言っていることというのは、私は、決して、自
     分に頼れという風に、自我を強調しているのではないと
     思いますね。
      それよりもっと大きな宇宙の真理というものがある。
      そういうものを自覚して、そして、自分が感じた直感
     というものを拠り所にし、そして、それを、島と言うの
     は例えですけれども、河の中洲という風に訳する人も居
     ますね。
      水が増えてきても没することなく、世の中の激流に呑
     まれる事も無く、大きな永遠不朽の真理というものをし
     っかりと身に付けて、その真理を頼りにして、自分自身
     の道を歩くが良いと、仏陀は、こういう風にここで語っ
     ているんだろうと思います。
        この世で
        自らを島とし
        自らをたよりとして
        他人をたよりとせず
        法を島とし
        法をよりどころとして
        他のものを
        よりどころとせずにあれ。
                       (つづく)
(参考) 安居:(あんご)は、それまで個々に活動していた僧侶た
     ちが、一定期間、一カ所に集まって集団で修行すること。
     及び、その期間の事を指す。
      安居とは元々、梵語の雨期を日本語に訳したものであ
     る。
      本来の目的は雨期には草木が生え繁り、昆虫、蛇など
     の数多くの小動物が活動するため、遊行(外での修行)
     をやめて一カ所に定住することにより、小動物に対する
     無用な殺生を防ぐ事である。
      後に雨期のある夏に行う事から、夏安居(げあんご)、
     雨安居(うあんご)とも呼ばれるようになった。
      釈尊在世中より始められたとされ、その後、仏教の伝
     来と共に中国や日本に伝わり、夏だけでなく冬も行うよ
     うになり(冬安居)、安居の回数が僧侶の仏教界での経
     験を指すようになり、重要視された。
      現在でも禅宗では、修行僧が安居を行い、安居に入る
     結制から、安居が明ける解夏(げげ)までの間は寺域か
     ら一歩も外を出ずに修行に明け暮れる。
                     (Wikipediaより)

民主主義の国・ヴァッジ国を、仏陀は、こよなく愛していました

2010-07-27 01:38:29 | 日記
題 : 「民主主義の国・ヴァッジ国を、
              仏陀は、こよなく愛していました」
インドの仏教歌: 金のお皿でご飯を
        食べて貰いましょう
        仏陀に乳粥(ちちがゆ)を
        差し上げましょう
        金の台の上に
        席を用意しましょう
        仏陀にお願いして
        座って貰いましょう
        ここで仏陀に
        静かに休んで貰いましょう
        私は、みんなに仏陀が
        来ていることを知らせます

ナレーション: ガンジスを渡った仏陀は、いくつかの村を経て、
     ヴァイシャリーへと向かいました。
      そこは商業で栄えるヴァッチ国の首都でした。
      仏陀の時代、北インドは、16もの国にも分かれてい
     ました。
      その中にあって、ヴァッチ国は、国の方針をは話し合
     いで決める進んだ国でした。
      大パリ二ッバーナ経には、仏陀が、ヴァッチ国の事を
     賞賛した言葉が記されています。
        ヴァッジ人が、
        しばしば会議を開き、
        会議には多くの人が参集する間は、
        ヴァッジ人には繁栄が期待され、
        衰亡は無いであろう。
        ヴァッジ人が、
        共同して集合し、
        共同して行動し、
        共同してヴァッジ族として
        なすべき事をなす間は、
        ヴァッジ人には、
        繁栄が期待され、
        衰亡は無いであろう。
ナレーション:仏陀は、ヴァッジ国をこよなく愛していました。
      仏陀の一行は、ヴァイシャリー郊外のマンゴー園に留
     まります。
      布教の旅では、決まって町外れに滞在します。
      修行の為には静かな環境が望ましいが、托鉢をするに
     は人の集まるにぎやかな場所が必要です。
      「俗に染まらず、俗から離れず」
      大パリ二ッバーナ経には、このマンゴー園での逸話が
     残されています。
五木さん:イヤー、見事な果樹園ですね。あのー、これは、マンゴ
     ーの木なんだそうです。
      僕は、マンゴーは、恥ずかしながら、畑の中に生ると
     思っていたのですが、こういう堂々たる木の中に、マン
     ゴーが沢山生ってる姿は、想像しませんでした。
      ここは、ヴァイシャリーという所の郊外のマンゴー畑
     なんですけれども、ガンジス河を渡った仏陀は、このヴ
     ァイシャリーの街中ではなく、街からチョット離れた、
     この郊外のマンゴー畑の中に居を定めます。
      そして、しばらくここに滞在する訳なんですね。
      それで、このー、不思議な事に、ここにはとっても華
     やかで人間的なエピソードが一つあるんですが、このマ
     ンゴー畑の所有者といいますか、地主の方が、ヴァイシ
     ァリーの町では大変著名なサロンの女主人公と言います
     か、実は、高級娼婦・遊女と言われている人なんですが、
     遊女と言ってもですねー、ただの遊女ではなくて、一夜
     の値段が、牛何十頭などという、王侯貴族を相手にする
     という様な、しかも教養もあり、音楽もあり、文学も出
     来、詩も詠めるという素晴らしい、高名な女性であった
     らしいんですね、で、そのアンバパーリーという女性な
     んですが、その女性は、自分のマンゴー園に高名な仏陀
     が滞在しているという事を聞いて、そして、教えを乞い
     に仏陀のもとへやって来ます。
      そして、仏陀から様々な話を聞いて大変深く感動して、
     感動したアンバパーリーは、自分の、是非、屋敷に招待
     して一夜の宴(うたげ)を催したいという風に、仏陀に
     申し入れます。
      遊女の申し込みなんで、本来なら、僧がどういう風に
     応対すべきか、ちょっと、分かりませんが、仏陀は、そ
     こんところを非常に快く、つまり、法といいますか、仏
     法というものを尊ぶ心の持ち主ならば、いかなる職業で
     あっても差別しないという、そういう気持ちからでしょ
     うか、仏陀はそれを承諾するんですね。
ナレーション:仏陀が、ヴァイシャリー郊外に滞在していることを
     聞きつけた若い貴族たちが尋ねてきます。
      「自分達も仏陀を招待したい」と申し入れました。
      しかし、仏陀は、既に、遊女・アンバパーリーの招き
     を受けていると、その申し出を断ります。
      貴族達の中には、自分達より遊女を優先するのかと非
     難する者も居ました。
五木さん: ここで遊女という、アンバパーリーという、女性の話
     が出てくるというところがですね、この経典の中での、
     ある種の非常に興味深い所です。
      それは何かと言いますと、やっぱり当時のインドでも、
     女性に対する偏見というのは、今よりもっともっと深い
     ものがあったに違いありません。
      ましてや職業の貴賤ということに関しては、さらに偏
     見が多かったと思うんです。
      そういうときに、例えそれが娼婦であろうと、どうい
     う職業の人間であろうと、分け隔てなく接する、そして、
     「人間は、皆、平等だ」という仏陀の基本的な仏教の考
     え方というものがですね、そのエピソードの中に盛り込
     まれているんじゃないか、今から2500年前、それほど
     の昔にですね、今でも、なお、残っている女性に対する
     蔑視とか、職業に対する差別とか、そういうものを乗り
     越えて最後の旅を続けて行く仏陀の姿に、なんとなく共
     感押さえる事が出来ません。
ナレーション: ヴァイシャリー郊外に、遊女アンバパーリー縁
     (ゆかり)といわれる仏教遺跡が、今も残されています。
      後の時代に、インド北部一帯を支配したアショーカ王
     が建立した石柱とストゥーパ・仏塔です。
      仏陀と一人の遊女の出会いが、人々の心を動かし、大
     きな仏教遺跡となって残されたのでしょうか。
      仏陀は、このバイシャリーの地で大きな試練に出会う
     ことになります。
      ここで命をも脅かす様な、重い病を得たのです。
                         (つづく)
(参考)ヴァッジ国:ヴァッジ国(パーリー語 वज्जि)あるいはヴ
     リジ国(वृजि)は、古代インドの国名。初期仏教の聖典
     『アングッタラ・ニカーヤ』の中で、十六大国のひとつ
     に数えられる。首都はヴァイシャリー。
     位置:現在のビハール州北部にあたり、南北にはガンジ
     ス川北岸から現在のネパールまで広がり、西はガンダク
     川を挟んでマッラ国およびコーサラ国と隣接していた。
     また、東は現在のビハール州と西ベンガル州の州境付近
     を流れるマハーナンダ川近辺、あるいはビハール州を流
     れるコーシー川までで、アンガ国と接していたと考えら
     れている。民族:ヴァッジ国は、ヴァッジ族、リッチャ
     ヴィ族(離車族)、ジニャートリカ族、ヴィデーハ族な
     ど、8つの部族が連合して形成していたと伝えられている。
     統治機構:ヴァッジ国王は、「ヴァッジ・サンガ」と呼
     ばれた代表議会の議長であったと考えられている。「ヴ
     ァッジ・サンガ」は、各地方からの代表者から成り、国
     政を取り仕切っていたものと考えられている。近年、こ
     のような古代インドの国家をガナ・サンガ国というよう
     になっている。
     宗教:リッチャヴィ族(離車族)は、ジャイナ教を信奉
     していたが、後に仏教に改めたと、仏典は伝えている。
     実際にブッダは、ヴァッジ国の首都ヴァイシャーリーを
     何度も訪問して説法していたし、仏教の修行者のための
     修行道場が設置されていたという記録がある。したがっ
     て、ヴェーダの宗教に並び、ジャイナ教や仏教も盛んで
     あったと考えられる。(Wikipediaより)