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国民の税金が本当に生きて来ることになります。そして、その様にして戴きたい。

2013-04-22 03:48:53 | 日記
題:国民の税金が本当に生きて来ることになります。そして、その様にして戴きたい。
.
 『鉄骨製が○○年、コンクリート製が○○年』と橋の耐用年数
についてテレビで報道していた。
 法隆寺の木造は1000年以上であるというのに、鉄骨やコンクリ
ートは何でこんなに短いのだ・・・? 極端に短いではないか。
 それは木という性質とは違うからだ(材質の違いだ)・・・と
言うが、本当にそうなのか?
 放送されていた耐用年数は、真実の様に聞こえるが、作られた
年数なのではないのか?
 だから、その年数になったら壊して、造り変えなければならな
いのか?
 以上の様な耐用年数は、国民の方々は呪文のように言われ、頭
に詰め込まれて来ている言葉となっている。
 しかし、ある意味、「洗脳されている」とも言える。
 そして、このテレビ番組において、この社会資本の橋の管理者
の方が言っていることは、「20年以上前に点検しましたが・・
・」の公共機関の管理者の声が流れる。
 これは、1事例ではありますが、実態を示しています。
 これでは、管理ではありません。放置です。
 この事例の、公共施設に使われている構造体の鉄というものに
ついて深く申し上げさせて戴くと、
 ご存じの様に、鉄は、鉄と酸素と水があれば酸化鉄の発生(錆
る)となります。
 その様な状態の事が起きないように、保護塗膜が塗られます。
 錆るという性質の鉄を使用している構造体・鉄と接するところ
には、まず、防錆塗料が塗られます。
 そして、下層・中層・上層と3層の塗膜が塗られます。
(この塗膜層数は多くなる場合もあります)。
 最上層の塗膜層は、太陽光を直接受けますので、紫外線による
劣化(化学変化)を受けることになります。
 それため、より紫外線劣化に耐える塗料が選ばれ(耐候性の良い
塗料)、塗られます。
 この様な、構造体の鉄部の保護塗膜の劣化は、上記した様な太
陽光の紫外線による化学変化の劣化や、
 鉄部の年における気温変化による伸び・縮みにより、塗膜の追
従性との関係で、細かい塗膜のひび割れが発生したりの劣化が起
きています(繰り返し劣化)。
 経年において、これ等の劣化作用による塗膜劣化が、
 鉄と酸素と水が一緒になって起きる酸化という劣化が起きない
よう(錆ないよう)にしているのですが、
 構造体の鉄部の一部分に劣化因子が達し、条件を満たすと、こ
こから錆発生が開始されます。
 最初の錆は、小さなピンポイントの錆として発生します。
 この時が、重要なサインとなっているのです。
 塗膜の保護機能が、『一部分で破れましたよ』と知らせている
のです。
 このピンポイントの錆を発見した時こそが、重要なメンテナン
ス時点という認識を持っていなければならないのです。
 「防錆が破れたというサインを送って来ているな」と判断し、
メンテナンスを行なえば、最適なメンテナンスを行なったと言え
るのです。
 当然、簡単な塗装で済み、安価なメンテナンス費用で済みます。
 上層塗膜の上に補強保護塗膜を、もう1回塗って、塗膜層数を
加えるだけで十分だからです。
 しかし、この様な、最適メンテナンス時期にメンテナンスを
している公共施設をほとんど見たことがありません。
 「そんなに早くする必要が無い」と思っているからなのでしょ
う。
 それでも5年~7年の時は流れています。
 これは無駄な工事なのではありません。
 しかし、この時期に、メンテナンス工事を行なわない、やらな
いという事が、税金の無駄遣いをしないでいるという意識・認識
からなのか?
 また、早すぎるという自分が作ったメンテナンスサイクルの
思い込みからなのか?
 誰かに思い込まされているメンテナンスサイクル年数が頭に
あるからか?
 公共施設では、ほとんど、この時期のメンテナンスが行われて
なくて、メンテナンス最適時期を逸しています。
 そして、その後の、大変なお金と手間がかかる時期にメンテナ
ンスを行っています。
 本当に無駄なこと、勿体ない事をしています。
 ピンポイントの錆発生時に何もしないで、放置するとどうなる
のでしょうか?
 ピンポイント的に最初に達した酸素と水は、鉄部表面に錆を発生
させます。
 そして、その錆は体積膨張をしますから、構造体(例えば、鉄
橋などの公共施設)の鉄部表面のその錆は、(塗膜内部の構造体
の鉄部表面で)、周囲の保護塗膜を膨張により持ち上げます。
 周辺塗膜は持ち上げられるから、塗膜と構造体の鉄部との間に
隙間が出来ます。
 隙間ができれば、当然、より多くの水と酸素が入り、そして、
入り易くもなります。
 持ち上げられた塗膜と鉄部の間の隙間に入った酸素と水は、今
度はピンポイントではなく、より広い面積範囲を発錆させて行き
ます。
 こうなっていくと錆範囲は急速に広がっていきます。
 塗膜は、どんどん広い範囲に拡大し、持ち上げられ、錆も鉄部
の深層へと入って行きます。
 そして、最初に発生した部分などの経過時間の長い、より劣化
した所の塗膜は、剥落するようになります。
 この様に急に拡大して進んで行く鉄部の錆による劣化。
 テレビなどで見た公共施設の鉄部の場合、ほとんどが放置状態
です。
 まったく劣化の進捗状況が頭に入っていないか、または、無視
している状態です。
 テレビに出演していた1事例の公共機関の責任者の方は、「20
年前に点検しました」と言っていましたが、まったく点検をして
いないというレベルです。
 日本の公共機関の当事者の意識はこのレベルであろうと想像で
きます。
 この放送事例は、特別な例ではない、一般的な事だと、経験か
ら想像できます。
 「放置していれば、何でも駄目になります」。
 公共施設・社会資本の管理者の方々の意識は、保護塗膜が錆色
になり、保護塗膜に剥落が見られる様になった時に、やっと、「
そろそろメンテナンスをしなければなー」と思うらしく、完全に、
適切なメンテナンス時機を逸しています。
 それでも、メンテナンスをやる方はいい方です。
 日本はもっとひどい事例が本当に多い状態です。
 構造体の鉄部に欠損が見られるほど駄目になっている事例が珍
しくありません(構造耐力の欠落なのです。大きな問題です)。
 時期を逸して、塗膜の剥落が見られる様になった場合のメンテ
ナンスは大変です。
 大変な手間がかかり、費用も急拡大します。
 構造体の鉄部と保護塗膜の間に少しでも錆があるケ所は、完全
に除去・削り取らなければなりません。
 なぜなら、少しでも錆を取り残した場合、その鉄部の錆が隣の
鉄部の錆を誘発するからです。
 不十分に、錆の除去を完全にできなかった場合、すぐに、短い
期間に、再びメンテナンスが必要となります。
 また、費用がかかり、最悪です。
 故に、いかに丁寧に鉄部と保護塗膜の間にある錆を落とすかに
メンテナンスの丁寧さに、その品質が、かかっているのです。
 何故、こんな大変な時期まで、メンテナンスしないで放って
おいたのか・・と、言いたくなります。
 サンダー(グラインダー)で丁寧に鉄部の錆をとる事がメンテ
ナンスの生命線です。
 しかし、十分にやるということは難しいのです。
 どんな狭いところまでサンダーは入りません。
 時期を逸すると、この様な仕打ちが待っています。
 手間がかかります。
 金がかかり、税金が無くなります。
 しかし、日本の現状は、この時期にすら、やらない事が多いの
です。放棄としか表現できません。
 耐用年数が来たのなら『造り変えればよいのだ』の思想です。
 「だから放っておけ」とお考えなのでしょうか?
 これでは「税金がいくらあっても、足りなくなります」。
 『これからの公共施設の造り変えをどうしていくのだ』との声
も聞こえます。
 放ったらかして置いたら、何でも造り変えになります。
 メンテナンスを重要視しない悪弊が日本にあります。
 メンテナンスをしない状況を・・・税金の無駄遣いをしていな
いと思い込むという「間違った思い込み」が日本にあります。
 造り変えになれば、ゼネコンは喜びます。
 ゼネコンは、壊して造ってもらえれば、仕事も増えるので有難
いという業態の企業です。
 日本は、メンテナンスの重要さを認識する管理者教育が、大変
に大切であり、
 また、メンテナンス工事を専門に、効率的に、そして、技術的
に行なえる専門業者や業界を育て、
 官民の研究機関が協力し、その業態・業界・業者を応援し、育
て、そして、若者を投入して行くべきです。
 そして、育った日本の技術を持った専門業界・専門業者・専門
技術者・専門研究者の方々は、その技術で世界へ向けて行動を興
して行って戴きたい。
 ゼネコンではなく、この専門業界・専門業者・専門技術者・専
門研究者を『陽のあたる名誉を与え、育てて、大切にして行く必
要性があります。
 そして、ゼネコンと健全な競争ができる様にして戴きたい。
 そして、日本の公共施設は当然のこととして、日本に限らず世
界に、開発し習得したその技術を示していく、行動していくこと
が、大変重要なやるべきこととなっています。
 そして、その大切さ重要さに気付くべきです。
 ゼネコンと競争する業界・業者・体制をつくることが大きなメ
リットを生みます。
 上記で、鉄構造について、細かい話をしましたが、コンクリー
トの場合も同じです。
 コンクリートの場合でも、日本の現状・実体は、今、話した鉄
構造体と同じ現象が起きています。
 本当に実体を知っているのだろうかという実態です。
 コンクリートの場合も、事を知らないし、放ったらかしにして
いるという状態です。
 点検も、「遠くからの目視点検で済ませていました」と言う。
 最近になって、やっと、点検対象物の構造体自体に直接触れて、
各種の点検をするようになって来た様ですが、まだ、このレベル
です。
 メンテナンス技術を日陰の技術にしない様にして下さい。
 研究者を表彰し、業者を表彰し、名誉を与えてやってください。
育てて下さい。
 その育った方達によって、厚い技術陣が構成されるようになれ
ば、また、より高い次元へ技術を磨いて行くこととなります。
 技術は、以前より、より細かく詳細に分析したり、また、より
深い点検により知った「詳細なデータ(悪さ加減のデータ)」に
より、どの様に修復し、初期の耐久性を維持するか?、また、回
復させるか?と進歩の繰り返しの技術発展となります。
 現状でも、日本には十分な技術がありますが、より高度な、幅
広い数々の技術が進展して行くでしょう。
 公共施設の耐用年数は、一律に何年と決めるものではありませ
ん。面倒見が良ければ長持ちします。
 逆に言えば、メンテナンス技術を適切に使っていないという問
題が大きいのです。放っておけば短い耐用年数となります。勿体
ないことです。
 コンクリートも、鉄構造物と同じ様に長い耐用が期待できるの
です。
 アルカリ性の付与をして、構造主体の鉄筋の錆発生を防ぐとか・
・・。高度なメンテナンス技術も開発されてます。
 レインボーブリッジも、木更津へ行ける様になった便利な公共
施設も、数十年で造り変えるのでしょうか?
 違います。そうしてはならないのです。
 レインボーブリッジは、メンテナンス計画がしっかりある様
です。長い年数の耐用年数が期待できます。
 公共施設に於いては、特に、管理責任者に、「造り変えまで何
年だ」の年数を想念させるのではなく、長い耐用が可能なのだと
教え知らせ、そのための「しっかりしたメンテナンス計画書」を
作らせ、それを一つ一つ丁寧に実行する大切さを認識させて行く
べきなのです。この事が大切なのです。
 国民の税金も、本当に生きて来ることになります。
 テレビでは、鉄橋の最悪状態を映し出していました。
 それは、橋桁の鉄構造物(H型鋼)が錆びて、あの厚い鋼材の
エッジ部分が欠損しているのです。
 あまりにも酷い放置です。無為無策です。
 しかし、この大切な橋の公共施設も、一流の建築士事務所など
に補強対策を検討させ、補強工事をし、供用に耐えていく様に
すべきです。
 造り変えではなく、適切な補強工事で、長い使用に耐えること
が出来るのです。壊して造り変えてはいけません。
 別のある橋についての報道では、使用している年数が長くなり、
劣化が進んだから、自動車の交通を止めていますとの内容の放送
があったが、あまりにも酷い事例です。
 建設時の目的を達していない公共施設。メンテナンスや適切な
補強工事を怠ってきたということ。そして、現在、この事態が起
きているということです。
 「だから造り直すのだ」の声が出て来るのだろうと予測できま
す。この場合、適切な補強工事をして、公共施設の目的を、常に
達する様に、維持して来るべきだったのです。
 安易な造り変えの案を実行し、造り変えの多額な税金の無駄使
いは絶対にしないでください。
 補強工事を多用し、メンテナンス工事を大切に実行し、「長く
使って行くのだ」との方向で行くべきですし、また、その方向の
技術の経験と蓄積をしていくべきです。
 そして、日本で培ったその技術で、世界の社会資本をも、日本
の技術と経験で、修復し維持して行くという、修復・維持技術の
先端に立って行って戴きたい。

アメリカとは・・・?

2013-04-18 02:31:42 | 日記
 題: アメリカとは・・・?
(悲惨な戦争を無くせないのでしょうか?)
.
 ベトナム戦争では、何と、120万人~170万人もの多くのベト
ナムの方々が戦死した。
 これに対し、アメリカの戦死者は5万人だった。徴兵拒否者は
約21万人。不名誉除隊者は56万人だった。
 アメリカは、枯葉剤やクラスター爆弾など民間人にも多数の
被害が出る兵器の使用を強行した。
 民間人に多大な被害が出る事を知って使用するという非人道
的行為をあえてした。
 これ等は被害が戦後の人体や自然環境にも及ぶ「ジェノサイ
ド」や「エコサイド」的兵器である。
 マクナマラは、戦後、自らを「全能」と錯覚し、「自身のイ
メージ」を相手に押し付けた結果、ベトナム人の「ナショナリ
ズム」を過小評価したため・・・と、反省を表明した。
 ベトナムの人々を鼓舞するナショナリズムがこんなに強いと
は思って居なかったと。
 マクナマラの「ベトナムの人々のナショナリズム」を正当に
評価すべきだったと反省するマクナマラの言葉は、ベトナム民
族の「統一」を求める心情の正当性を認めて居なかったという
事で、アメリカの論理的破綻を認めた形となった。
 アメリカは、ベトナム戦争の発端の頃、フランスに多額の軍
事援助を与えており、東南アジアの天然資源が欲しいとの意識
を持っていた。
 そして、西側陣営に属する南ベトナム政府を「共産勢力」の
攻撃から「防衛」する事を戦争目的とし、戦争に介入していっ
た。
 1954年のジュネーブ協定で、2年後の統一選挙をやろう、実
施しようと認めたにも拘らず、ホー・チ・ミン(北ベトナム最
高責任者、主席)が、非常に高い確率で当選すると予測される
や、アメリカは調印を拒否し、南ベトナムに親米的なゴー・ジン・
ジェム政権を強引に擁立した。
 この自分さえよければ良いの独善的な増上慢行為は、戦後の
1995年に、マクナマラの回顧録が発表されるや、アメリカ国内
に批判の嵐が巻き起こった。
 この様な事を、何故、ベトナム戦争中に行なわなかったのか?
と。
 何故、今頃、言ううのか?と。
 また、悲惨な戦争の「泥沼化」を、何故、未然に防がなかった
のか?の声だった。
 公然と強盗的行為の「対外介入する」事を正当視する独善アメ
リカ。
 国内の声は、このオコガマシイ独善行為に向かっていた。
 TPPも合議の形をとっているが、アメリカが牛耳る独善が見え
る。
 北ベトナムの首都のハノイやハイフォンを、厚顔無恥に堂々と
悪びれず爆撃を強行し、カンボジアまで戦線を拡大したり、
 中国の南部を核攻撃しようとのアメリカ首脳の声も聞こえて来
たりして、人類存亡のリスクまで秤にかけ、人類を危うい状況に
追い込んで、勝手な振舞いのアメリカの態度だった。
 アメリカは、自分の信じる自由主義が何しろ一番なんだとし、
それ以外は何をおいても排斥すべきだとの、拘(こだわ)った
狭い視点で、実力排除の強引な行為のごりごりの状態だった。
 キリスト教の教義にも、考え方の違う者・異教徒は、殺して
しまえの「異教徒は殺せ」の教義がある。
 キリスト教が「(キリスト教の)神の義」を絶対視したように、
アメリカも「自由主義」を絶対視した。
 非人道的にも、アメリカは、第二次世界大戦に投下した爆弾の
3.5倍もの大量の爆弾を狭いベトナムの地に投下するという行為
までしでかした。
 ニクソンは、1985年に出した本で、「我々のベトナムでの愚行
は、多くのアメリカ人に、力の行使についての疑念を生じさせて
しまった」と吐露した。
 そして、宣戦布告も無しに戦争を始め、そして、戦争を拡大し
て行ったアメリカ。
 キリスト教の教義には、「戦争を行なう前には、相手に勧告
せよ」との教義があるが、アメリカをそれさえもせずだった。
 なし崩しに戦争をする、最悪のアメリカだった。
 そして、第二次世界大戦の場合、戦勝国・アメリカは、敗戦国
を占領し、戦犯裁判を実施して、戦争責任を追求し、処罰し、
賠償の支払いを命じてるが、
 このベトナム戦争の場合は、敗戦国・アメリカは、その逆の事
を一切行なっていない。
 アメリカは、謝罪や賠償をどこ吹く風で、まったく無視をして
いる。
 自分たちの悪さ加減について、まったく認識してないという
無視状態にいる。
 アメリカという国は、この様な国だ。
 自分たちに都合が良い時には、一見、理屈の通った様な、自分
たちに都合の良い理屈を言って、相手を従わせ、
 自分達が都合が悪くなると、どこ吹く風と無視する。
 アメリカ国民も、「ベトナム戦争は正義の戦争だと答えた人は、
僅かに25%」との実態で、
 ほとんどのアメリカ国民が、ベトナム戦争は「不正義の戦争だ
」としている。
 アメリカは、この様な国民の意思を、誠実に、国際社会に表明
していない。
 そして、それに対応した行動もしていない。
.
 (参考)枯葉剤:ベトナムで使用された枯葉剤のうち主要な
ものは、2,4-ジクロロフェノキシ酢酸(2,4-D)と2,4,5-トリ
クロロフェノキシ酢酸(2,4,5-T)の混合剤であり、ジベンゾ-
パラ-ダイオキシン類が含まれ、副産物として一般の2,4,5-T剤
よりさらに多い2,3,7,8-テトラクロロジベンゾ-1,4-ジオキシン
(TCDD)を生成する。このTCDDは非常に毒性が強く、動物
実験で催奇形性が確認されている。ベトナム戦争帰還兵の枯葉剤
暴露とその子供の二分脊椎症の増加についてはこのTCDDとの
関連が示唆された。なお、2,4,5-Tはアメリカ合衆国や日本では
散布使用が許可されていない。ダイオキシン類が作用する分子
生物学的標的は内分泌攪乱化学物質と同一のものであり、動物
実験で催奇性が確認されている。
 (参考)クラスター爆弾:ベトナム戦争では、ケースに野球
ボール大の子爆弾を300個ほど内蔵し、その子爆弾ひとつの炸裂
で600個ほどの金属球を飛散させる『ボール爆弾』が使用された。
 この子爆弾は手榴弾や指向性の無い散弾地雷のように、炸裂
周辺の人員や通常の車両など、非装甲標的に被害を与えるもので、
加害面積は親弾の炸裂高度によって変化する。
 (参考)ジェノサイド(英: genocide)は、一つの人種・民族
・国家・宗教などの構成員に対する抹消行為をさす。
 (参考)エコサイド【ecocide】 《ecologyとgenocideとの
合成語》環境および生態系の破壊。
 (参考)ホー・チ・ミン(1890年5月19日 - 1969年9月2日)
は、ベトナムの革命家、政治家。植民地時代からベトナム戦争
まで、ベトナム革命を指導した。初代ベトナム民主共和国主席、
ベトナム労働党中央委員会主席。
 (参考)ゴ・ディン・ジエム(1901年1月3日 - 1963年11月
2日)は、ベトナムの政治家、ベトナム共和国(南ベトナム)初
代大統領(在任1955年10月 - 1963年11月)。熱心なカトリッ
ク教徒。
 (参考)おこ‐がまし・い【痴がましい/烏滸がましい】 [形]
[文]をこがま・し[シク] 1 身の程をわきまえない。差し出
がましい。なまいきだ。 2 いかにもばかばかしい。ばかげてい
る。
..
(追記)
 大量に人を殺す道具を持っていて、
 宣戦布告も無しに、
 次第にその戦争を拡大して行って、
 核兵器を使っちゃおうかの話をし、
 戦争が終わった後に、
 過ちだったと分かっても、
 謝りもせず、
 他人(ひと)には謝れ、賠償せよと言いたい放題をしたのに、
 自分の事となると「ホッカムリ」。
 駄々っ子ではあるまいし、
 自分の国の若者を、可哀想に、大勢、死に至らしめ、
 また、相手の国の人々も、戦争とまったく関係ない方々をも
死に至らす、
 責任者は、間違っていたと言ったって
 「死んでしまった方達は帰って来ない」、
 そして、この様な事を何度も繰り返している。
.
 私の町は人口10万だ、
 この町に住む人たちが、皆、死んで、
 隣のおじいさんも、きのう、挨拶したお母さんも、皆、死んで、
 どこの家も、誰も居ない、もぬけのから、
 こんな誰もいない町を20もあっちこっちにつくるほど、人々
を殺して、「学んだ、反省した」はないでしょう・・・。

キリシタン宣教師、戦国の世に暗躍、大いに軍事活動に拍車をかけていく。

2013-04-11 16:16:37 | 日記
題: キリシタン宣教師、戦国の世に暗躍、大いに軍事活動に拍車をかけていく。
.
 『大曲記』には次の様に記す。
 「南蛮船よりきりしたん宗とてめつらしき仏法僧わたりけり
・・・かの宗ていに成るほとの者には過分の珎物をとらする間
しさいもしらん物ハ皆よくにちうして成物おおし」・・・と。
 これは、キリシタン宣教師が、「南蛮の珎(珍)物」と引き
換えに、キリスト教徒の獲得に努めていたことを伝える内容。
 つまり、珍しい南蛮の物を餌に使って、釣って、キリスト教
徒にしていたということを表している。
 「南蛮の珎物」とは、中国産の生糸や絹織物類をはじめ、ジ
ャコウ、白檀(びゃくだん)などの香薬類、鉛や硝石それに火
器などの軍需品であった。
 これらの国内非自給物資(国内では手に入らない品々)に、
当時の日本人たちがおおいに興味を抱いたのはやむを得ないこ
とだった。
 特に、戦国の浮き沈みの大きい世の中において、中小の大名
たちは家の浮沈がかかっていた。
 当然、キリシタン宣教師も、南蛮船舶載品に示した日本人の
強い「入手欲」を知り、それを利用し、キリスト教に勧誘した。
 日本の布教にあたって、布教先の政治実権者から『布教許可』
を獲得し、宣教・改宗活動を行っていくため、「南蛮の珎物」
を布教の許可を得るための手段として、懐柔する品として大い
に利用した。
 ザビエルも、日本人が武器を非常に大切にして、尊重し、「
よい武器を持っていることが何よりも自慢」としていることを
知り、「私はこれほどまでに武器を大切にする人たちをいまだ
かつて見たことがない」と書き残している。
 キリシタン宣教師たちは、鉄砲や大砲、硝石や鉛などの軍需
物資をもたらしていた死の商人であった。
 これらの軍需物資は、その入手が極めて困難であったため、
鉄砲などの場合、「長崎古事集1」には・・・
 「其頃日本ニて鉄砲と云うもの不見馴重寶(宝)なる物とお
もひ、しハらくハ其名を重寶(宝)と名付」と言及されている。
 日本では「見馴れない物」であった。
 戦国動乱の激動期にあって、南蛮船の領内誘致を志向してい
た九州地方の大名たちは、「配下の中小領主の勢力のバランス
の上に自己の領国を支配し、周囲の大名相互の政治的確執ない
し抗争に対処せねばならなかった」。
 そして、そのためにも領国の富国強兵化を図らねばならなか
ったし、怠(おこた)ることのできない必須の努力目標であっ
た。
 その方策の一つが、南蛮船のもたらす硝石や大砲による、異
国の軍事力の獲得であった。
 新しい威力のある武器の獲得である。
 キリシタン大名である大村純忠の、南蛮船舶載軍需物資に対
する認識について、「長崎港草」には、
 「大村民部少輔純忠福田ノ地頭福田左京ニ申越シケルハ彼黒
船ハ鉄砲西洋砲ナドモ積乗セ来レバコレヲ他所ニヤルべカラズ
諸ノ軍器多シト云ヘドモコレニ勝ル者アルコトナシ」と言及し
ている。
 「他所へは絶対やるな。ワシのところへ持って来い」である。
 また、「豊薩軍記」巻之一には、田村紹忍が軍需物資の威力
について大友宗麟に対し力説している。
 「鉄砲石火矢を放ち掛は假令何十萬騎の敵なりとも退治は何
ぞ難からん・・・鉄砲石火矢は差て力らの勝劣にも依らす誰か
放かけたりとも如何なる鉄城石郭なりともなとか破らて有へき
と辦に任せて云ちらす」。
 キリスト教宣教師(イエズス会)は、軍事活動に拍車をかけ
ていく。
 キリシタン宣教師の行為は、本国の海外版図拡大事業の一環
として編入されていたことは紛れもない事実であった。
 そして、キリシタン宣教師たちは、本国の王から支援の金を
受け取っていた。
 日本への布教が、本国の国家事業(海外版図拡大事業)に包
含されていた。
 また、キリシタン宣教師の報告に、時の施政者が待遇良く遇
してくれたと記している書簡があるが、この書簡は、脚色され
ている。
 本国への報告の体裁を付けるべく美化した記述となっている。
 そして、よくあるキリスト教のプロパガンダ(嘘宣伝)とな
っている。
 真の、実態を表した報告書簡がある。
 それは以下の様な記述となっている。
 「我々は皆、(コレジオを)建設することよりも、どこに逃
げることができ、また我々が当地に擁しているこのわずかな(
キリスト教徒)をどこで救うことができるのか、ということの
方を考えることに忙殺されている」。
 そして、
 「日本で起こっている絶え間ない戦争と変動が原因で、我が
イエズス会員の生命と資産は、いつ滅亡に瀕するかもしれない
という大きな危険にさらされている」・・・と、訴えている。
 また、
 キリシタン宣教師たちは、キリシタン大名から南蛮船が入る
と関税を欲しがられたり(軍資金をせびられたり)、
 種々のいきさつから居留地の生活の地をいつ奪われるかを恐
れていた。
 その為、一定地にずーと居ることができない生活状況であっ
た。(処々を転々と移動した。南蛮貿易で得た利益を隠す理由
もあった)。
 しかし、肝心の保護すべきキリシタン大名(大村氏や有馬氏
など)は、有事の際に、キリシタン宣教師たちを保護・救済す
るどころか、逆に、キリスト教会からの保護と救済を受けねば
ならない様な状況だった。
 (キリシタン宣教師たちは、軍資金や食糧・武器の援助など
を与えたが、その費用は、彼らの年間経費の20~25%にも相当
する費用が充てられていた。
 キリシタン大名の有馬晴信は、竜造寺隆信と交戦中であった
時、特別援助金を要請し、特別援助として、彼らの年間経費の
10%に当たる額を特別出費してもらっている。
 キリシタン宣教師らの収入は、南蛮貿易の他、国王からの給
付金、ローマ教皇からの年金、インドの土地などの不動産など
から得ていた。
 しかし、収支は赤字であった。
 この様な事態において、彼らに、安全な場所を得る大きな必
要性が存在した。
 最も安全な場所・避難所として長崎が選ばれた。
 長崎の地は、自然の地の利も良かった。
 そして、彼等は、長崎を軍事要塞化して行く。
 キリスト教宣教師たちは、暴力による強制総改宗を行なって
いた。
 しかし、逆に、彼らに、宣教活動に不当な暴力を加えられた
場合、実力行使によって、戦争によってその不当を防御する行
為も行っていた。
 非常に戦闘的であった。
 そうして、そうする権利があるとして、武装集団化もしてい
た。
 教会内に武器も備えていた。
 そして、それは、大村氏や有馬氏が、援助を与えている割に
保護能力・保護行為が低かったからだった。
 そのため、彼等は、キリシタン大名の保護を見限って、自衛
の方向へ行った。
 この様なことからも、長崎の軍事要塞化への必要性が生まれ
た。
 塁壁や木柵を設け、長崎港の岬の一部を切り開き防御的に整
えたりした。
 そして、弾薬、武器、大砲を供給した。
 そして、妻帯した南蛮人を多く住まわせた。
 そして、兵士を配置し、全員に兵器を持たせた(武装兵士化)。
 長崎住民も兵士化し、塹壕を掘り、稜堡を作った。
 一重・二重の柵でも囲った。
 砦も築いた。
 船も持った。
 長崎住民の3万名に銃を持たせることができたという。
 (しかし、この3万名は眉唾との研究者の報告がある)。
 スペイン兵の日本派兵も要請した。
 また、この備えた武器を、戦時の時に、キリシタン大名に供
与したりしている。
 大砲などを供与して戦勝させた例もある(有馬氏と肥後領主
との戦い)。
 秀吉がキリシタン宣教師の追放令を出した後に、キリシタン
宣教師たちは、本国に「日本に国王の要塞」を持つ必要がある
と説いている。
 そして、国王は国王配下の200~300名の兵士によってそれ
を掌中にすることができると言っている。
 キリシタン宣教師たちは、本国の兵と積極的に関わり、日本
に要塞を作ろうとした。
 スペイン・ポルトガルに対日軍事進出を強く勧告している。
 秀吉のキリシタン宣教師の追放令は、公的にしたこの態度は、
キリシタンとのこの絶縁の意思は、ことの問題性を大きくして
行った。
 秀吉の意思に従うということではなく、逆に、キリシタン宣
教師たちの本国と日本との武力衝突の可能性を高めていった。
 キリシタン宣教師たちも、より大きな軍資金などの諸費用を
必要としていった。
 本国と強く関わらざるを得ない、拡大方向へ、事は動いて行
った。
 そして、キリシタン宣教師たちは協議し、フィリピンのスペ
イン総督へ兵の派遣を要請することになった。
 国家間戦争の容認と要請行為である。
 キリシタン宣教師たちは、「スペイン・ポルトガルの国家の
方針である『絶対主義的植民政策の尖兵』の性格」を如実に示
していた。
 殺戮のし放題だった南米・中米・北米メキシコ、及びその離
島の蛮行もこれだった。
 本国の力を頼りに日本の長・秀吉に盾突(たてつ)いて行っ
た。
 本国の軍事力を利用する悪漢の心根・心底が見せられた状況
となった。日本征服という顔を見せていた。

私達は人々を開放するのだと思っていたが、実際は、私達は開放したのではなく征服した

2013-04-09 12:36:06 | 日記
題: 私達は人々を開放するのだと思って居たが、実際は、私達は開放したのではなく征服した。
.
 新しいキリスト教国家を作ろうと、新天地アメリカに渡った
キリスト教徒のピューリタンたちは、キリスト教的な考え方・
教義に染まり切っていた。
 これまでの数々の歴史的に行なって来た悪行の史実も示して
いる様に、ここアメリカに於いても現地人・先住民を異教徒と
見て、駆逐の対象とした。
 キリスト教の「異教徒は殺せ」の教義である。
 南米・中米、そして、それらの離島などで繰りひろげて来た
殺戮に継ぐ殺戮の行為と同様に、北米・アメリカにおいても、
先住民・インディアンの方々を殺戮のし放題をした。
 「フロンティア・スピリット」と自らは美化して言うが、イ
ンディアンの方々の土地を次々と奪い、「西へ、西へ」とその
欲望の留まる所を知らぬ悪行為をして行った。
 そして、とうとうその欲望は、インディアンの方々を駆逐し
切ってしまった。
 他人の涙なんかまったく感じないキリスト教徒、自分さえ良
ければ良いという「キリスト教聖書」にも記されるている事と
まったく同様な様相だった。
 (民族宗教のキリスト教は、自分たちの民族の利のみにしか
教義がおよばない。御調べください)。
 行き着く所の太平洋岸に至っても、その欲望の留まる所は無
く、ハワイ併合や中米の運河地、ミッドウェー島の領有宣言、
ハワイ王朝を武力で倒し、中国が欲しいと、その足場にと、フ
ィリッピンを攻め、スペインと戦争をする。
 そして、スペイン領のフィリピンと同時にキューバも奪う。
 フィリピンでは、「完全独立させるから」と空手形を切って
いたアメリカ。
 フィリピンの植民地化の下心がばれて、フィリピン独立勢力
と、またまた、戦争を始めるアメリカ。
 アメリカは、「善意の同化をしてあげているのだ」などと自
分勝手な論理展開をする。
 今、TPPで日本に自分勝手な論理を押し付けているが、これ
とまったく同じ。
 そして、このフィリピン・ゲリラには「戦時国際法は適用し
なくても良いのだ」と、勝手な自分にだけに都合の良い論理展
開をし、「捕虜への保護義務を放棄」し、残忍なゲリラ平定戦
争をする。
 それも、徹底した非人道的やり方で。
 アメリカ軍は、捕虜を拷問したり、殺害したりし、民間人を
虐殺したりした。
 そして、無差別な焦土作戦で焼けつくしたりした。
 この考え方は、ベトナム戦争に於いてもまったく同じであっ
た。
 この状況を伝える兵士の手紙「戦闘が行なわれたマイパホの
村には、5000人が住んで居たが、今では重なり合った石ころと
て一つも無いと言うありさま。その荒廃ぶりは人々の想像を絶
するものとなっている。地獄より酷(ひど)いという状況だ」

 そして、この状況を知った作家のマーク・トウェインは「私
達は、フィリピンの人々を開放するのだと思って居た。私達は
開放したのではなく、征服したのだ」。
 恐ろしい事に、アメリカ国内では、マスコミ操作、世論操作
がなされ、「対先住民戦争に似た『人種戦争』なんだから、手
段を選ばないでやって良いのだ」という論理が高まった。
 大統領運動中のセオドア・ローズウェルトは、「野蛮との戦
いなので(良いのだ)」と強調した。
 フィリピンの人々を「ニガー」と蔑む呼び方をしたり。
 アジアの方々を蔑称する「グーク」と呼んだり、自らの残虐
行為に対する自制心をまったく失っていた。
.
[追記]:
 アメリカ国民は、アメリカの建国の理念が、はっきりと『海
外植民地を否定』しているのに関(かか)わらず、アメリカ国
民の多数は、海外領土の領有を欲(ほっ)した。
 米比戦争に於いて、20万人ものフィリピンの民間の方々が犠
牲となり、フィリピン兵士の2万人を大きく上回った。
 これに対し、米軍の犠牲は4千人だった。
 戦後、アメリカ軍による様々な捕虜への拷問や虐待が明るみ
に出たり、数々の不名誉な行為の米軍だった。
 また、フィリピンの民間の方々を強制移住させたりとの弾圧
の実態が明らかとなっりした。
 (アメリカ先住民のインディアンの方々を虐げたやり方とま
ったく同じ)。
 セオドア・ローズヴェルト大統領は、「未開と野蛮という暗
い勢力に対した、文明の勝利」だと発言し、自画自賛した。
 その後、アメリカは、フィリピンの独立に際し、「米軍基地
と通商上の特権」をフィリピンに認めさせたりした。
 以後、アメリカは、海外基地の確保による「政治的影響力の
保持」と「経済進出」をセットにするようになった。
 アメリカ国内でもこの戦争は「不名誉な戦争」とのレッテル
が貼られている。