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子供たちの「リンカーンの伝記」は間違っています(その10-2)

2012-10-30 02:49:37 | 日記
題: 子供たちの「リンカーンの伝記」は間違っています
(その10-2)
.
・リンカーンには、『家族や近所の者の中には彼が怠け者だ
と考える者もいた』というリンカーンに関する資料がありま
すが、
 その様な、本の主人公のマイナス面の記述は、当然、記さ
れていない。削除されている。
 そして、勤勉だという記述になっている。
 また1つのサンプル本は、随所に「朝はだれよりも早くおき
てはたらき、夕がたもおそくまではたらきました」などの記
述が多い。
・キリスト教的洗脳の記述は、「美しい讃美歌の大合唱にな
った」とか、「深い海から聞こえて来るような厳かな音にな
った」とか、「リンカーンをつつんで行った」「合唱の輪は
広がり、町中が厳かな雰囲気」「リンカーンの恵みに満ちた
様子」「優しい振る舞い、リンカーンのために祈る、リンカ
ーンを神として祈る、リンカーンは神の守りたもうこの国、
ひざまづき、リンカーンを神の様に拝みました、リンカーン
大統領様。あなた様を神様と思っているのでごぜえます」、
キリスト教から異端として退けられた例外少数宗派のクエー
カー教が黒人を助けた。など。
 リンカーンを偉大に見せるためか、黒人の方たちの言葉づか
いを「・・・ごぜえますだ」「・・・いただきやした」と蔑視
的な記述もしている。
 そして、
 リンカーンの話言葉は、上から目線の殿様的発言となって
いる。
・リンカーンの大統領就任演説で、リンカーンは、一言も奴
隷解放の事を話さず、
 逆に、奴隷財産の擁護をする演説内容だったが、
 子供の伝記には、このことは当然のように両サンプル共に
書かれていない。
 また、一方のサンプル本は、リンカーンが常に奴隷解放の
意思を持っていたようにあっちこっちに書いている。
 リンカーンが、強い奴隷解放の意思を最初から常に持って
いたと、繰り返し繰り返し、
 洗脳的にちりばめて書いている。
・結局、子供の伝記本の中には、子供の伝記作家の想像の記
述で出来あがっていると言える本が存在している。
 取捨選択も作家の独断で、選ばれた材料を大きく膨らませ
て、作家の宗教心(キリスト教の美化)を巧妙に伝道する場
の書物と言えてしまう本が存在している。
・最近の歴史家は、「リンカーンが奴隷解放者だ」という論
点から離れて、
 黒人の方たちが自ら奴隷制を離れた、
 あるいは少なくとも政府に解放への圧力を掛けたものである
という議論に移ってきている。
・また、歴史家のバリー・シュワーツは、2009年に、
 リンカーンのイメージは、「20世紀において、風化し、権威
が衰え、無害な冷笑の対象に」なっていると表明した。
 この様な歴史家の見解は、
 子供向けの言葉に直して伝えているかと言うと、まったくの
「なし状態」です。
.
(追伸)
 本シリーズを書き始めるにあたって思ったことは・・・、
 今のアメリカの原点は、独立戦争で勝ち得た国の形と共に、
 そして、第二の大切な原点が、
 「現在のアメリカ政府をたどって行くと、『南北戦争時の北
軍政府』へと行き着く」。
 それ故に、アメリカは、
 当時の北軍の最高の位置にいた『リンカーン大統領』を誇り
とし、
 この時の理念を「美しくしていたい」という気持ちが強い。
 それ故に、そのリンカーンに関して、
プロパガンダする点が少なからず見られ、存在する。
 そのプロパガンダされたために見えない「隠された真実」は、
 世界の善良の方達のために、
 明らかにされねばならない。明かされなければならない。
 それは、回り回ってアメリカ合衆国のためにもなり、
 また、これからの人類の行く末にも貢献すると確信する。

子供たちの「リンカーンの伝記」は間違っています(その10-1)

2012-10-30 02:20:43 | 日記
題: 子供たちの「リンカーンの伝記」は間違っています
                (その10-1)
.
 ・リンカーンの「子供たちの伝記」の調査結果を以下に記しま
  す。
 ・調査方法は:公立図書館および児童書専門のNPO施設の本に
  目を通しました。
 ・調査結果の記述は:それらの本の内、代表的な2冊を比較し
  ながら論じるとその差異が明確になるので、その比較を記し
  ます。
 ・サンプル本は:サンプル1:発行所:Ko社、著者:YM
  女史。サンプル2:発行所:Ka社、著者:外国人、訳者:
  MK氏。
 ・まず、お勧めは:お父さん・お母さん方は、良い子になって
  もらいたいと「偉人伝」を子供たちに買い与えられていると
  思いますが、
  特に、
  子供の伝記は、『全国学校図書館協議会選定図書』の表示の
  ある本を読ませるようにして下さい。
  それ以外は『読ませない方が良い』と言えるくらいです。
  特に、
  「児童向けの偉人伝」は注意して下さい。
  例えば1例、
  子供の感受性の強いところを狙って、巧妙なる宗教的洗脳、
  キリスト教の伝道がしたいという意図がはっきり見られる本
  があります。
  そして、
  その事が目的だと感じられる本に限って、子供の勉強的な
  記述は薄くなっています。
  普通は、
  当時のアメリカの時代背景など、豊富な地理的、歴史的な
  記述になるのだが、その様な点が欠け、宣教の意図の伏線が
  見えます。
 ・サンプルの一つは、
  写真や演説中の言葉のメモ、ノートや絵、当時の新聞などの
  資料を豊富に示し、
  忠実に伝記を子供向けに分かりやすく描こうという姿勢が見
  られますが、
  一方は、
  想像的に描いているカット絵のみとなっていて、
  記述内容も著者の創作的な事柄が多い。
  そして、著者は、キリスト教に強く賛同している方か、また
  は、キリスト教徒の方なのか、
  隋所に、キリスト教の美化記述が入いり、「リンカーンは
  キリスト教会には行かない」という信仰レベルであったが
  (演説には聖書の引用文は少しは入れているが)、リンカー
  ンが強いキリスト教の信仰者の様に描いている。
  (リンカーンは、自分の過去を語りたがらない性格だった
  ため、不明なことが多く、
  リンカーンの伝記は、本人以外の情報から作られているとい
  う面が多い。
  なのに、細かい状況など完全に創作の連続という感じの記述
  となっている)
 ・また、一方のサンプル本は、
  リンカーンが、うつ病に悩まされたことも書き、リンカーン
  のマイナス面も色々と書き、偏した内容ではなく。
  誠実に「人間リンカーン」を書くという書き方で、
  また、リンカーンが、迷信深い人で夢や前兆や予感などを信
  じる人だったことなども紹介したり、
  豊富な「人となり」を紹介している(一方的な美化一本やり
  にはなっていない)。
  また、
  南北戦争中、リンカーンほど人気のない人はいなかったと記
  し、反対者からは暴君とか、田舎者とか、大ばか野郎とかと
  非難されたことも紹介している。
  そして、軍隊の事をこれっぽっちも知らないくせに、あれ
  これ口出しばかりすると「こき下ろされていること」を紹介
  している。
  また、
  はっきり「奴隷制度を廃止するかどうかではない」と最優先
  事項としてないことも紹介し、後に変わったとも書いている。
  また、
  黒人の奴隷解放戦士フレデリック・ダグラスも紹介し、彼の
  事も詳細に書いている(他方のサンプルには全く出て来な
  い)。
  そして、
  フレデリック・ダグラスが、リンカーンに「白人の事しか考
  えていない」と糾弾したことも書いている。
  比較的、真実を書こうという姿勢がある。
  が、一方のサンプル本は全くこれらの兆しも書かれていな
  い。
  美しく、リンカーンの人間性から、自ら奴隷解放の政治家
  になったという美しい記述(嘘記述)一点張りとなってい
  ます。
 ・リンカーンは、インディアンによって目の前で祖父を失った
  ことから、インディアンに対して非情な行動・態度を示し
  ますが、
  「全滅を指示する」とかは、さすがに、この「偉人にある
  まじき事柄」は両サンプル本にも完全カットされている。
  リンカーンが弁護士職なったのも、
  その事柄が関係していると推察できるが、
  そして、インディアンの土地取り上げを執念を持ってし続
  けたことなど、まったく記述されていない。
  その点については、偉人を美しく作り上げようとの記述に
  なっている。
  インディアンを外出できない強制収容所に閉じ込めた話も、
  当然のごとく、まったくの記述なし。
  また、インディアンの首に賞金を付けて全滅を目指したと
  いう事も記されていません。
  『リンカーンの美しい面のみ強調され、黒人の方たちに対し
  ても、人道的なリンカーンの姿が必要以上に強調されて書か
  れている状況です。
  黒人の方たちが、政治的社会的に白人の下の地位にいて良い
  という発言についても全く記されて居りません。
  一つの方は、その様な極端な美化はしない様に事実を伝え
  ようと努めている姿が見られますが。


子供たちの「リンカーンの伝記」は間違っています(その9)

2012-10-11 14:34:47 | 日記
 題: 子供たちの「リンカーンの伝記」は間違っています
      (その9)
 リンカーンは、
 対抗する大統領候補から「論理の一貫性がない」と非難され
るように、奴隷解放について種々の発言をしていた。
 「奴隷解放の父」と言われてはいるが・・
 その面が全く見られない面が多々見られる。
 リンカーンは、優柔不断の面もあるのかとも思える。

 リンカーンの黒人奴隷の解放に関する発言:
 「私は、白人種と黒人種の社会的政治的平等を如何なる形で
も、もたらすことに賛成はしていないし、これまでもそうでは
なかった。
 私は、黒人を有権者にすることも陪審員にすることにも、賛
成していないし、
 彼等が役職者になる資格を与えることとか、白人と結婚する
とかいうことにも賛成しておらず、これまでもそうだった。
 さらには、
 白人種と黒人種の間には身体的な違いがあり、
 2つの人種が社会的政治的平等という条件で共に暮らすことを
永久に禁じることになると考えている。
 彼等が、そのような生活をできない限り、
 彼等は、上等と下等の地位があるべき状態に留まり、
 他の人と同様に、私は上等の地位が白人種に割り当てられて
いることに賛成する・・・」。
 これは、
 リンカーンが、アメリカ市民から「奴隷制廃止論者」と非難
があったことに対し、それを打ち消すためにこの発言をしたと
いう。
.
 リンカーンは、
 少なくとも、確実に、すべての人種に対して人道主義的であ
るとは言えない。
 リンカーンのインディアンに対する態度は、異常・極悪であ
った。
 リンカーンのインディアンに対する態度は、常に徹底排除の
姿勢を崩さず、彼らの大量虐殺の指揮を取り続けた。
 民族浄化とも言われるロング・ウォーク・オブ・ナバホや、
ダコタ戦争を始めとする多くのインディアン戦争は、リンカー
ン政権下で行われた。
 そして、
 リンカーンは、弁護士時代から大統領時代にかけて、
 インディアンの土地取り上げに奔走している。
 ことに、西部方面へのインディアン領土への鉄道拡張に関し
て、インディアンの土地権利の抹消処理を、多数、手がけた。
 リンカーンが「無効(neutralized)」としたインディアン
部族の土地に対する書類は、現在も数多く残されている。
 リンカーンは、
 執念を掛けて、インディアン民族に対して、
 終始徹底排除の方針を採り続け、大量虐殺を指揮している。
 当時の保留地は、外に出ることを許されない完全強制収容所
だった。
 また、
 リンカーンは、ミネソタのダコタ族との連邦条約を一方的に
破棄して、
 ミネソタ州にある彼らの保留地を強制没収し、
 彼らをノースダコタ等の他のスー族の保留地に強制連行した。
 ミネソタに、それでも残っていたダコタ族に対しては、
 州を挙げての皆殺し政策が行われ、
 女子供を問わず賞金首とし、徹底絶滅が図られた。
 リンカーンは、
 この虐殺方針に対しても、責任者として、全く異議を唱えな
かった。
 1863年、この夏、
 リンカーンは、ジェームズ・カールトン准将に、南西部のナ
バホ族インディアンの討伐を命じた。
 ナバホ族は、ダコタ族同様に、抵抗していた。
 カールトンは、ナバホ族の土地に金鉱があると睨んでおり、
以下のように声明を行ったが、今回もダコタ暴動の際と同様、
司令者であるリンカーンはこれを是認した。
 1864年、リンカーンは、
 ナバホ族8500人の、300マイル(483キロメートル)離れた東に
あるアパッチ族の強制収容所「ボスク・レドンド」への徒歩連行
を命じた(ロング・ウォーク・オブ・ナバホ)。
 この強制連行の途上で、数百人の死者が出たが、
 そのほとんどが子供や老人だった。
 「ボスク・レドンド」で、ナバホ族は強制労働を課され、
 女性は、米軍兵士から強姦され、
 また、乳幼児のほとんどが生まれて間もなく過酷な環境下で
死んだ。
 結局、リンカーンの死後の1868年に、和平条約が調印される
までに、2000人以上のナバホ族が死んだ。
 など、多数のリンカーンの先住民・インディアンいじめの事
例が多々ある。
 上記の原因の一つに、リンカーンが、インディアンに殺害さ
れた父方の祖父エイブラハム・リンカーンにちなんで命名され
たというところからも推察できる。
.
 そしてまた、リンカーンは、
 白人と黒人が平等であるとは思っていなかった。
 リンカーンは、はっきり
 「奴隷制と奴隷制廃止論のどちらにも反対する」と発言もし
ている。
 また、
 「奴隷制度は不正と悪政にねざすことを信じるが、しかし、
 奴隷廃止論の公布は、その害悪を減ずるよりはむしろ増大さ
せるものと信ずる」と、奴隷解放の反対理由を言っている。
 そして、リンカーンの発言:
 「これまで私は、黒人が投票権をもったり、陪審員になった
りすることに賛成したことは一度もない。
 彼らが、代議士になったり白人と結婚できるようにすること
も反対だ。
 皆さんと同じように、白人の優位性を疑ったことはない」。
.
 更に、リンカーンの発言:
 「奴隷制度が布かれている州におけるこの制度に、直接にも
間接にも干渉する意図はない。
 私はそうする法律上の権限がないと思うし、またそうしたい
という意思もない」。
 また、リンカーンには、
 俗な言い方をすれば「連邦を救いたいのだ、黒人の奴隷解放
は二の次なのだ。黒人奴隷解放が、どの様な結果になろうが連
邦が救えれば私はそのことをする」がある。
.
 黒人歴史家のレローヌ・ベネットは、1968年に、
 リンカーンを白人至上主義者と呼んだ。この時、広く注目を
集めた。
 批評家は、リンカーンが、民族的な中傷を用い、黒人を冷笑
するジョークを話し、社会的平等に反対すると主張し、解放奴
隷を別の国に送ることを提案したことに苦情を言っている。
 リンカーンの擁護派は、
 彼が大半の政治家ほど悪くはなく、
 政治的に可能な限り奴隷制廃止論の側で巧みに進展させた「
道徳的先見家」だったと弁護している。
 (参考)じんどう‐しゅぎ【人道主義】 人間性を重んじ、
人間愛を実践し、併せて人類の福祉向上を目指す立場。ヒュー
マニズム・博愛主義と共通する面が多い。

子供たちの「リンカーンの伝記」は間違っています(その8)

2012-10-10 02:43:12 | 日記
題:子供たちの「リンカーンの伝記」は間違っています
      (その8)
[ 関連事項 ]
 アメリカの最高裁判所が「黒人を隔離しても平等」という判
決を出した。また、人種の違いで黒人と白人を別々の学校で教
育することという法律もあった。
 これはおかしなこと。「隔離しても平等の原理は無い」ので
ある。
 「隔離したら不平等」なのである。人種差別なのである。
 何でこの様な基本的な当り前のことが通らないアメリカ社会
なのか?
 キリスト教の教義・考え方に洗脳されたアメリカにおいては
隔離して平等なのである。
 水飲み場や公園などの公共施設には、どこに行っても「白人
専用」とか「黒人専用」とかと書かれていた。
 バスの座席は、後部が黒人用だった。
 「黒人席」が満席になり、前の「白人席」に空席がいくらあ
っても、黒人の方たちは後方に立っていなければならなかった。
 公の圧力や法的にも虐げられた黒人の方たちでした。
 黒人の方たちは、この様な差別に反対する行動を起こした。
 1953年の事である。
 アメリカでは最近までこの様な差別が公的機関を先頭にして
行なわれている。
 この不合理さに気付いている良心的な白人は少なかった。
 人間の尊厳という最も大切な基本を傷付けている事に気付い
ている白人は少数だった。
 黒人の方たちも含めて、総べてのアメリカ人に、当然、享受
すべき自由、平等、正義があるべきなのに、その大切なものが
一部の方たちに対し、ないがしろにされていた。
 それに気付く白人は少数だった。
 愚かにも南部の白人権力は、特に、白人群衆を巻き込みなが
ら、この歴史の歯車を逆に押し戻そうと必死だった。
 黒人と白人の共学の問題などが起きていた。
 KKKというテロ集団が、特有の異様な白装束に身を固め、キ
リスト教の十字架に火をつけて夜空に燃やしたりした。
 翌日、騒ぎは大きくなり、町には暴徒の群れが充ち溢れた。
 黒人の方たちに投石や棍棒による暴力が加えられた。
 人種暴動の状態だった。
 南部は、特に、人種共学は遅々として進まなかった。
 若者たちが組織した人種差別撤廃闘争は、「入り込み」運動
を展開した。
 黒人の方たちが、集団をつくり、白人専用の海水浴場に入り
込んだり、映画館や公園、そして、黒人の方たちを差別してい
たキリスト教会へ「入り込み」運動を展開した。
 愚劣な白人の言葉「黒人は、われわれ白人とは違う。神が、
黒人を罰するために、かれらを白人とはちがう姿におつくりに
なったのだ」。
 白人暴徒が、黒人の方たちが作った黒人教会を焼き打
ちし、幼い黒人少女たちが亡くなるという悲惨な事件など
が続いた。
 頭をめった撃ちに銃弾を浴びて、また鉄鎖で全身をめった
打ちにされた黒人の方、頭蓋骨を割られ、特に、黒人の活
動家がターゲットになった。
 しかし、無罪になる白人。
 今、アメリカでは、黒人の貧困家庭は白人の4倍である。
 『総べての面で、社会的平等が達成されなければならない』。

子供たちの「リンカーンの伝記」は間違っています(その7)

2012-10-08 04:25:11 | 日記
題:子供たちの「リンカーンの伝記」は間違っています
       (その7)
[ 関連事項 ]
(11)・アメリカの1850年の逃亡奴隷取締法(逃亡奴隷は
生殺自由・・など)と、1854年のカンザス=ネブラスカ法に
反対する闘いの中から、より大きな奴隷制反対政党として共和党
が誕生してくる(現在の共和党の始まり)。
1857年の黒人奴隷と奴隷所有者のある裁判で、アメリカ最高裁
判所の下した判決は「黒人奴隷ならびにその子孫は、所有者の
財産であって合衆国の市民ではない。
 劣等人種であるかれらは、白人と同等の権利をもつことはで
きない。
 だから、黒人である原告には連邦裁判所に提訴する権利は与
えられていない(黒人奴隷が起こした裁判、黒人奴隷の原告は
裁判に負けた。敗訴となった)。
 裁判長はじめその過半数が南部人によって構成されていた。
 1858年、当時49歳のエイブラハム・リンカーンが共和党から
初めて上院議員に立候補した頃の事である。
 ここで、黒人の黒人解放戦士『フレデリック・ダグラス』が
記憶にとどめておくべき『偉人』である。
 彼は、リンカーン大統領の黒人に対する意思を変えた人であ
った。
 リンカーンは、初め、奴隷解放への強い意思は持っていなか
った。
 フレデリックの功績によって目覚めたのである。
 真に黒人解放に寄与したフレデリック・ダグラスの名は、リ
ンカーンと共に並びおかれて然るべき偉人なのである。
 長年、黒人の方達の歴史が、埋没され、歪められてきたアメ
リカ白人国家。
 黒人を白人と平等の地位に置くことを頑なに拒絶してきたア
メリカなのである。
 アメリカにはキリスト教から来る黒人蔑視の観念が根強く根底
に存在していた。
 黒人の方達の正しい歴史も、最近になって陽が当たる様にな
った。
 日本の子供たちの伝記「リンカーン」は書き変えるべきです。
.
(12) キリスト教の聖書に書かれ、そして、是認された奴隷制。
 また、「黒人を人と見ない」というキリスト教の考え方・教義。
 このキリスト教に影響され、ここ、アメリカにおいて、黒人を
奴隷として差別する種々の法制化という行為に至った。
 「黒人差別制度(もしくは黒人差別主義)」の州法や市条例が
でき、黒人の方たちを縛り付けた。
 アメリカ南部ではこれらの考え方が、特に、全体的風土として
定着し、非合法の黒人へのテロ集団の蛮行のみならず、合法と
いう形をとった圧迫によって黒人の方たちは虐げられ、第二級
市民の地位に落とされ、押し留められた。
 この様な状況の中で、独占的になったアメリカ資本主義(とく
に北部)が、たんに黒人を搾取するだけでなく、労働者階級全体
を搾取する動きで、法制的に、また、暴力的に、収奪体系を作り
出していく。
 黒人蔑視から肌の色の相違を越えて広がっていく。
 そして、地域的にも広がっていく。
 南部の黒人が虐げから離脱して、北部の諸都市へ移住しても
黒人差別が、そこにも存在した。
 黒人差別は、アメリカのどこでも広く行き渡っていた。
 この頃の皮肉を込めた言葉:「アトランタの博覧会には、テネシ
ー州の黒人リンチも南部の特産物として出品されるべきだ」。
 第一次世界大戦前後から以降、特に、黒人の方たちの南部から
の流出は増大し、100万人以上と推定されている。
 彼らを待っていたものは、南部と変わらない差別待遇だった。
 賃金は安く、住居もゲットーと呼ばれる隔離された貧民街に
押し込められた。
 黒人の方たちには、激しい抵抗心と同時に、不安と焦燥(しょ
うそう)の念がみなぎった。
 黒人の方たちは、第一次世界大戦で勇敢に戦った。
 その戦場においてさえ、自国(アメリカ)の差別の苦渋をいや
というほど受けた。
 他方、フランスをはじめ同盟軍である他国の将兵から、初めて
人間としての扱いを受け、ますます人種差別制度に対する反感を
強めて帰って来た。
 1919年に、この様な社会的背景から、シカゴで人種暴動が起き
た。
 黒人が泳ぐことが禁止された白人専用の場所で、黒人青年が
泳いだというのが事の発端だった。
 白人の群衆は黒人青年に対し石の雨を降らせた。
 黒人青年は可哀想に溺れ死んでしまった。
 これが暴動の発端だった。
 13日間の人種戦争と化し、白人15人、黒人23人が殺され、
178人の白人と342人の黒人が傷つき、数百軒の家が焼かれた。
 大半が黒人の家だった。
 この頃、白人たちは、アフリカを侵略し、白人の植民地主義
と人種的抑圧の愚行が続いていた(白人は、アフリカで、黒人の
国アフリカを強奪し、黒人の方たちを隷属状態にする愚かな行い
をしていた)。