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オーストラリアにおける蛮行

2012-07-31 23:58:31 | 日記
 題 : オーストラリアにおけるキリスト教徒の蛮行

 18世紀、オーストラリア(シドニー湾)に上陸したキリスト
教徒のイギリス人は1200人で、すべてが囚人だった。
 この後、オーストラリアは、イギリスの政治犯やコソ泥など
の囚人が、宗主国イギリスの国から送られる流刑地としての歴
史が始まる。
 当時、オーストラリアには、先住民のアポリジニが、推定で
100万人が生活していた。
 しかし、南米・中米・北米メキシコ、および、それらの離島
で繰り広げられたキリスト教徒スペイン人と同行したキリスト
教聖職者等による殺戮・全滅の愚行と同様なことを、この地・
オーストラリアにおいてもキリスト教徒イギリス人は行なう。
 100万人が居ただろうという先住民アポリジニは、またたく
間の内に、このキリスト教徒イギリス人に虐殺され、駆逐され
てしまった。
 狩猟でもやる様にアポリジニは撃たれ、殺されていった。
 先住民アポリジニは4万年前、一説で6万年前から住んで先住
権があったが、まったく無視され、先祖代々の土地は奪われ
た。
 キリスト教は、アフリカ黒人を「人とは見ない」というキリ
スト教聖職者の言葉が残されているが、キリスト教の判断基準
・教義からこのオーストラリアのアポリジニの人権も無視され
た。
 今、約1900万人の人口のオーストラリア。
 その95パーセントはアングロサクソン(コーカシアン)で、
アポリジニはその中の1パーセント(19万人)にも満たない。
 3分の2のアポリジニは、当時、殺戮された。
 今、彼等は、不毛の砂漠地帯に追いやられている。
 環境の悪さから、平均寿命が白人より20歳も少ない50歳であ
り、失業率も白人の4倍以上と悲惨な状況となっている。
  (参考:「日本を捨てて、日本を知った」林秀彦著)

ハロウィンについて

2012-07-30 00:45:06 | 日記
 題 : ハロウィンについて

 拝 啓
 突然の送信をお許し下さい。 
 是非、ご一読 賜りたくお願い申し上げます。
 貴方様に関連しているハロウィンについて送信させていただきま
した。
 宜しくお願い致します。
 ハロウィンは魔女が関係するキリスト教の祭りです。
 キリスト教には「(キリスト教の)神の義によって、人を誅して
も良い」との教義があり、多くの悲惨な戦争の原因になってまいり
ました。
 また、魔女事件は「魔女は生かしておいてはならない」という
キリスト教の教義から多くの罪のない方達が長い年月において苦し
められて来た悲惨な事件です。
 可哀想な方々が何百万と居られます。
 殺され方も火あぶりです。それも乾いた木でなく生の木で焼く
陰湿なやり方です。
 ハロウィンにはこの様な悲惨な可哀想な事情が多々あります。
 貴方様の深いご理解を賜りたいと思います。                  
 下記に魔女に関する一部の資料ですが「拷問を伴う魔女裁判」の
記述の一部分を記させて戴きます。
 尚、国際的にも、ISOで、企業は宗教的に中立でなければならな
いとされています(特定宗教のキリスト教にのみ偏して、美化し伝
道する行為は、禁止し控えるのが国際の常識・意識です)。
 参考:ISO26000(企業の社会的責任)で、企業の特定宗教の偏向
行為を止める(宗教的差別行為の禁止)が定められています。
 日本もISOの加盟国です。           敬 具
・・・(資 料)・・・
 16世紀のなかばのトレドのキリスト教の異端審問で、エルヴィ
ラという人妻に対して行われた「尋問」の経過を、忍耐強い書記が
被告の悲鳴や絶叫にいたるまで、細大洩らさず書きとめた長文記録
です。
 また、日本では安易に「魔女」言葉が使われますが控えたいもの
です。
 裁判には拷問が必ず行われました。以下その一部。
 ・・(エルヴィラの両腕を縛った綱がさらに締め付けられ、捻じ
られる。悲鳴。)
 「裁判官さま。何を申し上げたらいいか、言ってください。私が
どんなことをしたのか私にはわからないのです。綱をゆるめてくだ
さい、本当のことを申しますから。何を言えとお望みなのか、私に
は分かりません。おっしゃってください。その通りに申します。」
 (さらに綱が締められる。「真実を言え」と迫られる。「どう言
ったらいいか教えてください。何でも申し上げますから」と彼女は
繰り返す。)
(「おまえは豚肉を食べただろう」と誘導される。)
 「いいえ、食べた事はありません。豚肉を食べると私は気持ちが
悪くなるのです。豚肉は好きじゃないんです。私は何も悪い事はし
ていないんです。どうぞ放して下さい。何でも申しますから。何を
申し上げれば宜しいのですか。何を言ったらいいのか分からないん
です。
言って下さい。何でも申します。放して下さい。何でも申します。
・・・言って下さい、言って下さい。」
 (綱はゆるめられず、「カトリック教会にそむく事をしただろう
」と尋ねられる。)
 「放して下さい。・・・(うめき声)・・・ここからおろして下
さい。何を言ったらいいか、言ってください。ああ・・・苦しい。
お望み通りのことをみんな申し上げますから・・・。裁判官さま、
もう腕が砕けます・・・。ゆるめてください・・・」
 (「お前がした事を詳しく言え」と迫られる。)
 「何を申し上げたらいいのか・・・。そうです、いたしました。
なんでもいたしました。・・・ああ、ゆるめて下さい。申し上げね
ばならない事が、私には思い出せないんです。弱い女の身です。腕
が砕けそうです。弱い女に、憐れみをお持ちではないのでしょうか
。・・・」
(裁判官は、「本当の事を言えば憐れみを持つであろう」という)
 「裁判官さま、言って下さい。本当の事というのを教えて下さい
・・・。(泣きむせぶ)・・・分からない・・・何を言ったらいい
のか・・・。」
 (同じ言葉の繰り返しと拷問が続いたのち、「おまえは土曜日に
麻の着物を着替えただろう」と尋ねられる。)
 「はい、着替えました。着替える時が来ていたからです。悪意が
あっての事ではありません。何をお考えになっているのでしょう。
・・・」
 (裸にして拷問台に寝かされる。四肢は四方に、綱で引っ張られ
る。口に水管が差し込まれ、水差しから水が注がれる。その合間合
間に彼女は前と同じことを繰り返えす。ここで、拷問は一時「中断
」。)
 それから4日後、拷問は再開された。岩波新書「魔女狩り」より
ーー(関連資料)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
2009年8月13日(木)13:00 毎日新聞 
◆被爆者が生きている間に、核兵器が廃絶される日を見せてあげた
い。井田薫(仮称)
「原爆投下の良かった面を考えよう」
 早稲田大4年、井田薫(仮称)さん(22)は6年前、留学先の
米ミシガン州の高校で、アメリカ史の教師が出した課題に耳を疑っ
た。
 幼少期を長崎市で過ごし、毎年8月9日には静かに祈る人たちの
姿を見てきた。「広島と長崎の悲劇は世界に共有されていると思っ
ていたのに」。頭の中が真っ白になった。
 他の生徒たちが「戦争を終わらせた」「祖国の防衛になった」な
どと答えるのを聞きながら、「違う」と思った。だが、その一言が
言えない。沈黙するしかなかった。
 帰国して大学に進み、祖父の妹(80)宅に下宿した。そこで、
亡き祖母が長崎で被爆したことを知った。自分が被爆3世だという
ことも。
 ある夜、祖父の妹が涙を流しながら被爆した時のことを語ってく
れた。
 焼けただれて助けを求める人たち、空襲警報のたびに防空壕(ご
う)で震えた記憶……。「同じ苦しみを味わわせたくない」。その
言葉が胸に響いた。
 2年前、再び米国に留学した。「今度は自分の思いを伝えよう」
小さな決意を秘めて向かった留学先の大学で、原爆を扱った映画の
上映会を開いた。学生から「原爆の苦しみを教えてくれてありがと
う」という言葉が返ってきた。「伝えれば伝わる」と思えた。
 今は、ジャーナリストを志し、中東向けのニュース配信会社「パ
ンオリエントニュース」(東京都港区)で「修業中」だ。
 いつか、自分の記事で世界に発信したい。「良い戦争なんてない
」と。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(悲惨な戦争を無くせないでしょうか。切なる希望について。)
拝 啓
 下記は、番組を提供された企業様とその番組に出演された女優様
へ送信したメールです。
 是非、御一読 賜りたくお願い申し上げます。
 尚、下記において、番組提供の企業(○○と標記)と出演された
女優(☆☆と標記)、及び放送した放送局(□□と標記)は匿名と
させて戴いて居ります。           敬 具
         ( 記 )                   
 ○○株式会社様
 拝 啓
 下記は、貴社提供のテレビ番組(□□チャンネル、地球街道「
長崎街道、憧れの教会」)について、☆☆様へ送信したメールです
 御多忙とは存じますが、是非、御一読 賜りたく お願い申し上
げます。            敬 具
           記
 ☆☆ 様
 拝 啓
 御活躍のご様子、何時も拝見させて戴いて居ります。
 本日(10月18日)午後10時30分からの□□チャンネル「
地球街道(長崎街道、憧れの教会)」を拝見させて戴きました。
 この番組は、今回の様に、「キリスト教徒によるキリスト教を美
しく見せる番組」を度々放送しております。
 これに比較して、仏教関係は皆無の状況です(公共放送として公
平性の無い偏した現況です)。
 また、キリスト教は『(キリスト教の)神の義によれば、人を誅
しても良い』との教義から「人をあやめる行為」を残念ながら行っ
て来て居ります(この悲惨な事例は、いにしえから長い歴史と共に
数知れずあります)。
 近年では、ブッシュさんがイラクで(多くのアメリカの青年が亡
くなっております。また、本戦争に関係のないイラクの多くの方々
も亡くなられております)。
 そして、次期米国大統領候補の方々は、いずれの方もイラクの悲
惨なこの戦争の中止を意思表明して居ります。
 ブッシュさんの支持母体のキリスト教徒の希望により行われた(
上記の教義の論理から行われた)この戦争は「悲惨な結果」をもた
らしただけでした。
 ブッシュさんのお父さんも、中近東の湾岸戦争で、今回と同様に
、支持母体のキリスト教徒の希望により同じ行為をして居ります。
 キリスト教は、いにしえの古代の十字軍もそうですが、上記の教
義により、可哀想な多くの方々を残念ながら作ってまいりました。
 この教義は間違っておりますという声を、是非、上げて戴きたく
お願い申し上げます。
 また、キリスト教に偏する番組作りをしている本番組へ、公共放
送として公平性のある番組作りになる様、お力をお貸し戴ければと
お願い申し上げます。         敬 具 
ーー(以上を送信させて戴きました。以下は御参考として付記させ
て戴きました)ーーーーーーーーー
(参考)テレビに於ける公開討論において、米国大統領候補のいず
れの方も、直ぐ撤退するか、否かの意見の違いだけで、両候補とも
撤退の意見となっております。
 ☆ 己を忘れて他を利するは、慈悲の極みなり。
 ☆ 以和為貴・・・(和をもって貴しとなす)。
 ☆ 一切衆生、悉有佛性 :
  (いっさいしゅじょう、しつうぶっしょう)・・・この世のあ
らゆる生きとし生けるものは、ことごとく皆、佛性(佛の性質・佛
と成り得る資質)が備わっています。そうした生きとし生けるもの
でもって宇宙は構成され、すべて(万物)が繋がり、時は流れてい
ます。そのつながりの中で育んで行きましょう。
 [参考比較] キリスト教の人間生来の 原罪 : 原罪(げん
ざい)とは、エデンの園において人類の始祖であるアダムとイヴが
最初に犯したとされる罪、およびその罪が人間の本性を損ね、ある
いは変えてしまったため、以来人間は神の救い・助けなしには克服
し得ない罪への傾きを持つことになったという、キリスト教の多く
の教派において共有される思想。
 (ここを原点として、信じなければ救いを拒否し、切り捨てると
いうキリスト教がある)
☆ 真実の声 :
 すべての者は暴力におびえ、すべての者は死をおそれる。 己が
身にひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。  
              ・・・ 仏典『ダンマパダ』より
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(若い方達へ)
 キリスト教は贈り物とか、讃美歌とか、外見上は優しく見えます
が、若い方達は特にご注意ください。
 虐殺や戦争の事例が実に多い宗教です。
 それは『(キリスト教の)神の義によれば、人を誅しても良い』
という教義から来ております。
 他人を絶対にあやめてはいけません。
 間違った宗教に幸せな未来はありません。

 キリスト教の罪悪の一例である、ヨーロッパの30%もの方々が
亡くなった戦争事例がどの様なものかをお調べ下さい。
 そしてまた、この%の異常さをお感じ下さい。
 どの宗教も同じという話は無くなると思います。
 やはり、教え・教義からくる悲惨な結末なのです。

マザー・テレサさんのこと

2012-07-27 02:54:33 | 日記
題 : マザー・テレサさんのこと

 マザー・テレサさんが、初めて、インドの社会に入って行っ
た時は大変でした。
 彼女にあったのは自分の志(こころざし)だけ。
 彼女を受け入れたのは、インドの「ヒンズー教の方たち」で
した。
 彼女の活動のための家を貸し、彼女の活動のための手助けの
人達が駆け付けました。
 元々、マザー・テレサさんのやりたい志の事は「ヒンズー教
の方達はしていました」。
 だから、正確に言えば、「マザー・テレサさんが、志を同じ
くする人たちの中に入って行った」なのです。
 ヒンズー教の方達は、多神教。
 イエス・キリストやマリアもヒンズー教の神々の一人として
いる宗教。
 この様な宗教教義の面からも、マザー・テレサさんもスムー
ズに受け入れられました。
 一神教のキリスト教には「異教徒を殺せ」の教義がある様に、
異教徒を忌む宗教ですので、この様なスムーズな受け入れとは
ならなかったでしょう。
 マザー・テレサさんは、最初、キリスト教からは、まったく、
孤立無援。
 手助けはヒンズー教の方達だけでした。
 彼女が、アメリカの映画の題材にされ、注目されるようにな
って後、キリスト教が、今までは何も彼女に注目せず、手助け
もしなかったが、世界の注目を集める様になってから、彼女と
行動をする様になった。
 今、キリスト教は、彼女を「広告塔」にしていますが、そし
て、ヒンズー教の方達は黙っていますが、真実は、この様な経過
をたどった。
 マザー・テレサさんが「ノーベル平和賞」を受賞しましたが、
同時に「ヒンズー教の方達も受賞すべき」でした。
 ノーベル賞選考委員はキリスト教徒だけ、その点、「お手盛
り」となった。
 インド政府は、彼女が亡くなられた時、国葬として大きな葬儀
を行ないましたが、キリスト教組織にも、この様な、大きな度量
が欲しいところです。
 また、彼女のキリスト教は、ビンズ‐教との共同生活から宗教的
にも影響され、彼女独特のキリスト教となっている。ヒンズー・
キリスト教とか、テレサ・キリスト教と呼ぶべき形となっている。

TPP 弱肉強食の世界の「 強者 」は、ここまでする事を、歴史が示している(改訂版)

2012-07-25 01:58:56 | 日記
題:TPP 弱肉強食の世界の「 強者 」は、
       ここまでする事を、歴史が示している」(改訂版)

 TPP、締結か?否か?
 TPPは、グローバリゼーションを是とする考え方。

 当然その時、「良いものは良いのだ」との意識が基本に働く。

 アフリカの草原で、弱った個体が餌として狙われ、
 その個体が餌として存在することにより、
 「捕食した動物は生を伸ばす事が出来」、
 また、
 「捕食された動物も、その餌になった個体のお陰で、死を逃れる
事が出来、且つ、より健全な個体の集団へと変わることができる」
と言える。
 いわゆる、弱肉強食のメカニズムである。

 「供犠(くぎ)が捧げられる世界」であるとも言える。

 良い、且つ、優れているからこそ 皆が求める、
 また、その求めに応じる。
 「それが正義」なのであるという。

 キリスト教は、強い民族が、困った時に、
 隣国の富を奪いに行く事を
 「(キリスト教の)神の正義」としている。

 日本も、強国によって、この奪いに行く国の、対象の国の如くに
なってくるのか?・・とも思える。

 キリスト教の神は、『神の正義があるなら』やっても良い、人の
命を奪う事、誅しても良いとする。

 聖書の申命記に、キリスト教の神は、「○○人は男を殺せ」「○
○人は、皆殺しにせよ」「生娘は生かしておけ」「奴隷にせよ」と
指示し、叫ぶ。悲惨な殺戮の世界になる。
 そして、
 キリスト教は「(キリスト教の)神の義によれば、人を誅しても
良い」と説く。
 現代ではない、古代の地に、現出した実際の世界である。
 弱肉強食の『 実際に現出した 』世界である。
 (現代では そのようなことは形を変えて起きている)。

 強い者が弱い者に『 配慮せずに 』行動すれば、この様になる
という史実である。

 強い者の論理が 『正義として』 世界を制覇する論理である。

 その強い者は、
 「戦い方のみが優れているだけ」かもしれない・・・が、
 結局、強い者が、
 南米・中米・北米メキシコ・そして離島の各所で、
繰り広げられた「キリスト教徒と同行したキリスト教聖職者」たち
の仕業(しわざ)の事例。
 全滅・すべての命を奪う行為と、
 それ以外にも、この部屋一杯に黄金を満たせば「王様の命を助け
てやる」と言い、
 結局、王様の命は奪うという、策略まで用いて、徹底的に「 富
をも 」奪い(人命と富の略奪)と、
 更に、インカの様に、結局、どの様な文化だったのか、不明?
 まったく不明な状態になる例の様に 「文化をも『めちゃめちゃ
に破壊』し、文化のすべてを奪う」(命と富と文化の略奪)。

 そして、その地に、
 キリスト教徒の征服者たちは、アフリカの人々を「奴隷として(
キリスト教聖書には、奴隷というものを教義として教え、
 キリスト教の教義ゆえに、歴史を連綿と伝えられ、
 歴史を経ながら、個々の悪行は行なわれ、
 教義ゆえ忘れられずに 保ち続けられている」。

 人のいなくなった地に、
 このキリスト教の教義の悪行による奴隷を、
 連れて、
 キリスト教徒の征服者たちは、インディオスの絶滅した地に
 乗り込む。
 そして、
 キリスト教徒は、その地も奪う(命と富と文化と土地を奪い、奴
隷の人生を奪う)。
 そして、
 山の頂には「イエス像」を建て、
 「宗教をも奪い、征服者の宗教の像」を立てる
  (命と富と文化と土地と奴隷の人生と宗教を奪う)。
 「偶像崇拝を忌む自分たちの宗教教義をそっちのけでイエス像を
立てる」。

 「弱肉強食の強者は、ここまでする事を歴史は示している」。
 弱肉強食論理には、『何らかの歯止め』が「必ず必要なのだ」。

 総べてをまな板に乗せ、規制や歯止めは一切認めない。
 あるのは、弱肉強食の論理だけという世界。

 強者は「安価」「経済的」「効率的」「品質的(美味いなど)」
などの長所が、「積極的に美化され」「強調され」ているが、
 果たして本当にそれで良いのか?
 正しいのか?

 かつて
 「効率を追い過ぎた」の声を良く聞いた時もあったが。
 総べての面で、強者がよいと
 「強者の論理が」
 「強者ゆえの立場を利用して」
 「巷にその論理が良いような錯覚をまきちらしながら」流れてい
く。
 強者の論理以外の価値は総べて否定される。

 「安全保障」「リスク」「弱者の論理」など、まだまだ、検討・
討論すべき面は多い状況のはずです。

(参考:関連記述)
 ダーウィンは、進化論において、「生物の進化は弱肉強食の結果
だ」と言う。
 「生物界は優勝劣敗、適者生存、弱肉強食で自然淘汰される」と
言う。
 「強者が栄え、弱者が滅びるのはやむを得ない自然界の定めだ」
と言う。
 この進化論の考え方は、生物の進化にとどまらず、人間社会、社
会活動の新しいパラダイム(規範、枠組み)の誕生の導火線ともな
った。
 「強者はいよいよ強く、富を独占し、弱者が切り捨てられるのは
進化のためにやむを得ない」という非情な独占資本主義へと進むこ
とになった。
 日本の今西錦司(いまにしきんじ)氏(京都大学名誉教授)は、
「棲(す)み分け原理」を提唱した。
 「自然界は食うか食われるかの弱肉強食の関係ではなく、相互に
テリトリーを持っていて、
 できるだけ争いを避けて棲み分けている。
 動物たちは棲み分けによって『共存』している」。

 しかし、歴史は、キリスト教的なダーウィンの方向へ進みました
(ダーウィンはキリスト教聖職者)。
 そして、弱者は、人間の飽(あ)くなき欲望の渦の中で、一方的
に支配・搾取される立場に追い込まれました。

 (参考)ダーウィンについて:
 ダーウィンは裕福な家庭に育ち、
 ダーウィンの父は、ダーウィンを牧師とするために1827年にケン
ブリッジ大学クライスト・カレッジに入れ、神学や古典、数学を学
ばせました。
 ダーウィンは、牧師なら空いた時間の多くを博物学に費やすこと
が出来ると考え、父の提案を喜んで受け入れました。
 ダーウィンは、キリスト教徒として、25年間もクリスチャン生活
を営んだものの、とうとうキリスト教を捨てました。
 キ リスト教への疑問が大きく膨らんだ結果でした。
 ダーウィンは、大学でキリスト教を専門に学んでいましたし、教
義面については誰よりも精通していました。
 しかし、愛娘(まなむすめ)が亡くなった時が、キリスト教を棄
てるきっかけの一つでした。
 キリスト教は、人間の死の原因を罪に求める。
 「しかし、私の幼い娘がどんな罪を犯したというのか」。
 ダーウィンのキリスト教の教義への不信が、この時、炸裂しまし
た。
 以後、ダーウィンは、キリスト教に「完全に」背を向けてしまい
ました。
 彼は、ビー グル号での航行の途上でさえ、正統派のキリスト教信
者であり、船の中で聖書を絶対規準として道徳を語ったため、同乗
者から 「失笑を買った」くらいでしたのに。
 ダーウィンは、決して無神論者では ありませんでした。
 イギリスのキリスト教の国教会は、ダーウィンに謝罪しました。
 「チャールズ・ダーウィンへ。あなたの生誕から約200年を経た
今、英国国教会はあなたの考えを誤解し、最初の対応を誤ったため
に、今もなお偏見が消えない状況を生みだしたことを謝罪します」。
 だが、「今でもなお、進化論に反対することが、キリスト教徒に
とって『信仰のリトマス試験』になっています。

 (参考)今西 錦司(いまにし きんじ):
 1902年1月6日 - 1992年6月15日)は、日本の生態学者、文化人
類学者、登山家。京都大学名誉教授、岐阜大学名誉教授。日本の霊
長類研究の創始者として知られる。理学博士(京都帝国大学、193
9年)。京都の織屋「錦屋」の生まれ。
 (参考)グローバリゼーション【globalization】 国家などの境界
を越えて広がり一体化していくこと。特に、経済活動やものの考え
方などを世界的規模に広げること。グローバライゼーション。
(参考)く‐ぎ【供犠】 神に、いけにえを供える宗教的・呪術的(じ
ゅじゅつてき)儀式。また、そのいけにえ。きょうぎ。
(参考)い・む【忌む/斎む】 [動マ五(四)] 1 (忌む) ①呪
術的な信仰などから、不吉なものとして避ける。禁忌とする。「葬
式は友引の日を―・む」「宗教上、肉食を―・む」 ②嫌って、避け
る。「革新を―・む」「退屈を―・む」...

感受性の強い子供の心を、結果的に、弄(もてあそ)ぶような事が起きています

2012-07-10 12:34:13 | 日記
 題 : 感受性の強い子供の心を、結果的に、弄(もてあそ)ぶ
       ような事が起きています

 今、キリスト教のお祭り「ハロウィン」が、日本で、無邪気に
行われておりますが、
 そして、この魔女が関連するこのお祭りに、小さい子供が参加し
ていますが、
 また、小学校では「国際感覚を身につけよう」という美名のもと
に、公的小学校も含めて「ハロウィン」が行なわれ、
 キリスト教系の学生が喜々として駆けつけ、一緒になってやって
いますが、これは美名の下の「キリスト教の巧妙なる伝道行為」で
す。
 アメリカでも問題となり、裁判事例の多い「巧妙なる伝道」です。
 そして、この魔女が関連しているこの事例で、子供たちに何が起
きたか?、影響したか?という事例です。
 キリスト教には「神を恐れよ」という教義があります。
 魔女事件の場合、キリスト教はこの教義によって権威を得ようと
しました。
 また、教勢を拡大したいとしました。
 その為に、「魔女は生かしておいてはならない」の教義がある
キリスト教は「死も辞さない」という姿勢でした。
 「死も辞さない」と言っても自分ではなく、相手を死に至らしめ
る行為でもって権威を得ようという行為です。
 この結果、キリスト教は、周りに死の影や戦争が満ち、まとわり
付いた歴史となりました。
 魔女事件の場合、年端(としは)の行かない3歳・5歳・7歳・12
歳の子供達が憑依(ひょうい)しました。
 悲しい事です。
 これは広がりやすい性質を持っていました。
 17世紀、キリスト教司教領で、子供だけでなく、地域全体が憑依
するという事件となって起きました。
 魔女だと言われた女性が、自(みずか)らキリスト教聖職者の居
る魔女委員会に申し出て、「多くの人々の体内に悪霊を祈り込んだ」
と言いました。
 すると、町に憑依した、憑(つ)かれた主婦や子供達、大勢の群
れが、この司祭領や隣接する地域にさ迷い出て来ました。
 憑依した人たちは未成年者が多い状況でした。
 町は混乱しました。
 飛び火しやすいこの現象は飛び火して行きました。
 スウェーデンの場合は、プロテスタントの村でした。
 憑依した子供たちが現われました。
 子供達は意外と大人が何をやっているかを知っていました。
 大人たちの言動から魔女とはどういうものかを見聞きし、よく知
っていました。
 日頃から、キリスト教聖職者は魔女の定型を話をしていました。
 怖い事に感受性の強い子供達は、特に、憑依しやすい状況で、親
たちは自分たちで救う事を断念するくらいでした。
 親たちは、当局へ原因の魔女の撲滅をする様にと押しかけるとい
う騒ぎ。
 国王の調査委員会が取り調べるという事になり、騒ぎはますます
拡大して行きました。
 また、多くの他の村々へ伝染して行きました。
 憑依した魔児は無数の大人たちを告発しました。
 「魔女の踊りをしていた」「悪魔のシナゴーグへ行ったりしてい
る」、それを見たと。
 ある村は、70人の女性と15人の子供が火炙りとなりました。
 これは、国境も越えて広がって行きました。
 ドイツで起きた事例では、ほとんどが10歳以下の子供でした。
 子供達は、キリスト教の教義と魔女を自己流に織りなして語りま
した。
 想像力の強い子供達は「魔女のサバト」「天国の幻視」「最後の
審判と地獄の使者」を語り、告げるという状態でした。
 驚くことに「デーモン(悪魔)との性交渉」の詳細な証言に裁判
官(キリスト教裁判所の聖職者の裁判官)もびっくりしている状況
でした。
 (参考)とし‐は【年端/年歯】 年齢のほど。年齢。としのは。
「―のいかない子」
 (参考)ひょう‐い【憑依】 [名](スル) 霊などがのりうつるこ
と。「悪霊が―する」 」