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げに仏陀は 百劫にも会うこと難し

2010-08-04 02:10:43 | 日記
題 : 「げに仏陀は 百劫(ひゃくごう)にも 会うこと難し」
ナレーション: 悟りを開いてから45年の間、苦しみの海に沈む
     人々を導き続けた仏陀。
      病と如何に向き合い、老いをどう受け入れ、そして、
     死にどう臨むのか、仏陀は、最後の旅で身をもって示し
     ました。
      仏陀の遺体は、クシナガラで荼毘にふされました。
      その遺骨は、仏陀にゆかりの深い8ヶ所に分骨され、
     それぞれストゥーパに納められました。
      大パリニッバーナ経は、この様に締めくくられていま
     す。
        その遺功によって、
        この豊かな大地は、
        最上の供養物をもって飾られているのである。
        この様に、
        この眼のある人(=ブッダ)・仏陀の遺骨は、
        よく崇敬され、
        種々に、
        いとも良く崇敬されている。
        最上の人々によって、
        この様に供養されている、
        合掌して、
        彼を礼拝せよ。
        「 げにブッダは 
             百劫(ひゃくごう)にも
                     会うこと難し 」
                      (完)

(参 考)五百塵点劫: (ごひゃくじんてんごう)とは、法華経
     如来寿量品で、釈迦の成道の久遠をたとえた語である。
      正しくは五百億塵点劫である。
      法華経の如来寿量品第16に、「今の釈迦牟尼仏は、釈
     氏の宮を出でて伽耶城を去ること遠からず、道場に座し
     て阿耨多羅三藐三菩提を得たりと思えり。しかし、われ
     は実に成仏してより已来(このかた)、無量無辺百千万
     億那由他劫なり」とあり、続けて「たとえば、五百千万
     億那由他阿僧祇の三千大千世界を、仮に人ありて抹(す)
     りて微塵となし、東方五百千万億那由他阿僧祇の国を過
     ぎて、すなわち一塵を下し、かくの如く、この微塵が尽
     きんが如き(無くなるまで)、東に行くとしたら、この
     諸々の世界の数を知ることを得べしや、不(いな)や」
     と弥勒菩薩に質問している。
      これは、化城喩品第7にも同様の記述がある。「たと
     えば、三千大千世界のあらゆる地種を、仮に人ありて磨
     (す)りて墨となし、東方の千の国土を過ぎて、乃ち一
     点を下さん。大きさ微塵の如し」
      この化城喩品のたとえ話を三千塵点劫と称される。こ
     れに対し、寿量品(本門)の「五百千万億那由他阿僧祇」
     を、五百(億)塵点劫と称して、化城喩品(迹門)の三
     千塵点劫よりもはるかに長遠であるかが示されるように
     なった。
      法華経における釈迦成道は「われは実に成仏してより
     已来(このかた)、無量無辺百千万億那由他劫なり」と
     説いており、経文の記述に素直に従うならば、この五百
     塵点劫はあくまでもたとえ話として出されただけであっ
     て、釈迦が成道した時ではない。また化城喩品の三千塵
     点劫も、たとえ話として持ち出された話に過ぎない。
      しかし日蓮は『釈迦御所領御書』などで、「過去五百
     塵点劫より、このかた、この娑婆世界は釈迦菩薩の御進
     退の国土なり」などと、五百塵点劫の言葉に開近顕遠の
     意味を持たせたことから、釈迦が本当に覚った時と解釈
     されるようになった。
      なお一般的に、釈迦はインドで生まれ菩提樹下で成道
     したとされる。これを伽耶始成、また始成正覚というが、
     法華経においては、釈迦はそのようなインド応誕の仏で
     はなく、本当は遠い過去に成道していた、と打ち明ける。
     これを久遠実成をという。(Wikipediaより)

     字幕:NHK 第一集 ブッダ最後の旅 インド
     語り:高橋美鈴
     朗読:長谷川勝彦
     資料提供:『ブッダ最後の旅」中村元訳
           増上寺
           文芸春秋
           中本徳豊
     ディレクター:正岡裕之
     制作総括:  山本辰也
           菊池正浩

破壊さるべきものであるのに、それが破壊しないようにという事が、どうしてありえようか

2010-08-03 00:41:57 | 日記
題 : 「破壊さるべきものであるのに、それが破壊しないように
     という事が、どうしてありえようか」
映 像: 涅槃堂への道を歩く五木さんに涅槃堂の鐘の音が響く。
ナレーション: 敷地内には、沙羅双樹の木が、代々、植えられ涅
     槃堂を見守り続けております。
     (涅槃堂に入っていく、五木さん、そして、涅槃像の前
     で座り、祈る、五木さん)
ナレーション: 仏陀が入滅したときの姿を顕す大涅槃像。
      死を間近にした仏陀の周りには、多くの弟子や信者が
     集まったと言います。 
      大涅槃像の台座には、25年もの間、仏陀と共に歩ん
     できた弟子・アーナンダの像が刻まれています。
      今にも訪れるであろう師との別れを悲しみ号泣する・
     アーナンダ。
      仏陀は、アーナンダを呼び寄せ、こう、諭しました。
        止めよう、アーナンダよ。
        悲しむな
        嘆くな
        私は、あらかじめ、この様に、説いたではないか。
        すべての愛する者
        好む者からも
        別れ
        離れ
        異なるに至るという事。
        およそ、
        生じ
        存在し
        つくられ
        破壊さるべきものであるのに
        それが破壊しないようにという事が
        どうしてありえようか」。
ナレーション: 仏陀は、死の間際まで、この世に残される者たち
     を、励まし続けました。
映 像: 涅槃堂から出て行く五木さん。出口のところで手を合わ
     せ、静かにあたまをさげる。
ナレーション: 五木さんの仏陀を辿る旅は、ここが終着点です。
     (大きく鐘の音が響く)
五木さん:(五木さんにとって、理想的な死と言うものがあるので
     しょうか・・の、問いに、五木さんは) 
      それは、僕・個人の事は、旅の途上で消える様に、死
     んで行ければ幸せだと思いますね。
      あのー、子供の頃から、ずーっと、小学校は4回転校
     し、中学校は3回変わり、ほとんど自分の家というもの
     を持たずに、転々と過ごして来ましたから、ずーっと自
     分の人生は旅だと考えて来ましたのでね。
      生涯の終わりというものも、何かの形での旅の途中で、
     世を去るというのは本当に理想な終わり方ではないかと
     思います。
      その意味で、仏陀の旅は、本当にうらやましい、齢80
     を重ねて、大変な旅だったでしょうけども、旅の途中で、
     しかも豪華な都や宮殿の中でなく、美人の中でもなく、
     そういう寂しい寒村の林の中で亡くなった、
      そういう仏陀の姿に、本当に共感と言いますか、憧れ
     と、尊敬というか、そういうものを感じます。
      人間の死に方と言うのは、その様なものだろうと感じ
     ます。
ナレーション: 仏陀は、自分が死んだ後、いかにあるべきかにつ
     いて、修行僧たちに説きました。
      そして、最後に聞いておくべき事はないかと、三度、
     訊ねます。
      修行僧たちは、己のなすことを充分に理解し、黙って
     いました。
      そこでアーナンダは、この様言いました。
        尊い方よ。
        不思議であります。
        珍しい事であります。
        私は、この修行僧の集いを
        このように喜んで信じています。
        仏陀に関し
        あるいは、法に関し
        あるいは、集いに関し
        あるいは、道に関し
        あるいは、実践に関し
        一人の修行僧にも
        疑う疑惑が起こっていません。
ナレーション: 満足した仏陀は、最後の言葉を口にします。
五木さん:   さー、修行僧たちよ。
        お前たちに告げよう
        もろもろの事象は
        過ぎ去るものである
        怠ることなく修行を完成なさい」・・・と。
      こう、言った訳ですね。
      仏陀の生涯・悟った法というもの、まあーダルマと言
     いますか、宇宙・自然・人間存在の真理というもの、そ
     れを最後に一言で、もろもろの総てのものは過ぎ去るも
     のである、変化しないものはない。
      こういう風に最後まで、修行僧たちへ告げて、そして、
     怠ることなく、その真理というものを学びなさいと、こ
     ういう風に、あたかも自分達の同胞・友達に向けて語る
     様に、語りつつ、仏陀は、ここで生涯を終える訳です。
      仏陀を考えて見ますと、仏陀は、求道(ぐどう)の人
     と同時に、そして、偉大なる求法(ぐほう)の人、ある
     いは、伝道の人であった。
      死の直前まで、人々に向かって自分の悟った真理とい
     うものを語り続けようとした。
      ここに、仏陀の宗教者としての存在、それから、人間
     としての魂のやわらかさ、そういうものを感じないでは
     いられません。
      体制の保持者である王とも語る、貴族とも語る、財界
     や商人たちとも語り合う、それでいて、差別された人々
     とか偏見を持たれた人々に対して、まったく率直に、そ
     ういう人々の立場に立って、ものを考え、法を説くとい
     う、こういう事を考えますと、仏陀の持っている現代性
     といいますか、こういうものの大きさを改めて感じたこ
     とでした。仏陀のイメージが随分変わりました。
                       (つづく)

供養の食べ物を食べて・・・ニルヴァーナの境地に入られた

2010-08-02 02:03:41 | 日記
題 : 「供養の食べ物を食べて・・・
             二ルヴァーナの境地に入られた」
五木さん: 気持ち良さそうだねー。
映 像: 水浴びをしている水牛を見ている、五木さん。
字 幕: カクッター川
ナレーション: パーバ村とクシナガラの間に流れる、このカクッ
     ター川のほとりにさしかかった時、仏陀は、ついに耐え
     切れなくなります。
   ここで袈裟を敷いて腰をおろし、アーナンダに水を汲
     んで来るように頼みます。
五木さん: 仏陀は、弟子に対して、こういう風に語る部分があり
     ます。
      非常になんか こう、人間味のあるエピソードなんで
     すけどね。
      それは その、もしも自分に何かあったならば、その
     ことで自分に供養の食事を出した鍛冶屋の子の責任が、
     問われる様なことになりはしないか、彼はけっして悪く
     ないんだと、彼がその事で自戒の念に悩まされ、自分に
     悪徳がないのではないのかと、こういう風に考えない様
     に、彼によく言って聞かせてくれと、当時の鍛冶屋と言
     いますと、芸能人とかその他の職業と同じ様に、いわば
     当時は、カーストの外にあった、大変こう、大きな差別
     を受けていた階層の人たちですね。
      そういう人たちの供応を喜んで受け、そういう人々に
     心を配るという、そういう遊女だ、あるいはアウト・カ
     ーストの人だという人々にも、全く平等に、自分の思い
     を伝え、接することを、日常の事としていた、仏陀の偉
     大さというものを、今の、近代を超えて来た私達、人権
     なんていう事をですね、改めて学んでいる私達以前に、
     仏陀は、自ら、率先してその事を教えてくれたような気
     がして、感動しないわ訳にはいきません。
ナレーション: 仏陀は、アーナンダに、今夜、クシナガラにある
     2本並んだ沙羅の木の間で、自分は死ぬだろうと予言を
     しました。
      そして、こう続けました。
        アーナンダよ、
        鍛冶工の子・チュンダの後悔の念は
        この様に言って、取り除かねばならない
        『 友よ、
        修行完成者は、
        最後の供養の食べ物を食べて
        お亡くなりになったのだから
        お前には利益(りやく)があり
        大いに功徳がある。
        友・チュンダよ、
        この事を尊師から
        目の当たりに聞き、承った 』。
ナレーション: 仏陀が、35歳の時、悟りを開いたのは、供養の
     食事がきっ掛けでした。
      自らの死のきっ掛けとなるチュンダの食事も、それに
     劣らないほどの功徳があると、仏陀は言います。
        この二つの供養の食べ物は、
        正に等しい実り、
        正に等しい果報があり、
        他の供養の食べ物よりも、
        はるかに優れた、
        大いなる功徳がある。
        その二つとは何であるか?
        修行完成者は、
        供養の食べ物を食べて、
        無常の完全な悟りを達成したのと、
        及び、供養の食べ物を食べて、
        煩悩の残りのない、
        二ルヴァーナの境地に入られたのとである。
ナレーション: クシナガラに達した仏陀は、もはや、動くことも
     ままならず、頭が北向きになるように、床をしつらえさ
     せ、病み、疲れた身体を横たえました。
      大パリニッバーナ経は、仏陀が横になると、沙羅双樹
     に変化が現れたとしています。
        さて、
        その時、
        沙羅双樹は、
        時ならぬのに花が咲き、
        満開となった。
        それらの花は、
        修行完成者に供養するために、
        修行完成者の身体に、
        降りかかり、
        ふりそそぎ、
        ちりそそいだ。
        また、
        天のマンダーラヮ花は、
        虚空から降って来て、
        修行完成者に供養するために、
        修行完成者の身体に、
        降りかかり、
        降りそそぎ、
        ちりそそいだ。
        天の楽器は、
        修行完成者に供養するために、
        虚空に奏でられた。
        天の合唱は、
        修行完成者に供養するために、
        虚空に起こった。
ナレーション: 仏陀、入滅の地、クシナガラ。
      今も尚、仏陀の死を悼み、参拝に訪れる人が絶えませ
     ん。
      町の中心には、仏陀・入滅を祈念する涅槃堂が建てら
     れております。
                         (つづく)
(参 考)ニルヴァーナ: サンスクリット語の仏教用語で、涅槃
     (Nirvana) のこと。
(参 考)利益: (りやく)仏教の言葉。ためになること。法力
     によって恩恵を与えること。自らを益するのを功徳(く
     どく)、他を益するのを利益という。

転悪成善(悪を転じて善と成す)・・・初めて他者への憎悪や責める心から解放される

2010-08-01 00:41:22 | 日記
題 : 「転悪成善(悪を転じて善と成す)・・・
         初めて他者への憎悪や責める心から解放される」
ナレーション: 霊鷲山を出てから、半年になろうとしていました。
      仏陀は、熱心な信者が居るパーバ村へ向かっていまし
     た。
五木さん: ナマステー。
ナレーション: 当時、この一帯にはマンゴー園が広がっていまし
     た。
      持ち主は、パーバ村の鍛冶屋の子・チュンダ。
      以前、仏陀が、パーバ村を訪れた時に帰依した敬虔な
     信者です。
      チュンダは、仏陀を歓迎するために、貧しいながらも
     できるだけの準備をととのえ、首を長くして待っていま
     した。
五木さん: 燃料に使う、牛糞ですか?
      あれなんか、積み重ねているところなんかも、何千年
     も同じ様に、燃料に使っているわけなんですね。
案内の方: 牛糞に、藁を混ぜて・・・。
五木さん: あっ、そのままでなくてね。
      あ、そうか、そのままでは燃えないのだ。やっぱり。
      あーそれじゃー、一応加工している訳なんだね。
      えー、だけど、昔の村らしい村ですねー。
      ナマステー。
      (加治屋さんのところに来て)
      あー、ふいごですね、昔のねー。
      あのー、なんか、鍛冶屋さんと言うにはあまりに素朴
     なー。
      でも、こんな風にして、農機具とか色々を作るのでし
     ょうねー。
      (あるインドの方へ)ナマステジー。
      あのー、仏陀が最後の旅の中で、この村で病気をした
     と、聞いたのですが?
インドの人: この村で言い伝えられてきた話によると、仏陀は、
     仙人に姿を変えて南から 来たそうです。
      日が暮れる始めていたので、仏陀は、この村に泊まる
     ことにしました。
      村の誰かが、夕飯を用意したそうです。
      いろんな言い伝えがありますが、豚肉料理を出したと
     いう説と、ククルムタと呼ばれるキノコ料理を出したと
     いう話があります。
五木さん:(手を合わせて)ナマステジー。(お礼を言って立ち去
     る、五木さん)
 (鍛冶屋さんの映像、鞴・フイゴを手でこいで風を送っている)
ナレーション: 仏陀は、チュンダが用意してくれた食事を、快く
     受け入れました。
      しかし、口に入れて直ぐ、それが、食べてはいけない
     ものだと分かりました。
      ここで、仏陀は、チュンダにこう告げます。
        チュンダよ、
        残ったキノコ料理は、それを穴に埋めなさい。
        神々・悪魔・梵天・修行者・バラモンの間でも、
        また、神々・人間を含む生き物の間でも、
        世の中で修行完成者(=仏陀)のほかでは、
        それを食して完全に消化し得る人は見出せません
        ・・・と。
      「かしこまりました」と鍛冶工の子・チュンダは、尊
     師に答えて、残ったキノコ料理を穴に埋めて、尊師に近
     づいた・・・。
      近づいて尊師に敬礼し、一方に座した。
      チュンダが、一方に座した時に、尊師は、彼を教え・
     諭し・励まし・喜ばせて、出て行かれた。
ナレーション: その時、仏陀は、激しい腹痛に見舞われていまし
     た。
      仏典には、こう記されています。
        さて、尊師が、
        鍛冶工・チュンダの料理を食べられた時
        激しい病が起こり
        赤い血がほとばしり出る
        死に至らんとする激しい苦痛が生じた。
        尊師は、
        実に、正しく思い
        良く気を落ち着けて
        悩まされる事無く
        その苦痛を堪え忍んでいた。
        さて、尊師は、
        若き人・アーナンダに告げられた
        『さー、アーナンダよ、
        我々は、クシナーラーに赴こう』・・・と。
ナレーション: 80歳の老いた身に、血が出るほどの激しい下痢。
      立っていることさえままならない身体を、引きずるよ
     うにして、仏陀は、自ら終焉の地と思い定めた、クシナ
     ガラを目指しました。
      パーバ村からクシナガラまでは、およそ20キロの道
     のりです。              (つづく)
(参 考): クシナーラー = クシナガラ
(解 説):チュンダは、釈尊への尊崇の念で食事の供養をしよう
     として珍味のキノコ料理をさし上げたが、結果釈尊の死
     を早めるに至った。
       釈尊は、チュンダが後悔して嘆くであろうし、またまわり
     の者たちがチュンダを責めるようになるであろうと、チュンダ
     に同悲され、「私の生涯で二つのすぐれた供養があった。その
     供養はひとしく大いなる果報があり、大いなるすぐれた功徳が
     ある。一つはスジャータの供養の食物でそれによって私は無上
     の悟りを達成した。そしてこの度のチュンダの供養である。
      この供養は、煩悩の全くない涅槃の境地に入る縁となった。
      チュンダは善き行いを積んだ」と仰せになった。
      最初のスジャータの供養とは、釈尊がさとりを開かれる前、
     極限にいたるほどの苦行をされていたが、極端な苦行は悟りへ
     の益なきことを知り、それまでの苦行を捨て、村娘のスジャー
     タから乳粥の供養を受けられた。それによって体力を回復し、
     菩提樹の下に座り、「悟りを開くまではこの座を決してはなれ
     ない」という決意でもって坐禅瞑想に入られた。そしてこの上
     ない悟りを開かれたと伝えられている。スジャータの供養は悟
     りに至る尊い縁になったのである。
      そして、このスジャータの供養の功徳とひとしく、このたび
     のチュンダの供養は大いなる涅槃に至る尊い縁となると釈尊は
     チュンダの食物の供養を讃えておられる。
      チュンダがさし上げた特別のキノコはどうやら食用に適さな
     かったようある。しかしチュンダは自分のせいで釈尊を死に至
     らしめたという後悔をするだろうし、また周りの僧俗がチュン
     ダを責めるであろうと釈尊は思われ、チュンダの嘆きに寄り添
    って、「チュンダは大いなるすぐれた功徳を積んだ。チュンダ
     の供養で私は煩悩の残りなき大いなる涅槃に入ることになった。
      チュンダは善いことをした」とチュンダの供養をほめ、起こ
     るであろうチュンダの嘆きと周りからの責めをあらかじめ取り
     除かれたのである。
      ここに釈尊の慈悲の深さ、同悲のお姿が伺われる。仏教で言
     われる慈悲の行いとは具体的にどういうものなのかがよく示さ
     れている。
      しかも釈尊のチュンダへの言葉は無理にチュンダを慰めてい
     るというものではなく、ご自分の死を「大いなる涅槃に入る縁」
     と見られてのものである。ご自分の死んでいくことに対して、
     不幸ともいわず、嘆きもせず、静かに受け止められるばかりで
     はなく、煩悩が全く消滅する大涅槃に入る尊い縁として見てお
     られるのである。そういう背景があってチュンダの供養を讃え
     ておられるのであって無理にチュンダを慰めているのではなか
     ろう。
      このことによって教えられることは、自分にふりかかるどの
     ような〈災厄〉をも、転悪成善(悪を転じて善と成す)で、善
     き縁であると受け止める智慧があって、初めて他者への憎悪や
     責める心から解放されるのであろう。もし、自分は内心で嘆い
     ているけど、人を悲しませてはいけないという愛情であれば、
     それはそれで尊いとしてもなお暗いものがある。
      このように釈尊はご自分の死を大涅槃の悟りに至る機
     縁と見られたが、この釈尊の死の意味は、浄土の教えを
     信じる者における死の意味と重なるものであろう。自ら
     の死を大涅槃界である浄土に生まれる縁といただいてい
     る念仏の信心と、釈尊における死への智見とは、内面的
     に連なるものがある。真実の信心は、死をも浄土へ生ま
     れる縁であるとの智見を生むのである。
                  (寺報「草菴仏教」より)