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(増補版)612E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1894年10月~1894年10月)

2018-09-26 05:33:13 | 日記
題:(増補版)612E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1894年10月~1894年10月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
1894年10月10日、東学参礼集会、再蜂起を論争。
  全琫準(ぜんほうじゅん)は、第一次の蜂起の時、全
 州和約を結んで政府と和したが・・、
  (参考)全州和約:1894年6月10日、朝鮮政府と甲午農
     民戦争の指導者・全琫準の間で結んだ和約(わ
     やく、平和条約)
  全琫準は、参禮集会を主導して全羅道農民軍を集め、
 つづいて忠清道と慶尚道地域に基盤を置いた教団指導部
 と連合した。
  1894年11月17日、南接・北接連合軍が、論山(のんさ
 ん、大韓民国忠清南道の都市)に集結した・・約20000人、
 そして、全国に蜂起が拡大した。
  1894年11月19日~1894年11月22日、公州攻防戦(第1次)
  1894年12月4日~1894年12月11日、公州攻防戦(第2次)
   最大の激戦が牛金峙の戦闘だった。
   全琫準は、多数の犠牲者を出し、論山に後退した。
   朝鮮政府軍に日本軍が支援し追撃した。
    全琫準は、本拠地・院坪、泰仁で最後の抵抗をし、
   決定的な敗北をし、軍は解体された。
  1894年12月28日、全琫準が逮捕された。
  1895年1月、この時まで、全羅道掃討作戦が行われ、そ
   の他の地域も順次鎮圧された。
  1895年4月23日、全琫準が死刑となった。
.
1894年10月15日、内相・井上馨が、朝鮮駐在公使に任命さ
 れた。
  日本と比べ、朝鮮は、はるかに自給自足的で、商品経
 済の発達もまだ未発達の遅れた状況だった。
  この様な朝鮮へ、経済のよく分かる井上が任命された。
  日本の朝鮮経済発展への助力の姿勢だった。
  経歴豊富な井上は、大蔵・外務・農商務・内務の各大
 臣を歴任して来ていて・・特に、大蔵・外務の両分野に
 は精通し、豊富な知識を持っていた・・
  この井上が、朝鮮の内政改革を助成し、朝鮮官僚へ働
 きかけた。
  井上馨は、朝鮮国王に上奏した種々の提案のうち、借
 款供与によって海関、国内税、地方事務を掌握する方策
 は、イギリスがエジプトでおこなった例にならったもの
 と、井上自身が説明している。
  財政破たんの状況にあった朝鮮は、その様なことから
 国内の政情も不安定だった。
  朝鮮は、この時、国内からの税収は落ち込んでいて、
 商品生産がまったくの未発達状態で経済力は小さかった。
  内政改革と財政再建は喫緊(きっきん、さしせまって
 大切なこと)の課題だった。
  (参考)海関:かいかん、中国の清朝が海港に設けた
     税関・・関税を徴収した。
.
1894年10月15日、ドレフュス事件
  アルフレド・ドレフュス仏陸軍大尉が反逆罪で逮捕さ
 れた(冤罪)
  フランスで起きた事件で、フランス陸軍参謀本部勤務
 の大尉であったユダヤ人のアルフレド・ドレフュスがス
 パイ容疑で逮捕された事件。
  フランスは、普仏戦争に敗れた結果、鉄鉱石と石炭の
 豊富なアルザス=ロレーヌを奪われ、失った。
  (参考)普仏戦争:1870年7月19日~1871年5月10日、
      ドイツ統一をめざすプロイセンと、これを阻
     もうとするフランスとの間で行われた戦争。
      スペイン王位継承問題をきっかけに、プロイ
     センの挑発に乗ったフランス側から開戦したが、
     プロイセンが圧勝、統一を完成してドイツ帝国
     の成立が宣言された。
      敗れたフランスは、アルザス‐ロレーヌを割
     譲し、第二帝政が崩壊して第三共和制が成立し
     た。
  そして、莫大な賠償金をフランスは課せられた。
  その為、フランス経済は大きな困難に直面した。
  フランス国内経済の不振で資金は有利な海外投資に向
 けられた。
  ロスチャイルドなどのユダヤ系の金融資本が国民の零
 細な貯蓄を投資に引き入れ、東ヨーロッパなどへの投資
 をおこなって行った。
  1882年に、金融恐慌が発生した。
  多くの投資銀行が破産に追いやられた。
  その結果、貯蓄をなくした人々は、金融界を牛耳るユ
 ダヤ人への憎悪を昂(たかぶ)らせ、反ユダヤ主義が高
 まった。
  一方、フランスの保守派と軍部は、ドイツに対する報
 復と、熱狂的な愛国主義を煽(あお)り・・、
  1880年代後半には、ドイツへの復讐を叫ぶブーランジ
 ェ将軍が右翼・軍部の支持の下に独裁政権の樹立を図る
 事件を起こし・・失敗していた(ブーランジェ事件)
  ドレフュス事件は、このような第三共和政の不安定な
 状況の中で起きた。
   1894年、ユダヤ系の陸軍大尉 A.ドレフュスが、ドイ
 ツに情報を売ったとして終身流刑に処せられた。
  軍部内では、別に真犯人がいることをわかっていたが、
 軍の威信と反ユダヤ感情などのために、事件を糊塗(こ
 と、あいまいに取り繕っておく)しようとした。
  最初、家族や知人を中心とした再審要求運動であった
 が・・上院副議長 A.シューレル・ケストネルや、後の首
 相のG.クレマンソーらの支持を得て、再審要求運動は拡
 大した。
  1898年、文人 É.ゾラが、『オーロール』紙上で「私は
 弾劾する」で始る大統領あての公開質問書を発表するな
 ど、世論は高まり、単に個人の有罪、無罪の論議をこえ
 て・・、
  左翼には、国権に対する個人の自由を守り、軍を議会
 の統制下におこうとした反教権的な「ドレフュス派」・・、
  右翼には、軍の威信や伝統的価値を擁護し、対ドイツ
 愛国心を強調する国家主義者、頑固なカトリック、反ユ
 ダヤ人主義者、保守主義者などを中心とする「反ドレフ
 ュス派」が形成され、国論を2分して抗争した。
  (参考)反教権主義:はんきょうけんしゅぎ、宗教上
     の権威、特に、キリスト教のローマ・カトリッ
     ク教会、または、ローマ法王・教皇の権威・権
     力(=教権)を否定する考えを意味する。
      広い意味では、聖職者、あるいは宗教自体が、
     政治や市民の日常生活など、精神世界以外の世
     俗分野に介入することなど・・全般に反対する
     立場を意味する。
  1898年、H.アンリ大佐が文書の一部偽造を告白して自
 殺したため、再審が確実となり・・
  1899年、レンヌの軍法会議の再審で減刑されたが依然
 有罪で、大統領特赦で刑が免じられた。
  1903年、新たに有利な証拠が提出され・・
  1906年7月、民事の破毀院(上級裁判所が原判決を取り
 消す)は、レンヌの判決を全面的に破棄し、議会でも復
 権法案が可決した。
  1906年7月22日、ドレフュスは正式に復権した。
.
1894年10月15日、第7回臨時帝国議会が召集された。
  大本営のある広島で、第7臨時議会が、広島臨時仮議事
 堂で開催された。
  当時の日本の兵站拠点の一つが宇品港(現・広島港)
 だった。
  この議会で、日清戦争に関連する1億5000万円余の軍事
 予算案、および、戦争関連法案が審議され、全会一致で
 可決された。
  これまで対立が激しかった政局は、日清戦争を転機に
 一転して挙国一致体制となった。
.
1894年10月17日、東海道線の時刻改正がなされた。
  新橋駅~大阪駅間の発着列車を神戸まで延長した。
  そして、山陽鉄道会社線の神戸駅~広島駅間列車に接
 続した。
  この年は、4月16日・5月5日・5月7日・6月10日・10月
 17日と、段階的に東海道線の時刻が改正され・・、
  東京駅~神戸駅直通の列車は3往復へ増発された。
  所要時間も約30分~1時間短縮された。
  これ以外にも、多くの長距離列車が設定されるように
 なった。
.
1894年10月18日、大日本帝国議会の臨時会で、第七回帝国
 議会が開会された。
  1億5千万円の臨時軍事予算と、軍事公債案を全会一致
 で可決された。
  この議会は、日本の憲政史上で唯一の東京以外の場所
 で開かれた国会。
  1894年9月15日に、大元帥である明治天皇陛下がこの地
 に行幸され、滞在された。
  第4回総選挙結果をうけた帝国議会だった。
 ・広島において第七議会(氷川清話)
.
1894年10月22日、庄内地震
  山形県庄内地方(庄内平野)での大地震だった。
  マグニチュード:7.3、死者:739人、家屋倒壊:4488
 戸。
  土地の隆起沈下、山崩れなど多数。
  別データ:死者726人、全壊3858戸、半壊2397戸、全焼
 2148戸。
.
1894年10月24日、臨時軍事費予算1億5000万円が公布される。
.
1894年10月24日、日清戦争: 鴨緑江作戦(~1894年10月25日)
  朝鮮と中国の教会を流れる鴨緑江(おうりょくこう)・・
  1894年10月25日午前6時10分ころ、山縣有朋率いる第1
 軍主力が、渡河作戦を開始した。
  左岸の砲兵隊が援護射撃する・・その中を清国軍の各
 堡塁や砲台への攻撃を行なった。
  清国軍は部隊を虎山方面へ進軍させ、一進一退の攻防
 戦となった。
  日本軍は前進を阻まれるが・・架橋で渡河した増援部
 隊が野砲の援護を受けて攻勢に転じた。
  清国軍は九連城へと退却を始めると、日本は一斉に攻
 勢に出た・・
  清国軍はその波状攻撃を受け、軍勢は崩れ、日本軍の
 勢いに恐れをなした状況で逃走した。
  虎山に着いた山形有朋大将は、翌日の九連城への総攻
 撃を命じる・・しかし、清国軍は、その夜のうちに退却
 し・・10月26日、九連城は無血で制圧し・・入城した。
  日本の工兵の練達した技術による架橋により、砲兵隊
 や軍馬が短期間で送り込めた所にあった・・
  清国軍は、外国人将校の軍事指導を受けていたが、日
 本軍はそれを上回った。
  日本の国産の小銃(ライフル)の村田銃が功を奏した。
  世界は、この時、日本軍は近代的な装備を持った軍隊
 だと意識させ、印象付けた。
  その差は、下記の損害の差に表れている・・
  指揮官:日本・山形有朋、清国・宋慶
  戦力:日本・約10,000、清国・約15,000
  損害:日本・死者4、清国・死者約2,000
.
1894年10月27日、志賀重昂(しげたか)『日本風景論』が
 刊行・・ロングセラーとなった。
  志賀重昂は、東南アジア諸国を見て歩き、そのつぶさ
 に見た「西欧の列強のアジア諸国の植民地収奪に怒りが
 湧き、その非人道的行為を、激しく批判した」・・
  増訂が重ねられ、ロングセラーとなり、1903年には、
 第15版が出版された・・
  日本人は、この本を愛読した。
  また、この本は、日本の自然と民族の特性を結びつけ
 た近代的風景論の先駆けとなった名著だった。
  従来の殻を破って、理知的な科学的な観察と、文学的・
 絵画的叙述とを、みごとに融合させた風景論が書かれた・・、
  日本の山水美は、世界的にみても優れている・・その
 理由を・・、
  その気候、海流の多変多様なこと、水蒸気の多量なこ
 と、火山の多いこと、流水の浸食が激烈な急流状態など
 と・・多様な基本的要因をあげ・・、
  さらに、著者自身の内外における実地の観察に基づい
 て比較考察し・・
  古今東西にわたる叙景詩文なども適切な引用し・・、
 魅力的な筆致とし・・多数の挿絵も使い・・、
  科学的スケッチや図表(例えば、日本同温線、風向、天
 気図、日本の花の分類)などによって多面的・立体的に説
 明などを加えた・・
  志賀重昂は、地理学者で評論家・・
   1884年、札幌農学校を卒業、
  地理学の実地研究を志し、南洋各地を旅行し、『南洋
 事情』を執筆・・
  その南進論と国家主義的立場から西欧帝国主義による
 植民地収奪を激しく論難した。
  後に、三宅雪嶺らと雑誌『日本人』を刊行し、指導的
 役割を果して行った。
  また、農商務省、外務省などの要職に就き・・
  晩年は衆議院議員ともなった。
.
  (今日の言葉)
.
  題:今、中国に、ハゲタカ・ファンドが入っている・・
    これが最後の段階・・
   だから、これらが引き始めたら「中国不都合の露呈の始まり」・・
    中国は・・時限爆弾状態・・
.
1642年、イギリスの清教徒革命
  清教徒革命(または、ピューリタン革命)は・・、
  1642年から1649年にかけて、イングランド・スコット
 ランド・アイルランドで起きた内戦・革命であって・・、
  1638年の主教戦争から・・1660年の王政復古までを含
 む・・、
  イギリス王国は、国教会による王の絶対主義によって
 維持されていた・・が・・
  しかし、富を獲得して羽振りが良くなる者と、その反
 対に没落する者とが・・錯綜していた。
  王室と議会の対立の源となった社会矛盾・・この確執
 の多い不安定な社会だった。
  イギリスは、キリスト教のカトリックとプロテスタン
 トが、果てしなく飽くなき状態で戦った三十年戦争で有
 利になろうと・・、
  1624年に、フランスの呼びかけに応じて、デンマーク・=
 ノルウェーを、「対ハプスブルク同盟」へ引き込む為、
 資金を提供した。
  この結果、イギリス王室は財政難に苦しむこととなっ
 た。
  しかし、1625年に王位を継承したチャールズ1世は、こ
 の様な変化に対応できなかった。
  キリスト教の教義による王権神授説にもとづいて、議
 会と対立した。
  その結果、大陸の戦火がイギリスにも及ぶ様にになっ
 た。
  1641年のイングランド内戦で、アイルランドのキリス
 ト教カトリックが蜂起した。
  アイルランド・カトリック同盟政権を樹立し・・アイ
 ルランド革命が始まった。
  1642年には、イギリスでも、王と議会の対立から第一
 次イングランド内戦が始まった(1642年~1646年)
  スコットランドでも、二次にわたる主教戦争を経て・・
  1644年、盟約派と国王派の間でスコットランド内戦が
 始まった。
  (参考)主教戦争:しゅきょうせんそう、イングラン
     ド・スコットランドにおいて、キリスト教問題
     が原因で起こった戦争。
      チャールズ1世が、イングランド国教会の形式
     にもとづく祈祷書をスコットランドに強制した。
     1639年と1640年の二度起きる。
  イングランドは、ピューリタニズムの影響を受けて民
 衆運動にもなった・・
  次第に過激化し、また、大規模化して行った。
  (参考)ピューリタニズム:16世紀の後半から始まり・・
      イギリス国教会内部から生じたキリスト教プ
     ロテスタントの一派のピューリタン(清教徒)
     の思想で・・
      宗教改革を徹底することによって、国教会の
     浄化ができるとした・・
.
1649年1月30日、イギリス王室のチャールズ1世が処刑され
 る。
  この時から、イギリスは、王政が途絶え・・共和制が
 布かれた・・、
  「イングランド共和国」となった。
  イギリス王統は、この様にして途絶えた。
  このイギリスの王室の上に君臨するデンマーク王室が
 存在した。
  この二つの王室が、ヨーロッパでは、王室と言える様
 な存在なのだが・・男子を優先としている。
  イングランド共和国は、以上の様に、清教徒革命(イ
 ングランド内戦)の1649年~1660年の間、イングランド
 王国と、後に、アイルランド王国・スコットランド王国
 を支配した共和制の政治体制・・
  1649年1月30日、チャールズ1世が処刑されて・・
  1649年3月19日、ランプ議会によって、はじめてその樹
 立が宣言された。
  1653年~1658年の間、オリバー・クロムウェル、そし
 て、その死後、息子のリチャード・クロムウェルによる
 2代にわたっての護国卿による独裁制も敷かれた・・
  護国卿時代(プロテクトレート)と呼ばれる。
  イングランド共和国は、1649年~1660年までの間の政
 治体制だった。
  ランプ議会は、ニューモデル軍と独立派が結託した1648
 年12月6日のクーデターによって、長期議会の中の長老派
 を閉め出して作られた・・
  1649年1月30日、チャールズ1世処刑の前後、ランプ議
 会は、共和制の法的基盤を固める数条の法律を可決させ・・
  それには、王政を廃止し、また、枢密院・上院も廃止
 となっていた・・
  枢密院の代替として作られたのが国務会議で・・王の
 行政権のほとんどを引き継いだ。
.
1649年8月、イギリスのクロムウェルが、アイルランドを侵
 略(~1653年4月)
  1641年のアイルランド革命以来、アイルランドは、キ
 リスト教アイルランド・カトリック同盟の統治下にあっ
 た。
  このアイルランド・カトリック同盟は、イングランド
 内戦において敗北した王党派(国王派)と、1649年に、
 同盟を結んでいた・・
  クロムウェルはこれを攻めた・・
  そして、アイルランドを占領した。
  アイルランドの人々の大多数が、キリスト教ローマ・
 カトリックだった・・
  クロムウェルは、刑罰法を可決させて、この人たちか
 ら大量の土地を奪った。
  クロムウェル占領軍は、残忍を極めた・・
  その為、現在でも、クロムウェルは、アイルランドで
 嫌われている。
  戦いは、クロムウェルの軍の30,000と・・、
  このクロムウェルに加担したアイルランド・キリスト
 教プロテスタント・・
  この連合軍に対して、20,000人のゲリラを含む60,000
 のアイルランド軍・・
  この戦いによる戦死者:クロムウェル軍の8,000と加担
した現地軍の7,000・・
  アイルランド軍の15,000~20,000、
  そして、アイルランド市民の200,000以上(戦争とその
 関連の飢餓の死者)・・
  12,000以上が、奴隷とされて連行され、国外へ連れ出
 された。
  キリスト教聖書で教える奴隷思想による行為・・
     ・
     ・
     ・
1940年10月、日本を戦争に「はめ込んで行くアメリカ」
  第二次世界大戦の始まる14か月前・・、
  アメリカは、日本を戦争にはめ込む「対日開戦促進計
 画(マッカラム覚書)」を策定した。
  日本を戦争へ「はめ込みたいとする計画書」である・・
  完全に日本を戦争にはめ込もうとしている「アメリカ
 の陰謀の計画書」だった。
  そして、また、アメリカは、その13か月後の開戦1ヶ月
 前の開戦直前には・・また、策謀の「真空の海(バキュ
 ーム・シー)」命令を発令した。
  これは、日本を誘い込んで、「日本に攻撃させる海域
 (真空の海)」を作るという命令だった。
  日本の連合艦隊の大部隊が、アメリカに見つからずに
 スムースにハワイの真珠湾に行けたことを不思議に思わ
 なければならない。
  アメリカのルーズベルト大統領は、「真空の様な海域」
 を作れと・・命令した。
  何事も起きずに、日本の連合艦隊がハワイの目的地へ
 と行ったのは・・おとぎ話だった・・
  日本の暗号を完全に解読していたアメリカは、アメリ
 カの日本大使館と、日本本国とのやり取りの暗号文のす
 べてを理解していた・・すべての事の成り行きを知って
 いた・・。
  そして、また、千島列島の単冠湾(ひとかっぷわん)
 に集結した日本の連合艦隊は、その逐一を、アメリカに
 探知されながら・・ハワイへと向かって行った。
  ルーズベルトが命令した真空の海域を行ったのだった・・
  アメリカは、この様に日本を戦争へ誘い込んだ策を取
 り続け、戦争に誘い込んで行った。
  このすべてを指揮していたのが、アメリカのルーズベ
 ルト大統領・・
  陰湿な引っ掛けに「はめられた日本」は、戦争に引き
 づり込まれ・・そして、日本は戦争に敗けた・・
  そして・・日本を占領したそのアメリカの戦勝国は、
 日本に憲法案を作成し、押し付けた。
  その条文には・・
  「諸国民の公正と信義に信頼して、我らの安全と生存
 を保持しようと決意し」と・・案に書いた・・
  まったく白々しい条文を書いて・・与えた・・
  そのアメリカ自体こそ、「公正でもなく」「信義に信
 頼する相手でもない」という状況の中で・・
  そして、そんな状況の中で・・「我らの安全と生存を
 保持できる」・・と・・日本はその憲法を保持した・・
  その様な状況では『まったくない』という実際の事態
 だった。
  (参考)マッカラムの戦争挑発行動八項目覚書:
      ロバート・B・スティネット『真珠湾の真実』
     所収 。
      1940年10月7日付アーサー・マッカラム少佐の
     覚書(ダドリー・ノックス大佐の承認を含む)
      著者は、1995年1月24日、アメリカの第二公文
     書館の軍事関係部門の記録グループ38(RG38)
     の特別米軍収納箱6号で、アーサー・マッカラ
     ム少佐作成の、日本を挑発して米国に対し明白
     な戦争行為に至らさせるための、八項目の行動
     提案書を発見した。
      記述のすべてが、まったく、アメリカに都合
 よく書かれている書である・・
  海軍情報部長あて覚書
  海軍情報部極東課長
  一九四〇年十月七日
  標題:太平洋地域の情勢見積及び米国の取るべき行動
  1、アメリカ合衆国は今日、欧州では敵対的なドイツ
 及びイタリアと対決しており、また東洋では敵対的な日
 本とも同様な状態にある。
  これら二つの敵対的グループの間に介在する大陸国家
 ロシアは現時点では中立だが、あらゆる可能性から考え
 て枢軸国に味方するだろう。
  これら枢軸国に対するロシアの好意的な態度が、欧州
 戦争での枢軸国の勝利の見込みを直接高めることとなる
 と期待されるかもしれない。
  独伊は欧州大陸で勝利を収めていると見られており、
 そして欧州全域が枢軸国の軍事的統制下におかれるか、
 またはその隷属を強制されていると見られている。
  唯一、英帝国が独伊及びその衛星諸国による世界支配
 の増大を阻止するための戦いを、積極的に戦っているに
 すぎない。(P451-P452)
  2、アメリカ合衆国は最初、欧州戦争には干渉しない
 態度をとっており、また独伊は力の及ぶ範囲内で、欧州
 戦争の結果に米国が無関心な態度をとり続けるよう、あ
 らゆる手段を尽くしてきたとの見方を支持する相当な証
 拠がある。
  逆説的ではあるが独伊軍が勝利を収めるたびに、米国
 内の英国政府に対する同情と物的援助は増大して、戦争
 以外の、あらゆる援助の手を差しのべる政策を、英国政
 府に約束する立場に立っている。
  情勢が急激に変化しているので、米国政府はきわめて
 近い将来、英帝国の全面的な同盟国となるだろう。
  アメリカ合衆国を無関心な傍観者の立場に維持せんと
 する独伊の外交政策が遂に失敗に帰した結果、独伊は(
 欧州以外の)他の地域で米国の安全保障に脅威を与える
 政策を採用せざるを得なくなった。
  それは、特に中南米地域における枢軸国に支配された
 グループによる革命の脅威や、極東での日本による侵略
 と脅威を増大させるための激励である。
  それは、独伊がこうした手段により、米国の考え方や
 米国自体の身近の安全保障に大混乱を生じさせ、純然た
 る防御準備にきわめて神経質にさせ、米国のいかなる形
 式の対英援助をも事実上、禁止させようと希望している
 からである。
  この政策が採用された結果、独伊は米国を対象とした、
 日本との軍事同盟を締結した。
  この条約について報道された条件及び日独伊指導者た
 ちの、とげとげしい言葉が信ずるに足り、かつ、それら
 を疑う理由もないように思えるので、米国が対英援助に
 踏み切ったり、または米国が東洋における日本の目標遂
 行に力ずくで介入する場合には、 これら全体主義三カ国
 は米国との戦争に同意している。
  そのうえ、独伊は戦争に至らない、米国の対英援助が
 開戦の理由となりうるか否かを決定する権利、または彼
 らが英国を破った後ではそれが対米戦の理由とはならな
 いと決定する権利を、はっきり留保している。
  換言すれば、英国が敵国により処分された後で、直ち
 に対米戦争に進むか否かを決定するだろうと言うのであ
 る。
  地理的条件からドイツもイタリアも日本には、いかな
 る物的援助をも提供できる位置にはない。
  反対に日本は、英国の自治領及びオーストラリア、イ
 ンド、蘭領東インドからの物資補給ルートに脅威を与え、
 恐らく補給ルートを攻撃することにより、 独伊両国に対
 して、大きな援助を提供することができる。
  かくして、欧州において枢軸国に反対する英国の立場
 を実質的に弱体化させることになる。
  この援助と交換に日本は、米国が日本に対し積極的な
 行動に出るのを阻止するため、米国の注意を引きつける
 べく、独伊は全力を尽くすだろうとの追加約束を得て、
 日本は奪取可能と考えるアジアのすべてを占領するため
 のフリーハンドを獲得している。(P452-P454)
  われわれはここで再び枢軸国と日本との-米国の力を
 発揮不能とし、かつ、脅迫と警告とにより、米国民の考
 え方を混乱させて、行動するか、しないか、いずれの分
 野でも米国の迅速な決定的行動を阻止せんとする-外交
 的駆け引きの実例を見た。
  欧州の枢軸国または極東の日本が、最も望んでいない
 ことは、いずれの戦域においても米国による挑戦的な行
 動であるということは、いかに強く強調しても、強調し
 すぎることはない。
  3、欧州の現状を検討すると、英国を援助するため、
 われわれがまだ実施していなくて、現在直ちに実施可能
 なものはほとんどないとの結論に到達する。
  われわれは英国を援助するために派遣すべき訓練され
 た軍隊を保有していない-少なくともあと一年間は保有
 しないだろう。
  われわれは現在、対英援助物資の流れを増大して、あ
 らゆる実施可能な方法で英国の防衛を支持するよう努力
 している。
  そして、この援助が増加されることは疑いない。
  一方、英国が戦争を継続し、英海軍が大西洋の制海権
 を維持しているかぎり、ドイツまたはイタリアが米国に
 対抗できる可能性はほとんどない。
  われわれの立場にとっての一つの危険は、英帝国が早
 期に降伏し、英国艦隊が手つかずのまま枢軸国の手に入
 ることである。
  このような事態が生起する可能性は、われわれが実際
 に英国と同盟しているなら、実質的には少なくなってい
 るか、もしくは英国にかかっている圧力を、行動の別の
 分野で軽減するため積極的手段をとるならば、最小限に
 抑えることができる。
  要約すると、英国海軍が大西洋の制海権を保持し、米
 国と友好関係にあるかぎり、大西洋における、米国の安
 全保障に対する脅威は小さい。
  4、太平洋では、日本は独伊との同盟のおかげで、英
 帝国の安全保障にとって決定的な脅威であり、いったん
 英帝国が消滅すると、日本-独伊の戦力は米国と対抗す
 ることになる。
  シンガポールに対する日本の脅威または攻撃を伴った、
 また、バルカン半島及び北アフリカ経由のスエズ運河に
 対する独伊軍による強力な陸上攻撃は、英帝国にとって
 きわめて深刻な結果をもたらすことだろう。
  日本を牽制もしくは中立化させることが出来たなら、
 枢軸国がたとえスエズ運河攻撃に成功したとしても、イ
 ンド洋から英国の海軍力を排除することによってもたら
 されるのと同じ位の利益―つまり、日本にとって欧州補
 給ルートを開き、 東洋の原料補給海上ルートを独伊まで
 伸ばす―を日本にもたらすことにはならないだろう。
 (P454-P455)
  従って、英米が欧州を海上封鎖し、かつ多分日本が部
 分的にせよ(東アジアで)活動している場合には、日本
 は牽制されなければならない。
  5、第3項で指摘したように、米国が欧州の情勢を救
 うため直ちに実施可能なことはほとんどない一方、米国
 は日本の侵略的行動を効果的に取り止めさせることが可
 能で、しかも米国の対英物的援助を減ずることなく実施
 できる。
  6、米国と対立している日本の現状を分析すると、次
 のことが言える。
  有利な点
  (1)日本列島は地理的に強力な優位性を持っている。
  (2)きわめて中央集権化された強力な政府である。
  (3)厳格に管理された戦時経済体制をとっている。
  (4)国民は苦労と戦争に慣れている。
  (5)強力な陸軍を有する。
  (6)米海軍の約三分の二の兵力からなる熟練した海
    軍を有する。
  (7)ある程度の天然資源の備蓄がある。
  (8)四月までは天候により、日本近海での作戦行動
    が困難である。
  不利な点
  (1)アジア大陸での消耗戦に百五十万人が役人され
    ている。
  (2)国内経済と食糧配給が厳しく制限されている。
  (3)戦争に必要な天然資源が大幅に不足している。
    特に石油、鉄及び棉花が不足している。
  (4)欧州から資源を人手することが不可能になって
    いる。
  (5)必需物資を遠い海上交通路に依存している。
  (6)合衆国と欧州の市場に頼ることなく、軍事機材
    の生産と補給を増加させることができない。
  (7)主要都市と工業地域は空襲を受けやすい立地条
    件にある。
  7、太平洋において、アメリカ合衆国は防衛上きわめ
 て有利な立場にあり、海軍及び海軍航空隊は現在、この
 地域で長距離進攻作戦を実施する能力がある。
  われわれは、次の点でもきわめて有利である。
  すなわち、
  (A)フィリピン諸島は今もなおアメリカ合衆国が領
    有している。
  (B)友好的で多分連合側に加わる国家の政府が、蘭
    領東インドを支配している。
  (C)われわれと友好関係にある英帝国が、香港とシ
    ンガポールを領有している。
  (D)中国の主力軍隊が今なお日本と戦い続けている。
  (E)日本の南方補給ルートに対し、重大な脅威を与
    えることのできる、米海軍の部隊がすでにその
    作戦海域にいる。(P455-P456)
  (F)米国と同盟を結んだら貴重となる、オランダ海
    軍の相当規模の兵力が東洋に駐在している。
  8、前述したところから、次の結論を引き出すことが
   できる。
  米海軍が日本に対して速かに進攻作戦を実施すれば、
 日本は独伊のイギリス攻撃を支援できなくなるだろうし、
 日本は最も不利な情況で戦わざる得なくなるか、もしく
 は海上封鎖部隊により、 かなり早い時期に国家が崩壊す
 る状態に直面することになるだろう。
  英国及び和蘭と適切な協定を結んだ後で、機敏かつ早
 期に対日宣戦を布告すれば、独伊が米国を効果的に攻撃
 する前に日本を早期に崩壊させ、太平洋から敵を排除で
 きるだろう。
  さらに、日本を排除することは、独伊と対決している
 英国の立場を確かに強化するに違いない。
  さらに、そのような行動はわれわれと友好的関係を望
 んでいる、すべての国家の信頼と支援を増大させること
 だろう。
  9、現在の世論の情況からは、さらにより多くの騒動
 が発生しないかぎり、米国政府が対日宣戦布告を出来る
 とは思えない。
  われわれの積極的な動きにより、日本が態度を変更す
 ることはほとんどない。
  従って、次の施策八項目を提案する。
  (A)太平洋の英軍基地、特にシンガポールの使用に
    ついて英国との協定締結。
  (B)蘭領東インド(現在のインドネシア)内の基地
    施設の使用及び補給物資の取得に関するオランダ
    との協定締結。
  (C)蒋介石政権への、可能なあらゆる援助の提供。
  (D)遠距離航行能力を有する重巡洋艦一個戦隊を東
    洋、フィリピンまたはシンガポールヘ派遣するこ
    と。
  (E)潜水戦隊二隊の東洋派遣。
  (F)現在、ハワイ諸島にいる米艦隊主力を維持する
    こと。
  (G)日本の不当な経済的要求、特に石油に対する要
    求をオランダが拒否するよう主張すること。
  (H)英帝国が押しつける同様な通商禁止と協力して
    行われる、日本との全面的な通商禁止。
  10、これらの手段により、日本に明白な戦争行為に訴
 えさせることが出来るだろう。
  そうなれば、益々結構なことだ。
  いずれにしても、戦争の脅威に対応するため、われわ
 れは十分に準備を整えておかなければならない。
                A・H・マッカラム
  CC-Op-16 Op-16-F ファイル
  一九四〇年十月七日 Op16-F-2 0NI(P456)
.
1941年4月14日、日米交渉(~1941年11月)
  第二次世界大戦(大東亜戦争)の開戦直前、戦争の回
 避のための交渉が行われた・・
  日本側から働きかける必死の戦争回避のための会談だ
 った。
  第1回の野村・ハル会談は・・1941年4月14日に行われ・・
 会談は、何度も何度も重ねられて来ていた・・が・・
 しかし・・アメリカは「戦争ありき」のかたくなさの中
 にあった・・そして、8月に至った・・
  1941年8月7日、豊田外相が、野村吉三郎駐米大使に「
   近衛・ルーズベルト会談」の開催の要請を訓令した。
    野村大使は、「交渉打ち切りのほか無し」とする
   アメリカ側の態度を報告した・・しかし・・日本は、
   粘り強い戦争回避会談を要望した・・
  1941年8月9日、野村・ハル会談が行われた。
    アメリカのハル国務長官は、「日米交渉の打ち切
   り」を示唆した・・しかし・・
  1941年8月14日、野村・ハル会談。
  1941年8月16日、野村・ハル会談。
  1941年8月17日、野村・ルーズベルト会談。
    ルーズベルトは、日米首脳の会談の前提には日本
   の譲歩が必要だと要求した。
  1941年8月24日、野村・ハル会談。
  1941年8月26日、ルーズベルト大統領への近衛首相のメ
   ッセージが作成された。
  1941年8月28日、野村・ハル会談。
    近衛首相のメッセージを手交し、手渡した。
  1941年8月29日、第5回野村・ルーズベルト会談。
  1941年8月30日、ドイツ大使が、日米交渉の打ち切りを
   日本に勧告した・・ドイツ大使は知っていた・・見
   通していた・・
  1941年9月2日、野村・ハル会談。
  1941年9月3日、豊田外相が、野村大使へ日米首脳会談
   の9月中の開催を要請するようにと訓令した。
  1941年9月4日、豊田外相が、日本側の提案を訓令し、
   野村・ハル会談が開催された。
  1941年9月6日、野村・ハル会談・・日本側提案を手交
   した・・この様に粘り強く戦争回避会談を要求する
   日本から、日本は戦争を望んでいないという事は明
   らかだった・・
  1941年9月8日、野村大使が日本へ調査結果を報告する。
    アメリカの軍需生産が、昨年の4倍から5倍になっ
   ている・・すでに戦いありきのアメリカだった・・
    また、アメリカの世論の70%が、「日本の発展を
   阻止するためには・・戦争をしても良い」となって
   来ている・・と・・世論誘導もなされていた・・
  1941年9月17日、日本側の提案だけでは合意は不可能
   (さらなる譲歩を)と野村大使が日本本国へ伝える。
  1941年9月20日、野村・ハル会談。
  1941年9月23日、野村・ハル会談、日米首脳会談を督促
   した。
  1941年9月28日、日本の了解案(譲歩案)をアメリカ側
   へ手交する。
  1941年9月29日、野村・ハル会談。
  1941年10月2日、野村・ハル会談、アメリカから日米首
   脳会談の開催を拒否される・・戦争回避の首脳会談
   をやる必要なしとするアメリカ・・
  1941年10月4日、野村・ハル会談。
  1941年10月6日、豊田外相が、野村大使にアメリカの案
   に基本的に同意すると(日本の譲歩を)伝える。
  1941年10月9日、野村・ハル会談。
  1941年10月10日、野村大使が、日本のさらなる譲歩が
   ない限り日米首脳会談はないと日本本国へ伝える・・
   いくら譲歩をしても無駄という状況にある・・その
   様なアメリカ・・
  1941年10月16日、戦争回避に努力していた近衛内閣が
   総辞職した。
  1941年10月18日、東条英機首相が就任する。
  1941年10月21日、新しい内閣の外相が、再度、アメリ
   カ側への粘り強い交渉を始める・・が・・
  アメリカのルーズベルト大統領は、蒋介石を中国の代
 表として確立し、東アジアのアメリカの利益代表にした
 いと思っていた。
  そして、アメリカは、「勝つ戦いだ」と思っていた・・
  当然、日本には、「戦争維持もできない」という報告
 が、すでに、ある様に、しっかりした現状分析は日本も
 できていた・・
  そして、ついに戦争は始まるのだが・・
  ルーズベルトが恐れていたのは・・、
  日本が敗北した後に、支援している蒋介石ではなく、
 毛沢東の共産党勢力が、「中国を支配できる」からと、
 また、「中国の自国を支配下に置ける」からと、蒋介石
 との戦いに必ず勝てるからと、蒋介石の国民党との戦い
 に踏み切る事だった・・事実、その様になってしまった・・
  そして、ルーズベルトは、終戦の前の年の1944年5月、
 ジョセフ・グルーを国務省極東問題局長に起用して政策
 転換した。
  ジョセフ・グルーは、それまで長らく駐日大使を務め
 ていた。
  ジョセフ・グルーは、1932年6月から1942年6月までの
 10年間、東京に居て、駐日大使を務めていた。
  グルーは、日本に対する「経済封鎖策に反対だった」。
  また、戦争の開戦を回避するための「近衛・ルーズベ
 ルト会談の実現」を強く望んでいた・・、
  戦争が始まってからも、日本の天皇制度こそが戦後の
 日本を安定させると説いて回っていた。
  それは、それまでの前任者のスタンレー・ホーンベッ
 クとはまったく違っていた。
  ホーンベックは、日本嫌いで、日本を戦争に追い込む
 「絶対的な手である=日本を経済封鎖する」を強く主張
 していた。
  また、戦争回避のための会談である「近衛・ルーズベ
 ルトの日米首脳会談」に強く反対した。
  グルーは、ルーズベルトとは古くからの友人だった。
  ボストンの私立寄宿舎学校の校友で、また、ハーバー
 ド大学の同窓でもあった。
  ホーンベックは、中国国民政府を依怙贔屓(えこひい
 き)していた。
.
1941年4月、悪化した日米関係を打開するため、日米交渉
 が、ワシントンで始まったが・・、
  交渉はまとまらなかった。
  それも、そのはずだった・・
  アジアで台頭する有色人種国家・日本の「出る杭」は
 打つだった。
  アメリカは、アジアにおいて、そのアジア人の、アジ
 アに属する日本が台頭して、アジアのイニシアティブを
 とられることを、抑えたかった。
  そのために「日本をたたくチャンス」を作って来てい
 た。
  日本は、必死に会談を重ねたり動いたが・・戦争回避
 への方向へ、しかし、最初から動く訳はなかった。
.
1941年11月23日、アメリカは、アメリカの日本大使館と日
 本本国との通信を傍受し、その暗号を解読し、第二次世
 界大戦の大戦前の状況の一部始終を知り、把握していた。
  1941年11月23日、日本の機動部隊が日本領の択捉島の
 単冠湾(ひとかっぷわん)に集結し、1941年11月26日に
 出撃したのも、当然と言いたいくらいに、アメリカは、
 その動きを、逐一、把握していた。
  嘘をつくアメリカは、それを・・「まったく知らなか
 った」と言った。
  敵の最大の攻撃破壊力を持つ部隊の行動を・・まった
 く知らなかったなどと言えるはずは無く・・日本も、ア
 メリカの機動部隊が、ハワイの真珠湾に集結しているこ
 とを知っていた如(ごと)く、アメリカも、日本の機動
 部隊の、集結、出撃など、逐一、知っていた。
  「アメリカは、まったく知らなかった・・日本の奇襲
 だ」と言うのは、まったくおかしい大嘘のアメリカとな
 っている。
.
  そして・・現在・・
2018年、それにしても、アメリカは、怖(こわ)い国だ。
  アメリカの子供たちに、広島・長崎の原爆投下を「正
 義だったのだ」と教えている。
  その様に思わせ、信じ込ませるために、「20万人~30
 万人のアメリカ人の兵士が死にそうだった」から、「先
 に、20万人~30万人の日本人の一般市民を殺したのだ」
 と教えている。
  その様にマインド・コントロールしている。
  「それは、正義だったのだ」と教え、洗脳している、
  マインド・コントロールされたこの子たちは、大きく
 なって、大人になって、同じ様な状況になった時・・、
 『原爆を投下するような、アメリカ人の大人に育ってい
 るだろう』・・
  正義なら非人道的兵器あろうと使って良いのだ・・と・・。
  同じ過ちを繰り返す「愚かなアメリカ人」に育ってい
 るだろう・・
  そして、同じ過ち(あやまち)を繰り返す・・反省し
 ない国・アメリカになっているだろう・・
  同じ過ちを繰り返す愚かさ・・
  「原爆を投下するアメリカの姿が続く」という繰り返
 す愚かな国となっているだろう・・
  だから、我々は、広島の石碑に・・
  「過ちは繰り返しませぬから」と悲惨な状況の中に死
 んだ方々への「鎮魂のために刻(きざ)んだ」・・
  我々は、全人類の為にも、「アメリカのこの様な過ち」
 は「絶対、繰り返すような愚かな行為は致しませんから・・」
 ・・と祈って、石碑に刻んだ・・、
  しかし、最近、アメリカは、子供たちに100万人が死ぬ
 ところだったと、死ぬ人数をより大きく過大にして、子
 供たちを洗脳し、教えている。
  まったく、あり得ない数字をあげて、批判もできない
 年齢の子供たちを洗脳している。
  アメリカよ、同じ過ちは繰り返すな!
.
2018年、アメリカは、銃に関しても屁理屈をこねている・・
 原爆と同じな屁理屈をこねている。
  屁理屈をこねる国・アメリカとなっている。
  20人もの小学生の子供たちが、撃ち殺された事件が起
 きた。
  そして、アメリカは言う・・「銃で撃つ犯罪行為が悪
 いので、銃が自由に手に入れることが出来る事は悪くな
 い」と・・屁理屈をこねている。
  「小学校に、防弾の盾が無いのが悪いのだ」と批判の
 行先を変えさせている。
  「ホワイト・ボードに防弾性能が無かったから悪いの
 だ」と批判の方向を変えさせている。
  子供の誕生日のお祝いに銃を親が送ることは正義なの
 だ・・と・・、
  銃の無くならないアメリカは・・何ら反省することを
 しない国となっている・・
  悲惨な銃の乱射事件が繰り返されるアメリカとなって
 いる・・
  オバマ大統領が「銃を無くそう」と言ったことは化石
 の如くとなっている。
.
2018年、グローバリゼーションの時代こそ、「国単位で考
 え、よりよい社会を構築する大切さを認識する」ことが、
 より差し迫って求められる。
  地球温暖化防止会議・・
  この問題が、解決する枠組みが、グローバルにできる
 訳はなく、「国単位」でしかやりようがない。
  だからその様に決められた・・
  しかし、それが不満なアメリカは・・何と!アメリカ
 は、京都議定書から、「国益」にあわないと下りてしま
 った・・脱退してしまった。
  アメリカは、もう二度とグローバリゼーションを口に
 しないこと・・
  また、アメリカは、情報を盗み取り、自国企業の競争
 力を支えるというハレンチ行為をした。
  自国の利益追求の利己的行為をした。
  「エシュロン」など卑劣極まりない事をしている。
  アメリカの自国企業は、この甘い汁を吸った。
  アメリカという国から離れられない人々だった。
  どこがグローバリゼーションなのだ。
  都合のよいつまみ食い論理だ。
  この様な状況で、グローバルになれる訳はない。
  グローバリゼーションのマインド・コントロールは、
 もはや終焉した。
.
2018年、木造が劣化するという議論は嘘
  木質は、年数と共に強度が増すという事を知らない。
  NHKは、いつも、「年と共に劣化する」・・だから
 弱くなると放送する・・それは間違い。
  軽率な論議となっている。
  木質を、「乾湿繰り返し」の環境に置けば、木材腐朽
 菌(ふきゅうきん)によって腐ることは、誰でも知って
 いる。
  しかし、出雲大社が、遠い昔、天にも届く高い高い神
 殿だったという話は、半分、伝説の様に伝わっていた。
  その話に決着がつくことがあった。
  出雲大社を発掘すると、その高い大神殿を支えた木の
 杭が出土した。
  実際、我々・日本人の祖先は、この様な木造の大建築
 を、遠い昔、すでに作っていた。
  その杭は、この様に劣化せずに出土した。
  腐朽菌が無い状態ならば、木質はこの様な長い年月を
 存在している。
  NHKの放送は間違いで嘘となった。
  キリスト教に偏するNHKは、仏教を蔑視するが・・、
  以前、仏教寺院の世界遺産の法隆寺の保存が話題にな
 った時・・、
  「法隆寺は木造だが、木造だと、(腐って)何時、壊
 れるかわからないから、いっそコンクリートで建て替え
 るべきだ」の暴論を言うNHKという始末だった。
  今、法隆寺は、世界遺産となって、日本のみならず、
 世界の遺産となって人類の資産となっているが・・、
  NHKは、この様な貴重な資産を、不勉強極まりない
 暴論で抹殺しようとした。
  調査や研究もせず、安易な素人の思い込み放送で、影
 響力の超巨大な放送媒体で、間違い放送する罪がNHK
 にある。
  また、意図的に仏教蔑視を繰るNHKとなっている。
  NHKは、一時、「コンクリートは、40年でダメにな
 る」という放送を意図的に何度も放送した。
  こんなことなら・・上野の世界遺産になった美術館が、
 コンクリートであるが、世界遺産になるわけはない。
  乾燥して行く木材は、強度が上昇するとさえ言われて
 いる・・
.
2018年8月25日、現在の中国の実態と危険・・(その4)
・日本は危機管理力が鈍感だ・・
・アメリカは、アメリカ高官が台湾へ行けなかったが、今、
 高い階級の高官が行くようになっている・・
・中国は、軍事拠点にしないと言っていた南シナ海を「完
 全に軍事拠点化」し、それも3ヶ所も、そして、「中国版
 の海兵隊(侵略部隊)を3倍に2020年までにしようとして
 いる」・・
  この様に、中国は「この地域で動くぞ」と明確に表明
 している・・
  これは、先手を取って、中国に動かれる前に抑えるべ
 きだ・・
・太平島(たいへいとう、現在、中華民国が実効支配して
 いる南沙諸島の島)を中国は盗ろうとしている・・ここ
 が狙われている・・(この次が台湾)・・
・今、すでに、中国は、海賊対処という名目で、軍艦に海
 兵隊を乗務させている・・
・台湾の軍は国民党軍であるから、台湾住民を弾圧する恐
 れも考えられる・・
  また、台湾の国民党は、偽の事件を台湾内で起こして、
 中国に援助を求める偽装工作をする恐れがある・・
  中国軍の台湾へ入る口実作りをする恐れがある・・
・尖閣諸島周辺の台湾の漁民は、ほとんどがこの国民党系
 の漁船・・
・中国は、危なくなると戦争を起こす恐れが大きい・・
・台湾には、半導体の高い技術力がある・・軍事転用でき
 るものばっかり・・
  また、台湾は、アメリカに留学した技術者の技術が
 たくさん持っている・・これが中国に渡る心配がある。
  アメリカは台湾を手放したくない・・
・習近平と台湾国民党は、非常に近い親密な関係にある・・
・中国の国内問題が危ない・・
  反習近平派が黙認した習近平政治・・
  これはいざという時に習近平に総て責任と取らせる心・・
  南シナ海の軍事基地化もすべて習近平の仕業(しわざ)
 だと出来る・・
・アメリカが本気を出した・・
  (この様なアメリカをキリスト教大学の教授が必死に
 批判していた・・青山学院大学の教授がトランプ大統領
 の批判を猛烈にする・・)
.
2018年8月25日、現在の中国の実態と危険・・(その5)
・今、中国の国内には反習近平勢力がいっぱい居る・・
  習近平を、今のような状況の地位に就かせようとしな
 かった抵抗した人たちが大勢いる・・
  そして、その様な人たちが、世界中に広がっている・・
  その様な中国系の人たちは、江沢民派などの反習近平
 派で・・
  この人たちは、いざという時になったら親中というよ
 り西欧社会と連携するようになる・・
  中国国内で冷や飯を食って来ている「世界へ出た中国
 系の人たち」は、今まで自分たちが築いて来た今の現状・
 状況・状態を大事にして優先する・・
・4年前に、習近平が政権に就いた最初の時は、国民はみん
 な習近平が好きだった・・しかし、だんだん嫌いになっ
 て来た・・
  ワクチン問題が起きている・・
  (参考)不正混合ワクチン大量流通、子供が数十万人
     が接種(SankeiBiz)2018.7.25
      中国で国の販売基準に適合しない予防効果不
     明の混合ワクチンが大量に流通、数十万人の子
     供らが接種していたことが発覚し、衝撃が広が
     っている。
      中国では、違法薬品が市場に出回る事案が後
     を絶たない。
      今回は、子供の命に関わりかねないため、親
     らの怒りが爆発。
      国の管理責任も取り沙汰され、指導部は世論
     の沈静化に躍起になっている。
      事態を深刻視した習近平国家主席は23日、
     外遊先のアフリカから「徹底調査せよ」と指示。
      李克強首相も22日「道徳的に許せる最低ラ
     インを越えた」と関係者を批判した。
      しかし、李氏は、2016年に、ワクチンの違法
     販売事件が判明した際も「レッドライン(許容
     できない一線)だ」として再発防止を指示して
     いただけに、国民の怒りの火に油を注いでいる。
      中国メディアによると、問題視されているの
     は、吉林省長春市と湖北省武漢市の製造会社が
     販売した百日ぜき、ジフテリア、破傷風の混合
     ワクチン。
      山東省、河北省、重慶市を中心に65万本余
     りが流通し、判明しているだけで36万人近く
     の子供らが接種した。
      内部告発により問題が発覚。
      当局が長春市の会社への処分を公表したこと
     から注目が集まった。
      健康への影響は不明だが、北京大の専門家は
     中国メディアに「殺人行為だ」と指摘した。
      中国では、2013年に、B型肝炎ワクチンを接
     種した多数の乳幼児が死亡するなど、ワクチン
     をめぐる問題が頻発。
      中国紙記者は、「指導者は毎回、地方や企業
     の幹部を拘束して幕引きを図り、有効な管理シ
     ステムを構築してこなかった」と指摘した。
  この問題を起こした犯人を逮捕するかは不明・・報道
 もなされない・・
  中国で豚インフルエンザも出て来た・・
  (参考)豚は、鳥・ヒトインフルエンザウイルスの両
     方に感染するため、豚が交雑宿主となって遺伝
     子再集合により新たなウイルスを排出する可能
     性がある。
      現在、世界的には、豚の間で様々な遺伝的背
     景を持つA(H1N1)、A(H1N2)、A(H3N2)ウイ
     ルスが循環しており、これまでにも散発的に豚
     からヒトへの感染例が確認されて来た。
      鳥インフルエンザの場合・・NAがN1以外のA/H5
     亜型の高病原性鳥インフルエンザウイルスのう
     ち、ヒトへの感染事例が確認されているのはA(H5N6)
     ウイルスのみで,、2014年以降は14例のヒト感染
     例が確認されており,、そのうち10例が死亡例
     で,、全例が中国からの報告。
  中国には、今、2億匹の豚が居るが、その飼料の大豆が
 米中貿易戦争で中国へ入りずらい状態になっている・・
  中国の豚飼育では、抗菌剤が、一杯、飼料の中に入れ
 られている・・中国の子供たちへの影響が心配されてい
 る・・
  また、中国は、豚の飼育期間を短くして早く売ろうと
 する傾向になっていて・・、
  豚を売る時に、売りやすくするために、豚の肌が白く
 なって、つやつやとするからと、売る3か月前に、ヒ素を
 飼料に混ぜる事がなされている・・
  その禁止令が出て、豚が売れなくなった・・豚飼育者
 は、その豚を河へ投棄した・・それが、上海まで流れて
 行き、問題となった・・
  また、中国はクローン豚が多い・・
・今、66ヶ国が中国の一帯一路に関係しているが、信用が
 がた減りの状況となっている・・
  また、毛沢東崇拝も完全に消えた・・
  元軍人の不満も大きく、デモも起きている・・10数人
 の死者(殺された者)が出る騒ぎとなった・・
  元軍人がどの様に連絡を取り合ったのか? 一晩で2万
 人が集まった・・電話・メールを使った形跡はない・・
  当局がまったく把握できない連絡で、大規模な行動が
 起こされるかも・・という恐怖が生まれている・・
  顔認識データーも元軍人は漏れていた・・
  今、元軍人が、中国に8500万人居る・・
・例え、習近平の後の政権になっても、今の中国のやり方
 は変わらないだろう・・
  そして、今、習近平が、日本に来る予定になっている・・
  中国の権益となったスリランカの港は、軍事転用させ
 ない様にしなければならない・・シーレーン、エネルギ
 ーの大切な道である・・
・今、中国には、長老という修正・調整集団が居なくなっ
 ている・・
  最初の頃は、米中貿易戦争に至らならない様にと導く
 人も居たが・・今は、習近平に責任を取ってもらおうと
 いう状況になっている・・
・インドは、今、ロシア製の兵器と、西側の兵器の混在と
 なっている・・
  ロシア製兵器が中心の潜水艦は、完全にロシアのコン
 トロール下にある・・
  経済的に、中国に頼っている面がある・・
  「インド・太平洋構想で対抗しよう」という構想の大
 きな壁になっている・・
・中国の目的が「世界制覇」にあるところが問題だ・・
  日本外務省は、(中国を気にして)チベットのダライ・
 ラマ法王にも会おうとしない・・
  日本は、ウイグル問題にも、あまり関わろうとしてい
 ない・・知ろうともしていない・・
・新興諸国の財務状況が、今、深刻極まりない状況となっ
 ている・・
  対外債務が・・
  1、モンゴル・・対GDP比・215%
  2、キルギス・・・111%
  3、ラオス・・・・ 84%
  4、タジキスタン・ 67%
  5、マレーシア・・ 63%
  6、トルコ・・・・ 55%
  7、南アフリカ・・ 53%
  8、アルゼンチン・ 40%
  9、メキシコ・・・ 40%
  10、ロシア・・・・ 34%
  11、タイ・・・・・ 34%
  12、ブラジル・・・ 33%
  13、パキスタン・・ 24%
  14、フィリピン・・ 23%
  15、インド・・・・ 20%
  このほとんどが、中国が貸している金・・
  9位のメキシコ、10位のロシア、15位のインドは別・・
  そして、この債務のほとんどが、不良債権化している・・
  中国国内にも、今、人の住まない超高層住宅が林立す
 るゴーストタウンがあるが・・今、中国は、世界中にも
 この様な「焦げ付き不良債権の山」を築いている・・
  この金額が・・2兆米ドル(225兆円)規模・・
  今、中国が持っている総債務は・・3700兆円・・中国
 のGDPの370%・・
  対米の貿易黒字で、中国の資金サイクルは回って来た
 が・・これからは、このサイクルが回らなくなる・・
  不動産暴落から始まる・・中国の不都合の露呈・・
  リーマン・ショックも世界経済に大打撃を与えたが・・
 この中国経済の不都合は・・この10倍規模になる・・
  このショックは・・計り知れないことを起こす・・
  日本は・・果たして・・その備えをしているのか???
  今まで、さんざん中国で儲けて来たアメリカの金融機
 関は・・今、中国から手を引いている・・
  今、ハゲタカ・ファンドが入っている・・これが最後・・
 だから、これらが引き始めたら「中国不都合露呈の始ま
 り」・・時限爆弾状態・・
・中国のほほえみ外交に変わった時は、特に、注意を要す
 る・・大丈夫だではなく、日本は、しっかり島嶼(とう
 しょ、島々)防衛をすべき・・シーレーンの確保・・国
 土を蹂躙されないための土地の売買制度などの再考・・
・今、中国は、カナダで反日宣伝博物館を作ろうとしてい
 る・・慰安婦、南京、真珠湾などなど・・中国政府の施
 策としてやっている・・
・声紋のデジタル統制・・人権無視、顔認証・・ウイグル
 民族浄化・・ムスリム弾圧強化・・AI全体主義の弱点
 は国際非難・・

【討論】どこへ行く中国習近平政権[桜H30/8/25]
https://www.youtube.com/watch?v=yIeIlTY1t9E
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  http://d.hatena.ne.jp/HACHI2009/archive
コメント

(増補版)611E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1894年10月~1894年10月)

2018-09-15 03:14:42 | 日記
題:(増補版)611E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1894年10月~1894年10月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
1894年10月5日、広島市と港のある宇品(うじな、広島市南
 区)を「臨戦地境」に指定し、戒厳令を宣告した。
  (参考)戒厳(かいげん):戦時や自然災害、暴動等
     の緊急事態において、兵力をもって国内外の一
     地域、あるいは、全国を警備する場合に、国民
     の権利を保障した憲法・法律の一部の効力を停
     止し、行政権・司法権の一部ないし全部を、軍
     部の指揮下に移行することをいう。
      軍事法規のひとつであり、戒厳について規定
     した法令を戒厳令という。
      戒厳は、臨戦地境と合囲地境にと二種に分け
     られ、「合囲地境は敵の合囲若しくは攻撃其の
     他の事変に差し警戒すべき地方を区画して合囲
     の地域と為す者なり」つまり敵の囲い込み若し
     くは戒厳地域の囲い込みを意味する。
.
1894年10月5日、初の定期時刻表である「汽車汽船旅行案内」
 が発売された。
  月刊の時刻表定期刊行の始まり(第1号)
  庚寅新誌社(こういんしんししゃ)が、各駅最寄りの
 名所旧跡案内や、紀行文も掲載して発売した。
.
1894年10月6日、イギリスが、共同干渉を提議した。
  イギリスとロシアの協調は、不安定ながらも日清戦争
 中は継続していた。
  日本の戦いにおける優勢が決定的となったこの1894年
 10月、イギリスが、対日和平勧告を行う事を、ロシア・
 ドイツ・フランス・アメリカに提議すると・・ロシアは、
 列国中、最も好意的な対応を示した。
  また、この翌年の1895年1月に、ロシアが、英仏に対し、
 日本に講和を勧告し、かつ、その条件を開示すべく申し
 入れることを提議した。
  イギリスは、直ちにこれに応じ、露仏と共に対日申し
 入れを行った。
  結局、イギリスとロシアの協調の崩壊は、1895年4月初
 め、下関講和会議において、日本が提示した講和条約案
 (遼東半島割譲を含む)に反対しないという決定をイギ
 リス政府が下したことによって崩壊した。
  ロシア政府は、日清の開戦に至るまでは、極東問題と
 は何よりも朝鮮問題であって、ロシアは、清国の朝鮮に
 おける優勢さに対抗しなければならないと考えていた。
.
1894年10月9日、甲武鉄道市街線が開業した・・後の中央線。
  (新宿駅~牛込駅間が開通)
  線は、新宿駅から信濃町駅、四ツ谷駅を経て、牛込駅
 (市ヶ谷と飯田橋駅の中間地点)までだった。
  経緯・・
  1870年に開業したものの、2年後に廃止された玉川上水
   の船運の代わりに、その堤防沿いに新宿~羽村間に
   馬車鉄道(甲武馬車鉄道)の敷設を企画したことに
   はじまる。
    発起人は服部九一、岩田作兵衛、井関盛艮(元神
   奈川県知事)で、堤防沿いは認可を得られず経路を
   変更・・
  1886年11月、新宿駅~八王子駅間の敷設免許を得る。
    しかし、岩谷松平らによる蒸気鉄道、さらに川崎
   駅~八王子駅間の武蔵鉄道の出願があったため、直
   ちに動力を蒸気に変更して出願し、競願者を退けた。
    そして、資本金を30万円から60万円に増資する必
   要から大隈重信へ協力を求めた・・そして、平沼専
   蔵らから出資を得ることができ・・、
  1888年3月、免許状が下付された。
    しかし、その後、井関らと大隈派で対立を生じ、
   大隈派は株を売却、甲信鉄道へ投資してしまった。
    この時、登場した雨宮敬次郎は、安田善次郎らか
   ら資金提供を受け、暴落した甲武鉄道株を買いあさ
   り、資本金60万円のうち38万円相当の株を獲得し、
   経営の実権を握った。
  1888年5月2日、株主総会において役員を選出・・
  (社長)奈良原繁、(常議員)雨宮敬次郎、(常議員)
   井関盛艮、(常議員)指田茂十郎、(監査役)安田
   善次郎、(監査役)岩田作兵衛・・そして・・
  1888年6月9日、副社長となった大久保利和が10月31日
   の株主総会において社長に就任し、奈良原は常議員。
  1889年4月、内藤新宿駅~立川駅間が開業(27.2キロ)・・
    これは、内藤新宿から中野駅、境駅(武蔵境)、
   国分寺駅の3駅を経て、立川駅まで運行され・・
    新宿を午前7時14分に出発した列車は、1時間かか
   って立川駅に予定時間の8時14分に到着した。
    各駅の停車は1分間、列車スピードは、平均時速30
   キロだった。
    客車をけん引した蒸気機関車は、イギリスから直
   輸入したナスミス・ウィルソン社製の軸配置1B1型
   (先輪1軸、動輪2軸、従輪1軸)、タンク蒸気機関車
   (国鉄400形蒸気機関車)・・通称:「マッチ箱」が
   箱型客車を引っ張った。
    午前と午後2本づつの1日4往復した・・
    内藤新宿駅発:7時9分、10時0分、14時30分、17時
   30分・・運賃は、もり・かけそば1銭の時、1マイ
   ル(1.6キロ)1銭だった。
  1889年7月、多摩川本橋(約418m)、浅川橋(139.5m)
   が完成した・・難工事で、開業を4ヶ月遅れさせた。
  1889年8月11日、立川駅~八王子駅間が開業(9.7キロ)・・
    新宿から東京市内への路線延長は、当初は、甲州
   街道沿いが計画されたが、青山練兵場や三崎町の工
   廠の後押しもあって・・
  1889年5月、申請、
  1889年7月、仮免状が下付された・・
    この頃の甲武鉄道沿線の名所旧跡を紹介している
   錦絵には、小金井桜、玉川、高山が描かれ、説明文
   もあり・・そして、真ん中に新宿停車場が描かれ、
   立川停車場に向かって行く蒸気機関車が描かれてい
   る。 
    左上に富士山、高尾山、御嶽山の遠景があり・・
    そして、御嶽山から流れ出る玉川(多摩川)と
    左に、羽村から玉川上水が東京市街地に向かって
   流れ・・その玉川に、立川と日野との間の甲州街道
   の橋が架けられている。
  1894年10月9日、新宿駅~牛込駅間が開業・・
  1895年4月3日、牛込駅~飯田町駅(飯田橋駅と水道橋
   駅の中間地点)間が開業(0.8キロ)・・これで、営
   業区間が八王子駅~飯田町駅間(41キロ)となる。
    そして、更なる延長が計画され・・1890年、飯田
   町駅~万世橋駅間を出願・・
  189612月、八王子から西の山梨方面への鉄道敷設を国
   が工事に着手。
  1903年6月11日、新宿駅~甲府駅間が完成・・そして、
   中央線と命名した・・
  1904年12月、御茶ノ水までの延長が完成・・と続く・・
    しかし、この甲武鉄道の敷設に際し、様々な反対
   運動があった。
    街道筋が栄えているこの時代・・甲州街道で栄え
   ていた府中や調布の商人、宿屋、人力車夫などが、
   客がとられると反対した・・また・・
    農家も汽車のばい煙が桑の葉や野菜を害し、火の
   粉がわら葺き屋根にかかって火事になると・・
    家畜に悪影響が生じると・・
    いろいろな方面から色々な理由で反対された・・
    中野方面でも、青梅街道と宮園通りの中間を東西
   に貫く計画に、地主・村民等が反対した・・
   「鉄道は村を衰微せしむ」・・と・・
    頑強な反対運動に、甲武鉄道は、計画を大きく変
   更・・
    抵抗の少ない武蔵野原野を、現在の東中野あたり
   から立川まで一直線に計画した・・日本第二の直線
   区間となって敷設した。
  1906年、公布された鉄道国有法により、1906年10月1日、
   国有化され、中央本線の一部となった。
.
  (今日の言葉)
.
  題:トランプ大統領は、キッシンジャーと会って、
    『一つの中国の原則にこだわらない』と明言した・・
    韓国の在韓米軍が台湾へ移ると良い・・
.
紀元前4世紀~紀元前3世紀、法句経(ほっくきょう)が編
 纂される。
  一人静かな心を味わい・・
  安らぎの味を知ったら・・
  恐れもなく、過ちもなくなる。
        (法句経205)
  法句経は、パーリ語経典『ダンマパダ』 Dhammapada
 の訳名。
  仏陀の言葉をなまの形で伝える文献の一つ。
  古来広く愛読され、仏教徒の思想と実践の指針となっ
 てきた。
  全編 26章、423の詩句集で・・、
  パーリ上座部系統に属するもののほかに、
  大衆部が伝えたガンダーラ語のもの、
  説一切有部系統の『ウダーナバルガ』の題名で伝えら
 れたもの、
  その系統のチベット訳や
  漢訳の『法句経』 (2巻) 、『法句譬喩経』 (4巻) 、
 『出曜経』 (30巻) 、『法集要頌経』 (4巻) などもある。
  パーリ語原典は、南伝上座部の(小部経典)の一つで
 あるが・・、
  他に、ガンダーラ語、サンスクリット《ウダーナ品》、
  漢訳(《法句経》《出曜経》など)、
  チベット語訳、および、中央アジア諸語による断片も
 あり、きわめて広く普及していたことが知られる。
  本経は、短い詩句の集成で、初期仏教教団で伝持され
 ていたものが、後に、編集されたと考えられ(紀元前4世
 紀~紀元前3世紀)、初期仏典中でも最も古いものの一つ。
     ・
     ・
1220年代のはじめ、ルーシ(キエフ大公国)の公たちは、
 まず、キプチャク草原の遊牧民族クマン人の戦士たちか
 ら、モンゴルの到来を知らされた・・ここからモンゴル
 の征服が始まった。
.
1223年、モンゴルのルーシ侵略(カルカ河畔の戦い)
  モンゴルのロシア侵略は、カルカ河畔の戦いで始まり、
  この年のこの戦いは、ジェベ、スブタイ両将軍率いる
 モンゴル軍と、ポロヴェツ・ルーシ連合軍との間で行わ
 れた。
  連合軍は、数で上回っていたにもかかわらずモンゴル
 軍に惨敗した。
  モンゴルのロシア征服は、1236年~1242年のバトゥの
 西征で本格化した。
  (ルーシ諸国に対するモンゴル帝国の征服戦争)
  (参考)ルーシ:中世時代におけるキエフ大公国の正
     式な国号で、キエフ・ルーシとも言われ・・
      キエフ大公国のもとで誕生したキエフ大公国・
     チェルニーヒウ公国・ペレヤースラウ公国を中
     心とするリューリク朝の三国。
      広義では・・ハールィチ・ヴォルィーニ大公
     国、ヴラジーミル大公国、ノヴゴロド共和国な
     どの東欧の諸国を含む場合がある。
      ルーシ・カガン国は、8世紀後半から9世紀の
     半ばにかけて、現在のロシア北西部にあったと
     される国家、または、都市国家群(仮説)。
      また、ロシア帝国・ロシア連邦の通称。
.
1237年になって、モンゴル軍は、15万の大軍を編成し、ロ
 シア中心部に侵入し、リャザン、モスクワ、ウラジーミ
 ルを次々と陥落させた。
  13世紀前半、タタールのくびき
  (参考)くびき:車を引く牛馬の頸(くび)の後ろに
     かける横木のことであるが・・自由を束縛する
     もの・・の意味がある。
  13世紀前半に始まったモンゴルのルーシ侵攻と、それ
 につづくモンゴル人(モンゴル=タタール)によるルー
 シ(現在のロシア・ウクライナ・ベラルーシ)支配を言
 い・・、
  現在のロシア人などの祖先であるルーシ人のモンゴル
 =タタールへの臣従(しんじゅう、臣下として従うこと)
 をいう。
.
1240年、キエフの戦い
  ルーシの首都キエフの支配をめぐって、ルーシとモン
 ゴル帝国の間に行われた戦い。
  1240年9月5日、バトゥが率いるモンゴル軍は、キエフ
 を包囲し、キエフの明け渡しを求めた。
  キエフ軍を引率するドミトロー大将とキエフの市民が
 降伏を却下して防衛に備えた。
  モンゴル軍のバトゥは、32の投石機を集めて、キエフ
 の防衛線で弱点だったポーランド門を攻撃し、市内へ乱
 入した。
  キエフの市民は攻撃を防いだが、多勢に敵わずして石
 造りの什一聖堂へ撤退し、教会を最後の砦とした。
  1240年12月6日、モンゴル軍は、投石機を取り寄せて聖
 堂を破壊させ、キエフを制覇した。
  ドミトロー大将は捕虜となったが、勇敢に戦ったため、
 バトゥによって解放された。
  モンゴル軍は、聖ソフィア聖堂をはじめキエフの教会
 と貴族の屋敷を略奪し・・、
  合戦後、5万人だったキエフの人口は2千人まで減少し
 た。
  キエフの陥落によりルーシは滅(ほろ)んだ。
  これ以降に存続したキエフ公国は、14世紀半ばにかけ
 てモンゴル帝国の属国であった。
  一方、キエフは大きく衰退し、山の手だった古キエフ
 は荒地となり、都市の中心地は下町のポジールへ移った。
.
1453年、モスクワ大公が、皇帝を意味するツアーリの称号
 を用いた。
  イヴァン3世は、東ローマ帝国最後の皇帝の姪と結婚、
  モスクワ大公が、1453年、オスマン帝国によって滅ぼ
 された東ローマ皇帝にかわる正教会の保護者としての地
 位を自認する端緒をつくった。
  ロシア語で皇帝を意味するツアーリの称号もイヴァン
 3世のとき初めて使われた。
.
1547年、イヴァン3世の孫、イヴァン4世(イヴァン雷帝)
 は、この年に、ツアーリの称号を正式に用いた。
  ロシアの正教会の間では、モスクワは、ローマ、コン
 スタンティノポリスに続く第三のローマであり、ツアー
 リは、ローマ皇帝の後継者であるとする考えが生まれた。
  モスクワ大公国の支配領域が、「ルーシの国」を意味
 する「ロシア」との名称で呼ばれるようになり始めたの
 も、イヴァン4世の頃の16世紀だった。
  また、1552年にカザン・ハン国、1556年にアストラハ
 ン・ハン国を滅ぼし、初めてキプチャク・ハン国の一部
 を併合し、シベリアに向かって東方への拡大を開始した。
.
1780年、光格天皇が天皇になった(在位1780年~1817年)
  光格天皇は、たいへん衰弱していた皇室の祭祀(さい
 し)の復活に努められた(1771年~1840年)
  そういう皇室の動きが淵源(えんげん、物事の起こり
 基づくところ、根源)となり、尊皇思想というものが茫
 洋(ぼうよう、広々として限りないさま)として沸き上
 がり、武士階級を中心に庶民の一部にまで浸透して行く。
  この過程で、皇室をめぐる文明的エネルギーは見事に
 立ち直った。
  光格天皇、仁孝天皇、孝明天皇の三代が、皇室伝統の
 衰微と危機に立ち向かわれた。
.
2005年11月17日、耐震偽装事件、そして、NHKの罪
  国土交通省が、この日、千葉県の構造計算事務所の耐
 震偽装を公表した。
  しかし、日本の公共放送・NHKも似た様なことをし
 ている・・放送している。
  NHKは、「がさネタ放送局」だ。
  建物の耐力は鉄筋量で決まる。
  (1)建物の耐力は鉄筋量で決まる。
  姉歯事件は、この鉄筋量を誤魔化したから問題となっ
 た。
  建物耐力は、鉄筋量の計算をして決めている。
  鉄筋の引張力は十分に耐えるのか?否か?の問題なの
 である。
  コンクリートの劣化は中性化で起きる。
  鉄筋コンクリート構造物の耐力減退は、何で起きるか?
 と言えば、
  1、コンクリートの中性化、
  2、コンクリートの中性化による鉄筋の錆びによる断面
   欠損、
  3、コンクリートのひび割れによる耐力低下(今、巷の
   公共構造物でこれを無視しているのか?ほとんど補
   修をするべきを補修をしていない)、
  4、コンクリートが、ひび割れて、中の鉄筋が錆びて、
   そして、その鉄筋の錆びの膨張で、コンクリートが
   押し出されて、コンクリートが剥落する。
   (たまに見られるのだが、世間では構造体が、ここ
   まで来ても何ら補修をしてない)。
  この様な劣化因子があるのだが、鉄筋コンクリート構
 造物が、耐力を低下することを問題にするのなら、コン
 クリートの中性化が進んで行って、肝心の鉄筋が錆び始
 めて、鉄筋の断面欠損が生じ始めて、そして、鉄筋コン
 クリート構造物の耐力の低下が始まるところを問題とす
 べきだ。
  (だから、鉄筋コンクリート構造物の中性化を補修し
 ていれば、鉄筋の劣化は起きるはずが無く、だから、超・
 長期的にその構造体は使用可能なのだ)。
  (メンテナンス・補修如何にかかっていることを知る
 べきだ・・ただただ、何年、経ったから駄目になったと
 考える事は「勿体ない行動につながる」)。
  NHKは、世間にある様な素人的な想像で予想し、そ
 れがあたかも正しい事の様に放送した・・いいふらした。
  だから、まだ耐力が低下していない鉄筋コンクリート
 構造物が、ただただ時が経たから耐力がなくなったと、
 単純な、間違った放送をし続けた。
  大きな間違い情報を言い続けた。
  その間違い情報に洗脳された人々は、まったく無駄な、
 勿体ないことを始めた。
  まだまだ使える建物を壊し始めた。
  『NHKのこの罪は・・非常に大きい』。
  貴重な公共構造物を、この様なセンスで壊していたら・・
 税金がいくらあっても足りなくなる。
  また、NHKは、渋谷の放送センターを建て替えたい
 ため、これを理由にした・・
  そして、お手前の放送媒体を使って、盛んに全国放送
 をした。
  『NHKの渋谷の放送センターは、年月が経ったので
 劣化したので建て替えます』と・・
  嘘で間違った放送を盛んにした。
  そしてまた、渋谷の「子供の城」も年月が経ったので
 壊して建て替えますと、ニュースにもならないニュース
 を自分の建て替えを行ないたいため・・放送した。
  NHKの目の前の渋谷公会堂も、年月が経ったので壊
 して建て替えますと、またまた、ニュースにならないニ
 ュースを、自分のために放送した。
  こんな放送ばかりを繰り返し繰り返し放送していた・・
 その建て替えのお金は視聴者へ返還すべき金だった・・
 だから、NHK予算委員会でその様に決定している金を、
 NHKはまだ視聴者に返還していない。
.
2018年8月25日、現在の中国の実態と危険・・(その2)
・中国はあらゆる層の人間を使って、「政治を盗むグルー
 プ」や「科学技術を盗むグループ」・・などを作ってい
 る・・
  これを束ねているのが、中国共産党中央の統一戦線・・
 世界に散らばした工作員のネットワークを束ねている・・
  アメリカのFBI(連邦捜査局)や、CIA(中央情
 報局)は、すでに、そのやり方・組織を把握している・・
  今、それをストップし、潰す方向へ動き始めた段階と
 なった・・それによって中国の状況がここで変わった・・
 ピンチに陥っている・・
・アメリカのFBIは、アメリカの55州のすべてに中国の
 スパイが入っていると発表した・・取締りを厳しくして
 いる。
  アメリカに帰化した中国人は、総てが工作員(日本も
 そうだろう)・・
  カナダでも、それと同様な中国の動きが発覚し、860人
 の学生などの工作員が捕まって強制送還された(数が半
 端ではない)・・
  留学生・華僑・華人がこれを構成している・・
  孔子学院もこの状態(日本の桜美林大学にもある)・・
 親中反日にして行く行動をしている・・
  この孔子学院をコントロールしているのがやはり中国
 の政権内にある王滬寧(おうこねい)・・
  アメリカは、この王滬寧をターゲットにしている(情
 報戦)・・
  この王滬寧が、失脚の可能性高い・・アメリカへの亡
 命か?・・という状況になっている・・
・クーデターを心配している習近平・・
  習近平が、アフリカに行った時にもその心配が出てい
 た・・心配で、娘をアフリカへ連れて行った・・
・AFP通信の記者が書く、習近平はおかしいと・・
  習近平は、眠れない状態が続いて睡眠不足で、国連や
 国際的な大物に会っている時も、うとうとと居眠りをし
 ている・・
  また、習近平は肩書も間違えた・・
  また、9回、毒殺を仕掛けられたとの報道がある・・
  6月、人民大会堂で、習近平を迎えに来た車が、習近平
 が出て来た時に爆発したことがあった・・
  人民大会堂は、一般人が入れないエリアで、この様な
 事が起きた・・
  その爆弾を分析したら人民解放軍の使っている爆弾だ
 と判明した・・
  内部に習近平を爆殺しようとしたものが居ることは明
 らか・・
  これが起きた後、習近平は人民解放軍病院に入院した・・
 そこでも危うく毒の注射を打たれそうになった・・
  中国の政権の行方が不透明になって来ている・・
・北朝鮮も、中国の人民解放軍が、自国領に入って来るこ
 とを恐れている・・
  中国の北京や上海を狙うミサイルも保持しているとい
 う見方もでている・・
  この点からも、核やミサイルは、簡単に手放せない状
 況があると考えられている・・
・イランに、北朝鮮から核が渡されたら世界は大変なこと
 になる。
  イスラエルは黙っていない。
・アメリカ政権内にも、中国共産党と強くつながっている
 者が居る事も忘れてはならない・・
  中国の外貨準備は3兆2千億ドル・・米国債は1兆2千億
 ドル・・
  故に2兆ドルが自由になる・・これがアメリカ内の工作
 や投資などに使われている・・また、金融機関のモルガ
 ンなどへ・・
  あまり追い詰めるなというアメリカ内の勢力もある・・
  しかし、これは皆、中国内にないお金・・アメリカに
 あるお金・・アメリカは、いざとなったら、トランプ大
 統領が、決断一つでこの中国の在米資産を抑えることが
 できる・・凍結する・・
  ウイグルを弾圧し、虐殺した中国高官(陳全国・ちん
 ぜんこく)も資産凍結された・・
・中国は強い時は危険だが・・中国は弱い時も危険・・
  日本は、過去にも、中国が弱い時に、中国を助けて痛
 い目にあった・・この時、天皇陛下が訪中をせざるを得
 ない状況に置された・・
・日本でも、日本の議員で中国のインターシップを持って
 いる者が居る・・
  (オーストラリアは、中国関連のスパイ活動を防ぐ一
 環から議員インターンシッププログラムを除外するとし
 た)
・アメリカの女性上院議員が、秘書を首にした・・その理
 由が「事務所の情報のすべてを中国へ渡していた」・・
  この女性議員は、外交の委員長をしていたから狙われ
 た・・
  この秘書が、アメリカに立てられる慰安婦像のすべて
 を指導していた・・韓国が表向き慰安婦像を立てるよう
 に見せかけられていて、本当は中国がやっていると判明
 した・・
  台湾に慰安婦像を建てたのも中国と国民党・・
  台湾のマスコミは、中国共産党と中国系の台湾の国民
 党がすべてを抑えている・・
  中国の金が動いてカナダで慰安婦記念館が建てられる
 ことになっている・・
  慰安婦像設置や博物館建設も裏で中国政府が金を出し
 ている。
・台湾の国民党と中国共産党の関係は双子状態・・裏では
 まったく一緒。
  中国に利用されている台湾国民党・・
  中国政権の統一戦線が、アメリカの工作員を動かして
 いる・・
・中国は、欧米企業をどんどん買収し、中国は、その情報
 を盗んでいる。
・中国が、日本を何とかしよう、てなづけようという動き
 が、また、始まっている・・
  スパイとスパイ協力者がいる・・
  民間の学者などが利用されている・・
・中国の木材輸入量の70%は日本から出ている・・
  この様な儲け話のやり方から言いなりになる人間を、
 中国は、作ろうとしている・・
  李克強が日本に来て、北海道のバイオチップの話を付
 けた・・この様な中国の動きもある・・
  また、北海道・苫小牧の広大な土地を中国は購入(中
 国向け野菜)、表向きは日本法人だが、苫小牧の農地を
 買い占めて、中国への野菜輸出をしている・・
  しかし、北海道にはまったく金が落ちない・・
  地方経済活性化に、少しも役に立っていない・・
  北海道の政治家よ!目覚めよ!
  中国寄りの政治家の多い北海道となっているが・・ま
 ったく、中国に裏をかかれている・・
  この様な中国経営の法人に・・日本政府から補助金な
 どの金が出ている・・我々はその税金を支払されている・・
・日本の政治家の秘書にも中国の工作員が、相当、入って
 いる・・
  農業特区制度が悪用されている・・
  中国から金を貰っている日本の政治家も多い・・
  革新系だけでなく、保守系と言えども金を貰う議員が
 居るという状況になっている・・
  政治家の秘書にも、相当、入っている・・
・今、中国は、先端技術を盗むためのスパイを送り込む事
 より、企業の最先端の技術者を抱き込むことをしている。
  中国の工作員を入れるより、日本人を抱き込むことに
 力を注いでいる。
  情報が盗まれる「見落としがちな穴」は通訳・・
  通訳を抱き込んで、情報を得ることもしている・・
  技術だけでなく政治の分野でも・・
・優秀な技術者を夏休みに中国に招待することもしている。
  この時に、「退職後も、引き受けますよ」と、高額な
 給料の誘いと共に退職後の話もつける・・
・日本の大学で、中国の国費留学生の居ない所は無い・・
  また、パソコンの入力の手伝いと称して、めぼしい技
 術を開発している大学教授の助手になる・・
  そして、研究所の大切な情報が抜かれる。
  国益を軽く考える者も多い・・
  パソコンデーターは、簡単に持ち出せる機器も発達し
 ている・・
  技術者に国益を守るという意識を付ける事も大切。
.
2018年8月25日、現在の中国の実態と危険・・(その3)
・中国が、スリランカの港を、99年間の租借(そしゃく、
 外国の領土の中のある地域を借りて、一定の期間、統治
 すること)とした・・
  スリランカが、中国から借りた金を返済できないから
 取り上げるのだ・・というのが中国の理屈・・
・中国が、すでに、ジプチ(中東の紅海の入口の国)に拠
 点を作ってしまっている。
  もう中国の軍艦が存在している。
  中国軍艦が、すでに、スエズ運河あたりまで哨戒(し
 ょうかい、敵襲に対して見張りをして警戒すること)行
 動をしている・・
  中東の要(かなめ)、中東の門番のように抑えている。
・イランの石油を、アメリカとイランの関係が、どの様な
 状況になっても、中国は買う、金を支払うという事に、
 中国はしている。
  故に、今、潤沢な金がイランに入っていて、イランの
 軍拡が行われ、戦費調達がなされている・・中国の金が、
 この様な動きをしている・・
  故に、イエメンの反政府組織に、武器を与えているイ
 ランの行動も支援していることになっている・・
  中国が、この様に中東への橋頭保を築いて、中東情勢
 に、中国が、深くからんで行くという世界情勢となって
 来ている・・
  これは、アメリカの軍事力をアジアから中東へ向けよ
 うとする中国の策略である・・
  (中国寄りのNHKは、こんなことは、まったく放送
 しない)
・これに、トルコ問題も絡んで来ている。
  今、トルコが、急足に中国べったりになって来ている。
  「敵の敵は味方」の考え方になっている。
・イランと日本は関係が良い。
  イランと関係が良い西側国は日本だけ。
・イスラエルが核を持っている状況で、中東に、新たに核
 を持つ国ができると大変・・
・また、ロシアと中国がくっつくと大変。
・中国は、習近平になって初めて韓国へ行った・・「南か
 ら盗るぞ」の意思表示となっている・・
・北朝鮮をめぐる対立が本格的に成りつつある・・
  ロシアは、北朝鮮の金正恩を呼ぼうとした・・中国は、
 行かせまいと阻止した・・
・今、日本海に1000隻を超える中国漁船が居る・・この後
 に中国の艦艇が入って来る・・もう日本の海上保安庁で
 は対応できない状況となる・・
・日中両国が、通貨スワップの再開の検討に入るのはおか
 しい・・
  3兆円規模で始める・・
  (参考)スワップ取引:金融において、あらかじめ決
     められた条件に基づいて、将来の一定期間にわ
     たり、キャッシュフローを交換する取引。
  今、価値のない人民元の状況・・中国が刷れば使える
 というだけの通貨・・
  それを、万一の時には、日本が、世界に対して保証す
 る形になるのは「おかしい」・・
  日本の同盟国のアメリカの米ドルの足を引っ張る形に
 もなる・・
  中国の知的財産権の侵害もアメリカは何とかしようと
 している。
  そして、新たにアメリカは、人権問題(チベットやウ
 イグルや内モンゴル)も何とかしようとしている・・そ
 の足を引っ張る形になっている日本・・
  中国のこれらの根本的問題を何とかしようとしている
 アメリカの足を引っ張る日本となっている・・
  外貨準備などで、中国が打撃を受けているところを、
 日本が助けるという形になっている・・中国の日本への
 工作の影響・・日本の省庁への働きかけ・工作が功を奏
 している・・
・トヨタと日産が、中国の工場規模を30%を増やす事にし
 ている・・
  資金持ち出しを禁止している中国・・儲けた金を持ち
 出すことが出来ないことにしている中国もおかしいが・・
  その様な資金を、日本に持って来れないので、仕方な
 く中国にその資金を投下する事にしている。
  トヨタの大もとが増やせば、その系列・すそ野の広い
 系列の会社などの会社も増やさざるを得ないことになっ
 ている・・
  日本の経団連の親中国の動きも問題・・習近平系列の
 会社べったりになったりしている・・
  日本の優秀な軍事転用可能技術の流出が心配・・これ
 らが盗られる様になったら終りだ・・
・軍事転用できる技術が取られるようなリスクが高まって
 いる・・
  「メイド・イン・チャイナ2025」を実現しようとして
 いる中国・・
  (参考)メイド・イン・チャイナ2025:「製造強国」
     を目指すべく、中国政府(国務院)は、2015年
     5月19日に、今後10年における製造業の発展のロ
     ードマップを示した「メイド・イン・チャイナ
     2025」(中国語は「中国製造2025」)計画を発
     表した。
      その中には、製造業のイノベーション能力の
     向上や情報化と工業化の高度な融合の推進をは
     じめとする九つの戦略任務と、次世代情報技術、
     高度なデジタル制御の工作機械とロボット、航
     空・宇宙設備などからなる十の重点分野が盛り
     込まれている。
  (参考)西側諸国の懸念:メイド・イン・チャイナ2025
     などの中国の動きへの懸念・・
      米紙・ウォールストリート・ジャーナル(WSJ)
     6日付によると、米通商代表部などの政府高官は、
     中国当局主導の振興策は公正な競争を損なうと
     批判。
      米政府関係者は、中国当局は国内企業に補助
     金を給付するほか、外国企業に対して技術移転
     を強いる可能性が高いとの認識を示した。
      トランプ政権は、2017年から、中国による知
     的財産侵害の疑いで調査を行っている。
      調査結果によっては、米政府が今後、関税引
     き上げや輸入制限を含む対中制裁を強化すると
     みられる。
      米シンクタンク、戦略国際問題研究所のスコ
     ット・ケネディ副所長はWSJに対して、「ハイテ
     ク強国との目標を達するために、中国当局は歳
     入拡大や市場アクセス制限、技術を移転するよ
     う企業に圧力をかけている」と指摘し、「米は
     中国の行動に注視している」と述べた。
      在中国の欧州連合(EU)商工会議所が2017
     年、「中国製造2025」について、「極めて問題」
     があり、海外企業の差別につながりかねないと
     の報告書をまとめた。
      「海外企業の間では、中国市場に参入する条
     件として、技術の譲渡を迫られるのではないか
     との懸念が浮上している」と指摘した。
・この様な西側諸国の動きであるのに、日本だけが、中国
 トラップ・工作に「はまっている」・・
・近々の情報でも・・日本の優秀な技術である「急速充電
 技術」を、中国は盗もうとしている。
  日本と中国は、提携することを決めた。
  日本は、中国のシェアが90%だという所に目がくらん
 でいる。
  中国のパイの大きさに目がくらんでいる。
  レーザー兵器にも転用できるこの技術を盗もうとして
 いる。
  アメリカも、真から、喉から手が出るほど、この日本
 の技術を欲しがっている。
  日中の話の節電は名目で、節電ではなく、本当は、レ
 ーザー兵器・レールガン兵器の技術開発に持って行かれ
 る。
・中国は、海外企業に対して、役員に中国人民(共産党員)
 を入れなければならないとしている・・
  この様な話は、中国寄りのNHKは、ニュースにもし
 ない・・
  NHKは、「NHKは、中国に信頼されている」と変
 な自画自賛まで放送している・・
・韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領も軍事技術を共
 に持とうなどととんでもない話を中国にしている・・
  「非核化のためだ」と、脈絡の付かないことを理由に
 している・・
・アメリカは、中国企業のファーウェイを追い出すことに
 している。
  「中国のファーウェイは使わない」という通達が出た・・
  (参考)ファーウェイ:華為技術有限公司、中華人民
     共和国の通信機器メーカー、
      現在ファーウェイは、300近い通信事業者に製
     品・ソリューションを提供しており、世界トッ
     プ50事業者のうち45社がファーウェイの製品・
     ソリューションを使用している。
      2008年に国際特許出願件数世界1位になる。
      戦略的にあえて非上場を貫いている。
      超巨額な利益を上げており、また、超巨額な
     研究開発投資をしていて、研究者も厖大。
 (参考)ファーウェイへの疑念:CNBC(アメリカの
    ニュース専門放送局)の報道によると・・、
     FBI長官が、「ファーウェイが、アメリカの
    情報通信ネットワークの中で力を得ていることに
    懸念」「ファーウェイの端末は、情報を盗む機能
    を持っている」と述べた。
     以前、ファーウェイの端末に、「ユーザーの
    個人情報を勝手に収集し、許可なく中国のサーバ
    に送信する機能」が搭載されていたことが明らか
    になっている。
     アメリカ政府は現在、政府職員がファーウェイ
    /ZTE製スマホの使用を禁ずる法案も検討してい
    る。
     ZTE(中興通訊、中国メーカー)も同じよう
    な事をしていると指摘されている。
  (参考)2018年2月16日、ハフポスト(HuffPost、アメ
    リカのオンラインメディア)
     中国企業のファーウェイとZTEのスマートフ
    ォンを使わないように、アメリカの情報機関の高
    官が国民に呼びかけた。
     CNBCによると2月13日の上院情報委員会で、
    中央情報局(CIA)や、連邦捜査局(FBI)、
    国家安全保障局(NSA)などの高官6人が出席。
     アメリカの消費者は、この2社の製品を使うべき
    でないという考えを示した。
     ZDnet(法人向けのITニュースを配信するサイ
    ト、CBSインタラクティブ社が運営するニュース・
    サイト)によると、この席でFBIのクリストファ
    ー・レイ長官は以下のように話したという。
     「価値観の違う外国政府に借りがある企業・組
    織が、国内の通信ネットワークで影響力を持つリ
    スクを深く懸念している」
     「私たちの通信インフラに、プレッシャーをか
    けたり、影響を及ぼす能力を与えてしまう」
     「悪意を持って、情報を改ざんしたり、盗んだ
    りできる。スパイ行為だってできるだろう」
     ロイターによると、共和党のトム・コットン上
    院議員とマルコ・ルビオ上院議員は7日に、ファー
    ウェイとZTEの通信機器について、アメリカ政
    府の購入やリースを禁じる法案を提出した。
     アメリカ当局者へのスパイ行為に対する懸念を
    理由としている。
・この様な動きの中で、日本は、中国に甘い。
  技術や情報を盗むシステムがはめ込まれているという
  見方となっている・・
・ホイールにエンジンを組み込む「ホイールエンジン」の
 技術が・・盗まれるリスクがある。
  軍事技術に非常に大切な技術。
  熱感知しにくいシステム・・見つかりにくいシステム・・
 この技術を持っている日本が、世に役立つならと甘い考
 えに居る・・自分が開発したから、「どうするのも自分
 の自由」なんて、お人好しに考えている日本の技術者。
  空気清浄化システムが、「潜水艦に転用できる」なん
 て考えてもいない・・
  戦闘機のエンジンを冷やすシステムに転用できる冷却
 設備の技術も・・こんな事を考えていない日本・・
  この点、日産が偉かったのは、ミサイル技術を持った
 ところは分離して、他企業に売却してから、ルノーと提
 携した・・
  日本の経済界は、この様な危機管理意識が欠如してい
 る・・
・日本の一番進んでいる技術・・電気自動車の次に来る水
 素エンジン技術も、中国が盗もうとしている。
  石油メカニズムのシステム系から脱却できる大切な将
 来技術・・
  トヨタが、その工場を見せたりしている。
  新幹線技術が盗まれたことを忘れている。
・水素を簡単に作れる日本の技術を持った会社がすぐに中
 国に買収された。
  経済的問題でつまづいているだけの企業が盗まれる・・
 技術は優秀で、その技術の行き詰まりではなく、会社経
 営問題だけで中国に盗まれた・・優秀な技術者が盗まれ
 る・・
・この様な政府の指導が甘い。
・ドイツが中国とべったりをして来た・・一帯一路の東の
 要衝(ようしょう、交通・軍事・通商の上で、大切な地
 点)にはドイツがあるという考えにあった・・このドイ
 ツが、少しづつ変わって来ている。
  中国べったりのフォルクスワーゲンも叩かれている。
  世界から圧力を受けたドイツも・・中国の本質が分か
 って来ている・・一帯一路のおかしさが分かって来てい
 る・・
・「モンテネグロの大借金もおかしい」とEUは分かって
 来ている・・小さな国のモンテネグロが、中国の大借金
 を返済できるのか??・・と・・(ギリシャの二の舞?)
  同じような話があちこちに・・ブルガリア、ルーマニ
 ア、ハンガリーなど・・中国は手広くやっているが・・
  アフリカでも中国はやっている・・
・メルケルは、東ドイツ出身なので、共産圏諸国に甘い・・
 その様な考え方が、体に染み込んでいる人・・
  警戒心が無いから、ドイツは、1週間で何十社もどん
 どん中国に買収されたという調子・・
  やっとストップがかかる様にはなって来た・・
  イギリスは、その様にはならないという法律を作った・・
  アメリカも法関係を整備し始めた・・
・中国が狙っている一つが「ロボット兵士」・・
  殺人兵器が量産される中国・・国連はそれを止めよう
 としているが・・その様な中で・・ロボット戦争に邁進
 している・・日本には、それにつながるロボット技術を
 持っていないと世界は知った。
・中国のロボット兵士に入力される行動システムは、「怪
 しければすべて撃て」と教える・・怪しいという判断だ
 けで行動を起こす・・怪しいのはすべて撃ち殺せになる・・
  西側諸国のシステム入力は、その様には出来ない・・
  ロボット兵士が前に出て、人間の兵士はバックに下が
 る形の戦いになる・・その時、中国のワンサイドの戦い
 になる・・
  鳥に似せたドローンのロボット兵士が、実際に、実験
 飛行している・・
  (自衛隊は、そんなことはできないことになっている・・)
  (自衛隊は、先に撃ち殺されてしまう・・)
・ロボットの市街戦・・一般住民が殺される・・
・中国の論文には・・中国は人口が多いので2億人~3億人
 が死んでも大丈夫なんて平気で書かれている。
・中国は、人口を半分減らそうとしている・・老人を減ら
 し、精神病患者を減らし・・しかし、来年、3人の子供を
 産んでもよいとしている・・中国は病院が少ない・・汚
 染も酷い・・河川汚染、土壌汚染、空気の汚染、海の汚
 染・・など
  16年経つと、この人たちが、中国軍の兵士となる・・
 中国は、兵士となって戦って死んでも、遺族は金を貰え
 ない・・
・台湾に対して中国がやっている恐喝に日本は敏感になる
 べき・・
・アメリカと日本は、これ以上、中国軍が強くなる前に台
 湾を国として承認すべき・・世界は、ドミノ現象的にこ
 れにならう・・
  台湾の蔡英文(さいえいぶん)総統が、アメリカに立
 ち寄った・・中国は「出来ない」としていた・・蔡英文
 氏は、「台湾は、中国に屈しません」と明言している・・
・トランプ大統領は、キッシンジャーと会って、『一つの
 中国の原則にこだわらない』と明言した・・
  韓国の在韓米軍が台湾へ移ると良い・・
.
【討論】どこへ行く中国習近平政権[桜H30/8/25]
https://www.youtube.com/watch?v=yIeIlTY1t9E
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  http://d.hatena.ne.jp/HACHI2009/archive
コメント

(増補版)610E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1894年9月~1894年10月)

2018-09-09 02:15:19 | 日記
題:(増補版)610E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1894年9月~1894年10月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
1894年9月16日、平壌の戦い
  日清戦争における最初の本格的な陸戦(9月15日説あり)
  混成第9旅団長・大島義昌少将は、入韓直後から清国の
 大軍が平壌に集中するとの情報を得ていた。
  騎兵斥候を平壌に派遣し、駐留させていた。
  7月下旬になって、清国軍が、義州を経由し平壌に進軍
 して来た。
  1894年8月10日、黄州から中和に偵察に出た時、強力
 な清国軍と遭遇した・・指揮官の町口中尉・竹内少尉な
 どの幹部が戦死する。
  1894年8月19日、第5師団の長野津道貫は、ソウルに到
 着した。
  この頃、韓廷の首班の大院君は、清国兵が次々と南下
 して来る報に接して怯え、動揺していた。
  清国の李鴻章は、7月上旬から順次、軍事力を動員し、
 諸部隊の体制完成を目ざし、その諸部隊には平壌に集結
 することを命令していた。
  1894年9月13日、李鴻章から指揮を任された葉志超は、
 諸処から来る日本軍をみて、その包囲を避けるため撤退
 を決断した・・それを各将にはかった・・しかし、奉天
 軍総兵の左宝貴は、それを聞いて憤然とした・・そして、
 自己の親兵をもって葉志超を監禁してしまった。
  清国軍に司令官が存在しない状態となった・・、
  清国軍の各将は、指揮命令が無く、自分の判断で戦う
 ことになった。
  第5師団の長野津道貫は、軍の包囲の完成をみて、9月
 15日に総攻撃と決定した。
  1894年9月15日、午前6時ごろ、攻撃は激烈となった。
  6時20分頃、歩兵第21連隊の突撃が行われた・・
  この攻撃は失敗する・・しかし、7時までに、敵を牡丹
 台方面へ敗走させた。
  この様な状況で始められた戦いだが・・14時半、朔寧
 支隊に、現在地に止まって夜営準備が命令された。
  16時半ごろ、前面城壁と乙密台の清国軍は射撃を停止
 し、白旗を翻した。
  17時頃、軍使をおくる準備をしていた頃、突然雷雨と
 なった。
  清国軍は、雷雨を口実として、開門は翌朝と要望した。
  しかし、 21時、雨がようやく収ったころ、多数の清国
 兵は甑山の方向へと逃走し始めた。
  1894年9月16日の翌日、1時10分、歩兵第12連隊は、暗
 門から城内に突入した・・
  場内は、道に迷うわずかな清国兵のみで、もぬけの殻
 だった・・平壌の陥落。
  日本軍の戦死者は180人、負傷者は506人・・
  清国軍の戦死者は2000人以上といわれる。
  清国軍の指揮官は、戦死した左宝貴以外はいずれも脱
 出に成功した。
  指揮官:日本:野津道貫、桂太郎・・
      清国:葉志超、左宝貴
  戦力:日本:約10000人
     清国:約13000~15000人
  損害:日本:死者180人、負傷者506人
     清国:死者2000人、負傷者約4000人
.
1894年9月17日、黄海海戦
  この日、日本海軍が、黄海大孤山港沖で清国艦隊と遭
 遇し交戦となる・・
  日本は勝利し、黄海の制海権を握った。
  日本の連合艦隊と清国の北洋艦隊主力との交戦だった。
  これまで、清国は、海軍力を日本に見せつけ、日本を
 威圧して来た・・
  その威圧行動で長崎港に来た北洋艦隊の清国兵士が、
 日本を馬鹿にして暴れる事件を起こしたりなどもしてい
 た。
  日本は、凶作などもあり予算措置ができず、これまで
 海軍増強もままならなかった・・が、経済回復とともに、
 目ざましく軍備を増強して行った。
  例えば、海軍力は、1881年(この海戦の13年前)は、
 清国と日本の所有する軍艦は共に3隻であったが・・、
  清国は大型艦を持ち、日本の艦艇は貧弱そのものだっ
 た。
  そしてまた、清国は、その後も大型艦をどんどん作り・・、
  1887年には、清国10隻、日本は4隻と、圧倒的な清国の
 海軍力優位となった。
  (2018年現在の中国と日本との軍事力の差の様に・・)
  日本も、中国の脅威に、1888年(この海戦の6年前)か
 ら、艦船数を増やす努力をして行った。
  また、大型艦を増やして行ったが、中国・清の増強の
 方が目覚ましく、清国に追い着くことは、しばらく出来
 なかった。
  しかし、1892年(海戦の2年前)には、ほぼ対等の状態
 にたどり着くことができた。
  この様な・・まだ劣勢の日本の状況の中で・・、
  1894年9月17日に、黄海海戦を、日清両国は戦った。
  日清戦争は、中国で戦われたと思われ勝だが、朝鮮半
 島でその多くが戦われた。
  清国軍が威海衛から渡海し、朝鮮のソウル(当時の漢
 城)近くに上陸し、日本と交戦した。
  また、平城近くでも戦った。
  日本は、九州や沖縄から出撃した。
  この黄海海戦は、『近代的な鉄甲蒸気船同士で行われ
 た世界史上初の大規模な海戦』だった。
  日本は勝利をおさめ・・清国海軍は、大幅に戦力を低
 下させ、黄海と渤海の制海権を失った。
  日本の連合艦隊司令長官は、伊東祐亨(いとうすけゆ
 き)海軍中将だった。
  清国の損害5隻喪失、大中破で、日本の喪失は無し、
 大破4隻だった。
  海戦の場所:黄海、鴨緑江沖。
  1894年午前10時過ぎ、両艦隊がお互いの煙を確認。
  連合艦隊は、直ちに、戦闘態勢を取り急接近する。
  北洋艦隊も、日本艦隊を迎え撃つ体制にした。
  連合艦隊は12隻・・第一遊撃隊4隻、そして、司令長
 官の率いる本隊6隻、そして、本隊後方に2隻だった。
  北洋艦隊は14隻で、連合艦隊より2隻多く、本隊10隻、
 そして、4隻が続いた。
  12時18分、連合艦隊司令長官は、攻撃開始の国際信号
 旗・旗旒信号(きりゅうしんごう)を発した。
  北洋艦隊は、楔形の横列陣で、連合艦隊に直進して来
 た。
  12時52分、本隊の旗艦「松島」が距離3500mで砲撃を
 開始した。
  12時55分、第一遊撃隊も、北洋艦隊右翼に回り込み距
 離3000mに近づき砲撃を開始した・・
  速射砲で猛烈な砲火だった。
  北洋艦隊は、連合艦隊に突進して、衝角戦(しょうか
 くせん、体当たり攻撃で、船復を破り大浸水を起こす)
 にしようとした・・そして、双方、砲火を交わし被弾。
  13時5分、北洋艦隊の艦が火を噴く・・、
  30分後に沈没。
  そして、北洋艦隊のもう1隻も多数被弾し、火を噴き
 戦闘不能となる。
  日本側も第一遊撃隊「吉野」が被弾し、弾薬が誘爆し
 て火災を発生。
  この様な戦いが延々と続く・・、
  日本側に、幸運な命中弾などもあり「赤城」は危機を
 脱したりした。
  また、連合艦隊の「西京丸」が、魚雷3本を発射された
 が喫水が浅いのが幸いして、その1本が船底の下を通過し、
 命中を免れ、九死に一生を得た。
  15時10分、連合艦隊第一遊撃隊、距離3700mで、本隊
 と共に北洋艦隊へ十字砲火を発射。
  15時15分、北洋艦隊は大打撃を受け、3隻で火災が発生。
  北洋艦隊に戦線離脱する艦も現れる(敵前逃亡で、海
 戦後に斬首の刑に処された)
  つられて、逃亡を途中まで試みる北洋艦隊の2艦があり。
  北洋艦隊は集中砲火を浴び・・1隻沈没。
  15時30分、北洋艦隊の30.5㎝砲弾が、連合艦隊「松島」
 に命中、大破し炎上する。
  16時7分、「松島」、鎮火するも被害甚大、舵が不調。
  北洋艦隊も味方の火災、逃亡、沈没が続いて、四分五
 裂となる・・
  2隻を残して、4隻が戦線離脱体制となる・・
  他の2隻も退却を始める・・連合艦隊の第一遊撃隊が追
 撃態勢に移る。
  16時45分、司令長官が、交戦する本隊の各艦に進撃を
 中止し、旗艦「松島」に集結する信号を出す。
  16時48分、第一遊撃隊が逃走する北洋艦隊の1隻に追い
 付き、攻撃開始・・、
  命中度が高く、艦首から沈没。
  17時40分、再集結した連合艦隊本隊は、順次、南方へ
 後退。
  それを見た、残った北洋艦隊2隻も退却を始める。
  17時45分、第一遊撃隊が敵艦を追おうとしたが、司令
 長官からの「合流せよ」の信号が発せられ引き返す。
  20時、伊東司令長官は、旗艦を「橋立」に変更して移
 乗・・、
  大破した「松島」は呉軍港へ帰還させる。
  翌日・18日1時15分、「西京丸」、朝鮮半島の日本海軍
 根拠地に帰還。
  3時30分、北洋艦隊の1隻が帰還中に被弾による舵の不
 調から座礁・・放棄された。
  5時50分、連合艦隊の1隻が根拠地に帰投。
  18日12時から連合艦隊司令部は、帰投した北洋艦隊を
 再補足の目的で発進させたが・・発見できず。
  その後、日本海軍の水雷部隊が、帰投した北洋艦隊を
 発見し、『威海衛の戦い』をする。
  2隻撃沈、1隻大破・座礁、その後自沈・・、
  4隻は鹵獲(ろかく、戦いで得る・ぶんどる)し、日本
 海軍に編入。
  これによって北洋艦隊は消滅。
.
1894年9月、絵草紙屋の店先に戦争の画が並ぶ。
  玩具屋には、サーベル・兵隊帽・ラッパなどが並べられ
 た。
.
1894年9月、絵草紙も、新聞紙や書籍同様に検閲を受けるこ
 とになった。
  8月17日付けの都新聞に、絵双紙に夢中になってる人が
 多く、スリが横行していると記している。
  歌人の斎藤茂吉も、日清戦争の錦絵を見たと書いてい
 るが、庶民がそれだけ熱中するほど、戦争報道は盛り上
 がっていた。
  因みに、10年後の日露戦争は写真報道に沸く。
.
1894年10月1日、東京商品取引所が開業。
  蛎殻町で誕生したが、営業不振に陥り、1908年に、東
 京米穀取引所に吸収合併される。
  砂糖・塩・綿糸・綿花・木綿・油・肥料・金属・雑穀
 の9品を取り扱った。
  そして、第2次東京商品取引所が、1951年2月に設立さ
 れた(旧・東京繊維取引所の設立日、東京工業品取引所
 としての設立は1984年11月1日)
  この時、東京ゴム取引所、東京金取引所が統合された。
.
1894年10月1日、日本鉄道の八戸線八戸駅~湊駅間の開通に
 より尻内駅~湊駅間が全通した。
  日本鉄道によって、1891年に開業した本線(後の東北
 本線)は、駅が海沿いの八戸市街から離れた尻内に設置
 された。
  このことから、1894年に、尻内駅(現・八戸駅)から
 分岐して八ノ戸(現・本八戸駅)を結ぶ支線を敷設した
 のが始まりで・・、
  1894年の同年中に、八ノ戸から湊へ延伸された。
  この状態で、日本鉄道は、1906年に公布された鉄道国
 有法により1907年11月1日に買収されて官設鉄道に編入さ
 れた。
  この後、1909年に八ノ戸線と命名され、1924年に八戸
 線と改称された。
.
1894年10月3日、西園寺公望が、第2次伊藤内閣の文部大臣
 となる・・これが初入閣で、外務大臣を兼任した。
  病気で辞任した井上毅の後任の文部大臣だった。
  西園寺公望は、行き過ぎた日本中心主義を否定し、女
 子教育発展をもとめるなど、日本を西洋諸国のように開
 明進歩させる教育を唱えた。
  また、翌年の1895年には、親友の陸奥宗光外相が病気
 のため、外務大臣臨時代理をつとめた。
  1896年5月に、陸奥が外相を辞任すると、西園寺は正式
 な外相となり、文部大臣と兼任したが・・
  1896年8月に、伊藤内閣が倒れ、第2次松方内閣で数日
 間大臣を務めた後、両大臣を辞任した
  1896年11月には、法典調査会副総裁も辞任し、フラン
 スへと旅立った。
  西園寺は、フランスで教育制度や軍の内閣による統制
 などを研究するつもりだった
  西園寺公望は日本の公家、政治家、教育者。
  位階・勲等・爵位は従一位大勲位公爵。
.
1894年10月3日、大本営が、第2軍を編成した(9月25日説
 あり)
  司令官は大山巌大将。
  参謀長:井上光大佐
  砲兵部長:黒瀬義門砲兵大佐
  工兵部長:勝田四方蔵工兵大佐
.
  (今日の言葉)
.
  題:まず、「賄賂トラップ」と「ハニートラップ」にかけ・・
   その後、「債務トラップ」にかけて、
   国を借金まみれに陥(おとしい)れ、政治をコントロールし、
   港湾など戦略的軍事拠点を奪取する・・
.
905年、古今和歌集が完成し、天皇陛下に奏上された。
  古今和歌集は、平安時代前期の最初の勅撰和歌集(天
 皇陛下や上皇の勅宣によって編纂された公的な歌集)で、
 後醍醐天皇の命により、紀友則 (きのとものり) 、紀貫
 之 (つらゆき) 、凡河内躬恒 (おおしこうちのみつね) 、
 壬生忠岑 (みぶのただみね) が撰集にあたった。
  大和歌は、人の心を種として、萬(よろず)の言の葉
 とぞなれりける。
  世の中にある人、ことわざしげきものなれば、心に思
 うことを、見るもの、聞くものにつけて、言い出せるな
 り。
  花に鳴く鶯(うぐいす)、水に住む蛙(かわず)の声
 を聞けば、生きとし生けるもの、いずれか歌を詠(よ)
 まざりける。
  力をも入れずして、雨土(あめつち)を動かし、目に
 見えぬ鬼神をも、哀(あわ)れと思わせ、男(おとこ)
 女の中をも和(やわ)らげ、猛(たけ)き武士(ものの
 ふ)の心をも、慰(なぐさ)むるは歌なり。
             (「古今和歌集」仮名序)
  「古事記」「日本書紀」は漢字(真仮名)で書かれて
 いた。
  「土佐日記」「古今和歌集」から仮名文学が始まった。
  因みに、古今和歌集は、905年に勅命を受けて、913年
 ~914年頃に完成したという説。
.
1870年(明治3年)、兵部大輔の前原一誠は、太政官への建
 白で、阿片戦争におけるイギリスやアロー号事件におけ
 る英仏連合軍による北京占領を指摘して、その危険性を
 警告した。
  1887年、また、井上馨は、条約改正問題の意見書で、
 欧州各国は、「其力を殖民拓地の政略に専ら」用い・・、
 アジアやアフリカは「逐鹿(ちくろく、利権を得る競争)
 の場」になると見た。
  以上のように、世界の弱小国を好きに従属させている
 欧米列強の行動は、さながら、日本もその脅威の中で生
 きているという日本の指導者層の脅威・恐怖の認識で、
 その中で、最も恐るべき脅威と考えられたのは北方のロ
 シアだった。
  1887年のこの年、外務権大丞・柳原前光は、ロシアは
 「満州東北を蚕食し、其勢往々朝鮮を呑」む勢いであり、
 元来「虎狼の国柄」、ヨーロッパの動乱の隙を窺(うか
 が)い、いずれ矛先をアジアに向けると認識していた。
  1873年、大久保利通は、この年の「征韓論に関する意
 見書」で、日本にとって最も恐るべき国はイギリスとロ
 シアであるとした。
  大久保がイギリスを恐れたのは、日本が外債をイギリ
 スに大きく頼っていたことにもあった。
.
1934年、中国の共産党軍が、中国奥地に隠れる。
  この年から1936年まで、毛沢東の率いる共産党の中国
 軍は、1万2000キロメートルも中国の奥地・延安へと逃げ、
 そして、隠れた。
  共産党中国軍は激減し、消滅の憂き目にあった。
  そしてまた、中国・国民党軍と日本とを戦わせて消耗
 することを中国奥地で願っていた・・、
  それを・・美しく「長征」と言っている。
  この様な共産主義国の中国が、国民党軍と日本との戦
 いで『南京事件が起きた』とした・・起きてもいない南
 京事件を、「起きた」とデッチ上げた・・そして、世界
 にプロパガンダ(嘘宣伝)して日本を貶(おとし)めた。
  また、同様に、起きてもいない慰安婦問題を起きた様
 に仕組んで、韓国を陰で操(あやつ)り、さも韓国が行
 動している様に見せかけ、慰安婦像を立てさせたりして、
 世界へ嘘のプロパガンダをしている。
  その様な陰湿な共産中国のプロパガンダ(嘘宣伝)行
 動が判明して来ている・・共産中国の工作員が世界中で
 うごめいている。
  こんなことを、共産党中国は、昔からやって来た。
  世界は、昔から騙されて来ていた。
  延安に隠れた毛沢東が、そして、この地での事が美し
 く語られた・・が・・これが、まったくの嘘。
  「八路軍は、糸一本、針一本、住民から略奪しない」
 とか、
  「共産中国には、ハエが一匹も居ない」とか・・
  清潔の極みなのだとか、まったくあり得ない嘘八百を、
 世界に発信し続けた。
  「住民は、皆、民主主義を信じている」とか、
  「共産党は独裁を避けている」とか・・「多党化しよ
 うと議席の3分の1しか取らない」とかと・・
  今の共産党の中国政権だって嘘八百だ・・「集団指導
 体制だ」と言っているが? 『一握りの者たちの独裁』
 ではないか・・、
  延安の毛沢東のやることは「素晴らしいモラルの世界
 だ」とか・・と・・、
  フリーダ・アトリーという女性のイギリス人ジャーナ
 リストは、ロシア人の共産党員と結婚した。
  そのこともあって、共産党に染まり、コミンテルンの
 メンバーになった。
  そして、スターリンの大粛清を見る、また、体感する。
  夫が捕まり、強制収容所へ送られてしまう。
  止む無くイギリスへ帰る。
  そして、アメリカのコミンテルン工作員のラティモア
 やスメドレーと知り合う。
  そして、新聞記者として中国へ渡る。
  彼女は、この様な経緯をとって共産党の内部の細かい
 ところを知る・・、
  ロシアと中国の実態を、自ら内部に存在する者として
 体感する。
  そして、彼女は、ここに至って破綻する。
  ソ連の共産主義に「完全に幻滅した」ことを表明する。
  「共産主義は本質的に偽善である」と言う。
  「ナチズムは悪であるが、悪い事をして、それを善に
 見せかける共産主義の方が、ナチズムよりも救い難い悪
 である」と言う。
  そして、中国の共産主義から、最初、美しい中国共産
 党の国を見せられ・・「ソ連よりましだ」と思わせられ
 る・・が、結局、長期に見ていて・・その実態を、その
 実際を知って行くと・・
  「ロシアよりも、中国共産党の方が、はるかに恐ろし
 い」と書く・・、
  そして、「我々は、認識を惑わされている、中国共産
 党は魔物だ」・・と批判する。
  ソ連とともに、中国共産党国家の大規模な偽装工作の
 徹底ぶりは凄(すさ)まじかった。
  中国共産党は、延安で麻薬栽培までしていた。
  (中国寄りのNHKは、こんなことは放送しない・・
 中国の讃美放送しか放送しない・・)
  アメリカの外交官やジャーナリストが、延安に訪れ、
 視察をすると・・ケシ畑は絶対に見せないようにした。
  農民たちにも、「毛沢東様を支持します」と言わせ、
 「八路軍によって、お陰さまで地主から解放されました、
 幸せです」・・と言わせた。
  その視察団が通るコースに沿って、徹底的に工作した。
  その工作範囲が、何と! 「幅3キロ、長さ150キロ」
 と言うから、その凄まじさは想像を絶した。
  「共産党に対する自然な支持が広がっていると確信し
 た」とさえ、外交官やジャーナリストたちは思わせられ・・
 そして、その事が、間違った認識が・・世界に発信され
 た。
  こんなことは、ロシアもやっている・・
  例えば、強制収容された日本人施設の例・・
  海外からの視察が来るとなると、病人はすべて収容所
 の外に運び出し、他の場所に移され、そして、元気な人
 間だけが集められ、並ばされた。
  近所の村から果物や野菜やらをかき集めて山盛りに積
 み・・机を全部シーツで包み、清潔に見せかけた・・
  こんな例は、書けばきりがない。
.
1945年8月23日、シベリア抑留(唾棄すべき拉致行為))
  ソ連による国際法違反のシベリア抑留が始まる。
  シベリア抑留は、ソビエト連邦(ソ連)によって、第
 二次世界大戦の終戦の後に、すでに、武装解除されてい
 る日本軍兵士や、無実の開拓民などの日本人の一般人ら
 を、主に、シベリアなどへ労働力として拉致して、移送
 し、そして、隔離し、長期にわたって抑留生活を強いて、
 奴隷的強制労働により多数の死者や人的被害が生じた。
  ソ連のこの行為は、武装解除した日本兵や、何ら罪の
 ない一般の日本人らの家庭への復帰を保証したポツダム
 宣言に反する国際法違反の行為であった。
  日本は、すでに、1945年8月14日に、中立国を通して降
 伏を声明している。
  1993年10月、ロシアのエリツィン大統領は訪日した際、
 「この行為は非人間的な行為だ」として謝罪の意を表し
 た・・(補償の話は未解決)
  しかし、まだ、ロシア側には、依然、日本軍将兵は戦
 闘継続中に合法的に拘束した「捕虜だ」と、まったくあ
 り得ない話を主張し・・また、日本人の一般人に対して
 の不法行為に対しては、まったく反論できない状況とな
 っている。
  ロシアは、戦争終結後に不当に留め置いた「抑留者と
 は違う」と筋の通らない、そして、成立しない話を主張
 している。
  また、シベリアに連行された日本人は200万人以上で、
 死者は40万人以上であるが・・
  抑留された日本人を57万5000人とし、厳寒の環境下で
 満足な食事も与えず、休養も与えず、苛烈な労働を強要
 されて死んだ人の数を5万5000人としている。
  最近の研究成果がロシア側から明らかにされた。
  ロシア人のアルハンゲリスキーの著作にその数が記さ
 れているが・・抑留者200万人以上、死者数40万人以上と。
  KGB(ソ連国家保安委員会)は、60万人の抑留で、
 約6万人の死者数としている。
  このソ連の不法行為は、連合国のポツダム会談に於い
 て、アメリカのルーズベルト大統領にそそのかされたス
 ターリンが、「日本領土への侵攻・侵略を実施した」こ
 とによって発生した。
  ソ連は、シベリア開拓の労働力を「喉から手が出るほ
 ど欲しかった」。
  1945年8月16日、スターリンは、日本人を捕虜として用
 いないという命令を内務人民委員のラヴレンチー・ベリ
 ヤに下していたが・・、
  1945年8月23日、これを翻した。
  「国家防衛委員会決定 No.9898」に基づいて、日本軍
 をソ連内の捕虜収容所へ移送し、強制労働を行わせる命
 令を下した・・しかし、一般の日本人までをもシベリア
 へ拉致した。
  ソ連は、 満州国境にも174万人ものソ連極東軍を終結
 させ、不法な侵略を開始した。
  この一帯で地獄図が描き出された・・日本の満蒙開拓
 団の人々は、ソ連軍戦車の機関銃にに銃撃され、また、
 戦車に轢(ひ)き殺された・・
  この様な混乱状態の中で、中国も、日本人に対して卑
 劣な行為を行なった・・
  中国国内や満州国内で、終戦の後なのに殺したり、捕
 まえて収容所に入れ、飢餓状態にして命を奪った。
  また、病気になっても放置され、命を失った。
  この様な日本人は、日本兵の軍人に限らず、民間人も
 被害を受けた。
  中国は、この事について口をつぐんで謝罪の意思さえ
 見せない。
  特に、満蒙開拓団の状況が酷く、このことが明らかに
 されない事情の中に、中国側だけの問題だけではなく、
 日本側の官僚が、「外交をうまくやるためには、この様
 な事は言わない方が良い」という表現のしようのない怒
 りしか湧かない「売国奴的態度を取っている」ところに
 ある。
  中国の息のかかった工作員としか思えない輩である。
.
1950年代、マッカーシズム
  1950年代に、アメリカ合衆国で発生した反共産主義に
 基づく社会運動、政治的運動。
  アメリカ合衆国上院(共和党)議員のジョセフ・マッ
 カーシーによる告発をきっかけとして「共産主義者であ
 る」との批判を受けたアメリカ合衆国連邦政府職員、マ
 スメディアやアメリカ映画の関係者などが攻撃された。
  アメリカの第32代大統領のフランクリン・ルーズベル
 トの側近から官僚、そして、その他の広い範囲に共産圏
 の工作員がうようよといた・・工作員だらけだった。
 その為、日本との戦争にまで至ってしまった。
  その様な反動もあって、1950年代に、アメリカはマッ
 カーシズムが起きた。
  今・現在の日本も、中国の工作員がうようよと居て、
 スパイ天国となっている。
  このアメリカのマッカーシー旋風は、アメリカの情報
 機関が、ソ連の暗号を解読していることを惑(まど)わ
 し、隠すためにも行った。
  ソ連のスパイの情報をリークして議会で追及している
 という形にした。
  ホワイトや、カリーや、アルジャー・ヒスは、アメリ
 カでの最も高位についたソ連のスパイだった。
  これは、「ヴェノナ文書」にも記されている。
.
2017年12月6日、ウイグルを弾圧し続ける中国
  この日のウイグル放送の記事によれば・・、
  新疆ウイグル地区の中国公安当局は、微信(WeChat)
 などのソーシャルメディアで、国外留学中のウイグル人
 学生に連絡を取り、「帰国しなければ母親を強制収容所
 に送る」などと脅迫している。
  以下は、トルコ在住のウイグル人留学生に対する、公
 安当局の脅しの一部・・、
  「私は収容所の者だ。母親が大切ならこのアカウント
 を追加せよ」
  「トルコで暮らし、留学しているウイグル人の家族や
 親戚を収容所に収監し、強制的に『再教育』するように
 との上層機関からの命令がある」
  「おまえがトルコ留学中だから、母親がおまえの代わ
 りに『再教育』をされる」
  「トルコ国内にいる全てのウイグル人家族が、代償を
 支払うことになる」
  これだけのウイグル人の人々が拘束されていたら、当
 然ながら産業や経済は崩壊して行く。
  2017年10月18日の放送の記事では、南新疆ホタン市で
 大勢の商人が収容所送りとなったため、市内最大のバザ
 ールで店の3割が閉鎖され、顧客も半分程度に落ち込んで
 いる。
  同じく南新疆カシュガルのベシケリム村では、2000万
 平方メートルのブドウ畑のブドウが腐り始め、村民の暮
 らしを直撃している。
  取引をするウイグル人商人のほとんどが収容所送りと
 なり、買い手がなくて市場に出回らなくなった。
  一方、「商売敵(しょうばいがたき)がいなくなって、
 取引がうまくいっている」と喜ぶ漢人商人のインタビュ
 ーも紹介されている。
.
2018年7月12日、インターシップ制度を利用してスパイ活動
 をする中国
  オーストラリア上院は、2018年7月12日、議員インター
 ンシッププログラムが、今後、外国人留学生を募集対象
 から外すと発表した。
  この決定は、豪政府が中国のスパイ活動を防ぐ一環だ
 とみられる。
  同国議会では、これまで、議員は外国人留学生をイン
 ターン生として採用することができた。
  インターンシップ期間は3カ月と定められていた。
  期間中、留学生らは議会の「機密文書の閲覧も可能」。
  議会は、機密情報漏えいの対策として、インターン生
 に機密文書についてメモを取らないよう要求することに
 とどまっていた。
  上院のスコット・ライアン報道官は12日、「今後議会
 がインターン生を募集する際、豪国籍の国民のみに限定
 する」と述べた。
  昨年・2017年12月、ターンブル豪首相は、中国共産党
 政権に近い中国人富豪らが政治献金を通じて、同国の政
 策策定に強い影響力を行使したと批判した。
  また、中国の影響力の排除に向けて、「オーストラリ
 ア人民は立ち上がった」と中国語で発言した。
  英紙フィナンシャルタイムズは、昨年・2017年9月、ニ
 ュージーランド国籍中国系議員の楊健氏が、1994年、オ
 ーストラリア留学中に、同国上院の外務委員会でインタ
 ーンシップを経験した、と報道した。
  楊氏は、留学の前、中国軍のスパイ養成学校で英語教
 師として勤めていた。
  オーストラリアでは、昨年・2017年以降、中国当局の
 内政干渉やスパイ活動に対する警戒が強まった。
  豪連邦議会は、2018年6月末、外国政府からの内政干渉
 やスパイ活動を阻止するための法案を可決した。
  法案では、外国政府や企業の代理人が議会でロビー活
 動を行う際、事前登録を義務付けた。
  また、代理人らが活動内容を隠ぺいし、秘密工作やス
 パイ行為の事実があった場合、10年以上の懲役刑を下す
 とした。
.
2018年、諜報の国・ロシア
  ロシアには、以下のようなモンゴルとの関わりがある。
  ロシアには、モンゴルに約200年間にわたり占領され、
 支配された経緯がある。
  そして、そのモンゴルは、世界の諜報・謀略機関の元
 祖と言われるほど凄(すさ)まじかった。
  ロシアは、このモンゴルに占領を受けている間、現在
 の諜報大国の素地を受け継いだ。
  そして、拷問や粛正のモンゴル帝国当時の手法にまで
 染まってしまった。
  中国も朝鮮も、100年間、このロシアと同様に、このモ
 ンゴルの元に支配された。
  日本は、この元を撃退した。
  また、中国は、ユーラシア大陸での地続きという状況
 から、種々の民族が侵入し帝国を築いた。
  その中国の歴史の2000年間は、その種々の民族の錯綜
 する時代だったと言える・・それは、諜報と謀略の世だ
 った。
  その様なことは、「孫子」にも明らかで、裏をかき、
 また、その裏をかくという騙しの世界だった。
  (参考)裏をかく:相手が予想したのとは反対のこと
     をして相手を出し抜く。
  今・現在、中国が、金と人を膨大につぎ込み、プロパ
 ガンダ(嘘宣伝)に精を出し、世界を惑わしているのは、
 今・現在、始まった事ではない。
  情報をきちんと評価して、政策に反映させるシステム
 を構築することは重要な事であるが・・、
  中国の様に、それを悪用し、他を惑わし、それに長(
 た)けているのが優秀だと、他国を節操なく貶(おとし)
 めていることが・・、
  今・2018年、中国に逆風となって、中国批判の世界の
 状況となっていて、中国へ吹き付ける批判の嵐となって
 いる。
  (参考)モンゴルとロシアの関係・・
  1223年、モンゴルのルーシ侵略(カルカ河畔の戦い)
  モンゴルのロシア侵略は、カルカ河畔の戦いで始まり、
 この年のこの戦いは、ジェベ、スブタイ両将軍率いるモ
 ンゴル軍と、ポロヴェツ・ルーシ連合軍との間で行われ
 た戦い。
  連合軍は、数で上回っていたにもかかわらずモンゴル
 軍に惨敗した。
  モンゴルのロシア征服は、1236年~1242年のバトゥの
 西征で本格化した。
  (ルーシ諸国に対するモンゴル帝国の征服戦争)
  (参考)ルーシ:中世時代におけるキエフ大公国の正
     式な国号で、キエフ・ルーシとも言われ・・
      キエフ大公国のもとで誕生したキエフ大公国・
     チェルニーヒウ公国・ペレヤースラウ公国を中
     心とするリューリク朝の三国。
      広義では・・ハールィチ・ヴォルィーニ大公
     国、ヴラジーミル大公国、ノヴゴロド共和国な
     どの東欧の諸国を含む場合がある。
      ルーシ・カガン国は、8世紀後半から9世紀の
     半ばにかけて、現在のロシア北西部にあったと
     される国家、または、都市国家群(仮説)。
      また、ロシア帝国・ロシア連邦の通称。
  1220年代のはじめに、ルーシの公たちは、まず、キプ
 チャク草原の遊牧民族クマン人の戦士たちから、モンゴ
 ルの到来を知らされた・・ここからモンゴルの征服が始
 まる。
  1237年になって、モンゴル軍は、15万の大軍を編成し、
 ロシア中心部に侵入し、リャザン、モスクワ、ウラジー
 ミルを次々と陥落させた。
.
  13世紀前半、タタールのくびき
  (参考)くびき:車を引く牛馬の頸(くび)の後ろに
     かける横木のことであるが・・自由を束縛する
     もの・・の意味がある。
  13世紀前半に始まったモンゴルのルーシ侵攻と、それ
 につづくモンゴル人(モンゴル=タタール)によるルー
 シ(現在のロシア・ウクライナ・ベラルーシ)支配を言
 い・・、
  現在のロシア人などの祖先であるルーシ人のモンゴル
 =タタールへの臣従(しんじゅう、臣下として従うこと)
 をいう。
.
  1240年、キエフの戦い
  ルーシの首都キエフの支配をめぐって、ルーシとモン
 ゴル帝国の間に行われた戦い。
  1240年9月5日、バトゥが率いるモンゴル軍は、キエフ
 を包囲し、キエフの明け渡しを求めた。
  キエフ軍を引率するドミトロー大将とキエフの市民が
 降伏を却下して防衛に備えた。
  モンゴル軍のバトゥは、32の投石機を集めて、キエフ
 の防衛線で弱点だったポーランド門を攻撃し、市内へ乱
 入した。
  キエフの市民は攻撃を防いだが、多勢に敵わずして石
 造りの什一聖堂へ撤退し、教会を最後の砦とした。
  1240年12月6日、モンゴル軍は、投石機を取り寄せて聖
 堂を破壊させ、キエフを制覇した。
  ドミトロー大将は捕虜となったが、勇敢に戦ったため、
 バトゥによって解放された。
  モンゴル軍は、聖ソフィア聖堂をはじめキエフの教会
 と貴族の屋敷を略奪し・・、
  合戦後、5万人だったキエフの人口は2千人まで減少し
 た。
  キエフの陥落によりルーシは滅(ほろ)んだ。
  これ以降に存続したキエフ公国は、14世紀半ばにかけ
 てモンゴル帝国の属国であった。
  一方、キエフは大きく衰退し、山の手だった古キエフ
 は荒地となり、都市の中心地は下町のポジールへ移った。
,
  1453年、モスクワ大公が皇帝を意味するツアーリの称
 号を用いた。
  イヴァン3世は、東ローマ帝国最後の皇帝の姪と結婚、
  モスクワ大公が、1453年、オスマン帝国によって滅ぼ
 された東ローマ皇帝にかわる正教会の保護者としての地
 位を自認する端緒をつくった。
  ロシア語で皇帝を意味するツアーリの称号もイヴァン
 3世のとき初めて使われた。
.
  1547年、イヴァン3世の孫、イヴァン4世(イヴァン雷
 帝)は、この年に、ツアーリの称号を正式に用い、ロシ
 アの正教会の間では、モスクワは、ローマ、コンスタン
 ティノポリスに続く第三のローマであり、ツアーリは、
 ローマ皇帝の後継者であるとする考えが生まれた。
  モスクワ大公国の支配領域が、「ルーシの国」を意味
 する「ロシア」との名称で呼ばれるようになり始めたの
 も、イヴァン4世の頃の16世紀だった。
  また、1552年にカザン・ハン国、1556年にアストラハ
 ン・ハン国を滅ぼし、初めてキプチャク・ハン国の一部
 を併合し、シベリアに向かって東方への拡大を開始した。
.
2018年8月25日、現在の中国の実態と危険・・(その1)
・アメリカのトランプ大統領の対中政策が回転し始めた。
  トランプの対中政策によって・・世界に孤立する中国
 となっている・・習近平は四面楚歌になっている・・
  トランプ大統領の「貿易戦争」は序の口で、その次の「
 金融戦争」となって行く・・、
  アメリカの議会も、メディアも、「反中」となってい
 る・・
  アメリカの狙いは「パックスアメリカーナ」か?
  (参考)パックスアメリカーナ:超大国である米国の
     存在により世界平和が維持されていること・・
・いま、中国の社会的な難題が深化している・・
  富と貧困の格差が拡大し・・社会には怨念が鬱積(う
 っせき、不平や不満が張らされずに、次々と、心に一杯
 たまる)している・・
  困窮化する「低端階級」の悲哀は凄まじい・・、
  海外に不正資産を蓄財する幹部が「愛国者」なのか?
・「革命、革革命、革革革命、革革・・」(魯迅の言葉)
  「革命、反革命、不革命」。
  革命者は反革命者に殺される・・反革命者は革命者に
 殺される・・不革命は革命者とされて反革命者に殺され
 るか、反革命者とされて革命者に殺されるか、あるいは
 また何でもないものとされて革命者か反革命者に殺され
 る・・
・いま、中国には外交的難題が山積みしている・・
  強引すぎた中華圏拡大に軋(きし)みが出ている・・
  BRI(一帯一路)、各地での蹉跌(さてつ、事が見
 込みと食い違って、うまく進まない失敗の状態になるこ
 と)・・
  西側諸国が、インド太平洋戦略へ舵取りを始めた・・
  「一帯一路」は、末路へ?
・中国の内政問題の矛盾が・・??
  習近平の全体主義の弱点は国際非難・・
  ウイグルの民族浄化の弾圧を強化している・・
  ムスリムへの弾圧を強化している・・
  人権を無視する政策を進めている・・、
  顔認識、声紋のデジタル統制を強化している・・
  香港に独立の動き・・そして、台湾、チベット、内モ
 ンゴルの連帯の動き・・
・無理をして来た中国の経済・・その爆発が近い・・
  中国の持つ債務は3800兆円・・これは時限爆弾だ・・
  金融難民(P2P)は抑えたが??
  (参考)P2P:Peer to Peer、ピア・ツー・ピアの
     こと・・複数の端末間で通信を行う際のアーキ
     テクチャのひとつ・・対等の者同士が通信をす
     ることを特徴とする通信方式、通信モデル、あ
     るいは通信技術。
  軍、警察OBの抗議行動が燃えている・・
  不動産暴落で・・反乱がおきる・・
・習近平王朝は黄昏(たそがれ、薄暗くなった夕方。夕ぐ
 れ。比喩的に、盛りを過ぎ、勢いが衰えるころの意にも
 使う)
  知識人、学生の不気味な沈黙・・
  宣伝部の静かな抵抗・・
  スケープゴート(集団内の不平や憎悪を他にそらすた
 め、罪や責任をかぶせられ迫害される人)を捜すという
 中国社会になって来ている・・
  その日は突然やって来るのだ・・
・中国は、今はドラゴンだが・・そこから猫に陥落・・
  IMF(国際通貨基金)のSDR(特別引き出し権)
 となった・・米中の確執・・アメリカは、中国へ為替政
 策の自由化を推し進めよと厳しい姿勢で言っている・・
 中国は、これに対抗してAIIB(アジアインフラ投資
 銀行)を作った・・アメリカと日本は参加していないが、
 ヨーロッパ諸国はこぞって参加した・・しかし、その「
 高利貸し的なあくどさ」がある所が問題となっていて、
 その実態が明らかになって来ている・・
  人民元の信用度・・SDRを得て中国の通貨が「国際
 通貨」となったかというと、「そうは問屋が卸さない」・・
  結論を先に言うと「人民元は形だけの国際通貨」・・
 それは、AIIBの活動をするときに「中国の信用度が
 低い」から・・それは、中国が一党独裁の政治体制が信
 用されてないという根を持っている・・
  AIIBや、BRICSは何処に行くのか?
  国連でも孤立し始めた中国・・、
  独英仏でも、中国批判が出始めた・・
  軍事力は張子の虎ではないのか・・と言われている・・
・しかし、中国の「サイバー・奇襲」に警戒している・・
  ダン・コーツNSA(国家安全情報局)長官は、「赤
 信号の危険信号が灯った」と発言した・・
  デジタルの一撃で世界が麻痺し・・米軍の初動が致命
 的に遅れると?・・??・・
  隙に乗じて台湾や、尖閣が攻撃されるという危惧(き
 ぐ、悪い結果になりはしないかと心配し恐れること)
・マレーシアのマハティール氏が、中国へ行って「今まで
 のことはない事にしてくれ」と言った。
・パキスタンが、IMFに救済を申し入れようとしたら、
 中国が「待て」と言った。
  IMFに言われたら、中国はまずい事ばかりだから・・
 急に20億ドルをパキスタンに融資した。
  この様な・・おかしい事が起きている・・
・オバマ大統領の失敗は、「ここまで中国と北朝鮮を増長
 させたこと」・・オバマ氏に大きな責任がある。
  その是正をしているのがトランプ大統領・・
  国防権限法・・80兆円・・国防費を大幅に増強した・・
  台湾旅行法を成立させた・・これに反対がなく、全米
 の超党派で成立した・・
  アメリカと台湾の閣僚などが・・重要な政治レベルで
 の交流ができる様にした・・
  アメリカ議会も、「中国に反対し、親台湾」で一致し
 ている・・
  しかし、この逆の日米のメディアは、NHKは、この
 様な重要な動きを「完全に伝えない態度」を取っている・・
  アメリカは、ロシアと中国を仮想敵としてはっきりと
 明文化している・・
  アメリカは、中国のIT分野を潰しにかかっている・・
 既に大きなダメージを中国に与えている・・
・米中の貿易摩擦は・・結果的に、中国に、アメリカの食
 糧が入らなくなる・・
  そしてまた、結果的に、中国の国内騒動は食糧不足か
 ら起きて来るが・・中国はこのリスクが増す道を歩いて
 いる・・
  一帯一路は、やってみたがうまく行かないという状況・・
  マハティール氏のマレーシアが、下りたことは、かな
 りの中国のダメージとなっている・・
  マハティール氏の世界に公言した言い方は、マレーシ
 アの進み方を「はっきりと明示した」・・マレーシアは
 ASEAN第二の経済大国である・・
  今、台湾はかなり緊迫した状況にある・・軍事的に、
 中国に締め付けられて来ている・・
  台湾は、南シナ海について、かなりしっかりしたデー
 ターを元に行動しようとしている(アメリカの支援)・・
  ただ、中国の台湾へのかかわり方は、かなり緊迫性の
 ある行動となっている・・
  中国の台湾への軍事的圧力が極まっている・・
  国民党の動き方も、中国の指示か?大変いやらしくな
 っている・・
  擬制(ぎせい、実質は違うのに、そうみせかける)の
 国民党の中国本土への救済要請が出されるかもしれない
 という恐れの存在・・?
  イランと中国の利害関係が一致してしまう状況と危機・・
  中国は、イランの石油を一番買っている・・
  潤沢な資金を得たイランは、軍備増強をしている?・・
  イエメンでは、イランとサウジアラビアの代理戦争が
 行われている・・
  中国が、イラン側に入って油を注ぐ状況となっている・・
  中東が本格的な戦乱になる恐れが生じている・・
  これを中国は経済復興のきっかけにしようとしている
 のではないか?・・
  中国を経済的に封鎖している効果も無くなる・・
  インド洋の真珠の首飾りと言われる中国の戦争拠点も
 強化される可能性がある・・
  (NHKは、こんなことを報道しない、国民をつんぼ
 桟敷に置いている)・・
  マレーシアの行動も無になる恐れ・・マラッカ海峡は
 しっかりしているが・・日本の自衛隊も貢献している・・
  シーレーン確保は大切・・日本が生きる大切なルート・・
 ここをしっかりして行くべき・・世界の安全を守る事に
 もなる・・しっかりと日本のアイデンティティを世界に
 示すべき・・
  (参考)アイデンティティ:identity、主体性、同一
     性、らしさ、独自性、自己認識・・など・・
      英語は、「雑な言語」なので色々な意味を持
     っている・・その一例の単語・・繊細な日本語
     の素晴らしいしさを感じさせる事例・・安易に
     日本語英語を使う御仁の程度の低さを示す事例・・
・マハティール氏は、当選するとすぐ日本に行くと発言し
 た・・
  マレーシア内に現存する中国人脈の善処(ぜんしょ、
 適切に処置すること)に取り掛かる動きも・・金脈と人
 脈の洗い直し・・
  6月10日、氏が来日した・・早い時期の打ち合わせを
 マレーシア側が望んだ・・TPPを「日本と東南アジア」
 でイニシアチブをとる形にしたいマハティール氏・・
・中国で、習近平の写真に墨をかける行動があった・・
  そして、人民日報から習近平の文字が消えた・・一行
 も習近平と書かれていない・・
  次々に、トランプ大統領は、中国輸入品に関税をかけ
 ると表明をしている・・
  中央電視台(国営放送)で、習近平が映されているい
 るのに、その習近平の映像に怪しい影が出るという事が
 起きた・・中国の視聴者も、この様な異常状態に不安に
 なるという状況・・
  (NHKは、これと同じことを安倍総理大臣に行った・・
 その様な放送局・・2014年のロシアのソチオリンピック
 に出席した安倍総理大臣の映像に、このことをやった・・
 中国讃美のNHKは、逆に、習近平ばかりを放送してい
 た・・どこの国の放送局なのだ・・??)
・習近平の『後釜の話』がネットでささやかれる・・
  習近平が、国家主席の無期限を決めたが、その決定が
 「有期限に代わることになる」と、これをメディアが強
 いて取り上げている・・
  神格化したはずの国家主席のスローガンが撤去された・・
  ナチスマークを書かれたりしている・・
  墨をかけた女性は精神病院へ入れられた・・その女性
 の父親は捕まった・・そして、行方不明となっている・・
・胡錦濤の倍の数がある報道数の習近平は、国民が嫌って
 いる・・
  チベット独立の次はウイグル独立・・そして、上海独
 立だの話が出ている・・アメリカに上海独立の活動拠点
 が作られた・・
  「大きな船のチャイナの船がもうすぐ沈む」という話
 が出ている・・そして、上海の旗を掲げた小さな船は、
 沈まずに行くという話も話題に・・「上海共和国の応援
 を乞う」という話になっている・・
・世界の「中国への見方」が変わっている・・
  世界へ拡大したいの中国の目論見は、「もうその様に
 はさせません」「中国を醜(みにく)く拡大させません」
 という認識の世界に、今は、なっている・・
・WTO(世界貿易機関)を舞台とする戦争が・・
  デュアルユース(軍民両用)につながる知的財産(ハ
 イスペックな技術等)が中国に盗まれて・・それを勝手
 に軍事用に使用される・・その様な中国の行動を、是が
 非でも阻止する!・・
  3月、米通商代表部(USTR)は、中国が米国の知的
 財産権を侵害しているのは明らかだとしてWTOに提訴
 した・・
  6月には、欧州連合(EU)が、中国の法制(技術輸出
 入管理条例(TIER)・中外合資経営企業法実施条例)
 などが、欧州企業の知的財産権を害しているとしてWT
 Oの紛争解決手続きを開始した・・
  「科学技術イノベーション・ノウハウは、知識基盤経
 済の根幹である。
  これにより、欧州企業がグローバル市場において競争
 力を維持すると共に、欧州における数十万もの雇用を支
 えている。
  いかなる国も、欧州企業が苦労して得たこの知識を、
 国境で強制的に引き渡させてはならない。
  これは、WTOに於いて、皆が合意した国際ルールで
 ある。
  主要国(中国)がルールを守らないと、国際システム
 全体が崩壊するかもしれない」と発言したマルムストロ
 ーム欧州委員(貿易担当)・・
  WTOを舞台に、もう戦争は始まっている・・
  中国が、「自壊して行く可能性」が高まっている・・
・一帯一路の実態・・
  Bribe-trap,Honey-trap,Debt-trap・・中国共産党の
 工作を・・欧州が警告した・・それは、政治家や軍人、
 大物経済人を、まず、「賄賂トラップ」と「ハニートラ
 ップ」にかけ・・その後、「債務トラップ」にかけて、
 国を借金まみれに陥(おとしい)れ、政治をコントロー
 ルし、港湾など戦略的軍事拠点を奪取する・・
  マハティール氏は、これをすんでの所でストップをか
 けた・・
  これで、中国とずぶずぶになってしまっているのがス
 リランカ・・そして、東南アジア・中南米・アフリカが
 狙われている・・
  オーストラリアは、ジュリア・ギラード首相(在任期
 間:2010年6月24日~2013年6月27日)の時は、ホワイト・
 チャイナの感がした・・それが、2016年5月から大きく変
 わった(マルコム・ターンブル首相)・・
  豪州の静かなる侵略:オーストラリアへの中国の影響
 (チャールズ・スタート大学のクライブ・ハミルトン教
 授著)が話題になる・・「中国は、民主主義を利用して
 民主主義を破壊する」と指摘した・・
  その1事例・・
  豪州に移住して来た中国系の富豪が、与野党の政治家
 や大学に多額の資金を提供している実態を紹介・・
  こうした政治家の発言や大学の研究が、南シナ海関連
 や自由貿易協定(FTA)などで、中国に望ましい方向
 に政策を誘導しようとした・・この様な実態を明らかに
 した。
  中国系企業家は、自ら進んで、または、中国に残した
 親族が「報復に逢う事を恐れ(人質)」、「共産党の代
 表として行動する」と指摘する。
  中国の国有企業やその関連企業が、豪州の電力や港湾
 などインフラ企業を買収する・・その中国の行動は、「
 最大の豪州の安全保障上の脅威だ」と危機感を明示する。
  中国の豪州政治への干渉策は・・「(既存の)法律に
 違反しない点が新しい」とする・・しかし、その行為は、
 明らかに「政府の経営や民主主義の価値を損ねており、
 違法化すべきだ」・・と主張している(2018年2月に出版)・・
.
  【討論】どこへ行く中国習近平政権[桜H30/8/25]
  https://www.youtube.com/watch?v=yIeIlTY1t9E

・パネリスト:
  河添恵子(ノンフクション作家)
  野口裕之(産経新聞政治部専門委員)
  坂東忠信(元警視庁通訳捜査官・外国人犯罪防犯講師)
  ペマ・ギャルポ(拓殖大学国際日本文化研究所教授・
   チベット文化研究所名誉所長)
  宮崎正弘(作家・評論家)
  鳴霞(月刊『中国』編集長)
  山田吉彦(東海大学教授)
・司会:水島総
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  http://d.hatena.ne.jp/HACHI2009/archive
コメント

(増補版)609E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1894年8月~1894年9月)

2018-08-31 04:46:00 | 日記
題:(増補版)609E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1894年8月~1894年9月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
1894年8月、従軍看護婦の派遣。
  日本では、すでに、1877年の西南戦争の時、日本赤十
 字社の前身である博愛社が、看護人(男性)を熊本や長崎
 に送っているが・・
  日清戦争が起きると、日本赤十字社は、自社で養成し
 た看護婦を臨戦地の宇品、広島へ派遣した。
  戦争に女性も参加するということで世人の注目を引い
 た。
  因みに、日露戦争の時の活動領域は、朝鮮や満州にま
 で広がり、死亡者も出た。
  そして、日清戦争時には108名、日露戦争時4417名、
 第二次世界大戦時3万1450名の日赤看護婦が戦地に赴い
 て傷病兵の看護にあたった。
  1979年から日赤従軍看護婦に、また、1981年から旧陸
 海軍看護婦に、慰労金が給付されることになった。
.
1894年8月、陸軍省の依頼によって、神奈川・程ヶ谷(現:
 保土ヶ谷)直通線(神奈川から分岐し程ヶ谷に連接)を起工
 した。
  1894年12月下旬に竣工した・・延長3.5km。
  1896年度に、陸軍省から譲り受け、1898年度から一般
 運輸として営業した。
.
1894年8月、筑豊興業鉄道が、筑豊鉄道と改称された。
  筑豊で産出される石炭の輸送を目的に、1891年に、筑
 豊興業鉄道として設立された。
  1888年7月30日、筑豊興業鉄道に対し鉄道線路測量仮免
   状下付
   (穂波郡飯塚村~遠賀郡若松港間、鞍手郡直方町~
    田川郡赤池村間)
  1889年7月12日、鉄道布設免許状下付
   (遠賀郡若松港~鞍手郡直方町~穂波郡飯塚町、直
    方町~神田村間)
  1889年8月21日、鉄道線路測量仮免状下付
   (田川郡神田村~添田村間)
  1890年11月19日、鉄道布設免許状下付
   (田川郡神田村から同郡伊田村)
  1891年8月30日、若松から直方間開業
.
1894年9月1日、第4回臨時衆議院議員選挙が行なわれた。
  投票率:84.84% (前回比-3.92%)
  党派別獲得議席
  自由党:107
  硬六派:立憲改進党:49
      立憲革新党:39
      国民協会:32
      帝国財政革新会:5
      中国進歩党:4
  無所属:64
.
1894年9月1日、大本営が、第1軍を編成した。
  司令官:山県有朋大将
  参謀長:小川又次少将
  砲兵部長:黒田久孝少将
  工兵部長:矢吹秀一工兵大佐
  監督部長:吉沢直行一等監督
  軍医部長:石阪惟寛軍医総監
  参謀副長:田村怡与造歩兵少佐
  参謀:福島安正歩兵中佐、上原勇作工兵少佐、青木宣
     純砲兵大尉、蠣崎富三郎歩兵大尉、立花小一郎
     歩兵大尉
  高級副官:渡辺章歩兵少佐
  明治維新後は、各藩の軍隊ではなく、国家の軍隊に再
 編された。
  1873年から徴兵制が施行され、士族の軍隊ではなく近
 代的な国民の軍隊に切り替わった。
  西南戦争もこの徴兵軍で戦って勝利を収めた。
  日清戦争開戦時、徴兵制度が始まって20年が経過して
 いた。
  武器の整備や兵の訓練、将校や下士官の養成などにつ
 いても、それなりの経験を積んで来ていた。
  この1年半前の1893年4月9日、川上次長は、東京を発
 って、朝鮮~天津・北京地区~上海・長江流域地区を回
 り、1894年7月7日に帰京し、地形視察と中国軍事状況を
 偵察していた。
  この旅行で、川上は、中国の「畏るるに足らざること
 を確信」としている。
  また、ドイツへの留学など、日本は自らを磨いて来て
 いた。
.
1894年9月8日、大本営が宮中を出て広島へ「大纛(たいと
 う)進展」することになる。
  大纛:1、軍中で用いる大きな旗。また、天子の乗り
      物の左に立てる旗。
     2、天皇陛下のいる陣営。大本営。
  日清戦争の最高統帥機関である大本営が、広島県広島
 市の広島城(現中区基町)内に設置された。
  広島城の大本営が、第5師団司令部へ進出。
  大本営は、1893年5月19日、勅令第52号戦時大本営条例
 によって法制化され、制度となった。
  日清戦争において初めて設置された。
  この時、大本営は、1894年6月5日、東京の参謀本部内
 に設置されたが・・、
  1894同年8月1日、皇居内に移っていた。
.
1894年9月12日、御木本幸吉が、半円真珠養殖法の特許を申
 請した。
  御木本幸吉は、1893年、5個の半円真珠養殖に成功して
 いる。
.
1894年9月15日、広島に移された大本営に、明治天皇陛下が
 入られた。
  ・大本営を広島に移さる(氷川清話)
  ・天皇行幸(氷川清話)
  1894年9月15日、明治天皇陛下が、呉行幸のため広島の
 宇品港へ御出発された。
  「広島御発輦呉港幸行之図」小国政・画がある。
  (参考)御発輦:ごはつれん、天皇陛下の御車が出発
     すること。
.
1894年9月15日、平壌の戦い
  日本軍が、平壌総攻撃をし、清国の拠点である平壌が
 陥落した。
  日清戦争における最初の本格的な陸戦。
  混成第9旅団長の大島義昌少将は、朝鮮到着直後から、
 清国の大軍が平壌に集中しているとの情報を受けていた。
  騎兵斥候を平壌に出し、駐留させていた。
  7月下旬になって、清国軍は、義州を経由し、平壌に迫
 って来た。
  斥候隊は、中和さらに黄州に退く。
  1894年8月10日、黄州から中和に偵察に出た時、強力な
 敵と遭遇し、指揮官の町口中尉、竹内少尉などの幹部が
 戦死する。
  第9旅団は、成歓の戦いでの清国軍の敗兵が春川周辺に
 いるとつかむ。
  日本からの第5師団残部が元山と釜山に上陸、そして、
 ソウルに向かう。
  このため、その警戒を兼ね、朔寧方面に朔寧分遣支隊
 を派遣する。
  大本営は、清軍を朝鮮半島外に撤退させる目的で、8月
 14日、第3師団の派遣を決定。
  さらに、9月1日、両師団で第1軍を編成し、陸軍大将・
 山縣有朋が軍司令官に任命された。
  第5師団長・野津道貫は、すでに8月19日、ソウルに到
 着していた。
  韓廷首班の大院君は、清国兵が次々と南下の報を聞く
 と動揺した。
  第5師団長・野津は、情勢判断の結果、朝鮮政府を動揺
 させないため、早期の平壌攻略が必要と判断する。
  そして、第5師団の北進を開始する。
  また、混成第9旅団にも、義州街道の前進を命じた。
.
  (今日の言葉)
.
  題:アイヌの方々を応援する者たちが、「アイヌの人たちは
   日本の先住民だ」と、力で政府に認めさせたが、「上記に
   記載した日本に渡来した「日本人の先住民」は、アイヌで
   はない。
    そして・・中国は、「超インフレ操作」をする・・
    そして・・為替操作もする・・
.
紀元前1000年~紀元300年、日本人を作った人々
  日本人:農耕民:約3000年前~1700年前
  朝鮮半島を通じて稲作を主とする渡来民が流入した。
  そして、水田稲作が導入された。
  この集団は、主に、北九州、畿内、関東を結ぶ日本の
 中心軸に広がり、その他の場所では比較的影響がを及ぼ
 さなかった。
  特に、北海道や南西諸島、東北への影響は引き続きほ
 とんどなかった。
  アイヌの方々を応援する者たちが、「アイヌの人たち
 は日本の先住民だ」と、力で政府に認めさせたが、「上
 記に記載した日本に渡来した「日本人の先住民」は、ア
 イヌではない。
.
300年、日本人を作った人々
  日本人:約1700年前~現在
  政治の中心が畿内に移って、朝鮮半島に加え、現在の
 上海周辺からも若干の渡来民が流入するようになった。
  古墳時代に入ると、東北地方に居住していた第一段階
 (旧石器・縄文人)の子孫の大半が、北海道へ移り・・、
  替わって、第二段階(漁労民もしくは園耕民)の子孫
 を中心とする人々が住み着いた。
  南西諸島では、グスク時代に南九州から第二段階の子
 孫を中心する集団が移住・混血した。
  江戸時代には、第三段階の集団との混血も進んだ。
  北海道では、古墳時代から平安時代にかけてオホーツ
 ク文化人と縄文人の子孫との交流があり・・、
  江戸時代以降は、本土日本人との混血も進んだ。
  アイヌの方々を応援する者たちが、「アイヌの人たち
 は日本の先住民だ」と、力で政府に認めさせたが、「上
 記に記載した様に、アイヌの人々は「日本人の先住民」
 ではない・・
  数次にわたる日本人の先住民の渡来の中から交雑して
 アイヌの人々となった・・熊襲(くまそ)もそれ、津軽人
 もそれ、琉球人もそれ、本州人もそれ、会津人もそれ・・
 などなど・・
  この様な歴史的真実、科学的真実の中で、アイヌの人々
 だけを特別扱いにすることは間違っている・・
  白老町で100億円の税金を使ってアイヌ記念館を造るこ
 とを中止せよ!
.
1866年11月12日、孫文が生まれた(~1925年3月12日)
  初代中華民国臨時大総統、中国国民党総理・・
  中国では、1935年から1948年まで発行されていた法幣
 (不換紙幣)で肖像に採用されていた。
  現在は、100新台湾ドル紙幣に描かれている。
  中国国民党では、現在も、孫文は「党総理」であると
 党則第15章で定めている。
  1895年、日清戦争の終結後に、広州での武装蜂起(広州
   蜂起)を企てたが、密告で頓挫し、日本に亡命した。
  1897年、宮崎滔天の紹介によって政治団体玄洋社の頭
   山満と出会い、頭山を通じて平岡浩太郎から東京で
   の活動費と生活費の援助を受けた。
    また、住居である早稲田鶴巻町の2千平方メートル
   の屋敷は犬養毅が斡旋した。
  1899年、義和団の乱が発生し、翌年・1900年、孫文は
   恵州で、再度、挙兵するが失敗に終わった。
  1902年、中国に妻がいたにもかかわらず、日本人の大
   月薫と駆け落ちに近い形で結婚した。
    また、浅田春という女性を愛人にし、つねに同伴
   させていた。
    長い間、満州民族・清国の植民地にされていた漢
   民族の孫文は、「独立したい」「辮髪もやめたい」
   と言ってきた。
  1911年12月25日、この年、辛亥革命が起き、この日に
   孫文が、アメリカから上海に帰着すると、革命派は
   そろって孫文の帰着を熱狂した。
  1912年1月1日、孫文を臨時大総統とする中華民国が南
   京に成立した。
  1913年7月、袁世凱打倒の第二革命がはじまった。
  1915年、袁世凱は共和制を廃止し、帝政を復活させ、
   自らが中華帝国大皇帝に即位する。
    直ちに反袁・反帝政の第三革命が展開される。
  1917年、孫文は、広州で広東軍政府を樹立する・・
     しかし、その後、広州を追われる・・日本へ再
    び亡命した・・この頃、宋美齢と結婚(日本人の
    梅屋庄吉が資金面で援助していた)
  1923年1月26日、孫文とソビエト連邦代表アドリフ・ヨ
   ッフェの共同声明である「孫文・ヨッフェ共同宣言」
   が上海で発表された。
    中国統一運動に対するソビエト連邦の支援を誓約
   し、ソ連との連帯を鮮明にした。
    この宣言は、ソ連コミンテルンと中国・国民党の
   連携の宣言であった。
  1923年2月21日、孫文は、広東で大元帥に就任(第三次
   広東政府)した。
  1924年11月28日、孫文が、日本の神戸で「大アジア主
   義」の講演を行う。
  日本の幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)外相は、
 「孫文の言う事が、コロコロ変わるから相手にはできな
 い」と言明している。
  この頃から、中国は、ソ連の強力な支援を受けている。
  孫文は、隙あらばどの国からも支援を引き出そうとし
 た。
  そして、中国は、引き続きソ連から支援を受けた。
  ソ連コミンテルンから国民党も軍事援助を受けた。
  これが、蒋介石の国民党の主要な財源となった。
  ソ連コミンテルンは、大量の共産スパイを国民党の中
 へ送り込んだ。
  ガチガチに中国・国民党とソ連コミンテルンの関係は
 一体となって行った。
  国民党が、台湾へ逃れた後も、この関係は続いた。
  ソ連は、対日工作も、盛んに色々行なっており、工作
 員も潜り込ませていた。
  その様な工作員の報告の中に、「東京の軍学校の教員
 を一人リクルートした」との報告もある。
  これは、「軍の内部に、共産主義シンパをつくり出す
 工作に成功した」という意味。
  GRUの対日諜報史にも、「GRUの工作員を神戸か
 ら忍び込ませた」の記述がある。
  (参考)GRU:ロシア連邦軍における情報機関の「
     ロシア連邦軍参謀本部情報総局」のこと。
      参謀本部の一部署であるが、参謀系統を通し
     た情報の収集のほか、スパイ活動、SIGINT、
     偵察衛星や特殊部隊スペツナズの運用も管轄し
     ており、ソ連KGB(現在のSVRなど)と並
     ぶ強力な情報機関。
      第二次世界大戦中のスパイ、リヒャルト・ゾ
     ルゲはGRUの管理下にあった。
  (参考)SIGINT:通信、電磁波、信号等の、主
     として傍受を利用した諜報活動のこと。
  (参考)特殊部隊スペツナズ:ソ連軍、現ロシア連邦
     軍参謀本部情報総局(ГРУ、GRU)に所属
     する特殊部隊。
      戦時の敵後方での偵察、破壊工作や要人の暗
     殺を任務としているが、平時にも私服で破壊対
     象の偵察活動(スパイ活動)を展開している。
.
1894年11月21日、旅順要塞の陥落
  旅順口の戦い(りょじゅんこう、日清戦争)
  中国・清国の遼東半島の先端に位置する旅順は、対岸
 の威海衛(いかいえい)とならんで清国・北洋海軍(李
 鴻章が率いる)の基地となっていた。
  日本をさんざん威圧し、脅(おど)して来た巨艦を持
 つ清国・北洋艦隊の基地だった。
  また、中国・清国の海上輸送の要(かなめ)の地だっ
 た。
  この為、日本はこの重要拠点の地を攻めた。
  この旅順の攻略にあたったのが、大山巌(おおやまい
 わお、西郷隆盛のいとこ)が率いる第二軍だった。
  1894年11月18日、土城子という旅順近郊での戦闘では、
 秋山好古(あきやまよしふる)少佐の騎兵第一大隊が清
 軍と遭遇し、死者11名・負傷者37名を出すなど苦戦を強
 いられた。
  しかし、3日後の1894年11月21日の攻撃では、旅順の大
 部分を占拠し、旅順要塞は陥落した。
  日本は、明治維新から富国強兵で国力の強化に努めて
 来たが、欧米諸国は、まだまだ、日本がアジア第一の強
 国・清国にこの様な目ざましい戦いをするとは思っても
 いなかった。
  どの国も日本が敗北するだろうと見ていた。
  欧米列強諸国は、清国の最強の「東洋のジブラルタル」
 といわれた旅順を見事な迅速さで攻略した日本に目を見
 張った。
  特に、攻略戦の迅速さは見事だった。
  第二軍には、教科書にもよく出る著名人が参加してい
 た・・軍医として派遣された森鴎外(作家)、記者とし
 て国木田独歩(作家)、西洋画家の浅井忠など・・、
  日本の勝因は、動員・兵站・指揮のシステムなどが近
 代軍として清軍に対して優れていて・・
  近代化された日本軍は、基本的に、終始、優勢に戦局
 を進めた・・そして、遼東半島を制覇した。
  この戦いを振り返ると・・、
  1894年10月24日、大山巌大将が率いる第二軍が金州に
   上陸。
  1894年11月6日、金州城を制覇。
  1894年11月21日、日本軍1万5千は、清国軍1万3千に対
   して攻勢をかけた。
    清国軍の士気は極めて低い状況・・堅固な旅順要
   塞が僅か1日で陥落する。
    日本側損害:戦死40名、戦傷241名、行方不明7名、
    清国損害:戦死4500名、捕虜600名・・で敗退・・
    旅順の攻略戦は、大変な困難を極めるだろうとい
   う欧米諸国の予想を裏切る迅速さだった。
    また、日本は、非常に厳しい軍律でこの戦いに臨
   んだ・・
    大山巌は、「我軍は仁義を以て動き、文明に由(
   よ)って戦ふものなり」という訓令を発している。
  この戦いの後、いつもの様に中国の清国軍は卑劣な行
 動をとった・・中国はいつもこの卑劣な行為をする・・
  軍服を脱いで中国市民の中に隠れた・・
  これでは一般の中国市民に災禍が及んでしまう。
  この隠れた卑劣な中国兵の掃討を日本軍は行った。
  そして、南京事件と同じ様な嘘宣伝を始める・・
  中国に居る日本軍が行なっていない行為を、「した」
 とプロパガンダ(嘘宣伝)を始めた・・
  日本軍が一般市民を虐殺したという嘘を言いふらした・・
  この結論を先に言うと・・世界各国は、『これは中国
 のデッチアゲの嘘発言』と了解し、解った。
  日本軍は、市街の掃討をするときには・・、
  市民の中から日本軍を狙う清国兵、「市民の中に隠れ
 た清国兵」「軍服を脱ぎ捨てた中国兵」を掃討する時に
 は・・、
  例えば、日本の第二軍司令部は・・各人・各家の安全
 を保証する措置を講じ、安心するようにと言った・・
  紙あるいは布に、「此者殺すべからず、何々隊」とか、
 「此家男子六人あるも殺すべからず」といった文を中国
 の人たちに渡した。
  そして、人々に、民衆に、落ち着きを取り戻せるよう
 に配慮した。
  ほとんどの中国兵はすでに逃げていた・・
  1894年11月26日早朝に、九連城に入ると、すでに清国
 軍は逃げて、居ない状態となっていた・・無血入城とな
 った。
  嘘をでっち上げて日本を貶(おとし)める中国は・・、
  旅順陥落後の民間人や、戦闘を放棄した者の死傷者数
 について「18000名」と言っている(この後、2万名弱と
 言う)
  戦争は、巻き添えになる一般市民の方々も居るものだ
 が・・
  市街戦が行われば・・その様な方々の数について、外
 国などの報道機関は以下の数を公表している・・
  『タイムズ』(1894.11.28):200名
  『ニューヨーク・ワールド』(1894.12.20):2000名
  フランス人サブアージュ大尉『日清戦史』(1901年):
 1500名
  日本占領後の清国人の旅順行政長官から大山巌第二軍
 司令官への報告:1600名
  しかし、中国と裏でつながっているのか? 1894年12
 月12日になって・・『ニューヨーク・ワールド』の新聞
 (クリールマン記者の記事)は、旅順虐殺の捏造(ねつ
 ぞう)記事を、センセーショナルな書き方で報じた。
  初めは、きょとんとしていた他の新聞各社だったが、
 その後、各社はこれに追随した。
  この頃の新聞各社は、「販売部数を拡大しよう」とセ
 ンセーショナル記事を書いて競い合う状況にあった。
  その嘘つきの口火をきった『タイムズ』の報道に対し
 て、正直な『セントラル・ニュース』は、12月29日付け
 の新聞で、『正当な戦闘以外での殺傷はなかった』と報
 道した。
  また、ゲルヴィルによる証言:旅順陥落を目撃したニ
 ューヨークヘラルド特派員のアメデ・バイロ・ド・ゲル
 ヴィルは・・、
  1895年1月3日のレズリーウィークリーで、クリールマ
 ンの報道するような虐殺は発生していないと証言した。
  また、さらに、ゲルヴィルは、1904年の著書『Au Japon』
 で「虐殺は捏造されたものであった」と論じた。
  そして、また、ダネタン報告:ベルギー公使のアルベ
 ール・ダネタンの本国への報告調査では・・、
  事件は「ニューヨーク・ワールド紙の記者によって多
 分(たぶん、量や程度が過大なこと)に誇張されたもの」
 と報告した。
  また、フランス武官ラブリ子爵は、「殺された者は軍
 服を脱いだ中国兵(便衣兵)であり、婦女子は殺されて
 いないし、旅順港占領の数日前にほとんどの住民は避難
 しており、町には兵士と工廠の職工たちだけであった」
 と述べた。
  日本政府は、世界へ説明書を書いてきっちり反駁した。
  伊藤博文は、政府として正式な説明をした・・
  議会は、以下の通りと決定した。
  1.清兵は軍服を脱ぎ捨て逃亡。
  2.旅順において殺害された者は、大部分上記の軍服を
   脱いだ兵士であった。
  3.住民は交戦前に逃亡していた。
  4.逃亡しなかった者は、清から交戦するよう命令され
   ていた。
  5.日本軍兵士は捕虜となった後、残虐な仕打ちを受け、
   それを見知った者が激高した。
  6.日本側は軍紀を守っていた。
  7.クリールマン以外の外国人記者達は、彼の報道内容
   に驚いている。
  8.旅順が陥落した際、捕らえた清兵の捕虜355名は丁重
   に扱われ、二三日のうちに東京へ連れてこられるこ
   とになっている。
  この伊藤らが作成した説明書は、第七項を省いたもの
 が12月17日と、12月18日の両日に、アメリカの各新聞に
 掲載された。
  また、陸奥が、直接、アメリカの新聞社に説明すると
 いうやり方が、アメリカ側から好感された。
  そして、欧米諸国で、「虐殺は無い」として認められ
 た。
  欧米でのジャーナリズム史研究では、旅順の「虐殺」
 を報道したクリールマンや、掲載された新聞ニューヨー
 クワールド紙が・・
  ライバル紙と競い合って・・、
  イエロー・ジャーナリズムと呼ばれた扇情主義報道を
 行っていたことが常識であり、定説となっている。
  ニューヨークワールド紙は、ニューヨーク・ジャーナ
 ル(ニューヨーク・モーニング・ジャーナル)紙との扇
 情主義報道で競争し・・、
  この他、世界でも、病的な好奇心だけを沸かす扇情的
 な記事で競い合っていた。
  虐殺は無いの証言も多く・・クリールマンの報道を耳
 にしたベルギー公使が現地にいたフランスの武官に尋ね
 たところ、「女子供の死傷者はいない」。
  「住民はほとんど避難しており、軍服を脱いだ兵士ら
 がいた」と否定した。
  ベルギー公使のその後の「虐殺」の否定で、日本への
 誹謗に反論していることから、扇動報道だったと結論付
 けられた。
  中国は、南京事件もそうだが、よく嘘をつく国・・
  この様な事をして『相手を惑わせる者が、能力のある
 者」と評価される中国の状況で、また、判断基準で・・、
  中国社会では、この様な事が「日常茶飯」として、歴
 史上で行われて来た。
  今・現代も、中国は世界中で、「多くの工作員」と「
 多額な資金」を使って盛んにこの類の工作を行っている。
  扇情主義報道(イエロー・ジャーナリズム)の災禍を受
 けた日本だった。
  この火付け役のクールマンは、この時だけでなく、1888
 年の米西戦争の時も、この様な報道をして、世界を惑わ
 せ、世論を誘導している。
  この時も、クールマンの「虐殺報道は嘘だ」と疑義が
 出されている・・美味しい書き方は止められないという
 ところ・・
  それにしても、中国は、韓国と一緒になって、「南京
 事件だ」「慰安婦問題だ」と、今だに世界を惑わせ、ま
 た、自国民を惑わせている。
.
1898年、日英同盟へつながる具申
  駐英公使の加藤高明は、イギリス国内に「東洋におけ
 る英国勢力の消長(しょうちょう、物事が衰えて消える
 か伸びて盛んになるか、というなりゆき)は、日本の向
 背(こうはい、従うこととそむくこと)によりて決する」
 といった議論があると報告した。
  また、「日英両国の共同利益を保護する為め和協(わ
 きょう、一同が仲良くまたは相談して、力を合わせるこ
 と)を遂ぐ(とぐ、とげる、目的を達する)べしとは殆
 ど当国一般の希望」である」と報告した 。
  2ヶ月後、また、加藤は、「英露両国とも、日本との提
 携を希望しているが、ロシアの目的は日本の利益と反す
 る・・が・・
  イギリスの政策は、日本の目的と合致しており・・
  また、今、イギリス人は、東洋でのロシアの「跋扈(
 ばっこ、思うままにのさばること)に対して激昂(げっ
 こう、激しく怒って興奮すること)しているので・・
  仮に、日本が、ロシアの南下を同国の利益を害すると
 考えるのであれば、イギリスと進んで提携すべきである
 との意見書を外相の西徳二郎に送った 。
.
1900年6月、欧州の列強諸国が盛んに中国の清国を食い物に
 していた。
  さすがに、清国もそれに対して反発した。
  この年、中国山東省で起きた排外運動「義和団の乱」
 が勃発した。
  欧州列強が、中国の利権を奪う行為に中国全土がうん
 ざりしていたので、この義和団の乱の排外運動は、また
 たく間に北京へと拡大して行った。
  このため、日本へも要請され、日本も参加して、8ヶ国
 の軍が編成され、その対処に当った。
  自国民の保護という名目を掲げていた。
  実際、自国民の保護の必要もあったが、欧州列強諸国
 の利権の保護に日本が利用されたという所であった。
  日本はめざましい働きをして、欧州列強諸国から感謝
 をされるぐらいだった。
  また、日本の規律正しい行動に感激したイギリス高官
 が、そのことを本国に伝え、後の日英同盟の切っ掛けと
 なったくらいだった。
  乱を鎮め、各国は兵を引き上げさせた・・
  しかし、ロシアは、これとは逆に、兵を満州に送り込
 んで来た・・領土欲と利権あさりのロシアだった・・
  この様なロシアに強い危機感を持ったのが日本とアメ
 リカだった。
  アメリカは、欧州列強諸国のやることと同じことをし
 て、ハワイなどの太平洋諸島、フィリピンと奪っていた、
  そして、そのフィリピンを拠点として中国を狙った・・
 満州の利権も欲しかった。
  何といっても北にあるロシアには、「南下政策」が付
 き物だった。
  ロシアは、アジアだけでなく、オスマン帝国の興亡と
 「ロシアの南下政策」は一対の行動として中近東でも火
 を噴いていた。
  極東の南下政策もロシアの狙い目で、近隣諸国を仕切
 りに脅(おびや)かした。
  ことが起こる出発点には、いつも、この南下するロシ
 アのエネルギーがあった・・その行動があった。
  そして、その様なロシアに、中国は敗けて、満州の租
 借権を与えてしまった。
  満州での鉄道を含む各種の権益も、ロシアは、中国か
 ら与えられた。
  1904年に起きた日露戦争・・アメリカは、日本に資金
 援助をした。
  また、終結の講和締結にもアメリカは仲介し、介入し
 た・・アメリカは中国の利権が欲しかった。
  日露戦争で負けたロシアは、賠償金を払いたくなかっ
 た。
  その代わりとして、中国から与えられた満州の権益を
 日本へ手渡した。
  日本は、満州を得たいという訳ではなかった。
  この様な経緯(いきさつ)から日本は、満州と関わり
 始めた。
  勿論、国際法上、日本に十分な正当性はあった。
  日本の気がかり事項は、朝鮮が、ロシアの勢力下に入
 ると、日本の脅威が増すため(ロシア勢力下の朝鮮と接
 するというリスク)ので、この状態になることは避けた
 いとしていた。
  また、日本・ロシア・清国で条約も交(か)わし、こ
 の状態での承認は国際社会も認めていた。
  日露の講和の締結後、アメリカは、この日本がロシア
 から得た満州の権益を欲しがった。
  このアメリカの日本へのアプローチを「日本は断った」
  このことから・・日本とアメリカは背中を向け合う関
 係となった・・そして、日米戦争へとつながる一つの要
 因となった。
.
1900年8月、義和団事件が鎮圧された。
  ロシアは、北清事変(義和団事件のこと)に乗じて満
 州の牛荘(にゅーちゃん、遼寧省の重要な開港)を占領
 した・・そして、最終的に約20万の兵力を侵入させ、侵
 略行為を行なった。
  清国の暴動は、1900年8月、国際的な話し合いの下に結
 成された8ヶ国の連合軍によって鎮圧された・・日本は、
 各国に請われて参加し、中心的に活躍した。
  ロシアは、暴動鎮圧後も占領を続けた。
  ロシアの脅威は、この様な状況だった。
  満州や朝鮮などのロシアの軍事占領という増大するロ
 シアの脅威への対応策として・・、
  「同じ様にロシアを脅威と感じているイギリスと同盟
 し、ロシアの強硬行為を止めさせる」か、
  「ロシアとの協定を求める」か・・との・・「日英同
 盟」と「日露協和(協商)」の2つの選択肢の検討がなさ
 れた。
  元老の伊藤博文と井上馨は、「日露協商に積極的でだ
 った」。
  駐露公使を務めた栗野慎一郎によると・・、
  伊藤は、ロシアは強国で、万一、戦いとなった場合、
 当時の日本の軍備では、到底、ロシアに勝つという勝算
 はない・・、
  ロシアの極東における利益や希望を、ある程度までや
 りたいようにやらせ、容認し、その代わり日本の朝鮮に
 おける行動を認めさせようと考えていた。
  伊藤は思った・・イギリスという国は、自分勝手な都
 合ばかりを行なっている国だと・・謀る(たばかる、計
 略を巡らして、だます)ようなことばかりをする国だと・・、
  その様なイギリスとの連合は「効果が薄弱である」と、
  イギリスは、ロシアやフランスから敵視されているし、
  満州地方を豊かな有望な農業や商工業の栄える地にし
 て行くにはロシアと協調する・・
  また、目前の問題を解決するためにも、日露協商を結
 ぶのが先務である・・と・・
  日英同盟では頼りない・・実現の可能性はない・・と
 考えていた。
  一方、井上は、1901年11月、日英同盟交渉の進捗を見
 ながら、ロシアに滞在する伊藤へ・・
  「英国は、慣習にあらざる攻守同盟を急速に断行せん
 とする、真意解きがたし、我を利用して英国の難を避け
 んとする策にあらざるや」、
  イギリスは、焦(あせ)っている様だった・・井上に
 は、日本が利用されるように見えた。
  さらには、「若し日英同盟成立せば、露独仏対清攻守
 同盟を決行する必然ならむ」との電報を送った。
  2人の元老は、イギリスに対する不信感が強かった。
  同盟の実現性とその効果に対する疑念も強かった。
  伊藤には、三国干渉当時のイギリスのやり方が強く印
 象付けられていて・・イギリスに対する失望感が深く記
 憶されていた。
.
1901年12月、日英同盟に決した元老会議
  日露協商派と日英同盟派の対立は、1901年12月の葉山
 での秘密の元老会議(桂首相、小村外相、山本海相も参
 加)で、「日英同盟の締結が参加者全員の賛成を得た」
 ことにより決着した。
  小村外相は、この会議で提示した「日英同盟に関する
 意見書」の中で、日露協約と日英同盟を対比して示し、
 説明した。
  小村外相は、日露協約は「ロシアの侵略主義」から長
 い和局の維持の保証とはならない・・と・・
  (第二次世界大戦でも中立条約を破って日本を侵略し、
 日本の領土を奪った国・・ロシアとはこの様な国)、
  一方、日英同盟は、ロシアの野心を制し、比較的長期
 間にわたって平和を維持できる・・と分析した。
  また、イギリスは、東洋での領土は(十分持っている
 ので・・管理を越えている状況)増えることを好まず、
 現状を維持しつつ、通商上の利益を図ることを求めてい
 ると・・分析した。
  ロシアの侵略性が、南下政策が、東アジアの最大の火
 種であると分析した。
  この様なロシアが、朝鮮まで駆逐し、日本と、直接、
 接する様な状況になることが、日本の安全保障上の最大
 の脅威と捉えていた・・そして・・
  1902年1月30日、日英同盟がロンドンで調印された。
.
1924年11月28日、孫文は、この年に、北京で発生した政変
 (馮玉祥・ふうぎょくしょうクーデター)に応じて、広
 東から北京に赴く途中で神戸に立ち寄り、「大アジア主
 義」演説を行った・・
  「日本人よ! 西洋覇道の鷹犬となるか、あるいは東
 洋王道の干城となるか」。
  (参考)鷹犬:たかいぬ、鷹狩りに用いる犬。
  (参考)干城:かんじょう、国を守る武士・軍人。
  孫文は、神戸で頭山満(とうやまみつる)と会談した
 翌日に行った講演。
  神戸商業会議所など5団体を対象として、現在兵庫県庁
 となっている場所にあった旧制神戸高等女学校講堂にお
 いて行われた。
  (参考)頭山満:玄洋社の代表の立場で、玄洋社は、
     自由民権運動の結社であった向陽社を改名して
     結成された。
      中江兆民や吉野作造などの民権運動家や、遠
     縁のアナキストの伊藤野枝や大杉栄とも交流が
     あった。
      また、鳥尾小弥太・犬養毅・広田弘毅など政
     界にも広い人脈を持ち、実業家(鉱山経営者)
     や篤志家としての側面も持つ。
      早い時期から日本の海外進出を訴え、同時に、
     朝鮮の金玉均、中国の孫文や蒋介石、インドの
     ラス・ビハリ・ボース、ベトナムのファン・ボ
     イ・チャウなど、日本に亡命したアジア各地の
     民族主義者・独立運動家への援助を積極的に行
     った。
.
1933年11月17日、アメリカ、ソ連を承認。
  アメリカが、この年、ソ連を承認した・・が・・この
 頃のソ連は、「革命と内乱と策謀を輸出する」と公言ま
 でするような国だった。
  そして、昔から今も、中国の『お家芸』は、「政治工
 作」と「宣伝工作」であるが・・共産国家の策謀は、い
 つの時代も行われている。
  そして、「ニューヨーク・タイムズ」というアメリカ
 の新聞も、嘘記事で世界を惑(まど)わせた。
  日本の朝日新聞も、嘘記事をよく書いているが・・、
  朝日新聞は、慰安婦問題をデッチ上げて、すっかり、
 日本は、その間違った記事の様な国と思われて、日本は
 すっかり貶(おとし)められているが・・、
  因みに、また、この様な嘘記事ばかりを書く朝日新聞
 が、中国の文化大革命時代にも、中国讃美の嘘記事を書
 いている。
  文化大革命で、1000万人以上もの中国の方々が殺され
 ているにもかかわらず・・朝日新聞は、中国の文化大革
 命を「バラ色に書き」・・成功していると嘘記事を書き
 続けた。
  標記のアメリカのニューヨーク・タイムズも、1920年
 代終わりから1930年代に、特に、嘘記事を書いてばかり
 いた。
  この頃のアメリカの政界も、共産圏の「政治工作」に
 翻弄(ほんろう)されていた。
  1933年に、アメリカ大統領となったフランクリン・ル
 ーズベルトの周りには、側近から官僚など、大量に工作
 員に溢(あふ)れていた。
  1933年には、アメリカは、ソ連を承認した。
  ソ連は、この頃、コミンテルンを擁し、世界中に「革
 命と内乱と策謀を輸出する」と公言までする様な国だっ
 た。
  アメリカや世界が、はまっていくその一つの要因が、
 前記したニューヨーク・タイムズで・・、
  特に、この新聞社の記者(ウォルター・デュランティ)
 が曲者(くせもの)だった。
  この記者は、ソ連へ、1920年代終わりから1930年代、
 特派員として派遣された。
  1932年に、ピューリッアー賞を受賞するが、この記者
 は「眉唾(まゆつば)記事」ばかり書いた。
  記者デュランティは、「ハニー・トラップ」に引っ掛
 かっていた。
  その為、デュランティは、まったく「ソ連の対外スポ
 ークスマン」のような記事を書いた。
  これに、世界が踊らされた。
  ウクライナの人々が、ソ連の仕組んだ行為で、何百万
 人もの餓死者を出ているというのに・・それをまったく
 報じず・・
  逆に、「ウクライナ農民は、豊かな穀物収穫を享受し
 ている」と報じた。
  そしてまた、デュランティは、「ウクライナを飢餓だ」
 と報道しているのは「デマ報道だ」と嘘を報じた。
.
1941年11月20日、この日から11月25日にかけて、日本とア
 メリカは、開戦になるかもしれないという切羽詰まった
 状況で、最後の交渉が重ねられた・・
  この様な時・・、
  交渉は、色々な案の中からB案で、両国の合意が成っ
 て、交渉がまとまりそうになった・・
  この時・・ここで、工作員が暗躍する・・
  アメリカ大統領であるルーズベルト政権の中枢には、
 コミンテルンのエージェントが要所要所に入り込み、「
 日米開戦をうながす謀略」を行なっていた。
  日米交渉がまとまろうとしていたが、この工作員によ
 ってぶち壊され、破たんさせられ、戦争に突入した。
  また、最後通牒となったハル・ノートが出され、日本
 は、戦争の道へ追い込まれて行ったが、ここにも、工作
 員の影が満ちていた。
  この様な工作員の裏世界で暗躍した一人が、中国のコ
 ミンテルン情報員の陳翰笙(ちんかんしょう)だった。
  陳は、回想録「四つの時代と私」で言っているが・・
  アメリカの共産党シンパ(共鳴者)や、アメリカ政権
 内部に潜(もぐ)り込んで工作し、また、ハル・ノート
 の裏で潜り込んだコミンテルン工作員たちを繰る要(か
 なめ)にいる中心人物だった。
  この中国の工作員の陳は、これ以外でも、色々な所で
 日本を貶(おとし)め、そして、策にはめていた。
  そしてまた、アメリカ東海岸で反日を煽(あお)る活
 動もし、日本を吊るし上げる集会を、数々、開いたりし
 た。
  アメリカ世論へ、大きな影響を与えた。
  中国は、今・現代も、多くの人間を使って、また、超
 多額の資金を使って、日本やアメリカや、世界のあちこ
 ちで工作活動を行なっている。
  因みに、陳は、1897年に生まれ、1928年にシカゴ大学
 を卒業し、1924年にベルリン大学で博士号を取り、26歳
 で北京大学の教授になった。
  この時、コミンテルンに入る。
  中国の別派に弾圧され、1928年にモスクワに逃げる。
  ここで、ゾルゲに会う。
  1929年、ゾルゲを助けて、一緒に上海に来る。
  さらに、陳は、東京でもコミンテルンのつながりを作
 り、また、中国共産党のコネクションも作る。
  そして、モスクワの指令を受け、アメリカへ行き、情
 報誌でのプロパガンダ活動をし、日本をはめて行く。
  功が奏し、アメリカ世論は繰られる。
  そして、クライマックスは、日本の努力によって日米
 交渉での「開戦に至らない道」が見えた時・・
  工作員からの情報を得て、その裏で、それをぶち壊す
 事に暗躍する。
  それは、1941年11月20日から11月25日にかけて、日本
 とアメリカの開戦になるかもしれないという切羽詰まっ
 た最後の交渉を重ねている時、色々な案の中でB案でま
 とまりそうになった。
  その時、ルーズベルトの一番の側近、工作員だったラ
 フリン・カリーは、ホワイトハウスから電報を打った。
  重慶で蒋介石の顧問をしていたラティモアへ電報を打
 った・・
  その内容は・・
  「もうB案で日米交渉はまとまってしまうかもしれな
 い」。
  「これを阻止するために、蒋介石から『日米妥協に断
 固反対する』という電報を打つべきだ」・・と指示した。
  そして、蒋介石は、アメリカを脅した。
  「日米が妥協すれば、もう米中関係はおしまいだ」。
  「中国国民は、アメリカから離れる」。
  「そうなれば、日本との戦いは総崩れになる」。
  「逆に、アメリカが、日本との戦争に踏み切れば、絶
 対、日本に勝てる」・・と・・
  蒋介石は、第二次世界大戦が開戦されると、「これで
 救われた」と漏らした。
  (蒋介石の日記「大事長編」に記されている)
  そして、最終的に、日米の合意をぶち壊したのは、「
 ハル・ノート」を起草したハリー・デクスター・ホワイ
 トだった。
  このホワイトも、カリーも、GRU(ロシア連邦軍参
 謀本部情報総局)のメンバーだった。
  (ソ連の情報関係文書にはっきり記されている)
  アメリカ内部のソ連の手先(コミンテルン工作員)に
 よって、「日米開戦が押し止め(おしとどめ)られ得た
 合意・・そして、解決」が、合意直前でぶち壊された。
  そして、ソ連は、日ソ中立条約を破棄し、第二次世界
 大戦が集結している後まで、日本の領土を奪った。
  日本領の南樺太、日本領の千島列島、日本領の北方四
 島を・・不法に奪った。
  今・現在も、ソ連は、「不法占拠を続けている」。
.
1950年代、マッカーシズム
  1950年代に、アメリカ合衆国で発生した反共産主義に
 基づく社会運動、政治的運動。
  アメリカ合衆国上院(共和党)議員のジョセフ・マッ
 カーシーによる告発をきっかけとして、「共産主義者で
 ある」との批判を受けたアメリカ合衆国連邦政府職員、
 マスメディアやアメリカ映画の関係者などが攻撃された。
  アメリカの第32代大統領のフランクリン・ルーズベル
 トの側近から官僚、そして、その他の広い範囲に共産圏
 の工作員がうようよといた・・工作員だらけだった。
  その為、日本との戦争にまで至ってしまった。
  その反動もあって、1950年代に、アメリカはマッカー
 シズムが起きた。
  今・現在の日本も、中国の工作員がうようよと居て、
 スパイ天国となっている。
  このアメリカのマッカーシー旋風は、アメリカの情報
 機関が、ソ連スパイ・工作員の暗号を解読していること
 を惑(まど)わし、隠すためにも行った。
  ソ連のスパイの情報をリークして議会で追及している
 という形にした。
  ホワイトや、カリーや、アルジャー・ヒスは、アメリ
 カでの最も高位についたソ連のスパイだった。
  これは、「ヴェノナ文書」にも記されている。
,
1970年代、社会党委員長を務めた勝間田清一は、KGB(
 ソ連の情報機関で秘密警察のソ連国家保安委員会)から
 金を貰っていた。
  この事をばらしたのが、イギリスで発行された「ミト
 ローヒン文書・第二部」だった・・この記事に書かれた。
  ミトローヒンは、KGBの元文書課長で、1980年代に
 膨大な秘密文書(トラック一台分の文書と言われるくら
 いの膨大な文書)を持ち出して、イギリスへ亡命した。
  これが、今、少しづつ公開されている。
  この勝間田が、衆議院副議長になり、また、勲一等旭
 日大綬章を貰っている。
  日本が、スパイ天国と言われる由縁(ゆえん)。
  勝間田のスパイ行動は、KGB工作員のレフチェンコ
 の証言とも一致する。
  今、「しめしめ、巧(うま)く行った」と思っている
 奴等も、これから機密文書が公開されて来るから、これ
 から将来、安穏としていられない・・確実に、人物評価
 は駄目になって行く。
  これから、あちこちの機密文書が公開されて来て、昭
 和史は、徐々に、大きく塗り替えられて行く。
.
1989年、オウム真理教が、東京都で宗教法人の認証を受け
 た。
  麻原彰晃 (本名・松本智津夫、1955年~2018年) が
 1984年に始めた宗教。
  坂本堤弁護士一家殺害事件 (1989年11月) 、松本サリ
 ン事件(1994年6月) 、目黒公証役場事務長拉致・殺害事
 件 (1995年2月) 、東京地下鉄サリン事件 (1995年3月)
 など、数々の凶悪事件を引起した。
  村山富市首相の時(在任期間:1972年12月11日~1980
 年5月19日、1983年12月19日~2000年6月2日)・・
  この村山首相は、破防法(破壊活動防止法、昭和27年
 法律240号)のオウム真理教への適用に反対した。
  その理由は、「嫌疑のある団体に強制捜査をすること」
 だった。
  その結果、甘い捜査となり、オウム真理教の犯罪を防
 げなかった。
  また、日弁連(日本弁護士連合会)は、強硬に、破防
 法適用に一番反対した。
.
1991年12月25日、ソ連崩壊
  この日のソ連大統領のゴルバチョフの辞任に伴って、
 ソ連は崩壊したが・・、
  このソ連崩壊後、クレムリン秘密文書公開により・・、
 「社会党がソ連から援助を得ていた」ことが明らかにさ
 れた。
  (当時の社会党執行部はソ連の資金援助を否定した)
  また、戦前から、ソ連コミンテルン工作員が、たくさ
 ん日本に潜り込んでいた。
  戦後も、共産主義国家から、この様な事がなされ、こ
 の様な工作員に協力する日本人が、ソ連のスパイとして
 暗躍した。
  今・現在、中国からの潜入が多い。
.
2018年、中国の「集団指導体制」なんて言ったって「言葉
 の遊び」。
  一握りの者たちが行なう制度となっている。
  集団という言葉を使う事が「おこがましい体制」・・
 「おかしな状態の体制」・・「擬似集団」の指導体制。
  「擬似集団指導体制国家」「見せかけ集団の指導体制
 国」「擬似集団・見せかけ集団の独裁指導体制」。
  民意を反映させる自由な選挙が無い。
  「見せかけ集団の独裁政権」が一般市民を牛耳る。
  あってはならない、今の中国の政治の姿。
  一般市民の声が政治には反映しない「遅れた政治体制
 の国=中国」。
  一握りの者たちが、一般市民を搾取する政治の国=中
 国」。
.
2018年、中国は、共産主義
  しかし、資本主義経済社会に入ってきた。
  共産主義は、ソ連の滅亡で、「共産主義の人類最大の
 実験は終わった」と言われた・・
  そして、自由主義経済・資本主義経済の勝利の様に言
 われたが・・?
  そして、それを勝利として喜んだが・・果たして、「
 そうなのか?」。
  共産主義の国が、すべて無くなった訳ではない。
  中国という極大な共産主義国家が存在し続けている。
  ソ連とともに、すべての共産主義国家が無くなった訳
 ではなかった。
  中国は思うだろう・・「自由主義経済社会こそ矛盾だ
 らけ」「その資本主義経済こそ破綻すべきだ」・・と・・
  今・現在、どこの自由主義経済、資本主義経済国家も、
 札を刷る輪転機を回して、「泡のような価値を作ってい
 る」。
  今・現在、その泡の価値が世界に充満している。
  どこの国も、こんなことを「知らんぷりしてやってい
 る」。
  中国も、こんな簡単な事ならと、自由主義経済・資本
 主義社会に入って来て、何処の国もやっているように、
 輪転機を回しに回している。
  今・現在、中国の借金は、「3800兆円」だという。
  「人民元を刷れば、それで済むから」「輪転機を回し
 に回している」。
  世界中に、人民元を吐き出し続けている。
  中国は、景気が悪くなると、泡の金をどんどん刷って、
 「マンションをどんどん作った」。
  今はゴーストタウンとなっている。
  経済成長は、その恩恵で「成長は続けた」が・・?
  簡単な行為の「金を刷って架空の経済を伸ばし」、武
 器もどんどん作った。
  軍拡は・・好きなだけ拡大した。
  中国の債務は・・「只今、3800兆円」。
  中国は・・出口は意識していない。
  これは、「リーマン・ショック」の無責任行為どころ
 ではない。
  桁(けた)違いもけた違い。
  日本でも、「大きい会社は、潰せない」と言われたが、
 借金の大き過ぎる会社は、逆に、潰せなくなるという経
 済社会なのだ。
  中国は、これを知っている。
  中国の最高級幹部は、中国政権がいつか潰れると、自
 分の自由になる金(超大金)を、アメリカやスイスに移
 している。
  中国の金が泡になっても、移した金はドルなどに代わ
 っているから泡にならない・・だから、その様にした。
  その時には、その国で生きようとしている。
  家族をアメリカに住まわせている中国の大幹部も居る。
  娘のアメリカ留学は、当たり前・・誰でもやっている。
  日本の「借金の出口」を言う前に・・中国のこの事を
 言うべきだ。
  中国がやることは、「超インフレ操作」。
  共産主義社会の中国は、何でもできる・・「中国を超
 インフレ」にして、過去の借金を「無価値の様にする」。
  過去の借金から逃れられる。
  中国は、いざとなったらこれをやる予定・・、
  為替も・・いじくりまわる・・
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  http://d.hatena.ne.jp/HACHI2009/archive
コメント

(増補版)608E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1894年8月~1894年8月)

2018-08-20 04:48:51 | 日記
題:(増補版)608E2/3:2/3:2/3:気になった事柄を集めた年表(1894年8月~1894年8月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
1894年8月26日、日朝盟約
  大日本大朝鮮兩國盟約(だいにほんだいちょうせんり
 ょうごくめいやく)
  日本政府と朝鮮政府が両国同盟(攻守同盟)に調印し
 た。
  内容:
  第1条:この盟約は清兵を朝鮮国より撤退させ、朝鮮
     国の独立自主を強固にして、日朝両国の利益を
     増進することを目的とする。
  第2条:日本国は清国に対し攻守の戦争を遂行する、
     朝鮮国は日本軍の進退及びその食糧準備に、出
     来得る限りの便宜を提供すること。
  第3条:この盟約は清国との平和条約が締結されるま
     で続くものとする。
  史料:
  大日本大朝鮮兩國政府ハ日本曆明治二十七年七月二十
 五日
  朝鮮曆開國五百三年六月二十三日ニ於テ朝鮮國政府ヨ
 リ清兵撤退一節ヲ以テ朝鮮國京城駐在日本特命全權公使
 ニ委託シテ代辦セシメタル以來兩國政府ハ清國ニ對シ既
 ニ攻守相助クルノ位置ニ立テリ就テハ其事實ヲ明著ニシ
 倂ニ兩國事ヲ共ニスルノ目的ヲ達センガ爲メ下ニ記名セ
 ル兩國大臣ハ各々全權委任ヲ奉シ訂約シタル條款左ニ開
 列ス
  第一條 此盟約ハ清兵ヲ朝鮮國ノ境外ニ撤退セシメ朝鮮
     國ノ獨立自主ヲ鞏固ニシ日朝兩國ノ利益ヲ增進
     スルヲ以テ目的トス
  第二條 日本國ハ清國ニ對シ攻守ノ戰爭ニ任シ朝鮮國ハ
     日兵ノ進退及ヒ其糧食準備ノ爲メ及ブ丈ケ便宜
     ヲ與フヘシ
  第三條 此盟約ハ清國ニ對シ平和條約ノ成ルヲ待テ廢罷
     ス可シ
  此レカ爲メ兩國全權大臣記名調印シ以テ憑信ヲ昭ニス
  大日本國明治二十七年八月二十六日
          特命全權公使 大鳥圭介(印)
  大朝鮮國開國五百三年七月二十六日
          外務大臣 金允植(印)
.
1894年8月29日、芳川顕正(よしかわあきまさ)が、文相
 を第2次伊藤内閣で兼任した。
  因みに、芳川顕正は、1893年に、第2次伊藤内閣で司法
 大臣に就任し、続く第2次松方内閣でも留任した。
  また、この間の1894年に、文部大臣を臨時兼任したの
 だった。
  そして、1896年には、内務大臣も兼任した。
  そして、芳川顕正は・・、
  1885年6月9日に、ハワイ王国:王冠勲章ナイトグラン
 ドオフィシルを授賞し・・また・・
  1885年9月29日に、デンマーク王国:ダコブログ勲章コ
 マンドール・プルミエールクラスを、すでに、受賞して
 いる。
  芳川顕正は・・1842年1月21日~1920年1月10日、80歳、
  明治・大正時代の官僚、政治家、伯爵、徳島生まれ。
  浅野玄碩より医学を学び、高橋文昨の養嗣子となる
  1862年(20歳)、長崎で医学修業の傍ら、何礼之、瓜
 生寅 に英学をまなび、伊藤博文と知り合う。
  1867年(25歳)、鹿児島に赴き、海軍所の賓客として
 航海、数学、兵学書の翻訳に当たる。
  1868年(26歳)、芳川と改姓。徳島の洋学教授となる。
  1870年(28歳)、伊藤の推薦で大蔵省にはいる。
  1871年(29歳)、伊藤博文と渡米し、貨幣・金融制度
 調査に従事。
  帰国後・・紙幣頭、工部大丞、工部大書記官、電信局
 長などを歴任した。
  1879年(37歳)から翌年にかけてイギリス出張で万国
 電信会議に出席。外務少輔、工部少輔を経て、
  1882年(40歳)から3年間、東京府知事を務め、地区改
 正や築港に尽力した。
  その後・・内務大輔、内務次官として山県有朋内務卿・
 内相を補佐。
  1890年(48歳)、第1次山県内閣の文部大臣となり、教
 育勅語の制定に関与した。
  以後・・司法、内務、逓信の各大臣を歴任した。
  この間、宮中顧問官兼内蔵頭、兼帝室会計審査局長、
 中央衛生会長などとなる。
  1900年(58歳)~1904年(62歳)、貴族院伯爵議員。
  1910年(68歳)以降、一時の中断を除いて枢密顧問官。
  1911年(69歳)、この年まで、国学院大学学長、皇典
 講究所総裁を務める。
  1912年(70歳)~1917年(75歳)、枢密院副議長。
 長崎時代、英国帰りで会話はできても読み書きが不自由
 な伊藤博文に英文法を教えたのが、官途(かんと、官吏
 になること)に就くきっかけとなった。
  著作:『越山遺稿』
.
1894年8月29日、文部省が、体育の奨励に関して訓令を発し
 た。
  「体育及び学校衛生に関する訓令」で、身体の発育期
 にある児童に活発な運動を推奨し、国民の健康な身体の
 育成を図った。
  小学校の運動会などが盛んになった。
.
1894年8月31日、川上音二郎一座が浅草座で「壮絶快絶日清
 戦争」の上演を開始した。
  戦争劇ブームが起きる。
  1894年8月初め、30歳であった川上音二郎は、芝居の脚
 本を書き、認可を警視庁に申請した。
  この申請の認可は、1894年08月21日に下りた。
  戦争の実態を見ていない音二郎、実際の戦況とはかけ
 はなれた内容であったが、若い演者たちが体当たりで演
 じる活劇は評判となった。
  1894年10月7日まで芝居を打った音二郎は、1894年10月
 22日から戦地視察に出発した。
  朝鮮の仁川や平壤、そして、鴨緑川を渡って清国の九
 連城まで訪れた。
  そして、約一ヵ月後に帰国した。
  音二郎は、この時の見聞をとり込んで仕上げたのが「
 川上音二郎戦地見聞日記(川上音二郎従軍日記)」で・・、
  1894年12月3日~12月23日まで、市村座で上演された。
  また、翌年・1895年1月、横浜の港座でも公演した。
  描いた場面は、戦地視察をした俳優の本人が演じると
 いう事で、観客に、そのリアルさを予感させた。、
  九連城で、直接、傷を負った小島中尉から聞き、また、
 託された手紙を内地の家族に届ける場面(五幕目)であっ
 た。
  そして、実際は、この小島中尉は、手紙を音二郎に渡
 した数時間後に亡くなっている。
  音二郎は、小島中尉夫人に戦死をも告げなくてはなら
 なかった。
  この芝居は、川上一座の呼び物であった体を張った戦
 闘(乱闘)シーンとは対照的に、実際の愁嘆場(しゅうた
 んば、泣き悲しむ悲劇的な場面)を盛り込んだ・・その
 様な「川上音二郎戦地見聞日記」となった。
  戦場の実地を見とどけて来て、それをすぐに舞台にの
 せるという状況・・その迅速さに、実際が知りたいとい
 う観客は期待し、そして、喝采した。
  劇界には、歌舞伎と新派劇の二つのジャンルが成立し
 た。
  戦争劇ブームが起きた。
.
  今日の言葉
.
  題:アメリカの対中政策が「本気になって来た」。
    欧州は、中国で儲けたいと、中国寄りであったが、
    アメリカ政権の狙いが分かって来た・・
    同時に、中国の軍拡主義・覇権主義の危険性が分
   かって来た。
.
紀元前260万年~紀元前250万年、世界最古の石器
  ヒト属(ホモ属)によるものは、エチオピアはアファ
 ール盆地のゴナ (Gona) にある化石人類遺跡で発見され
 た『オルドワン型礫石器群』(新生代新第三紀鮮新世後
 期)
  ホモ・ハビリスによるものと推定される。
  『磨製石器の最古のものは日本の岩宿遺跡』・・
  日本の群馬県みどり市笠懸町にある岩宿遺跡(いわじ
 ゅくいせき)で出土したもの、人の手によって磨きがか
 けられた石器としては、これが「世界最古」の石器であ
 る。
     ・
     ・
紀元前7万5000年頃、世界最古の装身具の貝殻ビーズ
  南アフリカ共和国の都市ケープタウンの300km東に所在
 する『ブロンボス洞窟遺跡』にある約7万5000年前の地層
 から、大きさが完璧に揃っている上に、例外なく開口部
 の反対側の同一箇所に孔が開いている巻貝の貝殻が60個
 あまり発見された。
  孔は、ビーズ飾りを作るための、紐の通し孔であった
 と考えられている。
.
紀元前3万5000年頃、世界最古の楽器
  マンモスの牙や鳥の骨で作られた横笛
  ドイツ南西部のバーデン=ヴュルテンベルク州はシュ
 ヴェービッシェ・アルプにある『ホーレ・フェルス洞窟』
 の後期旧石器時代オーリニャック文化遺跡で発見された。
.
紀元前3万5000年頃、世界最古の絵画
  『ホーレ・フェルスの洞窟壁画』
  洞窟は、南ドイツのシュヴェービッシェ・アルプにあ
 り、壁画は、オーリニャック文化によるもの。
  後期旧石器時代に当たる約3万5000年前に描かれたと推
 定される。
.
紀元前3万2000年頃、世界最古の動物形象による像
  ライオンマン(ライオンレディー)
  ドイツ南西部のバーデン=ヴュルテンベルク州はシュ
 ヴァーベン・アルプのローネタール(はぐれ谷)にある
 ホーレンシュタイン・シュターデルの洞窟(ホーレンシ
 ュタイン山の『シュターデル洞窟』)から出土した、後
 期旧石器時代のオーリニャック文化に属すると考えられ
 る象牙製の彫像(女神像)で、世界最古の動物形象によ
 る像とされる。
  発見当初は、ホラアナライオンの雄をモデルとした男
 神像と見なされて「ライオンマン」と呼ばれたが、雌を
 モデルとした女神像説も論じられるようになったため、
 「ライオンレディー」とも呼ばれる。
.
紀元前2万3000年頃、世界最古の釣針
  日本の『沖縄県』で発見された貝殻製の釣針。
.
紀元前1万8000年頃、世界最古の土器
  中国『湖南省』で発掘された約1万8000年前の土器
  また、日本の『大平山元I遺跡』の縄文土器(約1万6500
 年前)や・・
  『シベリア』で発掘された土器(約1万4000年前)も世
 界最古と言われている。
.
紀元前1万2000年頃、世界最古の陶器
  日本の長崎県にある福井洞窟で発見された約1万2000年
 前のもの。
  2009年には、中国で湖南省で1万4000年前~2万1000年
 前の陶器が発見された。
.
紀元前1万2000年頃、世界最古の縄・紐
  フランスにある『ラスコー洞窟』の最奥部で発見され
 た約1万2000年前以前のもの・・現存する最古の縄。
  後期旧石器時代マドレーヌ期(約1万8000年~約1万2000
 年前)に属する遺物。
.
紀元前9000年頃、漆器
  日本の北海道函館市南茅部地区にある『垣ノ島遺跡』
 から出土した漆塗り装飾品。
  約9000年前~約6500年前(縄文時代早期前半)に属す
 る土坑墓から、2000年8月11日に発掘された推定年代約
 9000年前の副葬品。
  本体は朽ち果て、漆塗りを施された表面部だけが残っ
 た。
  ただし、2002年12月28日に発生した火事でほとんどを
 焼失した。
.
紀元前8800年頃、銅器
  銅製の小玉:『イラク』で発見された。
  なお、世界最古の銅製食器や銅製調理用具としては、
 紀元前4000年頃のパレスチナの『Nahal Mishmar遺跡』
 で発見されている。
.
紀元前3700年頃、青銅鈴
  中国の夏の時代、二里頭文化で作られた。
.
紀元前3500年頃、青銅器
  メソポタミアで銅に錫を混ぜて青銅を加工した。
.
紀元前3300年頃、世界最古の粘土板文書
  シュメールの都市『ウルク』の遺跡第4層から出土した。
.
紀元前3000年頃、貨幣
  宝貝:タカラガイの貝殻に貨幣価値を与えた物。
  殷代後期の中国。
.
紀元前2570年、世界最古の港湾施設:エジプトクフ王の港
  クフ王時代に使われた世界最古の港。
  スエズの南方約180キロにあり、現在は、船を係留する
 ためのロープを固定する石のみが現存している。
.
紀元前2100年頃~紀元前1950年頃、鉄器
  トルコの『カマン・カレホユック遺跡』から出土した
 小刀のような鉄器。
  紀元前2100年頃から紀元前1950年頃に属する遺構から
 発見され、これによってヒッタイト起源説が更新された。
.
紀元前14世紀、世界最古の墨文書
  文字が刻み込まれた卜占用亀甲獣骨に残る墨の跡:紀
 元前14世紀の殷代中国。
.
紀元前13世紀頃、現存する最古の橋:アルカディコ橋
  ティリンスとエピダウロスを結ぶべくミケーネ人が建
 造した石橋であり、持送りアーチ橋。
  地元住民によって現在も使用されている。
.
紀元前670年頃、鋳造貨幣
  エレクトロン貨:リディア王国第2代国王アリュアッテ
 スが、治世初期に当たる紀元前670年頃に造らせた。
.
紀元前1世紀以上、最も古い時代の種子から発芽・成長した
 顕花植物 大賀ハス
  1952年7月18日に開花した。
  日本の千葉市。
  種子は弥生時代の遺跡(泥炭層)から出土したもので、
 間接的年代測定がなされた。
  1952年の時点で2000年以上前(紀元前1世紀末以前。弥
 生後期V期前半以前に由来と推定された。
  その開花は「世界最古の花 生命の復活」」として雑誌
 『ライフ』にも取り上げられた。
.
578年、世界最古の企業:金剛組
  古代日本の摂津国難波で敏達天皇7年(578年)に創業。
  以来、長らく宮大工組織として活動を続け、近代以降
 は主に寺社を手がける総合建設会社となっている。
  2005年に、事業譲渡するまでは「創業者一族が経営を
 続ける現存企業」として世界最古でもあった。
  事業譲渡後も企業として「世界最古」には変わりない。
.
601年、世界最古の木造建築物:法隆寺金堂および五重塔
  日本の斑鳩宮近郊(現・奈良県斑鳩町域)に、推古天
 皇9年(601年)、聖徳太子によって建立された。
.
1232年、日本最古の港湾施設:和賀江島
  日本の最古の港湾設備であり、現存する世界最古の人
 工の港である。
.
1600年頃、財閥:住友財閥
  その歴史は400年以上前にさかのぼる。
.
19世紀半ば、イギリスのこの時代ほど不平等な時代は無か
 った。
  「女王は、二つの国民の上に君臨する」と言われるほ
 ど、イギリスのその不平等さは際立っていた。
  また、「(イギリスでは)上層民と下層民の分断は酷
 (ひど)い。
  (このイギリスの)二つの階層では、教育も、食べ物
 も、法律も異なる」と言われるほど最悪の低劣さだった。
  そして、イギリスは、この遅れた差別状態から長らく
 脱却できなかった。
  脱却できたのが、なんと、最近で、サッチャー氏がこ
 の悪習を変えた。
  この分断された状態を変えることをしたのはサッチャ
 ーだった・・20世紀に至ってやっと、この固執した意識
 の変革に手が付けられた。
  だから、サッチャーは、20世紀最長の政権を持った。
  「二つの階層を越える一つの国民」という意識が掲げ
 られ、悪弊にあった頑固な信条が変える社会的努力がな
 れて行った。
.
1904年2月8日、日露戦争がこの日に起きた・・が、中国も、
 この戦争に加わっていた。
  『日露中戦争』だった。
  共産圏の国家が、いかに完璧に「秘密を保つことが出
 来る」かには驚くばかりだった・・、
  この事からも分かる通り、共産圏外交が、特務工作に
 よって、民主主義国における世論操作を、いかに巧みに
 展開できるかである・・感嘆すべき凄さである・・、
  中国の政治と外交は、帰結する所は、宣伝謀略工作に
 ある・・と言える。
  2016年においても、盛んに、アメリカのシカゴの新聞
 社の権利を手に入れたりして活動している。
  分析を精細に行なえば、共産主義諸国が行なう、表(
 おもて)の発言や「報道」と、裏の真意・実態が大きく
 かけ離れているという事が判明するのは日常茶飯事であ
 る・・、
  場合によっては、180度違う事がよくある・・、
  昨日は土砂降りでも、臆面もなく、次の日は「カラッ
 と晴れる」という具合である・・、
  また、当然、その逆もある(韓国もこれ)
  一喜一憂したり、振り回されたりしないのが肝心・・、
  中国は、特に、古来から「政治とは謀略の営み」と見
 てきた面がある・・、
  「それに長けている」のが『優れているという見方』
 の国である。
  中国の歴史の大きな転換点に、この特務工作、情報活
 動、謀略が、常に、決定的役割を果たして来ていた。
  日本は、ある意味、誠実であった、あり過ぎた・・、
  これが、日本の特質であり、国際的に信頼を得る所で
 もあるが、しかし、見方を変えれば未熟だった。
  情報収拾や諜報と言われる領域まで、そして、工作と
 言われるところまで・・習熟して行くべき。
  (日本はスパイ天国とも言われている。スパイが、う
 ようよ、あちこちに居る)
  憲法も誠実に守り過ぎた、関係するところは変えて行
 くべきである・・、
  「平和は本当に、いいなあ」と、戦争を体験なされた
 方々が、嘆息なされておられるが・・、
  北朝鮮も、生き延びるため、また、生き残るため、「
 核とミサイル」を持った・・
  日本も、のほほんとしていては滅亡があるだけ・・生
 き延びる方策を真剣に問う必要がある今である・・
  日露戦争に参戦していた中国だった。
  ロシアと中国の秘密条約によって、中国は参戦してい
 た。
  教科書に書かれていない史実である・・
  しかし、この様な歴史の事実を条件に入れて、現実を
 処さなければならない・・
  (参考)日露戦争:この戦争は、1904年2月8日~1905
     年9月5日、日本とロシア帝国(秘密裏に中国も
     参戦)との間で、朝鮮半島とロシア主権下の満
     洲南部と、日本海を主戦場として戦った戦争・・
      南下するロシアに対峙するために、日本の陸
     軍部隊は韓国領内を北上し、5月に、鴨緑江を渡
     った。
      最初の戦闘で、ロシア軍を敗退させた・・
      また、南山の戦でも激戦の末に優位を占めた・・
      6月、満州軍総司令部が編成され、総司令官に
     大山巌、総参謀長に児玉源太郎を任命され、そ
     の下に、第1軍から第4軍が統轄されることにな
     った。
      8月末~9月初め、遼陽の戦は、日露両軍が、
     総力を結集した戦闘となった。
      双方ともに、2万名以上の損害を出すという激
     戦となり、ここでも、ロシア軍は後退した。
      しかし、日本軍の被った打撃も深刻なものが
     あった。
      両国は、アメリカ合衆国の仲介の下で終戦交
     渉に臨み、1905年9月5日に締結されたポーツマ
     ス条約により講和した。
  ロシアの南下政策の下で、日本の安全保障が脅かされ、
 日露の戦端が開かれたのだったが・・、
  ロシアの狙いは、満州の租借権と、関東州の租借権が
 欲しかった。
  また、鉄道施設権などの利権も欲しかった。
  そして、満州にロシア軍を常駐させ、利権を完全に掌
  握する占領状態にしたかった。
  そしてまた、その利権を朝鮮半島まで拡大したかった。
  強圧的な勢いで、まだ弱小とみられていた日本へ圧力
 をかけていた。
  アジア各国は、また、世界も、日本が勝つとは思って
 いなかった。
  アメリカは日本寄りにいた。
  この時、この戦いの観戦武官が世界から来ていた。
  その国々・・アメリカ、イギリス、ドイツ、オースト
 リア、イタリア、スペイン、スイス、スエーデン、ノル
 ウェー、ブラジル、チリ、アルゼンチン、オスマン帝国
 などの13カ国、70人以上の武官だった・・
  この後、アメリカの日本を見る目が変わった・・
.
1905年10月12日、アメリカは、日露戦争で得た日本の満州
 の権益が欲しかった・・日露戦争後に・・
  そのアメリカ政府の意向を受けたハリマンが、日本に
 やって来た・・
  そして、日本の桂太郎首相と会談した。
  日露の講和条約締結は、この1ヶ月半前の8月29日であ
 り・・調印は、1ヶ月前の9月5日である。
  アメリカは、満州の権益が欲しくて日露の調印が済む
 と、すぐにすっ飛んで来た。
  日露戦争では、日本の肩を持つ(かたをもつ、一方の
 味方をする)アメリカだったが・・この会談後、アメリ
 カの態度は一変する。
  この会談で、日本は、アメリカの満州鉄道の共同経営
 の要求を断わった。
  セオドア・ルーズベルト大統領も言っている・・、
  「私は、従来、日本びいきであったが、ポーツマス会
 議開催以来、日本びいきでなくなった・・」・・、
  ハリマンも・・
  「日本は十年後に後悔することになるだろう!」と激
 怒した。
  アメリカ国内では反日機運が高まって行った。
  アメリカに、戦いで得た権益を渡していれば・・
  日本は、アメリカとの「共同経営の満州」という形に
 していれば・・歴史は変わっただろう。
  ヨーロッパ諸国は、すでに、中国の権益を得ていると
 いうこの時・・中国へ出遅れたアメリカ・・他の欧州列
 強諸国が美味しい中国の汁を吸っている後から行くアメ
 リカの焦りがあった。
  岡崎久彦氏・渡部昇一氏は言う・・、
  「満州の経営を日米共同で進めていけば、日米の会戦
 はなかったのかもしれません・・が・・
  それでは、欧米のアジア植民地化に、日本が、加担す
 ることになるではありませんか」・・、
  アメリカは、日本を障害物として、また、脅威として
 扱う様になって行く。
.
1906年、「世界には三つの嘘がある。嘘と、大嘘と、統計
 である」
  この言葉を、この年に、アメリカのマーク・トーエン
 が「ノース・アメリカン・レビュー」で発表した・
  そして、世界に広まった。
  トーエンは、この語句を、19世紀のイギリス首相のベ
 ンジャミン・ディズレーリ(1804年~1881年)のものと
 紹介した。
  There are three kinds of lies: lies, damned lies,
 and statistics.
  しかし、この言葉は、ディズレーリの著作には見られ
 ない。
  日本にも、「統計で嘘を言う方法」という本があるが、
 さも本当の様に統計の数字を見せられて、嘘のことを信
 じさせられるという話が展開されている。
  (参考):本「データはウソをつく、科学的な社会調
     査の方法」(ちくまプリマー新書) 谷岡 一郎
.
2018年、題:アメリカの対中政策が「本気になって来た」。
    欧州は、中国で儲けたいと、中国寄りであったが、
    アメリカ政権の狙いが分かって来た・・
    同時に、中国の軍拡主義・覇権主義の危険性が分
   かって来た。
 ・今、アメリカでは、ニューヨークタイムスやCNNの、
  「嘘つきニュース」や「間違いニュース」が暴(あば)
  かれて来ている。
   また、日本でも、マスコミなどの論理的正統性の薄
  い「気取った論理の破綻(はたん)」が起き始めてい
  る。
 ・イランの核凍結期間が非常に短いにもかかわらず、目
  的を果たしていないのに、欧州は妥協して「イランを
  許してしまった」・・
   しかし、トランプ大統領は、たずなを緩(ゆる)め
  ず「けしからん、これではだめだ」と言って、正しい
  論理を展開している。
 ・イランは、中東のテロリストたちに「武器を送り、資
  金を送り、内戦を支持し」、欧米とまったく違う事を
  している。
   しかし、欧州は、「その様な不正を黙認」しようと
  している。
 ・トランプ大統領は、サウジアラビアを重視している。
  サウジアラビアは女性の免許を取らせた。
   そして、皇太子が石油だけでは食べていけないと次々
  に改革をしている。
   しかし、カナダは間違いを犯している。
   国家を強く統一しようと、ほかの部族に厳しい事を
  している・・この様な他部族へのサウジアラビアの行
  為を取り上げて、この理屈だけで、カナダは制裁処置
  をしようとしている・・
   この様なカナダの行為は間違いだ・・カナダのやる
  ことはきれいごとだ。
 ・北朝鮮とイランは、核で共同研究している。
   この様な台頭を許すのか?
 ・ロシアのパイプラインは、今までウクライナを通って
  いた。
   そのロシアが、ウクライナと違法な戦争を行ない、
  占領した・・だから、ウクライナはそのパイプライン
  を止めた。
   ロシアとドイツは仲が良いので、ロシアは、ドイツ
  にパイプラインを引いた・・そして、石油を得たドイ
  ツがEUの各国へ石油を配るという役をし始めた。
   ドイツが、石油の蛇口の役をしている(恩を売る行
  為をしている)・・結局、ロシアの言う事を聞く奴を
  探すという役をドイツはしている。
   トランプ大統領はそれを指摘する、ドイツに、「い
  つからロシアの捕虜になったのだ」と・・、
   これは、ドイツは言われて当然である。
   ロシアに利することばかりを、石油が欲しくてヨー
  ロッパはしている・・という「異常事態となっている」。
   シリアの件でも、イランの件でも・・そうである。
   アメリカの大統領選での「ロシア疑惑がある」が、
  トランプ大統領は、ロシアに対して公平である。
   ドイツのメルケルへ「捕虜だ」と言った・・これは、
  非常に正しい指摘だ。
 ・ドイツは、中国との関係でもおかしい。
 ・アメリカ副大統領のフェンス氏が、ついに、中国とさ
  れるウイグルの人権問題を取り上げた・・
   中国の政治制度を、ついに取り上げる様になった。
   今までは、中国とアメリカは、経済戦争と言われて
  来た、お金の問題と言われて来たが・・、
   アメリカは、中国の政治問題についても言及するよ
  うになって来た。
   トランプ政権の対中政策が「本気になって来た」。
   この様な事を考えると、ドイツの在り方が大変おか
  しく・・問題がある。
 ・アメリカの対中国赤字は、「30兆円以上ある」が・・
  しかし・・
   トランプ大統領が、本当に狙っているのは・・中国
  の覇権主義を止めようとしていることにあって・・経
  済問題の先にあることを狙っている・・
   世界の経済に激震が走ってでも、経済を干上がらせ
  てでも、今までのような展開を変えようとしている・・
   中国は、えげつなく得た金でもって、覇権を得よう
  とする・・その様な中国の行為・・、
   例えば、発展途上国に対して、インフラ開発をして、
  それを借金漬けにして、結局、その国を、中国の言い
  なりにするようにするやり方。
   あるいは、ハードやソフト的に武器を、どんどん買
  い占めて、4倍ゲームで兵力を高め、軍拡している中
  国・・、
   中国の覇権主義、軍拡主義・・これを支える中国の
  経済・・、
   だから、そこを叩いて、ストップさせようとしてい
  る。
   それの真意が分からず、そのトランプ政権のやり方
  を批判していた欧州諸国は・・そのやり方に、「よう
  やく気付き始めた」・・(まだ、半分しか理解できて
  いない欧州諸国)・・
   中国の毒、中国の弊害に、ようやく気付き始めた欧
  州諸国・・、
   中国の邪悪なやり方にようやく気付いて来た。
   日本のマスコミも、トランプ大統領のやり方に気付
  かず、今まで、「単なる不動産屋」だとかと蔑(さげ
  す)んでいた。
   トランプ大統領は、今までのアメリカ政権がやって
  来なかった様な「経済と安全保障を関連した政策を遂
  行している」。
 ・2018年8月、ライフェルト・メタル・スピニングという
  ドイツの会社が中国に買収されそうになった。
   これに対し、ストップ命令が出されるはずだった・・
   この会社は、宇宙船や原子力発電所・核兵器、そし
  て、戦闘機など、非常に先端の高い技術・ノウハウを
  持っている会社で・・、
   ドイツ政府は、安全保障面や、公的秩序を不安定に
  する恐れがあると、中国へ渡ってしまうとリスクが増
  し、危険度が高まる恐れがあると、ストップをかけよ
  うとした・・、
   買収しようとした中国(企業)は、この動きを察知
  して、ドイツメディアが報道したから、中国は買収を
  撤回した。
   また、送電大手のゴジュッツヘルツという会社につ
  いても、ドイツ政府は、この会社の株の20%を取得す
  ると言い出した。
   この会社の株は、ベルギーの会社が80%を取得して
  いて、後の20%は、豪州の会社が取得するはずだった。
   2016年のクウカ事件・・産業用ロボット大手のクウ
  カが、中国の家電大手に買収された。
   この様な状況が続けば、技術がすべて中国に流出し
  てしまう・・まずいのではないかと・・
   クウカは、軍事用ロボットもやっているし・・、
   このクウカのロボット技術は、アメリカの最新鋭ス
  テルス戦闘機のF35の製造にも使われている様な「高
  度な技術が詰まったロボット技術」、
   NATO(北大西洋条約機構)は、アメリカから国
  防費を上げろと言われて来た。
   そのことに対して、欧州は、「アメリカの横暴だ」
  と言って来た・・が・・、
   欧州は、言われて当然なのである・・
   NATOは、アメリカに「おんぶに、だっこ」だっ
  た。
   それに、この様にクウカの買収を許して、アメリカ
  軍の軍体制を危険に陥(おとしい)れている。
   これを契機に(遅きに失しているが)、これから、
  対中国に関し、規制対象を、「国防だけ」から「IT、
  通信、電力、水道など戦略的重要分野」に広げた。
 ・ドイツの筆頭銀行のドイツ銀行の筆頭株主は、中国企
  業である・・ドイツの金融分野もこの様な状況・・、
   これから重要な電気自動車の「肝心かなめのバッテ
  リー」の工場を、中国は、ドイツに進出させて、すで
  に、広大なドイツの土地を買い占めた。
   そこで、独占的に、電気自動車のこのバッテリーを
  使うように仕向けて行こうという戦略・・、
   産業および生活必需品の自動車分野で牛耳ろうとい
  う中国の作戦・・
   ドイツにない技術でドイツを制する方針・・、
   あらゆる手を講じてドイツを飲み込もうとする中国・・
   EUの盟主であるドイツを牛耳ろうとする方針・・、
   獅子身中の虫ではないが、肝心かなめの重要部分、
  中心に入り込んで、すべてを制覇しようとする中国の
  戦略・・、
   オープンな西側の市場で、中国は、どんどん技術を
  盗んでいる・・そして、重要技術を奪って行く、自由
  主義経済システムの制度を利用しているので合法的だ
  が(悪用と言える)・・それを利用して奪い取り、そ
  れを中国に持ち帰って、中国の閉鎖された市場の中で
  培養して行く・・、
   そして、その奪い取ったものをどんどん大きくさせ
  る・・
   大きくなると・・
   発展途上国にも売りつけて、西側から奪ったもので
  商売をし、利益を得て、また大きくなって行く、その
  様なやり方で閉鎖市場で大きくなった巨大中国国有企
  業が・・、
   ここまで大きくなって来ると、逆流が始まる・・開
  かれた欧米市場に出させて行く・・出て行く・・
   そして、欧米の開かれた自由市場で、巨大な中国の
  官製企業が、同業他社を食いつぶして行く・・、
   元々は西側の技術であったものを使って・・この様
  な展開をさせている・・展開が起きている・・中国に
  牛耳られて行く結果が起きている。
   共産主義の地の東ドイツ出身のメルケルの感覚は、
  西側で育まれた感覚とは違う・・西側の感覚は持ち合
  わせていない・・だから、中国の話に乗りやすいとい
  う傾向がある。
 ・一帯一路で・・中国は発展途上国へ行き、政府高官に
  賄賂を贈って・・
   マレーシアの前首相(ナジム)などの例であるが・・
  桁外れの何十億という賄賂を贈った。
   そして、国内インフラを勝ち取った・・(メキシコ
  の新幹線もそうだった)、
   しかし、その後の中国のやり方は、まったく、マレ
  ーシアの経済発展に寄与していない・・、
   中国から労働者を連れて行って、マレーシアの人々
  の雇用にもならない・・
   また、高利で金を貸し付けて、返済ができないと見
  るとスリランカの港の様に「99年の租借をする」とい
  う手を使う。
   香港と同じ・・英国は香港を返したが、99年後、中
  国は返すか?
   一帯一路の実態は・・「覇権戦略」なのだ。
   2008年1月、中国の物資を積んだ試験運行の貨物列車
  が、北京からベルリンへ運行された。
   これが、一帯一路のやり始めであった。
   習近平は、2013年から言い出したが、その兆候はす
  でにあった。
   中国・共産主義国家のやり方に鈍感なメルケル。
   中国国民党の時代もドイツは中国と蜜月だった。
   ナチス・ドイツでさえ軍事援助や金の援助をしてい
  る。
   中国とドイツ=中独は・・中毒症状だ。
   チンタオ(青島)の恨み・・
   1750年頃から、ドイツは中国に手を付け始めた・・
  この頃からすでにやっていた・・、
   ドイツは、イギリスに対抗して、中国への直行汽船
  を走らせた。
   また、巨大戦艦の定遠・鎮遠はドイツが作って、日
  本を脅威に慄(おのの)かせた・・
   日本を圧迫した戦艦を造って中国へ与えたドイツ・・
   203高地で、日本陸軍は多くの兵を亡くしたが・・
  この時の要塞もドイツが造っている。
   1897年、ドイツは、ドイツ人宣教師を殺害されて、
  これを口実にして、ドイツは、中国へ出兵した・・中
  国侵略行為を始めた。
   山東省に出兵したドイツ兵・・その中心都市の青島
  は、ドイツに占領され、ドイツの拠点となった。
   さらに、ドイツは、有無を言わさず兵を常駐させた。
   ドイツは、勝手し放題で、山や港に砲台を築いた。
   海には、ドイツ東洋艦隊を常に置いた。
   また、この拠点から、ドイツは、南太平洋の諸島を、
  軍事的に管轄し、掌握した。
   ドイツは鉱山が欲しかった・・そして、銀行、鉄道、
  会社、教会、食肉処理工場などを造った。
   チンタオビールはドイツのビール・・、
   当時、東洋の真珠とか小ベルリンと呼ばせた。
   第一次大戦でドイツは敗け、これらが、戦勝国の日
  本の管轄に移る・・、
   ドイツは一切の権益を失った・・ドイツはこれを恨
  んだ・・「チンタオの恨み」という・・、
   しかし、このドイツ怨みは第二次世界大戦の当時ま
  で続いた・・怨みがましいドイツの恨みは、陰湿にも
  長く続いた・・、
   満州事変の後、日本の足を引っ張ろうと、中国国民
  党軍の近代化をドイツは行なう・・、
   ドイツは、さらに、中国へ、重要で有能な軍人を送
  り込む・・、
   「ドイツの電撃戦」を考え出したような大物人材ま
  で送り込む・・、
   そして、また、ドイツは、あらゆる兵器を輸出した。
   中国人技術者までドイツ呼んで教育した。
   この人材に、中国に帰って、あらゆる重要兵器の国
  産工場を作らせた。
   毒ガス製造工場まで作ろうとした。
   生物兵器などの科学研究所などは作っている。
   この様な中国が、第二次上海事件を中国国民党は日
  本に戦いを仕掛けて行く・・
   日本はやむなく応戦した・・、
   ファルンケンハウゼンというドイツの将軍は、蒋介
  石に「消耗のゲリラ戦に持ち込め」と言った・・
   日本軍を疲弊させよと言った・・
   ドイツは、見返りに鉱山資源を求めた。
   鉄道も作って軍の移動をしやすくした。
   日本の軍の消耗はこれらによって大きくなった。
   これ等の資金は、「アメリカが支援した」。
   JPモルガン、スタンダード石油(ロックフェラー
  財団)などのアメリカ資金が膨大に入った・・
   また、それと共に、ドイツが財政出動した・・
   この様に、膨大な資金が中国へ提供された。
   ドイツもこれで潤い、より大きな軍事大国へとなっ
  て行く、
   ナンバーワン軍事大国へとドイツがなって行った。
   そして、ナチス・ドイツが台頭して行った。
   巨大化させる栄養が、大きくする栄養である巨大な
  資金が・・世界を回って・・この様な状況が作らせた。
   ドイツは、卑劣なことに・・日独防共協定を結びな
  がら(三国同盟の前に結ぶ)中国へ、武器を密輸の形
  で与え続けた。
   中ソ不可侵条約を締結したことで、ナチス・ドイツ
  のヒトラーは態度を硬化させた・・
   ヒトラーは、「中国への密輸を止めよ」と言った」
  が、しかし、契約済みの兵器などは輸出しなけらばな
  らないという屁理屈で、ヒトラーの命令・指示を聞か
  ずに、ドイツは、兵器を中国へ与え続けた。
   ドイツは潤った。
   この潤った金で、強くなった軍事力が、イギリス・
  フランスに対して向かった。
   1938年になって、やっと、ドイツは、中国から手を
  引いた。
   この時まで、なんだかんだと続ける卑劣なドイツだ
  った。
   三国同盟の時もまだ、中国と関係を続ける裏切りド
  イツだった。
   そして、1年を経て、やっと手を切った。
   しかし、最近、新事実が分かったが、スエーデンの
  第三国を通じて、ドイツは、まだまだ、中国と関係を
  続けているという卑劣なドイツだった。
   陰湿でしたたかなドイツだった。
   最近でも、大切で重要なロボット技術を「中国へ売
  り渡したドイツ」だった。
   重機大手クラウスマッハイも、中国に買収された。
   磁気浮上の技術を持っている非常に高度な重要な会
  社(リニアモーターカー技術)
   この技術が軍事転用できるから恐ろしい。
   というより、重要な軍事技術となる技術なのだ。
   空母のカタパルトは、電磁式だが、これに使える。
   中国もロシアも持っていない技術である。
   中国・ロシアは、ジャンプ式の遅れた方式となって
  いる。
   ドイツは、中国が一番欲しい技術を持った会社を売
  り渡した。
 ・中国の一帯一路を、ドイツも一体となってやって行き、
  中国と共にドイツはユーラシア大陸を手のうちに入れ
  たいとしている。
   トランプ政権はそれを止めようとしている。
   あの冷戦時代も、ドイツは中国へ武器を渡し、売っ
  ていた裏切り国である。
   儲かればよいという獅子身中の虫の国・ドイツ・・、
   中国は、ドイツをあてにしている、頼りにしている・・
 ・トランプ大統領は、心配する東欧諸国に、「アメリカ
  が安い石油やその他のエネルギーを売ってやるから安
  心しなさい」と言っている。
   ドイツを通っているパイプライン、ドイツが配る形
  になっているこの形の骨抜きをしている。
   ドイツの大きな顔は、「架空の顔だ」と言っている。
   アメリカのエネルギー供給の話は、ロシアの横暴も
  控えさせている。
   シリアがあのような戦乱の地でなければ、中東の石
  油のパイプラインがこの地を通り、ヨーロッパへ中東
  の石油が流れる、そして、ロシアが潰される・・
   ロシアにとって、シリアが戦乱の地となっているこ
  とがロシアの石油が売れることに通じている。
 ・イランを締め付けないと北朝鮮が安心する。
   イランと北朝鮮がくっつく。
   ヨーロッパ諸国はここが甘い・・イランに甘い。
   イランを締め付ければ、北朝鮮も干上がる。
   イランをやるときは、主力はイスラエル軍になる。
   サイバー攻撃を含めてやる・・
   それを見て・・「北朝鮮よ! 約束通りしなければ、
 次になるのはお前だ」というプレッシャーになる・・
 ・参考に以下のユーチューブを御覧ください。
  https://www.youtube.com/watch?v=jNjFIc0l3Fk
  【Front Japan 桜】知事死去と沖縄左翼のシナリオ/
   中国の正体に気付いたドイツ~野口裕之/ 金正恩か
  ら視える米世界戦略/ 山根辞任にみる戦後日本/ 廃祀
  を叫ぶ古賀誠[桜H30/8/9]
   野口裕之(産経新聞政治部専門委員)
   昭和33年生まれ。昭和59年、産経新聞社入社。防衛
  庁、外務省、官邸記者クラブキャップなどを歴任。平
  成11年には北朝鮮の弾道ミサイル・テポドン1号の発
  射準備をスクープし、新聞協会賞を授賞する。著書に
  「ヤバすぎて笑うしかない狂人理論が世界を終わらせ
  る」(共著)、「野口裕之の『安全保障読本』」など。
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