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気になった事柄を集めた年表 [1931年~1940年]

2014-11-06 04:06:40 | 日記
 題:気になった事柄を集めた年表 [1931年~1940年]
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
1931年、満州事変が起きた。
 そして、日本は、ドイツと組む道を選ぶ。
 その道へ進まねばならない理由に、アメリカの日本孤立
策があった。
 アメリカは、日本が黄色人種の代表の位置につかせない
ために画策した。
 そして、自らの中国政策を推し進めた。
 日中離間策を強引に進めた。
 蒋介石(しょうかいせき)と日本政府との間の対立を画
策し、軍事物資その他で全力をあげて中国政府をアメリカ
は支えた。
 日本は、アメリカの武器を相手に戦わなければならなか
った。
 膨大な中国兵の人数と、果てしなく供給されるアメリカ
の武器。
 泥沼に入って行く原因だった。→2年
1933年、第32代大統領フランクリン・ルーズベルト(在
 任期間1933年~1945年)は、
 日本人が凶暴なのは頭蓋骨の形が違うからと本気で信じ
ていた。→1年
1934年、日本が「アジアの平和に責任を負おう」という
考えを、
 外務省情報部長の天羽英二(あもうえいじ)氏が言う。
 当時、イギリス海軍が中南米を防衛するという事をして
いた。
 日本は世界の5つの大きな大国の一つになっていた。
 「アジアのモンロー宣言」と呼ばれた。→4年
1937年、日本は、アメリカの様な人種差別・人種偏見は
無かった。
 アメリカの黒人知識人W・E・B・デュボイスは、
 この年、旅行し、
 「ピッツバーグ・クリア」誌のコラム欄に次の報告文を
書いた:
 「日本の旅行中、東京の帝国ホテルで勘定の支払いをし
ている時、
 『いかにも口うるさそうな、典型的アメリカ白人女性』
が、さも当然であるかのようにデュボイスの前に割り込ん
だ。
 ホテルのフロント係は、女性の方を『振り向きもせずに』、
デュボイスへの対応を続けた。
 勘定がすべて終わると、彼はデュボイスに向かって深々
とお辞儀(じぎ)をし、
 それからやっとその厚かましい『アメリカ様』の方を向
いたのだった。
 このフロント係の毅然とした態度は、
 これまでの白人支配の世界とは違った、
 新しい世界の幕開けの予感をさせた」と。→1年
1938年、アメリカで蛍光灯が実用化した。→1年
1939年、ナスカの地上絵をアメリカ人考古学者が発見し
 た。
 地上絵は、ペルー南部のナスカ大地にある。→0年
1939年9月1日、ドイツ軍がポーランドへ侵攻し、第二次
 世界大戦がはじまる。→1年
1940年7月、ドイツ占領下のポーランドから、
 リトアニアに逃がれて来た多くのユダヤ系難民などが、
 各国の領事館・大使館からビザの取得をしようとしてい
た。
 各国領事館・大使館はソ連が閉鎖を求めたため(リトア
ニアはソ連が占領していたため)、
 まだ業務を続けていた日本領事館に名目上の行き先への
通過ビザを求めて殺到した。
 日本は、旅費や滞在費の有する者などの発給条件があっ
たもののビザ発給をしないということではなかった。
  杉浦千畝(ちうね)氏が、ビザ発給を禁止する日本政
府の意思に反してユダヤの方々を救ったというのは正確で
はない。
 当時、日本政府は、ナチスドイツの人種差別政策に賛成
しない強い意志があった。
 当時の日本の外交は独自の政策を取っていた。
 確かに杉浦氏は、ビザ発給をしたが、日本政府の命令を
反してまでしたというのは間違い。
 日本政府は、ビザ発給に反対はしていなかった。
 キリスト教徒の杉浦氏は、キリスト教のプロパガンダ(
嘘宣伝)で作り上げられている。
 日本政府はユダヤの方々にビザ発給をよしとしていた。
..
 (詳しくは、以下のブログへ)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009

矛盾・食い違いのデパート状態に・・、

2014-11-06 00:30:42 | 日記
 題:矛盾・食い違いのデパート状態に・・、
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教のイエスが、『愛敵』を説いたという・・が、
 しかし、その精神の現れの言葉の一つといわれている
 「剣を取る者は皆、剣で滅びる」は・・、
 イエスの言葉ではないと・・言われている。
 この言葉は、「マタイによる福音書」にだけに書かれて
いる。
 他の福音書の・・この文の並行する個所には・・、
 この文は『全く出て来ない』、書かれていないのである。
 この言葉が出て来る福音書を、「マタイ」が書こうとし
た頃・・、
 ユダヤの民が、ローマ帝国に対して、「剣」によって解
放戦争を、ちょうど、した頃であった。
 しかし、悲しいかな、ユダヤの民は・・、
 ローマ帝国の「剣」によって・・滅ぼされてしまった。
 つくづく、マタイは悲しみ、そして悲嘆にくれ、「剣」
による結果のむごたらしさを悔いただろう。
 研究者は、この言葉を・・「マタイの言葉だ」と断定し
ている。「マタイの創作だ」・・としている。
 また、マタイが、福音書を書くころ、ユダヤの民のすべ
ての人が、この気持だっただろう。
 それ故に、マタイは、それを書いたのだ。
 「マタイによる福音書」は、ユダヤの民のその心を代弁
し、受け入れられたい意味もあって、書き込まれた。
 その文をマタイが創作し、書いたことによって、ユダヤ
の民から受容されただろう。
 また、イエスの言葉に、有名な「汝の敵を愛せよ」とい
う言葉があるが・・、
 これも、「マタイによる福音書」に書かれている。
 (「マタイによる福音書」5・43~45)参照。
 キリスト教の聖書の「申命記」には、1例であるが・・、
「(キリスト教の)神の義があれば、人を誅しても良い」
という教えを説いている。卑劣な教えである。
 キリスト教の聖書の全編が、この教えである。
 多民族が錯綜(さくそう)する狭い地域の、それも砂漠
の地で、民族が生き抜くには、その様な教えで無ければ、
民族は絶滅してしまうだろう。しかし、こんな卑劣な教義
は、現代には、まったく、そぐわない。
 古代の、この地の、この時なら、やむを得なかっただろ
うとも思えるが・・戦争に次ぐ戦争の世界が展開した。
 キリスト教の神が、率先して叫ぶ、「戦え、戦え」「○
○人は皆殺しにせよ」「△△人は、男だけを殺せ」・・、
 「生娘は生かしておけ」「奴隷にせよ、奴隷にせよ」・
・と。まったく、軽蔑すべき教えとなっている。
(しかし、現代でも、キリスト教の聖書に書かれている)
 民族の生き残りのためとはいえ、生きる糧(かて)を戦
い、殺し、奪った。
 キリスト教は、その様な教えの宗教だ。
 生きるために生娘は民族の子孫、生き残りの民族の民が
増えるためのものだ(それこそ性奴隷だ)。
 キリスト教の精神には、この様なモラル・精神が流れ、
キリスト教徒は、知らず・知らずに洗脳されている。
 他民族のすべてを・・しゃぶりつくす卑劣さが洗脳され
る、そして、何とも思わなくなる。恐ろしいことだ。
 キリスト教は、奴隷という家畜的な人の使用の思想を・・
宗教ゆえに消えずに、長い年月、伝えられ・・、
 この、キリスト教によって・・後の時代には、アフリカ
の方々が、あまりにも多くの方々が、奴隷にされて・・、
 そして、そのキリスト教の思想によって、多くのアフリ
カの方々が亡くなった。
 そして、世界中へ、キリスト教徒とキリスト教聖職者た
ちが、出て行って・・、
 インディオスの方々、アボリジニの方々・・を、あたか
も、狩りをする様に、また、ゲームをする如く・・、
 遊び半分で・・インディオスの方々を並べて立たせて、
何人を槍で突き通せるか・・などということなどをする。
 赤ん坊を岩に叩きつけたり・・、
 キリスト教は、「人間ではない」という見解を、出先の
人達へ伝えた。
 またこれも、あまりにも多くの方々が、キリスト教によ
って殺された。
 この他にも、ユダヤの方々、アメリカ・インディアンの
方々など・・など・・など・・
 卑劣・悲惨・酷(むご)い事が・・満ち溢れている・・
キリスト教。
 本当に軽蔑し、この宗教を怨(うら)む。
 戦争も、あまりにも多い。
 悲惨な歴史に満ちている。
 私だって、「汝の敵を愛せよ」と、何十回も、何百回も、
永遠に・・・卑劣なキリスト教の教えに対し訴えたい、叫
び続けたい。
 イエスは、この言葉を、もっと、『言い続けなければ』
ならなかった。
 イエスは、「この様な言葉も言いました」的な事しかし
ていない。
 これではダメだ。
 1回だか、2回だか・・これでは少ない。
 この大切な言葉を・・もっともっと言うべきだった。
 イエスは、神の国は、何回も言ったようだが・・、
 戦争を無くす大事な発言、『何回も言い続けよ』とイエ
スへ言いたい。
 それも、山上で1回、言ったきりでは・・駄目だ。
 聞いていた弟子たちだって、これを聞いて、何をしたと
言うのか?
 何もしていない。
 ただ、イエスが言いましたで終わっている。
 そして、そのキリスト教が・・、このイエスの言葉を
「まったく無視」して、肝心なお膝元(ひざもと)のキリ
スト教自体が・・、
 このイエスの言葉を「完全、まったく無視」して、
 人ばかり殺している。バカ垂れと言いたい。
 また、「言った、言った」と、キリスト教が、声高に言
う『愛敵』の言葉は・・、
 「山上の垂訓」というところで、イエスが言ったという
言葉にあるが、
 そして、その言葉が6つあるが、その6つの6番目に言っ
たとされている。
 大切な言葉は、最初に言われるものだが、そうではない。
 最初に言って、大切だから、また、最後に言うという事
でもない。
 本当に、重要なものと思っていたのか?・・と思う。
 それも、「女を見たら、女を犯す事と、同じだ」なんて、
いう言葉の後だ。
 何だ?という言葉の後ろだというのだから疑問だ。
 また、「女に離縁状を出したら姦通と同じだ」なんても
のの後にもなっている。
 キリスト教では、この「山上の垂訓」が、イエスの一番
大切な言葉だとしているが・・?
 キリスト教は、本当に、時代経過の中で、劣化しきって
いる。
 そして、キリスト教を、事実上、作ったというパウロは、
キリスト教は、「律法は捨てる」とした、
 一切合財、キリスト教には、不用だとした。
 イエスの言葉や(愛敵を含め)、イエスの人となりを、
無視した。
 「イエスの十字架状の血」と、「イエスの復活」だけで
良いのだとした。
 今、キリスト教は、この「パウロ・キリスト教」となっ
ている。
 イエスの「山上の垂訓」もあったもんじゃないとなって
いる。
 何しろ、キリスト教は、シッ茶かメッチャカになってい
る。
 あらゆる人が、あらゆることを言い、また、他の宗教か
ら「これはいい」と、あらゆるものを持って来て、天使も
持って来て、『ごった煮』になっている。
 だから、矛盾・食い違いのデパート状態になっている。
..
 (詳しくは、以下のブログへ)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009