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野放し状態だった・・、

2014-11-04 15:54:04 | 日記
 題:野放し状態だった・・、
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教のイエスと言えば、今でこそ、知って
いる人が多いが・・?、
 しかし、肝心のイエスが生きていた当時・・、
 イエスを知る人は・・狭く・・限られた状態だっ
た。
 イエスが、エルサレムに行ったって、聖書は、大
げさに嘘を書くが・・、
 その後の記述などを見ると・・どうもそれは・・
嘘記述だと・・、信用だけが失墜する記述だと・・
分かる。
 神殿で暴れることができたのも・・、
 イエスがその様な人だと、知れ渡っていれば、官
憲も、事前に、動くだろうし・・、
 人々もそれなりに予防措置をしたりと、対応した
だろう。
 イエスが、その様な人ではなかったからこそ、出
来た。
 あのように暴れれば、今の時代だったら、すぐ逮
捕されるだろうが・・、
 見も知らない人間であったため・・、無事にその
日が過ごせたのだ。
 そして、その次の日の動きも、出来たのだ。
 2日目は、また神殿前に来る。
 また来たのでと、逮捕をされるのかと思えば、そ
の様な動きも無く・・、
 イエスは、神殿前でアジ演説ができた。
 「ローマの税金について」の話だった。
 その様な人騒がせな行動でも、逮捕されるという
状況とはほど遠かった。
 イエスの「初犯的な行為」でもあったのだ。
 好き勝手な動きが続いている。
 一面、無視されている状況とも言える。
 また、当時、予言者がたくさんいるエルサレム、
イエスの様な事をする人間は、多かったと言える。
 祭司や律法学者とのぶつかり合いも、起きて来る。
 でも、最初は見逃されている。
 ぶつかり合いがあったって、逮捕なんて起きない。
 その日も無事に済んでいる。
 3日目になって、やっと、不穏な雰囲気が出て来る。
 イエスは、ここで、家に、ガリラヤに帰れば・・、
刑死なんて事は起きなかった。
 キリスト教は、美化するために必死に嘘宣伝、プ
ロパガンダで、イエスの話を作り上げているが、
 キリスト教の話と、実際は、まったく違うのだ。
 「イエスなんて」という状況だったのだ。
 イエスなんて捕まえて、刑に掛けようなんて、公
権力は、まったく考えていなかったのだ。
 この時点では、まだ、ユダは公権力に密告もして
ないし、密告しようとも思ってもいない。
 イエスが、自ら、この先に踏み込んだから、不幸
な事態が起きてしまったのだ。
 また次の日も、イエスは、やりたいことをやり出
した。
 当時の権力を持っている祭司や律法学者のお偉い
さんの批判をアジ演説した。
 神殿なんか崩れ去ってしまうと、その過激さは増
していった。
 当時、エルサレムの町に充満していた終末論、こ
れを、イエスも話したが、別に目新しさはなく・・、
『そうだね』ぐらいで済んでいた・・、さして問題
には、ならなかっただろうが・・、
 お偉いさん批判は、公権力も「むっと」しただろ
う。
 しかし、この3日目も、無事に何もなかった。
 そして、4日目も、似たような1日で過ぎて行った。
 公権力は、よく我慢していると思う。
 または、無視か? 目にもとまらなかったのか?
そんなものだった。イエスの好きにさせていた。
 しかし、この次の日の5日目に、イエスグループの
内部崩壊が起きる。
 グループの自滅行為である。
 結局、これが事の引き金を引いた。
 黙認・無視していたイエスを・・、「ならば」と、
 公権力が動いたのである。
 この5日目、いつものようにエルサレムの町で、
言いたいことは言えたのだが・・、
 夜になって、「最後の晩餐」と称されている会食
の席で、イエスは、仲間のこれからの行動の予想を
話す、それは批判でもあった。
 だからだろう、この会食後、ユダは、公権力に
「おおそれながら」と訴え出る。
 ユダは、前からイエスを、そうしようとは思って
いなかった。
 ・・が、しかし、この会食のイエスの言葉がきっ
かけにして、公権力に訴え出た。
 口は災いのもと・・イエスは口で失敗した。
 口の良くなかったイエスが、公権力を動かしたと
も言える。
 このグループの会食後、イエスは、ゲッセマネの
園で祈る。
 しかし、イエスと弟子たちとの意見が合わず、
 イエスが、「一緒に祈ってくれ」とたのむのに、
弟子たちは眠っていた。
 イエスは、弟子たちを怒る。
 これは、弟子たちのふて寝だろう、
 イエスと弟子たちの意見が合わなかったのが原因
の・・、
 そして、イエスは、ユダが道案内して、連れて来
た公権力に逮捕された。
 完全に、公権力は、イエスをマークしていなかっ
た。
 ユダが道案内して、『この人です』と言わなけれ
ば、逮捕者が分からない様な状態、野放し状態だっ
た。
..
 (詳しくは、以下のブログへ)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009

排日移民法のころの・・話

2014-11-04 03:53:58 | 日記
 題:排日移民法のころの・・話
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 1924年7月1日、アメリカで『排日移民法』が成立した。
 この法律で、日本人は、アメリカへ渡航できなくなった
 が・・、
 この時まで、アメリカへ移民できた日本人は、20世紀初
頭から、同じ時期に、アメリカへ渡ったヨーロッパ人の人
数の1ヶ月分にもおよばないという僅(わず)かな数だった。
 日本人は、2世の方々を入れても、アメリカの総人口の
0.1%という僅かな人数だった。
 しかし、アメリカの排日論者たちは、日本人が、大群と
なってやって来たと騒ぎ、西海岸を支配し、白人を追い出
すと叫んだ。
 新聞は、センセーショナルな日本叩きを行った。
 アメリカ議会の上院では、新聞社主のマクラーチーが、
日本からの移民を禁止しないと、アメリカは、日本のある
一つの州にされてしまうと、大げさな、偏向演説をした。
 また、日系人の「倹約と努力」が批判された。
 キリスト教に偏するNHKが「頑張るな」のキリスト教
徒の鎌田實氏を常に使って、キャンペーン放送をし続けた
が、このアメリカの嫌悪反応と同じ行為・放送をした。
 また、当時、キリスト教徒の新渡戸稲造は、この不法な
アメリカの移民排斥法に対して、アメリカの「肩を持ち」、
 「日本自身が改善しなければならない」と言った。
 日本の・・どこが悪いのだろか?
 新渡戸は、アメリカのウィルソン大統領と同級生だった。
 また、キリスト教国は素晴らしいという先入観の持ち主
でもあった、その様な、洗脳された意識の持ち主だった。
 ウィルソンを人道主義の闘士という理想化したどうしよ
うもない意識と、アメリカは、理想社会なのだの盲信意識
であった。
 また、日本は未発達なのだからの劣等意識でもあった。
 アメリカの文明は素晴らしいの盲信、そして、「悪いの
は日本人自身だ。自己反省すべきだ」と言った。
 識者は、「自虐的で、どうしようもないものの見えなさ
だ」と批判した。
 日本人労働者の労働の質の高さがあった。
 しかし、移民の方々は、「だらしない格好」だとか、「
みっともない姿」をしているから(せんみん)あつか
いされるのだ・・の、自虐的な自国民蔑視だった。
 アメリカ人の排日論者の汚ない発言の口移し(くちうつ
し)でもあった。
 文明の光が、アメリカとヨーロッパにあるという見方だ
った。
 キリスト教に偏するNHKも、「世界遺産」という名前
の番組を良く放送したが、世界遺産なんて名前ばかりで、
ヨーロッパのキリスト教国ばかりを放送した。
 番組名を「キリスト教国遺産」と変えたほうが良いくら
いのキリスト教に偏した放送で、教会の場面が多く、何だ
かんだとキリスト教に偏した放送だった。
 反動の、日本への自己劣等視と無視となっている。
 日本には、1例をあげれば、坂本竜馬を生んだ地には、
 江戸時代に、既に、民主主義が根付いた社会があった。
 この環境が、竜馬を生んでいた。
 日本には、明治維新以前から、既に、民主主義を経験す
る社会が・・存在していた。
 民主主義は、何も、明治維新になって、欧米から学んだ
目新しい思想ではなかった。
 また、東洋には、紀元以前から、とうの昔から、民主主
義社会が存在していた。
 インドのブッダが民主主義国のヴァッジ国が好きだった
という史実もある。
.
 (参考):ヴァッジ国について、「ヴァッジ・サンガ」
  と呼ばれた代表議会の議長を持ち、また、各地方から
  の代表者から成り、国政を取り仕切っていた・・と、
  そして、サンターガーラと呼ばれる集会堂(議事堂)
  を中心とした政治体制は仏教徒の賞賛するところであ
  ったという説明文も見られる。
..
 (詳しくは、以下のブログへ)
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