夕べ ディスカバリー チャンネルで「チャンギ捕虜収容所の思い出」という番組を見た。チャンギ刑務所は 日本人小学校チャンギ校の近くにあるかつてイギリスが刑務所として建てたもの。私も見学しに行ったことがある。それが近々壊される(もう壊された?)ということで、ここに日本軍占領時収容された白人たちが訪れて思いを語るというもの。当時10-20代だった男女は陽気な老人だが、みな突然顔をこわばらせたり泣き出したりする。「我々は幸い生き延びたが目の前で死んでいく友人、同僚のことをおもうと今も涙が止まらない」「戦争を楽しそうに言うやつは戦争に行ったことがないんだ」という。戦争の与える苦しみに国籍や人種は関係ないんだなあと思う。日本もしきりに戦争の悲劇を語り継ごうとしているけれど、ぜひ自国民の話ばかりでなく、このような人たちの話も紹介してほしいと思う。シンガポール製作の番組のようだった。
また今夜日本映画専門チャンネルで「サンダカン八番娼館 望郷」が放送される。在星時、上映されていたのを見逃したので見たいと思う。インドネシアのサンダカンにあった日本人娼館の話。
大正時代 世界の最貧国だった日本からだまされたり売られたりしてきたからゆきさんはシンガポールにもいた。在星時 オープンしたブギス ジャンクションのあるところ。以前は怪しい界隈だったところが今は西友が入るにぎやかなショッピングセンターになっている。よく見ると一部に娼館の名残を残した建物で、細い路地の名前もそのまま ひそかに記して残している。探してみてください。オープン時、少女を売らねばならなかった日本がいまや大企業を送り込んでいることをおもって、しばし口を開けてピカピカの建物をみあげていた。「サンダカン八番娼館」を書いた作者山崎朋子がシンガポールのからゆきさんのことも同書の中に書いている。
また今夜日本映画専門チャンネルで「サンダカン八番娼館 望郷」が放送される。在星時、上映されていたのを見逃したので見たいと思う。インドネシアのサンダカンにあった日本人娼館の話。
大正時代 世界の最貧国だった日本からだまされたり売られたりしてきたからゆきさんはシンガポールにもいた。在星時 オープンしたブギス ジャンクションのあるところ。以前は怪しい界隈だったところが今は西友が入るにぎやかなショッピングセンターになっている。よく見ると一部に娼館の名残を残した建物で、細い路地の名前もそのまま ひそかに記して残している。探してみてください。オープン時、少女を売らねばならなかった日本がいまや大企業を送り込んでいることをおもって、しばし口を開けてピカピカの建物をみあげていた。「サンダカン八番娼館」を書いた作者山崎朋子がシンガポールのからゆきさんのことも同書の中に書いている。
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なんでもかんでも、日本が悪い、謝罪せよ
という風潮がちょっとわかりません。
これも読みたい本のひとつです。
シンガポールの日本兵にしても、中華系とマレー系では受け止め方も全然違っていたとも聞きます。
チャンギの戦争博物館に行ったとき、「あぁ、日本軍はひどいことをしたなぁ」と、目を背けたくなるような写真も沢山ありました。アレキサンドラ病院とか、皆殺しにされたらしいですし。が、ちょっと違和感を覚えたのは、英国連邦の兵隊達は「被害者」としてしか描かれてなかったことです。
彼らも、そして一部の金持ち中国人達も、その時代加害者の立場だったということに目を向けずに、「被害者、辛い、可哀想」ということだけではおかしいなぁ、と思いました。
ハイラム通りとかマラヤ通りというのが「サンダカン」にも記載されてます。ブギスジャンクションのインターコンチネンタル ホテルは帰国前日泊まったホテル。もうしばらく映画館で映画など見られないと思うと悲しくて、シネコンで グイネス パルトローの「恋に落ちたシェイクスピア」を見て私のシンガポール最後の日は終わりました。思い出深い...。
日本人娼館もあったんですねぇ。
しかもサンダカンより大きかったとは。
でも、確かに、昔から貿易の盛んなシンガですから、大きな歓楽街があったことでしょう。
最後の日をブギスで過ごされましたか。
私にもいつか「シンガ最後の日」が来るんだろうなぁ。
思い残すことのないよう、お仕事も遊びもに精一杯エンジョイしてください。
あの日は二度と戻らないーー