老人雑記

生活の中で気づいた浮世の事

もしも   イフ

2015-07-31 15:08:19 | 俳句

          さはやかに平凡に今日終へにけり   葉



 この地に来て20年が経った。夫の転勤で、住み慣れた土地を離れて、この県の街に来た。社宅から、マンションを買って、移ったが、姫 と 殿 を預かることになり、この一戸建て住宅に移り住んだ。マンションでは、犬も猫も飼えない決まりになっていた。もうすでに、 殿 と 姫 に愛情を抜き取られていたから、誰か他の人に 殿 と 姫 を預けることなど思いもよらなかった。
私は車の運転ができぬから、駅に近く、病院に近く、買物が便利な場所を、ずいぶんと探した。窓から海が見える、自分が考えていた条件に適った家が見つかった。この街に暮らし初めてで10年になる。



         夏の湖ししむら太き乙女像   葉

 もしも (イフ)と考えた。犬と、猫を手放して、あのままマンションにいたら?。それは考えられない。
 転勤して、こちらへ来た時、俳句を止めず、ずっと続けていたら?。そこだ。良い先生がこの街にはいなかった。俳句誌で勉強し、時どき主宰の出席する句会に行けば?それはやれた筈だ。夏の湖、、、、。青森まで吟行句会に行った。一人でリュックを負い、東京の連中と合流をした。ランプの宿の想い出も甦る。主宰を四国へお迎えもした。結社の仲間達が、訪ねて来て、四国を案内したことも。しかし草臥れていたのかな?きっぱりと俳句は止めた。もしも?。
 しかし、今俳句を再会してみると、頭が固くなっていて、若い頃の俳句を読み返し、自分で驚くくらい、感性が豊かで、へー、これ私の句なのと思うのがある。全部忘れている。語彙も今より豊富だ。今 一句を作るのに古臭い、マンネリした言葉しかでてこないが、勉強を続けていたら、もっと、もっと 言葉の泉が胸の底にできていたかもしれない。もしもだが。



       滝見茶屋なる一対の明かり窓    葉

 もしも、もしも、もしも、この街を払って、夫の家がある田舎に帰っていれば。それは今では、考えないこともない。夫には友達が、帰って来いといつも言ってくるし、私の友達も沢山いる。、、、が海が見えない。楽しそうな遊び場所が無い。心の持ち方、エンジョイの方法は私はベテランなのだ。見つけるのは簡単だ。今の家よりずっと、ずっと、住みやすい環境にあるが、リホームが面倒なんて理由をもちだしたりしている。潜在的に帰りたくないのだ。ようするに我儘だ。
しかし人生、もしも、もしも、あの時こうしたらと、いろんな選択肢は沢山あったはずだ。、安易な方の道に流されで、面倒なことから目をそらし、正面から向き合わなかった。その後悔はある。ケセラセラの人生だったかな。
 
今日が、たまたま、夫に転勤の辞令が降りてこちらへ来た日だったことを思い出した。



 20年も前、NHK で、俳句王国 と言う番組があった。それに 出演した時の句。懐かしい想い出の一句だ。

       泉掬む帯ゐし鈴の鳴りにけり    葉


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