武本比登志の端布画布(はぎれキャンヴァス)

ポルトガルに住んで感じた事などを文章にしています。

005. ニース周辺の美術館巡り

2018-10-06 | 独言(ひとりごと)

 パリのル・サロンに 100号の絵を搬入して、始まるまでの 10日間を今年はニース周辺の美術館等を見て回った。

 かつてそして今もこのニース周辺のコートダジュールには多くの画家がアトリエを構えている。
 パリとは比べ物にならない、輝く明るい太陽が降りそそぐコートダジュールは光線を描く印象派以降特にフォービズムやキュビズムの画家たちにとっては堪らない環境だったに違いない。
 多くの作品をこの地で描き、そしてこの地に残している。
 もちろんこの地で描かれた名作の多くは世界中の美術館に散らばってはいるが、動かす事の出来ない、この地でしか観ることの出来ない作品が実に多い。

 リューマチで苦しんでいた、77歳のマチスが恐らく最後の力をふりしぼって、建物のデザインからステンドグラス、タイル絵、ドア、僧衣のデザインに到るまで、その全精力を傾けたであろうと思われる「ロザリオ礼拝堂」
 ステンドグラスには明るい黄色とブルー、タイル絵には白地に黒の線描きのみ、透かし彫りの懺悔の扉も白く塗られステンドグラスの黄色とブルー以外は殆ど無彩色の世界。
 色彩画家マチス最晩年の極限の色だろうか?壮絶な仕事を垣間見た思いである。

 ヴァロリス城礼拝堂のピカソ「戦争と平和」も物凄い迫力で観る者を圧倒する。
 小さな古い礼拝堂であるが、そのアーチになった壁と天井いっぱいに貼ったコンパネをキャンバスにたれ落ちた絵の具も生々しく、上から上から塗り重ねた線、そして面。
 ピカソの戦争への憎しみと平和への喜びが、まさに叩き付けられていると言った迫力の超名作と言える。

 礼拝堂ではもう一つ、マントン市役所礼拝堂の「ジャン・コクトー」がある。
 普段ジャン・コクトーを観る機会はあまりないが、いつもの線にパステルカラーが心地よい。
 これは現在も礼拝堂として使われている様子。
 ジャン・コクトーの壁画に包まれて結婚式が出来るマントンの若者は幸せだ。
 おなじ町の玉砂利のビーチに張り出した要塞は今ではジャン・コクトー美術館になっている。
 その入口の壁をそのビーチの小さな玉砂利でモザイクした、ジャン・コクトーもいかにもコクトーらしい。
 ビーチの玉砂利を踏みしめながらあの映画の構想を創り出していったのであろうか?

 モザイクはシャガールもヴァンスの教会やサン・ポールとニースの美術館に残している。

 そして教会のために描いた大作のかずかずがニースのシャガール美術館にある。
 おおよそ 500号くらいの青を基調に描かれた絵が 10点ばかり、赤を基調に描かれた 150号くらいの絵が5~6点。
 それに彫刻とステンドグラスといずれも聖書からモティーフを執ったものには違いないけれどシャガールが生まれ育った町とその時住んでいたヴァンスの町なども取り入れられていてシャガール特有の画面構成が楽しい。
 その他に聖書のための24点の挿絵。

 サン・ポール鷹ノ巣村の村はずれにはマーグ財団美術館がある。
 ブラックがモザイクした池には水がたたえられてあり、水を透して見るブラックの作品などここ以外のどこで観ることが出来るだろうか?
 そしてやはりブラックのステンドグラス。ミロの沢山のオブジェの庭。
 と常設展示の他にここではちょうどムーアの企画展が催されていて、まとめて沢山の作品を見ることが出来た。
 大きな木の作品。大作のためのエスキース的な小品。デッサンや油彩。
 それに自分の娘のために作ったおもちゃがほほえましく全くムーア的でいままで見慣れたブロンズの大作ばかりとは、ちょっとひと味違った大変充実した贅沢な展覧会で、観ることが出来て運が良かった。

 アンティーブからビオット行きのバスに乗り、運転手に教えられるままにその途中で降りて人通りの全く無い住宅街の道を不安を感じながらとことこと歩いていくと突然巨大な壁画が目に飛び込んでくる。レジェ美術館である。
 レジェ美術館の建物の二面に何メートルあるだろうか?
 とにかくでかいレリーフの壁画が作られていて、その前に立っていると明るい陽の光に包まれたような、なんだか幸せな気分になる。
 壁画の前に立ってみるだけではるばるやって来た甲斐があると言うものである。

 三岸節子が晩年アトリエを構えていたカーニュにはルノアールのアトリエも残されている。

 そのカーニュには地中海美術館と言うのがある。
 現在の町の中心地から急な狭い坂道をずり下がりそうになりながらどんどんと登ったグリマルディ城の中にその美術館はあった。
 坂の途中小学生の団体に勢い良く追い越されてしまったが、皆が水道の蛇口にかじりつき口をつけて水を飲んでいるところで今度はこちらが追い越して城には結局我々が先に到着した。
 まるでうさぎとカメの話の様にだ。
 美術館にはその小学生も後から入ってきた。
 が観覧者はそれ以外には居ない。
 一階はオリーヴオイルを造る古い装置などが展示されていて、先生はその説明を生徒達にしていた様だ。
 二階は 20世紀の地元出身現代画家「ヴァレーリ」の年代別展示と、狭い一室に「スージー・ソリドール」と言うその当時パリのキャバレーのトップスターだった
 一人の女性を色んな画家が描いた肖像画の部屋。
 三段掛け、四段掛けにされていて、うっかりすると見逃してしまいそうだが、そこにはローランサン、キスリング、バン・ドンゲン、デュフィ、コクトー、レムピカ、ピカビアそれにフジタの作品があった。全部で 40点もあっただろうか?
 同じ人物を色んな画家の手によって個性豊かに表現されているのはとても興味深い展示であった。

 今回の旅で最も期待していたところにニースのマチス美術館がある。
 彫刻。墨絵のデッサンの部屋。極初期の油彩。
 そして最晩年の壁いっぱいの切り絵とロザリオ礼拝堂のための模型。
 その他、モティーフにもなったテーブルや椅子。
 ついたてと緞帳(厚手のカーテンの様なもの)も残されていた。
 それに版画のための大掛かりな印刷機などもあった。
 マチス晩年の切り絵や版画が現在のグラフィックデザインに大きく影響を与えたのもうなずける。

 ニースには「ジュール・シェレ」と言う美術館もある。ジュール・シェレは 19世紀の画家。
 やはりグラフィックデザインに影響を残したロートレックの先駆的役割を果たした画家である。
 一階は古い宗教画イコン等も展示されているが、二階にはジュール・シェレの他にマリー・バシキルセフと言う女流画家の肖像画と自画像、その深い眼差しが素晴らしかった。
 そしてデュフィとヴァン・ドンゲンのそれぞれの部屋があり、いい作品が揃っていた。

 この旅では 10日間で 14もの美術館等を訪れたことになる。
 一ヶ所にかたまっているということはなくそれぞれが不便なところに散らばっていて行き着くのに結構苦労もした。
 歩きながら又バスに揺られながら、今観てきたばかりの作品を反芻してみるのに丁度良い距離ともいえる。

 その他にマチス、デュフィ、シャガールのお墓にも御参りすることも出来た。

 マチス美術館を出て、マチスとデュフィのお墓のある墓地はどっちの方向か?と探していたら、ディジー・ガレスピー通りと書かれた標識を見つけた。
 他にマイルス・デイヴィス通りとデューク・エリントン通りもあった。
 そして公園の中にはルイ・アームストロングとライオネル・ハンプトンのブロンズ胸像が建てられていた。
 マチス晩年の作品に「ジャズ」と名付けられたものがある。
 デュフィも音楽には造詣が深い。
 きっと今ごろは賑やかにやっているに違いない。

 印象派の画家たちはバルビゾンの柔らかな光線に出会い、、後期印象派のゴッホ、ゴーガン、セザンヌたちはもっと強いプロヴァンスの光を求め、そしてフォービズムやキュビズムの画家はコートダジュールの焼け付く太陽によって、お互いが激しく影響しあい、強烈な個性を発揮することになったのだと感じた。

 ルノアール、マチス、ピカソ、ブラック、デュフィ、シャガール、レジェ、ムーア、ミロ、そして現代美術のニキ・ド・サンファールに到ってもこのコートダジュールの太陽と無関係だとは思えない。

 二度ほど傘を使ったとはいえ、まあまあ天気にも恵まれ感動の連続であった。
 ポルトガルよりは少し寒いだろうと厚着をしていったものだから、かえって汗をかいてしまった。
 一昨年とその前に訪れたアルルやマルセーユ周辺よりも一ヶ月遅い11月なのにかえって暖かく感じたほどだ。
 パリとはかなり気温も違いやはり世界のリゾート地だ。
 それでもポルトガルよりは少し気温は低い筈なのだがニースのビーチでは海水浴を楽しんでいる人が何人も居た。
 若者だけではなく、決して若くはない人までもがである。
 これが11月中旬とは思えない。
 地中海の水は大西洋の水よりも温かいのにちがいない。たぶん。VIT

 

以下は旅の事前に作成した旅程表です。これはあくまで計画段階のもので、
実際には一部変更し、モナコやマントンなども追加しました。宿泊したホテルも実際のものとは一部異なります。

 

ニース旅程表

11/02(土)

リスボン07:40発

(AF2125)

パリ11:15着

パリ15:45発

(AF7706)

ニース17:20着

 

ニース泊

Hotel    Massenet

11 Rue Massenet

tel .04 93 87 11 31

fax. 04 93 16 08 69

11/03(日)

ニース

ニース近代現代美術館(ニース)(11:00~18:00)火休

Musee d’Art Moderne et d’Art Contemporain (Nice)

ニース泊

11/04(月)

ニース

マティス美術館(ニース)(10:00~17:00)火休

Musee Matisse (nice)

シャガール美術館(ニース)(10:00~17:00)火休

Musee National Message Biblique Marc Chagall (nice)

ニース泊

Hotel Lepante         

6,rue de Lepante

tel. 04 93 62 20 55

fax. 04 93 92 37 69

11/05(火)

ニース

サンポール

ヴァンス

マーグ財団美術館(サンポール)(10:00~12:30/14:30~18:00)無休

La Fondation Maeght (St-Paul)

ロザリオ礼拝堂(ヴァンス)(14:00~17:30)日祝休

Chapelle du Rosaire (Vence)

ヴァンス泊

Auberge des Seigneurs

Pl.du Frene

Tel .0493 58 04 24

Fax.0493 24 08 01

11/06(水)

ヴァンス

カーニュ

アンティーブ

 

アンティーブ泊

Hotel de Etoile        

2,av Gambetta

tel .04 93 34 26 30

fax .04 93 34 41 48

11/07(木)

アンティーブ

ビオット

ヴァロリス

アンティーブ

レジェ美術館(ビオット)(10:00~12:00/14:00~18:00)火休

Musee National Fernand Leger (Biot)

ピカソ美術館(ヴァロリス)(10:00~12:00/14:00~18:00)火休

Musee National Picasso (Vallauris)

アンティーブ泊

Le Relais du Postillon

8,rue Championnet

tel .04 93 34 20 77

fax .04 93 34 61 24

11/08(金)

アンティーブ

ピカソ美術館(アンティーブ)(10:00~12:00/14:00~18:00)月祝休

Musee Picasso,Chateau Grimaldi (Antibes)

アンティーブ泊

L’Auberge Provencale

61,pl.Nationale

tel .04 93 34 13 24

fax .04 93 34 89 88

11/09(土)

アンティーブ

ニース

ニース(ジュール・シェレ)美術館(10:00~12:00/14:00~18:00)月休

Musee des Beaux-Arts(Jules Cheret) (Nice)

ニース泊

11/10(日)

ニース13:10発

(AF7703)

パリ14:45着

ル・サロン(L’espace Auteuil/Porte d’Auteuil)

パリ泊

Hotel Excelsior

20,rue Cujas

tel .463 479 50

fax .435 487 10

11/11(月)

パリ13:00発

(AF1624)

リスボン14:35着

 

帰宅

 

 

(この文は 2002年12月号のサイト『ポルトガルの画帖』の中の『端布れキャンバスVITの独り言』に載せた文ですが 2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルの画帖』も見られなくなるとの事ですので、このブログに少しづつ移して行こうと思っています。)

 

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004. 蜂蜜

2018-10-06 | 独言(ひとりごと)

 ポルトガルの蜂蜜はいい。と言う話をどこかで聞いたことがある。
 ポルトガル国内ではアラビダ山の蜂蜜が最も上質とされている。

 アラビダ山はポルトガルで最初に指定された国立公園でセトゥーバルの西側にあり、我家からもその頂上を望むことができる。
 その中腹にはアラビダ修道院があり、かつてはそこでも蜂蜜を作っていたのだろう。

 家から広場に出てまっすぐ西へ延びている道は「ルア・ノッサ・セニョーラ・ダ・アラビダ」と言う。
 ノッサセニョーラとはノートルダム(我らが母)つまりマリアさまを指す。
 なんだかありがたいような、恐れ多いような道である。
 両側は庭付きの家が並んでいて、ホウセンカ、矢車草、薔薇、ブーゲンビリアと様々な花が咲きみだれる。
 レモンの大きな木も何本かあって、一年中実がついている。花の時期にはいい香りがする。
 その道の突き当たりにロータリーがあり、それに面した一軒の家に「自家製蜂蜜あります」という張り紙がしてある。が残念ながらそこで買ったことはない。わざわざノックしてまで買うほどは我家では使わない。
 メルカドで買う。メルカドで売っているのも同じくアラビダの蜂蜜である。

 いつも同じ場所で売台の上に 300 グラム入りの小さいビンからインスタントコーヒーの空きびんに詰め替えた1リッター入りの大きなビンまで、様々な形の違うビン 30 個程をならべて商売をしている。
 普通の蜂蜜以外にも蜂の巣をそのまま切ってビンに入れたものや、花粉をビンに詰めた物なども一緒に並べてある。
 蜂蜜のビンにはそれぞれ花や木の名前がそまつに印刷されていて「ローズマリーとその他の花」等と書かれてある。
 そのお花畑の中に巣箱を持って行くのであろうが、なるほど花によって蜂蜜の味が違って当然と言えば当然なのかも知れない。
 そう言えば色というか濃さも違う。
 その中に「ユーカリとその他の花」と言うのもある。
 ユーカリの大木の林を通り過ぎる時はいい香りがする。
 ドライブをしていても閉め切った車内までその香りは漂ってくる。
 花は見た事はないが、きっとその花もいい香りなのだろう。
 セニョーラはユーカリの蜂蜜を勧める。

 メルカドで店を出しても、野菜や魚の様に次から次に売れるものでもないらしく、そこのセニョーラはいつも暇そうに手持ち無沙汰で前を通り過ぎる人々をただ眺めている。
 毎週日曜日どこかここかで開かれる露店市でも店を出しているがやはり暇そうである。

 我家は2人家族でそれ程は使わないのだが、最近は毎朝のヨーグルトに少しだけ垂らす。
 ヨーグルトは自家製である。
 自家製と言ってもただ牛乳を暖めて 50 度に冷やした中に市販のプレーンヨーグルトを混ぜ合わせ、魔法瓶で24時間程寝かせる。と言うだけのもの。
 これが場合によってはかなり酸っぱく出来上がってしまう。
 酸っぱい物は好きな方だがそのままでは胃が飛び上がって縮こまってしまう程酸っぱい。
 それで蜂蜜をほんの茶さじ半分ばかり垂らす。その程度使うだけでめったには買わないのだが、その蜂蜜売りのセニョーラとは顔見知りになっていて、いつもあいさつを交わす。

 日本からニラの種を仕入れてきてプランタで作っている。
 毎日の味噌汁の具になったり、お好み焼きやかきあげに入れたり、春巻きや餃子を作ったりといろいろと使いみちも多くて便利である。
 結構使っているつもりでも、2人では使いきれない程よく繁る。
 そして毎年、たくさんの白い可憐な花をつける。
 その花も天ぷらにしたりもする。
 ニラの葉と同じ味だが香ばしくて食卓に彩りを添える逸品になる。

 そのプランタのニラの花にミツバチがやってくる。

 アラビダ山の方からやってくるのだろうか?マリアさまの道を通って。

 ニラの花の香りは何と言うか、食欲をそそる臭いではある。
 だが決してユーカリの様に蜂蜜に向く匂いとは思えない。
 蜂蜜のラベルで言えば、その他の花には違いないが…

 さてアラビダブランドの蜂蜜、
 最上質の味が変化してしまいませんように!VIT

 

(この文は 2002年11月号の『ポルトガルの画帖』の中の『端布れキャンバスVITの独り言』に載せた文ですが 2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルの画帖』も見られなくなるとの事ですので、このブログに少しづつ移して行こうと思っています。)

 

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003. 夕焼け

2018-10-06 | 独言(ひとりごと)

 ポルトガルの夕焼けは美しい。

 四月頃から一滴の雨も降らなかったポルトガルも、九月の中旬あたりからそろそろ雨期に入り、雲がではじめる。

 雨期のはじまりには、急に風が吹きだしたかと思うと、どこからやってくるのか、真っ黒い雲が沸きたち、にわかにバチャバチャと音をたてて雨が降りはじめる。
 粘土質の地面はたちまちにぬかるんでしまう。

 雨期と云っても日本の梅雨の様な雨量はなく、一週間降ったり止んだりがあったかと思うと、次の一週間は全く降らないと言った具合。

 でも夏の晴れと違うのは雲があること。
 そしてその雲が美しい。
 とりわけ夕陽に映える雲は筆舌では尽くせない。

 様々な紫、様々なピンク、様々な赤、様々なオレンジが、様々なグレーと混ざり合って刻々と表情を変えていく。
 遠くには昼の名残のトルコブルー、そして輝くプラチナの白。

 夕陽自身もその色を変えつつ、また幾分かたちも変えつつ、惜しげもなく瞬く間に沈んで行く。
 ときたまカモメの黒い影がさえぎり「ハッ」と我にかえる。
 絵を描いていてもその筆を置き、呆然と見いってしまう。

 ワインを片手にしたいところだ。
 それもできたら熟成された年代物のポルトワイン。
 ポルトワインの深い赤とその夕焼け色はぴったりとコーディネイトする。

 残念ながらそんな時はほんの一刻でしかない。
 短すぎる。でも短すぎるから又いいのかも知れない。

 ユーラシア大陸の西の果て、ポルトガルほど夕焼けの似合う国はない。
 もうそこには海しかない。出て行かざるをえなかったのか、やがて大航海時代がはじまり、ポルトガルに巨万の富をもたらすことになる。
 そんな過去の栄光を投影しているかの様な夕焼けにも思える。
 ポルトガルに「サウーデ」。

 美しすぎて絵にならないと言う事があるが、まさにそんなオウトブロ(十月)の至福のひと時である。VIT

 

(この文は 2002年10月号の『ポルトガルの画帖』の中の『端布れキャンバスVITの独り言』に載せた文ですが 2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルの画帖』も見られなくなるとの事ですので、このブログに少しづつ移して行こうと思っています。)

 

 

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002. 鳥かごとスピーカー

2018-10-06 | 独言(ひとりごと)

 セトゥーバル漁港の西のはずれに一軒のカフェがある。
 地域郵便局がその近くにあるので、手紙を出しに行った帰りなどに時々は寄ってコーヒーを飲む。
 郵便局にはいつも客が多くてたいてい30分程も並んで待たされる。
 足の悪い老人などは気の毒だ。
 せめて番号札を導入するとか、もう少し住人の立場に立った、きめ細かいサービスを考えてもらいたいものだ。
 ついついサービスの行き届いた日本の郵便局と比較してしまう。
 今後、日本の郵便局は民営化して果たしてどう変わってゆくのだろうか。

 気晴らしに今日もそのカフェに立ち寄った。
 テラスがあってそのテラスから港を見ながらコーヒーを飲むのは気持ちがいい。
 がそのテラスで以前カモメから糞を引っかけられたことがある。
 今日はしっかりとパラソルで隠れるところに席を確保したから大丈夫だ。

 カフェの向かいには漁師が網などをなおしておく漁師小屋が立ち並んでいる。
 客の殆どは漁師である。
 狭いカウンターに寄りかかって2~3人の漁師がバガッソ(ワインの絞り粕で作った焼酎)などを飲んでいる。
 まだ午前中だと言うのに。
 カウンターの中では美人の女将さんが一人で忙しく働いている。
 コーヒーは当然ながらセルフサービスで自分でテラスまで運ぶ。

 見晴らしが良くて気持ちの良い筈のテラスが今日はやたらとうるさい。
 ふと見ると小さなスピーカーがテラスに向けて取り付けてあってラジオを流している。
 音が悪いので雑音以外のなにものでもない。
 サービスのつもりだろうが、これはよろしくない。即刻取り外してもらいたいくらいだ。
 以前の様にポンポン船の音、カモメの声、風の音。波の音。それだけのほうがよっぽどいい。

 その小さなスピーカーのすぐ隣に鳥かごがやはり壁に取り付けてある。
 中にはカナリアが一羽いる。
 このカナリア、これだけの騒音と隣りあわせでは、気が狂ってしまうのではないかと心配してしまう。
 やがてラジオはロックに変わった。ロッド・スチュアートに似ているが誰だろう?誰かの新曲だろうか?
 いや待てよ、ブライアン・アダムスか?ブライアン・アダムスの新曲か?

 耳を澄ましてよく聴いてみると、カナリアが一緒に歌っているではないか。
 しかもブライアン・アダムスらしいのとハモッテいる。
 息はぴったり。リズム感もバッチリ!
 「いやー。まいった!」

 こんなことなら、このカナリアの歌、時々は…いや毎日でも聴きに来たいものである。
 郵便局に行く楽しみが一つできた。

 鳥かごとスピーカーそのままに、そのままに! VIT

 

(この文は 2002年9月号の『ポルトガルの画帖』の中の『端布れキャンバスVITの独り言』に載せた文ですが 2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルの画帖』も見られなくなるとの事ですので、このブログに少しづつ移して行こうと思っています。)

 

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001. 鉛筆削り

2018-10-06 | 独言(ひとりごと)

 毎年日本から3~4ダースの鉛筆を仕入れてくる。

 ポルトガルにも専門店にでも行けばいい鉛筆をみつけることはできるのだろうが、別段そういうこともしない。

 ポルトガルのスーパーや露店市にも売ってはいるが、そういうところにはろくな鉛筆がない。

 日本から持ってくると言っても特別なものでもない。

 宮崎の量販店で売られている、あの昔から慣れ親しんだ、深緑色にくっきりと金色のマークと文字の入った「三菱鉛筆9800」というごく普通の鉛筆である。

 HBとBと2Bを1ダースづつ程度。それ程重くもならないし、かさばることもない。

 鉛筆で手紙を書くと失礼になる。と聞いたことがあるが、僕は鉛筆の方がいい。ボールペンはどうも苦手だ。

 鉛筆を毎年それだけ消費するのは、もちろんスケッチに使うからである。

 2Bより濃い4B,5B,6Bも少しは持ってくる。

 使い分けをしようといろんな濃さを持ってくるのだがいざ描きはじめると、BならB,2Bなら2Bで始めから終わりまでやってしまうことが多い。要するに何でもいいのだ。

 スケッチに出かける時は10本位のきれいに削った鉛筆を持って出る。

 鉛筆にはキャップを付けている。もちろんカッターナイフも小さいのを入れている。10本あれば途中で削ることはあまりない。宿であるいは帰宅してから削ればよい。

 最近の子供は鉛筆を削るのが下手だと聞いた。電動の鉛筆削り器を与えられているのだから、下手は当然と言えば当然の事かも知れない。

 僕は子供の頃から鉛筆削りだけは巧かった。また鉛筆を削るのが好きでもあった。それは今も続いている。絵を描くのに飽きたりするとアトリエの隅っこで鉛筆削りを始めたりする。必要な本数以上を削ったりしてしまう。趣味?とまでは言わないが変なところに好みがある。

 中学2年の時だった。僕の隣の席に知恵おくれの女生徒が座った。普通なら養護学級で勉強するところであるが、ご両親の希望で普通のクラスで学んでいた。授業の内容は全く理解できなくて、たまたま事情を知らない新任の教師などが来られて当てられたりすると、真っ赤な顔をして「わかりません」と大きな声で答える、元気で明るいそしてクラスメートからも人気のある女生徒でもあった。

 その彼女には特技があった。鉛筆削りである。僕はそれまで鉛筆削りは得意だと思っていたが、彼女の方が遥かに巧かった。そして休み時間には自分の鉛筆以外にも僕や周りのみんなの筆箱の中までもきれいにやっておいてくれるのである。もちろん頼んだわけではない。

 彼女とクラスが別れた後、僕は鉛筆削りがますます好きになっていた。

 そしてますます上手にもなっていた。彼女からそのコツをしらずしらず学んでいたのだと思う。

 鉛筆削りと簡単に言うが極めるには奥が深い。なにしろ天然木が相手である。一本一本微妙に違う。削り始めると面白い。だからなのか今、鉛筆を大量に消費できる喜びを感じている。

 筆箱の中が整頓されていつも鉛筆がきれいにそろえられているといっても残念ながら字がきれいになるとは限ったことではない。また、残念ながらスケッチが上手になるとも限らない。VIT

 

(この文は 2002年7月号の『ポルトガルの画帖』の中の『端布れキャンバスVITの独り言』に載せた文ですが 2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルの画帖』も見られなくなるとの事ですので、このブログに少しづつ移して行こうと思っています。)

 

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