武本比登志の端布画布(はぎれキャンヴァス)

ポルトガルに住んで感じた事などを文章にしています。

208. ゴムの木 árvore de borracha

2023-09-01 | 独言(ひとりごと)

 ベランダに折り畳み寝椅子を広げて寝転がる。お隣の庭のゴムの木の先端が空に向かって伸びているのが見える。

空に向かって伸びるゴムの木(我が家のベランダから撮影)

 ポルトガルに住み始めてこれ程、外出の少ないことはなかった。年齢的なこともあるのだろうけれど、コロナ禍で自宅に居ることの、案外と快適さを身に沁み始めたのかも知れない。

 最初の10年間は列車やバスを使ってそれこそ貪欲にポルトガル国内を歩き回ってスケッチをした。

 10年経ってクルマを買った。列車やバスでは行かれなかった小さな村々迄出かけた。スケッチ旅行の傍ら野の花やきのこ観察に楽しみを見いだし、それをブログに纏めた。

 30年経ち年齢も年齢、健康のこともあるし、そろそろ帰国をと思っていた矢先、コロナ禍だ。スーパーの買い物とワクチン接種以外全く外出はしなかった。

 コロナ禍が終わってもスーパーへの買い物と週一の露店市歩きくらいで、外食も殆どしなくなったし、野の花観察にも行かなくなった。

 家にばかり居るのだ。それが案外と心地良い。家に居ても陽当たりも良いし、見晴らしは抜群。地平線からの日の出も拝むことが出来るし。水平線を行く貨物船を眺めたり、戦闘機の飛行訓練を眺めたり。渡船やフェリーの行き来。貨物船の出入港。ヨットやレジャーボート。湾にはイルカウオッチングの船も、でもイルカは双眼鏡を使ってもここからは無理。

 先日は毎年、セトゥーバル湾で行われる漁師の祭りを家のベランダに居ながらにして見学することも出来た。漁師の祭りには花火もあった。年始め恒例の花火も我が家からが特等席だ。ベランダからの眺めは飽きることがない。

 家に居る1日は、先ず日の出を拝む。そして朝食。パソコンを開いてメールなどのチェック。それからサド湾を眺めながらコーヒータイム。再びパソコンを開いてラジオ体操第1と第2。北のベランダに置いてあるニラ、パセリ、月下美人への水遣り。油彩を少し。瞬く間に昼ごはん。テレビのお昼のニュース。ブログの掲載。何をする暇もなく夕食。夕食後はテレビの映画。入浴を挟んで映画をもう1本。

 アソーレスに住む幸さんが『文藝春秋』を送って下さる。隅から隅まで読む。面白い。僕は最初の頁から順番に全て飛ばすことなく読むようにしている。でもあまり夢中になって読み過ぎると他のことが何もできなくなってしまうので、時間を見ながら切りの良いところで毎日少しずつの楽しみにしている。

 夕食前後の南のベランダが日陰になる頃などは絶好だ。ベランダに折り畳み寝椅子を出して読む。寝椅子は南向きには置かれないので東向きだ。

ゴムの木とセトゥーバルの街並

 文藝春秋を読みながらふと顔を上げると、お隣の庭から生えているゴムの木の先端が見える。大きくなったものだ。我が家は日本式に言えば4階の高さ。南側の裏は5回の高さがある。ゴムの木は5階の高さまで迫ってきている。

 お隣のオーナーは庭木の剪定をあまりしない人の様だ。それこそ放ったらかしだ。松の木もそのままだし。ブラジル松も葛が絡み付いたまま伸び放題。ジャカランダも手つかずで、ゴムの木は広がり放題。庭木は放ったらかしだがクルママニアの様だ。用途に応じて何台ものクルマを使い分けている。誰もが振り返るスーパーカーもある。

 ゴムの木と言えば日本では室内用観葉植物の代表格だ。ポルトガルでも観葉植物だが、庭木や公園樹としても植えられている。やはり日本よりは少し温かいのだろう。冬でも葉が落ちないどころか、冬でも成長している。公園のカフェテラスで大きな影を作っていると思えばゴムの巨木だったりする。日本でも宮崎あたりなら露地でも生き続けるのだろうが、それ程の巨木は見たことがない。

 指宿で観葉植物の栽培をしている大村さんと知り合いになった。観葉植物と言っても家庭用ではなく事業所用で大型専門であった。一度指宿迄遊びに行ったことがあるが広い温室に指宿の温泉が暖房になっているとのことであったが、温かいところで暖房が要るのだろうかと思った。温泉は無料だが水道水にはお金を払っていると言っていた。羨ましい限りだ。風除けに温室が必要だとのことであった。とにかく他所の2倍も早く成長するそうだ。やはりゴムの木が多かった。それをトラックに満載して東京や大阪の大都市まで運んで行く。高度経済成長期、ビルなどに観葉植物の需要が多かったのだ。

 宮崎に住んでいた時にもゴムの木は身長以上になった鉢数鉢を育てていた。宮崎と言っても標高の少し高い地域で霜も降りたので地植えは無理であった。

 ゴムの木の巨木を最初に見たのはリオ・デ・ジャネイロであった。リオで動物園に行った。ゴムの木の巨木が珍しいと思い眺めていた。幹が動き出したので後ずさりした。何と幹に大きなニシキヘビが絡みついていたのだ。

 セトゥーバルの公園などでもゴムの大木がある。リオ・デ・ジャネイロのイメージがいつまでも離れず、幹にニシキヘビが居ないか恐る恐る見てしまう。

 そういえば、アンリ・ルソーの絵でゴムの木などの熱帯ジャングルの間から大蛇が首をもたげている絵があった。

 明治生まれの父は植物が殊のほか好きであった。生まれ育った新居浜の屋敷にはいろんな珍しい植物を植えていたそうだ。従妹の淳子さんの話では「憲叔父さんは未だバラなどが珍しい時代から育てていたし、新居浜の庭には珍しい植物がいろいろありましたよ」と言っていたくらいだ。

 父は太平洋戦争中の末期に兵役から戻って、大阪の地方公務員になった。母と結婚をし北田辺にアパートを借り暮らし始めた。1階にもアパートがあったのか大家さんの自宅だったのかは判らないが父と母の部屋は2階であった。兄はそこで昭和19年に生まれた。2階には2世帯が暮らしていて、あとの1世帯には犬養孝さんと言う方が住まわれたそうだ。その翌年の昭和20年、大阪では度重なる大空襲があった。B-29からの焼夷弾である。1歳に満たない赤ん坊を抱えて母は大変だったろうと思う。そしてそのアパートは爆撃により全焼した。アパートの門柱の上に父は斑入りのゴムの木を飾っていたそうだがゴムの木だけが、まるで門松のように青々と生き残っていたそうだ。

 父母も赤ん坊の兄も防空壕に隠れたのか、或いは安全なところを求めて逃げ惑ったのか。その辺りは聞いてはいないが、何とか無事であった。その後、戦争が終わってしばらくは、その近所に仮住まいしたことになるがそこで僕が生まれた。そして今の西今川町に家を見つけた。やがて妹が生まれることになる。僕が物心ついてからの家はずっと西今川町であった。最寄り駅は何れも同じ北田辺にある。

 西今川町は今川の西に沿った1丁目から4丁目まである町である。今川は遠い昔、息長川と呼ばれ万葉集にも歌われた鳰鳥(カイツブリ)も生息した美しい流れだったとある。最近になって地元の郷土史家、三津井康純氏の長年の調査により明らかになった史実である。

 万葉集などで歌われている息長川は今川の古い名前であった。

 “鳰鳥(におどり)の 息長川は 絶えぬとも 君に語らむ 言(こと)尽きめやも“(馬史国人)<万葉集4458番>

 “まだ知らぬ旅寝に 息長川と契らせ給うより ほかのことなし”(紫式部)<源氏物語・第四帖夕顔の巻>と歌われている。

 そして出所の判らない歌をもう一首

 “百済(くだら)野の 息長川の 都鳥 とふべき人は 昔なりけり(国香?)<拾遣?>

 百済と言う地名は西今川から10分も歩けば着くことが出来る地域で、その昔から渡来人の町だったのだろう。

 それが大和川の度重なる氾濫により1704年(宝永元年)の大和川付け替え工事により息長川の水源が絶たれてしまった。そして名称も今川となった。宝永年間には現代の川、つまり今川になってしまったわけである。僕が子供の頃の今川は各家庭からの排水が流れ込み、メタンガスが発生するまさにどぶ川であった。

 各家庭にテレビが普及し始めた頃、テレビに時々、犬養孝さんのお姿があって、父は「この人や、この人や。北田辺で同じアパートに住んでいたのはこの人や!」と喜んでいた。犬養孝さんもご無事であったのだ。犬養孝さんは万葉集の研究者としての第一人者で度々テレビにも登場していた学者の先生になられていたのだ。

 生れたばかりの兄は犬養孝さんにも抱いてもらったそうだ。母も懐かしそうにそう話していた。

 そのせいなのかどうなのかは知らないが、兄は今でも万葉集のポケット版を持ち歩いている。我が家ではお正月には毎年、百人一首を楽しんだ。読み手は母で、朗々と詠い上げた。父はお屠蘇を飲みながら見ているだけ。取り手は子供たち。勿論、一番上手なのは兄である。僕もそこそこには出来るが兄には叶わない。

伸び放題無限に枝分かれした1株のゴムの木

 寝椅子に寝転がってゴムの木を眺めながら、そういえばゴムの木にはあまり野鳥は止まらない。その隣の松には今も野鳥が止まっている。

 暑くて眠られない真夜中、夕方からそのままにしておいた寝椅子に横たわって星空を眺めながら

 “あしびきの 山鳥の尾のしだり尾の 長々し夜を ひとりかも寝む”(柿本人麻呂)<小倉百人一首>などと言ってみると、黒々としたゴムの木がざわざわと音を立てる。

 

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